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History of Rage Against The Machine

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バンド名の意味

表面上の意味は「機械に対する怒り」となるが、この場合のマシーンとは、憎むべきもの全てを意味し、具体的には警察の暴力、経済機構、社会組織や大資本といった理解力や慈悲のない社会構造のことを意味している。

バンド・メンバー

ザック・デ・ラ・ロッチャ (Vo) 1970年1月12日生まれ

カリフォルニア州ロング・ビーチで生まれる。メキシコ系でチカーノ壁画家(警察の暴力に対する批判や、農場労働組合の運動を絵を通して主張していた)である父親のベト・デ・ラ・ロッチャとメキシコ、ドイツ、アイルランド系の文化人類学を学んだ反戦活動家である母親の間に生まれ、東ロザンゼルスの貧民街で育つ。
影響を受けた人物としては、毛沢東(実践主義)やフランツ・ファノン(アルジェリアの農民蜂起革命家)、チェ・ゲバラ(黒人解放を訴える指導者、団体やキューバの革命家)、マーチン・ルーサー・キングJr.、影響を受けた音楽としては、ジミ・ヘンドリックス、パブリック・エネミーやバッド・ブレインズなどがある。
白人中流階級中心の保守的で人種差別のまかり通った社会で育ったザックは自然とパンク・ロックという音楽や文化に惹かれていき、86年にInside Outというパンク・バンドを結成。その後にレイジを結成することになる。

トム・モレロ (G) 1964年生まれ

ニューヨークで生を受ける。ケニアの政治結社マウマウ団の幹部(イギリスからケニアを解放、独立を求める団体)であり、ケニア初の国連代表でもある父親と息子に感化され70歳の高齢で公民権運動、検閲反対運動をしてきた活動家である母親の間に生まれ、マルコムX、ブラック・パンサー、チェ・ゲバラといった人物に影響を受けながらシカゴで育つ。
ハーバード大学社会学科を主席で卒業。その後、クランストン上院議員の秘書もしていたインテリでもあるトムは、17歳で本格的にギターを始め、レッド・ツェッペリン、ランディー・ローズ、ジミヘン、クラッシュなどにいれこみながら育っていった。。89年にLook Upというバンド名でゲフィンから「Something Bitchin' This Way Comes」というアルバムを発表するも失敗に終わり解散する。

ティミー・C、、ティム・ボブ、シマリング・T、Y・ティム・K (B) 1968年2月26日生まれ

アルバムごとに名前を変える彼の本名はティム・コマフォード。カリフォルニア州トレンスで生まれる。父親は宇宙開発関係のエンジニアの仕事をしている。
彼は子供の頃からザックとバンドを組んでいた。

 

 

 

ブラッド・ウィルク (Dr) 1968年9月5日生まれ

オレゴン州ポートランド生まれ。ロシアの血を引く彼の父親は破産を経験している。
トムの以前のバンドであるLook Upのドラマーのオーディションで出会っているブラッドは、エディ・ヴェダーと一緒にバンドを組んだこともあり、パール・ジャムのツアーに参加した経験もある実力派。

 

 

バンドの結成

91年8月にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを結成。自主制作で12曲入りのカセットを半年で2万本売り、多くのメジャー・レーベルからのオファーを受けることになる。その中にはマドンナからの直接のオファーもあったが、「俺達はマテリアル・ガール(物欲的女性)とも彼女のレーベルとも関わるつもりはない。」と一蹴。
結局エピック・ソニーと契約した。彼らが忌み嫌う大資本、大組織のレーベルとあえて契約したのにはそれなりの理由があり、クリエイティヴ性を自分達で100%コントロールできるのなら、大組織を通して地球に俺達の音楽と思想を届けることができるというのが彼らなりの結論だったようだ。 アルバム発売前にはロラパルーザ創始者のペリー・ファレルのバンドポルノ・フォー・パイロスの前座に出演したりもした。

