指先

 

ショーンのホテルから追い返された翌日、カールは、酷く緊張して過ごしたが、これといって変わったことは起らなかった。

天気は昨日と変わらず良くて、カールの椅子だって同じ位置に置かれていた。

撮影はいつも通りハードで、気力も体力も奪っていくが、仲間達は優しくて、スタッフは常に前向きだった。オークの槍は、扱いをしらない急場のエキストラのせいで、相変わらず折れたし、鎧を着たまま走るのは、いくら慣れても苦しかった。

馬のご機嫌は、多少悪かった。

でも、それ位だ。

挨拶を交わして、無視されたりもしない。

演技に紛れて殴られることもない。

そう、誰もカールに敵意を見せない。

カールは、何も変わらない居心地の良さに、反対に腰の座りが悪いのを感じていた。

いっそ、誰かに睨みつけてもらえれば、それなりの対処の仕方があったのだ。

情熱的にドアを叩いて、ショーンを取り戻しにきた謎の人物に、難癖をつけてもらえれば、カールは、謝罪の用意があった。そして、もし、上手くいったら、二人の間にほんのちょっとだけお邪魔させてもらうつもりまであった。

でも、何も起らない。

まるで、なにもなかったかのように、カールの存在は無視されている。

撮影前に、どうしても気になって覗きに行ったショーンだって、いつもより血色がいいかな?と、思わせる顔をしていただけで、ショーンは、カールの存在に気付きもせず、自分のシーンに熱中していた。

キスをしたのに。ジッパーだって下げたのに。

うっとりと緑の目を潤ませたショーンの顔を、カールは忘れることができなかった。

カールは、一人で、緊張し、空回りして、その日を過ごした。

昨日が、ショーンをナンパするため駆けずり回り、上手くホテルに連れて行ってもらって、ベッドの上で、恋人の襲撃を受けるなどという衝撃的な一日を過ごしただけに、今日の味気なさは、カールを心底疲れさせた。

酷く疲れた。何もないのに、緊張だけを強いられることが、こんなに辛いことだということを、カールは久々に思い出した。

だから、その日は、さっさとベッドに潜り込んだ。

 

一晩たって、頭は冷めたが、やはり今日もカールは、ショーンの撮影を覗きに行った。

天気待ちで、できた時間だったから、衣装を着ているのに、メイクもなく鬘もないという自分は慣れてしまったが、多分間抜けな格好だ。

ボロミアショーンは、丁度休憩なのか、椅子に座って、じっとセットを眺めていた。

珍しく、周りに誰もいない。

眺めているうちに、その理由がカールにわかった。

気さくなことで有名なショーンに、コードを動かすスタッフまで恐ろしく気を使い、前を通ることの許しを得ていた。メイクスタッフに至っては、最小限彼の顔をいじると、そそくさとショーンの側を去った。スタッフとの打ち合わせも、とてもビジネスライクだ。

そのどれもに、ショーンは、不機嫌を隠さない顔で応えていた。

もともと顔の造作が整っているだけに、無表情でいると、ショーンは近寄り難かった。恐ろしく気難しい大将の貫禄充分だ。

ショーンは、目に見えない垣根を作っていた。

人を寄せ付けない空間の外から、スタッフたちは、ショーンのことを心配していた。

気付かないはずはないのに、ショーンは、瞳の冷たさを変えようとしない。

 

