チーム50の日常
二人をロッカールームの奥に見つけた時、フランクはそのまま駆け寄るのに躊躇いを感じた。もう出動だというのに、自分たちのロッカーの位置よりももっと奥まった一番端のベンチに腰掛けたままのカスパーの肩が固い。腕を組んだままそんな仲間を見下ろすコニーは、こんなナーバスな仲間の様子を見たならば、シニカルな笑顔でも浮かべながら、尻を蹴り上げるように現場へと連れ出すに違いないと思っていたのに、なぜか笑みを口元に描いて満足そうだった。予想外の光景に急いでいたフランクの足は止まる。
しかし、もう、出動の時間だった。
集まらない仲間を呼びにいくよう走らされているチームの新人であるフランクに、長く躊躇う余裕など与えられてはいない。
そうでなくともフランクは、今日、はじめて組むカスパーと、出動前にもう一度段取りの確認をする必要を感じていた。
フランクは、まるで覗き見でもしているような疚しい気分になった自分を叱咤し、わざと足音を立てて、二人に近づこうとした。しかし、コニーの両手が伸びて、カスパーの顔を挟む。そっと包み込むように伸ばされた手が、同僚の顔を優しく包み込み、フランクの鼓動は、不自然な音を立てて跳ね上がる。
「カスパー……」
名前を呼ばれて顔を上げたカスパーの目を、前髪の間からコニーはじっと見つめていた。見つめるコニーの目が優しい。二人の間に漂う空気は普通ではなかった。
コニーの手は、カスパーの短い髪の中へと入り込み、耳をまさぐるようにしながら頬を覆っている。
コニーの顔がカスパーに近づく。
冷静沈着なはずのカスパーの目が、次第に落ち着かない色を浮かべ始める。
間近に迫ったコニーの顔を、カスパーはじっと見つめている。コニーが口を開く。
「カスパー、今日の現場は、一緒にいてやれないんだから、先に言っておけ」
短い沈黙があった。カスパーの小さな声が聞こえた。
「……コニー、この爆弾を、解除するのは無理かもしれない」
コニーはにっこりと笑って、カスパーの耳元で囁いた。
「一緒に死んでやるから、気にするな」
あれだけの空気を纏った二人が何をしたかったのか理解できず、しかし、濃密な空間に飲まれてしまっていたフランクは、その場に棒立ちになっていたのだが、別ルートをとったカスパーは、新人の存在に気付かずロッカールームを出て行った。
だが、チーム1状況把握能力に長けたコニーは、フランクの存在に気付いていたようだ。
「召集か?」
この場で取るべき自分の行動を決めかねていたフランクに平然と声をかける。フランクは、戸惑った。けれど、チームのナンバー2の問いかけを無視するわけにはいかない。
「そうです」
「新入りは大変だな」
不可解な現場を見せられたフランクが、今の光景をどう理解しようかと悩んでいるというのに、コニーは前を行こうとする。
「……なぁ、コニー、今のって、二人って、もしかして」
しかし、出動を控えたフランクには、それよりももっと切実に心配しなければならないことがあった。
「……なぁ、もしかして、カスパー、今日の現場の爆弾のタイプは苦手なのか?」
振り返ったコニーはあからさまにフランクを馬鹿にした顔をしていた。しかし、フランクは確かめたかった。
「コニー、知ってるだろ。今日、俺、カスパーと組むんだ。カスパーには解除が難しいのか?」
「違う。カスパーは、お前なんかよりずっと頼りになる」
足を止めたコニーは、機嫌悪くフランクに言った。
「フランク。今日のお前がカスパーと組むのは、お前に経験を積ませるためだ。カスパーは悪い癖があるから、本当は俺が組みたいんだ。あいつは、時限装置を最後の最後までなんとか解除しようと粘る。フランク、カスパーがふっとぶ前に、必ず引き摺って出てこい」
コニーは髪をかき上げた。
「くそっ! 解除現場は、カスパーがかわいく弱音を吐く唯一の場面なんだぞ。それも、俺限定だ。それだってのに。……フランク、お前、わかってるだろうな?」
「……え?」
コニーは言った。
