ハワイの落書き 2

 

*6

 

スティーヴは友達と飲みに行って、向こうの家に泊るからと言ったらしい。

「本当に大丈夫か?」

「平気だろ。あいつ、泊まってくるって言ってたし、ソファーと床でなんかに別れて寝るのか? それもなんか、変だろ。なんのためにあんたのこと呼びだしたのかわからない」

新しいアパートが決まるまで、スティーヴの家に転がり込んでいるダニーの寝床は、マクギャレット家のリビングのソファーだ。しかし、家主の不在にチンを呼びだしたダニーには、どうやら、客人に自分の寝床を譲ろうという発想はさらさらないらしく、もしかしなくても、床で寝る破目になっていたかもしれない自分がいたのだとわかって、チンは、いくら、なんでも、それはないだろと下を向いて自分を笑った。

それでは、人が良すぎて、ただの間抜けだ。

「なぁ、早く来いよ。俺のこと寝させろよ」

人の家に居候しながら、大きな顔のダニーに求められるまま、広いスティーヴのベッドの片側に身を横たえる。

「……手を繋がせろよ」

もぞもぞとシーツを潜って、ダニーの手が攻めてくる。

「注文が多いな……子守唄も歌おうか?」

近頃、ダニーは睡眠不足だ。

寝不足の頭は、普段の切れを錆びつかせている。

ダノパパは、かわいいグレースと、本当に一緒のベッドで眠るのか? その時、手を繋いで寝たりするのか?

そんな単純な問題に気付けずにいた。

勿論、チンは、そんな思いをおくびにも出さない。

ダニーが自分のことをかわいくて愛しくてたまらない娘の側にいられないことの、穴埋めだと本気で思っているのならば、そのまま思い続けてもらった方が都合がいい。

しかし、手を繋いだまま眠るのは、寝にくいなと思いながらも、ダニーの嫌う波の音を耳にチンは目を閉じた。

 

眠れないでいるらしいダニーの原因が、家族と一緒にいられない寂しさだということには気付いていた。

家の中に誰もいないよりも、自分では鬱陶しいだけであっても、誰かの気配があれば多少マシかもしれないから帰ろうかと思ったのは、酔いで気分がよかったからだ。

暗い家の中に入って行く時、気配を潜めたのは、わざとじゃない。もしかしたら、一人でいることでリラックスしてダニーが眠れているという可能性もあると思ったからだ。

ソファーの上にダニーがいないことを不思議に思いながら、特に気にもせず、図々しいダニーならもしかしたらベッドを占領して寝ているのかもしれないと寝室に向かった。

静かな眠りの空気が満ちた部屋の中で、予想通り、人型にベッドのシーツが盛り上がっていて、スティーヴは、やはり人のベッドを無断拝借かとダニーに呆れたのだ。しかも、その盛り上がりが二つ分あり、さらに呆れて、マジかよ、誰だよと覗き込んだ。

どこで、知り合ったどんなタイプの女か気になっただけだ。

だが、皺の寄るシーツを捲れば、ダニーのいる向きへと身体を倒し、伸ばされた手を握ってやすらかな顔で眠るチンがいた。

 

「お前っ!」

眠りの中から、いきなり胸倉を掴まれ、引き摺り上げられた。

眠りから覚醒するまでに、1秒。だが、しまったと血の気の引いたチンが身構えるより前に、スティーヴに首根っこを押さえられ、無理矢理ベッドから引き摺り出されていた。何が起きたんだと飛び起きたダニーは、拳を構え、暗闇に立つ影へときつい口調で怒鳴りつけている。

「誰だっ!」

「はっ!? 誰だって? ここの家主だ!」

スティーヴは、大きく手を広げ、自分が引き摺り落とした床のチンと、ベッドの上のダニーとを見比べながら睨みつけている。

「これは、何だ!? どういうことだ!?」

部屋に響くスティーヴの怒鳴り声は大きかった。

例え泊まると言っていたとしても、気を変えて、夜中にスティーヴが帰ってきてしまうことは十分考えられた。

「スティーヴ、これは……」

形相を変えたスティーヴの激しい怒りに、ダニーは目を見開いている。

スティーヴとチンの間に肉体関係があるということを知らないダニーにしてみれば、たかだか、ベッドを無断使用しただけだというのに、鬼の形相で怒鳴るスティーヴは、まさに、わけがわかないと言うところだろう。

だが、何もないんだと説明しようとしたチンをスティーヴはまるで相手にしない。ダニーを睨みつけたまま、床のチンへは視線を寄越さないどころか、起き上がろうとすると、ぐっと頭を上から押さえつけられた。

