光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness 第四部 : 炎の国フェイカン  暑かった。比較的冷涼な気候のロッカデールの西に位置するフェイカンだが、国境を越えた途端、むっとするような暑さが一行を包んだ。赤茶けた大地の向こうにところどころ、切り立った山が見える。  ロッカデールの首都カミラフから、駆動生物に引かせた車に乗って街道を走り、途中の町で一泊して、さらに一日。フェイカンとの国境の町リオエヴァに着いたのは、夜だった。今回は大きな事故もなく、一行とローダガンも加えた十二人は、離れ離れになることなく、そろってここに着いた。とりあえずその日はロッカデール側の宿泊所に泊まり、翌朝、フェイカンに入国した。通貨を替え、駆動生物も取り換える。ロッカデールで“欲の獣”を浄化した報酬の一部として、若く元気な駆動生物カラムナを三頭もらっていたので、同じような駆動生物と交換できた。フェイカンのそれであるタラカルは、濃いオレンジ色に赤く短いたてがみと長い首を持ち、燃えるような赤い目をしていた。 (色は違うけれど、これに近いものを見たことがある)  そんな思いを、別の世界から来た少女、サンディは抱いた。この世界では、車は駆動生物に引かれて走る。道路からのレラを取り込み、自らの力に変えて進んでいくそれは、国ごとにレラのエレメントが違うので、種類も違う。駆動生物は賢く、一度行った道は覚えているが、行先を指示する必要があり、それは同じエレメントの持ち主しかできない。それ以外の人の言うことは、解さないからだ。  フェイカンは現在ある八つの国のうち、最も排他的だという噂を、ディーたち十一人は聞き及んでいた。その国の出身であるフレイも、それを肯定した。ロッカデールからフェイカンに入ろうという人はそれほど多くなく、一日平均で二、三十人くらいだと、カミラフ神殿のダンバーディオ神官長が話していたが、この場でも、ディーたち十二人を除けば、五人しかいない。そのうちの三人は仕事上の用らしく、すんなり通されていたが、赤ん坊を連れた女性は、「おまえたちが来たところで何になる、帰った、帰った」と、はねつけられていた。女性は泣いたり頼んだりしているようだが、国境警備兵たちは厳しい顔を崩さない。彼らはディーやリセラたち一行にも、厳しい顔を向け、「いったい何の用が合って、おまえたちのようなディルトやよそ者の集団が、我が国に入ろうとするのだ」と、忌むべきものであるような口調で問いかけられた。 「別に俺たちも、好き好んで入りたいわけじゃない。ただ、先に行くにも、この国の東にある港からアンリールに渡った方が、ロッカデールの港から行くよりも近いというので、通らせてもらおうと、最初は思っていた。でも今は、用ができたんだ」  ディーは服の内側に取り付けた袋から、カミラフの神殿で渡された、火の神殿の紋章が刻まれた小さな金属板を見せた。その途端、相手の顔色が変わった。 「おまえたちが、ダヴァルの神殿から託された使いだと……」 「カミラフの神殿で、これを渡された。こちらの精霊様と向こうの精霊様同士で話し合った結果らしい。偽物ではない。触ってみるといい」  国境警備兵の一人が恐る恐るという風情で手を伸ばし、一瞬それに触れると、ぱっとその板から赤みがかったオレンジの光が発せられた。「お!」と声を上げて兵士は手をひっこめ、二、三歩下がると、その板に向かって敬礼した。 「も、申し訳ございません。巫女様、精霊様!」  そして同僚たちを振り返り、いくぶん慌てた声で続ける。 「この者たちは、ダヴァル神殿の巫女様が招聘されたものだ。通さないと、大変なことになるぞ!」 「大した権威だな……」ディーは呟きながら、その金属片を再びしまった。 「ねえ、あそこにいる人たちは、なぜ断られているのかしら」  先ほどから気になっていたようで、リセラは警備兵と押し問答をしている女性に目を向け、問いかけた。 「あの女は、男を追ってきたらしい」  警備兵の一人がそちらへ目を向け、答えなければならないと思ったのだろうか。あまり話したくはなさそうなそぶりながら、そう告げた。 「男はフェイカンの者だと。困ったものだな。ロッカデールへは仕事で行ったらしいが、そこで現地の女に手を付け、子供を孕ませたまま、帰ってきたという。ディルトはもうこれ以上、我が国にはいらん。ロッカデールで何とかしてもらえばいい」 「ロッカデールは、彼らのおかげで、これからは上向いていくだろうが、今までろくに働き口もなかった。ましてやディルトの幼い子供を連れた母親では、暮らしていくのもままならないだろう。どんな事情でその男が帰ったのかは知らないが、会わせてやるべきじゃないのか?」ローダガンが鋭い口調で、主張した。 「おおよそその男は、こっちでもすでに家庭があったのだろう。よくある話だな」  ディーは首を振り、微かに苦笑を浮かべていたあと、「入国はもう少し待ってくれ。話がしたい」と警備兵に言いおいて、親子のところに歩み寄った。 「困っているようだな」  そう声をかけると、女性は驚いたように顔を上げた。年はレイニやロージアより、一、二歳上くらいだろうか。薄茶色の肌に、暗褐色のうねった髪が肩に垂れ、目鼻立ちのはっきりとした、美しい女だった。灰色の毛布にくるまれて眠っている赤ん坊は、まだ本当に小さかった。濃いオレンジ色の髪がその小さな頭を覆い、肌も母親よりいくぶんオレンジ色を帯びていて、少し鼻が大きい。ディルト(混血)でも、混ざったエレメントの強弱は人によって違うが、この子は少し火が強めのようだ。 「俺たちはこれからフェイカンに入国するが、会いに行こうとする男の名前と知っていることを教えてくれたら、向こうで調べてきてもいい」  ディーは重ねて、そう言葉をかけた。 「あら、それはいい考えね」  あとからついてきたリセラがそう声を上げ、 「ちゃんと責任を取らせなければね。事情によっては、ただでは置かないわ」  自身も放浪してきた父親に捨てられた過去を持つロージアも、感じるところがあったのだろう。普段は他人のトラブルに、積極的に首を突っ込みたがらない彼女だが、リセラと一緒に来て、そんなことを低く言っている。  相手の女性はなおも驚いたように一行を見上げていたが、やがてわっと泣き出していた。 「ありがとうございます。わたし……本当にどうしたらいいか、わからなくて」  泣きじゃくる女性の背中に、リセラはそっと手を伸ばした。 「あたしたちで少しでも役に立てるかわからないけれど、話を聞かせて。あなたがフェイカンへ行きたいわけを」 「そして、あんたがどこのだれかということを、まず教えてほしい」  ディーが付け加える。 「私は……ジャイエという町のパルナエと申します。彼は……一年前に仕事で来て、二節一緒にいました。でもロッカデール自体が不況になってきて、仕事にならないから帰ると。でも……私は、この子ができてしまったんです。前の節に生まれて、ミラネスという名前を付けました。息子です。あの人の子です」 「そのことを、相手は知っているのかい?」  フレイもやってきて、問いかけている。 「たぶん。もしかしたら子供ができたかもしれないと、言ったことがありますから」 「それで、慌てて帰ったのかしら」ロージアの声は、険を含んでいた。 「わかりません。でも、その一シャーラン後に行ってしまったから……連絡鳥を飛ばそうにも、私はあの人に飛ばしたことはなく、正確な住んでいる場所もわからないから、無理で。でも、たしかナラーダという町から来たと聞きました。私の両親も兄も、苦り切っていて……ただでさえ不況で、ろくに仕事もないのに、どうするんだって責められて。それで相手の男のところへ行け、って追い出されたんです。ここには乗り合い車で来たのですが、その車代と、ここからナラーダまでの乗り合い車のお金とを渡されて。でも、フェイカンに入れてくれなかったら、私はどうしていいかわかりません」 「無責任な男だな」ブルーがその後ろから、むっすりと呟く。 「男もだが、あんたの家族もひどいな。まあ、ロッカデールはたしかに今までレラ不足で大変だったろうが、フェイカンまではるばる行っても、その男があんたを引き受けるかというと、俺は怪しいと思うぜ。そもそもな、フェイカンって国は、純然たる火の民しか、まっとうな国民として受け入れてはくれないんだ。どの町でも村でも、よそ者やディルトは利用できるところが決められている。そこから出られないし、買い物とかもその専用の店でしかできない。ましてや定住するとなると、仕事はない。奴隷になるだけだ。俺は勧めねえな。あんたも子供も、不幸になるぜ。それくらいなら、まだロッカデールで暮らした方が良い。あそこもまあ肩身は狭そうだが、これからは仕事も増えるだろうし、普通に町の中で暮らせる。火交じりのディルトは時々見かけたしな」  フレイの言葉に、ローダガンが少し驚いたように問い返していた。 「フェイカンは、そんなにひどいのか?」 「ひどい。まあ、俺たちは神殿の紋章があったから、すんなりと押してもらえたが、普通は単なる通り抜けでも、あまりいい顔はされないし、あからさまに避けられる。だがまあ、ロッカデールとは隣同士だし、お互い産業の上で、切っても切り離せない関係だから、ましな方なんだがな。実際、フェイカンで見かけるよそ者やディルトの大半は、そこ出身だ。でもそれでも、宿屋だってポプル屋だってほかの店もすべて、それ専用のしか利用できないんだ。それもたいてい、街の場末にあってな。普通の奴らはそこに近づきもしねえ。ああ、奴隷はいるんだがな。それは、金持ちの家に仕えている。でも奴隷だから、待遇は期待できないしな。まあ、あんたには気持のいい話じゃないだろうが、ローダガン。だからこそ、妹さんを救い出しに行くんだしな」 「ああ……もちろんだ。ファリナを早くそんな境遇から救い出してやらないと」 「その男の名は?」ディーは女性に、重ねて問いかけた。 「タナンド・カルカ……その下の名前は知りません」 「可能なら、調べてみよう。ナラーダのタナンド・カルカか。あんたはとりあえず、両親のところに帰ったらどうだ。調べられたら、連絡鳥を飛ばすから、ちゃんとした名前と住んでいるところを教えてくれ」 「パルナエ・サバリク・ミアラキーダマです。ジャイエの町の東側、三番通りの家に住んでいました。でも……」 「お金が心配なら、少しだけなら都合できるわ。一節くらいなら、これで暮らせると思う」  ロージアが服の裏側からいくぶんかのお金を取り出し、女性に手渡した。 「え?」相手は驚いたように、目を見張っている。 「どうしてそこまで、見ず知らずの私にしてくれるんですか?」 「おせっかいかしら。でもここで会ったのも、何かの縁だと思うわ。もしもらうのが気になるなら、働けるようになったら返してくれてもいいし、もしその男に会ってお金を取り立てられたら、そこからもらってもいいから」ロージアは微かに笑みを見せ、 「そのうちに、ロッカデールの景気も良くなってくると思うし。頑張って」  リセラもにこっと笑う。 「ありがとうございます」女性は涙を流し、拝むような仕草をした。 「これに、あなたの名前と住んでいるところを書いて。相手の男のこともね」  ブランが小さな紙と書くものを差し出した。パルナエという女性は頷き、しばし紙の上に筆記具を動かす。そこから出てきたものは、やはり淡い色模様だった。 「その男が見つかったら、話をしてみよう。君たちの生活費を送るように」  ディーがそう告げると、女性は感極まったように、再び激しく泣き出した。   「しかし、余計な用が増えたな」  フェイカンへ入国し、街道を南へ向かいながら、ブルーがぼそっと呟いた。  この国の街道は、赤っぽい土を強く固めたような路面で、空気は乾いて暑かった。赤茶けた大地が広がり、まばらに木が見えるが、それはアーセタイルやロッカデールにあるようなものではなく、枝のない一本の棒のような形で、てっぺんからすだれのように細く長い葉っぱが広がっている。空は少しピンク色がかった灰色だ。遠くにいくつか、山が見えた。みな火山のようで、頂上から煙が薄くなびいている。時々、乾いた熱い風が吹きすぎていった。  車の指示席には、フレイが座っていた。「リルでもできるかもしれないが、四分の一だしな」と。その彼は後ろを振り向き、答える。 「成り行き上、仕方ねえな。気にかかっちまったわけだし。どうせダヴァルへ行くまでに、ナラーダを通る。俺が聞いてくるぜ。みんなには、なかなか話しちゃくれないだろうから。たとえ神殿の紋章があってもな」 「そんなものなの?」リセラがそう問いかける。 「そうだ。神殿の権威にはみな弱いが、だからと言って、よそ者やディルトに対する感情が変わるわけじゃねえ。かえって、内心忌々しく思ってる連中も多いだろう。あの国境の奴らにしてもな」 「そう言えばフレイさんは、どうしてフェイカンを離れたんですか?」  以前ミレア王女が問いかけたことを、サンディが繰り返した。 「そうだな。大した話じゃないが」フレイは前を向き、語り始めた。 「俺はここより東の、フフィンという町に住んでたんだ。両親と、兄貴と姉貴とで。俺は普通に子供時代を送っていたが、俺の伯父は金持ちで、その家に奴隷がいた。岩と火のディルトの、女の子だった。わりと可愛くてさ。髪はオレンジで、眼は茶色くてぱちっとしていた。フェイカンの民はさ、俺もそうだが鼻がでかくて目が小さくて、あまり可愛い感じの子は見たことがないんだよ。俺は伯父の家に出入りして、その子と話をしたりしているうちに、彼女が好きになっちまったんだな。でも奴隷に惚れるなんて、俺の家族からしてみれば、正気を疑われるようなことだった。伯父一家にしても、そうだっただろう。それでその子は、よそに売られちまった。代わりに来たのもやっぱり岩と火のディルトだったが、もっと年かさの女だった。俺は衝撃を受けてさ。その時、俺の親が言ったんだ。ディルトなんて人間じゃない。その子供もまたディルトになるし、気高い火のエレメントを汚すことなんて、許さないと。俺は疑問に思ったんだ。いや、それはそんなに偉いことなのか。火だけが特別だなんて、本当なのか。八つの国は――まあ、ミディアルだけは別種だと俺も思っていたが、その時は――みんなそれぞれ固有のエレメントが違うだけじゃないのか、と。でもそう言ったら、家族は激怒してさ。親父にはひっぱたかれるし、お袋には頭を冷やせと水をかけられるし、兄貴や姉貴からも、さんざん馬鹿にされた。でも俺は本当にそうなのか、外の世界を見てみたいと思ったんだ。他の国では、俺もよそ者だ。その立場に立ってみたら、わかるかもしれないと。それで十八になった時、家を出たんだ。家族からは、もう二度と帰ってこなくていいと言われたがな」 「……おまえのような奴がいるだけ、フェイカンの民もみな鼻持ちならないというわけではなさそうだな」ディーがその背中に視線を送りながら、そう述べた。 「その彼女の消息は、わからないの?」リセラが聞く。 「さあなあ。どこに売ったかとか、伯父は何も話しちゃくれなかったからな」 「奴隷って……お給料をもらわない、召使のようなもの?」  ミレアが不思議そうに聞く。ミディアルでは王宮にすら、奴隷という身分の者はいなかったのだ。みな労働の対価をもらい、家族も持っている、働き手だった。今までに滞在したアーセタイルでも、ロッカデールでも、その身分の者はいなかった。