予想通り、現場には時限爆弾が仕掛けて合った。刻々と近づく、タイムリミットに背中につめたい汗をかきながら、フランクは現場の保安に勤めていた。カスパーは落ち着いた目をしたまま、配線の状態を確かめている。だが、目の前に今すぐにでも爆発しそうな爆弾がある状態で、解除者を護衛することは、フランクの予想をはるかに超えたプレッシャーだった。逃げ出したくなる足を踏ん張り、周りを見回す。けれど、目が、一秒ごとに減っていくデジタル数字へと吸い寄せられてしまう。緊張のあまり、視野がせまくなり風で舞い上がるゴミにひとつにも発砲しそうだ。これを、毎回コニーがこなしているのかと思えば、先ほど、あれほど傍若無人だと感じたコニーにすら尊敬の念が湧いた。
だが、コニーは、今、ただでさえ緊張しているフランクを、さらに緊張させるような原因を作ってくれていた。あの時、髪をかきあげなら、コニーは、言ったのだ。
『フランク、お前、わかってるな。もし、お前が退却のタイミングを見極め損ねて、カスパーがふっとぶことになったら、お前の死体に、さらに銃弾を打ち込む。万が一、お前がカスパーの弱音を聞いたら、殴り殺す』
不幸にも殉職した仲間の死体に更に銃弾を打ち込ことや、フランクに防ぎようのないこと聞かされたからといって、殴り殺すはドイツ連方警察局の倫理に反しはしないのか。
時間は、もう三分を切った。今だって、フランクはもう解除を諦め、ここから退却したかったが、カスパーの手元は戸惑うことなく動いており、そして、ここから安全に退避するために必要な時間は、40秒だとゲープに切られていた。つまり、フランクが対テロチームに残りたければ、爆弾のタイマーが解除されない限り、ゲープの言った40秒ぎりぎりまでここに留まる根性をみせねばなければならない。
タイマーは、二分三十秒を切る。
銃を構えたまま立つフランクの背中には冷たい汗が伝っていく。カスパーは、慎重に一本の線を切る。
フランクの頭は、緊張のあまり、こだわるべきではない一つのことを考えはじめている。
『フランク、お前、わかってるな。もし、お前が退却のタイミングを見極め損ねて、カスパーがふっとぶことになったら、お前の死体に、さらに銃弾を打ち込む。万が一、お前がカスパーの弱音を聞いたら、殴り殺す』
残り、二分二十五秒。ただ見守ることしか出来ないフランクは、目の前の恐怖からの逃避のためか、四方へ視線を走らせながらも、これについて必死に考えている。
“わかってる。いくらカスパーが粘りたがっても、40秒の最終ラインで絶対に退避だ。これは死体にならないための絶対だ。だが。……”
フランクは、切迫したこの場にそぐわぬこの考えから離れられなかった。
“だが、カスパーが弱音を吐く気になるのは、何秒前だ? こいつが死体になる前に無理やり引き摺っていくことは俺にだって可能だ。だがもし、その前にカスパーが弱音を吐くのを聞こうものなら、コニーは俺を殴る。絶対に殴る。あの目は本気だった……。”
「……フランク」
カスパーの声が聞こえて、見ているつもりで、まるで見えていなかった出入り口から視線を戻したフランクの目には、タイマーの一分二十八秒とう数字と、困ったような顔で自分を見上げるカスパーの顔が飛び込んできた。
フランクの顔が引きつる。
“ヤバイ。一分を切ってからだと思ってたのに!”
カスパーが口を開きかけていた。フランクは必死でさえぎる。
「大丈夫だ。カスパー、あんたなら、必ず解除できる!」
フランクは、カスパーの弱音など聞きたくはない。
「まだ時間はある。あんた、粘り強いんだろ。頑張れ、ぎりぎりまでかけて解除するんだ。カスパー!!」
フランクは、動転するあまり、自分の体と一緒に、銃口もカスパーに向いてしまっていることにさえ、気付いていなかった。
カスパーが困ったように言った。
「落ち着け。フランク。銃を向けるな。お前、緊張しすぎた。解除はすんだ」
確かに、……デジタル数字は止まったままだ。
その日の無線は、新人であるフランクのため、ずっとオープンの状態であり、勿論、そのやり取りをしっかりと聞いていたコニーこと、コンスタンティン・フォン・ブレンドープ伯爵は容赦なく報告書に綴った。
『フランクには、現場の状況を把握する能力および、自己を律する能力の不足を感じる』
END