青いバラ

ヴィゴの差し出したとてもノーマルなロープに、アレックは、すこし首を傾げた。

ヴィゴは、MI6の特殊装備課課長だ。

Qと呼ばれる、通称まで持っている。

そんなヴィゴが差し出したロープが余りに普通のものだったので、アレックは不思議に思った。

「なぜ、これ?」

目が、疑うように眇められた。

だが、そう言いながらも、アレックが腕を差し出さなかったわけではない。

「特別な仕掛けは、何もないよ。どこにでも売っているただのロープだ」

ヴィゴは、少し面白がるような顔をしながら、アレックの腕にロープを巻きつけていった。

特殊な縛り方はしない。

いくら、技術的に高度に結ぼうとも、ダブルオー達には、なんの障害にもならなかった。

「こんなのは、3秒もあれば外れる」

アレックは、結びあがったロープを眺めながら言った。

「分かってる。でも、どうやって結んでも一緒だろう?だったら、簡単で十分だ。アレックは、こういう遊びを楽しんでくれるだろう?」

アレックは、ロープの先に口付けるヴィゴを見て、薄く笑った。

ヴィゴは、もっと大きく笑う。

アレックは、手首の骨を外す真似をして、それから、にやりとヴィゴを見た。

「新型のプラスティックのが登場するかと思った」

「あれ?もう、あの手錠の噂が、アレックのところまで流れていった?もう、見たかい?」

「まだなんだ。だから、今日、Qについていけば、見られるかと楽しみにしてたんだが」

決して色っぽくなかったアレックのデートの承諾理由に、ヴィゴは、肩を竦めた。

アレックは平然と待っている。

仕方なく、ヴィゴは、ご希望の品を取りに行くことにした。

「見るかい?だが、アレックには似合わないよ。ひたすら薄く、軽く、強度をアップ。これだけを目的に作られてる代物だからね。どこにも美しさがない」

ベッドの上に腰掛けたヌードの美人を残したままで、ヴィゴは、自分の机の上を探った。

机の上には、ファイルの山だ。

いわゆる天才のヴィゴは、わざとこの山を作り上げていた。

恐ろしいほどの記憶力を持つ特殊装備課の責任者は、こんな紙切れなど、本当は、一枚だって必要ないに違いないのに、ご丁寧に彼の部下が用意する書類を家に持ち帰っては、奇怪なオブジェを作っていた。