ロッカデールでは何年かの契約で、賃金を前渡しして働くという労働者たちはいたが。ペブルもかつてそうだったし、ヴァルカ団のヴァルカもそうだ。しかし彼らはあくまで労働者であり、契約年数が過ぎたら、自由になれた。 「罪人以外の、純然たる奴隷がいるのは、マディットとフェイカンだけだろう」  ディーが微かに首を振った。 「俺はマディットに行ったことはないが、似たようなもんだろうな、お互いに」  フレイはちらっと振り返っている。 「そうだな。罪人の方は、それに見合う贖罪ができたら、その身分から抜けられるが、純然たる奴隷は、一生そのままだ。それも、みなディルトだ。フェイカンもそうか?」 「ああ。それは同じだ。一回買われたら、一生ものだ。その代金を払って、買い受けられない限りは。それですら、所有者が変わるだけだ」 「なぜ、そうなってしまうのですか?」サンディは納得いかなかった。 「生活のためだな。ディルトはそうでもしなければ、この国では生きていけないんだよ。普通の仕事は、純血の火の民しかつくことができない。ロッカデールじゃ、不況になるまではディルトでも仕事があったらしいが、フェイカンはずっと昔からそうなんだ」  フレイは赤い髪をバサッと振りやり、少し突っ放したように言った。 「フェイカンは火の国だから、主な産業は金属の精製、加工と、カドルの生産だ。あとの方はともかく、先の方はロッカデールから輸出される金属が元になるから、あそことの関係は深いんだが、そこの工場で使う装置は、純粋な火のエレメント持ちでないと扱えない。カドルの方とか、工場の雑用とかは、多少火交じりならディルトでも、できるんだがな。そういう奴は、その工場をいくつも持っている金持ちに買われている奴隷だ。朝から晩まで、ろくに休む暇もなく、死ぬまで働かされる。若い見眼のいい奴は、家の雑用に使われたりするんだがな。特に女の子は。ちゃんと給料をもらえて、いい待遇で働けるのは、純粋な火の民だけだ。さらに工場の持ち主たちは、働きもしないで、いい暮らしをしている。タンディファーガ家もそうだ。あそこは大規模な金属加工工場と、カドルの方もやっている。その規模は、フェイカンでも一、二を争うくらいだろう」 「そうなのか」ローダガンは難しい顔で頷き、一行は、しばらく黙った。 「それにしても、本当に暑いわね」  リセラが雰囲気を変えるように、そう声を上げる 「火の国だからな。この国は火山も多いし、地熱も多い。ロッカデールは鉱山が多いから、少し涼しかったが、ここでは上着はいらないぜ」  フレイは再びちらっと後ろを振り返り、てんでに上着を脱いで汗を流している仲間たちを見やっていた。 「ミディアルの砂漠地方みたいね」リセラがそんな感想を漏らした。 「おまえが、あそこで涼しい顔をしていられたわけだよな、フレイ」ブルーが首を振る。 「そういえば、僕らがサンディを拾ったのはミディアルの砂漠を走っていた時だったね」  アンバーが思い出したように小さく声を出し、 「そうそう」と、リセラも頷く。  あの時から、三節が過ぎた。そのことを、漠然とサンディも考えていた。ミディアルで一節近くを過ごし、その後マディット・ディルに攻撃されて、アーセタイルへのがれた。そこで一節と少し。さらにロッカデールへ来て、今は四つ目の国、フェイカンにいる。不思議な気がした。それ以前の記憶は、いまだに空白だ。  その夜、一行はナラーダの町に着いた。フェイカンの駆動生物タラカルも、カドルの光があれば夜でも走れるので、野営の必要もなく、夜の三カル近くになっての到着だ。街道から町に入る門には警備する人はおらず、そのまま中に入ったが、その先に分岐点がある。 広くまっすぐに町中へ延びる道、同じように広い右側の道、そして細く薄暗い左側の道だ。 「左の道が、バギタと呼ばれる、よそ者やディルトのための区域だ」  フレイはいったん車を止めさせ、仲間たちを振り返った。 「まあ、俺たちには神殿の紋章があるから、そこへ行かなくとも大丈夫だろうが……それを出せば、文句は言えないだろうからな。ただな……余計なもめ事をおこしちまう可能性も否定できないな」 「まあ、おとなしくその隔離区域へ行くか。神殿の権威を振りかざして無理やり通るよりも、平和だろう」ディーは微かに苦笑し、そして問いかけた。 「おまえはどうするんだ、フレイ? そっちの隔離地域に純血は入れるのか?」 「入れるし、それは問題ないはずだ。ただ、普通の奴らは来たがらないだけでな」  一行の車は、薄暗く狭い通りを進んだ。小さな店がいくつかあり、湯屋もあるが、夜なのでみな閉まっているようだ。赤土を焼いて四角に成形したものを積み上げて作った建物が、他にもいくつかあった。四角い形で、四階建てくらいの、比較的大きな建物だが、手入れはされていない感じで、少し傾いでいたり、外壁にひびが入っていたりしている。 「あれは工場で働く奴隷たちの宿舎だ」フレイは建物を見やり、そう説明した。 「あの一つの建物に、三、四十人ほどいる。俺も家を飛び出したあと、しばらくバギタをうろついて、そこにいる奴らと話したこともあるから、知っているんだ。連中は質の悪い水と、年に一枚与えられる服と、それからポプルの引換証――ここのポプル屋にそれを持っていって、必要な量をもらうらしいが、それしか雇い主から与えられないそうだ。昼間の時間は、ほとんど働かされている。二シャーラン十六日のうち、一日は休みがもらえるらしいが、たいていはここでごろ寝しているらしい」  建物の窓から、明かりは見えなかった。もうみな眠っているのだろうか。  やがて車は、小さな宿屋に着いた。そこの店主は濃いオレンジの髪にひげを生やした、やはり岩と火のディルトのようだ。「あなた様は、ここに来ていいのですか?」と、宿の主人は少し驚いたように、フレイに問いかけていた。 「逆は、禁止されていないはずだぜ。彼らはみな仲間だから、俺は仲間と一緒に泊まりたいんだ。部屋はあるか?」 「はい、空いていますが、それだけ大人数用の部屋はありません。六人部屋を二つ用意しますが、それでいいですか?」 「じゃあ、それで頼む。それと、車とタラカルの小屋もな」 「かしこまりました」  渡された鍵を使い、車と駆動生物を庭に建てられた小屋にしまうと、一行は二階へ上がった。宿はこの地区の他の建物同様、建てられてからかなりたったような感じで、階段や廊下は、歩くと少し音が出、壁にはところどころヒビが入っていた。天井から吊り下げられたカドルの光も、少し薄暗い。 「ボロだな」ブルーが周りを見ながら、ぶすっと呟いた。 「バギタにあるものなんて、みんなそうさ。だけど安い」フレイが首を振る。 「あの主人はディルトのようだけれど、奴隷ではないのね。そういう身分の人もいるの?」  リセラの問いかけに、フレイは首を振った。 「いや、ここにある店で働いている奴も、身分は奴隷だぜ。経営者は別にいる。ただここで働かされているだけさ」 「そうなの……」リセラは少し顔を曇らせ、他の女性たちと顔を見合わせていた。 「一日無駄にはなっちまうが、そのタナンド・カルカという男を探しに行ってくるぜ。急いでいるところを悪いな、ローダガン」  翌朝、起きだしてきたフレイは水を飲むと、立ち上がった。 「それはかまわない。困っている人の力には、なってやりたいしな」 「その男の居場所が知れたら、一度ここへ戻ってきてくれ、フレイ。みんなで会いに行こう。あまりもめ事は起こしたくはないが、おまえ一人より、その方が良いだろう」  ディーは少し考えるように黙った後、そう声をかけ、 「ああ。まあ、いざとなったら神殿の紋章があるからな。ついでに俺は、湯屋にも行ってくるぜ。宿はともかく、バギタ地区の湯屋には入りづらいしな、純血は。逆にみんなはこっちで入るしかないから、入ってきてくれ」  フレイはニヤッと笑い、出かけていった。残った人々はしばらくのち外へ出て、店から水やポプルを買った。水はきれいなものとあまり質の良くないものの二種類があり、「旅行者さんなら、きれいなものをどうぞ」と、そこで店番を務めていた、やはり岩と火のディルトらしい年配の女性が勧めてきた。値段は二倍以上違ったが、きれいな水の方が力になるので、そちらを買った。 「ナナンくんなら、そっちの水でも大丈夫でしょうけれどね」  リセラは再び、そんなことも言った。アーセタイルで出会ったその少年は、質の良くない水から、きれいなものに変える術を持っていたからだ。 「ナナンさんも、農場を手伝って幸せにしているようで、良かったです」  サンディも思い出し、かすかに微笑んだ。その緑髪の少年からは、アーセタイルで別れてからも時々便りがあり、最新のものはロッカデールでローダガンの合流を待っている時に、来たばかりだった。  ポプル屋は白と濃いピンク、茶色ばかりだったが、「他の色もほんの少しならある」と、店の奥から持ってきてくれた。それぞれ数個の色つきポプルと、たくさんの白を買い、いったん宿屋に荷物を置いてから、湯屋に行った。火の国で温泉が豊富なフェイカンらしく、湯桶は広くお湯はたっぷりとしていて、熱い蒸気だけのものもあった。そして服屋で半そでの涼しい服を買い求め、宿屋で着替えた。  ロッカデールでは茶色や灰色の服が多かったが、フェイカンでは赤やオレンジ、それに濃い灰色ばかりのようだ。 「なんだかね、赤やオレンジは、ちょっとあたしには似合わない気がするわ」  リセラは買ったばかりの赤い、丈の短い半そでの服と濃い灰色の短いスカートに着替えながら、少し苦笑いをして首を振った。 「リボンは赤だし、大丈夫よ。私に比べたらましだわ」  レイニも苦笑している。彼女の水色の髪に、たしかに赤やオレンジは調和しているとは言い難い。アンバーやブルーも、「ちょっと派手かなあ」「似合わないだろう、この色は」と、首を振っていた。 「ミディアルは良かったなあ。いろんな色があって」  アンバーは首を振ってそう続けたが、きっとその思いはみなが感じていただろう。  サンディは今まで来ていた茶色のワンピースからオレンジ色の丈の短いそれに着替え、「でも、サンディはオレンジも似合うわよね」とミレアに言われていた。彼女も同じような服装だ。「あなたもね、ミレア」と、返すと、少し嬉しそうに笑っている。  昼の六カルを過ぎた頃、フレイが宿に戻ってきた。 「タナンド・カルカという奴について、だいたいわかったぞ」と。 「ご苦労だったな、どういう奴なんだ」  ディーの問いかけに、フレイは話し出した。 「この町の東に住んでいる、金属精製をやっている工場の持ち主の息子らしい。三人いる息子の真ん中で、原料を買いつけに、ロッカデールにはしょっちゅう行っているそうだ。タナンド・カルカ・ダヴェールフォイというのが正式な名前らしい」 「そうか。じゃあ、おまえが一休みしたら、みなで行くか」 「ああ。俺も水は買ってきたし、湯屋にも行ってきたから、ちょいとこれを飲んだら、行けるぜ」  そうして一行は宿を出て、道を歩いていった。バギタ地区の道は割とぼこぼこしていたが、そこを抜けて町の大通りへ入ると、一転して滑らかな道になる。周りに立っている建物も同じような材質だが、しっかりとした感じで、窓にも日よけが下がり、店の構えは大きく、窓板も透明でピカピカしている。  一行が道を進んでいくと、周りの人々が驚いたようにさっと引いていくのがわかった。そして、口々に怒りを含んだ声を浴びせてくる。 「おい! ディルトやよそ者はここには入れないだぞ、帰れ!」 「こんなところで何をしているんだ、帰れ!」  警備をしている兵隊らしき人間も、すぐにやってきた。 「何をしているんだ。ここは立ち入り禁止だ」 「そうかもしれないが、用がある。それにはフレイ一人より、みなで行った方が良いという判断だ。それにロッカデールを出る時、あちらの神官長様より、これを渡された。これがあれば、フェイカンでも断れないはずだと」  ディーは再び神殿の紋章を取り出した。一斉に人々が驚きの声を上げるのが聞こえた。警備兵も驚いたようにそれを見、ためらうように手を触れている。そこから再びオレンジの光が立ち上ると、「おお」と小さく声を上げ、「申し訳ございません、精霊様」とひれ伏していた。どうやらこれに触れると、そこに込められた精霊の意思が伝わるらしい。 「わかった。それでは私が先導しよう。おまえたちが、用があるという場所まで」 「そうしてくれるとありがたい。いちいちこれを見せながら行くのも面倒だからな」  ディーは苦笑し、行先を告げた。警備兵はみなをダヴェールフォイ家まで案内した。  タナンド・カルカ・ダヴェールフォイの家はかなり広く、どっしりとした作りだった。少し離れたところにある大きな工場で、鉄の精製とその製品の製造を生業としているらしく、窓はきれいに磨きこまれ、そこから見える調度品も質がよさそうだ。庭には大きなポプルの木が三本生えていて、濃いピンクの実をいくつかつけていた。 「この者たちが、タナンド・カルカに用があるそうだ」  先導してきた警備兵は、応対に出た奴隷の女性にそう告げ、そして帰っていった。 「仲間たちに申し送りをしておこう。あんたたちが帰る時、見かけたらバギタ地区まで先導してもらうように」と、言いおいて。  タナンド・カルカは二十代終わりくらいの年頃で、逆だった赤い髪と、彫りの深い小さな黒い目、そして大きな鼻の、背の高い男だった。いきなり訪ねてきた様々なディルト集団、十二人にかなり驚いたような表情で、「あんたたちが、いったい俺に何の用があるって言うんだ」と、眼をしばしばさせながら、少し怒ったような口調で問いかけてきた。 「この女性を知っているね」  ブランが進み出、紙片を差し出した。それは国境でパルナエという女性に書いてもらった、彼女に関する情報だった。男はのろのろと不審げに手をかざし、その内容を読み取ると、少し赤い顔の色がより濃くなった。 「パルナエ……か。なんだってんだ?」 「俺たちがフェイカンに入国する時に、知り合ったんだ。彼女はここには入国させてもらえなかったが。赤ん坊がいた。あんたの息子らしい」  ディーがそう告げると、怒ったような困ったような表情が、相手の顔に現れた。 「彼女は家を追い出されて、あんたの所に行けと言われたらしい」 「パルナエはともかく、赤ん坊なんぞいらん。ディルトの男か。工場で働かせるにしても、十年はモノにならないだろうしな」 「あんたの子だろうが! それをまだ子供のうちから工場で働かせるだと?」  フレイが怒りを含んだ声を上げた。 「ディルトなんぞ、俺の子じゃない。そもそも子供なんぞ、欲しくはなかった。ロッカデールの奴との間にはな」 「じゃあなぜ、そんなことになったんだよ!」 「パルナエは可愛かったからな。それだけだ。あいつ一人ならまあ、この家で奴隷として使ってやってもいいんだが」  ロージアが後ろの方から、前に進み出てきた。無言で。そして男の前に立ち、手を上げてその顔をひっぱたいた。彼女の頬は微かに銀色と緑が混じった色になっていた。 「最低男!」ロージアはそう言い捨て、くるっと踵を返した。 「何をするんだ! よくもディルトの女の分際で、俺を殴ったな!」  男は赤に近い顔色になった。が、フレイも同じような表情になり、こぶしを上げて殴る。 「じゃあ、あれか! 同じ火の男ならいいのか! だから俺はフェイカンも、その民も大嫌いなんだ!」 「まあ、暴力はよせ。