シャーロック・ホームズにまつわる雑記 10
*壁
自室で服を着替えようとしたワトスンは、思っていたシャツがないのに気付いた。
「おい! ホームズ、また僕の服を盗っていったな!」
かっとした医者は、壁越しにホームズに向かって怒鳴った。しかし、返事がない。
苛々と医者は、もう一度怒鳴る。
「聞えてるだろう! ホームズ! 僕が着ようと思っていたシャツを君は盗っただろう!」
腹立ちのままに、何度怒鳴ろうと、探偵がいるはずの居間からは返事がない。とうとう医者は足音も荒く、居間に続くドアを開けた。
「ホームズ! これだけの距離なんだぞ、どうして聞えているのに無視するんだ!」
「えっ? 何か言ったのかい、ワトスン君。僕にはちっとも聞えなかったよ」
ワトスンのシャツを着て、ホームズはけろりと言う。ワトスンは強く探偵を睨んだ。すると、はんっと強気で見つめてきていたホームズが、不意に瞳を輝かせた。ワトスンに近づくと、くるりと医者の向きを変え、ドアの外へと押し出そうとする。
「ホームズ、一言謝るくらいのことは……!」
「本当に、聞えないんだよ。ワトスン君。実験してみるから、君も、きっと納得するはずだ」
バタンとドアを閉められ、苛々と医者はホームズの実験とやらを待った。
すると、やはり、ホームズの大声は聞こえる。
「僕のハートを盗んだ奴がいるんだが、そいつは、無視を決め込んでいる。ワトスン君、僕は、ずっと君の答えを待っているんだが!」
ドアが開けられた。ホームズはにこりと笑う。
「なっ、聞えないだろう?」
ワトスンは、口ごもった。俯いてしまった顔をちらりと上げる。
「……すまない。ホームズ、確かに、この壁は変だ」
*医者の見立て
朝から、ぞくぞくと寒気がしていたのだ。
頭まで痛くなってきた気がして、ホームズは、隣室で診療中の医者のドアを叩いた。
「先生は、……いるかな?」
今日初めて出す声は、殆ど声にならない囁くようなものだった。ホームズは、自分で自分に喉風邪をひいたようだと診断を下す。
だが、患者から目をそらして、困ったように眉を寄せた医者の意見は違うようだ。
「ホームズ、今は、昼間なんだぞ!」
*我、君を信ず
その晩、ワトスンは友人の家を訪ねるとかで、留守にしているはずだった。
真夜中に、ふと、ホームズは、明日着る服を、今のうちに取りに行けば、医者の小言を聞かずにすむと思いついたのだ。
親友の部屋のドアの鍵をこじ開け侵入した探偵は、きれいに清潔に整えられた寝台のふかふかとした布団の誘惑に勝つことができなかった。
朝日が目に差し込み、呻き声とともに、目を覚ました探偵を、冷たく見下ろす青い目があった。
「おはよう。ワトスン君。早く帰って来たんだね」
「……おはよう、ホームズ」
医者の声は軽蔑に満ちている。新しいシャツを手に入れるつもりだった探偵は、汚したシャツを医者に押し付けようとも考えていて、蹴った布団の中の身体は、素っ裸だったのだ。
「……ワトスン君、もし、僕がシャツを借りに来ただけなんだって言ったとして、……君は信じてくれるだろうか?」
特に医者の冷たい視線が突き刺さっているのは、朝勃ちしている探偵の股間付近だ。
*クラーキーは知ってるかもしれない。(願望)
クラーキーは、なんともいえない顔でその話を聞かされていた。
「だからね、ワトスン君は本当に酷い奴なんだ。確かに、僕は、古書店で持ち合わせがなくて、彼に金を借りたよ。だけど、下宿に帰るなり、無理矢理服を剥いで、万が一にと思って、下着の隠しポケットに入れておいた紙幣を取り上げることはないと思うんだ」
「……服を脱がされている最中に、あなたなら、十分抵抗できたんじゃないですか、ホームズさん?」
ホームズは悔しそうに顰めた。
「だって、君、ワトスン君の狙いが、金だなんて思わないだろう!」
*続・クラーキーは知ってるかもしれない
今日も、クラーキーは、探偵に話を聞かされている。
「だってね、クラーキー、最初だって、ワトスン君が強姦するような勢いで僕に襲いかかってきて」
「……失礼ですが、ワトスン先生は少々足がお悪い。強姦は無理じゃ……」
事件現場に向かう二頭立ての馬車は軽快に石畳を走っていた。
探偵の正面に座るクラーキーは、辛そうな顔だ。探偵はけろりとしたものだ。
「なんだ、それだったら、僕が協力して上げたんだ。だから、支障なく、できたよ?」