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チベタン・フリーダム・コンサート・インサイド・レポート

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チベタン・フリーダム・コンサート開催決定

「チベタン・フリーダム・コンサート開催決定!!」ミラレパ基金のホーム・ページでこの告知を発見してすぐに僕はボランティアに名乗り出た。
思えば2年前、初めて日本でチベタン・フリーダム・コンサートが開催されたにもかかわらず、個人的な事情で参加できなかった。
そんなことを思うと、僕にとってこの2年は本当に長かった。

開催前日

そしてついにこの時が来た。2001年5月12日、チベタン・フリーダム・コンサート前日。この日は会場のセッティングがあるということで、参加した。
前回と今回は同じ会場で、セッティングする事柄もほぼ同じようであったが、全く違うことがあった。それは、会場のセッティングに集まった人の数だ。
前回はまだミラレパ基金の日本支部が立ち上がっていなかったこともあり、ミラレパ基金に関するエリアの準備を5人だけで作業し、半日かかってしまったらしい。
しかし、今回は少なくとも20人を超える人たちが集まり、セッティングに協力していた。
20人もいれば仕事はあっという間に片付いてしまう。垂れ幕やタルチョなどの飾り付けからブースの設置、販売するポスターを丸めたりTシャツをたたんだりといった簡単だが量がある仕事も、大勢の人でやれば本当に早い早い!!
仕事中はみな中の良い友達同志、和気藹々とした非常に和やかなムードの中で進んでいった。
僕も皆と同じようにいろいろと手伝ったのだが、はじめのうちTシャツが上手くたためず、担当のお姉さんに才能がないといわれてしまった。それでもメゲずにひたすらTシャツをたたみ、ふと他の人たちに目を向けると、僕よりヘタクソなヤツがけっこういるじゃん!?と、妙に安心してしまった。
丸めたポスターをビニール袋に詰め込んだ後に、問題が発生した。
適当に袋に詰めこまれたポスターの数を数えることになったのだが、いざ数えてみると一回目と2回目の数が合わない!! 結局また袋から出して数えるハメになってしまった。
その他にも関係者同志でちょっとした問題があったようだが、それも解決したようだった。
そうこうしていると会場から大きな音が聞こえてきた。これは、ザ・ミッシェル・ガン・エレファントだ。その頃にはほとんど仕事を終えていたので、田原さんのOKの許可とともに一路ミッシェルがリハーサルをしている場内へ。もちろん彼らのジャマはできないので、少し離れた所からの見学であったが、ヤッパミッシェルはカッチョイイ音鳴らすなぁ〜。
ミッシェルのリハーサルも終わってこの日の仕事は無事終了。明日はいよいよだ。そう思いながら真っ赤な夕日の中、会場を後にした。

開催当日

5月13日快晴。いよいよ待ちに待ったチベタン・フリーダム・コンサート当日だ。僕が会場に着いたのは11時ちょっと前。ホール正面にはチベットの国旗が高々と掲揚され、いやがうえにも気分が盛り上がってくる。
会場周辺にはすでに長蛇の列ができている。今回の観衆は約7,000人で前回を2,000人ほど上回っている。いよいよ熱いライブが始まるんだと思い、ミラレパ基金のブースへ。ボランティア用のTシャツを着て説明を受けた後、皆で記念撮影。今回のボランティアは60名ということで、記念撮影時には修学旅行みたいだなんて言ってる子もいた。そんな感覚になるなんて若いねぇ。ざっと見渡したところ20歳前後の子が多く、私は少々浮いていた? 
開場が1時のためそれまでブラブラしていたが、その時間帯に隣のヒルトン東京ベイホテルで記者会見が行われていた。残念ながら僕はその記者会見を覗くことはできなかったが、うまく入りこんだヤツの話では、これまでと同様にコンサートを開催する意義や、チベット人僧侶の獄中体験などが語られていたようだ。
しかし、その記者会見に出席したマスコミは少なかったようで、コンサート自体の知名度はまだ高くないのだと痛感させられた。
結果的ではあるが、コンサートがこの時期に開催されるというのも悪かったように思う。
もともと対中政策には弱腰な日本政府だが、教科書問題・李登輝来日・セーフガードの発令と対中関係が今までになくギクシャクしている時期とコンサートの開催が重なってしまったのは、本当に不運としかいいようがない。
今回の僕たちが集める署名は2種類あり、日本政府に宛てるものと北京オリンピックの誘致を反対するというもので、どちらもチベットにとっては一人でも多くの署名が必要なのはいうまでもない。 

ライブ!ライブ!ライブ!と署名!署名!署名!