ひっぱたきたくなる気持ちはわかるがな」  ディーがその間に割って入った。騒ぎを聞きつけたのか、相手の家族たちもやってきている。父親らしい男が、「いったい何の騒ぎなんだ。おまえたちは誰なんだ。警備兵を呼ぶぞ!」と声を上げていた。 「あいにくだが、その警備兵に案内してもらって、俺たちはここに来たんだ。ちょっとあんたの息子の対応がひどいんで、頭にきて一、二発手が出てしまったようだが、まあ、許してくれ。俺たちはロッカデールからフェイカンに来る途中、あんたの息子さんが捨てた女の人とその子供に出会ってな」  ディーは相手家族に目を向け、もう一度説明を繰り返した。 「で、あんたたちは、どうしろって言うんだ」  父親は息子に困ったような、怒ったような目を向け、唸るように言う。 「彼女は困っているらしい。だからちゃんと子供を育てていかれるように、援助してやってくれ。あんたたちは裕福らしいしな」  ディーは大きな家に目をやりながら、続けた。 「俺たちは彼女に連絡鳥を飛ばして、ここの場所とあんたの息子の正式な名前を教える。いずれ彼女から、ここに連絡が来るだろう。そうしたら、しかるべき額を渡してやってくれ」 「知らんぷりはしない方が良いぜ。俺たちの仕事がもし成功できたら、精霊様にお願いができる立場になるわけだしな。ディー、あれを見せてやれよ」フレイがそう言い添え、 「また見せるのか」一行のリーダーは苦笑いしながら、オレンジの金属片を見せる。 「用はそれだけだ。邪魔したな」  顔色を変えた相手家族を平静な目で見ながら、ディーは踵を返した。残りのみなも、それに続く。帰り道ではまた、同じようなことが起きた。道を行く人々から「どうしてここにいるんだ、帰れ!」「ここには入れないんだぞ!」と罵声を浴びせられ、やってきた警備兵に「話は聞いている。バギタまで先導する」と、苦り切った表情で導かれた。 「ごめんなさい。すっかり頭に血が上ってしまったわ」  バギタ地区まで来て、再びぼこぼこになった道を歩きながら、ロージアが少しきまり悪そうにそう言いだした。 「俺もな」フレイも続く。 「そういう反応になることは、わかり切ってはいたんだがな。ここの奴らはそうだ。みんな腐った誇りを持っているんだ。そして他を見下す。いやな奴らだ」 「腐った誇りか。そうかもしれない。フェイカンとマディットは似たようなものかもしれないという印象はあったが、ここの連中はすぐ怒るな。いや、おまえたちの怒りは納得できるが、ここの連中の怒りは、その腐った誇りや選民思想に根差しているようだ。マディットの民は、どちらかというと冷酷な感じが多いが。そこはフェイカンと違いそうだ」  ディーは微かに首を振り、そして赤髪の若者に目をやった。 「でも、おまえがいるからな。フェイカンの民全員が、とは言えない気がする。おまえのような奴も、探せばきっとどこかにいるのかもしれないな、この国も」 「そうか……? 俺は知る限り、同じような奴には会ったことがないがな。むしろミディアルに行って、みんなと会ってからの方が、同類に出会えたと思うぜ」 「おまえもかっかしやすい点は、フェイカンの民だと思うがな」ブルーが呟いた。 「うっせえな!」そう声を上げてから、フレイは再び苦笑いをしている。  宿に帰ってから、ディーはみなを見回し、告げた。 「さて、一日余分な用に費やしたが、明日は早くに出発して、ダヴァルまで行こう。タンディファーガとやらに会いに行かないとな」 「本当に、みなさんにはお世話になって、ありがたい。よろしくお願いする」  ローダガンは神妙な表情で言い、 「いちいちお礼はいいって。あなたもそう言っていたわよね」リセラが少し笑って返す。思い出してサンディも笑みを浮かべ、ミレアも小さく笑っている。 「そうだ。成り行き上のことだから、君が恩義を感じる必要はない、ローダガン。今日はゆっくり寝ておこう。明日はまた一日車の上だ」  ディーの言葉に一同は頷き、六人ずつに分かれて部屋に引き取っていった。    その日一日、車は駆動生物に引かれて、赤い土の街道を南に進み続けた。夕方遅くになって、小さな町の宿(あいかわらず、隔離地区のものだが)に一泊した後、さらに進んだ。その間の景色は、それほど変化はない。少し赤みがかった灰色の空、赤っぽい土の広がった大地、すだれのように葉が広がった灌木と、丈の短い赤みがかった草、そして火山。道中で二度ほど、一行はナンタムの群れを見かけた。この国のそれは体毛が赤く、比較的落ち着きのない動作で、活発にぴょんぴょんと動き回っているものが多かった。 「あのナンタムたちは、普段より色が濃いようだ」  フレイは指示席からその生き物たちに目をやり、そんなことを言った。 「それは、レラの力が多いということ?」リセラが問う。 「まあ、そうだろう。でもだからと言って、それがいいわけでもない。ないと活気がなくなるが、過剰になるのも、そんなに好ましいことじゃない。だからあいつら、やたらと動き回っているだろう。落ち着きがなくなっているんだ」 「行き過ぎても、良くはないということだな」  フレイの説明に、ディーもその生き物に視線を送り、頷いていた。 「ということは、フェイカンはレラが過剰ということ? ロッカデールは少なくて悩んでいたけれど」リセラが再びそう問いかけ、 「かもしれないな。それが精霊様のお呼出しと関係するのかは、わからんが」と、ディーがかすかに苦笑しながら答えていた。    ナラーダの町を出てから二日目の夕方、一行はフェイカンの首都、ダヴァルに到着した。この街は他の国の首都と同様に大きく、赤土を固めて積み上げたような高い塀に囲まれていた。ロッカデールの首都カミラフ同様、四角形に町は広がっているようで、外壁もまた直線状だ。広い門のところには、警備の兵が二人立っていた。 「通行証を見せろ。それがなければここには入れない」  一行を見るや、兵の一人が即座に口を開いた。 「これでいいのか?」  ディーが服の内側から再び神殿の紋章が入った金属片を見せると、やはり相手の顔色がさっと変わった。 「やむを得ない。ただし、この門はディルトやよそ者は通れない。その横に、バギタに直接通じる門があるので、そこを通るといい。おまえは、ここの者のようだからそのまま通っていいが」警備兵はフレイに目をやりながら、そう付け加えている。 「俺は指示席にいるんだぜ。どうやって俺だけ通るんだよ。そっちへ行くさ」  フレイは顔をしかめ、駆動生物たちに行き先を指示した。大きな門から少し離れたところに、錆びた金属製の扉があった。そこにはやはり二人の若者が両側に立っていたが、正門にいる警備兵たちとは違い、岩の入ったディルトのようで、着ているものも着古したようなオレンジ色の半そで上衣に、グレイの半ズボン姿だ。二人は頭を下げると無言で門を開け、一行はそこを通って街へ入っていった。 「あの人たちも奴隷なの?」  しばらく進んでからリセラがそう問いかけ、フレイは頷いていた。    首都ダヴァルの隔離地区は他の町より比較的広いが、やはり手入れがされていない感じで、道は相変わらずでこぼこし、建物は少し傾いでくすみ、夜の照明は少ない。暮れかけてきた薄暗い通りを一行は進み、一件の宿屋に腰を落ち着けた。そこも少し錆びた鉄製の寝棚とすりきれた毛布、粗末なテーブルと椅子しかない部屋だ。十二人が滞在できる部屋はないので、八人と六人部屋に、男女に分かれて泊まっていた。  一行が広い方の部屋に集まってポプルと水の夕食を取り終えた頃、宿の主人が来た。 「失礼します、お客様。タンディファーガ様のお使いの方が見えております」 「タンディファーガの使い?」何人かがそう反復した。  ついさっきまで、どうやってタンディファーガ家に行くか、それを話し合っていたところだった。場所はフレイが知っていたし、またみなで隔離地区から出て行くと、余計な騒ぎになるだろうが、やはりこればかりは全員で行く必要があるだろうな、とも。  入ってきたのは、茶色の髪に一部赤が混ざった、オレンジ色の肌をした女性だった。見開いた眼は茶色で大きく、髪の毛は長く伸ばして背中に垂れている。 「ヴェイレル・タンディファーガ様よりの、ご伝言を持ってまいりました」  女性は口を開き、両手に持っていたものを差し出した。薄い金属の板のようなもの――ロッカデール神殿から渡された、火の神殿の紋章よりもかなり大きく、そこから薄いオレンジ色の煙のようなものが立ち上っている。 「カラナだな。これに触れなきゃならないのか」フレイが顔をしかめた。 「それは何?」 「フェイカンの通信手段の一つだ。連絡鳥は相手の居所がわかっているか、前に連絡した場合しか使えないが、これは相手のところに直接持っていくことで伝える。技がいるんだがな。奴は使えるんだろう」  リセラの問いかけに、フレイはそう説明し、そして続けた。 「これを受け取るには、火のエレメント持ちで対応技が使える奴がいる。俺はできるんだがな。まあ、あまりやりたかねえが、やるしかねえか。俺に貸せ」  フレイは手を伸ばして、使いの女性からその板を受け取った。両手で捧げるように、身体の正面に持ってくると、他のみなに見えるような位置に移動し、何かを呟いた。その肩から腕、手に薄赤い光のようなものが走り、その板から立ち上っている煙と一体化する。と、その前に一人の男の姿が現れた。燃えるような赤い髪、大柄で恰幅の良い身体を真っ赤な上着とズボンに包み、腕と首にたくさんの稀石をあしらった金色の鎖をかけている。その眼は小さくて赤く、鼻はフレイよりなお大きく高かった。 『ディルトやよそ者どもにこの街を、ましてや俺の家になど、入ってきてほしくはないからな』その男は尊大な口調で言っていた。 『だから、ここで伝える。ロッカデールから買った娘を返してほしければ、“炎の花”を取って来い。その娘を買った代金などはいらん。その花が欲しい。それを枯らさないように、俺の家に、純粋な火の民にだけ持ってこさせるならば、娘を返してやろう』  ふっと男の姿が、かき消すように消えた。フレイは再び顔をしかめ、その板を使いの女性に返した。そして首を振った。 「“炎の花”か。厄介な要求だな」 「知っているのか?」ディーの問いかけに、赤髪の若者は頷く。 「話に聞いただけだがな。この国の辺境にある火山、ミガディバ山の山頂に咲くと言われている。それを手に入れたものは、強大な火のレラを手に入れられるらしい。ただ、そこには攻撃的な動物や、花を守る番人もいると聞く。何人かが挑戦して、みな失敗したという話も聞いている」 「これまで以上の無理難題だな」  ブルーはむすっとした顔で、首を振っていた。 「なぜそんな理不尽な要求ができるのかしら。元はと言えば、ロッカデールから違法に売られた娘さんを取り返すだけなのに。神殿同士で話を通じ合って、対価を払えば戻してくれそうなものじゃない」ロージアが憤慨したように言い、 「そうよね。現に他の子たちは戻っているのに。あ、死んでしまった子たちは別として」と、リセラも憤った表情で同調する。 「タンディファーガに、そういう理屈や道理は通じないんだろうさ。ロッカデールなんてフェイカンの属国のようにしか考えていないだろうし――ああ、実際は違うんだがな。お互いの産業のためになくてはならない、対等な国同士のはずなんだが、気を悪くするなよ、ローダガン。だがこの国の連中は、そんな奴らが多いのさ。それでもまあ、他の子たちは帰ってきたんだが、たぶんそれは神殿の権威だろうな。だがタンディファーガは、それももしかしたら、あまり重きを置いていないのかもしれない。親戚筋が神官長なんだが、任命されるまでは見下していた傍系らしいしな」 「そんな男にさらに強大なレラを持たせるとしたら、仮に成功したところであまり喜べないだろうが……我々には、他に選択肢はなさそうだな」ディーが苦い顔で首を振り、 「すまない」と、ローダガンは顔の色を濃くして、みなに頭を下げていた。 「あなたのせいじゃないんだし」と、リセラは微かな笑みを浮かべて若者の腕に触れ、 「そう。まずは妹さんを救出することだ。ただ、そのために一つ確認しておきたいのだが、我々がその炎の花とやらを持っていったとして、フレイ一人に持たせるわけだな。強大なレラの力を手にしたら、強引に約束を反故にしないか、それだけが気にかかる。信用できるのかどうか、それだけを確かめたい。我々には精霊様の後ろ盾もついているはずだから、約束は必ず守ってもらいたい。それが保証できるなら引き受けた、と伝えないとな」  ディーの言葉に、フレイも「もっともだ」と頷き、ブランから紙と書くものを受け取って、そこに何かを書きつけた。それを使いの女性に手渡す。 「俺はカラナをかける技は持っていない。受け取るだけだ。だから、これをあんたの主人に持っていってくれ」 「はい」女性はどことなく怯えの色をその眼に浮かべながらも、受け取っていた。そして一礼すると、宿を出て行った。 「あの娘も奴隷だろうな。奴に当たり散らされなきゃいいが」  その後ろ姿に目をやりながら、フレイは少し心配げだった。  翌日の朝、同じ女性が再び宿を訪ねてきた。その眼の怯えの色は昨日より濃く、むき出しの腕と左の頬に、赤茶色のあざができていた。 「タンディファーガ様よりのご返答です」  おずおずとした動作で、昨日と同じ金属片を差し出す。フレイがそれを受け取り、技をかけると、昨日と同じ男の姿が浮かび上がった。 「バカにするな! 俺の誠意を疑うとは、どういう了見だ。もちろん約束は守るに決まっているだろう! これ以上無礼を働けば、神殿がどうあろうと、知ったことか。おまえらは俺を怒らせたから、こっちからも条件を付けてやる。今日からから十二日間、猶予はそれだけだ。それまでに俺のところに炎の花を持ってこなければ、ファリナは殺す」 「なんだって!?」ローダガンが声を上げた。 「ふざけるな! そんなことをしたら……」 「この馬鹿はロッカデールに喧嘩を売る気か? 神殿にもな」  フレイは板を女性に返すと、あきれたように天井を仰いだ。 「タンディファーガの野郎。ここまで腐った奴だとは思わなかったぜ」 「あたしたちが約束を疑ったのが、いけなかったのかしら」  リセラが当惑気味に言ったが、フレイは首を振る。 「いや、このタンディファーガ相手だ。ハナから破る気満々だったのかもしれないぜ。それで図星を刺されて、逆上した可能性もあるからな」 「そうだろうな。こいつはとことん信用ならない相手のようだ。俺たちがもし首尾よく成功できたとしても、それでレラを強大にして、フレイ一人をあしらうことはできるだろうからな。そのつもりだったのだろう。それを見抜かれたと感じて、腹立ちまぎれに、そんな条件を付けたんだ」ディーも重々しい顔で頷いていた。 「それはエフィオンの力かい?」と、アンバーは聞き、ディーが頷くと、「じゃあ、本当なんだなあ」と、当惑したような表情をした。他のみなもお互いに顔を見合わせている。 「ナラーダの男以上に、とんでもない奴ね」  ロージアが低くうなるように言い、 「だからタンディファーガは厄介な奴だと言ったんだ」  フレイは首を振ると、使いの女性に声をかけていた。 「あんたも災難だったな。ひどく殴られたのかい?」  女性ははっと驚いたように目を見開き、首を振った。 「怖がることはない。ここでのことは、奴にはわからないだろうさ」 「はい。でもみなさまとは、お話ししてはいけないと……」 「それも、黙っていればわからないだろうがな。