ダメだって、わかってた。11
ヴィゴの肩越しに、ひょっこりと、イライジャが顔を出した。
コードのうねるセットの裏で、ヴィゴと、スタントマンの間で行われているボードゲームの状況に、笑いを漏らした。
「ヴィゴ、弱いねぇ」
「体を動かすほうなら、負けない自信があるんだがな」
ヴィゴと、スタントマンは、野球のボードゲームに興じていた。
9対1で、完全にヴィゴが負けていた。
「本当にやるのだって、俺の方が強いと思うね。俺は、地元のリトルリーグで、ピッチャーを勤めていた」
「じゃぁ、なんで、ここでチームを作るって言ったときに名乗り出なかったんだ」
「俺は、未だに地元のチームに入ってるんだよ。休みは、そっちの練習で忙しいんだ」
スタントマンの言葉に、ヴィゴは、少し頬を膨らませ、小さなため息を吐き出した。
「友達がいのない奴だな」
「いいじゃないか。ヴィゴのおかげで、すっかりボードゲームばやりだ。PJだって、本当にチームを作られるより、ずっとほっとしている」
あの日配られた赤い野球帽は、未だに、多くのスタッフが着用していた。
さすがに、全員が、と、言ったわけではなかったが、おもしろいことに、PJの周りに愛用者が多かった。
よく、PJの周りを、野球帽の一団が取り囲んでいた。
勿論、PJは、そこに違和感など感じていない。
「ほら、ヴィゴ、玉を投げていいか?」
「オーケー。今度こそ、ホームランだ」
体の大きなスタントマンは、ほこりまみれの床に座り込み、小さなばねを押し下げ、ボールを転がした。
ヴィゴが、マントの裾を払って、ボタンに手を置き、立ち向かった。
真剣に玉の転がるのを注視し、力いっぱいボタンを押したが、玉は、ヴィゴのバットが振られるより先に、ホームベースを通り過ぎていった。
「ストライク!」
イライジャが、大きな声で審判を勤めた。
ヴィゴは、顔を顰めた。
「お前、カーブとか、フォークボールとか投げてるだろう」
「どうやって、こんなゲームでそんな玉が投げられるっていうんだ」
「じゃぁ、このスイッチバネが壊れてないか?」
ヴィゴは、床からボードを持ち上げ、ひっくり返した。
「俺が、打ってたときは、無事だったんだがね」
じゃらじゃらと玉を落としていく野球ボートに、男は、苦笑した。
「続き、やるか?ヴィゴ。それとも、降参する?」
自分の優位に、余裕の笑みを浮かべた男に、声がかかった。
セットの陰で、頭を突き合わせている3人に近づいたスタッフは、メガホンをわざわざスタントマンの耳元にくっつけた。
「忙しいとこ、すまないがね。見本を見せてやってくれ」
プラスチックの中で、篭った声が笑っていた。
「どっちが勝ってるんだ?」
ぐちゃぐちゃになったボード板を見下ろしたスタッフは、ヴィゴに聞いた。
「どっちだと思う?」
イライジャが、笑いながら問いかけた。
唇を曲げているヴィゴと、にやにや笑う男を見比べれば、勝利者は、確実だった。
「こいつは、変化球を投げるんだ」
ヴィゴは、立ち上がったスタントマンを指差した。
「ほんとか?そりゃぁ、ぜひ、今度投げ方を教えてくれ」
スタッフも、野球ボードゲームのメンバーだった。
「そんなわけないじゃん。ヴィゴが下手なんだよ。全然、タイミングがあってない」
「不思議だよな。ヴィゴは、結構反射神経だって、いいのに、どうして、そんなに下手なんだ?」
スタッフは、スタントマンを先に行かせながら、ヴィゴがスイッチを押すのを見ていた。
ヴィゴは、素振りをしていた。
バットが、ボードの上で、何度も半回転した。
「上手いもんだろ」
「そうだよね。うん。球さえ転がってこなきゃ、ヴィゴ、スター選手だよ。きっと」
イライジャのまぜっかえしに、スタッフは笑った。
「ヴィゴ。今度、俺とやろうな。あんたとやれば、俺の黒星更新はストップ間違いない」
スタッフは、ヴィゴに笑った。
ヴィゴは闇雲に、バットを振り、スタッフに自分のプレーをアピールした。
がちゃがちゃと音を立てるスイッチに、スタッフは苦笑する。
「壊すなよ」
スタッフは、セットの陰で休憩を取っている主役達を置いて、戻っていった。
イライジャが、ピッチャーマウンドに立った。
さっき転がった銀のボールをボードに入れながら、ヴィゴの顔をみた。
「ヴィゴ。今度は、俺と対戦しようか?」
イライジャは、試しにとばかりに、2球続けて、ボールを転がした。
一球は、どういう加減か、大きく逸れていった。
「カーブだ。ヴィゴ」