カールは、ごくりと唾を飲み込むと、コードがのたうつ床を進んで、ショーンの側に近寄った。

スタッフが心配そうな目をしてカールを見ていた。機材を手に持ったまま、気遣わしげな顔をして、不機嫌なショーンと、近付くカールを見比べている。

しかし、カールの心の中では、チャンスだという声が聞こえていた。

一人っきりのショーンなんて、そうそう簡単に捕まえられない。

ショーンは、カールの顔を見ると、ほんの少し表情を緩めた。

「どうした?」

「どうもしないよ。ショーンの顔を見に来ただけ」

「本当に?」

ショーンは、カールの言葉に、口元に小さな笑いを浮かべた。

カールは、気付かれないよう小さく息を吐き出した。

「ショーンの顔が腫れてないかどうか、昨日も確かめに来たんだよ?」

「本当に?」

彼を気遣うカールの言葉には、口元だけでなく、瞳にもかすかな笑いが浮かんだ。

カールは、ほっとして、ショーンの隣に腰を下ろした。

「昨日は、俺も、いきなり誰かに殴られるんじゃないかと、一日はらはらしながら過ごしたよ」

「殴られなかっただろ?」

ショーンはカールの顔をみた。ショーンには、ボロミアの金の鬘が、とても似合っていた。けれど、今日は耳が隠れていた。

「殴られなかったけどね、でも、おかげで、一日中緊張しっぱなしだった」

「そんなに繊細なのか?でも、誰もカールを苛めたりしなかったろ?」

かすかな笑顔を浮かべていたと思ったのに、何かを思い出したらしく、ショーンは、緩みかけていた口元を引き締めた。とたんに、近寄り難い印象になる。

いらいらしたように、指先で、トントンと膝を叩いた。

「全く心配する必要なんてないよ。カールは、今まで通りにしていればいい。誰も、カールを殴ったりはしない」

「機嫌が悪いね」

カールは、ショーンの表情の冷たさに、顔から視線を外し、形のいい指先が、膝を何度も打つのを見た。

息を呑んだ。

信じられないような造詣の美しさだった。カールは正直驚いた。指が真っ直ぐなのにもほどがある。

「機嫌?はっきり言って最悪だな。昨日の昼までが天国で、夜からは地獄にいるようだよ」

「ケンカした?」

「そんなかわいいモンならいいんだけどな」

ショーンは、ぐっと表情を渋くして、面倒くさそうに口にした。

別れ話でもでたのかと、カールは、内心小躍りした。すぐさま後釜に納まってしまいたい欲求がカールの中には詰まっていた。

ショーンは、足を組みなおし、いらいらと膝を打ち続けた。

こんな美人を放っておくなんて、そんな勿体無いことをすることはできない。

カールが、耳以外のところも好きになったら、遊ぶことを考えてもいいとショーンは、言った。カールは、もう、そこを見つけた。

指先だ。いらいらと膝を打っている指先。滑らかなカーブを描いていて、つややかな爪のついたきれいなパーツ。

ここを好きだというのは、ショーンのお気に召すだろうか?さすがに、この美しさでは、何人にも褒め称えられてきただろうが、誉められるのは好きだろうか。

傷付けない程度に、爪を噛んで、爪と肉との間に舌を這わせて。

こういう末端の部分は、感覚が鋭敏だから、きっとショーンを愉しませてあげることができる。

「ショーン、指が長いね」

カールは、ショーンの気持ちを切り替えようとした。

チャンスを逃すなんて馬鹿な真似はしたくない。

「指?ああ、指ね。長いかもな。よく言われるよ」

「すごく器用そうだ」

「そう思うだろ、実際、俺はそうだと思ってるんだけどな、あんまり人はそう思ってくれない」

カールは、少し首を傾げた。

「昔は溶接だってしたし、金属工芸が趣味だったこともある。なのに、俺が鳥の巣箱を作ったって言うと、ちゃんと入り口があるのかと聞く奴までいる」

「なんでだろ?そんな繊細な手をしてたら、細かい作業も得意そうに見えるのに」

ショーンは、自分の指を見て、唇を尖らした。

「そういや、カール、お前オモチャをつくるのが好きなんだろ?」

「オモチャ?ああ、プラモ?」

「そういう趣味はないけどな、きっと俺は、そういうことも得意だと思うぞ」

それを聞いてカールは、ショーンを不器用だという皆の気持ちを納得した。

想像したのだ。ショーンの指が、ボンドに汚れながら、小さなパーツを繋ぎ合わせる。指先をスプレーで染めて染色する。自分が取り組むどの作業も、こんな形のいい指には似合わないのだ。何をしている所を想像しても、指を汚してしまっているようだ。

彼は器用にこなすのかもしれない。でも、して欲しくない。こんな綺麗な指が、その指先のカーブを歪めて何かをするなんてことがなければいいと思ってしまう。

この指に、なにもして欲しくない。爪を痛めて欲しくない。何もできない指であって欲しい。不器用だったらいいと思うのだ。

カールは、指を見つめるショーンに柔らかい笑みを向けた。

「俺、作るの好きなんだけどね、実はあんまり上手じゃない」

「それで、おもしろいのか?」

「おもしろいんだよ。やってると、つい夢中になっちゃうくらい」

どう面白いのかを、マニアックな言葉を交えながら説明し始めたカールに、ショーンがふわりと笑った。何度見せられても、目が吸い寄せられるような笑顔だ。

 

