ずっと、側にいて。

 

「なぁ、コニー……」

もう三度目になる携帯のコールに、フランクは訴えかけるような目をしてコニーを見つめた。

しかし、眺められてもコニーも困るのだ。ゲープが荷物の上に置きっぱなしにしていった携帯は、先ほどから彼の家からの着信を知らせていた。

しかし、本人が、いないのだ。

また、長く続くコールに、フランクは、心配して曇らせた顔で、どうすると、コニーへと尋ねている。気持ちはコニーにもわかる。ゲープの家族で、番号から分かる家の固定電話を使ってかけてくる相手など、携帯を持たない末娘のリッシーしかないのだ。あの小さな子が、一生懸命、別居中の父親と連絡を取ろうとしているのかと思えば、コニーだって落ち着かない。

けれど、コニーは、携帯の持ち主を探しにキャンピングカーから出たくなかった。

携帯は鳴り続けている。

「なぁ、コニー……」

 

いくつかの廃屋の状況調査のため出されたチーム50のメンバーは、研修会に参加中のカスパーを欠いた4人だった。荒れ果てた対象の記念館が夜間に使用されている形跡がないかを確かめるため、今は、待機中と言う名の、休憩時間だ。

フランクは、テレビを見ていたし、コニーもそれを聞き流しながら、スポーツ雑誌を捲っていた。

車内で鳴り続ける携帯のコールは、二人を居心地悪くさせている。

 

とうとう諦めたのか、コールが途中で途絶えた。はぁっと、フランクは息を吐き出す。そして、少しばかり責めるような目付きでコニーを見る。

「……仕方ないだろ」

「ゲープに知らせてやったほうが良くないか?」

どうしようもなく善人であるフランクが、わざわざテレビの音量を絞ってした提案を聞きながら、コニーは雑誌に顔を隠しながら、ため息を吐き出した。

コニーはこの場に、カスパーが居ないことを呪う。もし、カスパーが居れば、確実に『いかなくていい。コニー』とゆっくり首を振りながら、引き止めてくれる状況なのだ。

愛娘からのコールだろうが、なんだろうが、ゲープはデミアと一緒に、薄暗くなりかけた林の中に、散歩に出たままで、しかも、それは、やたらと足取りの軽いデミアにそそのかされた挙句のことだった。

テロリストたちが潜伏場所として使うかもしれない廃屋付近には、勿論人通りなど全くなく、そんな散歩中に何が起こっているのかを、気付かないのは、フランクくらいだ。

「……なぁ、ゲープたち、帰ってくるの遅くないか?」

「そんなことないだろ。とりあえず3時間ほど休憩にしようと決めたんだし、それに、まだ1時間しかたってない」

 

しかし、現在、理屈抜きにフランクを納得させるだけの信頼を勝ち得ているカスパーはここにはいなくて、コニーは、しつこいフランクの相手をするのに疲れてきていた。雑誌越しに、冷たくフランクを眺めてやり、黙らせたものの、10分経たずまた、携帯が鳴り出す。

たがが、携帯のコールだが、移動中、アレほど見たがっていたレース中継も放り出し、フランクは悲壮な顔だ。

「コニー……!」

大きな体は、そわそわと落ち着きない。

「今日の席替えで、好きな子の隣の席になったの、パパだ。用件は」

「でも!」

「じゃぁ、今日私の描いた絵が褒められたの」

「コニー!」

「うるさいな。フランク。じゃぁ、これだ。パパ、また、ママが浮気してる!」

 

フランクの傷ついた顔に多少溜飲を下げながら、コニーは、大きな音でキャンピングカーのドアを閉めた。

そして、今度は自分が嫌な思いをするために、小枝を踏んで歩き始める。

車の外は、もう暗くなっていた。

だが、おかげさまでというべきか、ご愁傷様と言うべきか、チームの5番隊員に不当な八つ当たりをしたサブリーダーは、さほど歩かずして、隊長と3番隊員の気配を感じた。というか、二人の声を聞いた。

やはり、伸び放題の枝を払いながら、気軽に近づいて、「やぁ!」などと声を掛けられる状況ではない。

「……んっ、も、やだ。……やだ、ぞ。デミア」

「いい子にしてろって、ゲープ」

はぁはぁと漏れる息の音の合間に聞かされる声に、コニーは、目を泳がせるしかすることができなかった。気持ちを落ち着かせようと、コニーは、髪をかきあげた。しかし、切迫した声はまた聞こえ、コニーを動揺させる。
「デミア、お前っ……!」

「したいんだろ? 抜いとけば楽だぞ?」

「だったら!」

ごそごそと小競り合いをする二人の音を聞きながら、コニーは、やはり、カスパーがこの任務についていないことを呪った。

たしなめるような顔で、首を横に振るカスパーさえいれば、その揺るぎ無さを拠点に、コニーにだって、この信じられない馴れ合いの仕方をする仲のいい親友同士の現場にフランクをやって、奴を落ち込ませる意地の悪い真似をすることだって出来たはずなのだ。なのに、つい自チームの下位隊員に甘い自分がコニーは呪わしい。
声がかけられる状況には程遠い。

