目の病気? 恋の病気?

 

「それは……ものもらいだな」

いきなり近付いたワトスンが、ホームズの頬に親指を当てたままじっと目を覗き込むと、断言した。探偵は、前触れもなく目の前にそそり立った医者の胸板に圧倒されたかのように、何度も神経症的な瞬きを繰り返す。

「ああ……確かに、なんとなく目がおかしいと思ったんだ」

ホームズの瞼の上には、不必要とも思えるほど長い睫毛に隠れてわかりにくい状態だが、うっすらと赤くなり、小さな膨らみが出来始めている。

「……痛みは?」

「まだ、それほど痛いという程ではないんだが」

バイオリンの弓を構えたままホームズの手が、不用意に目の上を擦ろうとして、医者はその手を、即座に容赦なく払った。そのままワトスンは、シャツの袖をめくり上げながら、ホームズに背を向ける。

「そこらにあるものを触ったままの汚い手で、目に触るからだ」

医者の言い草も、子供に対するもののようだが、広い背中が後ろを向いた途端に、ホームズの口元も、不満を溜めた子供のように尖る。

「僕の手が汚いなんて事実はないよ、ワトスン君。こうなった理由を、僕が考察するなら、それは、昨夜のことに起因すると思うね。君が、あの時、我慢できずに僕の顔にかけたからだ」

眉を寄せて振り返った医者を、にやにやとホームズは見つめる。口元を好色な笑みで美しい三日月型に吊り上げると、ホームズは、瞼に赤みのある方の目で色気たっぷりにウィンクをして持っていた弓を、大きく構え直した。まるで小気味よいステップを踏むようなリズムで弓が跳ね、音が弾む。昼間のこの時間に、良識があるとは言い難いことを言い出したホームズに、ワトスンの足は、苛立たしげな音と立てながら、ホームズの元へと戻った。医者の手は、バイオリンを奏でるホームズの顔を乱暴に捕え、上を向かせると、目の下にガーゼを当てる。そして、容器に入った精製水を腫れた目へと乱暴にかけた。

「冷っ、痛っ!!」

「それは、違うな、ホームズ。もう離せと言ったにも関わらず、どこかの性技のへたな男が、いつまでもしゃぶりついて離さず、だからと言って、口で受け止めることもできなかったせいだ」

ワトスンは、乱暴に、ホームズの顔を拭うと、今度は、缶に入った軟膏を指先に付け、瞼の上に優しく触れる。

「目が開けにくいんだが?」

長すぎるホームズの睫毛は、卵色をした軟膏で絡まり、瞼かくっついてしまっている。だが、処置に文句をつける患者を無視して、医者は大きくカットしたガーゼでホームズの目の上を覆うと、テープで止めてしまった。

「大げさすぎやしないか、ワトスン?」

医者のやり方のせいで、目どころか、眉毛も頬骨もガーゼの下だ。

「ホームズ、処置料は無料だ。僕が医者なのを感謝しろ」

「悪いが、ワトスン、こんなのを付けていちゃ、今夜行く、酒場で目立ってしょうがない」

「取るなよ! 取ったら、もう二度と、君の面倒はみてやらない」

医者の剣幕に、さっそくガーゼをはぎ取ろうとしていたホームズは、驚き、手を止めた。こほんと咳払いをして、自分の騒々しい振る舞いにけりをつけた医者は背中を向け、使った道具をしまいだす。かちゃかちゃと金属の触れ合う音がする。

その背に、ホームズがつぶやいた。

「……いや、まさか、ワトスン、君がそこまでの策略家だとは夢にも思わなかったよ。昨夜、君が僕の顔へとひっかけたのが、僕の潜入捜査を阻止するための布石だったとは……」

「それは関係ない……!」

がしゃりと大きな音を立てて振り向いた医者は、にやにやとするホームズと目が合った。だが、ワトスンは大きく息を吸い込むと、胸を張り、探偵と向きあった。

「ホームズ、医者として命ずる。君の容態は、今晩の安静を必要とする。捜査は、その賢い頭を使って、別の方法を考えろ」

ホームズが軽い舌打ちを聞かせる。ワトスンは、態度の悪い患者に近づくと、無傷な方の目の上に手をかざす。

「特別な薬を出してやる」

まっくらになった視界の中で、柔らかく、擽ったいものが、ホームズの唇に触れた。だが、それは、ほんの一瞬だ。

ホームズが苦笑する。

「……わかった。じゃぁ、今晩のことは、医師の指示にしたがうとするよ」

 

 

END