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対談
世界の最新乳がん事情
〜世界の乳がん治療、日本はどこにいるのか〜
戸井雅和/田原節子

今回のインタビューは都立駒込病院外科部長の戸井雅和さんです。インタビュアーはエッセイストの田原節子さん、ソレイユ久保副会長も参加し、世界の最新乳がん事情、その中での日本の乳がん治療についてお話しいただきました。


田原今日は、世界中を飛び歩いてらっしゃる戸井先生に、世界の最新乳がん事情をお話していただきたいと思います。やはり、日本と海外では、今の状況は違うんですか。
戸井
以前ほど大きな違いがなくなっていることは、事実です。1980年代には違いはまだ大きかったと思いますが、90年代半ばから、グローバリゼーション、インターナショナル・ハーモナイゼーション*が本格化してきて、2000年あたりから違いが少なくなりました。
田原
つまり21世紀に入ってから。
戸井
はい、この3、4年です。ただし、差が縮まっているところもありますし、逆に開いているところもあります。
田原
やはり一番進んでいるのは、アメリカですか。
戸井
アメリカですね。アメリカは、とにかくいろんな人のいろんな考え方があって、それが多発的に出てきますから、重層的なんですね。いいアイデアとか、いい方法とか、いい装置にしろ、何にしろ、いろんなものが出やすいんです。
田原
いろんなものと言うのは、例えばドクターが、患者に向かい合う姿勢とか、薬の使い方、病院のあり方、というようなことですね。
戸井
もちろんそうです。すべて含まれます。今の米国では、集学的治療、患者の人権の尊重の二つが、全ての治療の大きな柱になっています。日本は遅れているわけではないのですが、細かいところで見たら、まだまだ違いはあります。全体のシステムを見ても、まだまだ日本には、人的なものも足りないし、効率的なシステムというものが足りないですね。
田原
私が発病したのは1998年の10月なんですが、自分が病気になってからのこの5、6年というのは、ほんとに、お薬、化学療法、放射線治療の種類、お医者様と患者との人間的な関係、そういったものが全部ものすごい勢いで変化したと思います。今、先生がおっしゃったのは、結局基本的なそういうところが、グローバリゼーションで同じようになっていても、数や細やかさというかそういう点で、日本はまだ追いついてないということですか。
戸井
例えば、医者個人の能力がどれだけ違うかというと、それはもう、知識のレベルなどはそんなに違わないです。ただし、なにか新しいことを思いついても、それを実現できる、その基礎的なシステムが、アメリカはものすごく整っています。
田原
もう少し具体的に、そのシステムとはどういうことですか。例えば患者が、初めて自分が怪しいなと思って、ドクターを訪ねますね、そのあとの問題ですね。


米国では、予防、診断から治療までを集中した
がんセンターが整備されている
戸井これからお話しするのは、全米の中でも、非常にトップクラスのものであるということが前提です。米国の中でも差があることはもちろんです。しかし、トップ20とかというところを見ますと、まず、リスクのある人に対する予防のカウンセリング、そこから日本との違いが始まります。米国では、予防カウンセリングから始まるコンプリヘンシブ・キャンサーセンターを持つべきである、というふうになっているわけです。その次に診断ですが、検診のシステムができていて、そしてマンモグラフィーで引っかかれば、そのあと、マンモトームをしましょう、何々をしましょう、そして浸潤がんならこう、非浸潤がんならこうというふうな一連のシステムができあがっている。そのためには結局は、財政的なバックアップが非常に重要なんですけど、アメリカではよく整備されています。そしてその中で、新しいアイデアを入れていく臨床試験のシステムですね。これがやはり、非常に進んでいます。そこにもう、ものすごく手厚くいろんなサポートがあるんです。
田原
実際の治療をする前の、予備段階からのシステムですね。
戸井
ええ。今、乳がんの治療は、こう一つの方法で、例えば外科だけで治すなんてことはありません。もう、ありとあらゆる力を総合して、ほんとに、ハーモナイゼーションで行われます。治療される側は一人ですが、それに対して集学的治療をどういうふうに集めるか、ここにかかっているんです。そのシステムがいいんですよ、アメリカは。それから、日米の一番の違いは患者数の違いです。アメリカは日本に比べて、乳がんの発生数が非常に多いです。社会病であるというようなコンセンサスがあります。特に、働き盛りの女性がなる確率が高いがんですから、社会的な関心が極めて高いですね。日本での、以前の胃がんのようなとらえられ方です。このことがシステムを充実する、大きな要因になっていることは間違いないです。
田原
今のお話うかがっただけでも、アメリカと日本は相当差がありますよね。
戸井
最近は日本も相当がんばってるんですけどね。

