ダメだって、わかってた。13

 

オーランドは、「もう一度」と、かかったPJの声にうなずきながら、手を上げた。

「ごめん。ちょっとだけ、飲み物を飲んでもいい?」

一緒にカメラに収まっているイライジャに対しても、首を傾げて許可を求める。

「いいけど・・・」

すこし、不満げな顔のイライジャは、わざとらしく大きな声を出した。

「あっ!ショーンだ!!」

椅子から立ち上がりかけていたショーンは、イライジャの大声で集まった視線に、困ったような笑いを浮かべた。

別のスタジオで撮影中のはずのショーンがいることに、PJは、何かの相談かと、すかさず席を立った。

「どうした?」

ショーンは、小さく手を振って、PJに断りを入れた。

「違うんだ。休憩になったから、遊びに来ただけ」

「珍しい」

PJは、肩を竦めた。

ショーンは、自発的にふらふらとスタジオ内をさ迷い歩くほうではない。

オーランドが、飲み物を取りに走り出そうとしたスタッフを手で制し、セットから抜け出すとショーンに近づいた。

一人、ライトの消えたセットに取り残されたイライジャが呆れた顔をして、軽い足取りのオーランドを眺めていた。

「どうかした?ショーン。何か用?」

オーランドは、自分に用があるわけでないと、殆ど確信を持っていながら、それでも一縷の望みをかけて、ショーンに聞いた。

「いや、ただ、覗きに来ただけだ」

ショーンは、すっかり弱った笑いを浮かべ、タバコをもみ消した。

「俺の顔が見たかったとか?」

ポットから、コーヒーを注ぎながら、オーランドおどけて言った。

途端に、ショーンは、渋い顔をした。

「オーリ。カメラが回っている最中は、集中しろ」

「・・・ああ、うん。そうだね」

オーランドは、泣きたくなるような気持ちを押し殺して、ショーンに笑った。

何かいい話題はないかと考えたが、結局、聞きたいことはこれしかなかった。

「ねぇ、ヴィゴと何をしゃべってたの?」

オーランドは出来るだけ、さりげなくショーンに聞いたつもりだった。

だが、ショーンは、さらに渋い顔をし、面倒くさそうにオーランドを突き放した。

ショーンは、眉を顰めたている。

「お前がこっちを見ているとしゃべっていた」

「・・・ごめん」

オーランドは、つい、さっきまで感じていた幸福はどこへ行ってしまったのだろうか。と、カップの端を強く噛んだ。

ヴィゴに礼を言った瞬間まで、オーランドは随分幸福だった。

ヴィゴは、あのトレーラの裏での会見のとき、オーランドの願いを完全に受け入れたようなことは言わなかった。

だが、それからのヴィゴの行動は、オーランドが思っていた以上に協力的だった。

休憩中は大抵一緒にいた二人なのに、ヴィゴは、ボードゲームを手に、誰か手の開いたスタッフに声をかけた。

撮りが終わって、食事に行こうという話しになった時だって、ヴィゴのいたはずのスタジオは、そこに主役の姿をとどめていなかった。

ヴィゴは、毎日、変わらずに撮影所のどこかに居て、楽しそうに、誰かとしゃべっていた。

なのに、ショーンと供に行動する限り、その姿をゆっくりと目の中にとどめておくことができなかった。

新しいことに夢中になっていると誰もに勘違いをさせながら、ヴィゴは、ショーンを上手く避けていた。

オーランドは、自分が頼んだのでなければ、ヴィゴの行動の異変など全く気付かなかっただろうと思っていた。

