バーカ

 

ある日突然、デミアは気づいた。

「お前さ、カスパーとフランクのこと、すげぇ、上手くかわしてるのな」

帰り支度をするため、ロッカーの中からジャケットを取ろうとしていたコニーは、こちらを見たが、眉をひそめた怪訝そうな顔だ。

「なんのことだ?」

「なんだよ。シラを切る気か?」

からかおうと、デミアが肘で軽く腰を押すと、コニーの眉間にはますます皺が寄った。コニーは、まるで心当たりがないという顔だ。

「今更って言う気なのか?」

「だから、何が?」

けれど、言うコニーの声は小さかった。ジャケットに袖を通し終わると、コニーは、まるで時間を確認するように時計を覗き込みながら、会話していること自体を誤魔化そうとする。デミアは、靴の紐を結びながらそんな友人の顔をにやにやと眺めて、口を開く。

「あいつらがお前のこと狙ってるの十分承知で、お前、友情にひびが入らない程度にうまくかわしてるだろ」

やっとコニーが驚いた顔をみせた。しかし、すぐに意地の悪い笑みを浮かべ、デミアの顔を覗き込む。

「それは、それは。デミア。お前、ずいぶん聡いな」

そのコニーの顔から、デミアも、それはもうコニーにとってずいぶん前からのことだったのだと悟った。

しかし、デミアは今日、不意に気づいたのだ。だから、

「お前になんか興味ねぇもん」

ばっさりと言った言葉に、一瞬、コニーの目が泳ぎ、デミアは、気取り屋の友人に、仕返しの一撃をくらわせることができたことに満足した。気分を害したのか、コニーは帰り支度を速める。だが、こんな面白いことに気づいて、デミアにコニーを逃がすつもりはない。

「なぁ、コニー、なんで、あいつらじゃダメなんだ?」

デミアは着替える4番と、5番に視線を流した。二人は会話されていることにも気づかず、周りと話しながらゆっくりと着替えている。改めて見るまでもなく、両方ともなかなかのハンサムだ。

「二人とも、……まぁ、フランクはちょっと心配だけど、カスパーは、完全にわきまえてるだろ。遊ぶ相手には悪くねぇじゃん」

コニーの目が、何かを迷うように動いた。

それを思い切るように、コニーは、ばんっと音を立てロッカーを閉める。デミアはその音に少しだけ肩を竦めた。

コニーはちらりとデミアを見て、いかにもわざとらしく溜息をはぁっと吐き出す。わざと耳元まで唇を寄せ囁く。

「男とは遊ばないんだ」

「なんで? お前、そんな奴?」

からかいに、もう一度、コニーの目が、迷うように泳いだ。

何を迷っているのかわからぬまま、着替えもそっちのけでデミアは、にやにやわらってコニーの顔を見ていたのだ。

だが、いきなりきっぱりとコニーが言った。

「デミア、お前が好きだから、他の男とは遊ばないんだ」

 

「はっ?」

くるりともうコニーは、背を向けていた。盛大な置いてきぼりをくらいながら、コニーが漏らした言葉が、あまりに思いもかけず、驚くデミアは、ずいぶん遅れたリアクションを返すしかなかった。

「おい、お前、それ、マジ? それとも、それは、コニーちゃん流の素敵な冗談って奴か?」

もう5歩も歩いたコニーの背中に慌てて大声を浴びせかける。

コニーは、背中を向けたまま、皆に軽く手を振ってロッカールームから出て行こうとしていた。

振り返りもせず、デミアに大きく手だけを振る。

「本当だ。今日は、びっくりすることばかりで、楽しいだろ。デミア」

 

 

楽しくコニーを弄っていたはずが、自分が思い切り怪訝な顔をするはめになったデミアは、取り残されたロッカールームで、やっとTシャツを頭からかぶりながら、このジョークにどう切り返すべきか悩んでいた。