ヨーロッパの特徴
田原ヨーロッパはどうなんですか。
戸井
ヨーロッパは、国によって事情が違います。大陸とイギリスとでは、これはまたシステムが違いますし、同じ大陸でも、フランスとドイツでは違います。北欧も違います。それぞれいい点もあり、悪い点もあると思います。
田原
先生は他のドクターよりも、ヨーロッパによく足を運ばれるとうかがっていますが、ヨーロッパの何に目をつけていらっしゃるんですか。
戸井
一口にヨーロッパといっても、国や地域によって、得意分野が違います。僕自身はイギリスに留学経験があるのですが、イギリスは、非常に基礎が強い国です。基礎研究を臨床に展開する力は、アメリカが抜群に強いんですけど、一番根元の基本コンセプトというか、あるいは何か新しいことをするヒント、そういったものを発想する力がイギリスは非常に強いんです。
田原
それは、具体的に乳がんで言うとどんなことがあるんですか。
戸井
たとえば、ホルモン療法は、その多くがイギリスで開発されています。ホルモン療法は分子標的治療の草分けと言われますが、ホルモン療法の100年の歴史というのは、圧倒的にイギリスがリードしています。卵巣の摘出を始めたのが、グラスゴーのビートソン。そのあとタモキシフェンが再発予防に重要だというのを見つけたのは、外科医のバームという人です。そして世界中全部まとめて、10万人で一体何万人余分に生命が助かると言うのを検証したのがサー・リチャード・ピートという人です。
田原
どうしてイギリスは基礎研究が強いのでしょうか。
戸井
それは、研究者の教育・養成システムそのものですね。イギリスでは、かなり自由に研究をやらせるという気風があります。トライ・アンド・エラーの精神が広くゆきわたっていて、 ‘誉める’文化があります。
田原
ヨーロッパ全体のがん研究を、イギリスがリードしていると考えていいのでしょうか。
戸井
ホルモン療法については、そうです。抗がん剤に関しては、イタリアがリードしています。イタリアからは巨人が二人出ています。1人は、抗がん剤領域で、ボナドンナという人です。外科腫瘍学では、ベロネッシーという人が出ましたので、この50年間イタリアは、明らかに世界のある部門をリードしました。
田原
ヨーロッパ大陸のその他の国はどうですか。


北欧では国民の病歴を登録
戸井ドイツは臨床試験を進める力が非常に強いんです。ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、といった国々は臨床試験に強い。また、北欧の国がユニークなのは、病歴の登録です。人口で言えば、例えばスウェーデンは、数百万人だと思いますけど、国民の全疾患登録と言うのをやっています。ですから、臨床試験で比較する場合にも、非常にわかりやすいんです。乳がんの患者さんが例えば60年代70年代、80年代、90年代の人、全部分かるんですよね。これは、他の国はできてないんです。そういうことを、もう、数十年以上にわたってやってるんです。
田原
どういうシステムでそういうことができるんですか。
戸井
例えばがんならがん、高血圧なら高血圧の治療歴を記録ます。それを将来に残していこうという作業をやっているんです。
田原
プライバシー云々は言わない。
戸井
もちろん言います。それは、別の形で、非常に強くブロックしているんです。
田原
それをちゃんとフォローしながら、それこそ、国民総背番号じゃないけれど、病歴の登録もやる。やっぱり、社会福祉の国ですね。
戸井
そうです。ものすごく貴重なデータがスウェーデン、ノルウェー、デンマークから出ていますね。そこでしか得られないデータが、いっぱいあるんです。
田原
でも、なんか、国が一つひとつ、全部違う得意技を持っているというか、面白い住み分けですね。それらがヨーロッパ全体で、総合的に連絡しあっているんですか。
戸井
そうですね。EU統合されてから、特に強いです。一体化してますね。