ショーンが、カールと会話が弾んでいるのを見てか、スタッフがショーンに近付いてきた。

スタッフの顔にも、笑顔が浮かんでいた。機嫌を直した俳優に、安心の色がありありと浮かんでいる。

いや、これまでのショーンに纏わるうわさから推測すると、俳優がではなく、ショーンが機嫌を直したことに、安心したんだろう。

カールを取り囲む空気も緩んでいた。それぞれが、安心したように自分の作業にベストを尽くしていた。

こういう時、よくわかる。

ショーンは、とても周りから愛されている。

「ショーン、悪いんだけどね、しばらく休憩していてくれるかな?まだ、セットの用意に時間が掛かりそうでね」

ショーンは、ライトの消されたセットを眺め、小さく肩を竦めた。

ちらりと、カールの顔を見た。

「俺?俺は、天気待ちなんだ。天気が回復したら、携帯に連絡が入ることになってる。だから、それまでは、フリーだけど」

焦ったようなカールの返事に、スタッフは、うんうんと大袈裟に頷いた。

「それは、いい。じゃ、二人でしばらく話でもしててくれ。この近くに居てくれるんなら、動いても平気だ。カールが携帯をもってるんなら、そっちに連絡を入れてもいい」

ショーンは、頷いて椅子から立ち上がった。つられるようにカールも立ち上がる。

付いて来いといわれたわけではなかったが、流れからいって、カールの同行を望んでいるだろう。

「携帯の電源は、切るなよ」

念を押す、スタッフの言葉に頷いて、カールはショーンの後に着いて行った。

 

ショーンがどこに行くのかと思ったら、彼は、撮影所に隣接するトレーニングセンターに足を向けた。

衣装に着替えてしまった今、そこに行く理由がわからないままに、カールはショーンの後を追った。アスファルトを踏むショーンの足には迷いがない。散歩に誘われているようでもない。

空は、まだ雲に覆われていた。太陽の日差しが必要なカールの撮影は、この調子ではどうなるかわからない。

 

トレーニングセンターのドアを開け、中に入った。

今日は人気がなく、ひっそりとしていた。

ショーンは、よく殺陣の練習に使われる部屋のドアを開けると、人がいないことを確認し、そのままドアを閉めた。そのまま、廊下を歩いていく。

カールには、ショーンがどんな意味を持って行動しているのかわからなかった。

説明はなく、しかし、ショーンにはよどみがない。はっきりとした理由を聞かなければならないほど時間に追われているわけでもなく、カールは、ショーンの背中に、ただ、ついて行った。

目が、先ほど気付いたばかりのショーンの美しいパーツに引き寄せられた。

扱いは無造作だ。よく、今まで美しさを守ってこられたと思う。そういえば、あの指で、趣味だとかいうガーデニングもしているのか。

突然、ショーンは、カールの腕を引くと、トイレのドアの中へと連れ込んだ。パステルのタイルが目に入って、廊下とはまるで違う空間に放り込まれた。ドアが自然に閉じていった。