だがまあ、あんたには芝居は無理なんだろう。気をつけて帰れよ」 「ありがとうございます……」  女性は消え入るような声を出し、微かに目を潤ませながら帰っていった。 「とりあえず、フェイカンの地図を買ってきたぞ」  その日、一人で出かけたフレイは昼の五カル過ぎに再び戻ってきて、テーブルの上に薄い本を置いた。地図を扱う本屋はバギタ地区にはなく、必要以上に摩擦を起こしたくはないという全員の意向を受けて、火の民のみが出入りを許されている区域に、一人で出て行ったのだ。 「それと植物図鑑とな」  そう付け加えながら、もう一冊を同じように置く。 「ご苦労だったな」ディーはそうねぎらいの言葉をかけ、 「じゃあ、読もうか」と、さっそくブランが手を伸ばしている。そしてしばらく手をかざして内容を読み取った後、口を開いた。 「ミガディバ山と言ったね、その花があるところは。ここからだと、四日はかかるね。南東の果てだ」 「そうだな……この国の突端だな。海に面していて、その海の東側はアーセタイルとロッカデールの境目あたりだ。だが、港はないようだな」  ディーも手をかざしながら、考え込むように見ていた。 「しかも途中に深い森はあるし、町も村もほとんどねえ。一番近くて、エデューか。でもそこから三日は何もないな」フレイも内容を読み取りながら、首を捻る。 「タンディファーガが出してきた期限が十二日間なのよね。でも往復で、最低でも八日かかるのね」リセラが心配そうな表情で首を傾げ、 「しかも今回は手掛かりもからくりも、何もわからないんだぞ。アーセタイルやロッカデールの神殿の用とは違って」  ブルーも眉をしかめ、ますます口をゆがめた。 「今から出発するか? もうあと五カーロン半で日が暮れるが、駆動生物は夜も走れる。エデューに着くのは夜中だろうが」フレイが首を振り、 「そうだな。その時間に宿が空いていればな。時間はたしかに惜しい」  ディーも考えこむような表情を見せていた。 「バギタの宿は閉まるのは早いが、宿の管理奴隷を起こすことは可能だ。そうすれば泊まれる」 「そうか。まあ、夜中に起こすのは気の毒だが、仕方がないな。出発は昼頃になるだろうが、明日の朝ここを出るよりは良さそうだ」  フレイとディーのやり取りを聞いて、全員が荷物をまとめ始めた。 「慌ただしいな」と、ブルーはぼやいていたが、 「仕方ないわよ。期限付きだもの」と、リセラに言われ、「わかってるさ」と、頷いていた。  そして一行は宿をあとにした。  エデューの町に着いたのは夜中すぎだったが、宿の管理小屋の扉を叩いて起こし、宿泊することができた。普通の宿屋なら、夜の五カルを過ぎると宿泊できないのだが、隔離地区にあるそれは管理者が奴隷のためか、眠そうながらも一行に部屋を用意してくれた。 「こんな夜中に悪かったな」と声をかけると、「とんでもございません」と、卑屈な笑みを浮かべる。一行はいつもより遅い時間まで部屋で眠り、お昼ごろに出発した。 「ここからしばらく、宿屋では泊まれないな。あと三日か。いや、帰りもあるから、たっぷり一シャーランの間は」ディーが頭を振り、 「そうだね。野営に適した場所を探して行かないと」  ブランは地図の上に手をかざしながら、首を傾げていた。 「途中森を通ると言っていたけれど、森の中では野営は無理だね」  アンバーが横から手を出して同じように読み取りながら言い、 「そうだな。一日で通れる森ならいいが」と、ディーも頷いている。 「そもそも森の中に道はあるのか?」  ブルーが怪訝そうにそう問いかけ、 「なかったら困るだろ? たぶんあるさ。細いだろうがな」フレイは顔をしかめる。 「パルネッサ大森林……か。相当広いようだね。十二、三カーロンかかって通過できるかどうか、というところくらいだ」  ブランがなお地図を読みながら、考えるように続けた。 「そこに到着するまでに、この車のこの速度で走ると、十カーロンほどだ」 「それならそこに入る手前で、野営をした方がよさそうだな。そして朝出発して、森を抜ける。抜けたところでもう一度野営をしよう。その森の先はどうなっているんだ、ブラン」 「この地図によると、そこから先はまた平原みたいだ。ただミガディバ山までの途中には川があって、もう一度小さな森も抜ける。山のふもとで、また夜という感じだろうか」 「それなら、そこで最後の野営をして、翌日山に登る感じだな」ディーは頷き、 「本当に長いな」と、ブルーはあくびをしながら、首を振っていた。    アーセタイル神殿から贈られ、それからずっと乗っている車には、十二人が座る空間はあったが、荷物もあるので、全員が身体を伸ばして寝ることはできなかった。車の中に七人、外に敷物を敷いて三人、残りの二人は見張りを務める。サンディは見張りを申し出ていたが、数が半端になるからと、ミレア王女と一緒に車の中で眠っているように言われた。今回はローダガンがその役を『ぜひ参加させてくれ』と、強く買って出たからだ。それゆえ十人で五組、二カーロンで交代しながら、その夜の見張りを務めた。辺境のエデューからも遠く離れたこんな場所で盗賊の心配はあまりないだろうが、何が起きるかわからないために、用心しておいた方が良いという、全員の合意だった。  翌日、一行はパルネッサ大森林を進んだ。木は相変わらず背の高い、すだれのような葉っぱのものが多いが、中にはもっと葉の幅の広い、がっしりとした木も混ざっている。森の中は木が密集していて薄暗く、だが涼しいわけではない、むっとしたような湿った空気だった。森の中の道は狭く、車の幅ギリギリだったが、駆動生物たちは疲れを知らないようで、勢いよく進んでいく。道は街道のように整備されていないので、車はいつも以上に振動した。あまりに揺れるので、いつもは移動途中父親から渡されたポレオラスという装置を解いているアンバーでさえ、『集中できなくて無理だ』と、あきらめたほどだった。周りの景色は木ばかりで、ほとんど視界もふさがれたような感じだ。道の上も、横から伸びた木の葉がなびき、絡んで、あまり空も見えなかった。  車のカラカラと走る音と、時おり風が吹いて木の葉が揺れる音以外しなかったが、森に入って五、六カーロンが過ぎた頃、突然小さなほかの音が聞こえた。それはこだまになり、重なって聞こえる。上の方から聞こえてくるようだった。みなが目を上げると、木の細長い葉っぱから葉っぱへと移動する、小さなものが見えた。複数いる。それは全身赤い毛皮に覆われ、手足の長い、目の大きな生き物だった。 「ヴェイだな」フレイはその姿を目で追いながら、続けた。 「フェイカンの森にいる動物だ。木の上で生活している。俺も見たのは初めてだが」 「襲ってきたりはしないの?」ミレアは少し不安げな視線を送った。 「大丈夫だと思う。ここは奴らの縄張りなんだろうな。だから多少騒いでいるが、そんなに攻撃的な奴らじゃないはずだ。俺たちが通り過ぎれば、おとなしくなるはずだ」  たしかに彼らは木から木へと飛び移りながら、鳴き声を上げるだけのようだった。が、しばらくすると、何かが上から降ってきた。 「あいた!」と、アンバーが声を上げた。降ってきた何かが当たったらしい。彼は頭に手をやって、何かをつかんだ。薄赤色の小さな丸いものだった。 「これは木の実かな」ブランがそれを手に取って見ていた。  またいつくか、同じようなものが降ってきた。一つはサンディの膝の上に、一つはリセラの腕に当たり、荷物の中に落ちたものもあるようだった。 「早く行けって、投げつけてるんだな。わかったよ! でもこれ以上早く行けないんだよ」  アンバーが上を向いて、そう声を上げていた。 「大丈夫だから。もう行くから平気よ!」  リセラも上を向き、そんな声をかけている。  しばらくすると、生き物たちは実を投げるのをやめた。 「連中も、リルの言うことは少しわかったみたいだな」  フレイが苦笑を浮かべ、そして上に向かって叫んだ。 「大丈夫だ! 俺たちはおまえたちの邪魔をする気はない。すぐに通り過ぎるさ!」  生き物たちはしばらくすると、落ち着きを取り戻したようだった。せわしない動きをやめ、樹上に留まってじっと見ているようだ。 「ああ、そうか。火のエレメント持ちの言葉しかわからないんだな」  アンバーが苦笑して首を振り、 「ナンタムと同じだな」と、ブルーも上を見る。  やがて再び静かになった。道を進みながら、ブランはフレイがダヴァルで買ってきたフェイカンの植物図鑑をめくり、手にした実と見比べているようだった。 「この木の実は、薬の材料に使えそうだな。君たちのも貸してくれないか」と、リセラとサンディに声をかけ、それぞれの実を受け取ると、袋にしまっていた。  森を抜ける途中で夜になったので、フレイはカドルを取り付けた棒を、指示席から前に掲げた。元はロッカデールでヴァルカ団を捕まえた時、彼らが持っていたものだが、そのまま拝借して使っていたのだ。それから何度か夜の道を走る折、役に立ってきた。そのまま三カーロンほど走り続け、ようやく森が途切れた。一行は街道から外れて下草の茂る野原に車を乗り入れ、二度目の野営をした。その夜も交代で見張りを立てたが、特に何事もなく過ぎた。夜が明けると、再び赤い街道を進んだ。遠くに高い山のシルエットが見える。それが目指すミガディバ山だろう。  お昼ごろ、一行は川のほとりに出た。その手前で街道は途切れ、対岸には道はない。ただ滑らかな赤土の地面が広がっているだけだった。 「ここが道の終わりか。その先も平地だから、進めるだろうが……」  ディーが車を降り、目の前の川に目を注いでいた。かなり広い川だ。標準的な人間でも、小石を投げれば対岸に届く程度の距離ではあるが。そこにかかる橋など、目の届く範囲にはなかった。 「だが、こいつらは水を渡れないぜ。大の苦手なんだ」フレイが首を振った。 「フェイカンの駆動生物なら、そうかもしれないな」  ディーは振り返り、少し考えるように黙った後、言葉を継いだ。 「ミディアルで川を渡ったように行くしかないか」 「タラカルたちはどうする?」 「車に乗せていくしかないだろう。おとなしく乗っているように、おまえが言ってくれ、フレイ。まずは準備をしないとな」  ディーは荷物袋からロープを三本取り出した。それをペブルとブルーの助けを借りて、車の前に二か所、後ろに一か所取り付ける。その後、翼の民三人と水の民二人が車から降りた。フレイが駆動生物たちに車に乗るように言うと、その空いたスペースに三頭のタラカルたちが乗り込んでくる。かなり狭くなった。フレイが二頭の首のあたりを叩き、「大丈夫だからな」と、声をかけている。リセラも残りの一頭に、同じように声をかけていた。彼女は火のエレメントは四分の一なのだが、それでもなんとか言葉は通じるようだ。  サンディも目の前に来たその生き物に触れてみた。彼女はエレメントを持たないため、意思や言葉を通じることはできないが、嫌がってもいないようだ。ミレアも同じようにしていたが、特に反応はなかった。 「ナンタムだったら違うエレメント持ちに触られるのは嫌がるが、駆動生物はわからないだけで、それほど気にはしないな」と、フレイは説明していた。  外に降りた五人が車を押し、半分ほどが水の中に入ると、ブルーが水に飛び込み、車の前の部分の下にもぐりこんだ。同時にアンバーとリセラが飛びあがり、前に結んだ二本のロープを握る。車全体が水に入るとレイニが水の中から後方を、ディーが車の後ろに結んだロープをもって空に飛び上がった。車は水面の上を、ゆっくりと動いていった。  この方法で川を渡ったのは、ミディアルにいた頃、エルアナフに向かう時以来だ。サンディもいたので彼女もそれを体験し、驚いたものだったが、今再びそれを見て、不思議な感じがした。駆動生物が引っ張るよりはるかに速度は遅く、十五ティルほどかかったが、それでも車は無事に向こうへとついた。対岸に着くと、再び駆動生物たちをおろし、車の運搬をしていた五人が席に戻ってきた。「ご苦労さま」と声をかけながら、ロージアが彼らの色付きポプルを渡している。 「はあ〜、久しぶりの川渡りだったなあ」 「本当、疲れたわ」アンバーとリセラがそう声を上げ、 「でもここは暑いから、気持ちよかったわ」 「重かったがな」と、レイニとブルーはまだ少し湿った服のまま、ポプルを食べている。  フェイカンの乾いた空気の中で、しかし水に濡れた服や身体もすぐに乾いたようだった。駆動生物たちは何事もなかったように、「あの山を目指してくれ」というフレイの指示に従って、道のない地面を走り続け、かなり日が傾いたころ、ミガディバ山のふもとに着いた。そのあたりは草の茂った野原で、山にもところどころ草が生えている。が、木のようなものはなかった。そして道もない。切り立った赤土の山肌が高くそびえている。  もともと車で山には登れないだろうとわかっていたので、駆動生物とともにふもとに待機の予定だった。いつものようにブランとペブル、そして山には危険な生物もいると聞いて、サンディとミレアは車の中に残しておく予定でいた。しかし実際に着いてみると、登るのさえ容易ではなさそうな山肌だ。 「これは、どうやって登ればいいんだ?」フレイが声を上げた。 「道はなさそうだな、本当に。こっちの側からは。ぐるっと回ってみてもいいが……」  ディーは山を見上げながら、考えているようだ。 「でも、反対側は海だぜ」フレイは行く手に目を向けた。なだらかな地面は海で途切れていて、その先は断崖になっていた。 「ちょっと見てくる」アンバーが翼を広げて、山肌に沿うように飛んでいき、 「気をつけろよ!」と、ディーとフレイが同時に声をかけている。  やがてアンバーが戻ってきて、首を振った。 「見る限り、山に道はなさそうだよ。それで、反対側は海だ。断崖絶壁。この山って、陸地の突端に立っているんだね」 「そうすると、ロッカデールと同じように、岩に縄梯子をひっかけて登っていくしかなさそうだな」ディーは苦笑いに近い表情を浮かべた。 「でも、ここは危険な生物も出るんだって言ってたし、なんだか怖いなあ」  アンバーは心配げな表情をし、 「俺は登りたくねえ」と、ブルーは青の色を濃くしながら、首を振っている。 「何かあっても対応できるように、用心しながら登らないといけないな。むしろ一人ずつより、少し距離を開けて複数で登った方が良いかもしれない」  ディーは考え込んでいるような表情を見せた後、続けた。 「とりあえず、明日に備えて今日は眠るか」  一行は頷き、ポプルと水を取った後、いつものように交代で見張りを立てて野営した。  夜中、小さな叫び声と何かが爆発するような衝撃音で、サンディは目を覚まし、急いで起き上がった。他のみなも同じだったらしく、一斉に起き上がっている。幌を上げると、見張りを務めていたペブルが立ち上がっていて、小さな黒い球体を放っていた。ダムルという闇の攻撃技だ。それが何かに当たったような音がし、ついで叫び声が上がり、どさりと倒れる音がした。 「どうした? 賊か?」  外で寝ていたディーが駆け寄り、そう問いかけていた。 「よくわからないけれど、襲いかかってきたんだよ」ペブルがそう説明していた。  傍らで、一緒に見張りをしていたレイニは、自分たちと駆動生物を守るために、防御技を張っていたようだった。水色の細かい水滴のようなものが彼女の手の中に回収されていくと同時に、深く息をついていた。 「ああ、ペブルと一緒で良かったわ。驚いた……」と。  