伯爵様とカスパー様 1.8

 

駐車場の自分の車へと向かおうと歩いていたカスパーは、ゲープの車の助手席ドアがすごい勢いで開けられたのが見えた。

ゲープは、運転席の人間にどうやら腕を引っ張られるか何かしているらしく、車を降りようとしているが激しく揉み合っている。

「放せ! この馬鹿!」

しかし、チーム50の隊長は勢い良く振り払うと、車から飛び出す。

「ゲープ。機嫌直せってば!」

もう車を出そうと、シートベルトでもしていたのか、這うようにしたデミアは、助手席から僅かに顔を出し懸命にゲープを呼んでいた。けれど、ゲープは完全に臍を曲げているようで、足に触れようとするデミアの手を叩いた。

「一人で帰れ! 俺はもうお前の車には乗らん!」

周りを気にせず、大声で怒鳴るゲープは、その車が自分のものだということや、帰る家が一緒なのだという問題はどうでもいいようだった。

「ゲープ!」

なんとか機嫌を取ろうとデミアが、すがるように呼んでも、ゲープは足を上げ、デミアを車の中へと蹴りこむと、バタンと豪快にドアを閉める。しかも、ドアが窪むのではないかと心配になる勢いで、助手席ドアにドンっと足をかけ、開かないようにまでする。

「悪かったって、ゲープ!」

やっとシートベルトを外し、助手席に移ったらしいデミアはドアウィンドーを開け、そこから顔を出すとゲープ懐柔を試み始めた。だが、ゲープは横に顔を振る。顔はむっつりとしたままだ。

「悪かったというのなら、何が悪いのか、言ってみろ! デミア!」 

「わかんねぇよ、お前、いきなり怒り出したじゃん。わかんねぇけど、でも、お前、怒ってるんだろ? 俺に腹立ててるんだろ?」

「悪いとも思ってないくせに謝るなんてお前は、最低だ!」

「確かに、そうだけど、何でお前がいきなり怒り出したのか、さっぱりじゃぁ、謝るだろ!」

「そういう風だから、お前は最低なんだ!」

 

ゲープは唾を飛ばさんばかりに怒鳴っている。

だが、それをものともせずに、デミアは懸命にゲープの機嫌を取ろうとしている。

完全な痴話喧嘩だ。

これを、職場である警察局の駐車場で白昼堂々盛大に行えるのが、さすがゲープとデミアだ。

同じチームであってもカスパーは、さすがにこの件に関わるのが恥ずかしく、自分の車に近づく足を緩めている。

デミアが窓から手を伸ばしてゲープに触れようとし、すると、ゲープが車が揺れるほどの勢いでドアをドンっと蹴った。

デミア相手となれば、本当にゲープは容赦ない。

「帰れ! デミア!」

「ゲープ。お前、どうやって帰るつもりなんだよ!?」

「うるさい。そんなことはお前には関係ない! とっとと出せ! デミア!」

ぎろりと自チームの3番隊員兼親友で、しかも、現在、転がり込んでいる先の家主を睨み付けているゲープは、車には絶対乗らないと、仁王立ちだった。

一度言い出したゲープが頑固なことは、同じチームに属していればすぐわかることだ。カスパーなどより、余程ゲープを知っているデミアは勿論それを知っていて、がっくりと肩を落としている。

それでも、やはりデミアは粘る。

「……なぁ、ゲープ。悪かったって。一緒に帰ろうぜ……」

「帰らないと、言っている!」

ゲープは車の後ろまで移動し、げしげしとバンパーを蹴る。

「帰れ。デミア!」

 

とても未練げな目をしたデミアが、何度も後ろを振り返りつつ、のろのろと車を出しても、ゲープは腕を組んだ仁王立ちで、車をじとりと睨み付けたままだった。

けれど、車が道路に出、完全に姿を消すと、途端にゲープの目が不安そうになった。

組んでいた腕を解いたゲープは、車の消えた方角をしきりに気にし、背伸びまでして覗いていた。多分、車が戻ることを期待していた。

しかし、デミアの運転する車は戻らない。

多分、ゲープは、デミアと一緒に帰りたくなかったのも本当だったのだろうが、デミアが自分を置いて帰るはずがないとも思っていたのだろう。

まるで捨て犬のごとき頼りなさで立ち尽くすチーム50の隊長に、カスパーははぁっとため息を吐き出した。

 

 

近頃、この駐車場では、いろんなものを拾うことを強要されると思いながら、カスパーは、ゆっくりとゲープに近づく。

『捨てゲープ』は、この間の子猫より、よほど頼りない顔をして駐車場の入り口をじっと見ながら立ち尽くしている。

 