衝撃のファースト・アルバム

そして、92年11月ベトナム戦争中に起こった僧侶の焼身自殺の写真をスリーブにした、衝撃のファーストアルバムを発表。
その後も、93年のロラパルーザでは、ロサンゼルス公演で公演を生中継していた地元のラジオ局KROQの商品主義を批判し、この放送局から今後一切彼らの局を流さないといった処分をされたり、フィラデルフィアでは、歌詞検閲団体PMRC (Parents Music Resource Committee) に抗議をするために口をガムテープでふさぎ、胸にPMRCの4文字を刻み込み全裸で登場し、そのまま演奏をせずに12分で舞台を降りるという行動に出ている。
主義主張がはっきりしている彼らは賛同できる主義のために、(例えばレナード・ペルティエのためのベネフィット・ギグや、ナチ反対のコンサートなど)様々なベネフィット・コンサートに参加をしている。
彼らのライブでは必ずアンプに逆さにした星条旗を掲げているが、これもまた彼ららしい行動である。

96年4月にセカンド・アルバム「Evil Empire」をリリースし、約25万枚を売って9週間1位だったアラニス・モリセットの「ジャグド・リトル・ピル」に7万枚以上の差をつけて全米初登場1位を獲得(世界6カ国で1位を獲得)した。
このアルバムのタイトルEvil Empire(邪悪な帝国)の言葉はもともとレーガン元大統領が旧ソ連に対して放った言葉で、強い国アメリカを目指したレーガンがソ連をそう呼び、軍事力を強化する必要があるとするために用いた言葉だ。レイジはそれを逆手にとってアメリカこそがEvil Empireであると言っている。アルバム・カヴァーの健全そうな少年はその象徴として登場していて、外見は健全そうに見えて実態はその逆であることを言っているのである。また、その少年の笑顔からは「支配することなどいとも簡単であるといわんばかりのようでもあり、逆にその笑顔の奥にはこの先の不安を読み取ることもできる」とはザックの弁である。
同年6月にはチベタン・フリーダム・コンサートにも参加。
97年4月13日にテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演するも、スポンサーで当日のゲストのスティーブ・フォーブス(アメリカでも有数の大富豪)に配慮して逆さ星条旗を外し、一部の歌詞を放送禁止にするとした局側の要求にメンバーが激怒しその一部がカットされるといったことが起こった。

ついに日本の地に降り立つ

U2との全米ツアーを経て、97年7月Fuji Rock festivalのために初来日。Fuji Rockではその存在感を十分に見せつけるステージを我々の前で見せてくれた。
このステージは実際僕も生で見たのだが、台風の中、雨のせいなのか、それとも観客の熱気のせいなのかレイジがプレイを始めるとたちまち水蒸気が舞い上がり、メンバーが見え隠れしてしまう中、それでもお構いなしに会場中でモッシュが沸き起こるといった異様な状態だった。
アメリカに戻り、アタリ・ティーンエイジ・ライオット、ウータン・クラン、フー・ファイターズを前座にアリーナ・ツアーを開始するが、またしても警察がライブの中止命令を裁判所に要請するなど圧力がかかる。ライブが中止になることはなかったものの通常の4倍もの警官が動員され、80人以上が未成年の飲酒やドラッグの売買を理由に逮捕される。
同年12月には、ブルース・スプリングスティーンの「ゴースト・オブ・トム・ジョード」のカバーをシングルとして発表。
98年、ゴジラサントラに「No Shelter」を提供。
この年はトムの課外活動が目立ち、プロディジーのリアム・ハウレットなどとのコラボレーションを実現している。
99年1月にはMumiaへのチャリティーコンサートを実施。6月チベタン・フリーダムのシカゴに出演、更に7月には、再びフジ・ロックの初日のトリとして出演。貫禄のステージを再び日本のファンに見せてくれた。

