ダメだって、わかってた。9

 

オーランドが足を止めた位置は、撮影現場から、50Mも離れていなかった。

だが、トレーラーが一台置かれていて、向こうからはこちらが見えない。

その場所で、オーランドは、顔に笑みを浮かべたまま、ヴィゴに聞いた。

「ヴィゴ、昨日の写真、焼付けまでした?」

「どれ?お前が気に入ってた、空のやつのことか?」

ヴィゴは、オーランドの質問の内容にすこしばかりの驚きを感じた。

だが、オーランドに敬意を払って表情を伺うような真似はしなかった。

眉を寄せながら、オーランドに尋ねた。

「まだ干してあったやつのなかの空のことだろ?」

「そう。それ。あの写真、俺にも頂戴。すごく綺麗だった」

オーランドは、温和そうな表情で、しっかりとヴィゴと相対していた。

だが、ヴィゴが採点するならば、オーランドの笑みは、80点といったところだ。

オーランドはうまく笑いすぎていた。

まるで、カメラを向けられた時のように、極自然な作り笑顔で笑っている。

そこに、ヴィゴは余裕のなさをしっかりと見つけることが出来た。

「何枚かあったろ。どれのことを言ってる?」

ヴィゴは、写真を思い出すように、小さく額に皺を寄せた。

ヴィゴには、オーランドがこんなことを言うために、呼び出したとは思えなかった。

ショーンに被せた帽子をヴィゴが触っていたときの目は、とても攻撃的だった。

今朝、最初に見たノーメークのショーンは、とても疲れた顔をしていた。

どちらをとっても、オーランドが、こんな笑顔をヴィゴに見せる要因となりえない。

ヴィゴは、回りくどいことなしに、本題に入ればいいのに、と、オーランドを眺めた。

だが、訓練された笑顔を顔に貼り付けているオーランドは、ヴィゴが口火を切ることを許しそうになかった。

意思の強そうなと言えば聞こえはいいが、頑固者の目が、油断なく、ヴィゴがイニシアティブをとることがないよう見張っていた。

「ほら、木の枝が空を覆ってて、その間から、空が覗いてたやつ」

話したいことは別だろうに、オーランドは、昨日、興味を持っていた写真のことを話していた。

「そんなのあったか?」

「あったよ。楕円って感じに空が枝から覗いていて、枝の感じが、こう。こんな感じ」

空に向かって、手を伸ばし、指で枝を表現したオーランドは、思い出せない?と、でも言うように、ヴィゴに、にっこりと笑いかけた。

勿論、昨日、ドアを叩いた時のような嬉しくてはちきれそうな笑顔とは、まるで違う。

ヴィゴは、オーランドの言う構図に憶えがあった。

だが、紙に焼き付けたものは、オーランドが言うほどいい出来とは思えなかった。

「あれ、青空じゃないぞ。多分、お前が思ってるようなのとは、違う」

「そう?でも、1度見せて」

「…構わないが」

ヴィゴの返事がオーランドに届いたところで、二人の間に沈黙が訪れた。

トレーラーの向こうからは、カメラの位置を指示する声が聞こえていた。

セットの中のホビットと、椅子に座ったPJ以外は着帽の一団は、仕事中だ。

ヴィゴは、多少の強引さは自覚の上で、視線でオーランドに本題を促した。

このままオーランドに任せて、話の核心のまわりをぐるぐるしつづけるのなんて、ごめんだった。

オーランドは、顎を引いて、ヴィゴの顔を真摯に見た。

表情は、眉をきゅっと寄せ、素直に、現在の気分に一番近い顔をした。

メイクのせいもあって、作り物めいていたオーランドの顔に生の表情が戻った。

「あのさ、ヴィゴ。お願いがある」

オーランドは、ごくりと唾を飲み込んだ。

ヴィゴは、ブルーコンタクトの下にある黒い目が、見えた気がした。

「俺のこと、どのくらい見下げてくれてもいいから、どうしてもお願いを聞いて欲しいんだ」

オーランドは、額に皺がよることにも構わなかった。

あの黒い目が、一生懸命になって、ヴィゴに語りかけた。

「ヴィゴから見たら、どのくらいみっともないことをお願いしているのかも、ちゃんと自覚してる。昨日だって、俺ばっかり空回りしてて、実際のところ、ショーンはヴィゴと仲良くしていたいと思ってるのも、わかってる」

オーランドは、冷静になろうと、自分から何度か、話の途中で、言葉を区切った。

ヴィゴは、話の邪魔はしなかった。

「でも、俺、こうやってお願いするしか、上手い方法がわからないんだ。ヴィゴ。頼むから、もう少し、ショーンと距離を開けて。俺…恥かしいけど、あんたが、ショーンの側にいると、どうしても嫉妬して、ショーンに酷いことしちゃうんだ。…今だって、俺ばっかりがおかしいとは思ってないけど、でも、ああやってべたべたくっついてるのが、二人の自然な距離だっていうんだったら、お願い。お願いだから、ヴィゴから、すこし間をあけて」

