天使の誘惑

 

自販機のコーヒーを片手に、静かな場所を探したカスパーは、珍しいものを見てしまった。

倉庫に続く奥まった廊下のベンチで、チーム50のサブリーダーが転寝している。壁に頭を預けるようにしてぐっすり眠るコニーは、うっすら口まで開けて寝息を漏らしていた。

固いプラスティックのベンチはベッドどころか、椅子としても最悪な座り心地のはずだ。

それなのに、できるだけクールに決めていたいはずのコニーが、金の髪を、寝息のリズムで、小さく動かし、全くの無防備に寝入っている。

カスパーは、紙コップのコーヒーを口元まで運びながら、眠るサブリーダーを見下ろし、くすりと笑う。

「寝顔は天使だな。お前」

 

 

ところで、こんなところで、コニーが居眠りするようなことになった夕べの発端は、フランクだ。

「……悪い。俺はこの飲み会に最後まで参加していたってことに」

片目を瞑って、拝むフランクが気にする扉の向こうには、なかなかかわいらしい女性が一人、店の中を人待ち顔で眺めている。

デミアは、すかさず、食べ散らかしたテーブルに押し付けるようにして、ぐいっと新人の頭を引き寄せ、額を思い切り指で弾いた。耳に囁く。

「彼女には、秘密ってか?」

痛むだろうに、フランクはじっと耐えていた。珍しく飲み会に参加の伯爵様が、少しむっとした顔をしてみせる。

「俺たちを誘ったのは、最初からアリバイ作りのためだったのか?」

しかし、色男のコニー伯爵様は、フランクの行動に十分理解を示せるらしく、グラスを傾けると、唇だけでにやりと笑った。

自分から飲みに行きたいと言い出したくせに、あまり飲みもせず、やたら時間を気にし、そわそわしていたフランクの原因に、一同は納得だ。

仲間と一緒のフランクに気付いたのか、小さく会釈した女性に対して、チーム50のメンバーは礼儀正しくにっこりと返礼を返した。

「かわいいじゃねぇか。趣味がいいから許してやる」

机に残るつまみを口に放り込みながら、犬でも追い払うように、デミアは行けと手を振る。

「ありがとう。恩に着る」

小柄な彼女に駆け寄る、情けなくも、広いフランクの背中にゲープは苦笑を漏らす。

「しょうがない奴だ。でも、こんなアリバイ作ったところで、あいつ絶対ばれるだろ?」

ゲープが言えば、チーム50のメンバー皆が、無言で半分まで減ってテーブルに置いてある隊長のグラスにカチンとグラスをぶつけた。

全員確信がある。

「絶対だな。フランクだぞ?」

 

 

その後、偽証を引き受けたチーム50の上位4人は、フランクについてのあれこれを酒の肴にして、随分長く席を立たなかったのだ。

しょうのない新人について罪なく笑いあうことは実に楽しく、誰もが椅子の温かみから尻を離すのが、惜しかった。

だが、フランクのアリバイを用意するためにしても、もう、十分過ぎる時間だった。

空にした酒瓶の数も大概だ。

「そろそろ、帰るか?」

少しふらつき気味の隊長が椅子から立ち上がるのに、皆、ぞろぞろと従う。店の出口で、乱暴に頭割りした会計を済ませ、外を歩き出せば、夜風が気持ちいい。

先を歩いていたはずのゲープが、コニーの隣を歩くカスパーに寄って来た。十分酔っているゲープは、にこにこと機嫌がいいらしい。わざとこつんと、肩をカスパーにぶつけ、口を開く。