「お前は、向こうに行ってろ!……俺はこいつと話を付ける!」

それでも、なんとか話をしようと顔を上げると、強く首根を掴み上げられた。そのまま、ぎりぎりと奥歯を噛んだ恐ろしい形相でチンを引き摺ったスティーヴは、ドアを開けると、叩きだすようにチンを放り出す。

スティーヴの怒りのままに、ドアは家全体を揺らすほどの衝撃で閉まった。

すざまじい剣幕だったスティーヴに締めあげられた首元が苦しく、チンは閉まったドアを見つめながら咳き込むしか出来ない。

いきなりドカリと大きく壁を殴る音がした。思わずチンが身を縮込める目の前で、ドアの隙間に光が灯る。スティーヴが部屋の灯りを殴り点けたのだ。

「おい! おい!? スティーヴ? お前、気でもおかしくなったのか? なんでチンを締めだす? なんだよ。あの態度? お前、チンの首根っこ掴んで、有無を言わせず、引き摺ったよな? どうしてあんなことするんだ!?」

チンの耳には、甲高くボス兼家主兼相棒であるスティーヴを糾弾するダニーの声が聞こえる。

「あれは、俺のだ。どう扱おうが、俺の勝手だ!」

スティーヴが怒鳴り返す。

言うと思っていたが、やはり怒るスティーヴは二人の関係をはっきりと口にした。

やったな……と、チンは苦く顔を覆った。

「は……?」

ダニーにしてみれば、この展開は予想もしていなかったことのはずだ。鳩が豆鉄砲でもくらったような気分だろう。

だが、スティーヴの怒りは収まらない。まだ大声で怒鳴る。

「あいつは、俺のだ。あいつを使っていいのは俺だけだ! セックスしたんだろ! それも、俺のいない時に、俺のベッドでだなんて、俺を馬鹿にしてるのか!? ダニー、お前!!」

やっと、ダニーが言い返す。

「おい!? おい! 俺は、聞き間違えたか? 今、お前は、チンを自分のだって言ったか? お前らできてるのか!? マジか!?」

「お前が、チンを、頼りにしているのは知っていた。さびしがって、話し相手にしているのも黙認した。お前が大事な相棒だからだ。……その結果がこれか? お前は、人の物を寝取るのが趣味なのか!」

「待て、待て、待て、待て!!」

ダニーが悲鳴のように声を張り上げている。

「まず、言っとくぞ。俺は、チンとは寝ちゃいない。そのっ! 一緒には寝た。だが、お前の思ってるようなのとは違う! セックスなんてしちゃいない。ただ、一緒に寝た。それだけだ。ここに、並んで、なんのいやらしいことはなにもせず、清く正しく。お前と、チンがやってるなんて、ずげぇ、びっくりだが、でも、それは、お前たちの問題だ。……俺は関係ない」

だがそれだけでは、ダニーは口を閉じない。

「……だが、お前の言うことに、聞き逃せないところがあった。スティーヴ、お前、なんでチンのこと、所有物扱いなんだ! あのチンの扱いはなんなんだ! チンは、頭の悪いお前の女か!? あいつは、俺の大事な友達なんだぞ!!」 

こんな場面でも発揮されるダニーの男気に、思わずチンの口元が小さく綻んだ。自分が少し落ち着きを取り戻した自信に、やっとチンは大きく息が出来る。

だが、ドアの向こうのスティーヴはまだ激怒したままだ。

「いや、ダニー、お前は、ただの友達なんかと、しかも野郎となんて一緒に寝たりしない。ダニー・ウィリアムズは、男の手を握って寝たりしない! くそっ! ダニー、チンと何回やった!?」

「だから、やってないって言ってんだ!! やるかよ、アホが! チンは、友達だ。それも、大事な友達だ。俺の気のおかしい相棒なんかより、ずっと大事な俺の友達だ!」

「嘘を付け! お前がチンのことをぎこちなく意識してるのは気付いていた。でも、手を出さないと思ってた! お前にはそんな勇気はないって思ってたのに!」

「は!? 俺に勇気がないって? なんだよ、それ!」

怒鳴り合う二人は、一向にテンションを下げる様子がない。

この場面にふさわしくないが、過剰な保護欲を持て余し気味のスティーヴと、寂しがり屋のダニーが出来上がれば周囲にとってそれが一番問題ないと、実はチンは思っている。

「おい! お前、ちゃんと俺の話を聞けよ! 耳がついてねぇのかよ!」

怒鳴り声は飛び交い一向に止まない。

「ちょっと、待てよ。お前、馬鹿なんじゃねぇの!?」

「馬鹿とはなんだ。馬鹿はお前だ!」

もう呆れる思いで、つい、ため息が出た。

「何回説明すりゃ、わかるんだよ。この石器頭のノータリン! 俺はチンと寝てないっうの! なんで俺がチンのこと好きなんだよ! 俺が男となんか寝るかよ!」

「だったら、ダニー、お前は、そもそも男となんか手を繋いだりしない! チンが手を繋いでくれって頼んだのか? 違うだろ! お前が手を握った。お前がチンを呼びだして、一緒のベッドで寝た!」

