第一回拳会議
「では、この件については、もういいか?」
ゲープは、車座に集まっている隊員たちの顔を見回し、質問を打ち切った。
チーム50の会議はいつも小会議室で行われる。ちなみに、隊員たちの前に机はない。各自、プリントされた紙を持ち、隊長であるゲープを起点に、丸く椅子を並べ、顔を突き合わしている。ただし、階級順に右回りのはずなのだが、ゲープの左には、当選の顔で3番隊員が座っている。
「では、最後の議題にいく。チーム内のことで、何か改善した方がいいことがあったら提案してくれ」
この質問に、はいっとチームの最下位隊員であるフランクが手を上げた。
ゲープは顎をしゃくり、目線でフランクに言えと促す。
フランクは、遠慮がちに立ち上がった。だが、どれだけ体を縮め、遠慮がちに立ちあがったところで、周りの空気も読まず言いたいことを言ってしまうのだ。この新人は。
「あの、俺、意見がいいたいんですけど、カスパーのリュックはいつも物が多すぎると思うんです。それで、一つ提案があるんですが、殆ど皆、コーヒー党なんだし、紅茶の茶器セットは外した方がいいと思う。ウォーマーや、砂時計なんて、もう本当にいらないし」
カスパーのリュックの3分の1には、危険物を処理するに当たり必要なものが色々入っている。だが、残り3分の2には、チームメンバーが好き勝手に押し込んだものが詰め込まれていた。
紅茶セットは、ゲープのためにデミアが押し込んだものだ。
フランクも、このカスパーリュックの恩恵にあずかり、作戦の待機時間に、コーヒーを飲んだりしているわけだが、新人は、自分を常に見守りフォローを入れてくれる4番隊員の大荷物を気の毒に思っていた。
そこで、フランクは自分の立場をわきまえもせず、カスパーは無口で言えなんだろうから代わりに言ってやらなければならないと、奮起した。
ゲープがぼそりと言う。
「……俺は紅茶が飲みたい……」
「ゲープの紅茶は外せねぇって。それよりも、伯爵様のご休憩用クッションを出せよ! あれが一番場所とってるだろ!」
すかさずデミアが加勢する。ついでに、友人兼ライバルを機会逃さず攻撃し、指はびしっと、コニーを指していた。
腕を組み、冷静を装っているが、デミアの指差しにコニーの目が据わっている。
勿論、フランクはサブリーダーのクッションの存在も気になっていた。それは、リュックの3分の1は占めている。だが、重量を考えれば、まず茶器セットだ。
「確かにコニーのクッションも邪魔だけど、でも、ゲープはリーダーだし、隊員が迅速に行動できるよう配慮する必要もあるだろ。いろんなもの持たせすぎるのは、カスパーがかわいそうだ。ゲープ、カスパーのリュック、背負ったことあるか? すげぇ、重いんだぞ。コーヒーも飲めるんだろ?」
3番に睨まれながらも、新人フランクは頑張った。ここドイツは、民主主義国家で、だから、勿論チーム最下位の隊員であろうと、発言は許される。
一応、会議もその趣旨で行われている。
ただし。
ゲープが立ち上がった。
「フランク、やはり俺は、紅茶が飲みたい……。だから、お前の意見を受け入れるかどうかは、やはりいつものやり方で……」
GSG-9のあるドイツは民主主義国家でみな平等が原則だ。
だが、チーム50内には別ルールがあった。
チーム内には明確な順位がある。そして、下の者は上に従わなければならない。
意見を言うのは自由だが、下位のものが、上位のものへ意見を通そうとするならば、拳に掛けて勝ちを治めなければならかった。
要するに、腕の立つものが一番偉い。男たちのルールは単純だ。
けれど、まるで、弱肉強食のジャングル。
「……やるか? フランク」
ゲープに促され、ごくりと唾を飲み込んだ後、頷いたフランクは拳を握った。
他の隊員たちは、すかさず椅子を遠ざける。
ゲープのチームの会議がいつも小会議室のような密室で行われる理由や、机が使用されない理由はこれだった。
ただし、普段は主にデミア対コニーで拳対決が行われる。
いつでも隊長の助太刀ができるようデミアの腰が椅子から上がっていた。
これは一対一を基本とするチーム内規に照らし合わせれば違反だったが、コニーがゲープに何かを提案をした時など、ゲープが何か言うより先に、飛び掛っていっているわけだから、一応3番隊員も、新人をかわいがってはいる。
「よし、じゃぁ、ルールはいつもどおり、どちらかが、参ったというまでだ」
だが、拳会議が始まれば、内規は、過去にも一度だって守られたことなどなかった。
フランクの拳を受け止めたゲープが蹴りをいれ、ふっとんだフランクの腕がコニーの顔に当れば、デミアにだけでなく無礼な新人に対しても、ひそかにご立腹だったサブリーダーが、まず参戦した。
華麗なコニーの左アッパーがフランクに入る。
フランクは、隊長と2番隊員を相手に劣勢だ。けれど、格闘技はフランクの一番得意分野で、フランクは、コニーを蹴り飛ばした後、なんとかゲープの後ろを取り、首へと腕を回す。
強く締め上げ、ゲープを呻かせる。
「ぐぅ……ぅ!やるな、フランク!」
そこで、3番隊員のデミアが参戦した。