研究室でも同じだ。

正確に整理された脳細胞の中身とは別に、ヴィゴは、自分の持ち物を散らかすことに意味をみいだしていた。

たしかに、それは、ヴィゴを親しみやすくしていた。

紙にしたら、10ページにも渡るような難解な化学反応式を言いよどむ事無く展開させる人間が、全く片付けられない。

助手たちは、ヴィゴの探し物をするだけで、一日が終ることもあった。

「みつかりそう?」

「あるけどね。でも、本当に、面白くもなんともない代物だよ?…ほら」

ヴィゴの手のひらのなかには、3センチ程度の透明な小さな四角いプラスティックが乗っていた。

「ここを、こうして、こうすると、ほら」

ヴィゴが指先でそれを弄ると四角い板に見えていた小さなプラスティックは、するすると形を変え、立派な拘束器具になった。

全ての部分がとても薄く、精々あっても1ミリ程度だ。

重さも無いに等しい。

「強度は?」

「まぁ大抵は大丈夫だろう。列車同士の連結に使ってもらってもどうってことはない」

「手首に向かって、収縮する?」

「するさ。そのくらいは、どうってことのない技術だ」

ヴィゴはつまらなそうに、説明を続けた。

「鍵は…とか、つまらないことは言い出すなよ。アレック。この間使用した防弾チョッキのノウハウと変わらない。何一つ新しいところは無いんだ。だから、何の面白みも無い」

アレックの目の前から、手錠は机に向かって放り投げられた。

ヴィゴにとっては、何も面白いことなどないのだろうが、アレックにとって、手錠は、なかなかスマートで素敵な品物に見えた。

少なくとも、ヴィゴから最高に面白いものが出来たぞ。と渡された、歯磨きのチューブに入った練り爆弾よりはずっと使い勝手が良さそうだ。

「どうせ、アレックは、こんなもの作っても使わないじゃないか」

ヴィゴは、アレックの視線が手錠を追っているのを嘆かわしげに眉を寄せた。

「アレックは、こんなものなくったって、針金が一本あれば、相手を拘束することも、拷問することも、殺すことだってできるだろう?」

アレックは、MI6に所属するダブルオーの中で、一番冷静そうな顔をしていたが、一番荒業ばかりを使っていた。

持たせた武器を、現状のままヴィゴまで返したことなど殆ど無い。

ヴィゴが愛情を込めて整備したジャガーは、大抵姿を変えていた。

ヴィゴは、いつまでも強化プラスティックの手錠から視線を外さないヌードを見た。

「…まぁ、アレックがどうしてもアレを使って欲しいというのなら、あっちに変えてもいいけど」

アレックが身に付けているものといえば、ヴィゴが結んだロープだけだ。

たしかに、強化プラスティックの手錠ならば、アレックを10分は拘束することが出来た。

並みの者なら、一生拘束できる。

だが、こううい遊びは、そういう外的要因に頼っては、面白さが半減した。

アレックは、横に首を振った。

「じゃぁ、鑑賞させていただくだけって、立場からも開放してもらえるかな?」

ヴィゴはにっこりと笑って、アレックのベッドへと膝をかけた。

ヌードは、どうぞと、微笑んだ。

「アレック」

ヴィゴは、アレックの身体を抱きしめた。

アレックの身体は、腕の中にちょうどいいサイズだ。

目で見たときから分かっていたが、一月ほど前、断熱スーツを作る時に計測した値とほぼ、変わっていない。

「ジムに真面目に通ってる?」

ヴィゴ自身の好みを言えば、もう少し太ってもらいたかったので、ヴィゴは、アレックの怠け癖が発現されるのを待っていた。

だが、未だそういう機会には恵まれていない。

大体、アレックが怠け者であるという断定もヴィゴの希望的推測でしかなかった。

顔に似ず、短気であることは、持ち帰った武器の状態でよく分かった。

全弾打ち尽くして帰ってくるものなど、アレックくらいだ。

スマートに仕事をするジェームズなど、殆どの玉を残して武器を返した。

アレックは、縛られた腕のまま、ヴィゴをすっぽりと抱きしめた。

ヴィゴを拘束する緩いわっかが出来た。

「…Q、まだ、うるさいことを言う?」

アレックが、とても魅力的に笑った。

「今まで、待たされたのは、俺の方だと思うけど」

無駄口を叩いたヴィゴは、アレックにきつく抱きしめられた。

現役のダブルオーと、ただの技術者では、体の鍛え方が違う。

ヴィゴの肋骨の何本かが軋む音を立て、アレックはますますにっこりと笑った。

「科学者は体が弱いね」

「俺は、科学者ではなく、技術者。お前たちのオモチャを作るのが仕事のただの工作屋だろう?」

「相変わらず減らず口が多い」

アレックは、自分から、ヴィゴへと口付けた。

ヴィゴの口の中を蹂躙し、花が綻ぶように笑う。

「こうした使い方の方が、ずっといいと思わないか?」

ヴィゴは、くるりと目を動かし、せっかちなアレックをにやにやと笑った。

「なんだ、プラスティックのオモチャだけが、目的かと思ってたんだが、そういうばかりでもなかったんだな」

アレックの目が優しくヴィゴを見た。

Qは、ストーキングや、覗きだけが趣味ってわけじゃないってそろそろ証明したほうがいい」

アレックは、ヴィゴの唇を噛んだ。

「もう、発信機を発見した?」

ヴィゴは、十分に思い当たる節があった。

「クリーニングに出す前にひと手間掛かるから、発信機は迷惑だ。ついでにいうと、俺の家に、カメラを仕込むのもやめろ。今度あんたのとこの職員を俺の部屋で発見したら、有無を言わせず殺すぞ」

