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狙撃事件とスマイル・ジャマイカ・コンサート

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コンサート決定

1976年9月に当時の首相であるマイケル・マンリーはジャマイカの首都キングストンが、政治的暴力のためにゴースト・タウン化することを避けるために国家非常事態宣言を発令していた。ジャマイカでは選挙の年は暴力が横行するのが伝統となっているが、この年も例に漏れなかった。
そんな中で、ボブ・マーリーはキングストンのナショナル・ヒーローズ・パークで「スマイル・ジャマイカ」という無料コンサートを開くことを決意した。このコンサートはジャマイカの敵対する政治的組織、党派に平和を呼びかけるという主旨を持っていた。
スマイル・ジャマイカのコンサートが12月5日と決まると、政府は総選挙を12月20日と発表。ボブは政府がこのチャリティー・コンサートを利用して選挙を勝利に導こうとしていることに激怒していた。
このような状況下で、ボブは匿名の警告や脅しをいくつも受けていた。ボブは自分が何者かに銃撃を受けたが、一発も当たらなかったという夢を見たため、他のメンバーに気をつけるように忠告をしていた。そして、それは12月3日の金曜の夜に現実となったのである。

狙撃事件

その夜はコンサートのための練習に余念がなかった。ホープ・ロードの本館裏のスタジオでジャム・セッションに精を出していたが、ボブは8時45分ごろに休憩をとりにキッチンに行った。キッチンにはボブ以外にはギタリストのドン・キンジーがいてグレープ・フルーツを頬張っていた。、その後マネジャーのドン・テイラーが入ってきて、他の二人と同じようにグレープ・フルーツを食べようと取りに歩き出した時だった。どこからともなく銃声が響き渡り、窓ガラスが粉々に飛び散っていた。
2台の車が敷地内に進入し、6人のガンマンがその車から一斉に飛び出してきた。ガンマンは建物に放火し、ありとあらゆる所に銃弾を浴びせかけた。
リタ・マーリーが子供たちを逃がそうとして、ガンマンに頭を撃たれてしまう。
ボブがキッチンで身を潜めていると、覆面をしたガンマンがキッチンに侵入してきた。彼はテイラーの脇腹と太腿そして、ボブの心臓の下の胸骨をかすめ、左腕の二頭筋を打ち抜き車で走り去った。
しばらくの間、物音一つしない静寂な時間が流れた。その後この現実に慄く悲鳴が湧き上がり、負傷したボブやリタ、テイラーらがすぐさま病院へ運ばれ、間もなくパトカーが現場に駆けつけた。
ボブとリタは重症ではなかったが、テイラーとバンドのメンバーのルイス・シンプソンはかなりの負傷を負っていた。病院にはマイケル・マンリーも訪れ、ボブを保護させた。

スマイル・ジャマイカ・コンサート

翌12月4日、ボブはラスタの仲間たちに守られながらウェイラーズのメンバーたちと話し合いを持った。誰の差し金であの事件が起こったのか? ボブとウェイラーズが与党のPNP寄りであると考えた、野党JLPの仕業なのか。ボブが何者かに恨みを買ったための復讐なのか。考えを巡らせたところでどうしようもなかった。そして、翌日に控えたコンサートを出演するべきかどうかもわからなくなっていた。
コンサート当日ドン・テイラーが助かるという知らせがボブの元に届いた。しかし、ガンマンたちは一人として捕まっておらず、焼き捨てられた車が一台トレンチ・タウンで見つかったのみであった。厳重な警戒の中、会場はこの歴史的なコンサートを見ようと5万人を越える観客が集まってきた。前座のサード・ワールドがステージに上がると、聴衆は大いに盛り上がった。この時点でボブはまだ出演するべきかどうか思い悩んでいた。リタはボブに出演を取りやめるようにと、泣きながら頼んだ。一方で、PNPの建設大臣であるアンソニー・スポールディングがボブに出演するように説得を続け、ボブは最終的に出演することを決断した。ボブは警察本部長と一緒に赤のボルボに同乗し、マシンガンを用意しながら会場へと向かっていった。途中JLPの決起大会に遭遇し、緊張が走ったが、ボブを見るやボブ・マーリー・コールが沸き起こり、ボブはこの時点で身の安全を感じ取った。
会場のナショナル・ヒーローズ・パークは既に8万人もの聴衆で埋め尽くされていた。ボブは到着するとすぐさまステージに上がり、ステージ上にいるマイケル・マンリーと抱擁を交わすと、司会者のボブ・マーリーの紹介と同時にステージの中央に踊り出た。そして、熱狂的な反応を示す聴衆を静まらせ、「このコンサートを開くことを2ヶ月半前に決めた時、政治なんて無かった。ただ人々の愛のためだけに演奏がしたかったんだ」と言うと、ウェイラーズは一曲だけ演奏すると言って、「ウォー」を激しく演奏し始めた。「ウォー」が終わると、一曲どころかその後「トレンチ・タウン・ロック」、「ラスタマン・ヴァイブレイション」、「ウォント・モア」そして最後に「ソー・ジャー・セイ」を演奏した。90分のステージの最後にボブは腕の傷を聴衆に誇示し、たてがみを振り回し勝利を宣言しているかのようなポーズでステージを締めくくった。
翌朝7時にボブは自家用ジェットでジャマイカを離れた。ボブはまだ脅えていたのだ。バハマのナッソーに到着したボブは睡眠を取り、疲れを癒した。翌日にはリタや子供たちも到着し、ウェイラーズのメンバーも次の週には到着した。
ウェイラーズは、翌年1月にニュー・アルバムのレコーディングでロンドンを訪れるまでバハマに留まった。

誰がボブを撃ったのか?

ボブ・マーリーを撃ったのは果たして誰なのか? 様々な噂が飛び交った。ある者は政治的な事件だと言い、ある者は八百長試合の結果だと言い、またある者はギャングの復讐だと言った。しかし、結局はガンマンも黒幕もわからず終いであった。ガンマンたちは事件の週末にはすでに消されたという話もあるが、それも定かではない。
結果的にこの狙撃事件は、ボブ・マーリーを政治の場面から遠ざける事となった。実際ボブはその後一年以上ジャマイカに戻ってこなかった。そして、12月15日に行われた総選挙の結果はジャマイカ国会60議席の内47議席をマイケル・マンリー率いるPNPに与えたのだった。


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