何度でもくる朝
「……何だ、あんた……」
ドン・フラックは、ドアの内側に立つデリカの袋を口に咥えた人物を確認し、枕元に置いたままにしてある銃の引き金へと掛けていた力を緩めた。顔を顰め、額を擦る。不機嫌な顔には、あくびが浮かんだ。
「人に銃を向けるなよ。アホ」
ダニー・メッサーは、不機嫌に年下の刑事を見下ろすと鍵をしまうため一旦手に持っていたカップを台へと載せ、口に咥えたままだったデリカの袋を手に持ち換える。
人の家に不法侵入しておきながらひどい事を言うダニーは、これでいて、法を遵守させる証拠を立証する立場の人間だった。しかし、彼の持つドンの家の鍵は、不法に彼のフィールドキッドが活用された結果の複製品だ。確かにドンも甘かったかもしれない。だが、犯罪現場の捜査中に同僚に車の鍵を求められ、鍵のホルダーを投げるのをためらう奴はそうそういない。まさかその機会に複製され、自宅に不法侵入されることを想定できる警官がどこにいるのだ。いきなりドアを開けられたあの時、あまりに驚いた顔をしたドンをせせら笑った科学者の襟元を掴み上げ、問いただしたとしたら罪になるのかどうか。
「俺の分は……あるわけねぇな」
ひとしきりあくびをして枕から顔を上げたドンは、ダニーの持つコーヒーの匂いが気になった。
「当たり前だ。貧乏人は先払いに決まってる」
ダニーの毒舌は今日も快調のようだ。
「今、何時だ?」
しかしこういった口の利き方に慣れたいわけではなかったがドンももう慣れっこだった。だが、窓から差す光の鈍さにベッド脇の台に置いた腕時計を確かめれば腹立たしさも込み上げる。
「……くそっ! テメー、今、寝直したら、寝過ごすじゃねぇか!」
眼鏡の奥の青い目は、ドンの怒りも気に留めずへらりと笑っている。ドンは男らしい顔を歪め、やりきれなさに枕を殴りつけた。どうして、こいつはこういつだって常識というものを守らない。
「お前は、寝なおしゃしねぇよ。だから、平気だ」
足を使って引き寄せた椅子に腰掛けるダニーは、にやにやと笑いながら、カップに口をつけコーヒーを飲み干していた。コーヒーのいい匂いが湯気と共に部屋へと広がる。ダニーはどう見ても一人分のデリカしか入ってない袋を開け、がさがさと中から取り出す。朝食の時間には早いというのに、ドンの若い胃袋は取り出された包みのハムの匂いに反応する。
ドンは、頭から毛布を被りなおした。
「寝る。出てけ」
「ん? 何だって?」
ダニーは、出ていかなかった。それどころか、CSI捜査官はこの薄暗い時間に悠然と朝食だか、夜食だかしらないが、それを平らげ、包み紙を丸めると、袋に入れてゴミ箱へと投げ捨てる。
「よし、準備完了だな」
何が準備完了なのかを、ドンはダニーを殴って吐かせたい気持ちになりながら、けれども聞きたくなかった。どうしてかといえば、聞けば腹が立つからだ。
ムードというものをダニーに求めてはいけない。いや、ダニーに色気がないと言っているわけではない。求めると面白がって過剰に彼は供給しようとし、それは、それで、ドンにとって面倒なことになった。
着ていたコートをまず、それから、ジャケットを椅子にかけ、シャツを脱ぎ、ジーンズを脱き、靴を脱いだダニーは、家主の許しも得ず、ベッドの上掛けを捲り上げる。
「……寒い」
不機嫌なドンの声は無視された。ずうずうしくも隣へと寝転んだダニーをベッドから蹴りだした場合、次の現場でどの位気まずい思いをさせられるかを、ドンは想像した。だが、予想が付かない。元より、ダニーは、現場では冷静な捜査官以外の顔をみせない。それでもCSIラボを覗けば、この金髪の科学者だって砕けた表情を見せるが、それにドンも騙されたのだ。まさか、ダニー・メッサーが仕事でよく組む相手とはいえ、ほぼ顔見知り程度でしかない自分の家の鍵を不法なやり方をしてまで手に入れたがるとは思いもつかなかった。
確かに、きっかけはあった。けれど、あれをきっかけというならば、きっとこれは、ダニーの復讐だ。
あれは、路上に転がる死体の写真を撮っているダニーと今後の方針を打ち合わせていた最中だった。
ダニーの意見に上司であるマックが口を挟み、すると自説に強い自信を持っていそうなダニーが全く素直にその意見を受け入れた。
