3分間に関する考察
朝だというのに、もう日差しのきつい朝日を浴びながら、チンが約束の時間に家のチャイムを鳴らすと、ほどなくスティーヴがドアを開けた。
「おはよう」
今日の予定は、朝からスティーヴと一緒に裁判所に資料の提出に行くことになっていたが、本部で顔を合わせてから出掛けるはずだった。
「ああ、おはよう。悪かったな」
「いいけど、別に」
急な呼びだしに、チンは小首を傾げてスティーヴを見上げる。
「ダニーが、警察署に昨夜のうちに出しとくはずの書類の提出を忘れてたんだ」
裁判所までの道のりの間に、警察署はある。
「ああ、なるほど。ダニーを下ろした後、俺とドライブ?」
おどけて言うと、スティーヴは肩を竦めた。
「どうせなら、一遍に片付けたくてな」
ゆったりと歩くスティーヴの後ろについて部屋の中を進むと、いきなり目の前を凄い形相のダニーが飛び出してきた。なんとか、互いに身を反らし、交わしたが、ダニーは、まだ、下着の上にワイシャツだけ羽織っただけの寝起きの格好だ。
「悪ぃ、チン、 おはよう!」
それでも、挨拶だけはしていくのが、ダニーらしい。
チンの到着後、すぐ出るからという指示だったはずだ。
「……あれは?」
チンは約束の時間を守る方だが、今回は朝の約束だ。殆ど指示通りの時間に着くように家を出た。
「なんでだろうな。あいつ、目ざましをかけるってことを、時々思い出せないらしいんだ」
スティーヴは大げさに肩を竦める。
途端に、跳び込んだばかりのバスルームからドライヤーと櫛を両手に顔をのぞかせ、ダニーが怒鳴る。
「だから! あんたは海で泳いで来た上、悠々と朝飯食ってたんだから、起こしてくれればいいだろう!」
引っ込んで、すぐダニーは、ガーガーとドライヤーの音をさせて出す。そこに向かって、スティーヴが言い返す。
「なんでだよ? お前を起こさないよう、気を使って静かに歩き回ってたわけでもなんでもない。すぐ側だって歩き回ってたんだ。普通、物音で起きるだろ」
律儀に、またダニーが顔を見せた。
「側を通ってるんなら、余計に起こせよ!」
チンは、言い争う二人が面白くて、肩を揺らす。
「なぁ、チン! こいつに、なんとか言ってやってくれよ! 同じ職場で、出勤時間だって知ってるのに、なんで寝坊した同僚のこと起こそうとしないかな? 絶対におかしいよな、こいつ!」
「なぁ、何か、手伝えることが」
チンは、ダニーがあまりに必死そうで、思わず声をかけたが、すぐさま、スティーヴに遮られる。
「平気だ、チン」
「何が、平気なんだよ! なんで、あんたが平気だって決めるんだよ! あ、でも、チン、俺、男にズボンを履かせてもらう趣味はないから、自分でやるわ。ありがとさん!」
まだ後頭部に寝癖を残して、ダニーは懸命に歯を磨き始める。
椅子の背に尻を軽く凭せ掛けた状態で、準備万端のスティーヴは待っている。
大きな声をスティーヴが出す。
「もう出発するぞ、ダニー」
「あんた、横暴!」
歯ブラシを咥えたまま、ダニーは転がるように走り出て来て、ズボンとネクタイを引っ張り出す。
あんまりにも慌て過ぎているせいで、片足を上げて、足を入れながら、転がりそうになっていた。
「スティーヴ、お前、面白がってるだろ?」
ゼンマイを巻き上げたばかりのおもちゃのように、せわしなく動き回るダニーを見ているのは、実は、チンも面白かった。
「あいつが、始業時間前に、書類を紛れ込ませて、昨日のうちに届けたことにしたがってるんだ」
俺は親切心でだなと、うそぶいているスティーヴに蹴りを入れる真似をしつつ、ダニーは、ネクタイを締め、その上、靴下を探している。
その器用な様子を眺めながら、スティーヴは、ちらりと腕時計に目をやった。
パンパンっと大きく手を叩く。
「ダニー、忘れ物はないか? あと3分で、出発しないと、お前の計画がなりたたなくなるぞ。あと3分だ」
その合図に、床に這いつくばって、両方の靴下を組み合わせていたいきなりダニーが立ち上がった。顔をひきつらせながら、周りをきょろきょろ見回す。
「報告書! スティーヴ、俺の報告書どこだ? どこに置いたか、覚えてないか?」
