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Beastiesとチベット

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ビースティ−ズとチベット

そもそも、なぜビースティ−ズとチベット問題なのか? と不思議に思われている人も多いのではないだろうか。
彼らの悪ガキぶりを知っているのであれば、その摩訶不思議な取り合わせに当然ビックリしたであろう。
まずは、そのあたりから話を進めていくことにしよう。

ビースティ−ズにチベット文化を持ちこんだのはアダム・ヤウクである。
彼は、オフの時期にスノーボードをするために旅にでていた。1992年に2回目のネパール旅行に出かけたときだった。ネパールには中国のチベット人に対する弾圧から逃れるために多くの人々が難民として住んでいて、ヤウクはそこでチベットの人々と交流する機会があった。その時に中国政府のチベット人に対する弾圧をヤウクは知らされることになる。それ以来ヤウクはチベット仏教を4,5年は勉強した。そして、彼は自分の現在のポジションを生かして一人でも多くの人にチベット問題を知ってもらおうと決意していった。その彼が最終的に選択した形がミラレパ基金であり、チベタン・フリーダム・コンサートであった。

ミラレパ基金の設立

ミレレパ基金の設立に関しては『イル・コミュニケーション』に収録されている「ボウティサトゥヴァ・ヴァウ」と「シャンバラ」の2曲でチベット仏教の読経をサンプリングし、その印税をどうするかということがきっかけとなった。
彼がネパールで知り合ったエリン・ポッツに相談を持ちかけると、彼女はヤウクに自分の財団を設立してみたらどうだろうかと提案し、それがミラレパ基金となった。

ミラレパは94年にロラパルーザに僧侶を送り込み、ビースティ−ズのアメリカ・ツアーに教育ブースを開設した。この当時ビースティーズがチベット問題に取り組んでいるなんて知っているファンの人たちがどれぐらいいたのかは知らないが、コンサート会場で教育ブースなんかがあることに戸惑ったり、不思議に思ったに違いない。だって、その昔の彼らはステージ・セットとして25フィートの油圧式ペニスを置いたり、はちゃめちゃな言動で世間をバカにしていた悪ガキトリオだったのだから。

まあそんな中でも、彼らは彼らなりに色々と学んでいった。ミラレパ基金の設立目的は資金を集め、チベットの子供をアメリカへ呼び、教育を受けさせたり、既成の慈善団体に寄付をしたり、教育を通じてチベットの問題を世間にアピールすることなどが中心になっていった。

チベタン・フリーダム・コンサート

その中でも最も重要な、また最も彼ららしいアピールの方法として、96年6月に行われた第1回チベタン・フリーダム・コンサートの開催があげられる。
ビースティーズ以外にも、スマパン、レイジ、S・ユース、ショーン・レノン、ヨーロッパからもレディオ・ヘッドやU2など、そうそうたるメンツを集めて現在までアメリカ国内で4回行われ、1999年はアメリカ以外にもアムステルダム、シドニーそして東京で同時に開催されている。これらの内容はCDやヴィデオで聴くことが出来るので、一度チェックすることをお勧めする。

中国政府はこのコンサートに参加したアーティストのツアーを禁じ、アルバムを国内で発売禁止にするといった行動に出ていることからもコンサート自体がかなり社会的に注目を集めていることが窺い知れる。

しかしながら、欧米や日本の政府は10億を超える人口を抱える魅力的な中国の市場を優先し、経済援助やパートナーシップをお互いにより深めていく政策をとっているのである。
2000年5月に米政府は中国に最恵国待遇 (MFN) (ある国に与えた関税、輸入手続などの有利な通商条件をすべての国に差別なく与えるルールで、世界貿易機関 (WTO) の基本原則)を恒久的に与えることを決定した。

ヤウクは、チベットの中に自分自身の、そして我々が抱えている問題の解決をするカギがあると考えている。我々は利己的な考えから嫉妬や憎しみといった感情を持ち、他人を傷つけてしまうことが往々にしてあるが、チベット仏教の教えでは、常に自分よりも他人の方が重要であると考えるため(それは、自分は一人しかいないが他人は数え切れないほどいることからも明らかであると説いている)、慈悲の心を持って他人に接し、無私無欲であるようにと説いている。
そんな考え方にヤウクを始めとして、多くのミュージシャンが共感を持ったことで、このチベタン・フリーダム・コンサートは成功したのではないだろうか。

我々に出来ることは?

まあ、大体こんなところが今までのビースティーズのチベットに対する活動内容であるわけだが、アダム・ヤウクの行動が実際にどれだけの人の心を動かすことが出来たのかは定かではない。
ヤウクがチベットでどんなひどいことが起こっているかを力説したところで、自分にとっては対岸の火事にしか思えず、ピンとこないと考えても当然かもしれない。
しかし、少なくとも僕のような人間に現在このような原稿を書かせていることは確かである。そして、我々はチベット問題がなんであるかをすでに知っている。
だから、ちょっとだけチベットの事も考えてみるのもいいんじゃないだろうか。
例えば、「床や地べたに横たわった時に、チベットで投獄されている囚人はこんな気分なんだろうか。」とか、学校や、仕事が辛い時、「チベットの人達はもっと辛い目にあっているんだ。」とか。(アムネスティ・インターナショナル日本支部発行のTIBET news letterより)
そして、自分でなにか行動を起こす勇気があれば、いくらでも協力をしてくれる人はいるのである。

そんなちっちゃなことが一つ一つ積み重なっていくことが一番大切なことであり、ヤウクが僕たちに訴えかけていることなのではないだろうか。


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