「お前ら、デミアの2メートル以内に近づくな。会話も禁止だ。命令だ」

射撃訓練場の狭い片隅で使用した銃器の手入れをするためベンチに腰かけていたフレディたちにつかつかと近づいたゲープが言った。フレディが、いきなり何だ?と、不審な気持ちで顔を上げる前に、向かいの椅子に座っていたフランクが軽く何度か頷き、了解と口を開いた。

ゲープは満足そうに頷く。そして、説明すらない理不尽な要求をしながら、フレディにも命令への服従を求め、見下ろし、目を反らさない。

しかし、フレディは、フランクのようには軽くは頷けなかった。

「デミアは、伝染病か何かかかったのか?」

対策について思いを巡らせ、思わず、腰を浮かす。

「……ゲープ。フレディには、後でわかるように言っておく」

フランクが口を挟んだ。だが、隊長命令で近距離への接触を禁止される理由などその位しか、フレディには思い当たらない。それならば、早期の対策が必要なはずで、ゲープを見上げると、正面に座るフランクは懸命に首を横に振っている。

「……理由は聞かずに頷けって?」

「そう」

とりあえず、フレディも、チーム50ルールには少し慣れてはきていた。けれども、今一つ気分が悪く、中腰のままフラディは、ゲープを見上げた。

ゲープもフランクが納得させるからと言った言葉だけでは満足できないようだ。

「命令なんだが? フレディ」

ゲープは、フレディの肩をぎゅっと掴み、座りなおさせ、命令が本気であると圧力をかけてきた。茶色の目は、確かに本気だ。

「……それとも、フレディには、どうしてもデミアに近づかなければならない理由でもあるのか?」

合図を送るように何度も頷くフランクに、強く顎をしゃくって促され、とうとうフレディは頷いた。

「わかった。ゲープ。デミアには、近づかないし、しゃべらない」

「よし、それでいい」

 

「結構久しぶりだな」

銃身を布で磨くフランクは、くるりと踵を返したゲープの背中を見送りながら笑っている。何も考えてなさそうなこの男に促されたのを真に受けて、納得のいかない命令にフレディは従うことになってしまった。サブリーダーとして、それでいいのかと、フレディは自問中だ。

「何がだ?」

「ん? ゲープのデミアに近づくな宣言。デミアの周りに女の影がちらつくと、一気に嫉妬深くなって、ゲープの奴、俺たちにまで警戒しだすんだよ。で、デミアと話をするなって言いだす」

「はっ?」

「コニーがいた頃とか、ちょくちょくあってさ、まっ、その頃も今も俺は、おまけみたいなもんだけど。フレディ、お前は、ちょっと注意した方がいいぞ。俺とお前が出来てるっ思い込んでから、ゲープの奴、お前のこと、敵の一人だって数に入れてるっぽいし、結構、デミアが、お前のこと構うしな」

フレディは、耳を疑った。

「はっ? 命令なんだろ? マジかよ? そんなことに隊長命令が使われてていいのか!?」

それに、フランクの発言には、聞き逃せない部分もあった。

「それに、……お前と俺が出来てるって思いこんでるって、それはゲープの誤解だ。……いや、もし、そうだとしても、……違うぞ。違うけど……でも、そうだとして、なんで俺が敵だと思われなきゃならないんだ!」

これほどフレディが動揺しているというのに、何でもない会話を交わしていたさっきまでと変わらぬ呑気な表情でフランクは、すっかり手の止まってしまっているフレディの手から銃を取り上げた。

分解しながら、口を開く。

「推測なんだが、……フレディは、その、……入れられるのがいいだろ? だから、ゲープはお前がいつかデミアを狙うんじゃないかと疑ってるみたいで」

こういうことを言い出す時に、この男が目を合わせようとしないのは、自分の発言が的を得過ぎて相手を傷付けるのではないかと気にしているからなのか、それとも的を得ている可能性の低さを思い恥ずかしくなってなのか、一度問いただしてみたいとフレディは思っている。

「ああ。うん。勿論、俺とフレディと出来てるわけじゃないし、フレディがデミアを狙ってるわけじゃないもの、知ってるけど」

フランクは目を合わせてきた。その上で、理解を示すように軽く笑う。

その通りだ。

別に、フレディは突っ込まれるのが好きなゲイというわけではない。ただ、ちょっと、大事なアレが時々(というよりは、もう少し多く)機嫌を損ねて、勃起してくれなくなる時があり、このクソ親切な4番隊員は、尻の穴にペニスを突っ込んで前立腺を刺激するというというとんでもない方法で、フレディを治療しようとしてくれている。しかも、信じられないことに、それは効果を上げている。

だが、二人の関係は、ただ、それだけだ。時々、フレディは、フランクにされながら、胸が苦しくなったり、わけもわからぬ幸福感でふわふわしたりするが、あれは、たぶん、仕事のストレスによる情緒不安定だ。

「当たり前だ。なんで俺が、デミアなんかをっ! っていうか、フランクに乗ったのは、ゲープじゃないか!」

「やっ、だから、あれは、酒の上の事故みたいなもんで、すまないって言っただろ?」

フレディが嫉妬しているかのようにフランクが肩を竦めるものだから、フレディは言わなくてもいいことを怒鳴っていた。

「フランク、お前、全然、悪いなんて思ってないだろう!」

まずいと思った。

「……まぁ、……その、……思う必要もないんだが……」

そのことに拘っていることを気付かれたくないフレディがもごもごと続けると、フランクは気にするなと手を振る。

「うん? まぁ、そうなんだけど、でも、謝っとく方が、いい奴みたいだろ?」

にこにこと呑気に笑うフランクを、時々、フレディは絞め殺してやりたくなる。

 

