ハワイの落書き9

 

*17

 

「ねぇ、彼女たち、もしかして、こんな彼のこと見かけたりしなかったかな?」

ハワイのビーチでネクタイ着用のダニーは、奇異という部分だけでも、女の子たちにとって、目を引く存在なのは間違いない。

「ほら、この写真見てくれよ。どう? ちょっと格好いいだろ? 君たちナンパされちゃたりしなかった? 君たちみたいにかわいいと、ナンパなんて数あり過ぎて覚えてないかもしれないけど、ちょっと俺のために思いだしてよ」

白人刑事のくだけた口調に、ビーチバレー中だった女の子たちは、互いにちらちらと視線を送り合いながら、近付いてくる。軽く髪をかき上げてみたり、ビキニの端を弄ったりしてみながらだ。

「なぁ、どう? かわいこちゃんたち。こいつに見おぼえない?」

自分の容姿が若い彼女たちのおしゃべりしたい気持ちを擽ることをダニーが自発的に利用している時、チンは、自分の抜けきらない警官臭を卑しみ、少し後ろに下がる。

ダニーの目は本気なのか、彼女たちの気持ちを擽るためなのか、突き出した胸をちらちらと称賛しながら、写真を見せている。

こんな時に、調子のいい刑事の身元を保証するかの如く、側に立ったまま穏やかに笑いながら、その実、彼女たちに少しの好意もむけられない自分が、チンは嫌になる。

かわいらしいだけの女の子相手に、若さや、容姿や尻の形で、嫉妬している。

「残念、彼女たち、知らないってさ」

残念なのは、彼女たちの方もだ。背を向けたダニーを振り返りながら、コートの中に戻っている。

 

「で、チンの機嫌が悪いのは、午前中一杯を使っても、俺が全く手掛かりを聞き出せなかったせいなのか、それとも別の理由なのかな? ねぇ? 子猫ちゃん?」

車に同乗すれば、ダニーがハンドルを譲ろうとしないのは、彼の相棒であるスティーヴとそっくりだ。押し黙ったチンをちらりと流し見ると、全く自信たっぷりの色悪ににやりと笑って太腿へと手を伸ばしてくる。

前を向いてハンドルを握ったまま、遠慮なくチンの内腿を撫でだした。

「なぁ、チンってば」

揉むようにして内腿を足の付け根の方へとじわじわと上がって来る手に腹が立つのに、じくりと身体は勝手に熱くなり、チンは太腿を擦り合わせようとした。

だが、それを力づくで阻んで、ダニーはチンに足を開かせる。

もう胸を焦がす嫉妬心になんて、拘っていられない。信号は赤だ。停車した車の隣車線に車が入ろうとしているのに、ダニーは手を放そうとしない。羞恥も手伝い、腿を際どく撫で上がってくる手に、チンの頬が熱くなる。ドクドクと鳴る心臓は痛いほどだ。

信号を見つめるダニーの頭だけがチンの方へと傾く。

「なぁ、ハニー、俺があんたのこと愛してるって信じちゃってもいい気分だろ?」

 

(終)

 

 

*18

 

腹がくすぐったくて、違和感に目が覚めた。

「ダニー? ……何を?」

シンナーの鼻に突く匂いに眉を寄せて、ダニーを見れば、ベッドの上に腹這いのダニーは、チンの着ていたシャツを捲り上げ、マジックを握っている。

「ん? 俺の名前を書いてるんだ。だって、あんた、俺のだろ?」

 

