男の名は、ボンド 〜ショーンは死なない編〜

 

強い雨が降だした。

顔を打つ、雨粒が痛い。

ショーンは、大きく目を開き、断崖から真っ暗な海を見下ろした。

稲妻が、辺りを照らした。

自分の吐く息の音がうるさかった。

暗闇に白く浮かぶボートに向かって、ショーンは、マシンガンを打ち込んだ。

ダダダダダ!

マシンガンの弾が、大きく荒れる海面を叩いていく。

どこにいるのかわからないジャック・ライアンにショーンの怒り、焦れていた。

「ショーン!ホームズを殺すな」

仲間は、これからの活動のため、皇族を人質にしようとした。

しかし、ショーンの狙いは、最初からライアンだけだった。

「うるさい!」

弟殺しのライアンさえ、殺すことが出来たら、ショーンにとって、IRAの活動などどうでもよかった。

襲撃をすり抜けられた苛立ちに、ショーンは、マシンガンを放さなかった。

雨が口に入るのも構わず、怒鳴り、マシンガンの引き金を引く。

銃先を、仲間が払った。

 

ショーンは、男を睨みつけた。

だが、今、揉み合っている時間はなかった。このままでは、ライアンに逃げられた。

ショーンは、ロープを掴み、崖を折り始めた。

雨に、足が滑る。

稲妻に光る夜の闇は、深い海の黒さだけをショーンに教えた。

ショーンの後を追うように、仲間たちも、崖を降りた。

地面に足の着いたショーンをあざ笑うかのように、ボートが海へと踊りだす。

激しい波の音、風の音、それに、遠くからはヘリの近づく音がしていた。

ショーンは、真冬の海の冷たさも省みず、海に飛び込んだ。

 

ボートのライトで照らし出した先に、ライアンがいた。

ショーンの目は、執拗にライアンを追った。

激しい高波に、ボートが大きく揺れる。

「奴は、一人だ。ボートを戻せ!」

仲間の目が、ボートの中にいるのがライアンただ一人だと気付いた。

ショーンは声を無視した。

「ボートを戻せ!ショーン!!」

「ライアンなんて!」

仲間ともみ合ったショーンは、ボートのまぶしいライトに直撃されながら、仲間へとマシンガンを向けた。

「使命を忘れるな!」

「使命など、関係ない!」

ショーンを押さえつけようとした男は、マシンガンの銃弾を浴びた。

どうっと、後ろへ倒れる。

残った女が、ショーンに銃を突きつけた。

「あんたは、狂ってる!」

ショーンはためらいもせず、女も撃った。

 

ショーンは、マシンガンを構えたまま、ライアンのボートを追った。

ボートが波に押し上げられ、どすん、どすんと、何度も跳ねた。

ライアンのボートを狙いマシンガンを撃つ。

弾は、波に当たり、ボートの甲板を叩いていく。

ダダダダダダダダダダダダ!

タンクが、大きな炎を上げた。

速度が落ちたライアンのボートに肉薄したショーンは、痛むほど顔を打つ雨に、必死になって目を開け、ライアンを狙った。

弾は、ライアンの横をすり抜けていく。

大きな波が、マシンガンを構えるショーンから正確さを奪った。

ショーンは、降りかかる雨に顔を顰めながら、執拗に、ライアンを狙った。

ボートを叩いていく大波と、激しい雨粒に、ショーンが濡れていない部分など、もうありはしなかった。

マシンガンが、ライアンに当たらない。

ショーンは、続けざまに引き金を引いた。

 

ショーンは、弾の切れたマシンガンを捨て、ライアンのボートに飛び移った。

体勢を崩したショーンにライアンが飛び掛る。

ライアンの拳が、ショーンの顔を打った。

ショーンは、起き上がろうとした。

波に揺れるボートが阻んだ。

ショーンの腰をライアンの足が締め付け、もう一発、拳が顔に入った。

ショーンは、力いっぱいライアンを押しのけ、ライアンを後ろの壁にぶつけた。

ライアンが、呻く。

その隙に立ち上がったショーンは、ボートの屋根の残骸を見つけた。

雨に滑るパイプしっかりと握り、ライアンに殴りかかった。

「ううっ!」

背中に当たったパイプの衝撃に、ライアンが声を上げた。

ショーンは、もう一度、パイプを振り上げた。

歯を剥いたライアンは、パイプを掴んだ。

つかみ合いになった。

ライアンが体勢を崩した。

ショーンは、ライアンにのしかかり、パイプで喉元を押さえた。

喉元を晒し、ライアンは暴れた。

ライアンは、ショーンの顎を伝って落ちる雨粒にぼたぼたと濡れながら、とうとうショーンを押し返し、パイプを奪った。

ショーンは、狭いボートの中を見回した。

大きく、鋭い刃のアンカーがあった。

ショーンは、それを取り上げ、ライアンに振り上げた。

ガツン!

ライアンのパイプが、ショーンの凶器を受け止めた。

鋭い切っ先は、ライアンの頭まで、あと、10センチだった。

ショーンは、繰り返し、ライアンを狙った。

もう、弟を殺したこの男の脳みそを勝ち割ってやることしか頭になかった。

鋼で弾き返される衝撃が、ショーンの腕をしびれさせた。

 

ガツン!

