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History of Radiohead

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バンド名の由来

レディオヘッドと言うバンド名は皮肉に溢れている。我々リスナーはラジオから流れる音楽を盲目的に受け入れてしまい、気が付くとレコードを買ってしまう。いかに我々はメディアに洗脳されてしまっているかということである。つまり、ラジオに洗脳され、メディアに踊らされる我々自身がレディオヘッドなのである。

バンド・メンバー

イギリスのオックスフォード出身のレディオヘッドは以下の5人によって編成されている。

Thom E. Yorke (Vocal, Guitar, Piano) 68年10月7日にウェリンバラにて生まれる。
生まれた時に左目に障害があり、6歳までに5度の大手術を受けて、最後の手術後には半年以上の眼帯生活を強いられる経験を持っている。
7歳の頃から2年ほどは色々な土地を渡り歩き、9歳の時にオックスフォードに落ち着くことになる。父親は核物理学者で、母親は結婚前はファッション・デザイナーをしていたが、結婚して専業主婦に。兄弟に弟のアンディがいる。トム自身はエクセター大学で芸術と文学を学んだ。影響を受けたミュージシャンとしては、ジョイ・デビジョン、マガジン、ジャパン、R.E.M.などを挙げている。

Jonny Greenwood (Lead Guitar, Piano, Keyboards, etc.) 71年11月5日オックスフォード生まれで、コリンの弟であり、バンドに最後に参加したメンバーでもある。影響を受けたミュージシャンは、XTC、ソニック・ユース、ピクシーズなど。

Ed O'brien (Guitar, Vocal) 68年4月15日オックスフォード生まれ

Colin Greenwood (Bass) 68年6月26日オックスフォード生まれで名門ケンブリッジ大学のピーターハウス・カレッジで英語学の学位を取得している。

Phil Selway (Drums)67年5月23日ヘミングフォード・グレイに生まれる

バンドの結成

高校時代の85年ごろからON A FRIDAYと名乗って活動していたが、91年の大学卒業後に現在のレディオヘッドに改名をする。
91年末に英EMI傘下のPARLOPHONEと契約し、92年5月にデビュー・シングル「DRILL」を発表。その中の「プルーヴ・ユアセルフ」では、「死んだ方がましだ」と歌うなどその自己嫌悪的でネガティブな歌詞が、特徴として知られるバンドとなっている。

アメリカで先にブレイク

レディオヘッドは本国イギリスよりも、アメリカで先にブレイクした。92年2月にリリースした2ndシングルの「クリープ」がサンフランシスコのオルタナティヴ・ステーションでかかるようになり、そこからMTVの効果も手伝ってアメリカ中にこの曲が広まっていった。
そして、たった3週間で製作した1stアルバム「パブロ・ハニー」を93年2月にリリース。
シングル「クリープ」をイギリスで再発し、ヒットを飛ばし、その年のNME、メロディ・メーカー両紙の読者投票のベスト・シングル部門で堂々の1位に輝いた。
94年に敢行した2度目のアメリカ・ツアーでバンドは亀裂を生じ始め、一時期バンド自体に危機が生じていた。しかし、お互いに本音で話し合うことでこの危機を回避し、バンドは2ndアルバムのレコーディングに取りかかった。ジョン・レッキーをプロデューサーに迎え、「パブロ・ハニー」とは全く違うアルバムを作るという方向で制作された「ザ・ベンズ」は、1stアルバムを大きく上回る出来に仕上がり、レディオヘッドの奥の深さを見せ付けた一枚となった。
1曲目に収録されている「プラネット・テレックス」は元々「プラネット・ゼロックス」というタイトルだったが、コピー機メーカーのゼロックスがそれに告訴も辞さないと待ったをかけたために変更されたといういわく付きの曲。
4曲目の「フェイク・プラスティック・トゥリーズ」はロンドン東部のドックランズ地区で進んだ大規模開発の中心地であるカナリー・ウォーフについての曲で、「作り物の土に植えたゴムの木」「80年代は美容整形で当てた」といった歌詞からもわかるように、80年代のサッチャー政権の商業主義を痛烈に批判した曲である。
「ザ・ベンズ」というタイトルは潜水病の意味。水中など圧力の高い場所にいた人が急に水上に上がると、血液に溶け込んでいた窒素が気泡になって血管を塞いでしまう症状のことを言うのだが、そのタイトルに合わせた蘇生訓練用ダミー人形のアルバム・ジャケットについて、トムは窒息しているのにまるでオルがズムに達しているような表情をしていてその表情がとても気に入ってジャケットに採用したと語っている。