待望のサード・アルバムと単独来日公演

11月についに待望のサード・アルバム「バトル・オブ・ロサンゼルス」をリリース。マライア・キャリーの「レインボウ」を押さえて、見事全米1位を再び獲得。その売上は43万枚を越える。
全米テレビのトーク・ショウに出演する際には相変わらず警察の圧力を受けるも無事出演を果たす。 そして、3度目にして初の単独来日公演を6月行った。
私も東京と大阪でそのライブを見てきたのだが、レイジらしくムミアやEZLNに関する情報を提供するアムネスティ・インターナショナルのブースが設置され、開場は始まる前から異様な雰囲気を醸し出していた。ライブの開始と同時にモッシュの嵐が吹き荒れ、ラストのKilling In The Nameまで息もつかせぬ、まさにThe Battle of Tokyo, Osaka公演であった。
8月にはロサンゼルスで米大統領選のための民主党大会が行われたが、この大会の初日にレイジがゲリラ・ライブを敢行。トムは「今回の大統領選挙は価値のない2人の候補者の争いで、どちらが勝っても良い結果になどならない。俺たちは今回の選挙のプロセスから取り残された人たちをサポートするためにこのコンサートをやるんだ」と言い放ち、会場に集まった人たちを大いに沸かせた。Bulls On Paradeからはじまり、全9曲を演奏したレイジはさらに、「向こうで行われているショウはソールド・アウト(魂を売るという意味を掛けている)だ。我々の民主主義は乗っ取られてしまった。我々のストリートは民主党にも共和党にも引き継がせない。この街は我々が築き上げた。やつらが我々の望むものを与えなければ、我々はこの街を潰すことも出来るんだ」といったメッセージを会場に投げかけた。
コンサート自体は無事に終了したが、機動隊が聴衆を解散させようとした時に小競り合いが起こり、暴動に発展。10人が逮捕され、40人近くが怪我をするといった事になってしまった。

レイジの存在意義

トム曰く「レイジが音楽に込めたメッセージや主義主張が政治活動の領域にまで持っていけたということが最大の成果である。」
商業的に成功したレイジの一挙手一投足が報道され、彼らが参加したデモなどがMTVのニュースで流れれば、たちまちレイジが取り組んでいる問題が我々に知れわたる。まさしくレイジは音楽を政治の領域に持ち込むことに成功しているのである。
もちろん彼らだって全てのファンがレイジの主張に耳を傾けているわけではないことは知っている。しかし、たとえレイジの音楽だけが純粋に好きだというファンも、何かがきっかけでザックの歌詞に注意を払うようになるかもしれない。だからこそレイジは常に大きな網を投げて、できる限り多くの人に彼らの主張を届けようとしているのである。
"Battle of the World" レイジはすでにロサンゼルスだけではなく。地球上のいたるところで闘争を続けているのである。

ザック・デ・ラ・ロッチャがレイジを脱退!

2000年10月18日にザック・デ・ラ・ロッチャがレイジを脱退すると表明。
「このバンドにおける、音楽的および政治的理想が徐々に色あせてきてしまった。今がレイジを去る潮時だろう。我々の意思決定のプロセスは完全に機能しなくなってしまった」といったコメントを発表している。
一方トム・モレロは「メンバー間の意思決定のプロセスは完全に崩壊していて、ザックの脱退については特に驚かなかった。ザックのソロ・プロジェクトがうまくいくことを祈っているよ」と答えている。

ファンにとってはまさに青天の霹靂である。確かにメンバーの不仲はいつも伝えられていた。ザックがソロ・アルバムを早くリリースしたいことや、ビースティー・ボーイズとの"rhyme & reason 2000"のツアーに積極的でなかったこと(結局ビースティーズのマイクDの怪我でツアーは中止になったが)。9月7日に行われたMTVビデオ・ミュージック・アワードでティムがリンプ・ビズキットのスピーチ中に妨害行動に出たことに対して腹を立てていた等など。
しかし、本当にザックが脱退してしまうとは... 結局、ほぼ同時にリリースされたカバー曲で構成されたアルバム『レネゲイズ』が4人での最後のスタジオ盤となってしまった。

