ゲープの決意
ある日、ゲープは決心した。
「よし、努力だ。努力しよう!」
ロッカールームにタオルを忘れたフランクは、廊下を戻っていた。交代の時間も過ぎ、無人の辺りは、蛍光灯の光が煌々とついているというのに、空虚な感じでなんとなく居心地が悪い。
大きな背を少し丸めるようにして、先を急いだフランクは、いつも通り、ためらいもなくドアを開けた。
「えっ!……悪っ、悪いっ!!」
二人が、できているらしいことは、うすうすフランクも察していのだが、フランクは、自分の見たものが信じられず、思わずよろよろと後ずさり、備え付けの傘立てを踏み抜きかけた。
大きな音がし、余計に慌てる。
「大丈夫か、フランク!?」
「悪いっ!」
「……あのさ、俺、昨日、ロッカールームで、ゲープとデミアがキスしてるのを見て……」
フランクは、大きな肩を小さくして、まるで教師に言いつける子供のような言い出しにくそうな顔をしていた。着替えをロッカーに片付けようとしていたコニーは驚きに振り返ろうとしたのだが、それよりも先に、カスパーがばそりと口を開く。
「……俺も見た」
「マジ……? やっぱ、あれ、本当だよな? 俺、すげぇびっくりして」
カスパーの同意を得、フランクの肩から力が抜けた。とんでもない現場を目撃してしまった5番隊員は仲間の出現に、ほっとしたらしいが、入れ替わるように、コニーの様子がぴりぴりと尖る。
伯爵さまは、叩きつけるようにロッカーを閉めた。大きな音だ。
「俺は、知らないぞ。どういうことだ。カスパー?」
「事情は知らない。……俺が見た時は、ゲープがデミアに強要しているようだった」
「だよな? そうなんだよ。なんか、俺、もうすげぇ、びっくりして」
フランクも、隊長と3番隊員の関係というか、どうやらゲープがデミアにうまく丸めこまれたようだということは二人の様子から、わかっていたのだ。だから、ただキスしているだけだったら、こんなに驚くつもりはなかった。だが、それとはまるで違う現場に出くわし、動転した。
睨みつけるような機嫌の悪い顔で問いただしてくるコニーに、5番は、困ったようにカスパーの顔を見る。
だが、コニーだって、別居後のゲープがデミアの家へと転がり込んで以来、どうやら本当に出来上がってしまったらしいことくらいはわかっている。けれど、コニーの知る限りでも、好きだ、好きだとうるさい態度に出ていたのは、デミアだ。
「ゲープが、強要していた? デミアがふざけていたわけじゃなく? ……いや、それよりも、あいつら、職場で……!」
一番の問題に焦点を戻した伯爵さまは、もっと詳しく事情を説明しろと、カスパーとフランクの顔を見比べた。
しかし、どれだけコニーが見つめても、推測を好まないカスパーはもうそれ以上口を開かず、仕方なさそうに、フランクが代わりにおずおずと言い足す。
「強要っていうか、ベンチに腰掛けてるデミアをぎゅーっと押しつぶすみたいに覆いかぶさったゲープが、ぶちゅーっていってるって感じで……」
翌日には、その現場を、コニーも見てしまった。
しかも、それは、まだ交代には時間のある早朝だ。
早く着いたコニーは、自販機のコーヒーを買っていたのだ。すると足取り軽く歩くデミアと、その隣で頷くゲープが仲良く同伴出勤してきた。
その光景はそれだけで伯爵さまの機嫌を悪くさせたのだが、しかしコニーも、昨日フランクから聞いたことについては、裏付けの少なさもあり、まだ何かを言うべき時ではないと判断していたのだ。
そして、そうならば、始業時刻までは、まだ間があるのだし、わざわざこの爽やかな時間から、二人と顔を合わすまでもないと、コニーはさりげなく奥まった位置へとさりげなく移動した。だが、思わず、声を上げるところだった。
不意にぎくしゃくと周囲を見回したゲープが周りの安全を確認したのか、デミアの手を握り、それでデミアの顔が強張ったというのに、ぐいっと引き寄せ、いきなりキスをしたのだ。
さすがに隊長であるゲープを引っ張るわけにはいかず、コニーはデミアを吊るし上げていた。勿論、残りの隊員もロッカールームに連れ込まれている。