デミアは、フランクを蹴り上げ、新人がバランスを崩したとこで、コンビネーション良く、ゲープがフランクの顎へと頭突きを決めた。
ほんのりと泣きべそ顔の新人を笑いながら、後ろに下がったデミアは、たまたまコニーの足を踏んだ。
するとコニーは、問答無用でデミアの尻へと蹴りを決める。
「てめぇ! 何しやがる!」
「お前が、そこにいるのが邪魔なんだ。ほら、フランク、突っ立ってないで来いよ。まず、その拳でこの邪魔臭いデミアを吹っ飛ばして、それから、俺に当てて来い」
揉める二番と三番隊員の間にゲープは仲裁に入った。しかし、運悪く、コニーに捕まれていた腕を力づくで取り戻したデミアの甲が隊長の頬に当たった。
「あっ、悪ぃっ!」
「はぁ?」
聞こえんなぁとばかりに、ゲープの拳がデミアを狙う。
痛みから復活したフランクは、ゲープの腰を取ろうと、後ろからがばりと抱きつき、隊長を持ち上げた。
だが、フランクはデミアに蹴りを入れられ、隊長を取り逃がした。しかし、フランクに蹴りを入れたデミアをゲープが笑顔で殴っている。
コニーがすかさずゲープに吹っ飛ばされたデミアの足を引っ掛けた。床に転びかけたデミアは、辛くもコニーを道連れにして倒れ込んだ。
2番と3番が床で縺れ合いながら拳を振るう横で、フランクと、ゲープは拳を握って、荒い息を吐き出しながら、にらみ合っている。
もうこの辺りになってくると、男たちは、殴りあうのが楽しくなっているのだ。
「てめぇ! コニー、まず、お前がカスパーのリュックからクッション出せよ!」
「うるさい、デミア! お前の絶対に出番のないセーフセックスの小道具をまずリュックから出せ!」
またもや、フランクに抱え上げられ、だが今度は、新人の腹を蹴って腕から飛び出し、自力で脱出を図ったゲープ隊長は顔色を変えた。
コニーの発言は聞き捨てならない。
そんなものまで入っているというのなら、今度から、カスパーのリュックは出動前荷物検査も有りだ。
「デミア! お前、任務をなんだと!」
「ちげぇよ! コニーのでまかせだ!」
言うデミアの目はまっすぐにゲープを見ない。
「デミア! ちゃんと俺の目を見て言え!」
3番隊員と揉めていても、ゲープの拳は、フランクの腹に入っている。
新人は呻く。げふげふと咳き込んでいる。
「フランク、お前、腹が弱いぞ」
「ゲープ……あんたたちが、散々殴るから……」
どう見ても、男達は拳でじゃれあっている。
デミアの首を太腿で締め上げ、3番隊員を得意技でおしおき中のゲープは、一人傍観者となっているカスパーに気付いた。
隊長は、注意する。
「カスパー、この前の会議で、会議中一人一発言はするって決めただろ!」
大抵、4番隊員は、この拳会議には参加しないのだが。
前回の会議で、発言の少なさについて改善を求められていたカスパーは、隊長から会議への参加を求められ、一歩前に足を踏み出した。
それに気付いたフランクが、デミアに足を封じられ、拳の先にはコニーのいる状態だというのに、陽気に4番隊員にタッグを組もうと持ちかける。
「カスパー、お前も紅茶セットなんて持たされるの嫌だろ。こういう時こそ言ってやれ! 俺たちが力を合わせれば、1番も2番も3番も」
ちなみに、フランクは顔に青あざが出来ている。
コニーが脅す。
「カスパー、こいつと組む気なら、容赦しないぞ!」
どうやら、どこかで一発、フランクの拳がコニーの顔に入ったようで、伯爵様は、左頬が真っ赤になっている。
カスパーは、拳を固めた。
団子になって揉み合っている同僚たちに近づき、中から新人をつかみ出した。
「だよな! カスパー、やっぱ、俺と」
嬉しそうな顔で笑うフランクの腹へと、カスパーは重い一撃を決めた。
「う、そ……」
崩れ落ちる新人に、皆の動きが止まる。
「フランク、心配してくれるのはうれしいが、事前に俺に相談してから発言しろ」
さほど大きくない声でカスパーが発言したことは、実にもっともで、意識を失いつつある新人は、世の常識をまた一つ、身をもって知った。
「いい話し合いが持てたな」
体のあちこちは痛むものの、楽しく拳を振るったゲープは、にこにこと機嫌がいい。
隊長の機嫌がよければ、それでもう世界は幸せな3番隊員も、笑顔だった。
カスパーは呻く新人の腹に冷シップを貼ってやっており、チームの中では、確かに一番クールかもしれないが、なんだかんだ言ったところで、所詮体育会系のコニーも、久しぶりの拳会議に仄かに表情を緩めていた。
喧嘩するほど仲がいい、それが、チーム50だ。
会議の議題がなんだったか、もう1番、2番、3番隊員も忘れているが、
「なぁ、みんなで肉でも食いにいかないか? おごるぞ」
コニーの提案に皆、笑顔だ。
「なぁ、……カスパー、茶器セット、ほんとによかったのか? リュック、30キロ越えてるだろ」
腹が痛いとわめきつつ、二皿目のステーキを頬張るフランクが、こっそりカスパーに聞いた。
ぼそりとカスパーが答える。
「いい。……べつに重くない」
新人は、まず、カスパーの無口を大人しいのかと誤解している自分の認識を改めるべきなのだ。
END