手堅さを求める日本
田原日本は、どうなんでしょうか。世界的に見て、これが日本の特徴だといえるようなものはありますか。
戸井
日本は、世界の動きを慎重に見ています。手堅いと言えば手堅い。ただ、やや遅い。
田原
こういう国際比較をする場合、保険を中心とした制度の問題も大きな要素になりますよね。世界にはかなり徹底して、いわゆる平等主義的な保険制度を取り入れている国もあるし、そうでないところもあります。
戸井
そうですね。制度も重要ですし、それから、生き方に対する考え方、価値観にも絡んできます。たとえばアメリカは、確かに今でもなお、2割から3割の方が満足なケアを受けられないわけです。一方で、ものすごくいい治療を受けられる人もいる。ヨーロッパは、社会政策上、制限を加えています。アメリカほどは、到底受けられない。イギリスであれば、イギリスに住むということはこういう治療を受けるということであるという形で納得する必要があります。絶対評価をすれば、日本の医療のレベルとイギリスの医療のレベルとどっちがいいと比較するのは非常に難しいんです。制限は、日本の方がむしろ少ないんです。また、イギリス、北欧には、非常に強い抗がん剤を受けて、それで、なにか大きなベネフィットを受けようとは思わないという人もたくさんいる。これはもう、単純な生存率とかでは評価できなくて、それぞれの個の生き方の問題、価値観の比較になってくると思います。特に、化学療法の領域は、価値観によって大きく意見が分かれますね。
田原
その、考え方の違いというところが面白いですね。それとは別に、私が感じるのは、今の日本の医療というのは、平均化した安全な治療というのは受けられるけど、特別な、その人用の、その人らしい、世界の最先端の治療は受けられないなということです。
戸井
それはもう、そのとおりだと思います。全体としては日本のレベルは非常に高い。どなたでもある程度の高いレベルの医療を受けられる。でも、一番先端の、一番自分に適した治療を求めようとすると、いろんな制約があるのも事実ですね。



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日本の課題はシステム整備と専門家を増やすこと
田原先生は、そういうふうに世界をご覧になってきて、日本の医療がなにを目指すべきだと思いますか。
戸井
日本では、患者さんご自身も、それから周りをサポートする家族、知人も、医療サイドも、みんないい医療をやりたいという、ものすごい前向きな気持ちがありますね。しかし、現代の医療は、ますますシステムを要求するようになってきています。昔は、1人のいい医者がいて、医は仁術である、とこうやっていけばよかったんです。しかし、今はもう、システムがないことには何もできなくなってきています。
田原
専門分化したから、それぞれの専門家が必要ということですね。
戸井
それと医療スタッフの数の問題があります。やはり絶対数が少ないですね。
田原
皆さんが専門のかけ持ちをしてらっしゃる。
戸井
ええ。専門のかけ持ちをするので、やはり層が薄いですね。この層を厚くしないとダメです。
田原
実際、日本は教育のレベルは高いし、一時お医者様になるのは、親の負担が大変多いと言われたけど、それはそれこそシステムを考えればいいことで、すなわち医者になるのを希望する若い学生が少ないということですか。
戸井
ポストができてこないんです。例えば乳がんは、残念ながら患者の数はどんどん増えているわけです。そうすると、乳がんを専門とする医者のポストも、本来ならばどんどん増えなければいけないのですが、それがまだ追いつかないんです。ある意味、日本の伝統的な問題です。何かが起きた後じゃないと、なかなかものが動かないというシステムですから。絶えず足りない状態でやらなくちゃいけない。
田原
絶えず過渡期で、足りない足りないって言っていては、そこで患者は10年も待てません。それこそ、症例が出ないと動かないということなんでしょうね。お役所のせいですか。それとも白い巨塔のせいですか。
戸井
全部ですね。
田原
つまり、患者も含めて、国民の意識ということですか。
戸井
そうですね。一箇所だけじゃなくて、全体の問題だと思います。
田原
先生方は現場に立ってらっしゃるから、不足だというのがわかる。私たち患者は、病気になってみて初めて、いかに自分が貧しい治療を受けるルートしか持ってないかわかるんです。
戸井
健康な人にとっては、カテゴリーは病人と非病人しかないんです。でも、病気をいったん持つと、そこはものすごく細かく分かれているわけです。同じ病気、乳がん一つとっても、ものすごくインテンシブなケアがいる人もあるし、あまり手のかからない患者さんもいらっしゃいます。そこら辺が健康な人にとっては、ひとくくりになっています。そうすると、全部現場にしわ寄せがくるんです。

