ペリハリ

 

「貰った地図じゃ、わかんねぇんだけど」

『だから、その道から、二本通りを進んだ右の家だ』

「へー、二本、二本ね」

携帯を片手に、ハリーは、二本、通りを通過し、車を止める。

「プールのある家?」

『そうだ。言ってあったろ。全く、地図も読めないような探偵がこの世にいるなんて、私はもう30分も待ってるんだぞ』

「嘘つけよ。22分じゃねぇか」

依頼主の中年男は、さっきから、ハリーに文句ばかりつけている。しかし、ハリーは、プロらしく、それ以上の暴言は控えた。だが、言いたいことなら、山ほどある。まず、第一に、男の描いた地図が汚いのだ。それに探偵に金を払って自分の妻を暴徒に襲わせようなんていう奴は、金玉が小さいしか思えない。そんな奴が依頼してきたセコイ仕事より、ハリーには気になっていることがあり、今、頭の大半はそれについて考えるのに忙しい。

「あの人?」

目標の建物から少し離れた場所に車を止めたハリーは、垣根越しに庭を覗き込んだ。セコイ男のくせに、稼ぎがいいのか、庭は広い。

『赤い服を着て、プールの側にいるか?』

ハリーの目には、そのタンクトップはピンクに見えたが、中年にはあれが赤に見えるのかもしない。彼女はなかなかの美人だ。

「くそばばあには見えないけど?」

『化粧が厚いんだ』

セコイ亭主が頼んできた仕事を昼食後、ハリーに言いつけたペリーは、今朝、モーニングエッチの最中に相手の男と派手な喧嘩をしでかかした。

ペリーが誰かを連れ込めば、夜だって散々派手にセックスしまくって、うるさいことこの上ないというのに、どうやら、ペリーは、寝ている相手のアレをしゃぶって起こしてやるのが好きらしく、朝までうるさい。しかも、ハリーの家主兼雇い主でもあるペリーには、潔癖なところがあり、連れ込んだ相手をなかなか自室へは通さない。おかげで、二間続きのゲストルームのひとつを分け与えられているハリーは、いつも派手な悶え声を聞かされる破目になる。だが、もう、慣れたし、ゲイのペリーは、決してハリーにノーマルなアダルトビデオもエロ本も家へと持ち込ませなかったから、ハリーは、その声を低音の女の声だと自分を誤魔化して、朝勃ちを抜くことだってできるようになっていた。人間慣れって怖いものだ。

そして、今朝、おぅ、いい、そこ、そこだと、悶えまくっていた歯医者が、いきなり怒鳴り声を上げた時、ハリーの朝勃ちはもう後少しでいけそうな状態で、どうやら物が飛び交う派手な喧嘩の急展開に、ハリーの方が心底驚いた。

懸命にペリーがなだめる声が聞こえたが、その後エッチの再開はなく、仕方なしに、ハリーは勃ったままのそれを抱えて、キッチンで朝食を漁ったのだ。すると、同じようにパンツの前を重く勃たせたペリーが不機嫌な顔で現れた。ハリーは、精一杯の笑顔を作り、不機嫌な家主兼雇い主に挨拶した。

「よう。コーヒー飲む?」

パンツ一枚でキッチンに立つハリーの特に股間辺りに、じろりときつく目をやり、一言ペリーは言った。

「犯すぞ」

 

それが今朝のことだが、家賃代わりに、一回だけなら寝てもいいと住みこませてもらった当初、つい言質を与えたのはハリーだった。自分の尻に、それほどの価値があるのかどうか、今一つハリーは自信がなかったが、残念ながら、とある事件を経て、身一つでペリーのところへ転がり込んでいるハリーに差し出せるものと言えば、その位しかないのだ。

長い髪をかきあげながら、プールに浮いた落ち葉を集めるブルネットは、くそばばあと言うには、やはり出るとこが出て、しかも締まるところが締まる艶っぽさだ。この美人が嫁だというなら、ハリーなら、多少の性格の悪さは目を瞑る。

ペリーが依頼金を貰っている以上、ハリーは依頼通りやるつもりだったが、ハリーは依頼人はよほどの変人だと思った。なぜなら、ブルネットは盛り上がっている大きな胸に、つんと立っている乳首も露わなのだ。なのに、くそばばあと罵った挙句、プールに突き落とせと言う。なんのプレイだ?

しかし、電話の向こうの男は、今すぐやれとイライラと性格も悪く、落ちたところをこっそり笑うために、俺は昼から仕事まで休んでここに潜んでいるんだぞと、ぎゃぁ、ぎゃぁ、うるさい。

『どこにいるんだ? 見えないぞ。早くやれ』

「わかったよ」

覚悟を決めたハリーは、垣根を越えて庭に掛け込み、驚きに目を見開く美人に向かって、厚化粧のくそばばあ!と、大声で罵った。そして、背中を押して、彼女をプールのなかへと突き落とす。勿論、怪我をさせないよう注意して押したが、溺れるような事態になれば、依頼主が助ける手はずだ。

 

「きゃぁー!!!」

 

大きな声を上げて、彼女は、プールの中へと落ちて行く。どぼーん!と、大きな音がした。

「完了」

短くかけた報告の電話に、依頼主は、素っ頓狂な声を上げた。

「お前っ! どこの誰を突き落としたんだ! うちじゃないぞ。悲鳴が聞こえる。近い。近いぞ。ちょっ、待て、隣の家じゃないか!」

逃げるハリーの視界には、隣の小さな家から駆けだしてくる中年男が見えた。

「は? え? ええーー!?」

「なんてこった!? ああ、神様!!」

 

 

