好きの匂い
もう、それを見つけたとき、ゲープはどうしていいのか、さっぱりわからなかった。
ある健やかな日曜日の朝、ゲープは、出し忘れていた洗濯ものをデミアに渡そうと、呑気にバスルームのドアを開けただけなのだ。
洗うから、洗濯物を出せと言われた時に、すぐ周りを見回さず、今頃持ってきた自分が悪いと言えば、そう言えるかもしれなかった。
しかし、いくらなんでも、この事態に遭遇させられるとは、酷過ぎる。
大きく開けたドアの中では、黒パンツで鼻も口も覆って、息苦しいほどだろうデミアのペニスを扱く手は、凍りついている。
デミアが、黒わざわざパンツの股の部分を選んで鼻を突っ込んでいる男もののパンツは、ゲープのものだ。
同居が始まってすぐ、悪いとは思ったが、下着が混ざるのはさすがに嫌で、ゲープは、黒を自分の色とデミアに譲らせたのだ。だから、間違いなく、デミアがオナニーするために使用している黒パンは、ゲープのものだ。
「ゲ、ゲープ……」
ゲープは、確かに、チーム50の隊長を務めてはいるものの、こんなことをする部下を正しく導いていけるだけの力量など自分にはないと思った。
何も見なかったことにして扉を閉めたかったが、ゲープの手には、どうしても今日中に洗っておきたい訓練用のTシャツがある。
ゲープの視界の中では、デミアの手の中のペニスが、哀れなほどの変化をみせて、どんどんとサイズを縮めていっている。
つい、気の毒な気持ちにさえなる光景だが、しかし、悪い、気にせず続けてくれとは、さすがにゲープも言えなかった。
「……デミア、いますぐ、やめろ」
出来るだけ、機嫌の悪い顔で、ぎろりと、デミアを睨みつけ、手に持った洗濯ものだけでなく、デミアの手から奪ったパンツも、自分でドラムのなかへと放りこんだ。ばんっと、大きな音をさせて蓋をしめる。
「二度とするな」
デミアは、凍りついたまま、頷くことすらできずにいたが、それ以上の追及はゲープも許した。
その後、
「ゲープ。ごめん。ごめん。本当にごめん」
鬱陶しく縋りついてくるデミアを蹴飛ばしながら、きっちり監視体制で洗い終わった洗濯ものを洗濯竿に干したのだ。それは、それは、よく晴れた天気のいい、日曜の朝の出来事だった。
ところで。
人のパンツをオナニーのおかずにする3番隊員は、はっきりとゲープへの好意を口にしている。
それに対して、ほとんど危機感を抱かず、同じベッドで眠るという大胆さで、接してきたゲープ隊長は、あまりに生々しい現場を目撃して以来、やっと、デミアがどういう気持ちで自分の側にいるのかということを本当の意味で理解した。
だが、ゲープだって、デミアが好きだ。
さすがに、あの日曜の晩は、人の使用済みパンツでオナるデミアのことが気色悪くて、ベッドを一人で占領し、本来ベッドを使うべき家主はソファーへと蹴り出してやったが、夜中に、床へと落ちる音を聞くと、翌日は不憫になりベッドの片方を明け渡してやったほどには、愛着がある。
それどころか、二人の関係と言えば、的確な周期ごとにデミアが股間に手を伸ばしてくるせいで、気持がいいからまぁいいかと、ゲープは、自分もお返しに握ってやるほどの慣れ合いにあった。
ゲープ的には、後、一階段昇れば、何とか、デミアの好意に応えられるんじゃないかと思うのだが、なかなか、その一歩が昇り難い。
ゲープは、洗濯籠を前に、自分に選択を迫っている。
デミアのように、オナニーするところまでは無理だとしても、とりあえず、使用済みの下着の匂いを嗅ぎたい気持ちになれれば、お預けのままじっといい子で待っているデミアの気持ちに応えられるかもしれないと思うのだ。
ゲープは、睨みつけるようにした洗濯の山の上に乗っているデミアのパンツに手を伸ばす。
指先につまんだそれの匂いを嗅ぎたいかと聞かれれば、自信はなかったが、ゲープは匂いを嗅ぐだけならできるような気がしている。
実際のところ、最早、それは、困難なことに挑むチャレンジャーの気持ちであって、自主的に、いや、たとえ、禁止されていたとしても匂いを嗅いでみたかったデミアとは、まるで違う地点にゲープの思考は立脚しているのだが、ぐっと唇に力を込めて、ゲープはそれに鼻を突っ込む。
だが、パンツの布からは、拍子ぬけするほどに、ただ、デミアの匂いがするだけだった。
くんくんと嗅いでみても、やはり、嗅ぎ馴れたデミアの匂いがするだけだ。
「なんだ……」
馬鹿馬鹿しくなって、ゲープは、洗濯を始めた。
ある晴れた日の日曜日の朝のことだ。
二週続けて週末の天気の良かったデミアがまだ寝ていた朝早い時間の話。
END