西洋と東洋で違う患者意識
田原乳がんだけで言っても、まず、乳がんかなと思ったときの検診と、それから、乳がんと確定されて、初期の治療と、それから、しばらくお休みのあとの再発転移のあとの治療。全部、ぜんぜん違う種類の病人ですよね。で、また、症状が個々に違う。
戸井
そこの個々に違うケアの観点は、確かに西欧の社会は、日本よりたぶん進んでいますね。あるアジアの大学の外科に行って思ったんですけど、日本と同じなんです。ある一人の専門家が、1日100人の患者を診る、という状況があるんです。どうして分担しないのかというと、やはり患者さんが、そのドクターを選ぶんですね。で、よく言われるのは、西欧の方は、患者が大切にするのはデータである。東洋の方はどっちかというと、まず医者。医者を信じて、その次にデータがくると。この順番が微妙に違うんですよ。まず医者を決めて、「この人に任せちゃおう」というのが東洋型で、西洋型は、もちろんいい医者を選ぶんですけど、全部は信用せずに、自分でデータをチェックしていく。
久保
データというのはなんですか。
戸井
エビデンスですね、今の言葉でいえば。むかしは、教科書だった。
久保
具体的には。
戸井
判断の基準は、ありとあらゆるエビデンスです。生存率であり、生存期間であり、抗腫瘍効果であり、安全性であり、QOLであり。
田原
しかし、Aという患者はワンオブゼムの1データに過ぎない。で、もしかしたら、エビデンスに当てはまらないデータかもしれない。そのとき、ドクターにぎゅっと抱きしめてもらったら、一気によくなるかもしれないということを、東洋人は信じている。だから、データだけで納得しないんですよ。
戸井
まさに、そう考える人はいますね。



国際的な術中照射への流れ
久保ヨーロッパでも、イタリアでは術中照射をけっこう行いますね。なんで日本では術中照射をしないんですか。
田原
術中照射っていうのは、やっぱり、一番効果的ですか?
戸井
術中照射が分割照射に比べて勝っているというデータは、まだないんです。勝るかもしれません。劣るかもしれません。
田原
ただ、メスで開けてみて、がんそのものを目で確かめながら行う方が、料理しやすいって素人的には思っちゃうんですが。今は、患部にピンポイントで照射できますよね。
戸井
術中照射が行われるようになってきたのは、現実的な必然性の部分があります。一つは、早く治療を終えたいという患者さんのご希望、それから、特にイタリアのある施設のような場合には、年間2000例をやらなくちゃいけなくて、例えば分割照射で25回から30回をずっと通いでやっていただくと、装置の数が絶対的に足りない。どうしても短期間で終わらないと、全ての患者さんに治療が行き届かないので、術中照射の要求が多くなるんです。同じことが起きている国はほかにもあります。ですから、装置の数と患者数のバランスがあっている国では、全て術中照射に移行しようという、急激な動きにはなってないです。ただ、もちろん、全体を短くした方がいいので、だんだんそちらに動いていることは間違いないですね。
久保
素人的に考えると、手術して、閉じちゃって、それで何日かあとに照射するのより、手術即照射っていう方が、特に3期とか4期の人には、いいように感じるんですけど。
戸井
その判断は、難しいですよ。僕は放射線治療の専門家ではありませんが、分割照射にも長い歴史があって、副作用を最小にして、がんが全部死ぬように多くの経験が積み重ねられていると思います。しかし、一方で術中照射への流れができてきて、なるべく治療を短期間にする動きもあります。

