伯爵様と、カスパー様 2
彼が部屋で寛ぐ姿は、半年前に比べれば、激減した。
お気に入りのソファーに置かれたクッションは、家主が本を読む際、邪魔になって、床に放置されることすらある。
今日だって、それは、床に置かれたままになっており、それに気付いたきれいな彼は、少し咎めるような目つきでカスパーを眺めると、自分で拾い上げ、元の位置に戻した。
二つ積み重なる形になったクッションは、そのまま彼の枕になる。
ごろりとソファーに転がったコニーは、大したものが出てくるわけでもない夕食を待つため、寝転んだまま手を伸ばし、机に積みあがる雑誌から一冊を引き出す。
「できるなら、早いとありがたいんだが」
緑の目で雑誌の文字を追いながら、金髪は、カスパーを見ず、注文だけをつける。
「うまかった」
食事が済めば、必ず礼の言葉を言うところは、このきれいな男の褒めてやってもいい数少ない部分だ。
けれど、食べた皿を運ぶわけでもなく、当然とカスパーが机の上を片付けるのを、今回も金髪はぼんやりと眺める。
だが、今日、彼は珍しい行動を起こした。
食べ終わったカスパーが、皿を洗うためにキッチンへと立つと、しばらく経ってその背を追ってきた。
「どうした?」
振り返るカスパーに、キッチンの敷居を半歩分だけ越えたコニーは、なれないことをしている自分に度惑っているかのように小さく頭をかしげていた。
「いや、……」
言いよどむ金髪の整った顔に浮かんだ正直な躊躇いに、カスパーは小さく苦笑した。
「あ、の、……な、カスパー、……それほど長く、居られない」
「ああ、そうだろうな。食い逃げるつもりだろ?」
半年前、帰りを待ってくれる人をコニーは手に入れたのだ。カスパーは、久しぶりに二人分になった皿を水で流す。
「夕食、食って帰って平気だったのか?」
「ああ、それは……」
はぁっと、コニーは、大きなため息を吐き出した。
「意地が悪いな。お前」
スナイパーらしく長く細い指が、額に掛かる髪をかき上げる。
「気付いてて、わざとやってるのか? それとも、俺の言ったこと、本当にわかってないのか?」
「どういう意味だ?」
かき上げたところで、さらさらの柔らかい髪は、すぐに額へと降りかかり、金の髪の間から、苛立つ緑の目がカスパーを睨む。
出しっぱなしにしていた水を止めたカスパーは、その顔に誘われるように戸口のコニーへと近づいた。
カスパーは、開いたままのドアに手を付き、コニーを見下ろす。
「長くは、居られないと、言ったんだ」
「わかってる。引き止めたりしない」
苛立つ唇の形が、かわいらしく、そっと触れるだけ、カスパーはコニーへと唇を合わせた。しかし、すぐ離す。
だが、長身のカスパーにあわせ、少し角度の上がったコニーの顎が、離れた唇を追った。
開いた唇が、まるで噛むようにカスパーの口を覆う。
重なる前から、姿を見せていた舌は、カスパーの唇を舐め、そこを開くよう請求し、うっすらとカスパーが唇を開いてやると、ぐっと体を寄せてきたコニーのせいで、カスパーはドアへと背をつける支える必要ができた。
だが、一方的に近いキスでは、コニーにとって不満だったようだ。
伏せられていたはずの緑の目が開かれ、カスパーを睨む
カスパーは舌を伸ばして、コニーの口の中へと差し入れた。
口内を愛撫すように舐めてやれば、傲慢な緑は、長い睫に隠れ、うっとりと伏せられる。
絡む舌の音の合間に、小さく息の音をさせ、きりなく繰り返されるキスは、頭を抱くように引き寄せるコニーのために、カスパーの背を少しかがめさせていた。
「コニー」
いつまでも、コニーが離さず、カスパーは、二人の体の間に手を差し入れた。
キスが中断され、ありありと不満を載せる顔は、唇がいやらしく濡れて光っている。
それは、カスパーの唇に自然と笑みを浮かべさせる。
「早く帰るんだろう?」
コニーが近づき過ぎないよう、カスパーは手のひらを体の前に突き出していた。
「ああ、そんなに遅くはなれない」
「だったら」
これ以上煽るなと、やんわりと、止めたカスパーを、コニーは、焦れたような馬鹿にするような顔で、見上げてきた。
「カスパー。……そんなには遅くなれない、だ」
半年前の出来事以来、カスパーが得ることの出来るようになったコニーは、チーム50のチームメイトとしての彼だけだった。
あまりにそっけないコニーの態度は、何度でもそれをカスパーに思い知らせていたため、カスパーは、コニーの言葉を、深読みもせず捉えていたのだ。
あまりの察しの悪さは、カスパーに軽い自己嫌悪さえ湧き上がらせていた。
落ち込みと、まだ、折り合いをつけていないというのに、じろじろと眺めてくるコニーの目がわずらわしく、カスパーは俯く。
だが、その目をわざわざコニーは覗き込む。
カスパーが目をそらしても、まだ、追う。
「やっと、わかったか」
完全に馬鹿にしている緑の目は意地が悪かった。
だが、
「……悪かった」
「お前の、そこで自分から謝るところが、……好きなんだ」
今度のキスは、二人とも同じ距離だけ近づいた。
「待て! 何でお前まで寝てるんだ!」
珍しい大声でわめくコニーの声で目を覚ましたカスパーは、そのうるさに頭を振った。
「……知るか。誰も起こす約束なんてしてないだろ」
ズボンに足を通したコニーは、手に握ったシャツで、まだ殆ど枕を離れていないカスパーの頭を叩く。
「遅くまで居られないって言ってあったろ!」
大きくあくびをしたカスパーが、寝返りをうち、時計を見上げれば、針は夜中の2時を指していた。
コニーの青ざめる顔の意味は、十分に分かる。けれども、
「……コニー、近所迷惑にならないように、静かに帰れよ」
ベッド脇で、慌てたようにベルトを留めるきれいな金髪は、カスパーを殴りかねないほどのきつい目で、睨んできた。
「コニー、もう、そこまでの面倒はみない」
カスパーは小さく笑った。
「奥方に、しっかり謝れ」
苛立ちをぶつけるように大きな音で閉められたドアの音に、カスパーは笑った。
END