それまでも、親しいはずのマックと会話を交わす際、ダニー・メッサーという捜査官がおかしな緊張を見せているのに気付いていたドンは、思いつきで尋ねたのだ。道路に膝を付く捜査官は、同じ角度で2枚ずつ、フラッシュを光らせ、写真を撮り続けている。
「なぁ、もしかして、あんたマックのこと好きなのか?」
「うん? やっぱ、そう思う?」
古さの残る警察機構の中では、性的な嗜好がマイノリティーであることがバレることは、やはりまずい。代々そういう仕事に就く家系の一員として、極自然に周りが弾く現場を目撃してきたドンは、自分がはじめて同僚のなかにそういった人物を認めて、できるだけ自分の態度を変えることのないよう公正な態度を取るために、誤解ではないのか確かめただけだった。
だが、それから、一週間もしない間に、にやにやと嫌な顔で笑うCSI捜査官に、ドンは自宅侵入される破目となった。
信じられないが彼の言い分はこうだ。「お前のせいで、気付かない振りで済まそうとしたことを自覚してしまったじゃないか」「チーフに迷惑をかけるわけにはいかないから、お前が責任を取れ」「こないだステラに彼女がいないって話してたよな、じゃ、いいだろ。お前は捜査官じゃないし、後腐れがなくていい」
全くドンの言葉に耳を貸さないダニーのにやついた顔は、思わずドンに恐怖を抱かせ、銃を握らせたが、十分に迫力のある刑事が銃に手をかけてすら、ダニーは自分の口を閉じようとはしなかった。
「なんだよ。何、びびって銃に頼ってるんだよ。それでも、NYのデカかよ」
「待て、……まず、俺に話をさせろ。口を閉じるんだ。ダニー」
その日、初めてドンは落ち着かせようとCSI捜査官のファーストネームを呼んだ。二人はそれまでそのくらいの付き合いしかなかった。
「どう考えてもお前が悪いんだよ。フラック。俺はせっかく自覚しないでいたってのに、誰かがはっきり口にしたもんだから、もう、……もう!」
次第に声を高ぶらせ、しまいには泣き出した科学者は、きっとこいつは精神的におかしいに違いないと若いが有能だと評価を得ている刑事を震え上がらせた。
挙句、ダニーはにやりと口元だけで笑うのだ。
「と、いうわけで、お前は俺のはけ口になる必要があるんだ。ドン・フラック」
意外にも現役の刑事に引けを取らなかった科学者の腕力は、しかもどこのストリート出だと怒鳴りたくなるような姑息さまで持ち合わせていた。それでも、上背のあるドンの方が有利だったのだ。ドンが諦めたのは、あまりにもダニーの様子が切実だったからだ。
「俺が質問したことは、あんたを傷つけたのか?」
その時には、ドンはダニーの腕を掴んでテーブルへとうつぶせに押し付けるようにして拘束していた。けれど、ダニーは、首をねじり、ぎらぎらと青い目でドンを睨む。
「お前のせいで、俺の頭はパンクしそうだ。この気持ちが抑えきれなくなってチーフに暴力で迫るようなことになったら、俺はお前を訴える」
「あんた、言うことが無茶苦茶だ……」
ドン・フラックの刑事人生の中で、関わったCSIラボの連中と言えば、刑事たちよりもずっと冷静な印象の奴ばかりだった。そして、現場で出会うダニー・メッサーも淡々としながらも情熱的に仕事をこなす信頼してもいい捜査官だったはずなのだ。その彼が、激昂して泣く様子は、ドンに居心地の悪さを感じさせた。だから、ドンはわずかではあったものの自分の行動に責任を感じた。
そして、そこにつけ込まれた。
やらせろと圧し掛かり、ドンを床へと押し付けた年上の犯罪科学者は、ものすごくフェラが下手で、ドンを打ちのめした。
「メッサー、あんた、」
ラグマットの上で、みっともなくも足を広げ股間に吸い付かれているドンは、こんなにフェラが下手では男の経験がこの科学者にあるはずかないと結論をだした。つまりダニーは、ひそかに上司であるマックのことをプラトニックに思ってきたのだ。それを自分は、気遣いもせず白日の元へと引きずり出した。
「煩い。黙れ」
「頼む。歯が当る。怖ぇんだって、あんたのやり方」
口内の暖かさや湿り気は、今まで経験してきたものと変わらないというのに、全く快感が得られない。
「舐めなきゃ、てめぇ、勃たねぇだろうが」
無理やり引きずり出したペニスに、歯が当る強引なだけのフェラを施す年上の科学者の虚勢には、もう後がないことを、この時ドンは気付いていた。自分の気持ちを自覚してしまったダニーは、それを誤魔化すためにどうしてもマック以外の人間とセックスする必要があったのだ。あまりにダニーの様子が必死で、ドンの中で何かがどこかに収まった。
