動機ある者

アレックは、歩いていた廊下を、左に曲がった。

その時、廊下には誰もいなかった。

そのことが、アレックに気紛れを起させた。

普段だったら、アレックは、ここの廊下を左になど曲がらない。

そんな理由がない。

この先にあるのは、資料室。

任務を与えられるとしたら、情報は廃棄方法まで決まって、アレックに届けられた。

この先にある部屋は、アレックにとって、必要のない場所だ。

扉を叩いたアレックに、中の住人は、返事を返した。

「どうぞ」

アレック・トレヴィエルヤンの金髪よりは、赤みがかった金色の頭が、棚を背に振り返った。

上背はアレックよりも高い。

瞳の色は、紫に近いブルー。

面長な顔のなかには、整然と部品が配置されている。

思慮深そうな落ち着いた顔立ちだ。

口はすこし大きめ。

いい形をしていた。

キスに期待が持てる。

アレックは、ここの住人をはじめて見た。

噂には聞いていたが、彼の容姿は、アレックに小さな衝撃を与えた。

男は、大きな肩から続く美しいYシャツのラインに見せていた。

アレックは、その清潔さに見惚れた。

その一瞬の間に、アレックに良く似た容姿の男は、作ったとわかる笑顔で、笑いかけた。

「はじめまして。ミスター・アレック・トレヴィエルヤン。私は、ここの管理者のディヴィット・ウェンハム。用事はなんでしょう?」

天井までも届く棚を前にした、男の声は事務的だった。

アレックは、自分の顔にも作り笑顔をのせた。

「始めまして、ミスター・ディヴィット・ウェンハム。ここの利用は、いちいち管理者に通さないといけないのか?俺たちには、情報の優先順位が与えられていると思うんだが」

アレックは、部屋の中へと進み、ディヴィッドの左背後にある扉のなかをちらりと覗いた。

なかは、巨大な倉庫だった。

ひとめ見ただけでは、いくつあるのかもわからないような棚が、整然と並んでいた。

この中には、数え切れないほど、事件の遺留品・証拠品が収納されていた。

アレックと、ディヴィッドのいる部屋など、そこから持ち出した、ほんの一部が陳列されているに過ぎない。

それでも、ディヴィッドの背後にあるのは、天井まである巨大な収納棚だ。

「与えられていますよ。006。ここにあるもので、あなたの閲覧が許されないものなど、ほんの僅かにすぎません。ですが、それは、あなたに個人的な作為の無い場合です。そのことも、ご存知でしょう?ミスター・アレック」

