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フレディ衝撃の最期

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衝撃の最期

以前から噂されていたフレディのエイズ感染。その事実を発表したのが11月23日の金曜日の晩であり、翌日にはフレディの声明は新聞などを通して世界中を駆け巡った。
そして、1991年11月24日の日曜日夕方、公表からわずか1日あまりで彼は息を引き取った。エイズによる合併症が死因であった。
以前からの噂もあり、フレディがエイズを公式に発表したこと自体に、僕自身は対した驚きはなかった。しかし、その翌日にはそのエイズで死んでしまうなんて、思ってもいなかっただけに信じられない思いでいっぱいだった記憶がある。
衝撃的な死に方をするミュージシャンは結構いるが、このフレディの死は今までとはまた違った意味で衝撃的だった。自分が同性愛者であることが公然の事実となっていたフレディ。当時同姓愛者からエイズ患者が多数出ていたこともあり、エイズという病気が色々な意味で誤解を招いていた事なども考えると、彼がエイズで亡くなったという事実はまさにショッキングな出来事であった。

フレディ・マーキュリーと社会問題

フレディは自分からあえて社会問題を訴えるようなアーティストではなかった。彼は常にファンを楽しませるにはどうすればいいのかという事に全精力を注いでいたし、自分の作品が芸術的に高いものになるようにはどうすればいいのかといった事を考えていたアーティストであった。
しかし、フレディのその純粋な気持ちが時として社会問題を引き起こす事もあった。
クイーンがアパルトヘイト政策下の南アフリカでコンサートを開いた時などは、マスコミなどからの大バッシングを受けた事もある。クイーンのメンバーはただ単に南アのクイーン・ファンに自分たちのパフォーマンスを見てもらいたい、そして楽しんでもらいたいという気持ちから南アでの公演を決行しただけだったのだが。もちろん南アでコンサートを行って何事もないなどとメンバー自身思っていかかったのだが。
フレディやクイーンのメンバーが社会問題をその活動の中であまり取り扱わなかったからといって、彼らが社会的に無知であったわけではもちろんない。
ボブ・ゲルドフの提唱したライヴ・エイドには当初売名行為ではとも考えたようだが、最終的にはこのイベントの主旨を理解し、20分間ではあったものの最高のパフォーマンスを我々に披露してくれた。

ショウ・マスト・ゴー・オン

フレディの様態に異変が起きてきたのは、アルバム『ザ・ミラクル』作成中の88年〜89年のころだった。この当時はまだそれほど目に見えてフレディの体が病に冒されている事を感じることは出来なかったが、フレディの側にいる者たちはフレディの異変を少しずつではあるが感じ取っていた。
彼はスイスのモントルーのジェネバ湖畔に家を購入し(その家はアルバム『メイド・イン・ヘヴン』で見ることが出来る)、作品作りに没頭した。
『ザ・ミラクル』作成後に実質の最終アルバムとなる『イニュエンドゥ』の制作に取りかかり、彼は歳後の力を振り絞ってこのアルバムの完成を目指した。そして完成したこの『イニュエンドゥ』はまさにフレディの魂を感じさせる1枚に仕上がっている。彼が最後までこだわったアーティスト魂がこのアルバムをすばらしい作品にさせたのだろう。まさに"Show Must Go On"を地でいく男、それがフレディなのである。
このアルバムの制作やプロモーション・ビデオ撮影では、フレディの身体の衰えを少しでもカモフラージュするような努力がなされている。特にプロモビデオではその姿がハッキリと映るだけに細心の注意が払われた。厚化粧を施した"I'm Going Slightly Mad"のビデオなどはその努力が顕著に現れたものだ。

病との闘い、そして...

フレディは11月9日にスイスから帰国すると鎮痛剤を除く延命処置用の薬を取らない決意をした。彼が外出することは滅多に無くなり、ウェスト・ロンドンのケンジントンの自宅でほとんどの時間を過ごしていた。
食欲も無くなり、彼の身体は見る見る衰弱していった。11月16日にはイギリスの「デイリー・エクスプレス」にフレディのインタヴューが掲載されたが(収録日時は不明)、そのフレディの発言は孤独感を感じさせるものであり、最後に彼は「僕は明日を見つめて生きているんだ...」と語っている。そう、彼は明らかに「死」をすでに強く意識していた。
ほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになってからも、両親や妹、メンバーやエルトン・ジョンら友人がしばしばお見舞いに来ていた。フレディは出来る限りベッドで起き上がり、会話を楽しもうと努力した。
11月22日フレディはついに自分の病を公に発表することを決意した。長い話し合いが行われた後、その事実は22日の晩に広報を通じて発表された。
土曜の新聞やテレビはこの発表を取り上げた。今まで関係者はフレディの様態の悪化をひた隠ししていたが、誰も信じてなどいなかった。それだけに、やっぱりという思いが発表を受けての多くのファンの気持ちだったのではないだろうか。日曜の午前にはすでに昏睡状態に陥っていたフレディは夕方の6:45にはすでに息を引き取っていた。
そして、我々はフレディ・マーキュリーという1人の男が、もうどのような素晴らしいパフォーマンスを誰にも見せられない事を知らされた。
27日には火葬されたフレディ・マーキュリー、享年45歳、早すぎたその死は我々にはあまりにも突然に訪れた出来事であった。


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