カールは、大きな目をさらに大きくしてショーンの顔をまじまじと見た。

「まだ、俺と遊ぶ気があるか?」

「ショーン?」

ショーンは、カールの頬を両手で掴むと、逃げられないようにして、唇を挟み込む柔らかいキスをした。

「どうして?」

「遊ぶ気は?カール?」

理由は、恋人とケンカをして不機嫌だからだろう。カールは、ショーンの腰に腕を回した。

「ここを何度か利用した?」

「カールより長く撮影所にいたからな」

カールがショーンの機嫌を察して、質問を変えると、ショーンは、ご褒美にもう一度キスをくれた。

柔らかな指先が、カールの頬を撫でる。

「綺麗だし、トレセンを使ってない時は、確かに誰も来ないもんね。いい穴場だ」

「お前は、まだ使う機会があるだろ?知っといて損はないぞ」

カールは、ボロミアの長い衣装に包まれたショーンの腕を取り、指先に口付けを送った。

唇へのキスを返されるものだとてっきり思っていたショーンは、不思議そうな顔をしてカールを見た。

「俺、耳のほかに、好きなとこができちゃった」

カールは、指先に唇をつけたまま、じっとショーンの目を見つめた。

「指?」

「もっと、こだわってる。…指先」

ショーンは、面白そうに笑顔を見せた。

「指先ね。指までは、言われたことがあるけど、そんなにも拘ったことを言われたのは初めてだ」

「嬉しい?」

カールは、先ほどの欲望を実行すべく、ショーンの指先を口に含み、爪と肉の間に舌を這わせた。

舌先で、爪の間を刺激する。

やはり、敏感だ。ショーンは、片目を瞑るようにして、指を引きかけた。

カールは、擽るように優しく舌を這わし、傷をつけない程度に、爪を歯で挟んだ。

「いつも人と違うところばかり、カールはみつけてくれるんだな」

ショーンは、擽ったそうに笑った。

「少しは俺のこと気に入った?」

「いい男だと言っただろ?」

ショーンは、指先に拘るカールから唾液に濡れた指を取り上げると、淋しくなったカールの口を唇で塞いでくれた。

「この間のお詫びに、ここでサービスしようかと思ったんだが、指の方がいいか?」

ショーンは、唇を自分で指差し、カールの腰に足を摺り寄せた。

「ほんと?いいの?」

「満足させる自信はないけどな」

ショーンは、衣装を汚さないために、トイレットペーバーを思い切り引き出し、床に撒き散らした。

そこに膝をついて、カールの衣装の前を広げる。

「ねぇ、いつも、こんな?失礼なことを聞くようだけど、こんなに簡単?」

ショーンのいうとおり、器用な指先が、カールの衣装を難なく緩めていく。

カールは、パステルの壁に背中を預けて、仁王立ちのままショーンを見下ろした。

「いつもか?…どうかな?あまり、簡単なつもりはないが、そんなに身持ちのいい方じゃないよ」

じゃなきゃ、三回も結婚しないよ。

ショーンは、躊躇いもせずに、軽く興奮しているカールのペニスを手に握った。

「指?口?」

「口で、ついでに、触ってくれると、かなり嬉しい」

カールは、煽られる気分のままに、欲求を口にした。

「正直なのは、好きだよ」

ショーンは、笑うと、その開いたままの唇のなかへ、カールを迎え入れた。

柔らかい舌が、カールのペニスに絡みつく。

薄い魅力的な唇を窄めてカールのペニスを扱く。

カールは、自分の感じている快感が信じられなくて、思わずショーンの頭を強く掴んだ。

「こら。鬘なんだから、きつく掴んじゃだめだ」

ショーンは、顔を上げて、カールを睨み、けれども、指先で、カールのつるりとした先端を丸く撫でた。

攻撃的な目をして、誘っている。カールにセックスのことしか考えさせないつもりのようだ。

カールは、一気に血を集めたペニスに思考が引き摺られないように、下腹に力を入れた。

「めちゃくちゃ、怒ってるんだろ?」

「鬘か?いいや、後でメイクスタッフに一緒に怒られてくれるんだったら、構わないよ」

「違う。恋人のこと」

ショーンは、顔を伏せ、何も言わないままに、カールのペニスを吸い上げた。

的確にカールを煽る舌の動きに、カールの腰に痺れが走る。

何が自信はないだ。そんなおいしそうな音を立ててしゃぶられて、いい気持ちにならない男がいるもんか。

カールは、必死に自分の中から忍耐をかき集めた。

「ケンカの原因はなに?俺のせい?尻軽だとなじられた?」

「尻軽だと思っているのは、お前だろう?」

ショーンは、カールを口に銜えたまま、不明瞭な発音でカールを煽った。

「話すのは、嫌?」

ショーンは、返事を返さず、カールのペニスを深く飲み込み、残った部分を、指で扱いた。

美しいカーブの指先がカールのヘアのなかに、見え隠れする。

考えられない。あの真っ直ぐできれいな指が、最低なものを上手に扱いて、こんなに凄い快感を与えてくれるなんて。

「こんな色気の塊、野放しにしておいて、平気でいられる恋人が信じられないね」

カールは、靴の先を、ショーンの股間に押し付けた。

ショーンは、自分から腰を、カールの靴に擦りつけた。

「どんな内容でケンカしたのさ?もう別れる?別れるんなら、後釜を狙ってもいい?」

放っておくと、「あう」だとか、みっともない声を上げそうな口になんとか文章をしゃべらせ、カールは、ショーンの口内で、ペニスを前後させた。

よだれが、ショーンの口から漏れたが、彼は、顎をつきだすようにして、衣装が汚れることだけ避けると、お構いなしに、カールの好きにさせた。

とんでもなく、性悪だ。

「ここのドアが叩かれるような事はないよね。もう、俺、いま止めさせられたら、頭が破裂しそう」

激しく腰を動かすカールに、ショーンは答えを返さなかった。

ショーンの指が、カールの腰に食い込んでいた。

「ショーン。ショーン。どうしよう。あんた最高!」

ショーンは、唇の輪をきつくし、カールのために、喉の奥まで使うことを許してくれた。

腰を前後させるたび、上顎がペニスの先端を刺激して、カールの顔を歪ませた。

カールの望みをかなえるため、ショーンは、激しく動くペニスの根元を握って、律動に合わせて擦ってくれた。

指も唾液に濡れて、てらてらと光っている。

唾液だけではなく、もっと粘着質な、カールの堪えきれない精液できれいな指が汚れてしまっている。

舌を使うショーンは、鼻から甘い音を漏らしていた。

なにもかもたまらない。

カールは、ショーンの好意に余すところなく付け込んだ。

ショーンの喉に向かって精液をぶっかけた。

 

カールが荒い息を抑えながら、ショーンの足元に座り込んだ時、携帯が派手な着信音を鳴らした。

激しく上り詰めたせいだけでなく、カールは、目の前が暗くなった。

なんでこう、邪魔が入るのだ。

これからじゃないか!