「先、帰るぞ。デミア」

ゲープが声をかけてきて、デミアは、すぐ追いつくと、返事をする。

にやりと笑って、デミアはコニーの携帯にメールを送信する。

『コニー、俺のこと好きだって言うなら、オナってるお前のビデオをみせろ』

悪質なジョークには、仕返しも悪質で上等だ。送信画面を見つめながら、デミアは、コニーがメールを見た時の、むっ顰められた緑の目のことを想像し、自然と口元が緩むのが自分でもわかった。

今日の突発的な楽しみを作るきっかけとなってくれた、不器用なフランクの肩をぽんっと叩くと、デミアはゲープの後を追うため、ロッカールームから飛び出す。

「じゃ、お先な」

 

 

次の日、全くコニーの態度が普通で、嫌味のひとつも言わなければ、もちろんおかしな動揺もみせず、デミアはつまらなかったのだ。

 

だが、その翌日、帰ろうとロッカーをぽんっと閉めたところで、コニーに肘を掴まれた。

手の中でバイクのキーを遊ばせながら振り返ったデミアは、一瞬だけ見つめてきた緑の目がすぐにそらされ、困惑した。茶色い封筒がつき出さる。

「持ってきた。見てみろ」

強引な態度のくせに、金の髪から覗く、コニーの白い顔は、頼りなかった。

「……お前、マジ?」

 

 

だが、渡されたものを持って家に帰るデミアは、コニーが寄こしたものの中身を、9割がた別のものだと踏んでいたのだ。

いい方に転んで、前に見逃したと叫んだドイツグランプリ予選の録画。悪ければ、コニーがデミアを罰するために、どこかで探してきたゲイポルノだ。

 

皮ジャンを脱いだデミアは、とりあえず、何が映っているのか全く分からないビデオをデッキにセットしながら、今日チームの隊長が転がり込んできていないことに、心底ほっとしていた。体調が悪いのかと心配になるほど緊張し強張った顔で、かましてきたコニーのジョークが笑えるかどうかはわからない。

 

再生が始まり、まず、映像の照明の悪さに、デミアはげんなりした。そして、その素人くささに、まさかなと思ったのだ。

けれど、まだ、本当にまさかと思っていた。

だが、次の瞬間には、まさかは、本当になった。

画面に、レンズの位置を調節する緊張も甚だしいコニーの顔が映り、デミアは、自分の心臓がドキリと大きく音を立てるのを感じた。

だが、まだ、罵りでも始まるんじゃないかと自分を誤魔化す程度の余裕はあったのだ。ソファーを立ってビールでも取って来ようかとすら思った。しかし、コニーの目が見えた時に、その余裕は、終わってしまった。

 

画面の前に立ち、はぁっと、息を吐き出したコニーは、思い切ったようにしっかりと顔をあげレンズを見つめる。

『ちゃんと見ろよ。デミア』

ためらいを多く含んだ瞳をしたコニーが言った。

 

もう一度ピントが合され、映ったのは、デミアも泊めてもらったことのあるコニーの家の客用ベッドだった。

白いシーツをかけたそれにコニーは腰を下ろす。

 

何が始まるのかは、指定した以上、デミアは知っている。

けれど、本当にそれが始まるとは思えず、デミアはただただ、画面の中のコニーを見つめていた。

はっと、息を吐いたコニーは、もう何か決意した顔だった。

カメラを十分に意識しながら、自分のシャツをめくり上げ、白い肌を晒しだす。じりじりと上げられる白シャツに、まるでエロショット満載のピンナップでも眺めているような気分にさせられた。

絶対にコニーもそれを意識しているはずだ。カメラを舐めるような眼付で見つめ、コニーは挑発するような表情を浮かべる。

 