イライジャは、思い通りに転がらない球に驚いた顔をした。
「ファールボールって言うんだ」
ヴィゴは、コードの間には埃綿が転がっているというのに、べたりと床に寝転んだ。
指をバットを振るためのスイッチに置き、顎を少し浮かして、イライジャのボールを真正面から捉えようとしていた。
真剣なヴィゴに比べれば、ずっと気楽に、イライジャは、ボールを転がした。
イライジャは、座ったままだったので、上から、ボードを見下ろすことが出来た。
上から見ていると、ヴィゴのバットは、球がバッターボックスを通り抜けるよりずっと早く振られた。
「ストライク!」
イライジャは、笑う。
ヴィゴは大きく舌打ちをする。
イライジャは、次のボールを転がすため、バネを押し下げながら、ヴィゴに声をかけた。
「ねぇ、ヴィゴ」
「なんだ?俺を惑わすつもりなら、やめてくれ」
ヴィゴは、片目を瞑って、いつでもスイッチが押せるよう指を用意していた。
「べつに、惑わしたいわけじゃないけどさぁ・・・」
イライジャが転がしたボールが、大きく逸れた。
「あれ?」
ヴィゴがにんまりと笑った。
「ねぇ?このボード曲がってない?」
「曲がってないさ。リジは、カーブを投げたんだろ?大きく曲がりすぎたから、ファールになったが、カーブのつもりだったんだろ?」
イライジャは、小さく舌打ちし、また、バネを押し下げた。
バネから指を放しながら、口を開いた。
「ヴィゴさぁ。ショーンと、喧嘩でもした?」
「・・・してない。畜生。また、振るのが早かった」
さっきまでヴィゴと対戦していたスタントマンが、速球を転がすタイプだった。
それに振り遅れないよう、必死にスイッチを押す癖がついていたから、イライジャのスローボールは、ヴィゴにとって、タイミングが合わなかった。
ヴィゴは、闇雲に、スイッチを押した。
「ねぇ。試合中の素振りって、いいの?」
「ゲームだ。ゲーム。細かいことを言うな」
イライジャは、くすりと笑い、また、球を転がした。
「・・・喧嘩じゃないんだったら、なんで、ヴィゴは、ショーンと一緒にいないのさ」
「べつに、いつも、一緒にいるわけじゃない。おっ、よし!」
ヴィゴのバットに球が当たった。
ボールが、勢いよく転がっていく。
しかし、残念なことに、球は、ラインを越え、ファールとなった。
開いている穴から、球は、ボードの下へと落ちていった。
「ファールなら、まずまず。ここから粘るぞ」
ヴィゴは、髪をかき上げ、イライジャに宣言した。
「真剣だね。ヴィゴ。でも、いつでも一緒に遊んでるくせに、このゲームだって、ショーン、やってないじゃん」
「ショーンはあんまりこういうのが好きじゃないんだよ。最初の一回は、やったけどな。面倒くさいって、メンバーに入らなかったんだ」
「ふーん。いいけどさぁ。でも、喧嘩してるんだったら、早く仲直りしてよね。人が気付く前に、なんとかするのが、大人でしょ」
イライジャは、球を転がした。
また、ヴィゴのバットに当たった。
しかし、ファールだ。
「これだから、若いくせにキャリアの長い人間は嫌だね」
ヴィゴは、舌打ちした。
「別に俺だけじゃないもん」
イライジャは、口を尖らせた。
「庭師か?庭師はどうやって言ってるんだ」
「何にも言ってない。ショーンは、俺なんかよりずっとキャリアが長いからね。大抵静観してるだけ」
「それでこそ、大人の態度だな」
イライジャは、すばやくバネを押し下げた。
早いボールに、ヴィゴが振り遅れた。
「三振。交代。そうだよね?ヴィゴ」
ヴィゴは、床からボードを持ち上げ、イライジャがバッターボックスに立った。
ヴィゴが球を転がすと、イライジャは、タイミングよく当ててくる。
「ヒット!おしいね。これ、ホームラン出すのって、結構難しいんだ」
イライジャは、立て続けに、ヒットを出した。
ヴィゴは、打たれた後、ちゃんと守備にも付いたのだが、イライジャのコースが良くて、守備を固める人形の付近には、イライジャの球は転がってこなかった。
すべて、場外を目指し球は転がり、つまり、グランドを越えた球は、ホームランと書いた部分に入らなければ、それ以外はすべてヒットとして一塁分進むことが出来た。
イライジャは、ノーアウトで、一点を得ていた。
「お前と、アスティンと、後、誰が俺達が喧嘩してるって言ってるんだ?」
ヴィゴは、球を転がしながら、言った。
今度は、イライジャが振り遅れた。
「やっぱり、喧嘩してるんだ。さっさと仲直りしなよ。どうせ、どうでもいいことで喧嘩してるんでしょ?」