ショーンだって、ヴィゴは遊びの天才だな。と、笑っていた。

「あのさ、ショーン」

オーランドは、カップにほんの少し残ったコーヒーを傾けながら、ショーンの顔を見た。

ショーンは、何か気がかりなことがあるのか、スタジオのドアを見ていた。

「ねぇ、ショーン」

「ん?なんだ?」

眇められた緑の目がオーランドを見た。

皆を待たせたまま、気に障ることばかり言うオーランドに、ショーンはかすかに苛立っている。

「今晩の食事なんだけど」

オーランドが切り出すと、ショーンは、自分が今付き合っている相手が誰だかを思い出したようだった。

ああ、ああ、と、二度うなずいた。

ちらりと、ライトの消えたセットを気にしてが、オーランドの顔をしっかりと見た。

オーランドは、約束どおり一緒に食事を取るつもりをしていたが、少しだけ、口を開くまでに時間をかけた。

言いにくそうにするオーランドの態度に、ショーンは、表情を曇らせた。

オーランドは、知っていた。

ここ、二日ばかり、ショーンは少し不安定になっていた。

原因を、オーランドは全く話をしてくれない離婚問題のせいだと思っていたが、ショーンは人と一緒に居たがった。

「あのさ・・・俺、ちょっと時間に遅れるかもしれない」

オーランドの言葉が、キャンセルでないとわかると、ショーンは表情を緩ませた。

そして、オーランドから空になったカップを取り上げると、顎をしゃくって、セットに戻るよう言った。

「早く戻れ。まじめにやれよ」

「ちょっとだけで、いいから見て行ってくれない?」

オーランドは、ショーンの不安定さを利用しようとした。

こういう甘えをショーンが嫌うのは知っていたが、側にいて欲しいんだとアピールすることで、ショーンをもっと自分に依存させることが出来ないかと考えた。

返ってきたショーンの笑顔は機嫌が悪くなる一歩手前だった。

「何、子供みたいなことを言ってるんだ?」

オーランドの作戦は失敗に終わった。

ショーンは、明らかに、オーランドの拘束を嫌がっていた。

朝、迎えに行ったときは、甘いキスをくれたというのに。

「俺は、そういう・・・」

不機嫌さを丸出しにしたショーンの声に、オーランドは慌ててストップをかけた。

「わかった。ごめん。俺が悪かった。ちゃんとまじめにやる」

オーランドは、ショーンに背を向けてセットに戻った。

ライトがセットを照らす。

メイクスタッフが、イライジャと、オーランドのために、セットの中に入ってくる。

オーランドがメイクを直されながら、スタジオの暗がりに目をやると、ショーンが腕を組みながらセットの中のオーランドを見ていた。

オーランドの視線に気付くと、緩く横の首を振る。

オーランドは、あの暗がりで、顔を寄せていたヴィゴとショーンを見た。

二人はとても親密そうで、ショーンは、ヴィゴに顔を触られることにも同意していたようだった。

ライトの強い光のせいで、ショーンの表情の詳細まで、オーランドは知ることが出来なかった。

だが、あの時、ショーンは、「いつもの」表情をヴィゴに対して見せていたに違いなかった。

ヴィゴの隣に居る時の、ショーンの表情。

あの表情に名前をつけるなら、「安心」と、言う言葉が一番ぴったりくるだろう。

PJから、指示がでて、オーランドは視線をカメラに戻した。

しばらくショーンはそこにとどまっていたが、そっとスタジオから出て行った。

 

 

