ダメだって、わかってた。6
頭に響く目覚ましが3台とも一斉に鳴り出し、オーランドは、深くベッドの中に潜り込んだ。
止めたい。とにかく思ったのは、それだった。
だが、ここでもう一度寝てしまうわけにはいかないと、伸ばしかけた腕を留め、ベッドの中に逃げ込んだ。
しかし、この程度のことでは、目覚ましの音に勝ては、しない。
朝だった。
外は、まだ薄明るい程度のはずだが、それでも、オーランドは、起きなければならなかった。
ホビットの扮装ほどではないが、オーランドの支度にも時間がかかった。
週末はもう終ったのだ。
今日からは、また撮影だ。
オーランドの起き出す、この時間には、もうメイクの準備を始めているはずのスタッフのためにも、オーランドは、顔を洗いにいくべきだった。
わかっていても、シーツの感触は身体に優しい。
オーランドが無駄な抵抗をしていると、目覚まし音が勝手に止まった。
ほっとしたオーランドが、食いしばっていた歯の間から、ため息を漏らすと、優しい手が、オーランドを揺さぶった。
「…オーリ。起きろ」
眠そうなショーンの声だった。
オーランドは、眠気と、必死で戦い目を開けようとした。
だが、瞼が重い。
「…オーリ。起きろってば。もう一度寝たら、俺は、もう、ここへは、泊りに来ないぞ…」
あくびの音が、声に重なる。
ショーンは、オーランドを揺さぶりながら、オーランドの頭をシーツの中から探し出し、頬にキスをした。
一緒のシーツに包まれていた、ちょうどいい温度のショーンの体が、オーランドに重なった。
このまま、重なっていたかった。
「オーリ。今日の迎えは誰だ?…誰でもいいが、もし、ここに踏み込まれることになったら、俺は、もう、絶対にここに泊れなくなるんだからな」
どうしてもくっつきたがる瞼を一生懸命押し上げるオーランドの額に鼻にと、ショーンがキスをしていった。
キスといっても、唇が顔の上を這いまわるような感じだ。
手が、とても優しくオーランドの身体を撫でた。
ショーン自身も、まだ、眠りの中にいるようなものだった。
接触がとても甘くて、二人の身体が融けて一緒になっているようなあいまいな感覚があった。
眠りの中では、背中同士がくっついていた。
「…ショーン。起きる。起きるから。唇にもキスして」
オーランドは、ごろりと上を向き、ショーンの体に抱きついた。
ショーンが、オーランドを抱き返す。
「…目を開いて俺の顔を見てからだ」
ショーンは、オーランドの髪を撫でた。
オーランドは、ショーンの胸に顔を擦り付け、身体の匂いを一杯に吸い込んだ。
身体の中をショーンの匂いで一杯にして、眠気を追い払うと、なんとか瞼を押し上げた。
ショーンもそうとう眠いのだろう。
目を擦りながら、オーランドにキスをした。
「オーリ。シャワーを浴びていけよ。さっさとしないと、ドアが開くぞ」
朝起きられないオーランドが悪いのだが、この家の合鍵を恋人でもなんでもないスタッフも管理していた。
エチケットとして、何度かチャイムが鳴らされたが、それでもオーランドが出てこない時は、寝室の中まで起こしに来た。
ショーンは、しっかりと喋ってはいるが、吐息が甘い。
いまにもくっつきそうな重い瞼が、とてもかわいらしかった。
オーランドは、夕べ何度も、オーランドの名を呼んでくれた唇を見つめた。
唇は、ゆるくほどけていた。
今にも、あくびをもらしそうだ。
「…おはよ。ショーン。起こしてくれてありがと」
オーランドは、大事な恋人の身体を抱きしめ、啄ばむようなモーニングキスを繰り返した。
一度、目を覚ましてしまえば、オーランドにとって、恋しいのは、シーツよりも、ショーンだった。
ショーンは、シーツに倒れこんで、緩く目を閉じてしまった。
オーランドは、その身体をぎゅっと抱きしめ、まだ輪郭の甘い頬にキスをした。
昨日は、昼間から、この頬が真っ赤になるまで、オーランドはショーンを揺さぶった。
夕食を取った後も離さずに、ずっと一緒にくっついていた。
ショーンは、呆れていたが、その後だって、ただベッドで寝るだけでは済ませなかった。
ショーンのペニスが、勃たななくなるまで、オーランドは、ショーンを離さなかった。
「ショーンは、もう少し寝てるでしょ?わざわざ起こしてくれてありがとう。あとは、ちゃんとするから、ショーンは、もう寝ちゃっていいよ」
ショーンは、もう、眠りかけていた。
オーランドは、その顔を見下ろした。
問題は、また、先送りになったが、ショーンは、オーランドの腰に足を回して、きつくオーランドを抱きしめた。
オーランドが揺する腰の動きに合わせて、尻を振り、いいと、何度も叫んでくれた。
オーランドは、ショーンの髪を撫で、ベッドの中から起き上がった。
シャワーを終えて、水だけ飲み、寝室に戻って、洋服に着替えていたオーランドの物音に、ショーンがもう一度目を開けた。
緑の目は、まだ半ば眠りの中なのだろう。
とても幸せそうに潤んでいた。
シーツに包まったまま、ショーンはオーランドを招き寄せた。
「…オーリ」