そして、いよいよ開場である。今回入場者に配布したパンフレットは、CDのブックレットサイズのフルカラー24ページの豪華なもの。これを読んで少しでもチベットのことについて多くの人が考えてくれることを願わずにはいられない。
開場と同時にミラレパのブースには人だかりができてしまった。署名してくれる人、グッズを購入する人、募金をしてくれる人。それぞれがそれぞれの形でチベットをサポートしてくれる姿には本当に嬉しくなってくる。
ミラレパ以外にもアムネスティ・インターナショナルやダライ・ラマ法王事務所などのチベット関係のブースが設置されていて、いかにもチベタンだなぁといった趣である。
こっちもガンバらねばと署名活動開始。ロビーでくつろいでいるひとりひとりに声をかけて署名をお願いする。すでに署名をした人、快く署名してくれる人、丁重に断る人と反応はさまざまだがほとんどの人はしつこい署名隊の「署名お願いしま〜す!」コールに暖かい反応を示してくれて、「がんばってね」と言っていただけることもしばしば。それが見た目はチョーヤバそうな人だったりするんだから、本当に人は見かけによらないっすね。
開演の3時になると司会のYOU THE ROCKが勢いよく飛び出してきて会場を煽る。そしてそれに応えるオーディエンス。主催のミラレパの代表である田原さんのあいさつの後、中国国内ではもちろん禁止されているチベットの国歌が斉唱され、いよいよライブのスタートだ。
今回はコンサートの主旨にそってアルコールの販売はなく、アーティストの出演順の告知もナシ。
そしてトップバッターで登場したのはブラフマン。いきなりモッシュの嵐が会場中に巻き起こる。いきなりのブラフマンの登場でボルテージは最高潮に。ロビーに出てみると客はほとんどおらず、遅れてきた人もブラフマンの音を聴いて走る!走る。早くも失神者がでてしまい、何人かの人に担がれて行ってしまった。イヤ〜会場の熱気といったら本当に凄い。ライブが終わるとアリーナにいた人たちは汗でびっしょりだ。
場内から皆が出てくると署名活動再開。次に登場したのはUAだ。ブラフマンのような熱気はないが、歌を聴かせる彼女に対し聴衆もじっと耳を傾けていた。ブラフマンの後にUAを持ってきたのは正解だったようだ。
僕はお昼をとりにミラレパのテントに戻った。昼食をとっている間にダライ・ラマ法王事務所の方と話す機会があった。彼女のダンナさんもチベット人で、彼女によると今チベット人と結婚する日本人女性が多いんだとか。まぁ多いといっても日本にいるリーガルなチベット人は50人ほどらしいのでたかがしれているんだが。
彼女は前回のチベタンにも参加されていたようで、今回と比べてスタッフの多さに驚かれているようだった。確かにミラレパのボランティア一つをとってみても希望者は定員を大幅に越えていたようで、スタッフが多くなった分ひとりひとりの仕事は楽になったようだ。
会場に戻り再び署名活動に専念。場内ではインターバルを利用してチベットの歴史や現状、ダライ・ラマ法王のインタビューの映像がスクリーンに映し出されていた。そして、チベットの僧侶の獄中体験がこの会場でも披露された。これにはどのオーディエンスも静かに耳を傾ける以外はできなかった。あまりにも痛々しい実話を淡々と話している彼は死んでいった仲間や、今も苦しんでいる仲間のために自分の生涯をかけて、このあまりにも惨たらしい体験談を止めることはしないのである。

神風署名隊?

