ダメだって、わかってた。12
ヴィゴと、イライジャは、PJの肩を抱いたまま、彼をデレクチャーズチェアーに座らせた。
PJは、笑い転げている二人に、不審顔だった。
「こら、カメラを止めろ。こんなとこ、撮らなくていい」
カメラが自分を撮っていることに気付いたPJは、野球帽のカメラマンにストップをかけた。
「えーっ、撮っといて。PJが、やっと自分だけ帽子を持ってないって、気付いた記念なんだから!」
イライジャは、カメラに向かって、あまりに笑いすぎたせいで、涙まで盛り上がっている目を向けて、大きく手を振った。
アップで撮るカメラに、イライジャは、大きな目を向ける。
「今日、やっとPJは、自分が帽子を持っていないことに気付きました。彼は、ボードゲームに参加しないと野球帽がもらえないと思っていたみたいです。自分だけ、ゲームに誘ってもらえないことを寂しく思ってたんだって!皆、PJのこと、ゲームに誘って上げてね!!」
すかさず、声を拾おうと、差し出された移動されたマイクが、イライジャの声を皆に伝えた。
スタジオにいた人間が吹きだした。
何人かは、ヴィゴに同情的な目を見せた。
ヴィゴは、集まる視線に、肩をすくめると小さく手を振った。
「何だ?何か、皆で俺に隠し事をしているだろう?」
PJは、自分を取り巻く空気の違和感に、不審顔をますます強くした。
椅子の後ろに立っていた野球帽のタイムキーパーを睨む真似までした。
ヴィゴが、口を開いた。
「隠し事なんてしてないよ。PJ。ずっと前に仕掛けた俺の悪戯に、今、やっとオチがついたから、皆が俺に同情してくれてるだけなんだ。前に、あんたに野球チームを作るのか?って、聞かれたことがあっただろう?ほら、あそこで、待ってるエルフが、野球帽を被ってて、あんた、あいつに、はしゃぎすぎて怪我をするなよって、言ってた」
ヴィゴは、セットの中に入って待っているオーランドを、PJに指し示した。
オーランドは、何故、自分が指差されたのわからず、小さく首をかしげた。
「・・・そういえば、そんなことが・・・あったかな?」
「撮影中のことだからな。どうせ、その位にしか、記憶に残ってないだろうがね。あったんだよ。あんたは、ちっとも気付いてくれなかったが、実は、あの時、俺は、現場にいる全員に帽子を被ってくれるようお願いしていてね。野球帽は、自分で帽子を持ってない人間に配ったんだ。あの時は、本当に、あんたのことを仲間はずれにしようとしてたんだよ。あんたは、まるで気付いてくれなくって、全く、効果はなかったけどね」
ヴィゴは、情けない顔で笑った。
イライジャは、伸び上がって、ヴィゴの肩を抱くと、ぽんぽんと叩いた。
「ヴィゴ。あの後、自信を喪失しちゃってさ。面白かったんだよ。PJに言われた野球チームを本当に作ろうとしたり、皆に断られて、仕方なく、ボードゲームで野球を始めたりして」
「なんだ。そういう理由で、野球のボードゲームが流行りだしたのか」
PJは、一つ疑問が片付いたのか、納得顔でうなずいた。
イライジャが、また、吹きだした。
「PJ、ここは、野球ボードの流行しはじめた理由に納得してないで、今まで、すべってたヴィゴに同情してあげるべきでしょう」
「いや、」
PJが困った顔をした。
どう言っていいのかわからずに、ヴィゴの顔を見上げたPJに、ヴィゴは、苦笑した。
「いいんだ。PJ。俺は、あんたの集中力を甘く見ていた。あんたは偉大な監督だ。映画以外のことに、これほど惑わされないとは、思わなかった」
「ほんと、ほんと。もう、2週間近いよね。あの日から、ヴィゴの帽子を被ってる人間なんて、結構たくさんいるのに、ボードゲームと抱き合わせで、やっとPJが自分だけ周りと違うと気付いた」
イライジャは、嬉しそうに笑っていた。
しかし、その嬉しそうな顔に顔を顰めた人間が近づき、イライジャを引っ張った。
「リジ。ちょっとこっちに来て。睫がすっかり濡れてるわ。それに、頬もそんなに赤くなってちゃ困るから、すこし上から押さえるわよ」
舌を出したイライジャが、メイクスタッフに連れられていく。
ヴィゴは、PJに、にこりと笑った。
「ゲームの方は、本当に、いつでもあんたの参加を歓迎するよ。ほんとに野球チームでも作ってやろうとして、メンバーが集まらず、やけくそで始めたんだがね、やってみたら、結構、面白いんだ。とてもいい暇つぶしになる」
PJは、頷いた。
ヴィゴは、嫌味のないPJの態度に、満足そうにセットに向かって歩き出そうとした。
「待って!ヴィゴも、衣装のほこりを払ってからセットに入って頂戴。ちゃんとはたかないと、セットの裏で、ゲームするのを禁止にするわよ!」
イライジャのメイクを直していたスタッフの声が、ヴィゴにも飛んだ。
