ダメだって、わかってた。3
「ヴィゴ。…あのそろそろ、失礼するよ」
「え?まだ、来たばっかりじゃないか」
持っていった昼飯もなくなり、話し合いの方はというと、結局なんの収穫もないまま、ただ、雰囲気だけが険悪になっていき、ショーンは、そう切り出した。
確かに、ヴィゴの家を訪ねてから、まだ、1時間もたっていなかった。
ショーン一人で訪ねたならば、早すぎる辞去なのは、確かだった。
だが、このメンバーで囲むテーブルは、折角のランチだって、消化が悪すぎた。
ショーンは、オーランドと、ヴィゴのかみ合わない会話を聞きながら、間が持たず、ただ、ひたすらデリカの袋を漁ったのだ。
多分、サラダなど、二人分食べた。
余分に買ってあったコーヒーだって、もう、いらなかった。
ヴィゴは、手を伸ばして、立ち上がろうとしたショーンの腕を掴んだ。
「なんだよ。オーリと付き合うってのは、俺とはもう遊べないって意味なのか?」
「そういうわけじゃ…」
ショーンは、いい加減目の釣りあがってきているオーランドの手前、ヴィゴの手を振り払わなければならなかった。
オーランドはベーグルサンドを食べ終わり、それだけでなく、爪まで齧っていた。
いらいらしている証拠だ。
ショーンは、ヴィゴの指を腕から外しながら、小さなため息を付いた。
「また、今度ゆっくり遊びに来る。なぁ…頼む。ヴィゴ」
ショーンは、ヴィゴの顔を見ながら、親友がわかっていないはずは無い願いを口にした。
ヴィゴは、横に一本線を引いたように口元を引き伸ばし、頬に笑いジワを刻んだ。
「わかった。ここで俺がいつまでもごねると、ショーンが苛められるって訳だな」
オーケーと、言って、ヴィゴは、自分も席を立ち上がった。
「夕べあんたに遊んでもらえなかった間に、現像した写真を見てもらおうと思ってたんだが、諦めるか。せっかくいい感じに焼けたと思ったのにな」
「…え?写真?」
オーランドが、ヴィゴを見上げた。
それまで、険悪な顔をしてヴィゴを睨んでいたはずなのに、急に表情が変わっていた。
オーランドは、ヴィゴの芸術の信奉者だ。
「見たい?オーリ」
「…あ、うん」
自慢気にちらりとオーランドに視線を流したヴィゴは、いままで険悪さなかったかのように、いつもどおりの顔だった。
態度の悪かったオーランドのことをまるで意に介していない。
しかし、さすがに気まずいのか、オーランドは語尾を濁した。
オーランドは、吸い寄せられるままヴィゴを見上げていた黒い瞳を、口惜しそうに、テーブルへと逃がした。
「じゃぁ、おいで。オーリ。写真に関しちゃ、ショーンよりオーリの方がずっと真面目に見てくれる」
ヴィゴは、気にする事無く、テーブルの上に散らかった紙の皿やプラスティックのフォークをゴミ箱に捨てると、二階へと歩き始めた。
「…いいの?」
心細げなオーランドの声がヴィゴを追った。
「ああ、いいさ」
ヴィゴは、わざわざ振り返ることもしない。
ショーンは、ヴィゴに心の中で感謝した。
「…あの、ショーン。…いいかな?」
オーランドは躊躇いがちにショーンに聞いた。
目が、ヴィゴの背を追っていた。
行きたがっているのは、誰にだってわかることだった。
オーランドは、ヴィゴに感化されて自分でも写真を撮り始めていた。
ショーンは、どうぞ。と、オーランドの背中を押した。
「あーあ。ヴィゴって、なんであんな人なんだろう」
結局、オーランドは、まだ、焼き付けてないというフィルムの映像もみたくなり、ヴィゴと一緒に暗室まで入り込んでしまった。
出てきたのは、1時間もたってからだ。
その間、ずっとショーンは一人、ソファーに座って雑誌を捲っていた。
その雑誌も、オーランドが読んでみたかったもので、結局ヴィゴから借りて帰っていた。
「んー。ごめんね。ショーン。ショーン一人で待たせることになっちゃって」
オーランドは鼻で、ショーンの肩で大きな犬のように擦った。
ショーンの大きな手が、オーランドを押し返す。
「いい。もう、それは、何回も謝ってもらったじゃないか」
「でも…」
たどり着いた自分の家で、オーランドは、ショーンに纏わりついていた。
ドアを開けてから、一度だって、側を離れていない。
言葉ほど、ショーンの機嫌がよくないことが、オーランドにはわかっていた。
だからこそ、オーランドは、隣に座るショーンの肩にもたれていた。
「だってさぁ…」
オーランドは、もう一度、ショーンに近づき、肩に顎を乗せた。
ショーンは、オーランドの頭を撫でようとはしない。
オーランドはクッションを抱きしめ、ため息を付いた。
「ねぇ、ショーン。ヴィゴってさぁ、エキセントリックって言えばいいのかなぁ?…やっぱり魅力的だよね」
オーランドは、ため息と一緒に、今日の敗戦を振り返った。
「そう。そうなんだよな。くそー。ヴぃごなんか、嫌いになれればいいのに、…嫌いにだけはなれないんだよな」
オーランドは、かなり真剣な気持ちでお願いしに行ったつもりだった。
それなのに、ヴィゴは何度もオーランドのことをからかった。
青い目は、余裕を持って笑っていた。