緩急をつけてくるヴィゴの投球に、イライジャは、また振り遅れた。
「ヴィゴ。もう少し打ちやすい球を」
「勝負してるのに、何で手加減してやらないといけないんだ?」
「いいじゃん」
ヴィゴは、勢いをつけた早い球を転がした。
しかし、狙っていたように、イライジャはそれに当ててきた。
「やったね。一点追加」
「リジ。俺と、ショーンは、喧嘩なんてしてない」
ヴィゴの言葉に、イライジャは顔を上げた。
「そうなの?でも、ヴィゴ、近頃、ショーンから逃げてるでしょ?」
「逃げてるって、言われると語弊があるな。違う。お互いを尊重し合ってるだけだ」
「まぁ、いいんだけどさぁ。ショーン、多分、すこし困ってるみたいだよ?まだ、あんまり気付いてないみたいだけど、時々、どうして今、自分が一人でいるんだ?って、顔してる」
イライジャの言葉に、ヴィゴは顔を顰めた。
「ショーンが、気付いてないことに、お前が気付くな」
「気付くよ。俺、ショーンより、ずっと聡いもん」
イライジャは、青い目でヴィゴをじっと見つめてにこりと笑った。
「多分、ヴィゴが気付いてないことだって、俺は気付いてると思うな」
フェアリーのようだと言われる恐ろしく清んだイライジャの目が、意地の悪い表情をのせ、ヴィゴに笑った。
「さて、あと、何点取れるかな?俺、結構このゲーム向いてるのかも」
イライジャは、バットを振るスイッチに指をかけ、ヴィゴのボールを待った。
ヴィゴがボールを転がす。
「うっ・・・ミスった」
しかし、そこからは、イライジャが、空振りの三振をし、その後も、ヴィゴの守備が光って、攻守は変わった。
夢中になって、ボードゲームに熱中してた二人の真上に、PJが立った。
「リジも、ヴィゴも、そろそろスタンバイして欲しいんだけどね」
PJは埃まみれになって、ボードゲームに興じている主役の二人を笑った。
ゲームは、6対2でイライジャがリードしていた。
イライジャは、ぱんっと、手を叩いた。
「俺、わかったよ。うわさじゃ、すげーヴィゴが弱いって聞いてたのに、なんで対戦表に黒星が増えないんだって思ってたら、そうか。ヴィゴは、こうやって、ゲームの途中で終わりになることが多いから、負けてても黒星にならないんだ」
イライジャは、ぬけるような青い眼をして、PJに提案した。
「ねぇ、3回コールドってのを新しくゲームのルールに設定しようよ。PJもやらない?このゲーム結構面白いよ」
立ち上がるイライジャに手を貸していたPJは、嬉しそうな顔をした。
「リジ。誘ってくれるのか?」
たっぷりと肉のついた顎が、柔らかいカーブを描いた。
「皆で楽しそうにやってるのに、誰も誘ってくれなくて、つまらない思いをしていたんだ。ヴィゴが俺を仲間はずれにしているんだと思ってた」
PJが恨みがましく言うのに、立ち上がったヴィゴは小首をかしげた。
イライジャは、目を見開いた。
「はっ?PJ何?何、言ってんの?」
「だって、どこに行っても、休憩って言えば、みんなすぐ、ボードゲームだ。なのに、誰も俺のことをゲームに誘ってくれない」
「それは、PJが忙しいから・・・」
イライジャは、吹きだしそうになっていた。
「何?PJ。仲間はずれにされてるって、思ってたの?」
「違うのか?なぁ、ヴィゴ。俺を仲間に入れないって悪戯を仕掛けてたんだろう。ゲームのメンバーになれば、野球帽が貰えるのか?」
イライジャは、腹を抱えて笑い出した。
「よかったじゃん。ヴィゴ。やっとPJが自分だけ帽子がないって気付いてくれた。長い道のりだったけど、面白いおちがついたね」
「どういうことだ?リジ?」
PJは困ったように、イライジャを見た。
「やっぱり、ヴィゴが俺を仲間はずれにしていたのか?」
「違う」
ヴィゴは苦笑しながら、PJの肩を抱いた。
「いいんだ。気にしないでくれ、PJ。このゲームで、PJを仲間はずれにしようなんて気は、全くなかった。本当だ」
ヴィゴは、笑いが抑えられなくなったのか、肩を揺らしながら、PJをセットのほうへ誘導した。
「ゲームは、誰でも参加自由だ。あんたが忙しそうだから、誰も誘わなかっただけだよ。いや、本当」
不審そうなPJの顔を見て、ヴィゴは、とうとう吹きだしてしまった。
「・・・ああ、悪い。でも、おもしろくて」
けたけたと笑い転げる主役二人は、PJを両方から挟み込んで、嬉しそうにセットまで歩いた。
赤い野球帽のカメラクルーが、事情もわからず、おもしろそうだと三人の姿を撮っていた。