太い油性の黒マジックで堂々と腹に書かれたダニーのフルネームは、勿論、シャワーで擦った程度では落ちなくて、チンはため息だ。

「……落ちないぞ」

低く言っても、ダニーは堪えない。それどころか、チンを責める。

「落ちなくて、いいの。なんで落とそうとするかな? だって、あんた俺のでしょ?」

確かに、チンは、ダニーの恋人のつもりだが、それとこれとは話が違うというものだ。

けれども、どれだけ擦っても、しっかりと書かれたダニーの名前は消えず、結局、腹にダニーの記名入りで、職場に行かざるを得なくなったチンは、つい俯きがちだ。

反対にダニーの足取りは、揺るぎなく軽やかだ。

「よう、スティーヴ。今日一日、チンを俺に貸せよ。調べたいことがあるんだ。今日は俺、専属。いいだろ?」

朝、顔を合わすなり、いきなり要求を突きつけられたスティーヴは顰め面だ。しかし、ダニーは強気で押し切る。

「あんたさ、いつも、すぐチンを使うだろ。でも、今日は俺のだからな。面倒臭ぇ、調べもんがあるんだよ。だから、俺、専属。いいか、わかったな」

ここ、ファイブオーのボスは、ダニーではなく、スティーヴだ。

だが、大きなスティーヴを見上げ、ダニーは堂々と胸を張る。相棒の勢いに、スティーヴが押されている。

「……チンが、いいんなら?」

ボスとしてスティーヴは、予定を思いやるのか、チンへと気遣わしげな視線を向ける。

だが、チンの代わりにダニーが答える。

「いいの、いいの。俺が優先」

 

「……なぁ、チン」

しかし、スティーヴにとって、チンとコノは、情報戦略に欠かせない存在だ。頼めばすぐ、欲しい情報は手に入り、それどころか、期待以上のことまで知れる。

だが、ファイブオーのボスは、部屋に入り、部下へと声をかけた途端に、もう一人の部下であるダニーにぎろり睨まれた。

「スティーヴ、コレは今日は俺のだって、言ったよな?」

そういうが、チンは特別ダニーの仕事を手伝ったりはしていない。ただ、ダニーの側にいて、自分の仕事をしているだけだ。しかし、それを知らないスティーヴは、眉を顰めながらも、律儀にも自分で決めた今日の業務配分を守るつもりらしく、じゃぁと、コノを求めて、すごすごと部屋を出て行く。

「なぁ、……ダニー」

「いいの!」

だが、また、一時間もしないうちに、資料片手に、急ぎ足で現れたスティーヴはいつも通り、チンの名を呼んだ。

「おい、チン、これ、」

「だから!」

大きな声を出したダニーが立ちあがり、コンソールパネルの前に立つチンに大股で近づき背後に回る。スティーヴが出し抜けなダニーの大声に驚いて目を見開き、チンはダニーが何をする気なんだと振り返ろうとすると、いきなりシャツの裾を思い切り捲り上げられた。

「おいっ!」

晒されたチンの腹にはでかでかと、ダニー・ウィリアムズのサインだ。チンが慌ててシャツの裾を引き下ろそうにも、ダニーがしっかりと握って放さない。

「スティーヴ、お前があまりに忘れっぽいせいで、チンはこんな目にあっている。……今日のチンは俺のだ。ここに名前だって書いてある」

チンの臍を横断するダニーの名前を目の前に、スティーヴはずっと目を見開いたままだ。

「………ダニー?」

「だから、チンは俺のだって言っている。何度も来んな。こいつに、お前の仕事をさせんな。さっさとコノんとこ行けよ!」

 

「ねぇ、チン」

証拠品を手に、部屋に入って来たコノが顔も上げずに急いた声をかける。

チンの隣にはぴったりとダニーが腰掛けている。

ヤバいと、チンは必死でシャツの裾を下へと引っ張った。

しかし、ダニーが裾を上げろとぎろりと目で脅す。

しばらく攻防があったが、剥くぞと脅すダニーに負けたチンがすごすごと裾を捲った。

「……と、いうわけだ。コノ。今日は、チンは俺、専属。どうしても急ぎなら、俺を通してくれるかな?」

「何!? 何、名前書かれてるのよ、おかしい!! チン、あなた最高!」

チンの腹に書かれたダニーの名前に、コノは腹を抱えて笑い転げている。

「どうりで、ボスが私のとこばっかり来るわけだわ。今すぐ調べてくれって言いながら、何か、別のこと、ムズムズしゃべりたそうな様子だったし、変だとは思った」

従兄弟の困難に、コノは笑いで溜まった目尻の涙を拭いている。

「ダニー、じゃ、明日のチンは、私の専属ね。チンお兄ちゃん、明日は私がお腹に赤いルージュでキスマークつけてあげるわ、期待してて」

 