90年代の金字塔O.K.コンピューター

結局「ザ・ベンズ」はアメリカのチャート(ビルボード)では88位にとどまったが、彼らにとって満足のいくやり方で満足のいく内容の物を作ることができたという自負が、97年に発表された「O.K.コンピューター」というとんでもないアルバムを作り出すことになったのである。
自分たちで全てのレコーディング機材を買い揃え、大きな古い屋敷をレコーディング・スタジオにして制作された3枚目のこのアルバムは、レコーディング中に聴いていた映画音楽やクラシックからの影響もあり、ロック色は後退し、代わりにそれこそ詰め込むことが可能な限りの音を感情豊かに表現しているアルバムとなっている。
歌詞に関しては、このアルバムの代表曲にもなる「パラノイド・アンドロイド」では「俺が王様になったら、お前なんか真っ先に銃殺刑だ」と歌い、「エグジット・ミュージック」では「規則に縛られ窒息してしまえ」と囁き、「レット・ダウン」では「虫けらみたいに踏み潰されて」と相変わらずネガティブな歌詞を歌い続けている。
結果的にこのアルバムは暗いトーンのアルバムとなったにもかかわらず、売れに売れまくり第40回のグラミー賞のオルタナティブ部門を始め各音楽賞を総なめにしてしまう。
しかし、バンドが大きくなる中でライブの規模も大きくなり、スペクタクル・ショーには興味のないトムはコミュニケーションを十分にはかれない会場でのコンサートにうんざりしているようであった。それはその年のグラストンベリーでの出演で彼の中で確信に変わった。4万もの観衆を目の当たりにして「なぜ僕らはここにいるんだ? こういう状況に置かれているんだ?」と。彼にとってデカイ会場でのコンサートはゴミとしか思えないようであった。そんな葛藤を抱える中で98年の1月に来日を果たし、我々の前ですばらしいパフォーマンスを見せてくれた。

トムの社会活動

98年6月にはビースティ・ボーイズ主催のチベタン・フリーダム・コンサートに去年に続いて出演、コンサートの翌日には「National Day of Action for TIBET(チベットのための全国抗議行動の日)」として、国会議事堂の前での集会にもトムは参加している。
12月にはパリでアムネスティ・インターナショナル主催のチャリティ・コンサートに出演し、その出演動機についてトムは「罪の意識を減ずるためであり、自分たちの抱えている問題など人権問題などで苦しんでいる人たちに比べれば、全くの筋違いだと気づいたんだ。自分の知名度を利用するなら唯一チャリティの機会だけである」と答えている。
さらにトムはジュビリー2000の趣旨に共感してU2のボノや、ペリー・ファレルらと共に積極的に活動に携わっている。
99年もトムはジョニーとチベタン・フリーダム・コンサートのアムステルダム会場に参加。
2000年には日本の音楽情報誌SNOOZERにジュビリー2000の特集を組ませたり、ジュビリー2000に関する自らの声明や、彼が支持する活動団体などをレディオヘッドの自分のホーム・ページで紹介し、リンクを貼るなどして我々がその団体の活動内容を知ることが出来るようにするなど社会活動に熱がこもっているようである。