アレックの目は、面白がっていた。

だが、こういう顔をしながら、アレックは、銃の引き金を引くのだ。

「…あいつら…下手だな…」

ヴィゴは、舌打ちをしながら、アレックの身体をなぞった。

アレックの肉体は、滑らかな筋肉に覆われている。

実戦向きの無駄のなさで、特に、時にはバズカー砲の反動にも耐える肩の辺りの筋肉の付き方が特に美しい。

いつまでも、賞賛するように身体をなで回すヴィゴを、アレックは、意地悪く笑った。

腕のなかに抱きこんでいたヴィゴを脱出させると、まだ、着衣のヴィゴのボタンを外し、開いた胸元にキスをしながら、ヴィゴのベルトを抜き去った。

仕事の早いアレックは、ヴィゴの了解も待たず、手の中にペニスを握りこむ。

アレックの手は、縛られたままだから、いつもと比べて、断然動きがぎこちない。

こんなロープなど、本当に一瞬の間に外すだろうアレックは、その不自由さを楽しんでいた。

ペニスに唇を寄せながら、尋ねる。

「なぁ、Q。新型のヘリを開発中って本当か?」

ヴィゴは、ほぼ、正確にアレックの狙いがわかっていた。

全く機械を可愛がらないくせに、アレックは新しいメカが好きだ。

一番最初に持ち出し、一番酷く壊して戻す。

おかげで、ちょうどいいデータが取れた。

「速度は、いまいち早くならなかったけどね。でも、エンジン音をずっと小さくした。あと、最新のレーダー避けもつけたから、まったく感ずかれず敵さんの真後ろにつけることも可能だね」