フレイがカドルの光を掲げて、調べに行った。他のみなも続く。  倒れていたのは、かなり大きな、赤い毛に全身を覆われた動物だった。爪は鋭くとがっていて、歯は無数の針のようだった。胴体のところに、大きな穴が開いている。ペブルの攻撃技が当たった跡だろう。 「ヅボイだな」フレイがカドルを透かしてそれを見、口を開いた。 「こいつは、見た目より凶暴じゃないはずなんだが」 「そうなのか?」ディーの問いかけに、火の民の若者は頷いた。 「ああ、こいつは他の生き物を捕食してレラを補給するタイプじゃなくて、地面からレラを吸える奴で、見かけによらずおとなしいはずだ。これが凶暴化したのなら、ナンタム同様、レラ過剰のせいだろうか……」 「まあ、なんにせよ、おまえたちや駆動生物に怪我がなくてよかった」  ディーは深く息をつくように言い、 「この後の当番は気をつけなければならないな」と、フレイは表情を引き締める。 「朝まで四カーロン半か。この後はフレイとロージア、ブルーとローダガンだな。いつも以上に気をつけてくれ。何かあったら、急いで警報を発砲してくれ」  かつてアーセタイルとロッカデールの国境でミレアとサンディが取りにさらわれた時、リセラが打ったそれは、紐を引くと大きな音が出る。攻撃技も防御技も持たない者たちのために、ブランが作ったものだった。 「わかった」四人は緊張した面持ちで頷いていた。  それから朝まで、幸いなことに非常事態は起きなかったが、夜が明けて皆が起きだしてきてみると、少し離れた草原に、なにかが落ちているのが見えた。赤っぽい草の中に、ひときわそこだけが赤い。 「あれはなんだ? 夜の奴じゃないな。それは、もうそこで溶けかけているから」  フレイは怪訝そうに言い、 「なんだか、羽みたいに見える」  アンバーもそちらに目を凝らし、そして飛んで少し近づいたのち、引き返してきた。 「鳥だ。鳥が落ちている」 「鳥だと?」フレイがそちらの方へ駆けだし、やがて腕に抱えて戻ってきた。  それは人が両手を広げたくらいの大きさで、全身赤い羽根に覆われていた。頭のてっぺんの羽根が三本ほどたっていて、それは金色をしている。 「死んでるのか?」  ディーの問いかけに、フレイは首を振った。 「いや、怪我をしているだけだ。羽根の付け根をやられている」 「おいらが打ったダムルが、当たっちゃったんだろうかなあ」  ペブルは心配そうにのぞき込んでいる。 「いや、違うな。この傷跡の感じだと、たぶん昨夜のヅボイにやられたんだろう」  鳥は深い灰色の目を開けて、じっとこちらを見ていた。暴れる様子はなさそうだった。 「ロージア、これは治せるだろうか?」  一行のリーダーの問いかけに、銀髪の女性は手を差し伸べて口を開いた。 「わからないわ。エレメントが違うから」  彼女は、治癒技をかけた。傷は半分ほど良くなったように見えるが、完全ではないようだ。その間にブランは植物図鑑を読み、周りの草を吟味していくつかを摘み、さらに袋の中から森の中でぶつけられた木の実とすり鉢のようなものを取り出して、草と木の実を一緒にすりつぶしていた。 「これが傷薬になるようだ。フレイ、同じエレメントの方がよさそうだから、君がこれを塗ってやって」 「へえ、そうなのか」  赤髪の若者は不思議そうにそれを眺めた後、指につけて鳥の傷口に塗ってやった。  ロージアの治癒技とブランの薬、両方の効果がうまくかみ合ったようで、やがて鳥は翼を広げて飛んでいった。 「さてと、俺たちはいよいよミガディバ山に登るわけだな」  鳥を見送った後、ディーはその方向に目をやった。 「とりあえず、行くしかねえな。四人は留守番だが」  フレイがこぶしを打ち合わせ、見上げる。 「俺も行くのか」ブルーは苦い表情だ。 「おまえは水だろ? 火には強いだろ?」フレイが声を上げると、 「でも俺は、攻撃技は持っていないからな……まあ、仕方がない。行くか」と、ため息をついている。  一行は改めて、目の前の山を見た。険しい山肌は、まるで登るものを拒否しているかのように見えた。 「上るにしても、ここは道がない。これを使うしかないな」  ディーが荷物袋の中から、縄でできた梯子を取り出した。以前ロッカデールで『清心石』を探しに行った時に、向こうの神殿の人々から渡された道具の一つだ。 「アンバー、これを持って、できるだけ高く、これをひっかけられそうなところを探してひっかけてくれ。岩でもなんでもいい。それからまた先に行かないとならないから、登った者が退避できる場所があるところで」 「難しいな。あるのかなぁ」  アンバーは不安そうに見上げる。山肌は赤土のように滑らかで、ところどころ岩が突き出ているものの、あらかじめそれをかけるところが用意されていたロッカデールの山の場合とは、明らかに違うだろう。彼は縄梯子の先端を持ったまま飛び、かなりの高度まで行ったところで、山肌を回るように進路を変えた。場所を探しているのだろう。下にいる一行は、その様子を目で追っていた。視界から消えかけそうになると、少し場所を移動して追いつく。そうしてかれこれ半カーロンほど過ぎた頃、ようやくアンバーが戻って来た。 「あるにはあったけど、退避場所はすごく狭い。でも他には場所はなさそうだよ」 「そうか。それなら仕方ないな。ご苦労だった。ポプルを補給しておけ」 「はい、これ」ディーの言葉を受けて、ロージアが銀色のポプルを渡す。 「ありがとう。それで、やっぱり前のように、みんなをできるだけ高くまで連れていくのかい?」アンバーはポプルをほおばりながら、そう問いかけていた。 「そうだな。でも、同じ地点からの方が良い。行くのは八人だから、フレイに一番先に上ってもらって、次がブルー、リル、レイニ、ロージア、ローダガンでいい。俺が行けるところまでフレイを連れていくから、おまえはその後でブルーを連れて行ってくれ、アンバー。フレイの後になるようにして。リルは自力でそこまで行くとして、後は交互でいい。俺はローダガンの後から行く。おまえはロージアを連れて行ったら、そのまま上に行ってくれ」 「わかった」  車にブランとペブル、サンディとミレア王女の四人を残し、一行は山肌にぶら下がった梯子を上り始めた。その終着点は、山の中腹を少し過ぎたあたりだ。そこは狭い岩棚のようになっていて、その上に張り出している二本の岩に、梯子の先端が取りつけられている。リセラ以外はディーとアンバーに途中までは飛んで連れて行ってもらい、そこから山肌にぶら下がった梯子を上る。ところどころ足をかけられそうな岩があるので、それが使える場合はそこも利用した。  上がりきったところの岩棚はたしかに狭く、八人が身を寄せ合って立つことさえ難しそうだったので、『翼の民』の三人は近くの岩に腰を下ろしていた。残る五人は、岩棚の上にお互いに密着して立っている。「うおお、下は見たくねえ」と、ブルーはさらに青ざめていたが、たしかにそこはかなりの高さだった。ほぼ垂直に近い山肌の下に、乗ってきた車が緑の点のように見える。 「たしかに怖いわね」と、ロージアでさえ小さく身を震わせ、 「途中というのが本当に、心細いわね。昇るにしても降りるにしても」と、レイニも小さく首を振る。 「そうだ。降りるのもあるんだな。ロッカデールの山みたいに、中から降りれるというわけには、いかなそうだしな」ブルーはさらに大きく震えていた。 「それで、ここからどうやって上に行くんだい、ディー。また梯子をひっかけられそうなところを探す?」アンバーがそう問いかけた。 「ここからだと、頂上付近になるだろうな。そこに行くまでに、この上にあればいいんだが」ディーは翼を広げて座っていた岩から離れ、その方向を見た。 「じゃ、探してくるよ」  アンバーも再び翼を広げ、縄梯子を持って、上に向かった。 「気をつけろよ!」  そう声をかけ、周りを見たディーの表情が変わった。さっとその手から黒い矢のようなものが飛ぶ。パルーセという攻撃技だ。山肌を飛ぶように走る、赤い影があった。まるで不規則な形の炎のようなもの。それがこっちに向かってきたのだ。が、いち早く黒い矢に貫かれ、下に落ちていった。 「あれ、なに?」リセラは岩の上に立ち上がり、危うくバランスを崩しかかって、慌てて翼を広げながら、身を震わせた。 「あれがたぶん、この山に住むという危険な生物なんだろう。なんというのかは知らないが」ディーは落ちていく赤い影のような塊に目を向けた。  その後ろで、ローダガンが矢を構え、打った。もう一つの赤い影が近づいてこようとしていたところだった。それは木と石の矢に貫かれ、一瞬止まったが、また突進しようとする。そこへ二本目が当たり、ようやく山肌を転げ落ちていった。 「とんでもない速さだな」フレイが息を呑んだように呟いた。 「ローダガンも弓矢、上手いわね」  リセラが感嘆したような声を上げる。 「だが、あいつは一発では落とせないんだな。連射できたからよかったが」  ローダガンは当惑したような表情だった。 「アンバー、大丈夫かしら」レイニが心配そうに上を見、 「まあ、あの子は目もいいし飛べるけれど……」リセラも視線を上げる。  その時、上から叫び声がして、そののちアンバーが飛び込んできた。元々身を寄せて岩棚の上に立っていたみなは、慌てて一人分の隙間を作る。 「危なかった!」 「大丈夫か?」一斉に、みなが問いかける。 「飛んで逃げたけど、翼の先かすられた!」 「ちょっと見せて」ロージアが近づき、その銀色の翼の先に触れていた。 「少しやられたわね。でも、大丈夫。これなら治せるわ。ちょっと待っててね」  治療技をかけてもらった後、アンバーは再び翼をたたんだ。 「ありがとう。良かった!」 「でも、良かったわ。そのくらいですんで」レイニが声をかける。 「そうだな。でも、アンバー、さっそくで悪いんだが、治ったんなら、元の岩のところへ戻ってくれないか。ここは、六人は狭いんだよ」  フレイは苦笑していた。一人分の場所を開けるために、彼は半ば岩肌に張り付くような姿勢でいたのだ。 「あ、ごめん」アンバーは笑い、再び翼を広げて元の場所へ帰り、 「それで、梯子はかけられたのか?」というディーの問いに、 「ああ。ちょっと横に移動しないと、いけないけれど」と答えていた。 「そうか。ありがとう。おまえも無事でよかった。だが……あいつは素早そうだから、登っている時にも、油断はならないな」 「そう。早いね。あっという間に来る」 「おっと、さっそく来たようだ。おまえを襲った奴かな」  ディーは再びパルーセを打ち、飛び込もうとした赤い影は、撃ち落とされて山肌を転がっていった。 「でも、行くしかないわね。ここにいても仕方がないわ」 「ええ」  ロージアとレイニは決然とした表情で、頷いていた。 「俺は登りたくねえ……でもここにいるのも、もっといやだ」  ブルーは真っ白になった顔で、首を振る。 「では悪いが、リルも今回はアンバーと一緒に、梯子の突端にみなを連れて行ってくれ。俺は、最後に行こう。危険がないかどうか見て、必要があったら撃退できるように」  ディーの言葉に、「まかせて」とリセラは頷き、アンバーがかけなおした、さらに上に行く梯子の突端まで、ロージアとレイニを連れて行った。あとの三人はアンバーが連れて行き、ディーは最後から行く。途中、三度ほど彼はパルーセを打って、赤い影を撃退した。ローダガンは岩を上っている時には両手がふさがり、弓矢が打てない。ロージアの攻撃技は草系のせいかほとんど効果がなく、フレイのそれも同じエレメントゆえか、あまり効かない。ただ、襲いかかられそうになって慌てて張ったブルーの水防御には、跳ね返されていた。それを見て、レイニも同じように防護を張り、何とか全員無事に第二の岩棚までたどり着いた。ここから頂上までは、もう少しだ。 「さて、ここからは抱えて飛べば、連れていけそうだな」 「そうだね。二人ずつでも行けるかも」 「じゃあ、おまえはブルーとフレイを連れて行ってくれ、アンバー。俺はレイニとロージアなら、二人なんとかいける。前はローダガンを連れていけるか、リル?」 「この高さなら、大丈夫だと思うわ」リセラは微かに笑った。  ミガディバ山の頂上は、比較的狭かった。宿の六〜八人部屋くらいの広さだろうか。草は生えておらず、ところどころ石があるほかは、山肌と同じく赤っぽい土の地面だ。中央に噴火口が開いているが、『炎の花』らしきものは見えない。噴火口まで行き、下をのぞき込んでみると、途中の岩棚に咲いている、真っ赤な花が見えた。その花には葉はなく、まるで火のように揺れるたくさんの花弁が丸く取り巻いている。 「あれが『炎の花』?」リセラがささやくように聞いた。 「きっとそうだな」フレイが火口をのぞき込んで答える。 「しかし、あれは厳しいな。俺はたぶん、少しの間なら熱は平気だが、あそこまでは下りられねえ。かといってアンバーだと、熱に耐えられないだろう。ディーも……火は混じってないから、厳しいかもしれないな」 「あたしなら……どうかしら?」リセラが言いだした。 「あたしなら、少しは火があるから。四分の一だけれど」 「でもリルでも、火に耐える属性は持ってないだろ?」  フレイが危ぶんでいたところで、突然上空から何かが下りてくる気配がした。一同は慌てて後ろに退避した。  それは巨大な赤い鳥だった。頭の上に三本の金色の飾り羽ととがった金色のくちばしを持ち、全身炎のような羽根に覆われている。その鳥は火口の上にとまり、一行を見た。ただ攻撃をしてくるわけではなく、鋭い金色の眼で見据えている。そして口を開いた。出てきたのは断続的な音――だがフレイには、そしてリセラにもかすかに、その意味がわかったようだった。 「『待て、おまえたちは、この花を取りに来たのか』――そう言ってるぜ」  フレイの言葉に、リセラも「そう言っているわね」と頷く。 「それなら、返事はおまえたちに任せる」  ディーが言い、残りの四人も同意していた。 「そうだ」と、フレイが答えると、再びの問いかけ。 「『何のために』か。この男、ロッカデールのローダガンの妹が悪い奴らにさらわれて、この国のタンディファーガという奴に売られた。それで、そいつがなかなか一筋縄ではいかなくてな」フレイは鳥に向かって、今までのいきさつを話す。  再び鳥が何かを言った。 「『この花を悪用する危険のある者には、渡すわけにはいかない』――そうだろうな。『だが、おまえたちは邪なものではなさそうなので、このまま帰れ』――いや、そういうわけにはいかないんだよ。俺たちもこの花が奴に渡ったら、悪用されやしないか心配だ。でも今のところ、ローダガンの妹を救うには、それしか手がないんだ。え? 『その娘には悪いが、犠牲になってもらうしかない』? ――そりゃないだろう。なに? 『邪の者に炎の花が悪用される方が、もっと甚大な被害を招く。おまえたちがどうしてもというなら、おまえたちにも犠牲になってもらうしかない』? おいおい、ちょっと待ってくれ!」 「こいつが花の番人なんだな」ディーはその鳥を見上げながら、首を振った。 「こいつに攻撃されたら、俺たちはひとたまりもないだろう。たぶんダライガなら撃退できるのかもしれないが、おまえたちも吹っ飛ぶだろうからな」 「やめてくれ」ブルーはますます色を失いながら、首を振っていた。 「フレイ」ディーはしばらく沈黙したのち、呼びかけた。 「俺の言葉は、こいつには通じないだろうから、おまえが繰り返してくれ。