「Test For Echo」アルバムは、作詞家Neilにとって、最低の作品か?
いきなりですが――なぜだか、この意見、よく目にしました。 「Ghost Rider」を読むと、Neilがいかに
「Test For Echo」を誇りに思っていたか、深い満足を持って作り上げた作品か、と感じさせる記述が何度か出てきますが、
それは主に、「Freddie Gruberに師事して得た新しいスタイルを、満足のいく形で音楽に反映させることが出来た」と言う、
音楽面での満足であり、「それに気を取られすぎて、歌詞まで手が回らなかったのでは」と言う辛らつな意見も、ファンの
間で、たまに見かけました。 「Test For Echo」アルバム自体、ファンにとっては、かなり評価の分かれる作品だったようです。
まあ、Rushの場合、「Signals」以降、アルバムを出すごとに、常にファンの間では評価が分かれていたようなので、
「Test For Echo」がそうだからと言って、別に目新しくはないのですが。「Vapor Trails」も賛否両論、別れまくっていましたし。
ただ、「VT」がリリースされ、その関連議論が落ち着いた所で、各掲示板で、「実は『Test For Echo』はあまり好きじゃなかった』
「自分もそうだ」と言う書き込みが結構目立っていたのが、印象に残りました。その批判の一環として、「歌詞がNeilにしては、出来が良くない」と言う
意見を見かけたのですが、特に槍玉に上がったのが、「Dog Years」「Virtuality』の2曲です。「Rush史上、最低の歌詞では」
とさえ言われたこの2曲、何がそれほど気に障ったのか――論点を取り上げてみます。
Dog Years
この曲の歌詞を作った際、Neilは前の日に飲みすぎて、二日酔い状態だったらしいので、多少内容が支離滅裂になったのではないか、
という話もあります。 しかし――そんなに支離滅裂かな――と言うか、ぱっと見、意味がわかりにくい歌詞というのも、Rushでは
珍しくないし、と自分でも最初は思ったのですが、この場合、どうやら、「抽象的で意味がわかりにくい、というのとは違う。
わかるのだけれど、その言い回しが支離滅裂っぽいというか、お互いに脈絡がないようで、いやだ」と言うことのようですね。
内容的には、この曲は、誰かが「I Think I'm Going Bald '96」だと言っていました。流れゆく時の中で、あわただしさだけが
残り、自分の中の貴重な感性をどんどん失って、年をとり、よけいな智恵や考えを身につけて、つまらない人間になっていく――
両方の曲から読み取れる思いは、たしかに共通するようにも感じます。それに危惧を抱いたのが、「Time Stand Still」と。
「I Think〜」も、「Time Stand Still」も「Dog Years」も、「時」と言う概念の中の人間、というテーマで展開されている
曲なのでしょう。そして「Dog Years」は、「I Think〜」同様、それをユーモラスに描き出したもの、という点で、共通するような
気がします。
「犬の1年は人間の7年分に当たる」そして人間は、「7年分の歳月を、1年のように生きてしまう。時はあっという間に過ぎる。
(半ば空虚に)それくらいなら、ガラパゴスの亀のように、もっとゆったりした時間を生きたい。」
――至極、まっとうな主張に思えるのですが。何がそれほど気に入らなかったのでしょうか。全体になんとなく漂う「ふざけた感じ」が
気に入らなかったのかもしれませんが、別の人が主張していたように、「これも彼らのユーモア」なのだと思います。
ちなみに、「尻尾を股に挟んで」なら、意味わかりますが、「尻尾を耳に挟む」って、どう言う状態だ? というのも、「ふざけた」
感じの一つなのかもしれません。(そう言う投稿、見たことがあります) 実際よっぽど尻尾が長くないと、耳に届きませんって。
個人的なたとえで恐縮ですが、以前実家で買っていたポメラニアンは、頭を反らせると尻尾が耳に届いたです。もしくは、「おすわり」状態で
尻尾が立っている時。なのでこれは、「うなだれる」より「しゃんとしてる」状態なのだと思います。>尻尾を耳に挟む。
まあ、単純に「Years」と韻を踏むため、という意見が、正しいのでしょうが。
ところで、Dog Earsは、本とかのページをしおり替わりに折る、あれのことですので、それと引っ掛けたのかな、という気もします。
もうひとつ、一部ファンの心情を逆なでするものは、「Son of a Bitch」――「サノバビッチ!」このひと言
(厳密には、ひと言じゃないですが)でしょう。「God D*mned It!」とか「F*ck You!」 のような、典型的な悪態を、
たとえ意味的には違うにせよ、Rushに吐いて欲しくない。彼らはそんなイメージじゃない。という感じなのかもしれません。
「Ghost Rider」の中で、Neilはこの手の悪態、時々ついていましたし、 GeddyにせよAlexにせよ、日常の場面では、絶対