もう、チンとダニーの間に何もなかったことなど、ダニーの様子から理解できたはずなのに、スティーヴはまだ怒鳴るのをやめない。

前々から苦々しく思っていたのに、今日のことで腹にすえかねたと言うわけだ。

だが、ダニーが目を背けている感情をスティーヴがするように彼に突きつけ、自覚させることは、チンにとって歓迎すべきことじゃない。実は、スティーヴにとっても同じはずだ。

もう、頃合いだとチンは、閉められていたドアに手をかけ、勢いをつけて開ける。

「スティーヴ」

驚きと、プライドから睨みつけてくる相手に、落ち付けと、目を見つめ、近付いて手を握った。

勘違いしたことは自覚済みだがバツが悪いのか、まだ怒っている振りはしている正直者のスティーヴの茶色い目は不貞腐れたように伏せ気味だ。

「……チ、チン?」

目の前で見せつけられる男同士のいい雰囲気に、ダニーの声が落ち着かない。

だが、あえてそれを無視して、チンは、両手でスティーヴの手を包み込むと、上から軽く手の甲を叩き、スティーヴを見つめた。

「信じてくれるんだろう?」

強引だった自分の行いをやましく思っているくせに、許可もなくダニーと眠ったチンを許しがたいと思っているらしく、スティーヴの表情は憮然と固い。

「……まだ、わからん」

チンは苦笑する。

仕方なく、大きな形をして駄々っ子のようなスティーヴの手を放すと、振り返ったチンはダニーに向き直った。

「ダニー、悪かったよ」

そう言いながら、身軽にベッドの上に膝を乗り上げ、そのままダニーに近づくと友人へと唇を近付けた。

「待て! チン! 待て!! 何するんだ!!」

ダニーが必死に自分の唇を覆い、ベッドの上を後退る。

枕と、皺くちゃのシーツで防壁を築き、壁にぴったりと背中を押しつけ、驚きに目を見開く彼の防御は、滑稽な程だった。スティープも目玉が飛び出さんばかりに目を見開いている。

「……お前っ!」

「な、スティーヴ。ダニーは大丈夫だ。……ごめん。ダニー。もうしない」

チンは、怖がる友人の前からゆっくりとベッドをいざり降り、肩を竦めてみせる。

「ほら、スティーヴの誤解だ」

「……なぁ、お前ら、本当に出来てるのかよ?」

いきなり男にキスされかけて泣きたい気分なのか、シーツの要塞の中から、ダニーがか細い悲鳴を上げる。その反対に、スティーヴは堂々と腕を組んで仁王立ちだ。

「ああ、できてる。だから、こいつには手を出すな。わかったな、ダニー!」

「くそっ! 手は出さねぇけど、お前にそうやって命令されるのはムカつく!」

はっきりさせれば自分の不利になることまで、わざわざ口にするスティーヴの自我の強さが、チンには面白い。

「まぁ、まぁ、もう、喧嘩はおしまいだ。問題も片付いたし、俺は帰るよ。スティーヴに寝る場所を譲る。スティーヴ、ダニーと仲良く寝ろよ」

言った途端、悲鳴だ。それも、二人揃って同時にだ。

ホントに、この二人は仲がいい。

「嘘だろ。俺とこいつだけ残して帰るつもりなのかよ! チン!?」

「誰が一緒に寝るか! ダノ。ベッドから出ろ、お前はソファーだ!」

キーキー上がる怒鳴り声を背に、チンはあっさり寝室のドアから出て行く。

「また明日な、ボスをよろしく、ダニー」

背を追って来る声は必死だ。

「無理、チン! 無理、無理! 俺には、こいつの下半身まで面倒みれねぇよ!」

「誰が、お前に面倒をみろって言った。チン。帰るな。ダニーを外に放りだす。お前はここに残れ」

命令口調の強いスティーヴの声だったが、チンは振り返らず肩越しに手を振った。

「勘弁してくれ。怒った後のお前とはやりたくない。俺は明日も仕事に行きたいんだ。おやすみ、ボス」

パタンとチンはドアを閉める。

くそっ!と、床を蹴る音が聞こえた。それと、これだ。

「……あんたたちさ、ほんとに出来てんのかよ……」

ダニーの声は気が抜けたように、茫然としている。

「本当ってなんだよ!? なんか不都合でもあるって言うのかよ!」

チンはくすりと笑った。

 

(終)