アレックの舌が、ヴィゴのペニスの先を舐める。

柔らかな舌先は、だが、それ以上先へは進まない。

「…誰に用意した?…俺にくれる?」

白いロープに縛られたアレックの手が、ヴィゴのペニスを支えていた。

ヴィゴは、緑の目が、ヴィゴが頷くことに対して、確信を持って微笑むのを見た。

「…アレックのものだよ。そう言わないと、ここで帰ってしまう気だろう?」

ヴィゴは、肩を竦めた。

アレックは、ご褒美のように優しく微笑み、ヴィゴのペニスに柔らかなキスをした。

そして、焦らすこともせず、ヴィゴに向かって、真っ白な尻を上げて、おねだりのポーズをしてみせた。

『いつまでお待ち申し上げればいいのかな?』

部屋の中に突然ジェームズの声が聞こえた。

ヴィゴと気持ちのいい時間を過ごしていたアレックは、とっさに、スピーカーの位置を探した。

ヴィゴの目が、机の上を見ていた。

ヴィゴは、アレックの背中に覆い被さったままで、マイクのオープンを命じた。

続いて、暗くなっていた部屋の照明に点灯を。

ヴィゴの声は、カメラのスタートをも命じた。

音声認識だ。

「ジェームズ。こんばんは。お待たせして申し訳ないね」

ヴィゴも大したものだ。

アレックに挿入したままだというのに、ジェームズと会話を交わしていた。

「いいえ、Q。…おや、こんばんは。アレック」

アレックは、ジェームズの声が聞こえてから、一言も言葉を発していなかった。

ジェームズに、わざわざ挨拶してやる必要など、アレックは感じていなかった。

今日の狙いは、新型ヘリだ。

ジェームズへの褒美は、この間支払った。

「アレック、今日も美人だね。日中は顔を合わすことができなかったから、君の顔が見られて嬉しいよ」

ジェームズの声は、賞賛を含んで甘かった。

どうやら映像でアレックを確認しているようだ。

つまり、アレックも撮影できる位置にカメラは設置されている。

カメラの位置は、どこなのか。

アレックは、全てを映し出されているらしいというのに、顔色も変えず、部屋の中を探った。

Q、マイクの集音性は、ばっちりだ。映像も、かなり光度が上がって見やすい。これで、大きさは?…アレック、とてもロープが似合ってるね」

ジェームズにしては、ロープの発見が遅かった。

アレックの身体に隠れて見え難い位置にカメラは設置されているのだ。

部屋中に視線を走らせていたアレックは、身体を捻った。

にこりともせず、背中から伸し掛かっているヴィゴを見上げた。

「みつかった?」

ヴィゴが肩を竦めた。

アレックは、ヴィゴのピアスホールから覗くレンズを発見した。

ほんの1ミリ程度のカメラレンズが、アレックを捕らえていた。

上手く加工されている。

じっと見つめなければ、カメラレンズだとはわからないだろう。

潜入にぴったりだ。

「ジェームズ。俺の目の色まで見分けがつくか?」

「アレック。どうせなら、笑ってくれ」

「…どうして?そんな必要はないだろう?」

首を捻ったアレックは、じっとカメラを見上げた。

ヴィゴのペニスは、アレックに挿入されたままだった。

見下ろす視線のヴィゴの撮影角度を考えれば、その全ては、ジェームズに見られているはずだった。

「ちゃんと緑に見える。瞳が潤んでるね。Qとはそんなに相性がいいのかい?」

ジェームズがアレックをからかった。

アレックは、続いて、自分から腰を動かした。

「ジェームズ。音は?どこまで聞こえる?」

「アレック。…そんな色気のない真似はしないで欲しいな。…安物のQのベッドが軋む音は聞こえるよ。でも、君のかわいいお尻の音までは聞こえない」

アレックは、ヴィゴを振り返った。

「マイクと、カメラは別?」

「残念ながら、別」

「マイクの位置は?」

「秘密だ。仕事熱心なアレック」

「じゃぁ、カメラの映像を受け取っている本体のサイズは?」

「手のひらに乗るよ」

ヴィゴは、放っておくといつまでもカメラとマイクの使用価値について考察しそうなアレックの腰を掴んで、強引に揺さぶった。

アレックは、甘い声を上げた。

「ジェームズ。これが、今度の装備だ。どの程度の性能か知りたがっていただろう?サービス付きで、披露したよ。俺からの残業手当だ」

狙って突き上げてくるヴィゴに、アレックは甘い声を上げつづけた。

ヴィゴは、恥知らずなブロンドの態度に恐れ入った。

アレックが、ジェームズと関係があることは、公然の秘密だ。

それなのに、アレックは声を抑えようともしない。

だが、同時に、そんなアレックに、ヴィゴは酷く引き込まれた。

今は、その浮気者が手の中にあるのだ。

「…じゃぁ、そろそろ、プライベートな時間に戻ろうかと思うんだが、いいかな?」

ヴィゴは、勝手に話を打ち切ると、部屋の光度を下げるよう命じた。

誰も、否とは言わない。

「アレック、Q相手だと、そんな顔をするのかい?いい顔をしている。とっても、きれいだよ。スイート」

こんな状況だというのに、ジェームズの声は、チョコレートケーキのようだ。

どこまでも鷹揚なダルブオーに、ヴィゴは、カメラのストップを声に出した。

アレックは、ストップが聞こえたとたんに、蕩けるような笑顔をヴィゴへと見せた。

心底楽しそうだ。

「ジェームズ…君は、アレックに随分と気に入られているんだな」

ヴィゴは、二人の関係に、苦笑を漏らすしかなかった。

「そうだろう?だから、Q、あまり小細工はしないように。Qの研究室のセキュリティーと、私の腕のどっちが上かなんて、確かめてみたくないだろう?」

ジェームズは平然と恐ろしいことを言った。

ダブルオーの実力を持ってすれば、ヴィゴのおもちゃたちは、跡形もなくなることは想像に難くなかった。

ヴィゴは、腰を動かすアレックに応えながら、マイクのストップを命じた。

アレックの言い声を聞かせてやるのが惜しくなった。

「じゃぁ、アレック、また明日会おう。明日は、青いバラにしようか?Qの頭脳を称えて、青インクを吸い上げたバラを用意しておくよ。愛してる。おやすみ」

ジェームズは、引き際まで見事だった。

ヴィゴは、スピーカーにも、停止を命じた。

アレックは、笑っていた。

ぴったりと身体を合わせたヴィゴには、押し殺そうとしている小さな振動が伝わっていた。

「…アレックが、ジェームズをお気に入りの理由がわかった。嫌味までスマートだ。…さて、仕事は終わりだ。アレック。今晩は、ゆっくりしていってくれるんだろう?」

いまだ、真っ白なロープを腕に巻きつけたままのアレックの態度が答えだった。

「綺麗なアレック、俺も、君のことをスイートだって言ったら、誉めてくれるかい?」

ヴィゴは、アレックの顔を見つめた。

Q、俺があんたに求めてるのは、あいつのような面白さじゃないんだ。間違っちゃ…困るよ」

アレックは、優しくヴィゴにキスをした。

ジェームズにまがい物だと言われたヴィゴの頭脳でも、アレックが、最新機器を寄越せと言っているのが、よくわかった。

END