シャーロック・ホームズにまつわる雑記 1

 

*心に残る記憶

 

何事にも、つい夢中になりがちなホームズにとって、留置所は、馴染み深い場所だ。

ここでは、自分の身の上を誰かにどうするか決めて貰わなければ出られない以上、時間がありあまる。

「あんまり言うことを聞かないから、俺は女房を殴りつけてやったんだ。あいつは、この拳の味を忘れないだろうよ」

若い男は、自慢げだった。

ホームズは、同情するように、彼の肩を叩いた。

「僕の推測だと、彼女は、この先、二十年はそのことを忘れないだろう。君、気をつけた方がいいよ。なぜって、意見の食い違いの末に、僕の拳がほんのちょっと、顎をかすっただけなんだよ、それなのに、もうずっと彼は、そのことを忘れてくれないんだ」

保釈金を払って、迎えに来たワトスンは仁王立ちだった。

 

 

*判断は明日

 

「お爺さまがお亡くなりになったそうで」

ワトスン医師は、顔見知りの御婦人にお悔やみを口にした。

「ええ、最後までいい方でした」

「それは、どうかわからないですよ」

ホームズが口を挟んだ。

「遺言状の公表は明日だと伺いました。その判断をするのは、明日になさった方が賢明ですよ」

 

 

*昨夜のは、何だったんだ?

 

「はい、大丈夫ですよ。お二人とも健康状態に変わりはないようです」

小さな女の子を連れて、お腹の子の検診に訪れていた若い御婦人へとワトスンはにこりと笑った。

女の子は、ワトスンの袖を引いた。

「ねぇ、先生、ママは、赤ちゃんは、神様がおよこしになったっていうの」

「そうだよ。君のことも、君のママのことも、この僕のことだって、神様がおよこしくださったんだよ」

子供に合わせて、床へと膝をついたワトスンは、愛しげに少女の髪を撫でた。少女は、ワトスンの青い目をじっと見つめる。

「先生のことも神様がおよこしになったの? じゃぁ、もしかして、神様って、先生のママのことも、先生のおばあちゃまのことも、えっと、もしかしたら、先生のおばあちゃまのママのことだって、およこしになってるの?」

「勿論、そうだよ」

診察室のドアが開いた。大きな欠伸をしながら、ホームズが入ってくる。

「ホームズ、今は、診察中だ」

ガウンの下は、大きすぎるワトスンのシャツのだけに違いないだらしのない格好をした探偵は、優しげに少女の髪へと手を伸ばしたまま、自分を睨みついている医師の耳元へと、にやつきながら、口を近づけた。

「ワトスン、君の説によれば、君の家族は、100年以上もセックスをしてない神聖家族ということになるんだがな?」

 

 

*探偵の暴く真実

 

「ホームズさん、私の指輪が無くなってしまって!」

駆け込んできた夫人は顔色を無くしていた。じっと、夫人の顔を見つめるだけのホームズに、ワトスンは、自分の肩を友人にぶつけた。

「彼女の様子じゃ、保険金詐欺ってわけでもなさそうだぞ。名探偵としては、こんなこまごまとした仕事は嫌だろうが、力になってやれよ、ホームズ」

「指輪の場所なら、わかったさ」

「おい、ホームズ! もっと親身に……」

「いや、ワトスン、本当だとも。ただ、僕は言うべきかどうか、迷っている」

「ホームズ、意地の悪い真似をせず、教えてやれ」

「ホームズさん、ぜひ、教えてください!」

「そうですか?……どうしても、というのなら、お教えしますが……お歳のころから察するに、あなたは、そうですね、もう、結婚されてから、10年というところでしょうか。あなたは、その凝った髪型といい、近頃時間を持て余していらっしゃる。そして、あなたのお召しになっているドレスは、少しばかり窮屈そうだ。つまり、あなたは、お太りになられた。そうですね、そのあたりで、どうしても結婚生活というものは、輝きが失われてしまうものです。指輪は、ご主人のポケットです。昨夜あなたが、ご主人とメイドの浮気の証拠をつかもうとさぐった時に落ちたんです」

 

 

*妥協

 

真夜中3時だ。バイオリンの音がうるさく、ワトスンは苛立ちにむくりと起きた。

「ホームズ! おい、ホームズ!」

怒鳴っても、階下のバイオリンの音は止まない。たまらず、ワトスンは、床をがんがんと激しく蹴った。

しかし、高音に、激しい感情を乗せて、さらに弓が走る。

「ホームズ! くそっ!」

とうとうワトスンは、居間のドアを叩き開けた。

「ホームズ、僕が床を鳴らしたのが、聞えなかったのか!」

「気にしなくていいよ。ワトスン君」

ホームズの弾くバイオリンは、更に激しい曲調となる。

「僕も、君に騒がしい思いをさせている。ほんのちょっと君が床を踏み鳴らすくらい、僕は、勿論、我慢するとも」