ショーンは、オーランドの頭に鼻を埋め、シャンプーの匂いを吸い込んでいた。
満足したのか、オーランドの額にキスをする。
オーランドは、お返しに、すこし腫れぼったい唇にキスをした。
もともと薄いショーンの唇が、ぽってりとみえることは少ない。
これは、キスを繰り返したオーランドだけが、見られる特権だった。
甘えるように何度も唇を重なるショーンを味わえるのも、多分、オーランドだけの特権。
ショーンは、オーランドの髪を撫でたまま、また、目を閉じた。
すうすうと寝息が聞こえた。
オーランドは、そっとショーンの手を外し、疲れが見える目尻にキスをした。
ショーンの目の下には、月曜に相応しくない濃いくまが出来ていた。
オーランドが苛めたせいだ。
ショーンは、目を開けない。
オーランドは、寝息を漏らす唇に唇を合わせた。
嫌がって、ショーンが顔を振った。
なかなかオーランドの思い通りになってくれない恋人は、穏やかに眠っていた。
オーランドは、苦笑した。
ショーンは、こんなにも優しい。
恋人は、オーランドを愛してくれていた。
オーランドの無茶を許してくれる程度には…多分、間違いなく。
オーランドは、いつまでも、この二人だけの部屋に留まって居たかった。
だが、週末は終ってしまった。
家の外に止まった車の音に、オーランドは、急いで部屋を出た。
メイクを終え、最初のシーンの打ち合わせをしていたオーランドたちの所へ、人数分の野球帽が届けられた。
怪訝な顔をした仲間に、帽子を届けに来たスタッフは、にやりと笑った。
得意げだ。
「今度の標的は、PJだってさ。全員着帽で、監督だけが、いつも通り。自分で帽子を持ってるんなら、それをかぶってくれて構わないけど、なければ、これをどうぞって、ヴィゴから」
机の上に置かれた野球帽は、地元リーグのチームのものだった。
赤い色がいかしていた。
嬉しそうに笑ったメイクスタッフが、慎重にオーランドの金髪へと野球帽を被せた。
オーランドに、勝手に脱ぐことを禁じると、彼女は、ロッカーから自分の帽子を取り出した。
オーランドを押しのけ、鏡を占領した。
オーランドは、椅子から立たされ、彼女を見守るしかなかった。
彼女は、何度も帽子を被りなおしながら言った。
「PJどんな顔するかしら、楽しそうね」
艶やかな笑顔だった。
頷く、他のスタッフは、机の上の野球帽を手に取っていた。
すっかりトールキンの世界の衣装を身に纏ったオーランドは、似合わない野球帽を被ったままトレーラーの外に出た。
朝日の中、歩いているスタッフは全員が帽子を被っていた。
皆、ヴィゴからの伝言を聞いたようだ。
強い日差しに、今までだって、帽子の着用者は多かったが、全員が着帽というのは、すこしばかり異様だった。
オーランドに挨拶をしながら、すれ違う顔は、悪戯への共犯に、嬉しそうににやにやと笑っていた。
あちこちに、オーランドと一緒の赤い帽子が見えた。
まるで、今晩、試合でも見に行く仲間のようだ。
一体ヴィゴは幾つ帽子を用意したのかと、オーランドはすこしばかり呆れた。
だが、確かに、オーランドも楽しかった。
皆でする悪戯は、とても、楽しい。
憂鬱になりやすい月曜なら尚更だ。
現場に入っても、カメラクルーも、照明も、誰も彼も、帽子を被っていた。
椅子に座ったホビットも、帽子を被って待っていた。
「おはよ。なんだ。オーリは持ってなかったのか」
ヘッドホンを耳につけたままのイライジャが、皮の帽子を自慢げに指で持ち上げた。
衣装とはミスマッチだったが、なかなか格好よかった。
隣のショーン・アスティンは、麦藁帽を被っていた。
庭師のサムに、ジャスト・フィットだ。
だが、たしか、アレは、衣装だったはずだ。
わざわざ、スタッフに頼んで出してもらったに違いない。
清ました顔で、オーランドに挨拶をするアスティンも、この企みに乗り気だった。
「いいなぁ。似合ってて羨ましいよ」
オーランドは、隣の空いている椅子に腰掛けた。
「エルフは、帽子が似合わないな」
イライジャが、青い目をきらきらとさせて、にやりと笑った。
人の悪い笑い方だ。
この顔が、天使のように笑うのだから、俳優とは怖い。
「監督、いつ、自分だけが仲間外れだって、気づくかなぁ」
いつもなら、眠そうなイライジャが、目をぱっちりと開けていた。
セットを横切っていくオークまでが帽子を被っていた。
ヴィゴの仕掛ける悪戯に、皆、乗り気だ。
だが、これでは、スタッフに囲まれている間はそれほどでもないだろうが、PJがいくらのんきでも、キャストの前に現れれば一発だった。
「俺、昼飯までに言い出すに、賭ける」
アスティンが言った。
「じゃぁ。俺、昼飯の時に言い出す」
イライジャが、すかさず言った。
そこまで、果たして持つだろうかと思ったオーランドは、もっと早い発覚を選んだ。
「俺、挨拶と同時に言い出すにする」
だが、PJは、いつも通り、にこやかに挨拶をして、椅子に座り、カメラの位置や、道具の位置について多くの指示をだしたが、一言も帽子のことを口にしなかった。