ハワイの落書き14
*28
「大丈夫か? もっとこっちに寄りかかれよ。ほら、足元も気を付けて」
まだ歩けるのに、 わざとチンの肩へと寄りかかっていた。
面倒見のいいチンは、手のかかるボスに、小さな苦笑を浮かべながら、足元の段差に気をつけるよう注意を促している。自分の家の庭だ。どこがどうなっているかなんてわかっている。いくら飲んで帰って来たとはいえ、躓くはずなどないのに、スティーヴはもっとチンへと寄りかかる。
「こら、スティーヴ、それじゃ重すぎる。もう少し、自分で歩いてくれ」
笑うチンは、肩を貸すボスがどんな思いで、いまこの時を過ごしているのか思いもよらないはずだ。
ドアを前に立ち止まったチンの肩から、手を伸ばし、セキュリティーの解除をする。間違いなく番号を押せることにチンが不審を思いつかなければいいと思った。密着したチンの身体の熱がスティーヴの心臓を激しく波打たせ、喉をからからに乾かせていた。
「ほら、スティーヴ、家に着いたぞ」
筋肉ばかりの重い身体を、店から引き摺って来たチンは、やれやれと身体の大きな酔っぱらいにあきれ顔で目を細め、やっと役目が終ったと、リビングのソファーにスティーヴを座らせようとする。
「チン……」
スティーヴは、まだチンの身体に触れていたくて、座らされたソファーから立ち上がろうとした。
今、飲み過ぎた上司をたしなめ顔で見下ろしてくる年上に、報告のためコンソールパネルの前で振り返られるまで、知らず、よく筋肉の発達した腰から尻のラインへの性的な欲求を覚えてじっと見つめていて、何を見ているんだと不審がられた日の衝撃が忘れられないスティーヴは、あの日から、ずっとチンにセクシャルな思いを募らせている。
足元がふらついたのは、わざとなのか、それとも本当に酔いのせいなのか、自分でもはっきりとはわからなかった。
チンが慌てて手を伸ばし、スティーヴの身体を受け止める。
「どこに行きたいんだ?」
「……水が、飲みたい」
取ってきてやるから座っていろと言うチンに、嫌だと首を振って、冷蔵庫までの道のりを介助させた。
自分の身体を抱く彼の腕に、鼓動が早まり、息が苦しかった。
圧倒的に男の方が数の多い海軍時代を過ごした時だって、野郎相手に欲望を感じたことなどなかった。同じ部屋の中をうろつくでかい相手は邪魔なだけで、彼らの滑らかに動く引き締まった筋肉は、時に嫉妬の対象ではあったが、ただ、仲間の肉体だというだけだった。
それなのに、穏やかに笑うチンが、背中を預けることに不安を感じさせない機敏さで、走り銃を構えるしなやかな動きに、緊迫した現場には不似合いなゾクリとした欲望を覚え、肉感的に締まった太腿から目が離せなかった。
部下として使ってはいるが、チンはいくつもスティーヴより年上だ。スティーヴ自身戸惑いを覚えている自分の性的な欲求に、チンが応えてくれるとは思えない。
隣に立って、状況の説明をするチンの話をボスとして聞きながら、スティーヴは耳に心地いいその声が自分の欲求を刺激するのに耐え続けてきた。
場違いに明るい冷蔵庫の光と、苦笑気味のチンの視線に見守られながら水を飲み終えたスティーヴに、チンはまた手を貸す。
「スティーヴ。ベッドまで運ぶよ。今晩のお前は、あきらかに酔ってる」
酔っているという自覚は、スティーヴにもあった。
あからさまにチンの身体を這いまわる自分の視線をねじ伏せることができない。
普段、じっと見ることなどできない、開いた胸元や、ジーンズの股間に張り付いて剥がせない。今すぐ腰骨に食い込むジーンズのジッパーを開けて、手を捻じ込み、下着の中のものを掴んで、揉みしだきたかった。
心配げに傾げられる首元を舐め回し、熱く燻っている自分のペニスを、チンのに押し付け、擦り合わせたい。
スティーヴを肩へと担ぎ直したチンは、笑いながらぼやいている。
「……俺も、みんなみたいに、うまく逃げるべきだった」
酔いが年上の上司への親密さをチンの表面へと滲ませていた。緩くカールした髪が汗をかき、襟足を湿らせている。
「お前、重いぞ」
この信頼を、裏切る自分は最低だと思いながら、ベッドへと放り投げられる瞬間に、いましかないとスティーヴはチンを抱きすくめた。