オーランドが、すっかり頭を切り替えて、臨んだそれからの収録は、イライジャに嫌味を言わせなかった。

あまりに早くテイクが進み、オーランドは、セットの用意ができていない都合で、ブルースクリーンの前に追いやられた。

イライジャを除いたホビットが、そこにいた。

休憩中なのか、ボードゲームに夢中になっている。

「ねぇ、ヴィゴってさぁ」

オーランドは、ゲーム板を覗き込みながら、声をかけた。

ここしばらくの幸福が打ち砕かれたような気分のオーランドは、見えないヴィゴの姿に、いやな想像ばかりが膨れ上がっていた。

「え?知らない」

「う〜ん。確か、打ち合わせって言ってなかったっけ?」

真剣になってゲームに取り組んでいる3人は、適当にオーランドに返事を返すと、ピッチャーのドミニクが、ボールを転がした。

こんなゲームに夢中になるとは思わなかったアスティンが、意外に真剣な顔をしてバットを振る。

「げっ!ホームランコース・・・・」

アスティンの打ったボールは、勢いよくマウンドを転がっていった。

何の障害物にも邪魔されず、銀の球はホームランと書かれたスペースに転がり込む。

はやし立てるビリーの声に、ドミニクががっくりと肩を落とした。

「畜生。また、やられた・・・」

がたがたとボード板を揺する。

「何?オーリも、ブルースクリーン?」

顔を上げたドミニクが、オーランドに聞いた。

「うん。結構上手く進んだんだ」

オーランドは、収録のはずのショーンと、打ち合わせだというヴィゴが別の場所にいることにほっとした。

そういえば、ヴィゴは、さっきだって、すぐにショーンの側から席を外してくれたと、希望的な考えも浮かんできた。

少なくとも、二人きりのときのショーンと、オーランドは決して険悪なムードではない。

オーランドは、ドミニクが、新しい球を転がすのを眺めていた。

ビリーがオーランドの袖を引いた。

「じゃぁさぁ」

ビリーは、立ち上がり、手に野球ボードを抱えて戻った。

「なぁ、オーリ、俺と、一戦やらないか?今、ライトの調子がおかしいらしくて、ちょっと暇なんだよ」

「一体、どれだけ、そのボードゲームって、現場にあるわけ?」

「知らない。結構みんなが買い込んできてるんだ」

オーランドは、随分そこで、ボードゲームに付き合うことになった。

だが、なんとか、ショーンと約束した時間より少しだけ早く待ち合わせの場所に着くことができた。

 

駐車場の車の中で、待っていたオーランドに、ショーンは、すこし驚いたような顔をした。

ショーンは、予告どおり、オーランドが遅れて来るものだとばかり思っていたようだ。

タバコを口に、ぼんやりとしながら歩いてきた。

自分の車に乗り込もうとしたショーンがドアを開けたところで、オーランドは、車から降りた。

夜間照明に照らされたショーンが、駐車場の中を見回し、何かを探していたことには気付かなかった振りをした。

「ショーン!」

ショーンは、ドアに手をかけたまま、驚いた顔をして振り返った。

「なんだ。オーリ。早かったんだな」

「うん。思ったよりずっと早く終わった。どうする?一台で、行く?それとも、別々で?」

ショーンは、車のドアを閉め、オーランドに近づいた。

タバコの匂いが、オーランドの鼻を擽る。

「面倒くさいから、乗せて行ってくれ」

ショーンは、柔らかく笑って、オーランドに頼んだ。

オーランドは、助手席に回り、ショーンのためにドアを開けた。

当たり前の顔をして、ショーンが助手席に乗り込んだ。

オーランドはドアを閉めると、運転席に座った。

きょろきょろと辺りを見回し、シートベルトをするショーンの顔を両手で挟んだ。

「ご苦労様」

オーランドは、ショーンの口からタバコを取り上げると、触れるだけのキスを唇にした。

ショーンは、少し唇に力をいれ、オーランドのキスに応えた。

「どこの店に行くつもりだ?」

オーランドの手かタバコを取り返したショーンが、口に咥える。

オーランドは、キィを回しながら、ショーンに尋ねた。

「いつものとこで、ダメ?」

「・・・・あー、まぁ、いいか」

ショーンの返事は歯切れが良くない。

「何?違うものが食べたいの?」

オーランドは、ゆっくりと車を発進させながら、ショーンに視線を流した。

ショーンは、頭を掻きながら、タバコのフィルターを噛んでいた。

「なんか、飽きた。ちょっと、違うものが食べたい」

「じゃぁ、どこにしよう?」

オーランドは、とりあえず、食事の出来る店がありそうな方向に向かってハンドルを切った。

ショーンは、特別食べたいものも思い浮かばないのか、悩み込んだ顔をしてライトに照らされた前方を見つめている。

「ねぇ、ショーン。もしよかったら、買って帰って、うちで食べる?もし、泊まっていってくれるんなら、気兼ねなく飲んでもらって構わないし」

「それ・・・いいな」

ショーンは、疲れているのか、嬉しそうに賛成を示した。

ショーンの一言で、今日の夕食は決定し、オーランドは、両手に荷物を抱えたまま、家のドアを開けた。

 