「カスパー、お前、本当にあまりしゃべらないな。平気か? パパに話すことはないのか?」

コニーは、ゲープの言葉に、パパ?と、遠慮なく眉を顰めた。実際、かなりコニーも酔っていたのだ。

だが、金の髪をかき上げた伯爵様がゲープパパをからかおうとするいくつかの台詞を口にするより前に、カスパーが、口を開く。

「平気だ。十分楽しんでる」

GSG−9の精鋭として恥じない程度に歩みは確かなものの、やはり酔っているのか、いつもよりカスパーは緩く笑っていた。

急にカスパーが歩みを止める。

「でも、ありがとう。ゲープ」

カスパーがゲープの腕を掴んだ。すると、ゲープが残った腕で、カスパーの肩を引き寄せ、笑ったまま顔を近づける。

極自然に、二人は、チュっとキスをする。

ほぼ全ての時間、だたのハンサムであるコニーの顔は、思い切り引き攣った。

「……おい?」

しかし、機嫌の良さそうなゲープは、いい、気にするなと、声を出して笑っていて、カスパーも表情を緩めたままだ。それどころか、少し伸び上がったゲープが、よしよしと、わけのわからないことを言いながら、もう一度カスパーにキスすると、カスパーも、ゲープに、チュっとキスし返す。

コニーは、自分の見ているものが信じられない。しかし、デミアは笑っている。

「あ、コニー、お前、見るの初めて?」

そう言ったデミアがコニーの隣に並べば、ゲープがデミアを捕まえた。酔っ払いは容赦ない。腕を引っ張り、強引にデミアを引き寄せる。

「デーミア、お前はこっちにいろって」

また、コニーの顔は、引き攣った。

ゲープが、デミアの頭をしっかり抱え込んだ熱烈なキスをしだしたのだ。絡む舌が、口の中で動くのまでわかる。

暗い道を行くのは、皆、酔客だ。

それでも、ここは公道だ。デミアは、チームの隊長に齧り付かれるようなキスをされながら、あまりのことに目を見開いたまま固まっている伯爵様にひらひらと手を振った。それどころか、笑いながら、サムズアップしてみせる。

だが、酔っ払いの隊長は、デミアが意識を散漫にするのが気に入らないようで、もっと強く舌を絡めだす。

「やっぱり、ゲープのお気に入りはデミアだな」

そんなGSG-9チームの隊長と、隊員を眺めながら、くすくすと、笑って肩をすくめるカスパーを、呆然とコニーは見上げるしかできなかった。

コニーだって、酷く酔っていた。だが、とりあえず、常識というものが残ってしまっていたのだ。とりあえず、ここは、ただの道路だ。

しかし、そういったくせに、カスパーは、軽い足取りで、キスを続ける二人に近づくと、ゲープの腕から、デミアを取り上げた。

同僚にキスを強要されるデミアは、コニーに苦笑する。

「コニー、お前も、もっと飲み会に参加して、こいつらのこと引き受けろよ。こいつら、すげー、酒癖悪いの」

言うデミアは、もう一度ゲープに捕まった。

ゲープのキスは情熱的だ。

「デミア、お前は、いい奴だなぁ……本当に、いい奴だ」

何がどう、いい奴で、だから、どうしてそれがキスと繋がるのか、酔っ払いの理論は全くわからないが、とにかくゲープはデミアを離さない。
道が暗いのと、デミアをぎゅうぎゅうと抱きしめ、キスするゲープが、どう見ても、ただの酔っ払いにしか見えないのが、救いといえば救いだった。

舌の絡む熱烈なキスをする二人を平気な顔で眺めながら、順番を待つように立っていたカスパーが、今度ゲープの目標となった。しかし、全く、カスパーに文句はないようだ。

「お前も、いい奴だぞ。カスパー」

キス。

「パパは、お前のことも好きだぞ!」

カスパーの髪をワシワシと撫でながら、いい子だ。いい子だと、ゲープは、キスを繰り返す。

「……おい、お前ら……?」

 

酔っ払いから解放されたデミアが笑って、あまりのことに呆然としているコニーの隣に並ぶ。

「すげーだろ。ゲープパパがキス魔なのは、大分前から知ってたんだけどな。カスパーも、リミット切ると、あの調子だ」

馬鹿みたいに繰り返されるゲープとのキスでカスパーの唇が濡れている。
いつのまにかカスパーが自分から熱心にゲープに唇を寄せている。

やはりただの酔っ払いであるコニーは、それに気付けば簡単に切れた。

「カスパー、お前、……何してる?」

低い伯爵様の声は、怒りに震えている。いきなりカスパーの胸倉を掴み上げる。

「お前、俺がキスしようとすると、嫌がるくせに!」

 