 

「ゲープ。乗ってくか?」

カスパーが声をかければ、びくりとゲープは驚いたように肩を震わせ振り向いた。

そして、今まであれほど堂々と晒していた自分たちの喧嘩を、急に恥ずかしく思いでもしたのか、ゲープは少し顔を赤らめ、気まずそうに俯く。

「帰る足に困ってるんだろう? 無理にとは言わないが、乗っていかないか?」

カスパーが尋ねれば、ゲープは、確かにどうやって帰ろうかと困っていたようで、ゆっくりと顔を上げた。

瞳は、かすかに救いの手に安堵の表情を浮かべている。

「いいのか? カスパー?」

カスパーが頷けば、ゲープはカスパーの背についてくる。

 

 

「コニー! お前、自分の犬は、しっかり首輪しとけよ! くそっ! カスパーの野郎、ゲープを連れ去りやがった!!」

駐車場から一度車を出さないことにはゲープの機嫌が治まりそうもなく、警察局周辺をぐるりと一周したら、ゲープを迎えに行くつもりだったデミアは、急いで戻ってきたというのに、駐車場から最愛の恋人が、忽然と姿を消しているのに愕然とした。それにまるであわせるように、いつも着替えが遅くて最後に上がるコニーが駐車場へと現れ、車から飛び出したデミアは有無を言わせず、悪友の首を締め上げる。

「な、何を!?」

いきなりYシャツの首を掴み上げられたコニーは、驚きもあらわに目を見開いている。

「何をじゃねぇよ! コニー、てめー、自分のは、ちゃんと面倒みろ! くそぅ! カスパー! あんな捨てられたような目でじっと車の後ろ姿見てたかわいいゲープを連れ去るなんて!!」

デミアの言葉はまるで足りていないというのに、さすが悪友同士というか、二人はすぐさま意思の疎通を成立させた。すばやくカスパーの車の有無を確認したコニーは目を鋭く吊り上げる。

「はっ!? それは、つまり、デミアお前が、いつもの痴話喧嘩の挙句、ゲープをこの駐車場に置き去りにして、カスパーがそれを拾って帰ったと言ってるのか!?」

足りない言葉は、拳で埋めあえばいいのだと思っているのか、会話の最初からコニーも負けず、デミアの胸倉を掴み上げている。

「違ぇよ! 置き去りしたんじゃねぇ! ゲープがどうしても車出せってきかねぇから、ここの周り一周回って拾うつもりだったんだ!くそっ! ゲープが車から飛び出したとき、カスパーの姿が見えたから、ヤバイような気はしてたんだ。でもな、コニー、お前がちゃんとカスパーの手綱をしっかり握ってさえいればこんなことにはならねぇんだよ! お前、何、自分のを好き勝手させてるんだよ!」

「ゲープが乗せてくれって頼んだんじゃないのか? 運転手さえまともに勤められない鬱陶しいトルコ人が嫌になったんだろ!」

 

二人は、きつく睨み合っている。

首を締め上げられながらも、嫌味たらしくコニーは言う。

「ゲープに振り回され過ぎなんじゃないのか? デミア」

「馬鹿野郎! 何言いやがる!」

デミアもショックだったろうが、コニーもショックだったのだ。

 

子猫もウサギもダメだと言ったくせに、カスパーは『捨てゲープ』を拾った。

 

にらみ合う二人は緊迫した様子だ。

デミアもコニーも手が出るまでには、あと、3秒と言ったところか。

 

 

ちなみに、その頃。

「すまないな。カスパー」

駐車場でデミア相手に、好き放題怒鳴ったことで、気が済んでいるのか、良識を取り戻し、しきりにゲープは、ハンドルを握るカスパーに謝っていた。

「いい、構わない」

カスパーは、『捨てゲープ』は意外と面白いなと思っていた。

ゲープは茶色い目をしばしばさせるように、何度も瞬きを繰り返し、少ししょんぼりしたような様子だった。

デミアに置いていかれたことが余程ショックだったようだ。

だが、そのうち、唇を突き出すようにして、悔しそうに口を開く。

「……なぁ、カスパー、お前のいい方でいい。お前の好きなのにすればいいと、馬鹿みたいにそればっかり言う奴って、だんだんむかついてくると思わないか? ……それって、俺がすごくわがままな奴みたいだろ?」

 

捨てられるとこんなに悲しそうな顔をするのなら、カスパーは何かを飼ってみるのもいいかもしれないと思った。

 

END