俺たちも、タンディファーガという奴にこの花を渡すことは、気が進まない。奴はきっと悪用して、巨大な力を手に入れ、良からぬことをたくらむだろう。だが、俺たちでできることなら、そうならないように阻止したい。それはどうやら、火の神殿の意向でもあるようだ。火の精霊様は最終的にタンディファーガを滅ぼすつもりだと、岩の精霊様に語ったそうだ。どうやってだかは俺にはわからないが、俺たちがタンディファーガ家の依頼をどうこなすか、それも計画の一部に入っているらしい。ここで俺たちが失敗して、ファリナが殺されて、ロッカデールとの間に決定的にひびが入ることが、望ましいことだとは思わない。タンディファーガが何をたくらんでいるのか、俺は知らない。もしかしたら戦いを仕掛けて、ロッカデールを本当の属国にしようとしているのかもしれない。しかし、神殿はそんな考えを容認しないだろうし、他の国も黙ってはいないだろう。それは、この世界の存在意義さえ、なくしかねないほどの行為だ。その男はこの国にとって、明らかな危険分子なのだろう。俺は未来を見ることはできないが、エフィオンの力は持っている。ここで花を持ち帰るより持ち帰らない方が悪い結果になると、その力は告げている。その間の事情は、よくわからないが。おそらく火の精霊様も、同じような考えを持っているのではないだろうか。おまえは火の生き物の中でも、精霊様に近いものなのだろうから、その意思を通じ合うことはできないだろうか。もしできるのなら、聞いてみてほしい。それにその花は一度摘まれても、時がたてばまた生えてくるのだろう」  フレイはその言葉をなぞるように繰り返した。鳥はしばらく黙り、何かを考えているように、また何かを見ているように、空に視線を向けている。再び鳥が声を発した。 「『その花が再び生えてくるのを知っているのなら、おまえの知識は正しいのだろう』――ああ、そうだ。ディーのエフィオンはたしかだぜ。『いいだろう。ただし、条件がある。必ずその男を滅ぼせ』――そう言っている」 「確約はできないが、そう願いたい。またそうできるよう、努力する」  ディーの言葉をフレイが繰り返す。鳥はまたしばらく沈黙した後、答えた。 『最大限の努力をしてくれ』  そして飛び立ちながら、また何か言った。 「『私の子供を助けてもらったことを、感謝する』――ほお、ふもとにいた奴は、これの子供か。ありがとう! あんたの信頼にこたえるようにしたいぜ。俺もタンディファーガのくそ野郎がこの国から消えるたら、万々歳だ」 「よっぽどひどい奴なのね、そいつ。まあ、今までのことからも、十分わかるけれど」  そのやり取りを隣で聞いていたリセラは苦笑いに近い笑みを浮かべ、首を振っていた。  鳥がいなくなった後、一行は再び火口の縁まで来た。 「さてと、どうやってあれを取るかという問題に、また戻ってきたわけだが――リルが行くにしても、もう少し火の対策をした方が良いな」  ディーが火口を見、ついでリセラに目を移した。 「水をかける?」レイニがそんな提案をし、 「とは言っても、ここには水はないけどな」フレイが首を捻る。 「私もブルーも水攻撃は持っていないしね。でも、ブルーと私とで水の防護壁を張れば、いいかもしれないわ」 「それは良いが、あそこまで届くか?」ブルーは懐疑的だ。 「ちょっと届かないわね」レイニものぞき込み、微かに首を振る。 「でも、二人にできる範囲で水結界を張ってもらって、あたしがその中に入れば、きっと大丈夫だと思う。そこから少しあるけれど、それだけなら――行けると思うわ」 「無理をするなよ、リル。厳しかったら、すぐ戻れ」 「わかってるって。ありがとう、ディー。じゃあ、レイニ、ブルー、お願い」 「わかったわ。本当に気をつけてね、リル」  火口の中に向かって、水の玉のような結界が広がっていった。その中にリセラは翼を広げて飛び込み、そこを出て岩棚に降り立つ。花を手折ると、再び翼を広げて水の玉の中に飛び込んだ。 「ふう。とりあえず取れたけれど、熱かったわ。それに、水の膜をくぐって、少し勢いがなくなったみたい」 「どうせタンディファーガに渡すんだろうから、多少勢いがなくなった方が良いさ。おまえには熱いだろう、リル。俺に貸せ」  フレイが手を差し出し、リセラが花を渡す。その手は少し火傷をしたようにただれていた。ロージアがその手を取り、治療技をかけた。 「ありがとう、ロージア。でもフレイも大丈夫? それずっと持ちっぱなしは、きつくないかしら。ここを下りなきゃいけないし、ダヴァルに帰り着くのに四、五日はかかるのよ」 「ここを下りる間くらいなら、俺は平気だぜ。片手しか使えないのは、厄介だがな。下へ行ったら、ブランに空き瓶でも出してもらうさ。帰りはそこに差しておこう」 「帰りは……普通に梯子で降りたら、途中で日が暮れる危険がある。降りるのは俺たちでも支えられるだろう。降下するか」  ディーが考えるように黙った後、そう提案した。 「その方が早いね」アンバーも頷き、 「あれは、怖いんだよな……まあ、ここをまた梯子につかまって降りるより、ましだが」  ブルーが大きく震えながら言う。 「でもまた、あの赤い影が襲ってきたりしない?」  心配そうなロージアに、ディーは首を振って答えた。 「いや、たぶんあれはあの鳥の意をくんで襲っているのだろうから、あいつが納得したなら、もう来ないはずだ」と。  その言葉通り、帰りはもう赤い影に悩まされることはなかった。縄梯子を回収した後、一行は山を下りた。『降下』は翼の民三人が、飛べない五人をそれぞれ二人、リセラは飛ぶ力が弱いために一人だけを抱えて、下へ降りる。上に飛ぶのは負荷が重くて難しいが、下るのは比較的容易だ。もちろん垂直に近い山肌でも、多少の傾斜はあるので、そのまま落下したら岩肌にぶつかる。それゆえ支える方の三人は前方へ飛ぼうとしなければならないし、また支えられる方は決して手を離してはならないが、うまくいけば十五ティルほどで、山を下りられるのだ。  そうして一行は山を下りた。飛行力に余裕のあるアンバーは、フレイとブルーを抱えても、優雅に曲線を描いて山を下っていき、ディーはそれよりは降下の力が強く、かなりの速さで、山肌ぎりぎりを下りていく。リセラは連れているのがローダガン一人だったが、山肌には触らないものの、落下に近い速度だった。 「ごめんね。あたしあまり飛行能力ないから。でも激突はしないようにするわ。それと、手一本じゃ危ないわよ。あ、でも胴体には抱きつかないでね。羽根が広げられなくなるから。腕全体に捕まって」 「お、おお……」  ローダガンは目を剥きながら、驚愕の表情で言葉がないようだった。 「ひええ、早くついてくれ〜」  高い場所が苦手なブルーは目をつぶり、これ以上白くなれないほど顔色を失っていた。 「とはいえ、俺たちはまだアンバーだから、ましなんだぜ。特にリルだとな、本当に落下だ。ローダガンも気の毒に」  フレイが後ろを見やりながら、苦笑いを浮かべていた。  そうして麓に着いた八人は、車に残っていた四人と合流し、炎の花はブランが持っていた空瓶に入れて、指示席のわきに置いた。その時には、もうかなり日は傾いていた。 「さて、これからダヴァルに帰るわけだが、とりあえず今日は休んで、明日の朝出発しよう。帰りは行きと同じように、森に入る前に一泊、抜けたところで一泊、そしてエデューだ」 「九日間、ね。全部で。少しは余裕が持てそうね」  ロージアはみなにポプルを配りながら日を数え、 「何か大きな問題が起こらなければな。まあ、大丈夫だろうが」  ディーは軽く首を振りながら、みなを見回した。 「少し早いが、日が暮れたら寝よう。見張り当番は、行きからの順番そのままで続けよう」  帰路には特に大きな問題は起こらず、出発してから十日目の夜に、一行はダヴァルの宿に再び帰り着いた。翌朝、タンディファーガから再び伝令が来た。出発前に来たのと同じ奴隷の少女が、おずおずと連絡装置を捧げ持っている。フレイがそれを受け取り、技をかけると、再び赤髪の尊大な男の姿が現れた。 『おまえらが疑うようだから、受け渡し方法を変更する。感謝しろよ』  そんな前置きの後、男は言葉を続けていた。 『期限の十二日目、エビカルの三日、昼の八カルちょうどに南五の交差点に来い。おまえら全員で来ても別に構わないが、バギタ内からは出るな。俺たちは向かいの、市民側の交差点にいる。そこで花とファリナを交換する。その時に来なければ、もう取引はなしだ。ファリナは俺のところに置いておいてもいいし、始末しても構わないが、おまえらには返さん。そういうことだ。おまえらからの返信などいらん。そこへ来ればいい。それだけだ』 「わかったと伝えてくれ。いや、返事はいらないんだったな。じゃあ、何も言わなくていい」フレイは吐き薬を飲んだ時のような表情で、その装置を少女に返した。少女は頷くだけで、ちらっとおびえたような視線を再び投げた後、帰っていった。 「でももう、いつの間にかエビカルの節になっていたのね」  リセラはその日付けに、改めて感嘆したような呟きを漏らしていた。 「そう。いつの間にか、新しい年が明けたわけね。今日はエビカルの初日というわけね」  ロージアも微かに苦笑を浮かべて頷く。 「去年は本当に、いろいろあったな」  ブルーが言い、他のみなも一斉に、思い出しているような表情になった。 「まあな。それで俺たちは新年早々、ここで待機か。三日の昼八カルまでな。特にそれまでやることはなさそうだから、少し休もう」  ディーの言葉に、女性たちは次々と声を上げていた。 「じゃあ、これからは湯屋に行きましょうよ。もう一シャーランも入っていないから」 「それにお買い物も」 「それで明日は、お洗濯をしたいわ」 「そうだな」  一行のリーダーも苦笑していた。この旅で宿に泊まったのはエデューだけで、あとは野営。しかもそのエデューの町にいた時ですら、ただ宿屋に寝ただけで、湯屋に行ったり買い物をしたりする時間はなかったのだ。  一行はその日と翌日で、それぞれの用を済ませ、水とポプルも手に入る限り買い足した。  約束の期日、ダヴァル市南五交差点の、市民区の大通りから赤い大きな車が、三頭の駆動生物に引かれてやってきた。交差点の手前で止まると、中から人が次々と下りてくる。黒い上着とズボンに身を包んだ四人の男たちが先導し、続いて映像では何度も見たヴェイレル・タンディファーガが、その大きな身体を金色の縁取りがついた赤い上着と黒いズボンに包み、ゆったりとした足取りで降りてきた。その後に三人の従者に連れられた少女が、おずおずとした様子で降りてくる。茶色の髪が長くうねって背中に垂れ、少し褐色がかった肌に見開いた大きな茶色の目、あどけなくかわいい感じのその娘は、ひどく肌をあらわにした服を着せられていた。胸のところだけ金色の布で覆われ、赤いスカートもかなり短い。 「ファリナ!!」  ローダガンが一歩前に踏み出し、叫んだ。しばらく言葉を忘れたように妹を凝視し、そして押し出すように続ける。 「なんて格好をさせられているんだ、おまえは……」 「良く似合っているだろう」タンディファーガは、にやにやしている。 「さてと、花を渡してもらおう。おっと、俺はディルトとは話をしたくない。よそ者もいやだが、まあ、ロッカデールの連中は、ある程度仕方がない。それ以外は、黙ってろ」  こちら側の十二人は怒りのこもった視線を交わした後、フレイが返答した。 「じゃあ、あんたに話せるのは、俺とローダガンだけか」 「まあ、そうなるが、おまえも口の利き方に気をつけた方が良いぞ。第一、火の民のくせによそ者やディルトと一緒にいること自体、穢れだからな」  フレイは一瞬何か激しいことを言い返したいような表情を浮かべ、その顔はより赤さを増したが、言葉を飲み込んだようだった。彼は微かに手を震わせながら、空き瓶に入れた炎の花を差し出した。 「約束のものは持ってきた」 「そうか」相手の口元が、かすかにほころんだ。 「では、おまえはそれを持って、交差点の半ばまで来い。こっちからは俺の従者の一人にファリナを連れていかせるから、そこで交換だ」 「わかった」  フレイは進み、向こうからやってきた黒い服の男と向き合った。 「では、公平を期して、同時交換としよう。こっちがファリナを渡すのと、おまえが花を渡すのを、同時にするんだ」  フレイは無言で花を差し出し、相手がそれを受け取ると同時に、少女の手を取った。そしてそのまま二、三歩後ろに下がる。相手の男は受け取った花を、タンディファーガに手渡した。タンディファーガはその場で、その花を口に入れた。 「走れ!」  フレイは少女にささやき、二人は仲間たちのところへ駆け戻る。花を飲み込んだタンディファーガは手を上げ、二人に向かって炎を浴びせた。それは火の攻撃技――かなり激しい勢いで、周りにも熱気が伝わってきた。が、二人に届く寸前、薄い水の壁に遮られた。ブルーとレイニがとっさに水防御を張ったのだ。 「な……水だと?!」 「やっぱりおまえには、約束を守る気なんかなかったんだな。そんなこともありそうだと思ったんで、ブルーとレイニに防御を頼んだんだ。俺とは口をききたくないだろうから、返事はしなくていいが」ディーがそこで口を開いた。 「火は水に弱いってな。だから万能じゃないんだぜ。俺も水には一度ひどい目にあった。ミディアルからアーセタイルに渡る時にな。あんただって海に放り込まれれば、ひとたまりもないだろう」  フレイは少女とともに仲間たちのところに駆け戻り、相手に向き直った。 「それにしても、ひどい野郎だ。俺はともかく、ファリナは当たったら死んでたぜ」 「お兄ちゃん!」  少女は顔色を失ったまま、まっすぐに兄の腕に飛び込み、 「ファリナ!」  ローダガンは妹をしっかりと腕に抱きしめ、それ以上の言葉がないようだった。 「ちくしょう!」ヴェイレル・タンディファーガは悪態をついた。その顔の色は真っ赤になり、髪の毛は逆立っている。 「だが、炎の花のおかげで、こっちはもっと強い攻撃だってできるんだ。そんな弱っちい水防御など、吹っ飛ばしてくれる!!」  タンディファーガは両手を前に組み、周りのレラを集め始めた。彼の手の中にできた赤みを帯びた光がだんだんと大きくなり、身体を包み込み始めている。 「けっこう大きいのが来るな――みなはできるだけ後ろに下がれ」 「どうするよ、ディー。あのくらいの威力だったら、たしかに水防御も破れそうだな」  フレイが緊迫した声で囁く。 「そうだろう。ただ、こっちも攻撃していいものかどうかだな」 「向こうが仕掛けてきたんだから良いとは思うが、面倒だろうなあ。だが、放っておいたら、俺たちもやられるぜ。火の神殿の裁量に期待して、やるか? ただ、ダライガはやめてくれよ。街の半分が吹っ飛ぶからな」 「そうだな。じゃあ、ダムルでも出すか。あの勢いを跳ね返すためには……ペブルも頼む」 「いいよ」  その時、タンディファーガの構えが解け、巨大な炎の壁がこちらに向かってきた。と、同時に紫がかった黒の二つの球体が溶け合って一つになり、その炎とぶつかる。赤と黒は激しく衝突し、砕け散った。爆風は両方に飛んできたが、ディーとペブル以外はみな後ろに下がっていたので、こちら側はほぼ被害がない。タンディファーガ側では何人かが勢いでしりもちをついたが、やはりそれだけだったようだ。 「ちくしょう!」タンディファーガは再び悪態をつき、その顔は赤黒くなった。 「こうなったら、最大出力だ!」 「おやめなさい!」  