これからの、手術、抗がん剤、放射線の役割
久保外科的には、日本ではすべて治療法は出つくしているんですか。
戸井
外科というのはとるだけというように比較的単純化されて考えられがちですが、実情はだいぶ異なります。画像診断や臨床のさまざまな情報をもとにおこなう、アートの側面をもった治療です。特に、乳房温存手術というのは、個々の癌の拡がりにあわせて必要な部分を取り、かつそれぞれの女性のお乳を可能な限り美しい形で残せるように努力する作業ですから、ある意味、非常に個別化された医療なんですね。この方向性は、画像診断や形成外科あるいは再生医学が進むとますます強くなると思います。それから一般的に、外科と内科の治療を、分けて考えようとする傾向が最近強くなっているといわれますが、基本的には治療をうける側はおひとりですから、外科も、内科も、あるいは他の科も、ともかく協調してやることが大切です。術前治療などはよい例で、化学療法で小さくなった癌を外科が必要な部分だけとっていくわけです。もうひとつ付け加えますと、外科治療のオプションが飛躍的に拡がっていくことが予測されます。センチネルリンパ節の考え方が、非常に大きな進歩をもたらしましたね。今、駒込病院の患者さんの4割以上が、わきの下の隔清はもうやっていません。10年前は考えもしなかったような事態ですね。
田原
手術と化学療法、放射線治療、それぞれの役割はどのようになっていくんですか。
戸井
これからの5年を考えたときに、非浸潤がんの治療が抗がん剤になるという見込みは、まずないんです。それでは、ホルモン療法を5年間、10年間やるかといったら、それもあまり現実的でないので、やっぱり手術なんです。放射線という選択ももちろんあります。つまり、手術と放射線という局所療法になるわけですね。こういったタイプのがんは乳がん全体の15%ぐらいです。浸潤がんの激しいものは、これはもう抗がん剤やホルモン療法を中心にして、放射線や手術がサポートにまわる治療になります。
田原
全身病だから、ということですか。
戸井
はい。そういうタイプのがんが、少なくとも3割はあります。残りの50%から60%の人について、見極めが非常に難しいんです。本当は抗がん剤をやらなくてもいい人にまでやっていたり、ほんとはもっと抗がん剤をやらなくてはいけないのに、足りないとか。その見極め、つまり病気の予測が、次の5年間で飛躍的に進むはずです。例えば、日本でもまったく無治療の方と、ある抗がん剤をやった方を比較した臨床試験があるんです。かなり以前ですが。これらの腫瘍の性格をいろんな方法で、例えばマイクロアレーとかプロテオミクス*(後述)とか、丹念にしらべてゆくことで、近い将来治療を必要としない人、あるいは必要とする人の見極めが可能になるだろうと思います。



トランスレーショナル・リサーチ
田原それは、治験のお話ですか。
戸井
トランスレーショナル・リサーチの部分です。日本はトランスレーショナル・リサーチ、すなわち臨床に接した基礎研究というのはかなり強いんです。伝統的に強かったんです。例えば、2年ぐらい前食道がんの文献を検索してみましたら、1200例ぐらいの文献があったんですけど、そのうち重要な論文の4割ぐらいが日本発です。
久保
それは、研究数は多いけれど、対象人数がすごい少ないとかじゃないんですか。
戸井
そういう部分はありますが、日本のトランスレーショナル・リサーチへの貢献はものすごく大きい。より正確には、「大きかった」んです。
田原
過去形なんですか。
戸井
絶対的な研究の量が減ったという意味ではなく、海外と比べ相対的なパワーがやや小さくなってきているという意味です。それが一番はっきりわかるのは、アメリカのNIHの予算配分先の変化です。米国は90年代は臨床試験に非常に多額の予算をつぎ込んだんですね。それが今はトランスレーショナル・リサーチと予防に莫大な予算がつぎ込まれているんです。今はもう、日本と予算規模がまったく桁違いなのです。
久保
予算の違いですか。
戸井
そうですね。90年代のアメリカの専門医養成のシステムをみますと、仮に35歳で専門医になろうとすると、基礎研究に携わる絶対的な時間が足りないという状況がありました。システム上の課題ですが、日本はそのようなシステムではなかったため、臨床に近い基礎研究にエネルギーが注がれたという面があったと思います。今では米国も、トランスレーショナルリサーチのできる専門医を育成しようとしていますから、そのプログラムをどんどん作っています。