「…………ハリー、電話があった」

事務所に逃げ戻って、こそこそと小さくなっていたハリーの前に、ペリーの大きな影が差した。優しげに微笑んでいるのがハリーの恐怖心をさらに掻き立てる。

「まっすぐ家に帰って待ってろ」

 

 

ハリーは落ち着かなかった。

仕事に失敗するのは、稀にというよりはもう少しばかり多いことだが、普段のペリーは、即その場で雷を落とすのだ。だが、その場で怒りもせず、家に帰って待ってろというのは、実はやってしまった失敗とは他の用件があってのことではないのかと、聡い頭は察しがついてしまったのだ。

そして、そう考えて、思い当たることと言えば、やはり、今朝、勃ったまま処理されずに終わったペリーのアレのことだ。

不安に思っていた通り、とうとうペリーがカードを切る気になったのかと、ハリーは落ち着かない。

「……ハリー、誰が俺の部屋に入っていいって言った……?」

ペリーに使われてしまった後の尻のことが心配で、おちおち椅子に掛けていることもできず、落ち着きなく家の中をうろつきまわる間に、ハリーは、自分のバージンを奪われることになる恐怖の現場を確認しにきていたのだ。

「だって、俺の部屋、すげぇ、汚いし」

なのに、そこにハリーが帰ってきてしまった。

まだ、ハリーの決意は固まっていない。だが、ペリーは、邪魔そうにハリーを見ながら、もうジャケットの袖を抜く。

ハリーは、心臓がバクバクして口から飛び出そうだ。

「ハリー、今日の仕事のことだが、……依頼主から電話があった。隣の奥さんをプールから助け出したのがきっかけで、彼女と特別に親密な関係になれたから、事務所を訴えるようなことはしないそうだ」

全身で大げさにはぁっと、ペリーは溜め息を吐き出す。

「つまり、万事オーケー?」

ハリーは、引き攣る口元を引きあげて笑顔を作った。お前は馬鹿か?と、ペリーが睨んでくる。事なきを得たにしては、雰囲気はとても悪くて、ハリーは、やはり、今朝不発に終わった一発分をさっさとなんとかしろと急かされている気がした。不機嫌そうなペリーに精一杯微笑みかける。

「……初めてなんだから、優しくしてくれよ?」

「はぁ?」

一度口にした以上、一回だけなら、犬にかまれたつもりで我慢すると決めていたのはハリーだった。ペリーは好きだし、隣の部屋でするペリーのセックスで抜けるのだから、もしかしたら、自分には才能があって、セックスだって気持ちいいかもしれない。

震え立たせた気持ちが萎えないうちにと、ハリーは、着ていたシャツをめくり上げ、ペリーのベッドに横たわった。ぶるりと震えがきたが、ごくりと唾を飲み込んでなんとか耐えた。

「さぁ、来い、ペリー!」

 

 

「……お前、何をしてるんだ?」

人のベッドに潜り込んでおきながら強張った顔をしたハリーの頭の弱さに、ペリーは、眩暈がしそうだ。どんとこいと、ベッドの中で両手を握りしめて待ちかまえているハリーの頭を殴り飛ばしていいものなら、今すぐ、殴り飛ばしたかった。だが、ただでさえ、足りてなさそうなハリーの脳みそが、それで吹っ飛んだら、このアホにひっかきまわされて、ペリーの事務所は、多分潰れる。

「なんだ? あ、ムードが足りないか?」

いきなり身を起こしたハリーが、がしりとペリーの首に腕を回し、あまりにも嘘っぽく好きだとつぶやいた後、しっとりと濡れた大きな目を瞑ってリードするキスを始めて、ペリーは悲鳴を上げそうになった。

「何をする!?」

「何って、俺、キスしたり、好きだって言い合ってするのが好きだし」

また、ハリーが唇に吸いついて来て、思わずペリーが突き飛ばすと、軽いハリーの身体はベッドの淵まで吹っ飛んだ。

「何、考えてやがる。ケツ洗って、出直してこい!」

しかし吹っ飛んだハリーは、めげもせず、げっと、思い切り顔をしかめたまま、のそのそとベッドの上を這ってくる。

「……やっぱり、そうか……」

何がそうなのか、もう、ペリーは理解もしたくなかったが、四つん這いのまま大きな目で見上げてきたハリーは、のろのろとベッドを下りる。

単純脳が何をどう考え、どんな決断をしているのか知らないが、ドアまでの距離をなかなか進もうとしないハリーに、イライラして、さっさとしろと怒鳴ると、ひゃっと叫んでやっとハリーがドアを閉める。

ハリーがいなくなって、ペリーはようやく落ち着いた気分になれた。

ペリーはこんなことなら、3日前に雇った新入りの前だろうと、ハリーを叱り飛ばして終わりにしておけばよかったとしみじみと思っている。

 

しかし、メールの確認をしていると、5分後ドアが開いた。

「……洗ってきた」

神妙にハリーが言う。

「……どこを?」

実のところ、ペリーには、大方の予想はついていた。

……やはりだ。

「ケツ」

 

 

最悪のパートナーだが、もっと最低なことに、ハリーは、このペリーが気に入っていた。

「……本当に犯すぞ。お前」

低い声を出して脅すと、やっとすかすかのハリーの脳でも察しがついたようだ。はっと息を吐き出す。

「なんだ。嘘だったのかよ。やめてくれよ。俺、心配しちまったぜ」

へへへと、ハリーが笑う。

ペリーは、1年後までそのきれいな身体のままいられると思うなよと、胸の中でつぶやきながら、軽いハリーの頭をひとつひっぱたいた。

「痛ぇ!」

涙目になりつつ、ハリーが睨んでくる。ペリーはじろりとハリーを見降ろした。

 

「もっと痛い目に合わせてやろうか? ん? ハリー?」

 

 

END