「眼鏡がずれてんぞ」
ドンは、押し上げられる形にずれた眼鏡をダニーの鼻へと掛け直し、彼の口に含まれたままのペニスを引きずりだすと、自分の手で扱いた。フェラチオの加減を知らない科学者に歯で痛めつけられるより、この方がまだマシだ。
普段は激しい性格をしているくせに、たまに、諦めが良すぎるとドンは家族から忠告される。
「で、どうすんの? あんたのもしてやるの?」
勃ったペニスを擦り合わせるくらいで終わりだとういう浅はかな考えの若造は、その後、どうやらヴァージンらしい年上に散々罵られながら、同性への挿入という未知の努力を経験させられた。
しかし、苦しそうに息を吐き出すダニーの腹が、懸命にペニスの挿入にあわせ、膨らんだりへこんだりする様は、ドンにこのセックスを迷惑なだけの行為だとは思わせなかった。固い尻を懸命に開こうとするダニーは、何かから逃げるように、必死になって枕を掴んでおり、力の入った背中はドン好みに少し丸みを帯びていた。
「へたくそ!……でかい上に、てめー、テクナシかよ!」
ドンへと背を向けて、大きく足を開いているダニーの足には力が入っていた。もう、何度も爪先がシーツを踏みにじりきつい皺を寄せている。
「わかった。……ダニー、もう少しリラックス」
ダニーだけでなく、ドンにとっても肛門を使ってのセックスは初めてなのだ。緊張し、固くなった腸内を、こっちへの経験を持たないドンに穿たれていく行為はダニーにとって、決していいとは言えないはずだ。それでも、ダニーは決してやめたいと言わない。
どうしてやれば、楽にダニーの望みがかなえてやれるのかわからず、仕方なくドンは手を伸ばして、背中に苦痛の冷や汗をかいている金髪の髪を何度も撫でてやった。項には、髪が張り付いている。
「くそっ! そんなことしてる間にさっさと入れろ!」
しかし、ダニーは項へのキスを拒んだ。とにかく、セックスの成功だけを望む。
「だったら、緩めろ」
「出来たらやってる! 出来ねぇのはテメーが下手だからだ!」
できれば、ドンだって、ダニーに良くしてやりたいのだ。けれど、全く尻に入れた力を抜くことのできないヴァージンの肉は固くペニスを阻み、困難ばかりをドンに与える。
「くそっ! 痛い思いをしたくなかったら、お前も協力しろ。ダニー」
あんなセックスで、どうダニーが満足したのか、ドンは知らない。けれども、ダニーは味をしめた猫のような顔をして、平気でドンの部屋へと出入りするようになった。
特に、マックと何かあった日に。
「もうすぐ保安官選挙があるだろ? リーランドは予算の削減を公約する予定みたいだからな、俺たちの超過勤務に目を光らせてるんだよ」
だから日勤から引き続き分析の結果がでるのを待つつもりだったダニーは、代わりに翌日の遅出をマックから命じられ、それに従ったのだ。今から帰ったところで、お前のアパートメントの方が、ラボに近いだろう?というのが、ダニーにとって、年下の刑事のただでさえ少ない睡眠時間を襲撃することへの立派な理由となる。
「回数こなさねぇと、坊やは上手くならねぇしな」
もう、ちゃっかりと楽しむことも、楽しませることだって上手くなったきまぐれな犯罪学者は、ドンの安眠を妨害し、平気な顔で腰の上へと乗り上げる。
自分の丸みのある尻が、ドンにとって有効な武器だと知っているダニーは、眼鏡を外すとにやりと笑ってドンの股間へと尻を擦り付ける。
「しようぜ」
ドンは、何故自分がこれほどにダニーの勝手を許すのか、わからなかった。
けれど、
「ドン様が好きだって言え」
「またかよ。愛のないセックスは殺伐として嫌だとか、お前って本当に鬱陶しいロマンティストだ」
馬鹿にしたような目をして見下ろす年上の犯罪学者の頭をドンはひとつ叩いてから撫でた。
この小さな頭が、夕べのマックの台詞を『お前はもう必要ない』などという捻じ曲がった解釈をしていませんように。
「痛ぇな。……うん? 坊やはキスして欲しいのか?」
キスで、若い刑事がどんなに腹を立てていても機嫌を直すことを、もうこの犯罪学者は知っている。
「しょうがねぇな。俺は、セックスしに来ただけだってのに」
まだ、ドンですら、二人の関係に名前をつけていない。
END