カールの顔は、悔しくて歪んだというのに、ショーンは、それほど残念そうな顔を見せなかった。

「タイム・アウトだ」

カールに向かって精液のついた唇のままにやりと笑う。

「ほら、出ないと」

カールに電話に出るよう促すと、洗面台に向かって立ち上がり、蛇口を捻って口の中をゆすぐ。

冷たいショーンの背中を見ながら、カールはのろのろと通話ボタンを押した。

にぎやかな周囲の音と、スタッフの準備オーケーの声が飛び出した。カールの方の現場からだった。

『どこにいる?役者は全部そろってるんだぞ?』

「全員?俺以外全員?」

『そうだよ。お前さんが近くにいないから、撮影が始められない。先輩たちがお冠だぞ』

「まじ?」

『機嫌の悪い奴が一人いてな。そのせいで、みんなに伝染してる』

監督の言葉は、カールの背筋を強制的にまっすぐにした。

それが、誰なのか、カールには聞く勇気がなかった。

カールの現場には、ショーンの恋人が紛れ込んでいるのだ。

ホテルのドアを遠慮なく打ち鳴らす情熱の塊。カールに誰だかを悟らせない狡猾な存在。

カールは、丁寧に手を洗い始めたショーンを振り返り、聞こえないようにため息をつくと、すぐに行くと返事を返した。

カールは、性悪なショーンを、手で作ったピストルで打ち抜く真似をした。

嵌められたこと悟った。

今日のラッキーは、恋人に激しく嫉妬させようショーンが企んで、カールを誘ったに違いないのだ。

撮影現場は、半端じゃなくきつくなってきている。

どんな情熱的な奴だったとしても、恋人を最優先にできるほど、人間的な環境ではない。

ショーンは、鏡に映ったカールの姿に、口元を歪めた悪い笑い方をした。

どこから見ても、悪役だ。ボロミアの衣装を着ていても、この人間が悪い奴だと思わせた。

「怒ってるってさ」

「誰が?」

ショーンの言い方は、あまりに白々しかった。

「さぁ?恐くて聞けないよ。あんたたちのケンカに巻き込まないで欲しいな」

「あんなサービスでは、満足できない?」

「…それを言われると、辛い…んだけど」

ショーンが優しくて、人がいいなんて嘘ばっかりだ。

カールは、人の噂の当てにならなさに、一つ人生を学んだ。

「ショーンが俺といるって知ってる?」

「どうかな?勘がいい方だとは、思うけど」

ショーンは、洗面台に手を付いて、カールを振り返った。ふわりと笑う。どうしょうもなく魅力的だ。

「…最悪」

カールは、頭を抱え込んだ。

「カールのことを殴ったりはしないよ。そんなことはしない奴なんだ。きっとカールに気付かせもしない」

「…もっと、最悪」

カールは、のろのろと立ち上がり、自分の衣装を整えた。

「ケンカして、その憂さ晴らしに使われちゃったわけか」

「こんなのに乗り換えられても困るだろ?」

「本気で乗り換えてくれるんなら、ぜんぜん困らないんだけどね」

カールは、自覚のある情けない顔で笑った。

「で、ケンカの原因は何なのさ。それくらい聞かせてよ」

ショーンは、カールのために、また、ドアを開いた。

「ここにいる間くらい毎日セックスしてくれって言ったら、嫌だって言いやがったんだ」

あまりに馬鹿らしい痴話げんかに、カールは、膝から力が抜けそうだった。

「そう、俺なら、毎日セックスしたげるよ?」

カールの最後のあがきに、ショーンは、にこりと笑っただけだった。大きくドアを開けたまま、カールが出て行くのを待っている。

カールは、あまりに悔しくて、ショーンの手を掴んで、形のいい爪を小さく食いちぎった。

ショーンが唖然とした顔をして爪をみるので、カールは、ほんの少し、現場に戻る勇気が湧いた。

 

END

 

               BACK

 

カールさんの話、続けるつもりじゃなかったんですけど、やってみたら、面白かったんでつい。

でも、いい面の皮でかわいそうですかね?

まぁ、いい思いもしたということで、カールファンの皆様、許してください。

私のショーンにさんに関するこだわりも、細部にわたっていて、ちょっと…ですね…(泣)