冬を前にしての感想文
前回からの繰り返しになるが、今期放送の「探偵オペラ ミルキィホームズ」が素晴らしい。
何がと聞かれれば「全てが」と答えたくもなるが、項目としてまとめるならば、
(1)メリハリの付け方 (2)パロディの使い方 (3)人
ということになるかと思う。
(1)をより細分化すれば、テンポのよさ、絵柄・空気の切り替え、キャラクターの個性の強調的な見せ方、である。これらがギャグを基本にしている全体の流れに緩急をつけ、展開を飽きさせないものにしている。
絵柄については製作作業の遅れが反映されているという見方も可能であるが、それが真実だとすればむしろそれをギャグの内に取り込むこんで、逆説的に作品のクオリティを向上させているという事実は驚嘆に値する。
オープニングがまた非常に心地よい。
登場キャラクターを順に紹介していくというオープニングの構成は、美少女ゲームにおいて従来から用いられ続けいまや定番とさえ言えるものであり、このような手法に対しては単純に「古いから」という点のみを論拠として批判する声も見られる。
もちろん場合によっては「古臭さ」を感じさせてしまう向きがあるのも否めないが、その点は動きを持たせるなど細かい演出によってカバーすることが可能であるし(代表的な例としては「けいおん!」が挙げられる)、単純に手法の新しいかどうかで良し悪しが決まるものでもないだろう。
ミルキィホームズでは、映像に静と動を組み合わせると同時に、絵柄・空気の使い分けを用いることで、並列的・単調な紹介によって視聴者を飽きさせることのない構成となっている。
また、歌と映像のマッチングや、細かいところではアルセーヌがアンリエット登場に合わせて背景から動き出すという仕掛けなども盛り上がりを促進して非常に楽しい(この点は修正後のオープニングで分かりやすくなっている)。
エンディングも主人公達4人を写して雰囲気を揺り戻したところから再びアダルトな空気を全力で引き込む作りが、オープニングや本編とのギャップもあってとても格好良い。
次に(2)だが、本作ではオープニングや物語のタイトル、内容、キャラクターの設定など各所にパロディが見られる。
パロディが物語に二重構造性を付与することは言うまでもないが、それがただ元ネタそのものの面白さのみを借用する形で行われると、元ネタを知らない受け手にとっては「なんだかよくわからない」という感想を抱かせ、知っている者であってもパロディに気付くだけか(その元ネタの内容が面白ければ笑いはするだろうが)、或いはパロディであることそのものが面白い、という程度にとどまる。
しかし、それが元ネタを知らなくても違和感の無い流れとして構成され、さらに本編と元ネタの関連付けが行われることで、知っている者には状況の対応関係を踏まえた別視点的解釈が可能となり、物語を二面的に鑑賞できるようになるのである。
パロディではないのだが、この物語の二重構造性の巧みさを示す最近の好例として、ストライクウィッチーズ2の第8話を挙げることができる。
普通に鑑賞すれば「主人公のスランプ→親友の危機→救いたいと願う→新しい力が手に入り問題解決」という明確な構造が見て取れ、これだけで完成した物語であると問題なく理解できるだろう。
だが、このシナリオの背景には、大東亜戦争という史実とそれに対する願望としての架空戦記的展開が「元ネタ」として存在する。
本編ではまず連合艦隊旗艦であり日本海軍栄光の象徴とも言える戦艦大和が堂々と描かれ、その強さが印象づけられる(日本軍の初期の栄光)。
続いて敵役のネウロイが登場するが、そのモチーフはアメリカ軍の科学力・物量の象徴たる原子爆弾・ファットマンである(米軍の圧倒的な力)。
大和以下の艦隊が奮戦し大打撃を与え続けるも、それを上回るネウロイの回復力により戦況は劣勢となり、全滅は時間の問題となる(物量に対する押し負け)。
そしてそれを防ぐため、リーネが「先行くね」という台詞とともに飛び立ち矢表に立つ。この台詞とこのときの表情は非常に印象的である。史実において戦争末期の日本で「さきにいく」という言葉がどのような意味を持っていたかは周知の事実だろう。
結果、リーネはネウロイに撃ち落されるわけだが、史実ではこれで終わりである。特攻隊では米軍を押し返すことはできず、橘花・秋水・震電といった新型航空機は量産に至らず(いずれも'45年夏に初飛行)、日本は原子爆弾投下を一つの契機として降伏した。
だが第8話では、震電の前線投入がぎりぎりで間に合い、リーネと艦隊を守ることに成功した。新型機が投入され戦局が逆転する展開は架空戦記の定番で、その背景には「もし間に合っていれば…」という「IF」への憧憬があるわけだが、ここではそれをシナリオに重ね合わせる形で表現しているのだ。(間に合っていても史実ではどうせ…という考察はここでは重要ではないので脇に置く)
このようにして、先に述べた構造と史実&架空戦記的展開を重ね合わせた構造とが二重的に理解されるのである。
ミルキィホームズではタイムボカンシリーズやルパン三世、その他探偵物を元ネタにしていると思える部分があるが、これらはネタとして浮いていることもなく作品そのものにしっかり馴染んでいる。また、第5話で多用されたM監督作品のパロディも上手く話の中に組み込まれていた。
特に目を引いたのは最後の場面、カリオストロからの台詞の引用だが、ここで「ココロ」を盗んだ主体をアイリーンとしている点が上手い。
名高き探偵シャーロック・ホームズは、最初の短編集のさらに最初の作品「ボヘミアの醜聞」でいきなり敗北を喫するわけだが、その相手が他ならぬアイリーンであり、またシャーロキアンの間でホームズが唯一恋をした女性とされているのも彼女である。
そのアイリーンが「天才」を手玉にとり「ココロ」を盗むという展開は、パロディの二重構造をさらに越えた三重構造の域にまで達していると言っても過言ではない。
最後に(3)だが、ギャラクシーエンジェルシリーズからの続投を含むベテラン陣と、主人公4人に配された若手それぞれのハマり具合が素晴らしい。
正直最初はただ新人の売り込み戦略かとも思い、これだけ宣伝しておいてこけたらどうするのか、と他人事ながら先に心配が来るほどだった(「亡き少女の為のパルランド」で一人は知っていたのだがSさんが主眼だったので演技までは注目していなかった)。
しかし、蓋を開けてみれば結果はこの通り。改めて考えてみれば、これだけのプロジェクトだからこそテキトウな考えで人を選ぶはずもないのだろう。
この近年稀に見る傑作(個人的評価では五指に入る。今までの五指から一作が脱落してしまった)が何故生まれたかという考察は知識と能力の不足のため手に余るので、ここでは只々素晴らしいと述べておくにとどめるしかない。
敢えて文字を弄するならば、遅い秋の訪れと共に空から降ってきた素敵な奇跡、とでも言うべきだろうか。
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