コンスタンティン・フォン・ブレンドープのてぶくろを買いに

 

とあるドイツの森の中、そこには猫の国がありました。

 

「ゲープ。俺は新しい手袋が欲しい。どうしてもいるんだ」

言い張っているのは、ドイツ森猫国警察局で一番の美猫だと噂のコンスタンディン・フォン・ブレンドープ伯爵猫です。

白猫のコニーは、真っ白な自分の手をほらっとゲープに差し出しました。掌が赤くなっています。

「さっきの突入の時に、援護で銃を撃ったら、こんなにも赤くなった」

うんざりとした顔で自分の装備を備品室へと返しながら、コニーを諌めるのは、はしばみ色をした隊長猫、ゲープです。

「コニー、それは、お前が破れた手袋をいつまでも使ってるからだろう」

「だから、新しいのを寄こせと俺は言ってるんだ。ゲープ」

「だから、それこそ、何度も話をしただろう。コニー。お前のために用意された、新しいのを使え。どれだけお前がこだわろうと、カスパーは、もうドイツ森猫国警察局の手袋を作るのはやめてしまったんだ。彼が作った新しいのは無理だ」

毎回、ゲープがコニーの欲しがるカスパーの手袋はもう手に入らないと言うたび、コニーの目が泳ぎます。

こんな目をされると、ゲープはまるでこの白猫を、自分が苛めているような気分になります。

けれどもゲープはチームの隊長猫として、部下に言い聞かせなければなりませんでした。

「コニー、お前が色んなものにこだわりのある猫だということは、よく知っている。だから、俺はシャワールームにお前が自分専用のシャンプーを持ち込んだのにも目をつむっている。だけどな、任務時の装備だけは、きちんと装備しろ。それは、ひとの命を守るだけでなく、お前の命を守ることでもあるんだぞ」

 

それにしても、たかが手袋に拘るコニーの様子は変なのでした。

確かに、コニーは、大半の地味な猫たちからみれば、ハンサムな上、伯爵家という高貴な家柄の出で、いけすかない猫ではありましたが、猫国警察局の精鋭チーム50のサブリーダーに任命される猫なのでした。決して、顔のいいだけの猫ではありません。それが、コニーが言い張ります。

「手袋をしないという理由で、俺を任務に就けないというのならそうしろ! でも、俺は、カスパーの手袋じゃなかったら、絶対に手袋を装備しない!」

これでは、まるでの子猫のようです。

確かに、自分たちは、町に住む人間たちが飼うような子猫サイズの猫族でしたが、けっして、二人は子猫ではありません。

もう、この言い争いは、ひと月は続いていました。いい加減ゲープもコニーを納得さえるべきだと思っていました。

コニーの手袋はとうに破れ、けれども、コニーは、決して新しい手袋をしようとはしないのです。

前回も、その前回も、射撃の反動で手を真っ赤にさせたコニーが、今のままの手袋で仕事を続けることは危険過ぎです。

「ゲープ。俺を町に出せ!」

とうとう、チーム50の隊長猫は、しぶしぶ口を開きました。

「わかった。コニー。許可する。お前、これから、町まで行き、カスパーの店に手袋を買いに行ってこい。ただし、町には、俺達、猫とは違う人間がたくさんいる。わかってるだろうな。気をつけて行くんだぞ」

町に戻って店を出した人間のカスパーが、果たして、猫のために手袋をもう一度作る気になるかどうかはわかりませんでした。

けれど。

確実にコニーは、無理を知りながら、こだわり続けているのです。

 

コニーを心配する隊長猫は、親友兼、信頼できるチームの3番隊員である黒猫のデミアをコニーのお供につけて出しました。

 

手袋を買いに出る森猫にとって、脅威は町の人間たちだけでなく、雪深いドイツの森にもありました。

森から町へと抜けるのは小さな猫族にとって、容易ではありません。

「なんで、俺がこんな目に……」

ドイツ森猫国警察局の誇るGSG−9のメンバーである猫でしたが、デミア猫は、もう何度か雪玉となって転がるような酷い目にあっていました。

今もまた、枝に降り積もっていた雪がばさりと落ちてきて、コニーは命からがらその豪雪の下からはい出ています。

小さな体がくぼみにできた雪溜まりにずぼりと嵌まって、デミア猫は、生き埋めになりそうです。

 

「コニー、どうして、そんなにカスパーの手袋がいいんだよ?」

デミア猫は不思議でした。

確かに、カスパーは、やさし……いかどうかは、今一つ不確かでしたが、穏やかな無表情をしながら、猫たちの手をじっくりと調べ、丁寧に、丁寧に手袋を作るいい職人でした。

けれど、たかが、手袋一つのこと、デミアは、命がけでこの森を下り、自分たちとはまるでサイズの違う人間たちの住む町まで行く気にはなれません。

「奴は、俺のこの手にぴったりの手袋を作ってくれるんだ」

「カスパーは、手袋職人なんだぞ。そんなの当たり前じゃないか。カスパーの手袋は俺の手にもぴったりだった」

デミア猫は、やっとゲープの許可を取り付けたというのに、白猫の顔が強張ったままなのが、とても気がかりです。

今度は、白猫が、雪溜まりに足を取られ、無様に頭まですっぽりと埋まって、普段のクールさはどこへやら、酷い有様になりながら、デミアの手を借りる始末です。

「おい。そんなに焦るなって。普段の余裕はどうしたんだよ。伯爵様」

しかし、聞かれても、雪の中に埋まるコニーの目は揺れるだけで、答えることができませんでした。

なぜなら、何故かは、この白猫にも、わかっていなかったからです。

手袋一つです。

猫国警察局の本隊員に、出入りの手袋職人がわざわざさようならの挨拶を交わす必要も習慣もありませんでしたが、それでも、急にカスパーに会えなくなって、手袋が破れ、コニーは激しく動揺したのです。試しにこの猫は新しい手袋をしてみましたが、その動揺は全く収まる気配がありませんでした。