賛否両論の問題作キッドA

そして2000年秋、待ちに待った新作「キッドA」がついに発表され、英米でチャートの1位を獲得。日本においても3位という離れ業を成し遂げた。日本の洋楽事情を考えると、このチャート・アクションはまさに待望のアルバムであったということが窺い知れる。
今回のアルバムの発表に際して、レディオヘッドはプロモーション活動をほとんど行わなかった。これは、前回のアルバムが自分たちのコントロールの及ばないところまで行ってしまった事に対する反動なのかもしれないが、シングル・カットなし、インタヴューも最小限にとどめ、大規模なツアーも行わないなどひたすらメディアへの露出を控えることで、自分たちらしさを維持していこうとしていたのだろうか。
発表と同時にこのアルバムは賛否を巻き起こした。ロックバンドとしてのフォーマットを捨て、トムはあえて歌詞を省き、出来あがった全体像はコラージュされたような音世界を紡いでいた。
この音もまた、まぎれもないレディオヘッドの音なのである。
CDケースにある裏ブックレットには収録曲や未発表曲の歌詞(後にアムニージアックで発表されるものもあり)の一部を載せ、トニー・ブレア英首相に対する辛辣なメッセージを始めとして、環境破壊や現代社会への警鐘を鳴らすような内容に溢れており、トムの現在の考えを垣間見ることができる。
バンドは9月に巨大テントでの公演を成功させ、さらに次なるステップへと駆け上がって行く。
トムはビョークのサントラ盤「セルマ・ソングス」やPJ・ハーヴェイの「ストーリーズ・フロム・ザ・シティ、ストーリーズ・フロム・ザ・シー」でゲスト・ヴォーカルとしても参加している。

同時期に作成されたもう1枚のアルバム、アムニージアック

充実した2000年を迎えたバンドは同時期に制作し終わっている作品を2001年にリリースすると発表し、予告通り2001年の6月に新作「アムニージアック」をリリース。
「人間は生まれる時に、新しい人生に到着するトラウマに対処するために、それまでの記憶を忘れるように強制される」このグノーシス派の考えから付けられたのが、今回のアルバム・タイトルであるアムニージアック(=記憶喪失の)という言葉である。
グノーシス派とはギリシャ語で「知識」を意味し、グノーシス主義は世界を邪悪なものと考え、邪悪な現世を救うものがグノーシス「知識」であると説いている。
西欧のキリスト教的なものや、物質主義の社会を痛烈に批判するトムが興味を抱くに足る思想がこのグノーシス主義なのでろう。
今回の音は前作よりもロック・フォーマットを踏まえているため、聴き易くはなっているものの、同時期に制作されたものだけに、前作同様に異質な輝きを放っている作風である点では一致している。
今回はシングルもカット(ただし、シングルに相応しいとは思えないような曲をあえてカットしているが)し、ワールド・ツアーも行うなど精力的に動き回っているメンバー5人だが、ツアーの最終地として選んだのが日本だった。
3年8ヶ月ぶりに日本の地を踏んだメンバーは、新作2作からの曲を中心に全5公演を全力で演奏、最終日にはシャンパンで乾杯をするなど長かったツアーの最終日を思わせる場面もあったりした。

彼らの音は永遠に僕らの心に刻まれる

日本ツアーを最後にバンドは「アイ・マイト・ビー・ロング−ライヴ・レコーディングス」と題したライヴ盤を残して、休みに入り、スペイン、ポルトガルを周ったバケーション・ツアーなどはあったものの、表立った活動はなかったが、03年ついに復活。通算6枚目のアルバムとなる「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」はバンドサウンドに立ち返りながらも、O.K.コンピューター以降の方法論もしっかりと吸収した、いわば総決算的な音になっている。そういった意味では目新しさには欠けるかもしれない。しかし、トムのヴォーカルは以前にも増して輝き、その音世界は他の追従をまったく許さないレベルであることに変わりはない。
その事を証明したのが、8月に行われたサマーソニックのステージである。
今回のライヴは前回の来日公演同様、彼らが音楽至上主義者であることをよく表わしている。パフォーマーではなく、アーティストである。それはジョニーやエドが一心不乱に楽器に集中している姿を見れば明らかである。「パラノイド・アンドロイド」〜「エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス」までの流れはまさに圧巻であった。三日月のきれいな夜に「セイル・トゥ・ザ・ムーン」が良く映える。
最後に"FOREVER"の文字が残されて彼らは去っていった。彼らがこの文字に込めた意味はわからないが、僕の心に永遠に残る音として彼らの音楽が刻まれていった。


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