顔を覆う羞恥
いつもの通り、からかい半分に、半分本気で、ダニーの携帯にかけてきた相手を問い質し、盛大に文句を言われた所だ。
「お前さ、いちいちうるさいよ? なんでそんなに俺について何でも知りたい? 仕事上必要なことは、逐一話してるだろ。俺が話さないってことは、この電話はお前の人生に何の関わりもないからだ。もう放っといてくれるかな? あ、一応言っとくと、ちなみにこれから俺が行くのはトイレ! これで、満足? な? 満足だろ!」
大きく音を立ててダニーがドアを閉めて背を向けて歩き出す。派手なその音に肩を竦めたチンが苦笑した。
「スティーヴ、やり過ぎだろ」
部下ではあるが、年上のチンは、顔を顰めてスティーヴに穏やかな声で、時に注意を与えくる。
勿論、スティーヴは言い返す。
「あいつの携帯にかけてくるのなんか、レイチェルか、ギャビー位だ。どっちがかけてきてようが、俺に隠すようなことじゃない」
「そう? たとえば、俺は24時間、あんたの携帯を追跡できるけど、しない。それは、犯罪だし、それから、あんたに失礼だ」
後ろの机に凭れたまま腕を組んだまま、じっと目を見つめて話すチンに、まだスティーヴは、大きく口をあけて抗議しようとした。
「チン、お前、そんな恐ろしいこと!」
それから気付いて、大きく息を吸い込むと、思い切り顔を顰め、息を吐きだす。
「チン、それは、俺が、ダニーのプライベートを尊重しないと、罰としてやるっていう脅しか?」
チームを掌握するのはスティーヴだが、チームを調整し、さりげなくスティーヴのサポートをするのは、このチンだ。
「どうかな? どう取るかは、スティーヴ次第だと思うけど、相棒にいちいちトイレに行く報告までさせる職場は健全とは言い難くないか?」
その通りだと思うのだが、しかし、スティーヴは、知りたいのだ。
知っていたい。
この目に映る人の安全をいつだって知っていたいというのは、結構やばい状態だということは、スティーヴ自身、自覚していたが、それでも、できるならば、どこで何をしていて、誰と会っているのか把握していたかった。
常に危険と隣り合わせの仕事をしているからだけだとは、言い難い欲求が、自分の人生をやっかいなものにさせる可能性があるのもわかっていた。
チンや、コノとは、勿論親しい関係だが、礼儀なのか、二人はさりげなくスティーヴとの間に、立ち入りを許さない壁を築く。
その点、ダニーは、少し突けば、何もかもあけすけだ。
もっとと、彼の中に立ち入りたくなる欲求は、日増しに増して、時々スティーヴも自分がコントロールを失っているのに気付いていた。
チンは、腕を組んだまま、視線をそらさず、黒い目でじっとスティーヴを見つめている。
いつまでもその視線は自分から離れそうになくて、スティーヴは肩に入れていた力を抜いた。
「……わかった。後で、ダニーに謝る」
チンは腕を解き、穏やかにスティーヴへと話しかける。
「スティーヴ、あんたが、とてもダニーのことを好きなのは知ってるけど、それをダニーに理解してもらおうとするのは、難しいと思うよ。なぁ、彼ほどキュートではないけど、……俺辺りで、手を打たないか? 代わりでいい」
するりと部屋から出て行ったチンが、何を言いたかったのか、スティーヴが理解したのは、しばらく経ってからだ。
最初は、承服しがたいことを、それでも納得した自分を、チンが慰め、褒めていったのかと、それを伝える言葉をチンが選び間違えたのかと、勝手な修正をスティーヴはかけたのだ。
しかし、その理解は収まりが悪く、スティーヴはもう一度思いなおして、度を超え、仲間のことを知りたがる欲求をダニーに向けずに、自分に向け、チームのバランスを保てと、自分を犠牲にしたチンがプライバシーを差し出す気でもなったのかと苦く顔を歪めた。
そうなのだ。
相手の行動を拘束したがる自分の欲求が、セクシャルな方向に誤解されるなんていう懸念を、スティーヴは全く抱いていなくて、自分がダニーを性的な意味合いで好いているのだと、チンが誤解したんだと気付いたのは、最後だった。
事件についての報告を打ち込みながら、チンが言いたかったことに、はっと気付いたスティーヴは、思わず動きを止めた。
次の瞬間には思わず立ち上がり、誤解を解きに走ろうかとしかけ、その時に、まるで気にも留めていなかったチンの最後の言葉がやっとスティーヴの中で意味を成した。
『代わりでもいい』
穏やかな顔でスティーヴの側に立つくせに、壁を築いて、本心を悟らせなかったチンの核心をスティーヴはやっと掴んだと思った。