続いての登場はバッファロー・ドーター。相変わらずのキッチュなサウンドには好き嫌いがはっきり分かれてしまうためか、ロビーに出ている人が多少多くなった。
バッファロー・ドーターの皆さんには悪いが、今がチャンスと神風署名隊となりロビーにいる人に声をかけまくる。が、すでに多くの人が署名済みで声をかけるが早いか、「もう、署名したんで…」との声。あえなく神風署名隊は玉砕される。ん〜、なかなか署名が集まらない。歩き回っていたので足も疲れ気味。ということで次に登場したチベットのバンドのチャクサンパを少々見学。MCに通訳もついて曲についての説明や、チベットの民族楽器などを紹介。チベット独自の民族楽器を使った音は、普段僕らが聴いている暖かいものが感じられ彼らの望郷の思いがよく伝わってくる。
そして再び署名活動へ。だがやっぱり声をかけると、もう済ませたの返事…。よし、作戦変更だ。ロビーに出てくる人はもう署名が済んでいるが、アリーナの最前列の人たちはきっと1日中動かないから署名をしていないはずだ。ということでチャクサンパの演奏が終了すると同時に会場の前の方で署名活動を行った。思ったとおり非署名率がかなり高いぞ! 気をよくして前へ前へと進んでいくと突然司会のYOU THE ROCKが再び登場。そしてなんとビースティーズのアダム・ヤウクがステージに現れた。彼もまたこのコンサートの開催の意義を通訳を通して熱く語る。もっとも重要なことは“非暴力”による活動を推し進めるということである。“非暴力”とはただ暴力をふるわないということではなく、物事に対して無関心になるのでもなく積極的になるということである。
アダム・ヤウクはベトナム戦争を例に出し、ひとりひとりの力は弱くてもその力が集結されることによって大きな力となり、戦争を終わらせることができたと語った。(個人的にはこの解釈には少々?な気もするが…)
アダムの話は短いものだったが、このコンサートを始めた張本人としての言葉だけにやはり重みを感じた。
確かに個々の力は弱いし、なかなか結果が見えてこないと気力も萎えてくることもあるが「継続は力なり」というように、いつかきっとすべての波が重なり合って大きな力となることを信じ、チベット問題をはじめとしたさまざまな問題について我々は考えていかなければならない。
そんなことを思わせるアダムの演説だった。今度来る時はぜひ3人そろって来てね。

そして大団円

アダムが下がると次はブン・ブン・サテライツだ。僕はこのバンドの音は初めて聴くのだが一聴して気に入った。しばしの間、僕もオーディエンスと一緒にブン・ブン・サテライツの作り出すグルーヴに身を委ねてしまった。いけない! 署名をしなければとロビーに戻ると、お〜今度はなんとアダムがミラレパのブースにいるではないか。アダムは一緒にいた田原さんとテレビカメラの前で署名のパフォーマンス。ほとんどの人がブン・ブン・サテライツのライブに酔いしれていたため、この事実を知っている人は少ないだろう。
署名を終えるとそそくさと引き上げていくアダム。ビースティ・ボーイズの新作はどうなってンの!? 願!! 早期の現場復帰。
アダムを目の前にして少々ミーハーになってしまった私だが、ブン・ブン・サテライツのライブも終了が近い。再び彼らのグルーヴに身を委ねながらライブは終了した。
8時までの時点で集まった署名は、日本政府宛てのものが約4,600、北京オリンピック反対のものが約3,600。むむっ、まだ署名率70%にも届いていないではないか。さっそくミッシェルが始まるまでの間、最前列のミッシェル・ファンとおぼしき人に署名をお願いする。普段は長く感じられるバンド間のインターバルも今回は短く感じられ、思ったようには署名が集まらない。
三度YOU THE ROCKが登場し、“非暴力”がテーマのこのコンサートでケガ人は出したくないので、最後まで皆で仲良く楽しもうと(ただし、すでに5名ほどケガ人が出てしまっていたが…)告げ、“FREE TIBET”とシュプレヒコール! YOU THE ROCKが下がるといよいよ会場中が待っていたザ・ミッシェル・ガン・エレファントの登場だ。
しょっぱなから飛ばしまくるミッシェルのメンバーたち。それに対してモッシュで応えるオーディエンス。間違いなく今日のなかで最高のステージを見せてくれている。いきなりメーターぶち切れ状態になったが、そのメーターが再び戻ることはなく、もう最初から最後までハイテンションの状態、山場の連続が続いていく。
ミッシェルが終われば一斉に客が出てくるので、この時が最後の署名のチャンス。しかし僕はミッシェルで昇天する前に家路につかねばならず、後ろ髪を引かれる思いでNKホールを後にした。
きっと大団円をむかえ成功のうちにコンサートは終了したのだろう。署名の方もトータルで1万を超えたようである。
署名してくださった皆さん、本当にありがとう。そして一日中がんばってくれたスタッフ及びボランティアの皆さん、本当にごくろうさま。
次回、次々回のチベタンそしてチベットが自由と独立を勝ち取るまで何度でも皆さんとお会いし、チベットのサポートをしていきますので、次の機会にまたお会いしましょう。最高の一日をありがとう。


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