ダメだって、わかってた。10
ヴィゴは、日よけの下に戻った。
目つきだけで、オーランドとの話の内容を知りたがるショーンの顔をじっと見つめ、小さくため息を吐き出した。
内容を憚って、ショーンは、質問を口にしなかったが、台本のコピーを手渡しながら、目で、ヴィゴに秘密の開示を求めた。
しきりにヴィゴを見つめるショーンは、いつものように、ヴィゴが耳元へと唇を寄せ、「後でな」と、言うのを待っている。
ヴィゴは、オーランドの要求が、甘えだと思っていた。
オーランドは、ヴィゴが、自分に対して、つい猶予を与えてしまう程度には甘いことを知っていた。
愛情を持ったものに対して、てらいなく努力する。
そういうものに、ヴィゴはどうしても弱かった。
だからと言って、オーランドの態度は、一方的だ。
そして、そんなオーランドの要求をのんで帰ったヴィゴを見つめるショーンの態度もひどく甘えていた。
ショーンは心配そうな顔をしていた。
ティンガローハットの下で、色のわからなくなっている目は、ヴィゴの顔の上に何かを探していた。
オーランドは、ヴィゴに、態度を改めるよう頼み込む前に、ショーンに、何を心配して、今そんな顔をしているのか、と、聞き出すべきだった。
ショーンが、オーランドの望みが叶えられたかどうか、心を砕いているのか。
それとも…オーランドの望みが叶えられてしまったかと、心配しているのか。
ヴィゴは、ショーンの頭から、ティンガローハットを取り上げた。
ショーンは、驚いたようにヴィゴを見た。
ヴィゴは、にやりと笑いながら、ショーンに言った。
「やっぱり、こっちにする。俺に野球帽は、似合わないらしい」
話の内容を知りたがるショーンを無視して、ヴィゴは、ショーンの頭に、野球帽を被せた。
「…ヴィゴ?」
「あんた、野球チームのキャプテンやる?」
はぐらかされたことにちゃんと気付いたショーンは、ヴィゴの目をきつく睨んだ。
「ショーン!似合わない!!」
編みこんだ髪の部分をくしゃくしゃにして駆け戻ったオーランドが、野球帽を被ったショーンに笑い転げた。
すっかり、ヴィゴの承諾に安心し、それが実行されつつあることに、ブルーのコンタクトの下の瞳が柔らかくなっていた。
跳ねるように駆けて来たオーランドは、ヴィゴとの間に割り込んでショーンの隣に並んだ。
ショーンが、目を見開いた。
ヴィゴは、ショーンに向かって、唇に笑いを乗せた。
ショーンの顔にあいまいな笑みが浮かんだ。
ヴィゴは、椅子を引いて、腰掛けた。
「本当に、執政殿は似合わないな」
「ヴィゴも似合わなかったよ。ショーンといい勝負って感じ」
「大丈夫だ。オーリ、お前だって、全然似合ってない」
ショーンの目が、自分が座る椅子を探した。
ヴィゴの隣の椅子に、置かれた荷物をうんざりした表情をした。
「オーリ、座らないか?」
ショーンが、オーランドの腕を引いた。
ヴィゴは、笑顔で、ショーンを拒んだ。
「あっちにしたらどうだ?」
ヴィゴは、隣の荷物を指差し、無理だと、言外にショーンに伝えた。
ショーンが眉を寄せた。
ヴィゴの態度を、すこしばかりいぶかしんでいた。
ショーンは、オーランドに促され、別の椅子に腰を下ろした。
オーランドにじゃれつかれながら、椅子に座ったショーンに、ヴィゴは笑いかけてやった。
機嫌を伺うその笑いに、ショーンは、笑顔で答える。
ショーンは、ヴィゴが、大丈夫だというメッセージだけを送り出してやれば、それだけで安心してしまった。
ヴィゴは、撮影を見守るスタッフに声をかけた。
彼は、野球帽を被っていた。
「なぁ、こうなったら、野球チームを作るべきか?」
「野球チーム?」
笑顔で、ヴィゴを見下ろしたスタッフは、目を丸くした。
「なんでだ?」
「PJが、全く帽子のことに気付いてくれないんだ」
「ああ、そうみたいだな。ちょっと聞こえてた。でも、なんで、野球チーム?」
「PJが言ったんだ。野球チームでも作るのかって」
スタッフは、笑い出した。
「ああ、ああ、皆が野球帽被ってるから」
「同じ帽子ばかりにせず、いろいろ混ぜればよかったよ。PJは、完全に誤解して、自分が仲間はずれになっていることに気付いてくれない」
「ヴィゴが、最初から、そのティンガローハットだったら、気付いたかもな。あんたが野球帽を被ってたから、チームを作るんだと誤解されたんじゃないか?」
ヴィゴは、眉を顰め、スタッフを見上げた。
「やっぱり、本当に、野球チームでも作るか」
「やめとけよ。怪我をするんじゃないか?」
「怪我なら、もう、たくさんしている」
ヴィゴは、振り回す剣で傷のついた掌を見せた。
大きく付いている傷跡に、スタッフは痛そうに顔を顰めた。
しかし、首を振った。
「じゃなくて、俺達の方だよ。普段、特別運動もしてないからな。いきなり試合なんかしたら、転んでアキレス腱を切るくらいのことはしかねない」
スタッフは、ヴィゴの提案に対して、そっけなかった。
ヴィゴは、唇を曲げた。
「でもそれじゃぁ面白くないだろ?」
ヴィゴは、テンガローハットを目深に被りながら、モニターをチェックしているPJを指差した。
PJの周りを、帽子を被った一群が取り囲んでいた。
しかし、PJは普段どおりだ。
皆、真剣な顔をして、モニターを見ていたが、こちらか見ている分には、帽子の一群に囲まれたPJは、笑いを誘った。
ホビットたちは、悲壮な顔をして、セットの岩に張り付いる。
スタッフは、笑った。
「もう、直接、帽子を被ってないのは、あんただけだよ。PJって、言ってやったらどうだ?」
「それは、もう、リジが言ったんだ。そうしたら、野球チームでも作るのか?って、PJが」
情けないヴィゴの表情に、スタッフは吹きだした。
「でも、俺は、パス。これでも、昔は野球少年だったけどな。そういうのが、急に始めると一番ヤバイんだ」
ヴィゴは、唇を尖らせた。
「こうなったら、チームでも作って、遊ぶしかないかと思ったのに」
「ほどほどにしてくれよ。あんたが怪我したら、大変なことになるんだからな」
「だから、怪我なら・・・」
ヴィゴは、腹に貼られたシップを見せようと、ごそごそと衣装をめくり上げようとした。
スタッフは、笑いながらヴィゴをとめた。
ヴィゴは、しつこく、他のスタッフにも声をかけた。
しかし、2チーム分のメンバーを揃えることは、ヴィゴの人気を持ってしてもできなかった。
ヴィゴは、その日、撮影とその後の打ち合わせを済ませると、さっさと現場から離れた。
特に、誰も、気に留めなかった。
そう。最初の数日は。