アレックは、ディヴィッドのものだろう、大きな執務机に腰掛けた。

「どうして、俺が個人的な作為でこんな場所にやってくると思うんだ?」

「それは、あなたの性格のせいですよ」

「俺の性格?ミスター・ディヴィッド。俺たちは、今日、初めて会ったんだよな?」

「ええ、ここの噂どおり、私たちが、生き別れの兄弟でもない限り」

ディヴィッドは、口元に意地の悪い笑みを浮かべた。

その顔を、アレックは、隠し撮りされた映像の中で見たと、思った。

いつまでの距離を詰めようとしない、MI6の職員証を付けた男と、アレックは、一つ、一つのパーツはそれほど似ているとは思えない。

だが、全体的な雰囲気と言えばいいのか、彼の作る表情を見るたび、アレックは、鏡をみるような困惑を覚えた。

「お互いに兄弟などいないとわかってるだろう?そんな枝がついているのを、ここの人事部が見逃すはずはない」

「ええ、そうですね。でも、美貌で誇るアレック・トレヴィエルヤンの存在に恐れず口に出すならば、やはり血縁を感じさせるほど、私たちは似ていますね」

アレックは、小さく肩を竦めた。

「で、俺の性格が何だって?」

アレックは、強引に話を戻した。

アレックの知る限り、両親には他に子供などいなかった。

もし、どちらかが、アレックの知らないところで、別に子供を儲けていたとして、だからと言って、アレックの生活が変わるとは思えなかった。

例え、MI6のくそ腹立たしい人事部か、ディヴィッドをアレックが血縁関係にあるという確かな情報を密かに入手していたとしても、アレックには関係がない。

「この間、ミスター・アレックは、新しいプログラムの被験者になってくださったでしょう?」

「アレックでいい」

ディヴィッドが、やっと棚の前を離れた。

アレックへの距離を縮める。

「では、アレック、一月ほど前、新しいソフトの被験者になった憶えがありますか?」

「…あの面倒なプログラムの製作者はお前か」

アレックは、長身の男を下から見上げるように見た。

「そうです。折角、プロファイルプログラムを作ったんで、どうせなら、それをもう一段階、進化させようと思いまして」

「まだ、犯罪を犯していない人間が、どの位の割合で、犯罪者になるか?」

「そう。そして、どんな種類の犯罪を犯すのか。…知ることができるなら、ちょっと知りたい感じがするでしょう?」

「下世話な趣味だな」

冷たく言い捨てながら、アレックは意識して、至近距離の男を見上げた。

大抵の男が動揺し、なかには、レストランがどうとか、あそこの酒は等とうわ言を言い出すアレックの視線を、ディヴィッドはさらりと流した。

アレックは、面白くなって、本物の笑いを口元に浮かべた。

ディヴィッドは、面白そうな顔をして笑った。

「なるほど、それが、007を夢中にさせる顔ってわけですか」

「ジェームズが、何を?」

「あなたが、被験者になったと聞いて、結果を知りたがっていたんです。Qの試作品かな?指輪にマイクロカメラを仕込んでね」

ディヴィッドは、アレックの目の前まで来た。

じっとアレックの顔を観察していた。

アレックは、笑いかけた。

「あいつら、仲がいいのか?俺の性格を見抜いているというディヴィッドはどう思う?」

「ジェームズ・ボンドは、Qに対して、好意的ですよ。ただし、Qは、わかりません。あの頭脳は、さすがに私の手に負えません。彼が、兵器開発などというオモチャ作りに夢中にならずに、もっと、人間に興味を抱いてくれたら、私の作ったプログラムなど、ゴミ以下でしょうね」

「で、ジェームズは、俺の結果を持ち出した?」

「撮影の前に気付けたので、僅かな情報の切り売りで許してもらいました。ここの管理も捨てたもんじゃないんですがね。彼に本気になられては、私の管理能力の評価が下がる」

「何を?」

アレックに良く似たディヴィットは、惑わすような笑いを浮かべた。

「あなたが、夢想する楽しいエンディングの一つを。

アレック、あなた、ジェームズと同じ任務についている時に、もし、死亡するようなことがあったら、どんなにおもしろいだろうと思っていますね。ジェームズが、口にする愛情に満ちた語句を笑いながら死んだら、きっと痛みも半減だろうなんて、考えて楽しんでいるでしょう」

