上がらないジッパーの困惑

 

資料を取りに、本部の通路を歩いていたチンは、正面に見えた光景に思わず足を止め、見入ってしてしまった。

トイレの前で、スティーヴが足をがに股に開いて、俯いている。

トイレの後、ジッパーが上がらなくなって、一生懸命引きあげているんだということはわかったが、思わずおかしくて笑ってしまう。

「くそっ、本当に!」

スティーヴはかなり苦戦しているらしく、股間を見つめ肩を丸めた情けない姿で、必死にジッパーを引っ張りながら始終毒づいている。

そんなボスの姿を見ないふりという気の使い方もあったが、放っておくほうがかわいそうかと、チンはトイレへと近付いた。

「スティーヴ」

「おう、チン。くそっ、このジッパーがあがらなくて!」

スティーヴのイライラは最高潮に達しつつあるようで、唸り声を上げては、力いっぱい引きあげている。

「ちょっと前から、姿が見えないと思ったら……」

「これ上げないままで戻ったら、お前ら、コノの前で何してるんだって、俺のこと殺すだろ」

力み過ぎて真っ赤にした顔をちらりと上げ、チンを見ると、またスティーヴは腕の筋肉を浮き立たせる。

歯も剥き、声と言えば、まるで動物の唸り声だ。

「いや、殺しはしないし、コノは、お前のそんな姿みても面白がるだけだろうけど、……確かに、そういった雰囲気を許す職場にはなって欲しくはないかな。……一応、コノは女性なんだし」

「そう言うと思った。……だけどな、これが、本当に上がらないんだっ!」

くそっ!と、大声で罵ると、スティーヴがとうとう癇癪に床を蹴った。

ジッパーの小さな金具を持っていた手で苛立たしげに腿を叩くと、くそっと罵りながら辺りをうろうろと歩き出す。

やれやれと、チンは肩を竦めた。

スティーヴの父親と付き合いがあったせいもあり、時々、チンは自分のボスが、酷く自分より年下のような気分になる。

作戦中には、全幅の信頼をおいて、スティーヴの指示に従うことに躊躇いはないが、それでも時々、ボスの笑顔があまりに少年めいて、手のかかる子供だと面倒をみてやらなければならない気分にさせられる。

「スティーヴ、ほら、大人しく立ってろ」

仕方がないと、廊下に膝をついて屈みこんだ。

スティーヴに手を退けさせて、カーゴパンツの股間に顔を近付け、ジッパーの状態を覗き込む。金具が下着を食いこんで、そのせいで動かなくなっている。

「触るぞ、いいか?」

一応断ってから、手を伸ばし、ジッパーの金具に触ってみる。

引っ張り上げてみたが、勿論上がらない。

下ろせないかと引っ張ってみた。

「これは、……ちょっと、難しい感じだな」

金具が完全に下着の布地を噛んでいて、ちょっとやそっとじゃ、どうにもなりそうにない。

スティーヴの下腹に手をついて、手前へとジッパーを引っ張ってみたが、それでも噛んだ布地ははずれそうにない。

何度か上げたり、下ろしたりとチャレンジしてみたが、どうやっても無理で、スティーヴの足元で屈がみ込んだまま、背の高い彼を見上げた。

「なぁ、ボタンを外してくれないか? 無理にでもショーツの方を引っ張って、なんとか外れないかやってみる」

「……あのな、その、あまり触られると」

カーゴパンツの中のものが硬くなってきている。スティーヴは居心地悪そうだ。

「ああ、そんなのしょうがないだろ。黙っててやるから。ほら、スティーヴ、早くしろよ」

もぞもぞとスティーヴはボタンを外したが、まだモノ言いたげな眼差しをしている。

チンは、スティーヴのショーツの布を掴んで、破れないよう慎重に引っ張りながら見上げた。

「何?」

「……いや、本当は、時と場所をもっと選びたかったんだが、……もうこの際だから言うが、チン、お前が好きだ」

時は、仕事中で、場所はトイレの前だ。もっと言えば、チンはズボンの上げられないスティーヴの前に屈んでいて、ジッパーを引きあげようと格闘している最中だ。

「……え? ああ、ありがとう」

「チン、そういう意味じゃない。その、……つまり、お前に触られると勃つくらい好きなんだ」

「……ああ、……うん?」

じっと見下ろしてくるスティーヴの眼差しは、真剣だ。

だが、ズボンのジッパーは半開きのままだ。

「その、だから! チン、お前のことが好きなんだ」

「……スティーヴ、お前、ズボンの前も上げてないんだぞ?」

「わかってる! だけど、しょうがないだろう! あんたが触るから勃起しちまってるんだし、こんなに勃っちまってたら、誤魔化せないだろう!」

「……いや、……邪魔くさいなとは思ってたけど、」

 

絡み合った視線は、一瞬後には反らされた。

スティーヴは、背中を向けた。また、自分でジッパーを引き上げ始める。

「……そうか。……でも、悪いな。俺はお前が好きなんだ」

チンは、言葉に困った。

「……あの、さ、スティーヴ。…………ジッパーが上がるといいな」

「違う、チン! 確かにそれは、そうなんだが、お前、俺の言ったことを真剣に受け止めろ!」

「……いや、でも、スティーヴ」

廊下には、がちゃがちゃと、うるさくジッパーの金具の音がして、ボスは股間を見つめながら獣さながら唸っているのだ。

スティーヴは、また癇癪を起して、がんがん床を蹴っている。

「わかった。じゃぁ、今度、ちゃんとジッパーが上がってる時に、もう一度、告白し直す。それまでは、今日あったことは忘れてろ!」

「……ああ、了解。そうさせてもらう」

 

 

「あ、直ったんだ」

「御蔭様でな」

それから、30分もしてから、やっと本部の部屋に現れたスティーヴは、ぶすりと顔を顰めていた。

よかったなと声をかけたチンに、スティーヴは指を突きつけてきた。

「あんたな、俺は、ちゃんと仕切り直すからな。そんな気楽な顔して笑ってられるのも、今の内だけだからな!」

「何、ボスったら、チンに因縁つけてるの?」

「実はさ、……さっき、スティーヴのズボンのジッパーが上がらなくて、トイレの前でさ」

「それは、恥ずかしいわね」

「お前なっ!」

怒るスティーヴが、どこまで本気なんだかと肩を竦め、さっきのちょっとおもしろかったことをチンはくすくすと笑った。

 

END