そういう表情ひとつだって、オーランドは、憧れに近い気持ちで好きだということが出来た。
写真については、言わずもがなだ。
「あ〜あ」
オーランドは、もう一度、ため息をついた。
本当の所、オーランドは、今だって、ヴィゴがやっていたように、ショーンを足の間に挟みこんで抱きしめてしまいたかった。
だが、さすがにそれは無理だった。
そこまで許すほど、ショーンの機嫌はよくなかった。
仕方なく、オーランドは、クッションを抱きしめていた。
重ね重ね、自分の上を行くヴィゴが憎らしかった。
ヴィゴなら、こんなショーンでも簡単に抱きしめてしまうだろう。
だが、自分はどうだ。
ショーンは、オーランドとの間に間隔を置こうとしていた。
お陰でオーランドの身体は傾いている。
ため息ばかりつくオーランドに、とうとうショーンは、体を離した。
オーランドとの距離を開け、向き直ると文句を言い出した。
「なぁ、オーリ。お前だって、ヴィゴのこと好きなんだろ。だったら、変に俺たちのこと、勘ぐるなよ。やっぱり、今日、ものすごく恥かしかったぞ。あんなのは変だ」
言い出すだろうとは思っていた文句だったが、ショーンはやはり言い出した。
オーランドは大真面目に反論した。
「変じゃないよ。だって、おかしいのは、ショーン達だもん」
「違う。おかしくなんかない。俺たちは普通だ。お前が気にしすぎなんだ」
「なんで!そのことは、きちんと話合ったじゃん。ちゃんと周りを見てみなよ。どこに毎週末どちからの家に泊り合う友人がいるんだよ。いくら親友だって言ったって、唇にチュウ、チュウ、キスしあうのは、どう考えたって変だろ。あんた、俺がリジや、ドムなんかと、そうやってたら、嫌だって言ったじゃん。人にされて嫌なことは、人だってされたら嫌だっての!」
オーランドは、もう、何回説明したかわからないことを、また繰り返した。
「…確かに、そうかもしれないが…でも、今日だって、オーリが言ってたようなことなんて、結局何にもなかったじゃないか。何が、いきなりヴィゴが告白してきも、ふらついちゃダメだ。…くそ。本当に、恥かしい。牽制する必要なんてこれっぽっちもなかった」
ショーンは、顔を顰めてオーランドを睨んだ。
ソファーの上に置かれた手は、固く拳を作っていた。
「そう?本当に、そう?」
オーランドは、鼻の頭に思い切り皺を寄せた。
大きく息を吸い込んで、一つ、大きくソファーを叩いた。
「ヴィゴ、結局、全然譲歩しなかったんだよ?ショーンと遊ぶのも、連絡をとるのも、一緒に帰るのも…そう、全部。全部、今まで通りやるって。ショーンさえ、嫌じゃなきゃ、自分の態度を変えるつもりはないって!」
「当たり前だろ。大事な友人なんだ。いままで通り付き合ってくれなきゃ、俺の方が悲しくなるよ」
「…だから!そのいままで通りが、友人のラインなんかとっくに越えた付き合い方をしてるから、遠慮してくれって言いに行ったんじゃないか!」
声を荒げたオーランドは肩で息をしていた。
だが、ショーンは、下唇を突き出すような形に口を尖らせて、じろりとオーランドを睨んでいた。
まるで、納得していなかった。
この問題は、正式にお付き合いを始めてから、何度も、何度もオーランドとショーンの間で繰り返された。
夕べ、やっとショーンが納得してくれて、オーランドは意気揚々と、ヴィゴの家のチャイムを鳴らしたのだ。
「……でも…ヴィゴは、笑って受け入れてくれたが、あんなこと言いに行って、無事に帰ってこれたというだけで、奇跡みたいなもんだ」
ショーンは、オーランドから顔を反らし、ぼそりと言った。
確かに、そういう問題もあった。
ショーンと、オーランドは同性だった。
その上、すでに時間の問題ではあったが、ショーンは、既婚者だった。
その関係は軽々しく口に出来るものではない。
「それも、あんたが、言ったんじゃん。ヴィゴなら、大丈夫って」
最終的な判断は、ショーンが下した。
その判断が下るまで、どれ程、オーランドが耐えながら待ったか!
オーランドは、胃に穴が空くかと思いながら待っていた。
「それについては、ショーンが最初から断言してたんじゃん。ヴィゴなら、大丈夫だって」
ショーンは、拗ねたような口を利いた。
「だって、オーリ。…大丈夫だって、信じなきゃ、恐くて言えないだろ」
ショーンは、オーランドのせいにしようとしていた。
オーランドに押し切られたから、嫌だったけれど、ヴィゴに打ち明けたのだと。
いまさら、ずるい仕打ちだ。
「…やっぱり、ショーンは、どうしても隠しておきたかった?」
オーランドは、ショーンの目をのぞきこんだ。
ショーンは、逃げた。
緑の目は、オーランドと視線が合う前に、ついっと、横にそれた。
「ショーン…」
オーランドは、クッションを放り出し、ショーンの手を握った。
強すぎる力に、ショーンが慌ててオーランドを見た。
「何をするんだ」
オーランドは手を離さなかった。
「こっちに来て、ショーン。俺、もう一度、ショーンの愛情を確かめないといけないみたいだ」
それどころか、オーランドは、抵抗するショーンをずるずると引っ張り、寝室のドアをバタンとしめた。