その時、鋭い声がした。四頭の駆動生物に引かせた、金の縁取りをし、火の紋章をつけた大きな車が現れ、中から人が降りてきた。金の縁取りをした丈の長い、真っ赤な上衣を着た、タンディファーガとほぼ同じ年くらいの女性だ。真っ赤にうねる髪は長く、背中まで垂れ、赤い瞳。鼻は高いが太くはなく、細くとがって突き出してた。あとから三人、同じように長い装束に火の神殿の紋章をつけた人間が続く。女性は迷いのない足取りで、ディーたち一行とタンディファーガたちの間の空間に踏み込んだ。 「サヴェルガ神官長!」タンディファーガは声を上げた。 「こいつらは騒乱を仕掛けています!」 「私はさっきから、一部始終を見ていました」神官長は鋭い目を相手に向けた。 「そもそもロッカデールから返還要請があった子を、あなたが条件を付けて引き渡すと言ったのです。彼らはそれに従った。そしてあなたはその子を返還した。それで終わりではないのですか? あなたがその後、彼らに攻撃を仕掛けたのは、なぜですか?」  相手は返事に詰まったようで、顔を紅潮させ、しばらくは何も言わなかった。やがて、うめくような声を出した。 「なぜここが……俺は奴らにしか、取引場所も条件のことも言わなかったのに」 「精霊様のお力を見くびってはなりません。あなたのたくらみなど、お見通しです」 「ちくしょう!」タンディファーガは三度目の悪態をついた。 「おまえなんか……おまえなんか、小さいころ、俺にいじめられて泣いていたくせに!! 運よく神官長に抜擢されたからって、威張ってんじゃねえぞ!」  タンディファーガの顔はどす赤く、醜くゆがんだ。 「そうだ……俺は炎の花の力を手に入れた。今ではおまえより強い……いや、元からおまえなんか、弱かったはずだ。精霊の力がついているだけだ! おまえがここに来たなら、ちょうどいい。今は俺の方が強いんだ! くらえ!!」  濁った赤い炎が、男の身体を包んでいった。それは激しい炎の壁となり、神官長めがけて押し寄せる。しかし彼女は顔色を変えず、手を上げ、振り払った。炎は一瞬だけ触れ、そして散った。 「な……馬鹿な……」 「愚かなヴェイレル」神官長は静かな目で相手を見た。 「たしかに昔の私は、あなたに見下され、よくいじめられて泣いていました。それで私の一家は逃げるようにして別の区域に移り、私が十二歳の時から、あなたたちに会うのを避けていました。しかし、さっきあなたも言いましたよね。もう私は昔の私ではない。精霊様のお力がついていると」 「くそう!」憤激が再び男をとらえたようだった。再びタンディファーガは巨大な炎の壁を投げつけたが、最初と同じように粉砕された。 「愚かなヴェイレル。あなたは何もわかっていない」神官長は再びそう繰り返す。 「俺を馬鹿にするな!」 「そう。あなたはずっと人を馬鹿にして生きてきましたからね。馬鹿にされる気持ちはどうですか? あなたは二年前、私が神官長に任命されて、怒り狂ったのでしょう。だからあなたは私を上回る力を得たいと欲し、いつかそれで私を滅ぼそうと、炎の花を欲した。ただ、自力ではそこまで行けない。何度か従者たちを送ってやらせてみたけれど、ことごとく失敗した。ロッカデールからの要請は、あなたにとって素晴らしい機会と映ったのでしょうね。もしそれで炎の花が手に入れられたら、と。そうですね、もし炎の花が損なわれることなく、あなたの手に渡ったのなら、私も危なかったかもしれませんが」 「花が損なわれた……?」 「炎の花は一瞬でも水に触れると、その力は半分になってしまうのです」 「あ、あの時!」リセラが、そこで声を上げた。 「これを摘む時、手に持ったまま水の防御壁を通ったからね」 「おまえら!!」  タンディファーガは、くぐもった怒りの声を上げた。 「あんたの要請は、炎の花だよな。枯らさずに持って来いとは聞いたが、水に濡らすなとか、そんなことは言われてねえ。枯れてはいなかったから、いいだろうよ」  フレイはにやっと笑って、言い返した。 「それが幸いしましたね」サヴェルガ神官長は二人に目をやり、微かに笑みを浮かべた。そして目の前の男に、再び厳しい目を向けた。 「ヴェイレル・タンディファーガ。あなたはわかっていない。炎の力はすべて、精霊様が生み出すものであることを。その精霊様の援護を受けた私は、今では多大な力を持っています。あなたは私を攻撃しました。それは精霊様に背くことです。今、私はあなたを滅ぼす権利があります」 「ま、待ってくれ……待ってくれ、ライシャ。おまえをいじめたことは謝る……」 「私を見くびらないでください。そんな小さな恨み言など、私はもうなんとも思っていはしません。あなたを滅ぼすことは、精霊様のご意思です。あなたはこのフェイカンにとって、好ましくない人間なのです。覚悟しなさい!」  神官長の手から、オレンジ色に輝く球体が放たれた。それはヴェイレル・タンディファーガの身体に当たると、彼を包み込んだ。光が激しさを増し、その中で激しい炎が渦巻いているようだった。その中に飲み込まれたタンディファーガは、断末魔の声を上げた。 「ぐああぁぁ!」  オレンジの球体がはじけ飛んだ時、黒焦げになった身体が、どおっと地面に倒れた。  サヴェルガ神官長は表情を変えずに見つめた後、タンディファーガ家の従者たちに目を向けた。 「ヴェイレル・タンディファーガは、ライシャ・レバル・サヴェルガ神官長を殺そうとした罪で、処刑されました。そう伝えてください。これは神殿反逆の罪に当たりますから、神殿からの兵士たちが、そちらのお屋敷に向かうでしょう、とも」  従者たちは声にならない声を上げ、震えあがった様子で車に駆け戻り、去っていった。 「さて……あなた方には、いろいろとご苦労をさせてしまいまして、すみません」  サヴェルガ神官長は、ディーたち一行に穏やかな目を向けた。 「本当に、精霊様のご期待通りの働きでしたね。炎の花を減衰させて渡したことも含めて。ありがとうございました。これから私と一緒に、神殿に来てください。ロッカデールからみえた方も含めて。あなた方の車も用意しましたので」  神官長は真紅の髪と衣をひるがえし、乗ってきた車に戻っていった。その後に、少し小さな赤い車がやってきた。二頭の駆動生物が、それを引いている。従者の一人が、「その車にお乗りください」と告げ、一行十二人は従った。二台の車は市街地を、ダヴァル市中心にそびえる火の神殿に向かって、走っていった。  炎の神殿は分厚い鉄壁でぐるっと回りを取り巻かれた、広い敷地に立っていた。都市と同じく長方形の敷地と建物で、何本かの太い柱に支えられ、金色の建材にたくさんの赤い稀石がちりばめられている。神殿の門にいる兵士たちは、二台の車が近づくとさっと敬礼して場所を開け、一行は中へと進んでいった。 「炎の神殿に純粋な火の民以外が入るのは、初めてじゃねえか?」  その光景に、フレイが感嘆したように小さく声を出した。 「そうなのか? そうなるとフェイカンにとっては、なかなか歴史的なことだな」  ディーが微かに苦笑いを浮かべながら、そう応じる。  神殿の入り口近くで二台の車は止まり、サヴェルガ神官長を含め数人が降りてきて、扉を叩いた。 「みなさん、降りてきてください。これから中へ案内します」  一行は火の神殿内部に足を踏み入れた。そこはアーセタイルやロッカデールのそれと同じような作りで、広い祭礼の間は多くの赤い稀石で飾られ、中心にはご神体である、巨大な炎が燃えていた。一行はそのそばを通り過ぎ、奥の扉の向こうへと案内された。廊下を通り、赤に金色の縁取りをした扉の一つをくぐり、部屋の中へと通される。 「ここは私の謁見の間なのです。そこの椅子にお座りください」  部屋の半分ほどの空間には、十五個の赤い椅子が並べられている。神官長は一行が腰を下ろすのを見てから、金色の机の前にある、大きなどっしりとした赤い椅子に座った。 「みなさん、ロッカデールからはるばるご苦労さまでした。そしてローダガン・バクレイ・フリューエイヴァルさん。妹さんのことで、ご心労をおかけしましたことをお詫びします」 「あ、いえ……神官長様にお詫びいただくなど……」  ローダガンは驚いたような、恐縮したような表情を浮かべ、首を振っていた。 「いえ、本来はロッカデールから返還要請が来た時、私が強権を発動してでも、ヴェイレルからファリナさんを奪還し、送り返すべきでした。タンディファーガ家のことも、フェイカンの問題も、我々の国のことですから、私たちで始末をつけるのが正しいのでしょう。しかし、みなさんのお力をお借りしたほうが、より良い結末へと導いていける。それゆえに、あなたがたには余計な労力と心配をおかけしてしまったことを、まずはお詫びしなければならないと思ったのです」  サヴェルガ神官長は長く赤い髪をふわりと揺らして、小さく頭を下げた。 「フェイカンの神官長様が、俺たちのようなよそ者やディルトに頭を下げるとは……前代未聞だな」フレイはあっけにとられたような表情で、そう呟いていた。 「そうですね。私はあまり誇り高い人間ではないのですよ。こんな地位についても」  サヴェルガ神官長は、微かに笑みを浮かべた。 「私自身も驚きました。先代の神官長が老年になり、力を失って引退した時、まさか私がその後任に選ばれるとは」 「あなたはタンディファーガ家の遠縁であると聞きましたが」  ディーが話しかけると、神官長はそちらへ目を向け、頷いた。 「ええ、そうです」 「でも、あなたはあのヴェイレル・タンディファーガとは違い、ディルトの俺にも話をするのですね」 「ディルトではあっても、あなたはかなり高貴な方ですよね、元は」  神官長は微かに笑みを作る。ディーは少し狼狽したような表情を浮かべた。 「失礼、それは言わない方が良いことでしたね。でも私は、先にも言いましたように、誇り高い人間ではないのですよ。家の奴隷になっていたディルトの少女とも、友達になりかけて、親に怒られてしまったことがありますし」 「なんだか……俺とおんなじだな。そんな方が、今は神官長様なのか……」  フレイがほっとしたような、当惑したようなトーンでそう呟く。 「ですから、私自身も驚いたのです。でも、精霊様にはお考えがあるのですよ」  サヴェルガ神官長は再び微かに笑い、話を続けた。 「私とあのヴェイレル・タンディファーガは、また従兄妹です。ヴェイレルの家がタンディファーガの総本家で、私たち共通の曽祖父の息子がヴェイレルの祖父、娘が私の祖母に当たります。ヴェイレルの祖父の一人息子が今のタンディファーガ家当主、エヴァルゲです。ヴェイレルは、その一人息子なのですよ。私の祖母には二人子供があって、伯父と私の母です。伯父には二人子供がいて、私は一人娘です。でも伯父の家は五年ほど前、エヴェルゲとヴェイレルのタンディファーガ本家に、潰されてしまいました。もともと自分に近い血筋で、しかも伯父の息子はかなり力が強かったので、タンディファーガ本家にとって、目障りだったのでしょうね。従兄はタンディファーガ家によって陰謀めいたことに巻き込まれ、誅殺されてしまい、伯父夫婦と従妹も攻撃されて、亡くなりました。従兄の犯した罪のゆえに成敗する、と言われて。私の一家も元は近くに住んでいたのですが、さっき話した通り、私は幼少時からヴェイレルにいじめられ、両親は私を連れて身を隠すように、町の外れに引っ越して暮らさざるを得なくなりました。極力会わないように、刺激しないように……それしか、私たちに生き延びる道はないと、父母が言っていたのを覚えています。実際、伯父一家が滅ぼされた時には、本当にその判断は正しかったのだと思いました」 「タンディファーガは気に入らない家を潰すのは知っていたが、親戚筋まで、なのか」  フレイがそこで、ぼそっと呟いた。 「親戚筋だから、なおさらの部分もあるのでしょうね。いわば、自分にとって代わられる可能性がある存在ですから」神官長は小さく首を振った。 「タンディファーガ本家は、強烈な選民思想の持ち主です。そして、力がすべてだと思っているようです。なぜフェイカンが他の八つの国に戦いを仕掛けて、この世界を制覇できないのか、それを不甲斐なく思っていた。そんな強烈な力の支配欲にかられた人間たちなのです。でも、さすがにタンディファーガも、精霊様や神殿の力に表立って逆らうことはできない。そう思っていたところに、二年前、次期神官長に、よりにもよって私が任命されたんですね。それでヴェイレルは怒り狂った。そのあげく、狂った思いに取りつかれた。私ならきっと排除できる。その後にその権力を、自分が持つのだと」 「それで奴は炎の花を?」 「そうです。あの花は損なわれない完全な状態なら、それを食べるとその者の持っている火の力を、七倍に増幅するのです。ヴェイレルの持っているレラは、もともとかなり強いです。私の倍以上はあります。神官長になる以前の、本来の私のという意味ですが。それが七倍になると、相当強大な力になります。それで攻撃されたら、今の私でも防ぎきれなかったでしょう。だからあの男は、炎の花を欲した。でも何度も従者を送って試してみたけれど、ことごとく失敗した。あの山に登るのは、難しいというより不可能です。私たち火の民にとっては。おまけに花の守護者が遣わすバルラという攻撃者にやられてしまって、誰も山頂までたどり着けない」 「それでロッカデールからの要請に、炎の花という交換条件を出したのか……」  ディーの呟きに、サヴェルガ神官長は頷いた。 「そうです。もっとも最初はあの男も、ただロッカデールに無理難題を吹っかけて、ファリナさんの返還を拒んだだけだったのでしょうが。しかしロッカデールから依頼された者たちがさまざまなディルトの集まりと聞いて、もしかしたらと、希望を持ったのかもしれません。ディルトの中に翼持ちがいれば、山に登れる可能性があるかもしれないと。みなさんは見事、花を取ってきてくれた。しかも水に触れさせ、減衰させて。あの花は水に触れると、それが増幅するレラは、三倍足らずになってしまうのです」 「それだと、半減以上ね」ロージアがそこで呟く。 「そうです。そのおかげで、あの男のたくらみは不発に終わりました。自分は私を上回る力を得たと過信し、私に攻撃を仕掛けてきたために、あの男とタンディファーガを滅ぼす理由ができた。みなさんのおかげです」  サヴェルガ神官長は再び髪を揺らして、一行に頭を下げた。 「いえ……お役に立てて良かったです」  ディーがどことなく照れたように言い、みなも顔を見合わせていた。サヴェルガ神官長は微笑を浮かべて一行に目をやった後、すいと立ち上がった。 「私たちは、これからタンディファーガ家のせん滅に向かいますので、それが終わりますまで、みなさまはここでお待ちください。その後、巫女さまに御目通り願いますので」 「はい……だけれど神官長様、あのタンディファーガのことだから、死に物狂いで反逆するかもしれませんが……」フレイが少し思案気に問いかける。 「そうでしょうね。あのタンディファーガのことですから。エヴェルゲは、素直に降伏はしないでしょう。でも、大丈夫です。私たちには精霊様のお力がついています。それはこの国全体を動かす力で、タンディファーガもその一部にすぎないので、私たちが負けることはありません。そう……もし仮にヴェイレルが炎の花を損なわれることなく手に入れ、私を殺すことに成功しても、あの男が代わりに神官長になれるはずもない。