ヘイデン君と、ユアン様 2

 

ユアンの顔を脳裏に浮かべてみると、思いつく顔は、二通りだ。

大きく口を開けて笑う機嫌のいい顔。

反対に、むっつりと黙り込んだ気むずかしい顔。

スコティッシュのユアンが口を挽き結び、黙り込んだ顔をしている時は、近づきがたい頑固な骨の部分が露骨に現れた。

気むずかしげなその顔は、笑うことを拒否している。

しかし、実際、声を掛ければ、その顔は、目を大きく開き、口元に笑いを浮かべ、迎え入れてくれた。

まるで、特別な人が来たといわんばかりに、表情の移りかわりは、感動する程に劇的だ。

まず、皺を刻んで寄っていた眉の間が開く。

目尻が下がり、口角が上がる。

薄い色をした唇が開き、白い歯が見える。

青い目は輝いている。

そう、ユアンの笑顔は、見るものに、感動を与えた。

だが、ヘイデン・クリステンセンは、現在、その感動を味わうことができずにいた。

アクションの型を覚える時間の合間に、休憩室へと顔を出したヘイデンは、珍しく一人のユアンに近づいた。

物音に、ユアンの顔が上がった。

だが、台本を片手に、むっつりと黙り込んでいるユアンは、向かいに椅子を引いたヘイデンを、僅かに視線を動かしただけで認識し、そして、無視した。

ユアンは、頬杖をついていた手に持っていた煙草を、煙たいような顔をして吸う。

目は、台本から離れない。

殆ど机に倒れかかりそうなほど傾いだだらしのない姿勢で、台本をめくっているユアンは、一ミリたりとも唇を引き上げない。

「……機嫌悪いんですか?」

ヘイデンは、熱心に台本を読み込んでいるわけでもなさそうな金髪に声を掛けた。

「お前は?」

ユアンは、コーヒーを口にした。

曲げられた口元が、ごくごくと不味そうに冷めたコーヒーを飲み干していく。

決して、ユアンは、ヘイデンの調子など尋ねたそうではない。

「俺、邪魔ですか?」

ヘイデンは、率直に尋ねた。

ユアンは、答えるためにわざわざ顔を上げることもしない。

「別に? ここはどこでも、好きなところに座ることになっているんだし、その席に誰かが座っていたわけじゃない。ヘイデンは、どこでも好きなところに座ればいいだろう? 俺の許可がいるわけじゃない」

ごく当たり前ことを、ごく当たり前の顔でそう言ったユアンは、プラスティックカップを机に戻すと、また、煙草をくわえた。

煙草すら不味そうに吸う。

ヘイデンは、灰皿を手に立ちあがった。

「取り替えてきます」

灰皿は、もう一杯なのだ。

「あっ、じゃぁ、ついでに、コーヒーをもう一杯」

ユアンは、初めてヘイデンの方を見あげた。

ユアンが、ヘイデンを使うのは、横柄だからだけではなく、トレーニングで、足を捻挫したからだ。

そのせいで、ユアンは、しばしの休憩を命じられていた。

だからと言っても、年上は、もうすでに、台本に目を落としており、手は、煙草を持ったままでコップを差し出していて、その態度にヘイデンに対する好意的な感情を読みとることは難しかった。

ヘイデンは、文句も言わず、灰皿とカップを持って歩いていった。

戻り、席に腰を下ろしたヘイデンは、テーブルの下をのぞき込む。

「足、どうです?」

「痛くはない」

ユアンは、新しい灰皿に灰を落とした。

さっそく机の下へとかがみ込んだヘイデンをつまらなそうに眺めている。

「湿布取り替えましょうか?」

「やりたきゃ、やれば?」

ヘイデンが軽々とこなした新しいアクションで、見事に転倒したユアンの機嫌は、かなり悪い。

ヘイデンは、片方だけサンダルのユアンの足をそっと持ち上げるため、床へと膝を着いた。

貰ってきてあった湿布を取り出し、新しいのに張り替える。

「あまり腫れてない。良かったですね」

「そう。へぇ」

ユアンは、どうでもいいと言いたげに返事を返し、ヘイデンが入れてきたコーヒーを飲んだ。

 