「何? 何、にやにやしてるわけ? トイレに行ったついでに、建物の外にも出て、飲み物も買ってきちゃったよ。あんたに報告なしに、出掛けて悪かったね」
ノックもなしにいきなりドアを開け、嫌味を込めて、わざわざスティーヴのオフィスに報告にきたダニーが、一人にやついていたスティーヴを気味悪がって、また唐突に顔を引っ込める。
顔を引き締め、スティーヴは浮き上がっていた尻を椅子の上に戻した。
チンの本心を掴めたのが予想外で嬉しかった。
しかし、誤解されたように、スティーヴはダニーを好んでいるわけでも、ダニーの代わりになる身体を欲しがっているわけでもない。
落ち着きなく、スティーヴはもう一度立ち上がったが、チンの告白に対し、何かの答えを出せない今、誤解を解きにいくのは早急だと、行く先はチンのところではない。
大股で廊下を歩き、勢いよくドアを開ける。
「わ! 驚いた。何? まだ、何かあるわけ? あんた?」
「ダニー、悪かった。干渉し過ぎだった」
顔だけ出して謝れば、ダニーは思い切り鼻の頭に皺を寄せる。
「……そうやって、あっさり謝りにくるから、あんたずるいんだよね。誰に注意されたの? チン? ああ、もういいよ。さっきの電話は、レイチェルからだ。グレイスの絵がコンクールで入選して、来週から市庁舎のロビーに飾られるって。あんたも観に行く?」
こうやって、なんでも知ることを許すから、スティーヴはダニーがたまらなく好きなのだ。
「ああ、行く」
それからの毎日は、スティーヴにとって意外な程おもしろいものだった。
核心さえ掴んでしまえば、壁をつくるチンの行動は、スティーヴとの間に距離を置くためのものでもなんでもなく、セクシャルな気持ちを抱えたチンに、スティーヴへと踏み込む勇気がないだけだった。
しかし、そのせいで、常に一歩引いた場所にいるチンを、スティーヴは近付くなという拒絶だと誤解していた。
「なぁ、今の電話は」
「カマコナから。今日の昼に、みんなで食べに来いって」
親しげだった電話の内容をチンが皆の前で口にする前に、スティーヴが欲求のまま、詮索しても、意外なほどにもチンにはそうされることに抵抗がない。
擦れ違いざまに、どこに行くんだと聞いても、聞かれたことをうるさがらず、当然という顔で行く先を答えてくる。
そして、普段の仕事ぶりを見ていてもわかるように、必要なく物事から手を抜くことをしないチンは、腹を決めて気持ちを口にした以上、状態を現状のまま放置する気はないらしく、たった三日で、次の機会を捕えにきた。
その時、スティーヴに、答えを出す気はまだなかったが、年上の人間が本気の顔をみせてくれば、かなり色気があるものだと感心した。
チンは狙いすましたように、皆が帰った途端に、スティーヴのオフィスのドアを開け、滑り込んでくる。
「代用品で満足できるのか、試してる?」
キーボードの上に置いた手を退かさずにいたら、その上に手を重ね、身を乗り出したチンは、唇を塞いできた。
「判断材料のひとつにしてくれ」
キスだけして、チンは背中を見せると部屋を出て行ってしまう。
やはりスティーヴは質してしまう。
「帰るのか?」
「そうだよ。家にね」
結果として、チンに答えを待たせたままの放置を、スティーヴは一週間続けた。
その間に、チンが答えを求めて急いていたのにも気づいていたし、年上が自分の気持ちを口にした軽率を悔やんだ瞬間が、一度どころか何度もあることにも気付いていた。
そんなチンが珍しく、楽しんで眺めていたことも認めるが、スティーヴも、男相手に、恋愛感情を持つことなど、今までの人生でなかったのだ。
そのせいで、チンの望むような答えを出せる気はまるでせず、ずるずると放置してしまっていたというのが本当のところだ。
だが、スティーヴがダニーを好きなのだと誤解したままのチンは、もう癖のようにダニーのプライバシーへと干渉し、今日だってまた怒らせていたスティーヴをそのままにしておくことなどできなかったらしい。
帰ろうと車に乗り込むと、助手席のドアがガチャリと開いた。
「そろそろ答えを聞かせてくれ、スティーヴ。俺じゃ、ダニーの代わりは無理か?」
シートの背もたれにきちんと背をつけた緊張に強張るチンの頬は、スティーヴを驚かせはしたが、スティーヴもそろそろきちんと説明しなければならないとわかっていた。
「そのことなんだが、チン。まず、はっきりさせておこう。お前は、お前だ。ダニーとお前を比べるとか、代わりにするなんていうのは、どっちにも失礼な話だ。そもそもおかしいだろ」