「デミア、お前、何勘違いして、デレデレしてるんだ!? 職場であんな! あんなの迷惑だってことくらい、すぐわかることだろう!」
金髪の間から癇性に皺を寄せている眉間を覗かせているコニーは、自分の言い分が的を得ていないのは、重々承知だ。しかし、いきなり隊長であるゲープを怒鳴りつけるわけにもいかず、しかも、コニーの頭の中には、ゲープ、ゲープ、うるさいデミアという構図がはっきり出来上がっているから、納得いきかねる現状はいかにもむずがゆく、コニーとしても、どうしていいのかわからず、怒鳴っている。
とにかく、コニーにとってチームの風紀が乱れ、周りからいらぬ口を出されるのは好むところではなくて、そうであるから、コニーは最初からデミア相手に喧嘩腰だ。
「デミア、お前、職場で、何、考えてるんだ!」
サブリーダーに怒鳴りつけられるデミアは、ぽりぽりと頭を掻く。
「悪いとは思ってる」
カスパーは、デミアを睨みつけるコニーの側に立ってはいるが加勢はしない。フランクは、直す必要ないスニーカーの紐を直しながら、険悪な雰囲気の場をなんとか和ませられないかと窺っている。
だが、デミアも、どれだけ吊るし上げられようと、ゲープのご乱心のわけを知っているわけではないから、隊員たちに納得のいく説明ができるわけではないのだ。
ある日、突然、ゲープは職場だろうが、どこだろうが、所構わずキスしたり、抱きしめたりしてくるようになった。
夕暮れの道路でいきなりぎこちなく手を繋がれた時には、驚いたものの、デミアだって嬉しさだって感じたが、今は、デミア自身、一体どうしたんだと、ゲープに聞きたいくらいだ。
「デミア、はっきり言え、これは、どういうわけだ! ゲープは何を考えてる!?」
「実は、俺にもわかんねぇんだ。……あいつ、言わなくて」
あいまいな返事に、コニーの機嫌はますます悪くなるばかりだ。
けれども、自分自身もわけのわからないデミアは、大きな目に少しばかりの申し訳なさを見せるだけで、精一杯だった。
長引くにらみ合いに、諦めたような溜息を吐きだしたカスパーが、尋ねた。
「……デミア、どのくらいの期間になりそうなんだ?」
デミアは、少し考えて口にした。
「……歯磨きチューブのキャップをしめろってうるさかったのも、一週間だったし、そのくらいで、たぶん、ゲープの気もすむんじゃねぇか……?」
だが、今回は、その歯磨きキャップよりも長く気が済まなかった。
いつ、ゲープが、デミアにキスしだすかわからない職場には、おかしな緊張感が生まれている。
しかも、ゲープは、本当に、所構わず、デミアに愛情表現を惜しまなかった。
確かに、厳しい状況で作戦を成功させ、デミアは戻った。
ちょうど、人目も、チームメイト以外にはなかった。
しかし、勤務時間中だ。たった今、人質立てこもり事件を解決したばかりなのだ。
デミアと一緒に戻ったフランクは掴んでいたヘルメットを取り落としていた。
撤収の要請のため、図面に視線を落としつつ、無線に話しかけていたコニーは、口が開いたままになった。
カスパーですら、棒立ちだ。
緊張に硬い体で、がばりと強くデミアを抱きしめ迎えたゲープは、デミアの顔についた煤を指先で擦り落とすようにしながら、頬を包み込み、強く口付けていた。
「戻ってよかった。デミア」
感激を演出するために緊張しすぎなゲープは、デミアの真後ろを戻るフランクすら目に入っていないようだ。
しかし、ゲープはぎゅっと、デミアを抱きしめる。
「……あっ、……ありがとうな、ゲープ」
さすがに、現場でキスされるデミアの顔がひきつっている。
「あれは仕事中だったし悪かったが、勤務時間中じゃない時は、俺の好きにさせてもらう」
ふてくされていると言ってもいいような顔で、ゲープはうつむきがちに言い放っていた。
隊員たちの目は、どんよりしている。
「俺の悪いところは、人前だとかなんだとか、すぐ自分の体面ばかりを気にして、妻を大事にしないところだと常々マヤにも言われてきたんだ。……その、……デミアとは年も違うし、飽きられ……違う! ……せっかくの機会だ。自分を変えようと決意したんだ! ……なんなんだ、その顔は!」
END