化学的予防は遅れているが、患者が少ない日本
田原予防はどうなんですか。日本は弱そうですが。
戸井
一番進んでいて、一番遅れている部分ですね。乳がん発生率を見ると、まだ、アメリカなど発生率が高い国の3分の1から40%ぐらいで、日本に住むということで予防ができているとも考えられます。これは、「一次予防」といわれる予防の成果です。食事を中心にした、ライフスタイルによる予防です。この面ではかなり日本は進んでいますよ。
田原
でも、日本人は自覚してませんね。
戸井
日本、中国、インド、東南アジアも、香港、台湾も、どこももういっせいにがん患者が増えている。ですから、自覚的に予防がなされているとは思えません。それから、予防のもう一つの側面、いわゆる「化学予防」の方は、日本はどうしようもないぐらい遅れていますね。
田原
それはなにが原因ですか。
戸井
がんにかかるリスクを評価するシステムが、ほとんどないんです。
田原
誰が作るんですか。
戸井
それは、国を上げて作らないとできないことです。行政の力がないことにはまず不可能ですし、疫学的な関与が必須ですし、臨床医ももちろん必要です。患者さんや、もっと広い社会の協力もないとできないですよね。
田原
「社会の協力」って、具体的にはどういうことをすればいいのかしら。
戸井
まずは理解を示していただくことです。先ほど北欧の話が出ましたが、がん登録やあるいは病気の登録については、プライバシーの問題に関わってきます。登録が難しいとなると、前には進みません。
田原
ああ、患者一人一人が孤立しやすくなっているんですね、日本のシステムは。
戸井
ある意味はそうですね。
田原
よく、最近、オーダーメイド治療なんて言いますでしょ。オーダーメイドというとかっこいいけど、患者が孤立しているからそうなっちゃうわけで、似ているのを分類化して考えることも大事かもしれない。
戸井
そのとおりです。全部個別化したら、その個別化医療は本当にいいかどうか、だれも検証できなくなるんです。どこまで類型化するかってところが一番難しいんです。
田原
上手にグループ分けして、段階も分けて。
戸井
それが今始まったばっかりなんです、実は。
久保
どこでそれをやるんですか。
戸井
世界中でやっています。日本も参加しています。例えば、ハーセプチンのグローバルな研究がありますが、そこには日本も加わっています。日本の貢献は5%程度です。
田原
それは多いんですか、少ないんですか。
戸井
経済的国力からすれば、もっとあるべきです。乳がんの発生数などから考えれば、そんなに少ない数字ではないかも知れません。