だが、酷い酔っ払いが、もう一人残っていたのだ。

「ほら、じゃぁお前も犠牲者になって来い!」

カスパーに詰め寄っていたコニーは、デミアに思い切り押され、みっともなくもたたらを踏むと、ゲープにどすんとぶつかった。

ゲープが、酔っ払いの力強さでコニーをがばりと抱き寄せる。

キスされるのかと思わず伯爵様は悲鳴を上げかけた。しかし、ゲープのキスは、唇ではなく、髪にされる。

「……?」

すんなりと開放されたコニーを、機嫌のいいカスパーが、見下ろす。

「あれで、ゲープ、ちゃんと相手選んでるんだ。ディープなキスをするのは、デミアにだけだ」

「……だから、喜べって?」

カスパーを睨み上げるコニーの緑の目には、キツイ険が浮かんでいる。

 

コニーの胸のむかつきは、転がり込んだデミアの部屋で、ソファーを占拠し、蹴りだした4番を床に寝させた時点で、本物の吐き気へと転化した。

本当に、4人とも、随分飲んだのだ。


カスパーに背中を擦られながら、便器に顔を突っ込む伯爵様からは、涙だけでなく、泣き言もぽろぽろと零している。

「……くそぅ……。カスパー、お前、キス魔だっていいながら、なんで、俺にだけ、しない!」

本当なら、伯爵様は、カスパーの胸倉を掴んで問い詰めたかったのだ。

だが、しかし、吐き気と頭痛が、それを許さない。

「キス、だろ!たかがキスだろ! 畜生っ……!」

むかつきに、カスパーの手を払いのけるが、またゲボリと吐いて、4番に背中を擦ってもらう。

「くそっ! ……なんでお前はそんなに性格が悪いんだ!」

 

 

 

そんな狂乱の一夜を、カスパーもかすかには覚えている。

あまり数多くはないもののカスパーは、飲みすぎれば自分が記憶をなくすことがあるのを自覚している。

昨日の記憶も、吐くコニーが、苦しそうに泣きながらも、文句をがなり立てていた辺りからなら、ちゃんとある。

しかしその前は、あまりに曖昧で、何がどうしてそうなったのかしれないが、コニーが、便器にしがみつきながら、自分にもキスをしろと、わめいていた。

しかし、いくら、泣いていてさえきれいなコニー相手でも、ゲロまみれの口とキスする酔狂さをカスパーは持ち合わせていない。

 

 

 

今日のチーム50はやたら静かだ。

二日酔いと、浮気の後ろめたさが、隊員たちを大人しくさせているだけだが、たまには、こういう日もいい。

特に、アンホフ司令官にとって、とても心休まる日のようで、さきほどすれ違った顔は、にこにこととても機嫌がよかった。

カスパーは、残り少しになった紙コップのコーヒーを飲み干す。

朝方まで吐いたり、泣いたりと忙しかったサブリーダーは、勤務中だというのに、ベンチですやすやとお休み中だ。

その安らかな寝顔を眺めていたカスパーは、そっと辺りをうかがうと、身をかがめ、うっすらと開いたまま、暖かな寝息を漏らすコニーの唇をそっとふさいだ。

唇は柔らかい。

コニーは目覚めない。

「寝てると、本当に天使だな。コニー」

開いた唇の柔らかさに吸い寄せられるように、優しい顔で、もう一度キスしたカスパーは、紙コップを捨てると、そのままサブリーダーを起こさず、自分の机に戻っていった。

 

END

 

 

 

私信:3回に一回くらいは、コニーを満足……させてみたかったんです。

……が、なんだか、なんだか……(><)