袋の中から、容器を取り出し、机の上に並べる。

ソファーに座ったショーンにスープを取ってやりながら、オーランドは、深くソファーに腰掛けた。

足は、ショーンの腿に触れている。

オーランドは、自分の食べていたサラダをフォークで掬い、ショーンの口元に持っていった。

ショーンが口を開け、食べた。

もぐもぐと口を動かしながら、一口飲んだスープをテーブルに戻すと、同じ店で買った雑誌を袋から出し、ビールを開けた。

「もっと、食べる?」

「ああ」

口を開くショーンにオーランドは、フォークを近づけた。

ショーンの目は、雑誌に落ちたままで、オーランドの差し出したサラダは、口に入りそうになかった。

「ショーン、こっち見て。ほっぺたで食べる気?」

顔を上げたショーンが、大きく口を開く。

オーランドは食べさせてやりながら、くつろいだショーンの様子に眉尻を下げた。

「おいしい?」

「うん。まぁまぁ」

ショーンは、広げたままの雑誌を机の上におき、ボックスを開け、パスタを食べ始めた。

オーランドは、ショーンに寄りかかるようにしていた。

重いだろうに、ショーンは何も言わない。

二人きりでさえあれば、ショーンは、驚くほどオーランドの体温を嫌がらなくなった。

特に、ここ二日ばかりは、オーランドが離れようとしても、追ってくるようなほどだ。

「ショーン」

今だって、ショーンの重みもオーランドに分け与えられていた。

名を呼んで、目を瞑れば、食事中だというのに、ショーンはオーランドにビールの匂いのするキスを与えた。

オーランドは、自分もパスタを口に運びながら、ショーンに話しかけた。

「ねぇ、ショーン。来週って、また、イギリスに帰るの?」

「行って、とんぼ帰りだ。ああ、そうだ。書かなくちゃいけない書類があったんだ。面倒だな」

ショーンは、嫌そうに顎を撫でた。

本当に面倒くさそうな顔をしていた。

「それって、離婚に関する書類?」

オーランドは、ショーンへと踏み込んだ。

ショーンのことが理解したかった。

出来るだけ長くショーンと付き合って行きたいと思っているオーランドにとって、ショーンの考えていることを知ることは重要だった。

ショーンは、曖昧に頷き、雑誌に視線を戻した。

丸められた背中は、その話題は嫌だと言っていた。

「ねぇ、どっちが別れたいって、言い出したわけ?」

オーランドは、ショーンのプライベートな部分をこじ開けようとしている強引さは自覚していたが、自分には、聞く権利があると思った。

ショーンは、食べ終わったパスタのボックスをゴミ箱に投げ込んだ。

スープを取り、オーランドを無視したまま飲んだ。

オーランドは諦めず、ショーンの背中を見た。

「・・・オーリ」

いつまでも視線を外そうとしないオーランドをたしなめる響きのある声が、名を呼んだ。

ショーンは、ぐいっとビールを煽った。

オーランドは、問いかける視線をやめなかった。

 

しばらくして、ショーンはため息をついた。

「お前、まだ、食ってるのか?」

ショーンは、本を閉じ、ソファーから立ち上がると、オーランドの手を引いた。

オーランドの体を強引にソファーから引き上げる。

「オーリ、まだ、腹が減ってる?・・・一緒に行かないか?」

ショーンが顎をしゃくった先は、バスルームだった。

ショーンの手が、オーランドの腰を抱いた。

オーランドは、ショーンの胸に腕をついた。

「・・・・俺とそういう話はしたくないんだ」

「少しも楽しい話じゃないからな」

強引にオーランドを抱き込んだショーンは、棘のあるオーランドの言葉をキスで押し込めてしまった。

いつもはキスされることが専門であるかのような唇が、オーランドに優しいキスを繰り返した。

オーランドは手に持っていたパスタも取り上げられ、バスルームに連れ込まれた。

「オーリ・・・」

ショーンは、何度だって、オーランドの名前を呼んだ。

今日だって、多分、誰よりも沢山、オーランドの名を呼んだ。

側にいろと、ショーンは、オーランドを呼び寄せる。

オーランドは、明かりをつけ、シャツを脱ぎ捨てているショーンを強く抱きしめた。

ショーンは、決してオーランドが聞きたかった話題を蒸し返さない。

オーランドは、口を強引にキスで塞ぎ、話をしないショーンという存在を消した。

 

 

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