狙いの外れた凶器は、その鋭い先端のために、ボートの強化プラスティックを打ち破った。

いくら、ショーンが引き抜こうとしても、食い込んだ先が、離れない。

ショーンは、また、ライアンと残った一本のパイプをつかみ合った。

殴られ、流れ出た血が、ショーンの目に入る。

押し合いは、ショーンに有利に進んでいたかのようだった。

しかし、計算高いライアンによって、ショーンの背中を、ボートに突き刺さったアンカーの鋭い刃が狙っていた。

 

その時、ものすごい水しぶきを上げ、水上を走るボートが表れた。

ボートは、まず大きさから違った。

そして、その速さ、この荒れた海を走る船の走行技術は、並大抵ではなかった。

急速に近づいたボートは、ライアンの乗るボートの横を、ぴたりと併走した。

ボートから、とんでもない大音響の音楽が流れ出した。

 

デンデケ・デンデーンデンデンデン・デンデケ・デンデーンデンデンデン

デンデケ・デンデーンデンデンデン・デンデケ・デンデーンデンデンデン

チラッチャラー・チャラ〜、チャラチャラ〜ラ〜。

 

口元に甘い笑いを浮かべて現れた男は、二人に向かって、投げキッスをした。

あっけにとられたライアンと、ショーンは、一瞬争う手も止まり、タキシード姿の男を見た。

「・・・お前の仲間か?」

ライアンは顔に打ちつける雨も忘れ、思わず、ショーンに聞いていた。

「違う!」

ショーンが、はっとしたように、ライアンを強く押した。

ボートの床は、雨と海水で滑った。

ライアンも、ショーンを押し返し、また、ショーンは、アンカーの刃に背中を狙われることになった。

血が目に入り、ショーンは、あまり目を開けておくことができない。

二人の男は、お互いの息がかかるような至近距離で、揉み合った。

 

「危ないことは、やめるんだ。ショーン」

火の燃え盛るボートへと飛び移ってきたジェームズは、ライアンと、ショーンの間に割って入った。

ジェームズは、殴りかかろうとするショーンの腕を掴んで捻り上げ、ライアンには、一発、足元に銃を打ち込み、そこに貼り付けた。

「後ろを見てごらん。ショーン」

クールに甲板を打ち抜いたスパイは、腕が折れそうなほど強い力で締め上げてくる男に怯えるショーンに優しく笑いかけた。

ショーンは、唇を震わせながら、振り返った。

そこには、アンカーの刃が稲妻に光りながら、ショーンを待ち受けていた。

自分が絶対絶命の危機だったことに気付いたショーンは、顔を強張らせ、男へと顔を戻した。

「・・・あんたは、誰だ」

「君の愛しいダーリンさ」

蕩けるような声のジェームズは、血でタキシードが汚れるのも構わず、ショーンを抱きしめた。

ショーンは、男の正気を疑い、その腕から逃げ出そうとした。

しかし、後ろには、死の凶器が待ち構えていて、ジェームズを避け、後ろへと下がることが出来ない。

「放せ!俺は、ライアンを殺すんだ!」

「ああ、可愛い人。あの時の覆面姿もキュートだった。君の可愛らしい瞳と、唇、どっちにキスしてあげようか迷ってしまうくらいだった」

ジェームズは、力強くショーンを抱きしめた。

ライアンは、目を見開いて、ジェームズと、ショーンを見ていた。

ジェームズの銃が、狙っているので、ライアンは動くこともできなかった。

「ジャック・ライアン。見ている暇があるんだったら、ボートの進路を変更したまえ、このままでは、座礁するぞ」

「・・・お前は・・・」

あまりの事態に呆然と立ちすくむライアンに、ジェームズは、口元へと笑いを浮かべた。

「私の名は、ジェームズ。ジェームズ・ボンド。名刺でもお渡ししたほうが?」

ショーンは、戦意を喪失したライアンを今こそ、その時だと、必死に力を振り絞り、歯をむきだしにした。

「あいつは、俺の弟を殺したんだ!放せ!俺はあいつを殺すんだ!!」

「怒った君は、本当にセクシーだ。ショーン。公判のときの君なんて、法廷中の人間を虜にするんじゃないかと思った」

ジェームズの拘束は、IRAの戦士であるショーンを全く抵抗させなかった。

スパイの目は、愛しいとショーンを見つめた。

「跳ねっかえりなところが、最高だ。ダーリン」

優しくささやくジェームズの拳が、ショーンの腹に入った。

ショーンは、大きく口を開け、苦しそうに身をよじった。

薄れていく意識の中でやたら甘い笑いを浮かべた男の顔が見える。

「心配しないで。君の弟のことは、勿論、こいつに責任をとらせておくからね」

ジェームズは、色を失ったショーンの唇を優しく奪った。

 

ジェームズは、ショーンが、腕のなかにがっくりと倒れ込むのを受け止め、短い髪に唇をよせた。

「ショーンは、どんな髪型も似合うと思わない?ライアン」

ライアンは、言葉を返すことができなかった。

ジェームズを恐れ、つんのめりながら、ボートの中を後ろへと逃げた。

その姿をスパイは笑った。

「君を殺しはしない。弟思いのショーンには申し訳ないが、ショーンの弟にも、あんたの娘さんを巻き込んだという部分があるからね」

ジェームズは、もう一度愛しそうに、ショーンの頬に口付けをした。

ショーンを抱きかかえたまま、軽々と自分のボートへ飛び移った。

降りかかる雨も、ボートを大きく揺らす波の存在も、ジェームズの前にはないようだった。

ジェームズは、ライアンのボートのエンジン部分を狙い、マシンガンをぶっ放した。

エンジンが、火を噴き、その動きを完全に停止した。

ジェームズのボートがライアンを置いたまま、遠ざかっていく。

「さようなら。ライアン。州警察のヘリは、私が用意した偽のボートを追っていて、ここへは来ない。ゆっくり、夜の海のクルージングを楽しんでくれたまえ」

ジェームズの目は、もう、ショーンしか見ていない。

嵐の海は、死闘を潜り抜けたライアンを錐揉みにした。

ライアンは、海軍兵学校の教官にあるまじきことだったが、船酔いを起こし、ボートの淵に縋りながら、何度もえずきあげた。

 

 

END

 

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