デミアは、コニーを雪の中から、引っ張りだします。

 

雪は酷く降っています。

「なぁ、コニー、お前、カスパーがお前のこと忘れてたらどうするんだよ?」

デミア猫は、雪の上を走り抜けていく白猫に並走しながら、一番気にかかっていたことを聞きました。

質問に、コニーの目が激しく揺れました。

 

デミア猫は、ちらりとコニーを見て、先を走りだしました。

「コニー、早く行こうぜ。もっと雪が酷くなりそうだ」

 

 

 

もうとっくに日は暮れ、一日の作業を終えたカスパーが家の戸締りをしている最中のことでした。

トントントンと小さくドアが叩かれます。

この雪深い日の、こんな夜更けに誰がと、カスパーが驚いてドアを振り返ると、真っ暗な部屋の中、ほんの僅かに開いたドアの隙間から真っ白な小さな、小さな手が差し出されました。

白い掌には、銃を連射した衝撃でついたとおぼしき赤い跡。

「この手にあう手袋をひとつ下さい」

「……コニー?」

カスパーは、コニーの名を呼びながらも、自分の見ているものが信じられませんでした。それは、確かにコニーの手です。けれど、猫国の住民は、とても警戒心が強く、決して人間の溢れる町へは下りてきません。町に降りたカスパーは、もう二度とこのきれいな白猫となど、会えることはないだろうと思っていたのです。

 

「コニー、カスパーが今、お前の名前を言ったぞ!」

デミアは、カスパーがこの友人の猫の名前を覚えていたことに大喜びでした。それは、泣きそうな顔になりながら、ぐっと奥歯を噛みしめたまま、それを押し隠そうとする白猫の数十倍もすごい興奮でした。

黒猫は、カスパーの庭のなかを駆け回ります。

「コニー! カスパーはお前のこと覚えてたぞ!」

 

カスパーは、ドアの向こうでフギャフギャとうるさい猫の声にも聞き覚えがありました。

「デミア……? どうしたんだ、お前たち?」

 

扉を開けたカスパーは、さらに驚きが隠せませんでした。

二匹の猫は、毛皮に酷く雪をつけ、まるで雪玉のようになっており、おまけに、二人とも、ぼろぼろになったカスパーの作った手袋をしています。

いえ、コニーは、カスパーが扉を開けてしまう前に、見せた右手以外につけていた手袋を脱いで隠そうとしましたが、カスパーが扉を開ける方がちょっと早かったのです。

 

デミアの手袋は何度も作ったカスパーですが、とても丁寧に手袋を扱ってくれたコニーのものを、一度しか、カスパーは作ったことがありませんでした。

ただし、このきれいな白猫は、よく手袋を破っては現れる黒猫に付き合って、カスパーのところへやってきました。

けれど、このきれいな猫は、いつもつんと澄ました表情で、遠巻きにみていただけです。

 

白い小さな手は、もう一度カスパーに差し出されました。

「この手に合う手袋が欲しいんだ。カスパー」

カスパーは、彼のために屈みました。

しかし。

「……ああ、いや、嬉しいんだが、もう、猫用のは作っていなくて」

きれいな緑色をした飴玉のような猫の目が、大きく揺らぎました。

「……そうか。だったら、もう、い」

「カスパー! 一つだけでいいから、コニーのために手袋を作ってやってくれよ!」

急に、黒猫に飛びかかられて、カスパーはびっくりしました。

「こいつは、ひと月もゲープと言い争って、やっと町まで降りる許可を取り付けたんだ。金は勿論払う。一組でいい。なんだったら、もう破れて使い物にならなくなったコニーの右手の分だけでもいいから、カスパー、頼むから、コニーのために手袋を作ってやってくれ!」

 

「デミア! カスパーは迷惑だと言っている!!」

白猫は、悲鳴のような声で怒鳴りました。

 

 

 

「デミア、痛い」

必死に爪を立てて、縋りついてくる黒猫に、カスパーは苦笑しました。

決して泣かない友人のために潤んだ黒猫の目は、今にも顔からこぼれおちそうでした。

小さく震えているコニーは、頑なにカスパーと目を合わせようとしません。

カスパーは、コニーの小さな手をそっと自分の手の上に載せました。

 

「そんなに、雪に濡れて、寒いだろう? 中に入ろう」

 

「……なぁ、コニー、手袋は何の皮で作って欲しいんだ?」

 

 

 

 

カスパーの手袋屋は、9時から5時までが営業時間です。

時間をしっかりと守るカスパーは、きちんと9時に店を開けますし、そして、5時には店を閉め、その後、注文の入った手袋を作るのです。

けれど、月に2度、店は、夜明け4時頃が閉店になります。

皮が硬過ぎるとか、柔らか過ぎるとか、指が動きづらいだとか、カスパーの作る手袋にちっとも満足しないきれいな白猫が訪ねてくるのです。

 

END