あなたを、愛してるよ

 

「やっぱり、似合わない……」

普段なら落として戻るメイクを、わざとそのままにして、スタッフが送ると言っても聞かず、わざわざ呼んだタクシーの運転手を仰天させ、笑い転げていたロバートが、金の長い髪をかき上げながら、鏡の前で、しみじみと切なげにつぶやいた。

一緒になって撮影現場からタクシーに連れ込まれてしまったジュードは、まだ自分も衣装のままで、携帯の着信をチェックしながら、堅苦しいシャツのボタンを緩めていたのだが、背後から聞えたロバートの声に、思わず、ポップコーンが弾けるように笑っていた。撮影現場では、今日一日、ホームズの女装ネタで、散々、ロバートには、笑わせて貰ったが、部屋に戻った今のが、一番強烈だった。振り返って見た鏡の中のロバートは、相変わらず、下品と豪華を取り間違えたような、いかがわしくも卑猥な美女ぶりだ。ジョークに、息苦しくなるほど笑ったせいで目尻に溜まった涙を拭きながら、鏡に近づき、ロバートのたくましいドレスの肩を抱く。ちゅっと、ゴージャスな金髪にキスをする。

「ロバート、何? 何、言ってるの? 俺を笑い殺す気?」

顔を並べて、一緒に映った鏡の中では、やはり、吹き出すべきか、顔を背けるべきか迷うような厚化粧の美人が睫毛をばさばさとしばたきながら、アンニュイに顔を強張らせている。ジュードは、ドレス姿のロバートをぎゅう、ぎゅう抱きしめた。さすがに、色が付きそうで、メイクのままの顔にはキスする勇気が湧かないが、抱きしめた胸や肩にキスを繰り返す。ストーリー上必要で、胸元の詰め物がすごいロバートは今、超グラマーだ。浮かれた気分でジュードは、巨乳の胸に顔を埋めて、にやついた。その全てを、鏡の中で見ていたロバートは、つい、さっきまであれだけ底抜けに笑っていたのに、辛そうに目を細める。

「……お前は、相変わらず、ハンサムだな」

「え? ああ、まぁ」

ジュードがそのハンサムな顔に馬鹿っぽい笑顔を浮かべて頭を上げたのは、詰め物でメロンみたいに膨らんだロバートの胸からだ。

「どうしたの?」

「俺は、全然きれいじゃない」

きれいであることなど、撮影所にいた誰も望んでなかったし、わざとそうしないのが、今回の脚本のあざとさだった。もっとメイクをナチュラルにして、それなりに見せることもできたが、それには、ロバートも首を横に振って、反対した。もともと長い睫毛にさらに付け睫毛を重ね増量しようと、格好よくもわざとらしいウィンク連発で言い出して、みんなを苦笑させていた場にだって、ジュードは居合わせた。

「どうしたの?」

今度のジュードの問いかけは、笑いを潜め、多少、親身なものになっていた。

赤く塗られた唇がきれいに整えられた爪をがりがりと噛んでいる。そらすようにした目の、瞬きの速度も落ち着きがなさすぎる。

「もう少し、俺が若かったら、これよりは、ましになってたと思うか……?」

泣きそうに、ロバートはつぶやく。

「それは、無理だろ、ロバート。第一、きれいに見せようとして、この顔を作ったわけじゃないし」

ロバートが本当に泣くかとジュードは思った。

「……俺の顔、変だろ?」

「どうしてそう思うの?」

変かと聞かれれば、確かに、今のロバートの顔は変だ。ファンデーションは厚すぎ、色も白く塗り過ぎだ。大げさにカーブを取られた眉も酷かったし、目を取り囲むアイラインや、付け睫毛、それに、真っ赤な口紅は、女という記号を誇張して、顔の中に放り込んだだけにしかみえない。

だが、ロバートが言いたいのは、そういうことではないというのは、ジュードにもわかる。

笑い過ぎて腹が痛いから、もうやめてくれと頼んでも、まだ、大きく腰をくねらせて歩いてみせるくせに。いや、だからか、ロバートは、時々不安定だ。

「お前みたいな青い目じゃないし、俺は肌だって、たるんできてる……」

「茶色の目は嫌い? 俺は、好きだけど。目の位置も、鼻の位置も、大好きだよ。肌はすごく手触りがいいし、唇の形は、キスするのに最高だけど?」

爪を歪な形に変えようとしている口元から、さりげなく手を取り上げ、ジュードは軽く唇を合わせた。

「……お前みたいにきれいな奴に言われても、……嫌だ」

だが、キスは受け入れたくせに、ロバートは顔を背けてしまった。

俺の顔を見ないでくれと、目尻に皺を寄せて、懸命に自分が目をつぶる。

「……確かに、今の、ロバートの顔は、酷いんだけどさ、それは、メイクのせいで」

決して美人に作っていないメイクのせいで、自分の顔の造作が落ちたように感じることと、本当の容貌に陰りが出てきたと思うのは、別物だと、今のロバートに、口で言ってわからせるのは、それほど頭の回らない自分にとって、いかにも難しい仕事だとジュードは感じた。だが、本当はジュードの言う大丈夫だと言う言葉を信じたいのか、ジュードが言葉を止めても、密集したつけ睫毛の中で、ロバートがうっすらと目を開ける。普段は勝ち気な目が、こんな時だけ、大きく揺れ、頼りなく目の前の男に頼りきっていた。その目は、ジュードの心をぞわりと擽る。ろくでもない男でしかない自分が、世界で一番強い人間にでもなった気分になれた。不安定な時のロバートの目には絶対に魔力があった。