セットの中では、弓までフル装備のオーランドが待ち構えていた。
オーランドは、ヴィゴに向かって首をかしげた。
「どうかした?」
「何が?」
「だって、俺に向かって、指差してただろう?」
「ああ、PJに俺が本当に仕掛けていた悪戯の説明をしていたんだ」
ヴィゴは、無防備な顔をして見つめてくるエルフに優しい笑いを浮かべた。
「ああ、なるほど。PJ、面白いね。やっと気付いたんだ。でも、本気で、自分が仲間はずれにされてるのを、ボードゲームのほうだと思っての?」
「そう。ボードゲームのメンバーになれば、野球帽が貰えるのかって、聞いてきた」
ヴィゴは、セットの中に入っても、まだ、マントについたほこりを払っていた。
オーランドは、ヴィゴの背中に回ると、パンパンと手で叩いてやった。
ヴィゴのマントはすっかり白くなっていた。
「ヴィゴ。あんた、どこに潜り込んでたんだ?」
「このセットの裏だよ。リジと、ゲームしてたんだ」
オーランドは、ヴィゴの髪に絡んでいるほこりを指に挟んだ。
顔に仕方がないという笑いを浮かべていた。
「相変わらず、だね」
「たかが、埃だ」
ヴィゴは、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
それから、ちらりと、イライジャのメイクを直しているスタッフに目をやった。
幸いなことに、スタッフは、イライジャに夢中の様子だ。
ほっと胸をなでおろしたヴィゴを、オーランドはうらやましそうに見ながら、指についているほこりを吹き飛ばした。
「夢中になってるヴィゴって、格好いいよ」
オーランドの目には、本気で憧憬の色が浮かんでいたが、あえて、ヴィゴは、軽く受け流した。
「そうだろう?たとえ、ボードゲームでもな」
手櫛で、適当に髪を整えたヴィゴは、オーランドにどうだ?と、目でたずねた。
オーランドは、唇を大きく引き上げて、笑った。
指が伸び、ヴィゴの髪をオーランドが直していった。
「ヴィゴ。なんか、あの野球ゲーム、あんた、弱いってうわさが流れてるんだけど?」
オーランドは、もっと何か他のことが言いたそうだった。
ヴィゴは、それに思い当たっていたが、自分から水を向けるようなことはしなかった。
「対戦表を見てるか?俺より負けてる奴なんて、いくらでもいるだろう?」
ヴィゴは、対戦表の仕掛けについては、なにも語らなかった。
飄々とした表情だ。
オーランドは、口元を緩め、それから、ちらりと周りを見回すとヴィゴの耳へと口元を寄せた。
「ヴィゴ。何度も御礼を言うのは、変だってわかってるけど。ありがとうね。俺のお願いを叶えてくれて」
オーランドは、小さな声で、今までに比べたら、ずっとショーンと一緒にいられる時間が増えた。と、つぶやいた。
照れくさそうな顔が、オーランドの幸福を如実に表現した。
もう、何度も、ヴィゴは、オーランドからこうやって礼を言われた。
オーランドはとても素直な性格だ。
ヴィゴは、オーランドに唇だけで笑った。
すっかりいたいけなホビットの顔をしたイライジャが、セットの中に入ってきた。
途端に、ライトがセットを照らす。
「まぶしい」
オーランドが、目を瞑った。
ヴィゴは、オーランドの耳元に口を寄せた。
「礼なんていい。俺は、ほんのすこしだけ、お前を尊重しているだけだ。でも、言ってあるだろう?もし、ショーンが自分から、俺にアピールしてきたら、その限りじゃないからな」
ヴィゴの舌が、からかうようにオーランドの尖った耳をぺろりと舐めた。
オーランドは、驚いたように振り返った。
「リハーサルいくぞ!」
機嫌のいいPJの声がかかった。
俳優達は、声に追い立てられ、それぞれの位置に立った。
自分の出番が終わったヴィゴは、スタジオの隅に置かれたコーヒーをカップに注いでいた。
イライジャと、オーランドはまだ、ライトに照らされていた。
背中を見せているヴィゴに、ショーンが近づいた。
ショーンは、ヴィゴの隣で、タバコに火をつけると、唇に柔らかい笑いを浮かべた。
「なんだかヴィゴの顔を、久しぶりに見る気がするよ」
ヴィゴは、一瞬驚いたような顔をした。
だが、すぐに、いつもの顔に戻った。
「ああ、そうかもな。俺も、久しぶりにショーンの顔を見た気がするよ」
ヴィゴは、さっき口にしたばかりの言葉が実現されてしまった驚きをやり過ごしながら、カップのコーヒーを啜り、ショーンににやりと笑った。
「でも、ショーン。そんなに間が開いてたか?多分、顔を見なかったのなんか、ここ3日くらいじゃないか?」
ヴィゴは、ポットを戻しながら、ショーンにからかうように言った。
ショーンは、煙が目にしみたとでも言いたげに、目を顰めた。
