ダメだって、わかってた。8
イライジャが、オーランドとアスティンを置いて、PJに近づいた。
イライジャの背中は、すでに、笑っていた。
「PJ。なんか、おかしいなって、感じることない?」
ヴィゴが、目を細めて、イライジャを見た。
イライジャは、口を大きく開けて笑いながら、早速ヴィゴとの打ち合わせに入ろうとしていたPJを引き止めた。
ヴィゴは、この直球なイライジャの攻撃に、PJがどう反応するか、嬉しそうだ。
PJは、手に持っていた台本のコピーをヴィゴに示そうとしていた動作を止めて、イライジャに振り返った。
とても大事な人形の様子でも確かめるように、上から下まで、イライジャの姿をチェックして、楽しそうな顔をして笑った。
「…そうだな。イライジャは、野球チームに入らないのか?」
突拍子も無いPJの言葉に、周りの動きが止まった。
イライジャの顔も貼り付けたような笑顔のままだ。
PJは、皆の被っている帽子には気付いていた。
だが、それを自分に対する悪戯だとは受け取っていなかった。
一瞬、周り全ての人間が動きを止めた。
「は?」
イライジャは、顔から落ちてしまうのではないかというほど、大きく目を見開いた。
「は?何?PJ?」
監督は、年若い主役の様子に、不思議そうな顔をした。
「野球、やるんだろう?ヴィゴが、キャプテン?親睦を深めてくれるのはいいけど、怪我のないように、やってくれよ」
ヴィゴを注意するPJの言葉に、野球帽の脚本家が吹き出した。
だが、PJの誤解は、解けない。
「特に、オーリ。お前は、はしゃぎすぎる傾向があるから、いくら、ヴィゴから誘われたからって、撮影があることを忘れないようにやるんだぞ」
PJは、オーランドにまで注意した。
イライジャは、腹を抱えて笑い出した。
「PJ!誰が、野球をやるの?」
イライジャは、身体を丸めて、ひぃひぃと笑い転げると、思い切り嬉しそうな顔をしてヴィゴを見上げた。
皆の分まで、野球帽を準備して、滑ったヴィゴを同情している目をした。
ヴィゴは、小さく口笛を吹いて、笑っているイライジャを見た。
「野球のチームじゃないのか?」
やっと、PJは、不思議顔だ。
「違う。違う」
イライジャが、笑いながら、否定した。
いきなりヴィゴの野球チームに入れられたオーランドは、唇を突き出した憮然とした顔で、PJを見た。
ショーンたちの方へまで話が聞こえていったのか、あちらでも、爆笑が起こった。
笑いのなかで、セットの用意が進んだ。
スタッフのオーケーの声に、誤解の解けないままPJは、ヴィゴとの打ち合わせに入ってしまった。
順に一人ずつ撮っていく予定なので、今のところ、用があるのは、ヴィゴだけだ。
オーランドは、手の中に残っていたイライジャの飲み物を、まだ笑っている主役に押し付けると、ショーンの隣へと走った。
「PJは、偉大だね」
オーランドの言葉に、ショーンは、ティンガローハットの下で笑った。
口を真横に開いて、にやにやと楽しそうだ。
メイクのせいか、目の下のくまは消えていた。
そのかわりに、ティンガローハットの鍔が、ショーンの顔に影を落としていた。
「オーリ。お前、その帽子、嫌になるくらい似合わないな」
ショーンは、じろじろとオーランドを見た。
そんなことは、オーランドだって、とっくにわかっていた。
だが、オーランドは、こちらを見張っているメイク担当の手前、鬘をくしゃくしゃにするわけにもいかず、野球帽を脱ぐわけにはいかなかった。
「レゴラスの格好と合わないだけだよ。鬘だけでもとれば、ずっとマシだと思うけど」
「ああ、そうかもな」
ショーンは、意地の悪い声で、オーランドに同意した。