言っているに違いないと思うのですが、歌詞の中でこの手の言葉を言うのは、他の、そう言うのにふさわしいバンドに任せて、
Rushはやめて欲しい、という感じなのでしょうか。
これに関しては、「良いじゃないか、そのくらい」「それに、これは本来の意味で使っているのであって、悪態じゃないし」
と言う意見も、一般的ではあります。私的には――結構、新鮮でしたね。
全体として、かなりユーモラスな歌詞なので、それが「ふざけた」感じに映る人もいるのかもしれません。
「Rushは本質的には、かなりユーモアに溢れたバンドだ。AlexのLa VillaでのRantやBy-Torのアニメを見てみろ」
「いや、そう言うユーモアがきらめくのは、彼らが本来知性に溢れたバンドだからで、もとがおバカじゃ、だめだ」
どっちも一理ありますが――「一曲くらい、いいじゃない」と、個人的には思います。
Virtuality
これの最大のネックは、「net boy、net girl〜」に代表される、歌詞のなんともチープな感触、なのでしょう。
「このフレーズには我慢ならん。寒気がする!」「仮想現実シーンも類型的だし(難破船&宇宙もの&恋愛シュミレーション?)、
なによりnet boy、net girl〜? あの安っぽさは、なんなんだ!」――
う〜む、そんなにチープだろうか――
でも、私自身、「あれ?」と疑問に思ったフレーズは、たしかにありました。
ネットボーイ、ネットガールではなくて、中盤の「Let's fly tonight/On our virtual wings/Press this key/To see amazing things」
――amazing thing? いわゆる「文章の書き方」的な本は何冊か読んだことが
あるのですが、そこで良く言われるのは、「生の形容詞を使うな」。つまり、花の美しさを表すのに、「美しい花」と書いてはいけない。
絵のきれいさをあらわすのに、「きれいな絵」と書いてはいけない。と言うことで、Neilもまた、形容詞を生では使わない人だと思うのです。
『文章の書き方』本で、「空の青さを表すのに、『青い空』と書かないで、それでもイメージを読者の想起させるのが、上手い文」というのを読んだ時、
真っ先に、「The Analog Kid」の第一節を思い浮かべたものです。あのシーン、草むらに寝転んだ少年が見上げている空は、きっと夏の
澄み切った青さを湛え、抜けるように高かったに違いない。(〜〜すみません。私は陳腐な形容詞から抜けられません〜〜もの書きにはなれません〜〜滝汗)
あのシーンの、生の形容詞を使わない、ヴィジュアル描写の巧みさに感嘆したものでした。本当にNeilって、情景描写、上手いんです。
それだけでなく、文章そのものも上手い人です。
なのに――なぜ、ここで「amazing」なんて、生の形容詞を使って、放り出したのでしょう。「アメージング・クレス○ン」という
奇術師がいたそうですが、そのせいだかなんだか、なんだかとてもチープな表現に思えました。キーを押したって、たいした『驚くべきこと』は
見られないんじゃないか、などと思わせるような感じなんですね。
ここまで考えた時、ふと思いました。 「わざと、狙ってやったんじゃないか――」と。
Neilはそもそも、あまりインターネットや仮想現実にたいして、ポジティヴな感情は持っていなかったらしいですし、少なくともこの曲を
書いた時には、はっきりそうだった。所詮は本物でない、仮想のもの。リアルでないもの。キー一つでなんでも出来てしまうお手軽さから
得られるものは、それこそこの軽さ、安易さがふさわしいのでは――そんな概念から、あえてこの「Virtuality」の歌詞全体を
チープな、類型的なトーンで書いたのではないか。
これはあくまで私の推論に過ぎませんが、だとしたら、この曲の詞がチープだというのは、当然のことのような気がします。
ちなみにこの曲、「歌詞は嫌いだが、音楽自体は好き」と言う人も、かなりいました。結構仕掛けの多い、ダイナミックな演奏で、
ある意味歌詞との落差が面白かったりします。
この2曲のほかに、一部槍玉に上がったのが、タイトルトラック。
「sense o'clock newsっ てなんだよ! 適当に意味不明な単語を作るな」
このフレーズに関しては、「seven o'clock news かと思った」と言う人、多数。たしかに意味的には「7時のニュース」が
下敷きになっているのだと思います。で、これはsensory screenと一緒で、「テレビなどでなく、自分の感覚の中で流れる、
正時のニュース的なもの」と言う意味ではないか、と言う意見が、たぶん正しいのではないかと思います。
Neilの造語だと思いますが、「Test For Echo」自体、現代社会をビデオにたとえた、かなり観念的で内省的なイメージの
歌詞なので、あまり違和感はなく、意味はわかると思います。
こうしてみると、「Test For Echo」の詞が叩かれるのは、好みの問題、と言う気がしないでもないです。あと、意図が伝わりきれて
いなかったのかも、という可能性もあるのでしょう。
|