レイジの後任ボーカリストはクリス・コーネル

9月12、13日にロスで録音されたライブ盤のリリースの話もあるが、レイジはメキシコでのライブをDVDでリリース。来日公演を見れなかったファンは必見である。
今後のレイジはどうなっていくのだろうか。
トムは、ザック抜きでもレイジを続けていく意欲を見せていて、他のメンバーも同様3人でバンド自体は続けていくことが話し合いで決まった。
そして、問題のザックの後任ヴォーカリストだが、一時期サイプレス・ヒルのラッパー、B-リアルが「レイジの新ヴォーカリストになることが出来たら、もの凄く興奮するな。」と意味深長な発言をしていたため、レイジの後任ボーカルはB-リアルと噂されていた。だが、メンバーは一緒にやってはみたものの、特別なケミストリーは感じなかったようだ。
そこで、リック・ルービンが元サウンドガーデンのヴォーカリスト、クリス・コーネルを紹介し、2001年に入ってからジャムってみると、あっという間に新しい曲ができあがり、メンバーはこれだ! とすぐにクリスと共に新しい可能性を見出した。当然ザックとは音楽性がまったく違うクリスであるから、今までとは違う新しい方向性でいくことにし、順調にレコーディングを進めていった。
問題がないわけではなかった。クリスがインタースコープとソロでの契約を残しているため、レイジのパーマネントなヴォーカルになることができないため、レイジ名義でのリリースは難しいと言われていた。
だが、そんなことはお構いなしにトムもクリスも新しいバンド・サウンドを生み出していった。バンド名も新たに「シビリアン(一般市民、文官、非戦闘員)」に決まり、02年7月にはオズフェストへの出演も決定。今までのレイジと違い全てが順調にきていたのだ。そう思われた矢先、なんとクリスがバンドを脱退してしまう。やっぱり、ダメだったのか。誰もがそう思ったがクリス奇跡の生還! クリスがバンドを脱退したのは、お互いのマネジャーがお互いの利益だけを考えていたために起こってしまっただけだったのだ。4人は結局お互いのマネジャーをクビにして、新たにマネジャーを雇い全ては解決した。

オーディオスレイヴとしての再出発

ただ当初「シヴィリアン」というバンド名にしていたが、すでに他のバンドがこの名前を使用しているため、「オーディオスレイヴ(音の奴隷)」に改名。だが、これまた他のバンドが使用していることがわかり、最終的には3万ドル(約360万円)で共有することになった。
新生レイジことオーディオスレイヴは、レイジばりのサウンドにサウンドガーデンを思わせるクリスのシャウト(ソロが落ち着いた感じだっただけに復活の感あり)もあれば、クリスの歌を聴かせる、レイジではあり得ない曲も聴かせてくれる。ただ、欲をいえば期待した音ではあるものの、それをいい意味で裏切ってはくれなかった。
まさに、なるべくして鳴った音なのだ。4人の新たな出発には少々物足りなさを感じたのも確かなのだ。
一方、歌詞に関しては全てクリスの手によるもので、基本的にはラヴ・ソングになっている。だが、1曲目の"Cochise"はトムによると「自由の身で他界した最後の偉大なる酋長の名前」だそうで、「自分の家族が白人に虐殺された時、彼は南西部全域に戦争を宣言し荒々しく突進し、何千もの白人を自分たちの地域から追い出したのさ。彼は恐れを知らず、憤怒を抑えられない状態で復讐に燃えていたんだ」と語っている。そんな気持ちが音にも乗り移ったような激しい曲もある。
トムは政治的な部分に関しては、新たにシステム・オブ・ア・ダウンのサージらと共にAxis of Justice(ブッシュのAxis of Evil(『悪の枢軸』発言に引っ掛けている)というサイトを立ち上げ、そこにアクセスする事により、自分の政治的なものを出していくようで、色々な政治的な団体や組織と連絡が取れるようになっていたり、お勧めの映画や本なども紹介してあり、ここで今まで以上に政治的な活動をしていく決心をしている。
音楽活動と直接政治活動が結ばれない部分は、レイジの実直なまでの政治的スタンスに魅力を感じていた僕としてはちょっと残念な感じもするが、まぁ、これはザックが脱退した時点でわかっていた事なんで、仕方あるまい。

ザックよ早くソロ・アルバムを出せ!

一方、脱退したザックのソロ・アルバムはどうなっているのだろうか? DJシャドウと共に順調に進んでいるという話も聞いていたが...
「軋轢のあったレイジでのレコーディングとは違い、自分の思った通りにレコーディングが出来ている」なんて言っていたくせに、レイジの時以上にファンを待たせているじゃないか!とにかく一刻も早くザックのソロが聴きたいものだ。


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