 

「なんだ。何、膨れ面をしてるんだ。ユアン」

ドアが開くなり掛けられた声に、顔を上げたユアンの口元が、笑った。

広がった口元には、親愛の情が激しく表現されていた。

ユアンは、照れくさそうに目を細めた。

「ちょっとドジを踏んだんだ」

ユアンの目が、近づいた相手を見あげていた。

見下ろす相手は、ユアンの笑顔を眩しそうに見つめ、温かな表情を浮かべた。

「怪我したのか?」

「どうってことない」

ユアンの声は、楽しげだ。

ユアンは、ヘイデンなどいないかのごとく、声をかける相手にのみ、顔を向けていた。

しかし、ヘイデンは、気付いていた。

ユアンの機嫌は、誰が相手であろうとこれだけの笑顔を浮かべてもいいほどには、まだ快復してはいない。

その証拠に、机の下へと隠された煙草を持った指は、せわしく膝を打っていた。

ユアンが、歯を見せて笑う。

「なんだよ。お前、俺のことからかうためにここに来たのかよ?」

「いいや、それほど、暇人じゃないよ。通りかかっただけ。こっちは忙しい身なんだ」

ユアンの転倒を聞き、わざわざ見舞いにきたのに違いない男は、ユアンが誘導に引っ掛かった。

今来たところだというのに、思わず、引き上げざるを得ない言葉を口にし、話の接ぎ穂に困ったあげく、しばらくそこに立っていた。

ユアンは、にこにこと笑顔で男を見あげている。

張り付いた笑顔には、一点の曇りもない。

それだけに、交わす会話のないことが寒々しかった。

男は、困っている。

しかし、ユアンは、笑顔を緩めない。

ユアンの指は、灰を落としながら、膝を打っている。

 

調度、机の影になり自分が何をしているのかわからないのを良いことに、ヘイデンは、年上の足首を指で撫で上げた。

ヘイデンは、自分に対して、わかりにくい愛情を伝えてくる、ユアンがとても愛しかった。

若い俳優は、緩いスェットの裾から指を入れ、そろり、と年上の足を愛撫した。

ユアンの足がびくりと引かれた。

椅子を引く大きな音がした。

びっくりしたように大きく目を見開いたユアンの頬が赤い。

「おっ? なんだ。ヘイデンがそんなところにいるとは思わなかった」

立ったままだった男は、ほっとしたようにヘイデンに笑いかけた。

「いたんですよ。ユアンに、虐められてたんです」

ヘイデンの言葉が終わらないうちに、捻挫で動かさない方がいいはずのユアンの足が、ヘイデンを蹴った。

「げっ!」

それでも、なんとかバランスを保ったヘイデンは立ち上がり、男に笑った。

「……ねぇ、酷いでしょう?」

男は、険悪に眉を寄せたユアンに笑いかけ、戻っていく。

 

「ヘイデン、お前そこに座れ」

ユアンは、ヘイデンに真ん前の席、先ほどまでヘイデンが座っていた席だが、そこに座るよう命じた。

ヘイデンは、椅子を引いた。

座ったヘイデンの太腿の上に、湿布臭いユアンの足がドンっと、乗せられた。

ユアンは、じりじりとヘイデンの足を割っていく。

「……ユアン?」

「黙れ」

湿布を貼るため裸足の足の裏が、ヘイデンの股間に押し当てられた。

ユアンは、器用に足で、ヘイデンを愛撫する。

それは、こんな解放されたスペースにおいて行われるには、度胸のありすぎる行為だった。

ヘイデンは、動転し、身を縮こまらせて周りを見回す。

ドアが開いた。

「よう! ユアン、転んだって?」

「まぁな!」

ヘイデンが、言葉も出ないというのに、ユアンは、意地悪くもかなり機嫌のいい声で、掛けられた声に返事を返した。

 

 

END