ショーンの隣りに駈けて来たオーランドの気持ちなど、まるでわかっていない。
オーランドはヴィゴの帽子を被るショーンに唇を尖らせた。
ショーンの手には、アラゴルンとかかれた台本のコピーが握られていた。
オーランドが視線で尋ねると、ショーンは、預かったとぬけぬけと言った。
「ショーン、あんたもさ、その帽子、似合ってないよ」
オーランドは、手を伸ばして、ショーンの頭から、帽子を取ろうとした。
それより前に、ショーンの後ろから傷だらけ手が伸び、帽子を押さえた。
「ダメだ。オーリ。PJが事の真相に気付くまで、ショーンにもちゃんと帽子を被らせとけ」
カメラに映っているはずのヴィゴが、いきなり現れた。
ヴィゴの手は、ショーンの帽子を押さえている。
「ヴィゴ、撮影は?」
「後になった」
顔に帽子を押し付けられるようになっているショーンの声に、ヴィゴは顎をしゃくった。
セットには、イライジャが入っていた。
その周りを照明が囲んでいた。
「岩を積む順番を間違ったらしい。あれはホビット用だそうだ」
ヴィゴは、ショーンの帽子の位置を直しながら言った。
紐の位置まで、直している。
「じゃぁ、ドムとビリーも先に撮るのか?あいつら、昼からの撮影に間に合うように準備するって言ってなかったか?」
予定では、ヴィゴ。ショーン。オーランドの順にカメラの前に収まり、その後、ホビット達が撮影するはずだった。
ショーンは、顎を突き出して、ヴィゴのやりたいようにさせていた。
「さっき、無線でやり取りしてたぞ。ま、でも、結局、俺たちの撮りは、昼飯後じゃないか?」
「やっぱり、そうなるか…」
いつのまにか、ヴィゴは、オーランドとは反対側のショーンの隣に並んだ。
ヴィゴは、手を出して、ショーンから、台本のコピーを貰った。
何か変わった?と、ショーンは、ヴィゴが読み直し始めたコピーを覗き込んだ。
オーランドと同じように、ヴィゴだって、どこもショーンに触れていなかった。
だが、ヴィゴとの方が、ショーンと仲が良さそうなのだ。
オーランドは、剣のある目で二人を眺めた。
「ねぇ、本当に、撮影、昼からかな?」
オーランドは、二人に声をかけた。
オーランドの言葉に、ヴィゴは、すこし首を傾げた。
ショーンと寄り添っていた顔を上げた。
「…多分」
ヴィゴは目をセットの方へやり、まだ、ライトの位置を直している状況に、もう一度オーランドに頷いた。
ショーンがオーランドに視線を向けた。
「何か、あるのか。オーリ?」
ショーンは、やっとオーランドの心情に気付いたようだ。
ヴィゴとの間を半歩分あけた。
だが、アラゴルンの台本は、二人の手に握られていた。
「あのさ、ヴィゴ。もし、無理じゃなければ、少しだけ、時間が欲しいんだけど」
オーランドは、できるだけ、にこやかに頼んだ。
ヴィゴは、ショーンの視線がオーランドから帰るのを待って、肩を竦めて見せた。
おどけたヴィゴの態度に、ショーンが小さく笑った。
「ダメかな?」
オーランドは、重ねて聞いた。
ヴィゴは、オーランドの顔をみた。
「別に構わない」
ヴィゴは側にいたスタッフに声をかけた。
ヴィゴの態度には、どこにも、緊張感が無い。
「オーリ。どこに行く?あまり、遠くはダメだそうだ」
「すぐ、側でいいよ。ただ、ちょっと、やっぱりここじゃねって、だけの話だから」
ヴィゴは、やはり、台本のコピーをショーンに渡した。
それを、ショーンは受け取る。
そのことに対して、ショーンの態度には何の疑問もなく、ただ、ショーンは、オーランドの行動に困ったように眉を下げた。
オーランドには、ショーンに預けるようなものは無くて、手だけを振って、ヴィゴより先に歩き始めた。