「あんたの姿は見かけないのに、いた痕跡をあちこちに見つけたんだ。本当にどこにでも残ってるな。さっきもセット裏にあった、ボードゲームを踏み潰しかけた」
ショーンが肩をすくめた。
ヴィゴは目を見開いて笑った。
「やめてくれよ。ショーン。あんたの足で踏まれたら、ゲーム板が壊れちまう」
「だったら、あんなとこに置いておくなよ」
「仕方がないだろう?呼び出しがかかったら、片付けてる暇なんてない」
ヴィゴがそこにあった椅子を引いた。
ショーンも習って、腰を下ろした。
「嘘をつけ。ヴィゴ。あっちにもこっちにも、ゲーム中ってかんじのボードが置いてあるぞ。あれ、持ち歩くのが面倒だから、適当にあちこちに置いてあるんだろう。どこに行っても、皆、あのゲームに夢中だ」
「あんたも、やればいいのに」
ヴィゴは、カップを傾けながら、ショーンを横目でちらりと見た。
ショーンは、嬉しそうな顔をして笑った。
「なんだか、ヴィゴのそういう顔を見るのは、本当に久しぶりな気がするよ。セットの中じゃ会うけどな。こうやって、話をするのは、本当に久しぶりだろう?」
「そういえば、そうかな?近頃、すれ違いが多かったな」
ヴィゴは、半分に減ったコーヒーを机の上に置き、自分もタバコを取り出した。
「寂しかった?もしかして、ショーン、俺のことを探して、セット裏に?」
からかうヴィゴの目を、ショーンは、すこし疑うような顔をした。
「なぁ・・・本当に、すれ違いか?お前、オーリに何か言われたんじゃないか?」
「何を?」
ヴィゴは、手で、タバコを覆い、ライターをつけようとした。
火がつかないことに舌打ちした。
「ショーン。火を」
タバコを咥えたままの、ヴィゴが、ショーンに顔を寄せた。
ショーンの唇が、極自然にヴィゴへと近づき、タバコは、その先を触れ合わせた。
ゆっくりと、ヴィゴのタバコにも赤い火が灯り、紙の焼ける匂いがする。
「サンキュ」
ヴィゴは、煙を吸い込むと、椅子の背もたれにもたれた。
「で、何だって?ショーン。俺が、お前の、大事なダーリンの言うことを聞いてやったかどうか?って、質問だっけ?」
悪戯に肩眉を上げたヴィゴに、しっ、とショーンが、人差し指を唇の前に立てた。
「そういうことを言わないでくれ」
「ああ、ごめん。じゃぁ、ショーンの子猫ちゃんとでも言えばいい?」
楽しげな目をしてショーンを眺めるヴィゴに、ショーンはわざとらしい怒った顔をした。
「ヴィゴ!」
ショーンの声が、笑っていた。
「ヴィゴ。そういう恥ずかしい表現はやめてくれ。ああ、でも、俺の勘違いか。いつものヴィゴだよな。そうだよ。どこも変わってない。なんだか、俺、ヴィゴに避けられていたような気がしてたんだ。だから・・・」
ショーンは、恋しそうな目をしてヴィゴを見た。
ヴィゴは、ショーンに向かって、煙を吐き出した。
「俺がいなくて、寂しかった?そんな浮気者で、大丈夫か?うん?」
ヴィゴは、ショーンの頬を撫でた。
「ボードゲームで忙しかっただけだよ。ショーン。あんたが、寂しいってんなら、あんなゲームくらい、いつだってやめてやる」
「そういうことが言いたいんじゃなくて・・・」
ショーンは、少し落ちつかな目をして、自分の足元見た。
「ショーン・・・」
ヴィゴは、笑いを堪えたような、震えた声を出した。
「おい、ショーン。お前の・・・じゃぁ、子犬ちゃんでもいい。すごい顔してこっちを睨んでるぞ。間違いなく、撮りなおしだ。あんた、あいつを躾なおした方がいい」
触っていたショーンの頬をぴたぴたと叩いたヴィゴは、タバコを指に挟んで、セットを指差した。
「なぁ、あいつ、あそこから、俺に弓矢でもぶっ放しかねない顔してる。ショーンは、次、撮り?恐いから、俺は、打ち合わせに行くよ。あっ、ボードゲームになら、いつでも歓迎するからな。PJも参戦するって、決まったんだ。あんたも混じれよ。めちゃくちゃにやり込めてやるから」
ヴィゴは、そのまま立ち上がり、机に置いたコーヒーを取り上げた。
「ヴィゴ!」
オーランドのきつい視線に、苦い顔をしていたショーンが、慌てて声を上げた。
ヴィゴは、ゆっくりと振り向く。
顔にはいつもどおりの笑顔がある。
「何?ショーン?」
「いや・・・ああ、いい、ごめん。ボードゲームは、ヴィゴが一番弱いって聞いたんだけど、違うのか?」
「お前も、対戦表を見てない口か?タバコの火、ありがとうな。ショーン」
ヴィゴは、ショーンに背中を見せた。
そのまま振り返ることもせず、ショーンを置いてスタジオを出て行く。
ショーンは、このスタジオに用なんてなかった。
ただ、ヴィゴがここにいるはずだ。と、当たりをつけてやってきたのだ。
ショーンは、小さなため息を吐き出した。