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がんの「立ち上がり」をとらえる
久保でも、化学的予防というのは可能なんですかね。
戸井
予防と言っても、病気をなくするんじゃなくて発症を遅らせるというのは十分可能だと思います。
田原
結局がん細胞を目覚めさせなきゃいいわけでしょ。だから、目覚めさせるきっかけが何かっていうことよね。私の話になりますが、私の炎症性乳がんは、あっという間に大きくなりました。ほんとに。ただ、ものすごい小さな芽は、たぶん10年ぐらい前にあったような気がします。でも、もしかしたらがんかなと思ったら、あとは早かった。
戸井
「潜伏期」という言い方は厳密には正しくないんですが、そういうものがあって、がんが大きく成長する、「立ち上がり」のようなものがあるように感じます。これがいつかは、予測ができません。一般的には、ストレスが誘因などと言われますけど。患者さんに、「この5年、10年でなにか非常に大きなストレスありましたか」とお伺いすると、だいたいその時期に原因と考えられるような出来事が起きてるかなという話があります。そういう感触は、みんな臨床医は持っていると思います。目に見えない部分として。その「立ち上がり」のポイントが、がんの研究面でいま注目を浴びています。治療面でも、がんのメカニズムの研究でも、焦点が当たっているところですね。がんが顕在化する「立ち上がり」の時期を遅らせる。そういう意味での「予防」は十分可能だと思っています。
田原
なんとなくねえ、自分の体の実感としてはあるのよ。あ、あの時がんが立ち上がったなっていうのが。
戸井
かなりの方がそうおっしゃいますね。その、自覚があるとおっしゃいますね。
久保
それと、がんでも、治療しなくてもいいがんがあるんでしょうか。
戸井
それは乳がんには明らかにあります。10人に一人ぐらいすね、例えば交通事故でなくなった方の解剖をして乳がんがみつかる率は、実際のがんの発症率よりはるかに高いです。ですから、たくさんのがんがそのまま発症せずにあるんです。
田原
交通事故でなくなった方について、そこまで検査するんですか。
戸井
例えば、法的解剖を行うときに、100人のうち何人ぐらいにがんが潜伏してるのかというような細かいデータがあります。かなり高い頻度ですよ。
田原
日本でもやっているんですか。
戸井
日本では少ないと思います。
田原
日本では、人間のボディーがどれぐらい病んでるかデータを取ろうという意識がないんですか。
久保
すると、年一回の検査がありますよね。そして、乳がん見つかった。ところが、手を加えるべきか、加えないべきかという判断はつくんですか。
戸井
いや、今はもうまったくつかないです。みつかれば、治療するしかないですね。
久保
将来、その判断がつく可能性というのは。
戸井
それはありそうです。今あると思ってるのは、スニップ(一塩基多型)*の検査ですね。それから、もうちょっと現実的に、仮に予測ができないとしても、非常に早い段階で見つけようというプロテオミクスという方法があります。血液や尿から、ほんとに微量のタンパクを測るんです。
田原
プロテオミクスについて、もう少し詳しく説明していただけませんか。
戸井
非常に専門的になりますけど、ひとつの例をあげてみましょう。VEGFというがんの血管を作る物質があるります。この物質は、一般的にはがんがいっぱい放出し、そして血管を呼び寄せるということになっています。ところが体の中を回っている血小板にも詰め込まれているんです。健康な人の血小板にも入っている。ところが、がん患者さんでは、1センチぐらいの小さいがんでも、血小板の中のVEGFの濃度は通常の数倍、10倍ぐらいあることも珍しくありません。がんは小さくても、生体は全身で反応しているんです。そういうのは、早期診断に使えます。いずれもっともっと早期のがんが見つけられるようになるでしょう。
久保
それはいつ頃可能になると思いますか。
戸井
10年後ぐらい先には、と思っています。全米トップクラスのある大学は2050年までに生体のすべての反応を把握したいというのを目標にしています。人とは何かというのを見極めたいというのがものすごく強いのでしょう。それを知るには、病気を研究するのが非常に有効な一つの方法であるという考え方を、明確に持っていますね。

日本の治験の国際レベル
田原日本の治験というのは、世界的なレベルだと、どういうところにあるんですか。
戸井
日本の治験は、個別のデータのクオリティーは高く、信頼性も非常に高い。ですが、数が少ない。そして新しいトライアルを若干やりにくい土壌があるんです。治験を実施するにあたって、支えるシステム、インフラストラクチャーが弱い。でも、がんによって違うんです。例えば、肺がんの臨床試験は、今、日本が世界をリードしてます。日本ではできないということでは、決してないと思いますよ。
久保
その他のがんははどうなんですか。
戸井
胃がんは、クオリティーの高い臨床試験が日本でたくさん行われています。これから乳がんや大腸がんなどが、国際化される必要があると思います。
田原
どういう点で国際化する必要がありますか。
戸井
臨床試験を実行するシステムですね。それからトライアルをデザインする戦略的な部分で、もう一段でしょうか。
久保
だから、先生方には努力していただかないと。ヨーロッパの場合は、隣り合った国と協力してやってますでしょ。
戸井
北米でも、アメリカとカナダはほとんど一体です。
久保
国際治験で日本も参加するようになったって聞いています。
戸井
インターナショナルハーモナイゼーションという枠組みができたことが大きいですね。
久保
しかし国際的に治験をやって、それがいいということになったら、即日本でも薬が使えるといいんだけど。
戸井
個別には、すでに国際協調による新薬の承認というのは始まっています。
田原
例えば、日本の患者がなにかのトライアルに参加したいと思っても、募集されることはあんまりないでしょう。参加したいという意識はあっても。
戸井
それは、確かに。ある種の薬剤の場合には、今までに、新聞で出てますよね。ほかにも、いくつかやっていいというのも事実なんです。病院の宣伝行為との関係が難しいのですが、臨床試験はあくまでも患者さまのために行うわけですから、必要な部分はインターネットなどで公開していくべきだと思います。