今までも十分慌てていたのに、さらに慌てたダニーが動きまわった後は、酷い有様だ。きちんと揃えて置かれていた新聞や雑誌が、床になぎ払われ、さらに、ダニーは、床の上に散らばった自分の服を、ひっつかんでは、投げ飛ばしている。
ダニーが同居するようになってから、マクギャレット家は、ずいぶんフリーダムな雰囲気を醸し出すようになっていた。
「……ダニー、俺の記憶どおりなら、上司のサインもなしに報告書を提出しようとしていたお前は、夜中にいきなりそれに気付いて、俺の部屋に襲撃をかけたんだ。その後、持って帰れと気を使って言ってやった俺の助言を忘れてなきゃ、きっとこの部屋のどこかに埋もれてるんだろうが、俺は、俺の寝室に置いたままって方が、確率が高いだろうと思っている」
「だって、あんた、目を通すって面倒くせぇこというし、俺はシッコがしたかったし!」
スティーヴの寝室を目指して、遠慮もなく階段を駆け上がっていくダニーの背中が見えなくなると、スティーヴの大きな目が、あの態度、どう思う?とでも言いたげに、チンを見る。チンは、くしゃりと顔に皺を寄せ笑った。
「いいねぇ、ダニーのあのキャラ」
すぐに駆け降りてくるだろうと思っていたのに、二階のスティーヴの寝室からは、大きな音がしている。
「隠した?」
「ベッドの横の脇机だ。洞察力にすぐれた刑事なら、すぐ気がつくはずだろ?」
言いながら、スティーヴが両手を伸ばして、チンに近づくよう求めた。
チンは、ちらりと階上を見上げる。恋人からの求めは嬉しかったが、危険な行為だと思った。
スティーヴと、チンは、秘めやかに付き合っているのだ。ダニーは、二人の関係に気付いていない。
また、二階で大きな音がする。それと、いらついたダニーの雄たけびにも似た奇声だ。
「見つからないみたいだけど?」
思わず笑って、チンはスティーヴに近づく。ダニーとの同居が始まって以来、二人は触れあうことも出来なくなっていた。
求められるままに両手を繋ぎはしたが、チンは、恋人に近付き過ぎない距離を保つ。
上司のくせに、なんで?と、大きなスティーヴの目が聞く。
「……ダメだろ」
たしなめに、スティーヴは、悪戯中の少年の顔にも似た邪気まみれの、気の強い、魅力的な目をした。
「チン、キスしよう」
椅子の背に尻を乗せたままだから、スティーヴの方が今は、チンを見上げている。
背の高い彼が顎を上げてキスを待っている顔を見下ろす、くすぐったい気持ちを味わいながら、チンは戸惑った。
キスはしたい。けれども、いますぐダニーが降りてくるかもしれない。
「準備のいい俺たちは、ダニーより有効な3分間の使い方が出来るんだ。……それにだ」
にやりと笑ったスティーヴの口元には、大人の男の意地悪さと、色気もたっぷりとあった。
「……わかったぞ。スティーヴ。お前、脇机って、引き出しの中に書類を隠したんだな?」
「違う。無くならないように、しまったんだ」
繋いだ手を引かれ、チンは苦笑しながらスティーヴとの距離を詰めた。
軽く唇を重ねると、下からスティーヴが唇を押し当ててくる。
久々のキスは、触れた唇が柔らかくて、やはりたまらない気持ちにさせられ、チンも覆いかぶさるようにして、キスを深くしてしまう。
「いい時間の使い方だろ?」
離れても、すぐ唇は重なり、擽ったく触れ合う。
「かも。まぁ、あんたに隠された書類を必死になって探してるよりはずっとましだろうと思うよ」
「なんだよ! なんで、引き出しん中なんて、御大層なとこにしまいこんどくんだよ!」
注意を払っておくまでもなく、大きな声で喚きながら、ダニーはドアを開け、叩きつけるような大きな音を立てドアを閉める。ドスドスと、転げ落ちる勢いで階段を駆け下りてくる。
「おまたせ、チン! もう出られるから!」
勿論、二人は、ダニーの目に触れる前に、十分、大人としての嗜みのある位置まで離れることができた。
「遅いぞ、行くぞ」
やはり、スティーヴは面白がって、意地の悪い真似をしているとしか思えない。
「誰のせいだよ!」
「そりゃぁ、寝坊したお前のせいだろ」
「まぁ、まぁ、お二人さん」
(終)
昨夜、3分に関してちょっと面白かったので、書いてみましたv