 

見るなと言われていたから、ジュードは背後からロバートの身体を包み込むように抱きしめ直し、その項に頬を寄せた。

「きれいだよ。ロバート」

「うそだ」

「本当だって、俺、勃ってるもん」

ペチコートで膨らんだ腰に、自分の腰を押しつけた。頬擦りしていた項に唇を寄せて、キスを繰り返す。ロバートが嫌がらないのをいいことに、抱きしめたまま、ペチコートを手繰り上げ、裾から手を忍び込ませる。ガーターストッキングの上から、癒すように優しく足を撫で、じわじわと生の肌の領域に近づく。生の太腿に触れる前に、もう一度、つるつるとした膝に戻って円を描くように撫でながら、自分の硬いものをぐいぐいと押しつけたロバートの腰を引き寄せて、尻を突き出させるような格好にさせると、まだ不安定に揺れている大きな目が振り返った。

「……ジュード」

だから、ロバートの目には、魔力があるのだ。このままちょっと強引な感じでキスをして、欲しくてたまらないとわからせるようなセックスをするのが、ジュードにとって、一番楽で御馴染の問題の解決法だというのに、その頭を全く使わないやり方は、もしかしたら、間違いかもしれないなんて考えを、その目はふと思いつかせる。振り向いたロバートだって、唇から舌を覗かせ、キスして欲しそうにしているというのに、ジュードがしたのは、唇を合わせるだけのキスだった。ティーンのような純粋なキスにロバートは応えてきたが、不思議に思っている気配は合わせた唇からも伝わった。

ジュードは、ドレスの身体をもう一度きつく抱きしめると、腕を伸ばして鏡の前に並んだ化粧道具のなかから、クレンジングクリームを手に取った。ロバートの顔にたっぷりと付けて、自分のメイクを落とすときよりよほど丁寧になじませながら、何度もコットンで汚れを拭き取っていく。それを丁寧に繰り返す。しばらくの間、ジュードに顔を撫でられたまま、ロバートは茫然とされるがままだったが、そのうち、ゆっくりと目を閉じた。

けばけばしく黒とゴールドで彩られた目元を、ジュードの指先がそっと撫でる。ロバートが徐々に本来の優しい目元を取り戻す。

8割がたメイクが落ちて、ハンサムなロバートの顔に戻った時点で、ジュードは、ロバートに目を開けて鏡を見るよう促した。背後から自分も一緒に覗き込む。鏡の中のロバートの目尻が下がった。

「ジュード、お前、自分がスパゲディーを手づかみで食ったガキみたいな顔になってるの知らなかったろ」

真っ赤な口紅のロバートとキスしたせいで、ジュードの口元は、子供がクレヨンで塗り絵でもしたような有様だ。だが、ジュードは、口の周りを手の甲でごしごしと擦りながら、自信たっぷりにロバートに向かってにやりと返した。

「でも、好き?」

ロバートは、それには答えず、盛大に中身の減ったクレンジングクリームに指を差し入れると、ジュードの口元に塗りつける。コットンが優しくジュードの顔を拭う。

口の周りをきれいにして貰うと、今度は、ジュードが、まだ、完全にはメイクが落ち切っていないロバートの顔をきれいにする作業の続きを始めた。自分の武骨な手に、さっき、ロバートがしてくれたより、もっと優しく動けよと、言い聞かせながら、指先でそっと肌を撫でる。

この顔には、とっても価値があるんだと伝えるために。この顔が大好きだと伝わるように。

多分、これが、セックスより、少しばかりましなことのできる男のすることのはずだ。

もう、コットンに汚れが付いてこなくなり、ジュードの手が止まり、目が合うと、ロバートは少し照れくさそうだった。

「ねぇ、顔を洗いに行こうよ」

ジュードは誘った。

「それでさ、さっぱりしたら、一緒にテレビでスポーツチャンネルでも見よう。ずっと、抱きしめててあげるから」

 

 

背中から抱きしめて、手も足も絡めて、テレビを見ているうちに、ロバートは眠ってしまった。それでも、ジュードは、ぎゅっと抱きしめ続けた。

テレビの中継は、アメリカンフットボールだ。

 

 

END