チベットは現在は国としては存在していない。というより、国際的に認められていない。
現在は中国の一部として、チベット自治区や四川省、雲南省などの一部に分割され、中国政府によって統治されている。(上地図を参照)
チベット人と言われる人々は、現在上記の中国内の自治区、省以外にインドやネパールなどの近隣諸国に難民として多数住んでいる。
インドの北部にある小さな街のダラムサラという所にチベットの亡命政府があり、その政府の最高指導者であり、またチベット仏教の精神的指導者でもあるのが、観音菩薩の化身であるといわれるダライ・ラマ14世である。
チベット仏教
世界の至る所で民族の独立を訴え、紛争を起こしている他の地域と違い、ダライ・ラマ14世はあくまでも非暴力で独立を、あるいは自決権を中国政府から勝ち取ろうとしている。
その非暴力の考えの中心になっているのが、チベット仏教である。
チベット仏教は8世紀ごろにインドから伝わった仏教と、土着の原始宗教であるボン教が結び付いて出来上がった宗教である。
チベット仏教の最大の特徴は輪廻転生の考えである。あらゆる生き物は前世での行いを背負いながら、無限に生まれ変わる。
この輪廻の輪から抜け出すには「解脱」あるいは「悟り」の境地を開くことであるとされている。しかし、悟りを開いたにもかかわらず、あえて再び人間界に舞い戻ってくる方々がいる。そして、彼等は人々に救いの手を差し伸べようとする。そんな奇特な方々の代表が観音菩薩の化身であると言われているダライ・ラマである。
ダライ・ラマ14世と非暴力主義
非暴力を貫きながら、中国政府からのチベットの独立、あるいは自決権を勝ち取ろうとするダライ・ラマ14世であるが、その考えはもちろんチベット仏教からきている。
自分よりも他者の幸せを願い(それがたとえ敵であったとしても。なぜなら、他者は味方であれ敵であれ、あるいは地位や富にかかわらず多数であり、自分とは1つの存在でしかないため)、全ての者が苦しみから救われることを願う心、つまり慈悲の心を持つということである。
よくよく考えてみれば、どの宗教であっても慈悲の心を持つことを説いているわけであるから、チベット仏教が取り立てて他の宗教と違っているわけではないが、非暴力という形でその教えに対して忠実な行動をとっているダライ・ラマ14世はやはり素晴らしい人物ではないだろうか。
そのダライ・ラマ14世は、チベット北東部のタクツェルという村落で、1936年7月6日、自作農を営む一家で生まれ、2歳の時に、ダライ・ラマ法王13世の転生者であると認定を受けた。
ダライ・ラマとはモンゴルの称号で「大海」を意味し、歴代の転生者は、慈悲の観音菩薩、チェンレンシの化身とされている。
以来、中国の侵攻を受け、インドに逃れ、亡命政府を樹立し、元首として現在もチベットの独立のために世界中の国々を訪問している。
チベット問題とは?
チベット問題とは簡単に言えば二つの事柄に集約される。一つは独立問題、もう一つは人権問題である。
現在は中国の一部とみなされているチベットの土地だが、本来はれっきとした独立国家であり、中国はチベットに侵略をしたのであるというチベット側の主張と、いやいやチベットは元々中国の領土であり、西洋諸国に支配されていたため、中国がその支配から解放してやり、発展に援助をしてやっているのだという中国側の主張があり、力のないチベット側の主張は世界的に無視されてしまったため、現在ではチベット人の住む領土は中国の一部となってしまっている。
そして、支配されている側のチベット人たちはもちろん中国の支配から逃れようとしている。これが独立問題である。
世界各地で色々な民族が独立運動を起こしているが、そのほとんどは暴力に頼っているところがある。しかしながら、チベットは最高指導者であるダライ・ラマ14世が説くようにあくまでも非暴力を貫いて独立をしようとがんばっているのである。
この非暴力という部分にBeastie Boysのアダム・ヤウクも心を動かされた一人のようだ。
中国では、チベット以外にも多くの他民族がいるため、チベットの独立を認めると、雪崩式に他の民族も独立を求めてくる可能性が高いため、チベットの独立はとても認められないといったお国事情もあり、この問題の解決は糸口すら見つかっていない。
そして、現在最も懸念されているのが、人権問題である。
独立を非暴力で求めるチベット人を中国政府は国家転覆を企てる反逆者とみなし、デモをしただけでも投獄し、拷問を繰り返しているといわれている。そのために多くのチベット人の命が奪われていった。
そして、チベット人は近隣諸国に難民として逃れて今ではインド、ネパールなどで多くのチベット人が自分達の土地に帰ることが出来ずにいるのである。
今年に入っても、チベットの高僧であるカルマパ17世が、中国に支配されているチベットでは自由がなく、十分に仏教を学ぶことが出来ないため、インドに亡命しようと逃れてきた。そして、チベット文化の存亡の危機を我々に訴えかけている。