 

「ダニー、気が済んだか……?」

腹にダニーの名を書かれたまま、一日済んで、チンは疲れている。

あの後、ダニーは、カナコマのところまでチンを連れ出し、今日のチンが所有物であることをひけらかした。

ハンドルを握るダニーは、ふふんと、余裕で、機嫌よさ気に笑う。

「まぁな、あんたが俺のだって、何回も言えて満足してるよ」

実は、それはチンもだった。……馬鹿みたいに腹を晒すのは嫌だったが、誰にも見せずにすんだのなら、自分がダニー・ウィリアムズのものだと所有の名を書かれたのは、実は朝から嬉しかった。

ダニーは、助手席に目をやり、チンのシャツの裾を、ちらりと捲った。

自分の名前がチンの腹に大きく残ったままなのが見えるのに満足気にニヤニヤと目を細める。

だが、いきなり顔を顰める。

「コノのキスマークまでは許してやってもいいが、もしスティーヴが名前を書くって言ったら、嫌だって絶対に言えよ!」

あり得ないことを思いついて、ダニーが本気で吠え出す。

ダニーの嫉妬深さは、チンを苦笑させ、幸せにした。

チンは、恋人の名前の書かれた腹をゆっくりとしまう。

「わかった、そうするよ。ダニー」

 

(終)

 

 

*19

 

「チン、なぁ、こっちにおいで」

スティーヴに付いて出た用事が済んで一緒に済ませた昼食から戻り、もうしばらく休憩するか、それとも仕事に戻るか、迷いながら歩いていると、まるで子供にでも呼びかけるようなのんびりとしたダニーの声に呼びとめられた。

「もう、用事は済んだんだろ? こっちに来なって。ちょっと俺が爪を切ってやる」

急ぎの用事はなかった。そして、椅子に座ったダニーは、もう机の中から爪切りまで取りだして、自分の提案を却下する気などまるでない。

座るよう押し出された椅子に掛けながら、曲げた指の先を見てみれば、確かに少し爪が伸びている。

自分の爪の状態を今日初めて確かめるチンを、ダニーは待ち構えている。

「ほら、貸せ」

手を取られて、自分で切ると言い出す間もなく、爪切りでパチン、パチンと伸びていた爪を切られた。

今度、ダニーは、丁寧に爪へとやすりをかけだす。

ふうーっと爪の先についた削りカスを息で吹き飛ばされるのが擽ったい。

「チン。爪はこまめに切ろうな」

まるでこれからペディキュアでも施されるのではないかというほど、やすりをかけられ美しく整えられていく爪に、チンが気分的な擽ったさまで味わっていると、ダニーがちろりと上目づかいに見上げてくる。

削り終えた爪の先に、ダニーが唇を押し当て、柔らかな唇肉で軽く噛み爪の滑らかさを確かめて出す。

親指をやられている間は、挑発に乗るなと耐えた。しかし、ダニーは、人差し指、中指と次々に唇に押し当て柔らかく噛んで確かめていく。

チンは、その接触が呼び起こすほのかな快感で、昨夜、自分の尻にずぼりと埋められ、何度も引き抜かれた重いアレの快感が蘇る恥ずかしさや、もしかしたら、今晩も、硬いアレが自分のものになるのかもしれないと期待し自分の身体がずきりと疼くのをどう誤魔化そうかと焦った。

だが、

「かわいこちゃん、顔が赤いけど、大丈夫?」

にやにやとダニーは薬指を噛みながら、チンを見上げている。

火照り出し、疼く自分の身体に耐えきれなくて、チンは白旗を上げた。

「……ダニー、もう許してくれ」

ダニーがきれいに爪の切られたチンの両手を手放した。

これ見よがしに自分の肩の後ろを触り、にんまりと笑う。

「じゃぁ、チン、ごめんって言えよ。背中に爪跡とか、セクシーで悪くなぇけど、……やっぱ、痛ぇわ」

 

(終)