「…これは、驚いた」

アレックは、本当に、驚いて、ディヴィッドの顔をじっとみつめた。

ディヴィッドの噂は聞いていた。

陸軍あがりのエリートで、黙っていても、幹部への道が開けていた。

それを蹴り出して、情報部へと移籍した。

こちらへ移ってくる際の手土産が、先ほど本人が口にしたプロファイリングプログラムだ。

様々な情報を組み合わせ、犯罪者が次に取るだろう行動を予測するプログラム。

マイクロチップを盗み出したスパイが、親玉まで辿りつく道筋を正確に導き出す、この道のプロが何十年もかけて身に付ける勘と、経験を一個のプログラムが代行する。

警察でも、それに近いプログラムが使われていたが、国家間の機密に触れるスパイの行動を予測するのは、そんなちゃちなものでは、ありえなかった。

スパイの心は、もっと複雑怪奇だ。

スパイは、自分がスパイであったかどうかすら、国家のために忘れ去る。

「俺の楽しい空想までも、お前の考えたプログラムは弾き出すのか?」

「いいえ、データーの読み取りには、すこしばかりの能力を要します。でも、間違いではないでしょう?ジェームズ・ボンドは苦笑していた」

「だって、考えてみろよ。ディヴィッド。ジェームズの歯の浮くようなセリフで見送られるんだぞ。笑いすぎで、腹筋が痛む」

アレックは、親しげにディヴィッドの身体を触ろうとした。

ディヴィッドは振り払う素振りも見せなかったが、動揺ひとつしなかった。

それどころか、アレックの行動を規制した。

さすが、緊迫するイラク方面で、一人の犠牲者も出さず、任務を遂行しただけはある。

「アレック。目が、室内をスキャンしてますね。残念ながら、あなたがお探しのものは、この部屋には置いてありません」

ディヴィッドは、さり気なくアレックの視界を身体で塞いだ。

「俺は、この部屋に個人的な作為を持って訪れているんだろう?だったら、それらしく振舞わないと」

アレックは、にっこりとディヴィッドに笑いかけた。

「残念ですが、ジェームズ・ボンドが、今、追っている事件の証拠品は、あなたでも、閲覧の許可は下りていません」

「そうか。それは、邪魔したな。作業に戻ってくれ」

アレックは、机から腰を上げた。

ディヴィッドの横をすり抜ける。

その腕を、ディヴィッドが掴んだ。

大きな手だ。

こんな資料室に埋もれているのが勿体無い。

この理性的な顔に似ず、ディヴィッドは、陸軍にいた頃には、常に軍内の大会で、トップクラスの成績をたたき出していたという。

現場での作戦の成功率も、100パーセントに近かった。

その上、頭脳もずば抜けている。

だが、ディヴィッドは、「現場は好きじゃない」などという理由で、ここの資料室を選んだそうだ。

彼が、ここへ移籍した後のひと月。

総務も、文書課も、ジェームズ・ボンドよりも、この男の噂を好んだ。

しかし、それも、ディヴィッドが、あまりにこの資料室から出てこないため、沈静化していた。

今は、上層部で、この頭脳の価値が、密やかに、だが、常時、囁かれている。

MI6が、ディヴィッドのいいなりにポストを渡した理由がアレックには、良くわかった。

ディヴィッドは、平気で嘘のつける目をしていた。

「ジェームズが追っている事件の遺留品は、ここにはありません。ですが、そこから得たデーターに関しては、私の頭の中に入っています。どうします?アレック」

ディヴィッドは、アレックを掴んだのと反対の手で、自分の頭を指差した。

誠実そうな顔をしたこの男が、どこまで、本当のことを口にするかなど、わかったのもではなかった。

だが、アレックは、するりとディヴィッドの腕の中に収まった。

「俺が、ジェームズの追っている事件を気にしているってのも、プログラムが出した結論?」

アレックは、自分の魅力を十分にわきまえていた。

「あなたに、個人的興味を抱かせる人物なんて、ここには3人しかいないでしょう?その一人が、半月も不在なんだ。こんなのは、コンピューターの力を借りなくても、すぐわかる」

アレックは、ディヴィッドの手が、アレックの髪を撫でるのを許した。

「…本当に、綺麗な人ですね」

「ありがとう」

賛辞に慣れきったアレックは、ディヴィッドの誉め言葉になど表情ひとつ動かさない。

ディヴィッドは満足そうな顔で、アレックの髪を撫でつづけた。

「よく、ここに来てくれました。アレック。あなたの好きなネタが、ここにあるというトラップは有効だった」

「嫌な奴だな。お前は。そうやって、人のことを読みすぎると、人間が信じられなくなるんじゃないか?」

アレックは、ディヴィッドの腰を抱いた。

アレックの力加減は、強すぎず、かといって、興味がないとは言わない絶妙さで、男の気持ちを知り尽くしている。

「…人を…信じているのですか?」

ディヴィッドは意外なことを聞いたように、尋ねた。

アレックは、完璧な笑みでにこりと笑った。

「神様よりは、ずっと」

「それは、一つ、あなたのデーターを書き直さないと。私の出した結論では、あなたは、極度の人間不信で、このままいけば、一番最初に女王陛下を裏切るだろうと」

ディヴィッドは、自分のプログラムの不備に顔を顰めた。

「書き直さなくていい。それが、正解だ。どうりで、近頃、俺のところに回ってくる任務に、手ぬるいのが多いと思ってたんだ」

アレックは、ディヴィッドの背中を撫で上げた。

「で、ディヴィッド、俺に切り売りしてくれるという情報は?」

薄いピンク色をした唇が、かすかに開いてディヴィッドに迫った。

柔らかな唇が、ディヴィッドに襲い掛かった。

何度も角度を変えて、唇を合わせ、舌先が、ディヴィッドの唇を擽った。

ディヴィッドは唇を開けた。

データーが描き出すアレックは、目的のために手段を選ばない、そして、もっとも効率のいい方法を選ぶ性質を示していた。

その上、情報部の人間としては、思考に用心深さが希薄で、結論を出すまでのプロセスも、勘というものに頼りすぎた、ずさんさがあった。

欲望にも弱く、裏切り者になる可能性は情報部1だ。

だが、出してくる結果は、ホープであるジェームズ・ボンドと変わりなかった。

任務の過程においては、Mの眉を顰めさせたが、アレックは、必ず結果を持ち帰った。

そして、その魅力も、世界中の女をたらしこめると言われるジェームズ・ボンドと違いがなかった。

アレックの舌が、ディヴィッドに絡みつく。

挨拶するように、からかうように、舌でディヴィッドに触れ、ディヴィッドの気持ちを煽っていく。

ディヴィッドは、用心深く罠を張り巡らせて、トラップにかかるのを待っていた006を両手で抱きしめた。

「ジェームズ・ボンドが羨ましい。たった、半月だ。半月、顔が見られないだけで、アレックが、一生足を向けないだろう資料室へと足を向けさせた」

「ディヴィッド、お前はもう少し、自分のプログラムの出した結論を信じろ。お前も、ジェームズと身近で一緒に過ごしてみろよ。あのおしゃべりがなくなると、生活の中に笑いが消えて、淋しく感じるという気持ちもわかる」