 

「お前ら、また痴話喧嘩?」

聞きなれた声が聞こえて振り向けば、にやにや面白がって笑うデミアが立っていた。聞き捨てならない発言に、フレディが睨みつけているというのに、デミアは気にした様子もなく近付きかけて、驚いた顔になり頷いた。そして、足を止める。

フレディが振り返ると、フランクが近づくなのサインを送っていた。

立ち止まったが、デミアは怪訝そうな顔だ。だが、思い当たったようだ。

「もしかして、ゲープか?」

隊長命令に従い、律儀にフランクは声に出さず頷く。表情だけで十分にわかる『何をしたんだ、お前?』の質問に、デミアは、ふうっとため息を吐き出すと、肩を竦めてみせた。

「全然。ゲープが嫉妬する必要なんて一個もねぇ。……ただちょっと、昔の彼女が、最近別れたみたいで、ちょっと話を聞いてやっただけだ」

最低だとサインで示したフランクに、デミアは顔を顰める。

「しょうがねぇだろ。向こうから電話がかかってきたんだ。ゲープはちょうどいなかったし、少し話を聞いただけだ」

それなのに何故だ?は、いくつもある部隊のサインを使っても、伝え合うのは難しかった。察したデミアが笑う。

「あいつ、携帯の履歴を見るんだよ」

にこにこと気にした様子もなくデミアが口にするのを、フレディはそれこそ最低なんじゃないかと眉を潜めた。

しかし、デミアは気にした様子もない。

「かわいいだろ。ゲープ、すげぇ、こそこそチェックするんだぜ。どうして毎回風呂入る時に机の上なんかに放り出してあるのか、考えればいいってのに、俺が出てくると、ものすごくわざとらしく誤魔化そうとしてさ」

フレディは、こんな馬鹿っぷるに振り回されて、命令に従っている自分が、ほとほと嫌になりそうだった。

だが、フランクは、そんな自分の立場をまるで気にした様子もなく、慣れた様子で、サインを使い、普通に会話を成り立たせている。

 

「今回の禁止範囲はどの位なんだ?」

指を2本立ててみせたフランクに、デミアは、驚いた顔をした。

「なんでだ? 夕べ様子がおかしかったから、十分説明して、あいつもわかったって言ったんだぞ。仲直りのエッチだってしたし。2メートルって、そりゃ、警戒ランクAだろ」

2メートル離れていては、訓練で組むことなど無理だ。

フランクが、フレディを指差す。注目され、フレディは居心地が悪い。

「……こいつ?」

うんうんと、フランクが頷く。

「はっ? ゲープの奴、こいつのこと俺が狙ってるとでも思ってるのか?」

デミアは露骨に嫌そうな顔をしており、フレディもデミアを睨みつけた。しかし、頷きながらもフランクが微妙な表情をする。フレディが睨み上げるデミアの顔にはゆっくりと別の表情が広がっていった。

デミアは、面白がって笑いだす。

「あいつ、……こいつが俺を狙ってると思ってるわけか?」

 

「お前っ! 馬鹿っ!!」

「フレディ、命令は守れ!!」

大声が射撃訓練場に響き、銃を構えていた他のチームの男たちですら振り向いた。それを気にする様子もなく、つかつかと大股で近づくゲープはデミアとフレディの間に割って入った。ゲープはひたりとフレディを睨みつける。

「2メートル以内に近づくなと言ってあったな」

ゲープは、フレディとデミアの近さを指摘する。通路に近いベンチに座る分、奥にいるフランクよりフレディの方がデミアに近い。確かに、間は2メートル開いていないかもしれない。しかし、フレディの故意でない。

「こいつがっ!」

デミアを指差せば、さらにゲープの目は据わった。

信じられない気持ちでフレディが振り返れば、フランクが、慌てたようにデミアに向かって、もっと離れろのブロックサインを送っていた。

「話もするなと言ってあったろ」

一歩下がったデミアを、ゲープは完全にフレディの視界から隠す。

隊長は目を据えて、腕を組む。

フレディの視界は、理不尽ものでいっぱいだ。
ブロックサインが送られているのは、デミアだけではない。大きなゲープの叱責を聞かされた射撃訓練場のあちこちから、「従っとけ」のサインがフレディには送られている。

ゲープの剣幕に驚かされた顔たちは、諦めろと言わんばかりの表情だ。

背伸びしたデミアまでゲープの背後から、ゴメンとサインを送っている。

 

確かに、どれだけ馬鹿馬鹿しい命令であったとしても、事実、フレディは従わなかった。

警察機構は縦社会だ。ここで、フレディが引かなければ、チーム50の体面にかかわる。

ゲープはチームの隊長だ。面子もある。

下位隊員であるフレディはぎりぎりと苦虫を噛み潰す。

 

「悪かった。以後は気をつける」

 

 

 

 

「くそっ! なんで、ゲープの奴は、俺がデミアを狙ってるなんて!」

腹の虫が収まらず、イライラと足を揺するフレディに、フランクがポリポリと頭を掻いた。

「……あー、あのさ、そういや、さっき、ちらっと思いだしたんだけど、昨日、ゲープがすぐ治ったデミアのを使えば、なかなか治らないフレディでもすぐ治るんじゃないかなーなんてことを、ゲープとしゃべって……」

 

 

 

お前かっ!