薬が追いかけてくれるのを待つ
田原手の届くところにあるように見えてて、あなたにはあげませんというのがいやですよね。
久保
そうそうそう、新薬が承認されると、日本の患者さんは海外へ行って治療を受けるという、変なルートができちゃって。最近は近いところで、東南アジアでもできるんですよね。
戸井
どこでもできますね。
久保
こういうことは、行政システムの問題ですか。
戸井
単一の要因ではないですね。いっぱいあります。煎じ詰めればもう、日本は手堅さを選んでいるんです。
久保
イレッサのような例が出ちゃうのを避けるためですね。
田原
イレッサは、わたしの友達がずいぶんあれで恩恵をこうむっているんですよ。4期と言われたのが、すごい元気になったのが、友達で二人もいるんです。3人イレッサをやって、一人はあんまり反応しなかったんですけど。あの大騒ぎのあとに、死んでもいいからって、使ってもらいたいって名乗り出て、大成功。長い方の人は、一年以上、短い方の人は、去年の8月から。でも、とっても元気。
戸井
いや、今出てきている、分子標的治療薬は、効く方にはもう、べらぼうな効き方ですから。
田原
ハーセプチンは効く人が少ないですね。
戸井
確かに対象は全体の2割程度の方ですが、従来の薬と比べても、ものすごい進歩ですよ。
田原
単品ではなくて、組み合わせのほうが効きますか。
戸井
そうですね。現在治療の大きな流れは、増感というか、相乗作用を見出すことなんです。いかに、治療あるいは薬同士で増感させるか。ハーセプチンは増感作用がものすごく強いんです。タキサンとかあるいはプラチナ*と一緒にやると、それまで3ヶ月しかもたなかった効果が、今、15ヶ月ぐらいまで伸びてるんですよ。
田原
やっぱりハーセプチンが効く人はうらやましいね。ハーセプチンのような分子標的薬は他にはないんですか。
戸井
今からどんどん出てきます。
田原
いつですか、どんどんは。
戸井
次の10年です。
田原
あの、薬が追っかけてきてくれるって言い方をわたしはするんですけど、少しこっちが進めかたをゆっくり歩いてれば、薬が追っかけてくれて並んでくれるから、そのときを待ちつつ闘病するんです。でも、なんか最近やっぱりハーセプチンからあと、追っかけてきてない。
戸井
大腸がんでは、先月抗VEGF抗体血管新生阻害剤がアメリカで認可されました。これはメカニズムからみるとどのがんの人でも使える可能性があります。
久保
アメリカは、保険会社がいいと言えば、適用以外のがんにも抗がん剤を使えるそうですね、。ヨーロッパはどうなんですか。
戸井
ヨーロッパもそうですね。ただ、アメリカでもエビデンスがないと保険会社はサポートしません。
田原
やみくもに使ってほしいって患者が言っても、だめなんですね。
戸井
ええ。それは完全な自費になります。
田原
でもやっぱり、古いお薬が、また使えたりするんだから、お医者様のアイデアで、試してみるっていうことはとっても大切なんだろうと思うんだけど。
戸井
世界的には、安全性をきちっと評価したうえでだったら、基礎のデータ、科学的なアイデアに基づいて、かなり前向きにやってよいという方向に向かっています。
田原
アイデアで新しい治療を開発していきましょうというふうにですね。
戸井
日本もそのように、動いていくと思います。動くはずです。
田原
これだけ世界がグローバル化している一方で、国ごとに様々な格差があるってことが、病気になって初めてわかりました。今日は世界各国の状況と比較して、日本のがん治療、がん研究がどんな位置にあるのかよくわかり、非常に勉強になりました。ありがとうございました。



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