「…アレック。それは、恋しいと言うんです。あなたは、ジェームズが好きなんでしょう?」

「好きだとも。あんなおもしろいことを言う奴は、他にいない」

ディヴィッドは、腕の中に収まった美貌を、苦笑いした。

その程度の感情で、ディヴィッドが、半年待った獲物が、罠にかかるとは思えなかった。

「ディヴィッド、無駄なおしゃべりはいい。それより、代金を支払え」

緑の目は、シビアだった。

「…ジェームズの前で死んだ女は、イギリス空軍に属していましたが、残念ながら、アメリカの枝が付いていたそうです。私にわかっているのは、吹っ飛ばされた彼女の爪に付着した皮膚の持ち主。DNA鑑定した結果、彼女が上司とそういう関係にあったということ。情報部がごっそり持ち帰った彼女の遺留品から、彼女が、上司だけでなく、向こうさんともそいう関係にあったこと。アメリカの枝というのが、軍関係者でなく、ただの企業だということくらいでしょうか?」

「違うだろう?俺に話せることが、その程度だということだ」

「ああ、それから、ジェームズとのキスが目前だった彼女、金髪で、グリーンアイなんです。多分、それが、ジェームズを熱くさせているんじゃないですか?」

この国の指導者たちが聞いたら、即刻首が飛ぶような情報の漏洩の後に、ディヴィッドは、アレックが真実知りたかっただろう事実を公開した。

首が飛ぶ情報の方は、焦らしに過ぎない。

「頭髪が、何本かこっちに回ってきています。残念ながら、本物の金髪ではなく、染めていたようですけどね。瞳のグリーンは本物です。まぁ、でも、目の前で、最愛の人に似た金髪を吹っ飛ばされたジェームズ・ボンドは、金髪が本物かどうかなんて、あまり気にしないでしょうけど」

アレックは、もう一度、ディヴィッドに口付けた。

ディヴィッドの首に腕を回して、情熱的に口付ける。

「ディヴィッド。ここに、Qの隠しカメラがついていることは、気付いているか?」

「3つまでは、知っています」

「じゃぁ、あと、一つ、見つけろ」

キスの途中で、アレックはディヴィッドに忠告した。

巧妙化を増す、Qの監視は、アレックがいつか訪れるだろうこの建物の全室に及んでいた。

資料室のものは、とくに巧妙で、素人の手ではありえない。

この設置の癖に、アレックは、ジェームズの影を見た。

まず、ディヴィッドには見つからないだろう。

ディヴィッドは、笑った。

「アレック、あなたこそ、いいんですか?このピアス。盗聴器付きです」

「いいんだ。いちいち面倒になったから、直接、Qにプレゼントさせたんだ」

人工的に作る宝石は、本物と変わりのない質感や、輝きを求めると、自然界から得るよりも、高い値段になることがあった。

「それから、アレック」

ディヴィッドは、キスへの未練を残さないアレックが、背中を見せたところで、呼び止めた。

「そのポケットに隠したものを置いて帰ってください。今日の代金は、金髪碧眼だった彼女の分だけです」

ディヴィッドの声はきっぱりとしていた。

力強い腕で、アレックを抱きしめた弱みを、弱みだと思っていない。

アレックは、振り返った。

手で、隠していた写真を一枚ひらひらとさせた。

「…いいだろう?机の上に、置いておくなんて、持って帰ってくれってメッセージみたいなものじゃないか。あの嫌味なオヤジが、こんな趣味だなんて、ディヴィッドもばらしたくて仕方がないってことじゃないのか?」

「だから、アレック。そういう思考の仕方が、あなたを情報部1の裏切り者にさせるんです。返してください。私だって、ばらしたですけどね。でも、それは、あのダブルスパイの息の根を止める時に使うという重要な証拠品として、うちで管理しているんです」

「もう一度のキスでどう?」

「あなたの週末のスケジュールに私を割り込ませてくれるというのなら、考えてみます」

アレックは、ディヴィッドに写真を返した。

「週末には、ジェームズ・ボンドが帰ってくるだろう。俺は、近頃、笑いに餓えてるんでね。ちょっとスケジュールは変えられない」

アレックは、扉まで歩いた。

「あ、そうだ。それから、ディヴィッド。お前、これから気をつけろよ。こういう場合、Qより、オーランドの方が怖い。お前は、もう、二度と、総務や文書の女の子たちから、ランチに誘われることはないと思った方がいい」

ぱたんと扉がしまった。

他にも、机の上からなくなったものがあった。

ディヴィッドのネームカード。

携帯の番号が示してあるそれ。

ディヴィッドは、どんな理由であれ、アレックにランチに誘われるのであれば、報復は喜んで受けようと思った。

END

                          

ヴァン・ヘルを観たんですvv

ハムがいいっす!

そういう訳で、ハム投入です(笑)