もう、我慢が出来なかった。
寝室にチンと二人きりなのだ。千載一遇のチャンスだと頭の中で声がし、同じように、今、チンを襲ったならば、もうこの穏やかで頼りになる部下は、二度と自分の下で働く姿を見せてはくれないだろうと不安を煽る警報音が頭の中で激しく鳴り響いた。
混乱する頭は、破裂しそうにずきずきと痛み、呼吸は苦しく、足を掬ってベッドへとなぎ倒し覆いかぶさって貪りついたチンの唇は、たまらなく柔らかかった。
動揺の一瞬後、チンが身じろぎする。
スティーヴは、力づくで、腕の中の身体を抱きすくめ、抵抗を封じた。
「チン、……すまない。チン、……悪いと思ってる。……すまない、チン、好きなんだ」
あまりの事態のせいか、まだ、罵りの言葉を吐かない唇に何度も口づける。
妄想の中で何度もしたように、チンの股間に自分の腰を呆れるほど何度も擦りつけた。ただ、ジーンズの硬い表面が擦れ合っているだけだが、興奮でペニスが痛いほど熱かった。
顎を掴んで口を開かせ、滑らかな口内を舌で蹂躙する。
「……チン、好きだ。……好きなんだ」
好きだからという理由が、部下をレイプしてもいい免罪符になるなんてことは思ってはいなかった。ただ、言いたかった。
突然の暴行に驚愕で身を竦めるチンの身体を、慌ただしく触り撫で回すのを我慢できないように、押さえ込んできた気持ちを口にしたくてたまらなかった。
片足を腕の中に抱え込んで、足を開かせながら、シャツの裾を引き摺りだし、締まった腹から鍛えられ盛り上がる胸へと撫で上げる。
「……チン、……チン!」
触れた肌が熱く、汗で湿っているのに、震えがくるほど興奮した。初めて触れた肌は、滑らかだった。
状況に動転し緊張しているのか、チンの乳首が小さく勃っていた。
それを押しつぶした手のひらに、チンの胸の怯えたような早い心臓の動きを感じ、さらにスティーヴの劣情はそそられた。
チンのペニスを見たいと思いながら、手は、自分のジッパーを押し下げていた。
掴みだしたものを扱きながら、チンに口づける。
「チン……、チン、好きだ、好きなんだ」
上から押さえけるようにして覆いかぶさり、唇を激しく奪っている最中に、突然、吐き気が込み上げ、我慢がきかず、スティーヴは口を覆って、チンの上から逃げた。苦しさに視界が暗くなり、上下左右もわからないくらい目が回った。
「……スティーヴ、急に動き回るからだ。……な、落ちつけ」
押さえつけられていたベッドから身を起こしたチンは、スティーヴに近寄るとうずくまり丸められた背を擦ってくる。
喉元まで込み上げた吐き気は、何度もスティーヴをえずかせ、冷たい汗がびっしりとにじむ背中を震えさせたが、そのままそこで吐かせるところまではいかなかった。
ただ、世界が回る。ベッドの上にいるはずなのに、船で大波に揺られているように頭がぐらぐらした。
まともに何も考えられなくて、ただ呼吸に胸が大きく何度も上下した。情けなくも涙が目尻を伝っていくのも止められない。
チンが呻くスティーヴを横たえ、髪を撫でる。
それは、気持ちがいい。
「……悪い、……すまない、チン」
「いいよ」
場違いな程、穏やかにチンが微笑む。髪のついでに、チンはスティーヴの顔も優しく撫でていく。
「……しかし、……お前も面白いよな。正体がなくなるまで飲むと、なんで、そう毎回俺のことを口説こうとするかな……。……好きだよ、スティーヴ。今回のお前も、おもしろかった」
差し込む朝日にスティーヴは思い切り顔を顰めている。
ばりばりと掻く頭の締めつけるような痛みが、二日酔いによるものだということを、経験上、スティーヴもわかっている。
「スティーヴ、昨日の記憶は?」
コーヒーを飲みながら、チンが笑っている。
「店で会計を済ませたところまでは……」
痛い頭に手を当てて、スティーヴは、情けなく眉を寄せている。
「…………また、俺は、お前のこと襲ったのか?」
チンがコーヒーのカップをスティーヴへと押しやる。
チンは、ついでに寝癖もひどいボスの頭を撫でてやった。
「お前、よっぽど、俺のことが好きだな、スティーヴ」
(終)