オーランドは、遠慮なくプリーズという単語を連発した。

ヴィゴは、若いということの意味を、思い知らされた気がした。

オーランドは、要求が通ると信じている。

ヴィゴは、オーランドの顔をみた。

オーランドの額には、多くの皺が寄っていた。

必死になっている顔だ。

「メイクの時に、眼の下の隈を、ショーンはたしなめられていたぞ」

ヴィゴは、嫌味を言った。

オーランドは、目を伏せた。

「うん。それは、俺も今朝も気になったんだ。ごめん、ちゃんと自覚はしてるんだけど、あの人が、俺のだって確かめる方法、あんまり俺、知らないからさ」

自嘲気味にオーランドは言う。

勢いのないオーランドというのは、ヴィゴにとって、困った存在だった。

マイペースで、能天気で、小憎らしいほど毎日楽しそうに笑っているのが、オーランドだ。

ナイーブな面を見せられると、手を差し出さずにはいられない。

ヴィゴは、肩の落ちたオーランドに、小さく肩を竦めて見せた。

ヴィゴは、言った。

「俺は、ショーンを口説いたりしてない。それは認めるか?」

特に優しい声はださなかった。

「ショーンの名誉のためにも、事実関係をはっきりさせておくが、俺とショーンは、お前が思っているような関係になったことなんて、一度もない。俺は、ショーンを大事な親友だと思っている。それは、認めるか?」

「認める。…認めるけど…さぁ」

オーランドは、歯切れ悪く言葉を返した。

「…ショーン。確かに、俺より前に男がいたなんて思えなかったし、ヴィゴもショーンのこと、口説いてはないけど、…でも、…全然、俺よりヴィゴの方が、ショーンと仲がいいのは事実だ」

オーランドは、すこしだけ顔をあげ、口元だけで笑いを作った。

「…俺、ずっと前から、たまんない思いであんたのこと見てたよ」

悲しげに見えた。

ヴィゴは、ため息を付いた。

「知ってるさ。お前、時々、すごい目をして、ショーンのこと見てたからな。…おまけに、オーリ。お前ほんとに行動が、恥かしいぞ。ショーンと手を繋いだ後、誰も見てないと思って、その手を舐めただろ。さすがにあの時は、俺、ショーンの身を心配した」

「…げぇ、最悪なとこ見られてた。…ヴィゴ。かなり前から、俺のこと見張ってたね。そんなにショーンのこと、好き?」

「あれを、嫌いになれるか?」

「難しいこと聞くね」

「そうだろ。お前だけじゃない。俺だって、ショーンのことが好きなんだ」

ヴィゴは、一方的にショーンとの間に距離を置けという要求が不当なものであるということを、オーランドに証明した。

オーランドが、もう一度、哀願するようにヴィゴの目を見た。

「でも、ヴィゴ。ごめん。俺にだって、すごく格好悪いことしてるんだって、自覚はあるんだ。でも、ここは俺に、一旦譲って。俺、ショーンのこと好き過ぎて、気がおかしくなりそうなんだ」

オーランドの声は、せつなかった。

ヴィゴは聞いた。

「ショーンと、上手くいってるんだろう?」

「上手く…うん。いってると思う。でも、ショーンって、かなり捕らえどころがないよ」

「あいつは、自分勝手に淋しがり屋なんだよ」

ヴィゴは、自分の捕らえているショーンの輪郭をオーランドに教えた。

オーランドが横に首を振った。

「そうかもしれない。でも、俺、ヴィゴが、ショーンに自分の帽子を被せてるってだけで、もう、ダメなんだ。ショーンが、アラゴルンの台本を自然に持ってて、ヴィゴに帽子を直されても平気で、…そんな姿を見ると、いろんな事が我慢できなくなるんだ」

「…オーリ。すこしだけ、冷静になれ。確かに帽子は、昨日の今日だったし、俺が面白がってショーンに被せた。でも、ショーンは、何の意識もなかったはずだ。この野球帽よりはずっといい。位にしか何も考えてない」

「そうだと思うよ。きっと、そうだと思う。でも、俺が、許せないんだ。いつも2人で片寄せあって内緒話ばっかりしてて、週末に約束を入れようとすると、どっちか一日でだめなのかって聞かれて」

次第にテンションの上がっていくオーランドは、ヴィゴに向かって不満をぶちまけた。

「ねぇ、ヴィゴ。あんた、ショーンの離婚がどのくらい進んでるのか聞いてる?俺は、全く聞かされてない。ショーンは、俺に撮影の相談もしない。ショーンが一方的に俺の話を聞いて、俺が一方的に、ショーンにセックスを要求して、どうかな?そういうのって、恋人同士だって言えるのかな?」

口さえ閉じてしまえば、オーランドは、優雅なエルフに見えた。

今日は野球帽などという似合わないおまけがついていたが、酷く似合わないが故に、こういう激しい感情とは無縁だと言えるような超然とした佇まいをしていた。

ヴィゴは、オーランドの感情的な部分が好きだった。

ブルーのコンタクトに隠された目が、怒りに燃えているのは、ひどくかわいらしい。

「オーリ。俺は、ショーンが幸せそうにしてるのが、好きなんだ」

ヴィゴは、オーランドの帽子を乱暴に取って、髪をぐちゃぐちゃにした。

オーランドは取り上げられた帽子を無防備な目で追いかけた。

「お前の要求をのんでやる。ただし、俺だって大事な友達のことだ。ずっとなんていうのは嫌だ。しばらくショーンと距離をおいてやる。その間に、お前がなんとかしろ。だだし、ショーンから話し掛けてくる分には、わざわざ突き放すような協力はしない。俺は、別にお前達の関係を歓迎してるわけでもなんでもないんだ」

オーランドの顔が一気に明るくなった。

ヴィゴに抱きつこうと腕を伸ばした。

ヴィゴは、ぽいっと帽子を投げた。

くるりと背中を向け、オーランドを置き去りにした。

ヴィゴは、オーランドとの短い会見を終えた。

 

 

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