スティーヴが自分の部下に決してしてほしくないことは、必要なく自分を卑下することだ。
この一週間、スティーヴは代わりのきかない自分の価値を、チンにも正しく認識させたくてたまらなかった。
そして、スティーヴが自分の性癖に対する誤解を解こうと口を開こうとすると、その前に、いきなりチンが声を上げた。
身を強張らせ、真っ赤にした顔を両手で覆っている。
「好きなんだ!」
チンは、叫んだ後は、次第に身体を丸めこみ、もう今にも膝に頭がつきそうだ。
いきなりのことに呆気にとられるスティーヴの前で、羞恥にまみれ、泣き出しそうにした赤い顔を歪めたまま、身を丸めこんだチンが声を絞り出す。
「……俺じゃ、ダニーの代わりにもならないかもしれないけど……」
しゃくりあげるようにチンが息を吸い込む。
「……ごめん。……好きなんだ…………頼むから、俺のことを試して欲しい」
消え入りそうな声でなんとか最後まで言い切ったものの、もうチンに顔を上げる勇気はないらしい。
覆った手からはみ出した耳まで真っ赤にして、膝の上に頭を埋め、そのまま動かない。
スティーヴの心は、告白に、確かにどきりとした。
切羽詰まり、後のない年上の本心は、今までの色気を感じさせる態度より、さらにスティーヴの好みで、今までとは違った見方でチンを見ることも可能かもしれないと感じさせた。
しかし、それほど簡単なことでもない。
「チン」
スティーヴは手を伸ばして、チンの髪に触れた。
びくりとチンが身体を縮こまらせる。もうこれ以上は無理だと思っていたのに、さらに赤くなり、かすかに震えているようにも感じられた。
しばらくスティーヴが頭を撫でていると、やっとチンの頭が上がる。
年上の男の目は、やはり、泣いた後のように腫れ潤んでいる。
頬どころか、額までも真っ赤で、普段は後ろへと撫でつけられている前髪が乱れて落ちている。唇は硬く引き結ばれ、いつだってまっすぐ見つめてくるはずの黒い目が、逃げ出したそうに揺れている。
代わりに、スティーヴが強くチンを見つめた。そして口を開く。
「何を最初に言うべきなのかわからないから、結論から言う。チン、お前をダニーの代わりにはしない。……そもそもそんなことできないし、する必要もない。お前を誤解させていたようだが、俺は、ダニーに性的な意味じゃ関心なんてもってない。あいつの隣で寝て一日24時間監視下におきしたいと思ったことなら正直あるが、それ以外の意味で寝たいなんて思ったことはないし、第一、今まで生きてきて、一度も男と寝たいと思ったことがないんだ」
チンが目を見開く。
「その誤解を解かずにいたことは悪いと」
スティーヴが言い終わらない内に、チンはドアを開け、逃げ出そうとしていた。
長い腕を伸ばし、揉み合いながらもスティーヴは強引にチンを車内へと引き摺り戻す。
「スティーヴ! ごめん! 悪かった!」
堪らない羞恥で逃げようともがくチンの両手首を掴み、スティーヴはシートへとチンを磔にする。
「ごめん! スティーヴ! ごめん!」
「謝らなくていい、チン。誤解されるような態度を俺がとってたってだけのことだ。こら、逃げるな。ああ、もう!……あんたが暴れるから、簡単にまとめて言うぞ。俺は、はいそうですかと、簡単にはあんたとはつきあえない。でも、努力はしてみてもいい。男と付きあったことのない俺に、付き合ってみればあんただって満足できずに失望するかもしれない。お互いに、努力してみる。どうだ? 理解できたか? 努力するんだ、チン。いいか?」
強く腕を掴んだまま、言い聞かせるように繰り返すスティーヴに、チンは、嫌だと横に頭を振り、また今にも泣きそうに醜く顔を歪めた。
その顔を、じっとスティーヴは見つめる。
「チン、泣くのか? 何が嫌であんたが泣くのかわからないんだが、あんたが勝手に碌でもないことを考えて、泣きたい気分になってるってことはわかるよ。……あのな、チン」
スティーヴはため息を吐きだす。
「あんたの告白は、強烈だった。俺に時間をくれ」
「どこに行くんだ、ダニー?」
「ね、ほんと、俺のこと、放っといて。俺が、昼休みに、人に会いに行こうと、図書館に行こうと、火星に行こうと、俺の自由なの!」
「ああ、グレイスの本を返しに」
「わかってるなら、聞くな!」
あいかわらず、スティーヴはダニーに行く先を尋ねずにはいられなかったが、隣に立つチンの手は、ダニーから見えないテーブルの影で、がっちりと指まで絡められ、スティーヴに捕えられていた。
end