「なんだよ。ゲープ、お前の言うとおりにしてやってるだろ?……一枚も脱いでない」

「で、も……!」

「気持ちいいんだろ? 何が嫌だ?」

くすくすと笑うような特別機嫌のいいデミアの声は、ますますコニーに居心地の悪さを与えており、居たたまれないコニーは、どうやらチームの隊長を着衣越しに撫でまわしているらしい親友面の3番隊員の背中を蹴り飛げる勇気のわかない自分が憎かった。だが、どうみてもアレの最中で、もっともプライベートなその場に立ち入ることは躊躇う。

「ずるいぞ。……デミア」

拗ねたような、ゲープの声だ。

コニーは、一度、ゲープの額に銃口を突きつけた状態で、妻と別居中の親友間で許される行為の範囲について、じっくり話し合う必要も感じていた。

「そんなかわいい顔して、何がずるいだ。ゲープ」

だが、出来もしないそんな危険な思想を、金色の頭を振ることでなんとかコニーが脳裏から追い出しているというのに、暗闇に潜む二人のごそごそは、止まらなかった。

コニーは、とにかく、さりげなくゲープに携帯のことを伝えるチャンスを探していた。暗闇の中、聞きたくもない喘ぎ声に聞き耳を立て、チャンスを探す二番隊員の顔つきは、先ほどのフランクよりも余程悲壮だ。横顔に憂いを帯びているといえば聞こえがいいが、長い睫に縁取られた緑の大きな目は困難な局面に今にも泣き出しそうなほど、潤んでいるのだが、本人に自覚はない。震える唇にも色がない。

だが、コニーがどれだけ努力しようと、勿論、さりげなくは、無理なことだった。

「い、だ。やだ、ぞ。デミア!……も、ダメ、だ。デミア!」

いきなりゲープの声が切羽詰り、人が人を抱きしめる忙しない絹連れの音がした。コニーの覚悟が決まる前に、短い息が何度も吐き出され、コニーは、息を飲む。

ゲープの声がする。

「……んっ!……っっ!!」

 

 

「よーし。よーし。気持ちよかったろ。ゲープ」

まだ、落ち着かない息を吐き出すゲープの頭を撫でているらしいデミアの声は、蕩けそうだ。

濡れ場のクライマックスを出歯亀することになってしまったコニーは、関係ないのにぐったりだ。

ゲープは文句を言っている。

「……デミア、お前、俺の、下着、どうしてくれるつもりなんだ……!」

「脱がないって言ったの、お前だろ? ……ああ、もう、そんな潤んだ目で俺のこと見るなって、もう一回したいのか?」

「そんなこと……!」

「……本当に?」

甘いキスの音がいくつかした。

このままでは、デミアに言いくるめられてゲープが2回目を許しそうな危機感に、とうとうコニーは見っとも無い声を上げた。

「待て、ゲープ! さっきから、何度も携帯に、家からの着信が入ってる!」

 

 

 

愛娘からの、今日、先生に褒められたの!報告はもとより、任務もつつがなく終了し、報告も終えた翌日の午後2時。

多少のぎこちなさの中、チーム50の4人がロッカールームで着替えている最中、気付かなければいいことに、コニーは気付いてしまった。

なかったことにしてしまいたかったが、家庭に不調を抱える隊長を補佐する立場として、災禍をもたらすかもしれなない要因を見過ごすことに、ためらいを感じるところが、コニーの弱さだ。

ここに、カスパーが居てさえすれば、ゆっくりと首を振り、コニーの行為を止めてくれたに違いないのに、研修中で彼が居ないことがコニーの不幸だった。

 

「……ゲープ。パンツが裏表だ……」

途端、ゲープは、隣に居たデミアをロッカーへと突き飛ばす。

「な? なんだ? どうしたんだ。ゲープ!?」

しかし、ロッカーで背を打つデミアの腕は、ゲープを包み込むように伸びていた。ゲープはデミアの胸倉を掴み上げている。

突然の揉め事に、フランクが、ジーンズへと足を入れながら、ぎょっとしたように目を大きく開けていた。

コニーも、思わぬ展開に、言葉もなく、驚きに目を見開いた。

真っ赤になっているゲープはデミアの耳元でごにょごにょと文句を言っている。

残念だが、コニーには聞こえた。

「……デミア、パンツが裏表だ!」

「……あ、悪ィ」

 

 

 

廊下を歩いてくる仲間に、飲み物を買いに廊下へと出たカスパーが軽く手を上げると、疲れ顔のコニーの頭がとすんと肩へと落ちてきた。

「……どうした、コニー?」

「頼む。……ずっと、側にいてくれ」

 

 

END