確認

 

「君は本当に僕のことが好きなのか?」

そんなことを友人に聞く自分がワトスンは嫌だった。

珍しく真面目な顔をして、本の文字を追っていたホームズは、大きな目をポカンと開けて、ワトスンを見上げた。

「それを、僕に聞くのか?」

 

カレンダーの日付はもう春だ。

だが、陽の差し込まない部屋の中は、その日、まだ肌寒さを残していた。

居間の暖炉に入れられた火は、ときおり、パチりと木を爆ぜさせる音を立てながら、小さく燃え続けている。

その音を聞くワトスンは、掃除を嫌うホームズのせいで、埃っぽい部屋の中、帽子まで手に持った外出着姿で、椅子に座っている。

カウチに寝そべるように掛けたホームズは、足置きに足をのせた、だらしのない格好で、本のページをめくっていた。

二人は、話をしていない。

それは、外出のために身なりを整えたワトスンが椅子に腰かけたときからのことで、そんな姿のワトスンが側に来て腰掛けようと、そのまま長く椅子に座り続けようと、時には、居心地悪く椅子に座りなおそうと、ホームズの視線は、一度も本の文字から離れていなかった。興味のあることへのホームズの集中力は、大したものだと常々ワトスンも思っていたが、そろそろ一言あってもいいはずだと、内心、医者は気分を害し始めていた。

ワトスン、どこへ出かけるんだい? 今日は寒い、きっと雨が降り出すに違いないよ。

口に出すのが難しい言葉など、全くない。いや、明晰過ぎる機能を持つ頭脳の調整は、やはりそれなりに困難なのか、この英国一の探偵は、時にワトスンがわずか部屋を出ようとすると、そんな挨拶どころか、どこに行くんだ。何をするんだ。誰と会うんだと、病的な状態で付きまとうことだってある。

だが、今、ホームズは、何もしゃべらず、この部屋の膨大な書物と同じだけ、賢く、静かだ。

ワトスンは、小さく咳払いをして、内ポケットから懐中時計を取り出し、間違いなく、半時間が無駄に過ぎたことを確認した。

懐中時計の蓋が立てたぱちりと金属的な音に、やっとホームズのダークブラウンがぴくりと動く。

 

「君は本当に僕のことが好きなのか?」

そんなことを友人に聞く自分がワトスンは嫌だった。

だが、もうこの医者は、いぶかしげに、本から目を上げたホームズの態度が我慢ならなかった。

 

ホームズから得た友情は、平凡な医者に過ぎないワトスンの人生において、もっとも価値ある宝だ。

だが、その友情が深まるにつれ、ワトスンの胸には困惑を伴う甘い感情がひたひたと湧きだし、次第には、胸の泉を一杯に満たし、とうとう、ワトスンを飲み込み、攫った。

自分の心の真実に気づいてしまったワトスンが、友人の目を見ることさえ、辛い思いで半年以上を悩み抜き、ようやく口にした告白の一言を、それなのにいともたやすくホームズは受け止めた。

「ああ、なるほど」

頷いて見せたホームズは、罪を秘めた恐ろしい告白にも、全く動ぜず、震える足にじっとりと汗をかいていたワトスンの方が、激しい動悸に眩暈を起こしそうだった。

しかも、ホームズは、では、その感情の証明たるものを、みせてくれと言い、その日のうちに、ワトスンをベッドへと連れ込んだ。

 

有頂天だった自分を、ワトスンは、今、苦く思っている。

あれから何度か、ワトスンはホームズとそういう行為をする機会を得ている。

しかし、それは、すべて、ホームズがワトスンの寝台を訪ねることに始まることであって、ワトスンから切り出したところで許されるものではない。それどころか、そういうことを言いだすワトスンを、本から目を上げたホームズは軽蔑に似た目つきで見つめる。そういう扱いを受ける自分を、ワトスンはホームズから愛されていると感じることは難しかった。

間違うはずない。

自分は、いわゆる、性欲解消のための、手頃な相手だ。

もう3月も悩んだ。

 

「君は本当に僕のことが好きなのか?」

「それを、僕に聞くのか?」

鬱々としていた悩みを、恥にまみれる思いで、ようやく口にした問いかけに、問いを重ねるホームズに、ワトスンは苛立ちを感じた。

「僕には聞く資格もないということか、ホームズ?」

「どうして、そういうことになるんだ、ワトスン?」

「だから、僕が質問しているんだ!」

怒鳴ったが、ホームズは顔を顰めることすらしなかった。本をぱたりと閉じた。

「君の質問には、答えるよ。ワトスン。僕は、君が好きだ」

思わずワトスンは息を詰めた。口にされるはずがないと思っていた答えを返したホームズの態度は、ワトスンの告白を受け入れた時と同じに、恐ろしくあっさりとしたものだ。

ワトスンは立ち上がっていた。

「君は、僕が、ここに半時も座っていたというのに、気に掛けもしなかったじゃないか!」

「君は、何か重大な決心をしようと悩んでいるようで、話しかけて欲しそうには見えなかったよ、ワトスン」

「君は、昨夜、僕を馬鹿にしていたはずだ!」

「それは、君の質問があまりにも馬鹿げていたからだ」

「君は、僕がその、ベッドに誘ったとしても、来ないじゃないか!」

「駆け引きという言葉を、君は知らないのかい、ワトスン君」

カウチに掛ける探偵は、密やかに口元だけで笑った。

「僕は、僕が拒むたび、落胆する君の姿を見るのが好きでね」

ワトスンをまっすぐ見つめたまま、ホームズは僅かに首を傾けた。

「今から僕が誘うから、君も断ってみるか?」

脱力のあまり、ワトスンは倒れ込むように、椅子へと掛け直していた。

「……断るとも、ホームズ!」

ワトスンは、大きくため息を吐き出した。

「やられてみると、案外に傷つくものだ」

ホームズの声が聞こえる。

「君の優秀な頭脳が人の気持ちというものに、どうしてこう疎いのかわからないが」

頭痛を感じて、額を押えていたワトスンは、やっと自分へと近づいてくる裸足の足首に気づいた。

「ホームズ……?」

顔を上げたワトスンの膝に、男の重みが、ずしりとかかる。

先にキスをされて、慌ててワトスンは、ホームズの舌を追いかけた。

 

「ワトスン、僕は君が好きだと言ったよ、君は?」

 

END