腹の上までめくり上げた白シャツをわざと自分でくしゃくしゃとかき回し、大きく開いた手を臍の上へとゆっくりと下ろしていく。

開いた唇を舌がちろりと唇を舐めていった。

急に手の動きを止めたと思うと、じりじりと足を開いてみせ、ジッパーをゆっくりと下ろすと、下着の中へと手を突っ込む。

下着を押し下げそうな激しい動きをするくせに、実際、コニーの下着は一ミリだって下がらなかった。

手首が動くたび、下着のゴムが肌から離れて、中がのぞけるような気がしても、ひねられる腰のせいで、見ている方は、ずっとお預けをくらわされることになる

金の前髪の下で、緑の目が揺れるセクシーな顔をして、コニーは何かに気を取られているような表情のまま、いやらしく口の中で舌を遊ばしている。

コニーはゆっくりと下着を下げ始めた。

臍の少し下あたりからうっすらとした陰毛が生え始め、手が握るものへと近づくにつれてそれは濃くなる。

足の付け根まで下着を下ろしてしまうと、コニーは、ぎゅっと握った手でペニスの先端を隠したまま、ゆっくりと目を閉じた。

唇がキスの形にとがり、「デミア」と、囁くと、ちゅっと音がした。

デミア、デミア、デミアと呟きながら、くちゅくちゅと音を立てて、コニーは自分のペニスを扱いて見せる。

 

しかし、唖然とデミアが見守る画面の中で、作為めいたそれは長くは続かなかった。何度も舐めていた唇をきゅっと噛むと、コニーは、せつなそうに濡れた目を開けた。

だが、その目はすぐに逸らされる。

「……デミア……」

股の間に手を挟み、コニーが、やっと本当の声で、デミアの名を呼んだ。

それは、ほとんど聞こえない声だった。体から興奮の熱を感じさせるコニーは、懸命にペニスを扱きだし、一応こちらを向いた形でベッドの上へと横になったが、もう、画面の金髪は、なめらかな腰をよじってみせもしないし、デミアの興奮を意識しながら、唇を舐めもしなかった。

ただ、コニーは、ペニスを扱くだけだ。

デミアの名も呼ばない。

喘ぎは、ほとんど噛みしめられた唇の中に消えていた。

だが、そんな、本物のオナニーに、さっきよりずっと煽られる。

 

コニーの白い臆病な顎のラインに、興奮が見え隠れしていた。

体の前面をシーツに押し付けるように体を動かし始めたコニーの体勢に、画面を見つめるデミアに見えるのは、くしゃくしゃに皺の寄った白いシャツと、シャツの下から覗く腿の肌色。それも、とても慎ましい量だけだ。

せわしく動く肩のラインに、コニーが感じているのはわかる。

金色の髪の隙間から見える顔も、半分以上シーツに押し付けられて見えないが、それでも、開いた唇から息が漏れているのもわかる。

声が全く聞こえなくなって、コニーは、丸めこんだ体をシーツに何度も押しつけるようにした。

びくびくと、体が震えている。

デミアは、コニーの呼吸が止まったのを感じた。

思わず、デミアの呼吸も止まる。

 

 

食いしばっていた歯の間から、漏れたはぁっというため息のような音とともに、コニーの体は弛緩し始めた。

 

いったらしい金髪は、ベッドから動かない。

だらりと体を投げ出し、肩まで動くような深い呼吸を繰り返してしている。

デミアは、画面の中のコニーから目が離せなかった。

本当に、コニーは、デミアの前でいってみせたのだ。

 

この行動と感情に対して、どう自分が対処していいのかわからず呆然とデミアが画面を見つめたままでいると、やっとのろのろとベッドの上のコニーが身を起こした。

濡れたペニスを、引き出したティッシュで拭う。

丸めたそれを、ベッドに放ったまま、だるそうにコニーはぺたぺたとカメラに近づいた。

映った顔は、ピントが甘いというのに、疲れを浮かべ、艶めかしかった。

 

自分の行ったことに対してためらいを捨てることのできない揺らぐ緑の目がデミアをじっと見つめる。

いきいなりだった。

 

「バーカ」

 

一言のもと、ぷつりと映像は切れた。

まっくらな画面を見つめながら、デミアは思わず携帯を探した。

かけずにはいられなかった。

コニーの名を呼びだし、コールする。

 

「なぁ、コニー、お前さ……」

 

END