精霊様は決してあの男を認めはしないので、巫女様の間に入った途端、そのお力で引き裂かるだけです。誰かふさわしい、代わりの神官長が任命されるだけでしょう」 「そうなのですか……」 「そうです。それに、心配いりません。ヴェイレルがいない今、タンディファーガ家のせん滅は、そう難しいことではありません。そもそもエヴェルゲは、ヴェイレルの半分ほどのレラしか持っていない。炎の花もない。従者たちを上回る数の兵も、こちらにはいます。たいして時間はかからないでしょう」 「ですが、神官長様……あの家の奴隷たちは、どうなるのでしょうか」  フレイは不安げな表情だった。みなも同じように、宿に使いに来た、あのおどおどした奴隷少女の顔を思い出したようだ。 「それだけは残念ですが」サヴェルガ神官長の表情が、かすかに曇った。 「しかしエヴェルゲが奴隷たちを解放するとは思えませんので、一緒に犠牲になるしかないでしょう。不運だとあきらめるしかないです」 「そんな……」  小さな声が漏れた。ファリナが小さく身を震わせ、両手を握りしめてうつむいている。その眼は涙で潤んでいた。 「あなたのお友達になってくれた子も、いたのでしょうね、ファリナさん」  サヴェルガ神官長は、少女に目を向けた。 「救えないことを許してください。でも、いずれタンディファーガ家の奴隷よりは幸せな生涯を、きっと持てると思います、どの子たちも」 「……はい」  少女はぽろぽろと涙をこぼしながら頷いた。ローダガンが妹の肩に手を回し、抱きしめている。 「では、待っていてください。ああ、それと、ファリナさんに、もう少し普通のお洋服を持ってこさせましょう」  そう告げて、サヴェルガ神官長は部屋を出て行った。そののち、神殿に働く人がオレンジのワンピースを持ってきたので、少女はそれを身に着けた。 「ファリナさん。いろいろ怖かったでしょうし、つらかったでしょうね。でも、もう大丈夫よ」  リセラが改めて、そう声をかけた。それに対しファリナは頷き、ついで身を震わせて、わっと泣き出した。押し殺した感情があふれてきたように。 「本当に、あなたたちにはどんなに感謝してもしきれない。ありがとう」  ローダガンは妹を抱きしめながら、詰まったような声を出した。 「成り行きだから、気にしないで。あなたも言っていたようにね」  リセラが少しおどけたように言い、一行も少し笑って頷いていた。  サヴェルガ神官長が部屋に戻ってきたのは、それから二カーロン半ほど過ぎてからだった。出ていった時と変わりない様子で、優雅な動作ですいと椅子に座る。 「みなさま、お待たせしました」 「タンディファーガ家の処置は終わったのですか?」  フレイが問いかける。 「はい。タンディファーガ本家は滅びました。屋敷は焼け落ち、あそこの人間はもう誰も生きてはおりません。タンディファーガの財産は、すべて神殿が没収しました」 「そうですか……あっけないものですね」  フレイの感想に、神官長はほんの少し笑みを浮かべた。 「みなさま、巫女様にお目通りする前に、お食事にしましょうか。それぞれの色のポプルも用意していますので」  やがて運び込まれてきたポプルと水で夕食を終えた後、一行は部屋を出た。控えの間で両手を火にかざして清め、巫女の間に入った。  床に描かれた赤い紋章の奥、金の縁取りをされた赤い大きな肘掛椅子に座った火の巫女は、七、八歳くらいの少女だった。ふわっと背中に垂れた赤い巻き毛に赤い瞳、細くて高い鼻、小さな赤い口。手に持った杖のようなものの先端には、小さな炎が燃えていた。巫女は他の国のそれとおなじように、瞬きをせず、平伏した一行をじっと見た。 「ごくろうだった」  子供らしい響きだが、やはりどこか遠くにこだまするような声で、巫女が口を開いた。 「巫女様のご依頼とは、どのようなものなのでしょうか」  ディーが膝をついたまま、そう問いかけた。 「選別してくれ。滅ぼすものと、助かるものを。それには、おまえたちが適任だ」 「は?」一行は驚いた表情で、目を見張る。 「詳しいことは、神官長から聞くが良い」  巫女はそれだけ言うと、杖を振った。炎が揺れ、かすかな音が鳴る。唸るような音色だ。それが退出の合図であることを理解している一行は、立ち上がって巫女の間をあとにした。アーセタイルでもロッカデールでもそうだったが、精霊は巫女経由で話をするのだが、あまり長くはできないようなのだ。 「精霊様は、この国の人々の選民意識から来る暴走を、懸念されています」  再び謁見の間に戻ると、サヴェルガ神官長は口を開いた。 「自分たちは特別だ。自分たちは他より偉い、と。その思いはいったん心に巣くってしまうと、減じることは難しいのです。それは、心地よい思いなのですから。他者を見下すこと。自らの優越を誇ること。たやすく怒り、たやすく攻撃し、踏みつける。それが高じると、ヴェイレル・タンディファーガのように征服欲が強くなり、気に入らないものを滅ぼしたり、さらには他の国も支配下に入れたりしようと欲する。それはこの世界では、あってはならない思想なのに。その人々の誇りは怒りとなり、この国のレラは不自然な形で増幅されている。それはやがて、この国の火山を噴火させるでしょう」 「え?」一行は驚いたような声を上げた。 「それで、俺たちにその噴火を止めてくれと?」  フレイが問いかける。 「いいえ」神官長はゆっくりと首を振った。 「精霊様は、それは望んでいません。最初は防ごうと思われたようですが、ここまで来てしまうと、押さえることは難しい。それなら、噴火させて発散させ、昇華したほうが後のためにはいいと」 「でも噴火したら、フェイカン全体が相当被害を……だってこの国は、火山国なんだから」 「そうです。下手をしたら、国民が死に絶える危険があります」 「……それを承知で?」 「ええ」神官長は壁に目をやり、頷いた。 「フェイカンに害をなすような国民はいらない。ゆがんだ選民思想から、他の国とのバランスを崩してしまうような危険をもたらすものは、排除する。精霊様は、そう決断されたのです」 「それで、滅ぼすものと救うもの、なのか」ディーが呟いた。 「あと三日後に、このダヴァル市を取り囲む三つの火山が噴火します。この町に住む人々の誇りと怒りの、レラの暴走によって」サヴェルガ神官長は静かな口調で告げた。 「ただし、この神殿だけは精霊様の結界によって守られます。ですからあなた方は、これから宿に帰り、明日、車と荷物を持ってここに来てください。こちらからの車が迎えに行きますから。ローダガンさん、ファリナさん、あなた方をロッカデールへ返すのは、フェイカンのこの動乱が、おさまってからになります。その方が安全です。向こうの精霊様には、すでにこちらの精霊様から伝えてあります。もっとも、フェイカンの動乱が何であるかは、ロッカデール側には伝えてありませんが。みなさんには、神殿のはずれにある宿舎にて、お泊まりねがいます。みなさんの車と駆動生物は、こちらで預かります。お帰りの時にお返ししますので」 「はい。それで、俺たちはどうすればいいのですか? 餞別してくれ、と巫女様は仰いましたが」ディーが問いかけた。 「明日の朝、神殿からのお触れが出ます。バギタ地区を廃止し、町のすべてにディルトも他国民も自由に立ち入りできるようにすると。そして奴隷制度を廃止し、他の国と同じように、適切な賃金を払った契約労働者にすると」 「え?」 「それに賛同できるものは、その証として、昼の四カルから七カルの間に、神殿前にいるディルト集団から札をもらうように。その札と貴重品、大事なものを持ち、いる場合は奴隷も連れて、二日後の夜、神殿までくるようにと」 「それであたしたちが、その札を配る役をするの?」リセラが声を上げた。 「もらいに来る奴が、果たしているかな? バギタ廃止、奴隷廃止なんていったら、かなり騒動になるだろうし、怒る奴も多いだろうな」  フレイは懐疑的な表情を浮かべていた。 「そうでしょうね。でも、そういう人たちは、フェイカンの今後のためには不要な人々です。でもあなたがたは、札を受け取らなければ滅ぶなどとは、決して言わないでください。ただ指定された時の間だけ、神殿前にいて、取りに来る人に札を配ってください。札は、その時にお渡ししますので。その次の日も、同じことをしてください」 「他の町でも、同じようなことをするのですか?」ロージアが問いかける。 「そうですね。あと二つ――ビブドとランバでも、お願いします。この二つはダヴァルに次ぐ都会ですし、神殿の支所もあります。ここを含め、この三つは、歪んだ誇りや怒りの持ち主が多いところですから。その他は――大丈夫でしょう。この三つの町の顛末と神殿の声明で、脅しと教訓が効くと思いますから」 「わかりました」  ディーは頷いた。その表情は恐れているようでもあり、いぶかしんでいるようでもあった。それは他のみなも、同じようだった。  一行は神殿の車に乗って宿に帰り、翌朝迎えの車の後について、自らの車に乗って、炎の神殿に赴いた。神殿内の別棟にある宿泊施設に荷物を置いて待っていると、サヴェルガ神官長が再びやってきて、火の紋章が入った袋を手渡した。 「その中に札が入っています」  見ると、それは手のひらに乗るような金属の小さな薄い四角の板で、真ん中に火の神殿の紋章が刻まれていて、光に当てるとオレンジ色に輝いた。 「俺たち全員で配った方が良いんでしょうか」  ディーが問いかけると、神官長は再び髪を揺らして首を振った。 「みなさん全員でなくともいいです。市民の中には、怒って何かを投げたり攻撃しようとしたりする者もいるでしょうし、危険もありますので。こちらからも見張りをつければ、少し緩和されるとは思いますが、それでは完全な指標とはならないと精霊様は仰います。申し訳ありませんが……それゆえ、ロッカデールのお二人と、まだ年若いそちらの少女さんたちは、出ない方が良いかと思います」 「またお留守番なの」ミレア王女は少し不満げにそう声を上げたが、 「危ない目に合うよりはいいだろう」と、ディーに苦笑されつつ諭されていた。  ローダガンとファリナ兄妹、そしてサンディとミレアを宿舎の部屋に残し、九人は指定された時間、神殿の入り口に立って、来た人に札を配った。それはたしかに、簡単な仕事ではなかった。札を取りに来る人より、怒って不愉快な言葉を投げつけたり、手近な石や物を投げてきたりする人の方が、はるかに多かったからである。 「俺たちは決して認めないぞ! 帰れ!」 「ふざけるな! 誰が認めるものか!」  中には取りに来ようとする人を、妨害しようとする者もいた。 「腑抜けめ! おまえには火の民の資格はない。受け取ったらひどいぞ!」  これには、フレイも相手をじろっとにらみ、言い返していた。 「ほう。おまえは神殿の意向に逆らうのか? 資格がないのはどっちだ」  それで、たいていの人間は悔しそうに引き下がるが、中にはさらに悪態をついてくるものもいた。 「神殿の権威が何だ! 誇りを持てない精霊様など、偽物だ」 「精霊様を否定するとは、救いようがないな。おまえこそ火の民の恥だ」 「よせ。そこまで言う輩には、何も通じないだろう。無駄に喧嘩になるだけだぞ、フレイ」  ディーがそこで釘を刺した。  結局その日は、札を取りに来たのは十五家族だけだった。 「ダヴァル市には一万近い家族がいるはずだが、たった十五か。少ないだろうとは、思っていたが……明日はどのくらい来るのかわからないが、この調子では、ほとんど全滅しかねないぞ」  その夜、フレイが顔をしかめて言った。 「問題なのは、来ようとしているのに妨害している連中だな。そいつらを排斥はできないんだろうか」  ディーも疑問を呈していたが、そのことを神官長に相談してみると、彼女は少し悲しそうな顔で首を振っていた。 「巫女様に取り次いでみますが、たぶん、救えないかと」  翌朝、再び巫女の間で謁見した時の答えは、神官長の予測通りだった。 「妨害に負けるような、弱き心はいらぬ」 「精霊様は、ダヴァル全体が滅びることになっても良いとさえ、思っておられるようです」  神官長の間に引き取った後、ライシャ・サヴェルガは眉を曇らせながら告げていた。 「悪しきものを一掃し、まっさらのところから新たに起こすのが、一番良いと。良き種は残したい。しかし強さを兼ね備えたものでないと、価値がないと」 「厳しいですね」一行には、それしか言葉がないようだ。 「こうしている間にも、市民たちの怒りのレラが高まっているようです」  サヴェルガ神官長は微かに頭を振った。 「今朝のお触れが、その怒りを増幅させ、今にも爆発寸前になっています。明日の夜にはその力が頂点に達し、三つの火山を噴火させるでしょう」  アーセタイルでもロッカデールでも、人々の思いの集合体がレラの暴走を招き、そして“獣”を生み出した。その“獣”はディーの持つレヴァイラという昇華技で対応できたが、ここフェイカンでは暴走したレラが獣にならず、直接火山の動きと連動するようだ。それゆえ、止められるとしたら、人々の思いを鎮静化させるしかない。ゆがんだプライドと怒りを捨てさせること――それが無理なら、強制的に持ち主ごと滅ぼしてしまうしかない。それが火の精霊が出した結論なのだろう。ただ、心根に叶うような人々は残してもいい、と。 ――なんだか、こんな話を聞いたことがある。そんな思いが、サンディの心をかすめた。神は悪しき人間たちを滅ぼしたが、心に叶う一族だけを助けた――それ以上の思いを探ることは、できなかったが。  翌日も札を配った。昨日と同じ光景が繰り返され、その中を十八家族だけが、札を取りにやってきた。時間が来て、彼らが撤収した後、神殿から一羽の赤い鳥が放たれた。それは他の国でもあったような、伝言鳥――二日前の朝、バギタ地区と奴隷制度の廃止を告げたものと同じだった。飛びながら、その鳥はお触れを告げていた。 『札を受け取ったものは、その家族と家財道具、車、駆動生物、奴隷たちを連れて、夜の七カルに神殿に来てください。途中あなた方を妨害しようとするものが現れたら、受け取ったお札を、彼らに掲げなさい。彼らは神殿への反逆の罪で、罰を受けるでしょう』  サヴェルガ神官長の声で、そのお触れは繰り返された。  神殿の門には、薄い結界のような幕が張られていた。ディーたち一行からもらった札を掲げて通るものだけが、そこを通過できる。こうして三十三組の家族たちがすべて入り終わると、神殿の門は固く閉ざされた。  神殿の広い庭に、百数十人の人々と車、駆動生物たちが集まっていた。ディーたち一行も、そこにいた。 「これから何が始まるのでしょう?」  札を受け取った若者の一人が、話しかけてきた。 「たぶん……もうすぐわかるだろうよ。ところで、ここに来るまでに妨害されなかったかい?」フレイが少し心配そうに、問い返している。 「邪魔はされました。札を取りに行く時も、ここに来る時も。うちも父と兄が承知せず、家に残っているんです。持ち出せたものも半分だけで。僕は母と、それから友達とでここへ来たんです。うちには奴隷はいなくて」 「うちは家族ごと来たけれど、近所の連中にこぞって、行ったら一生のけ者だと脅されました。今ここに来る時も、行かせないと取り囲まれたけれど、このお札を掲げたら炎が噴き出て、それでみんな恐れをなして逃げてしまいましたが」  もう一人の若者も、そう同調していた。  神殿の外が騒がしくなってきた。大勢の人々が集まってきているようだ。 「お触れを撤回しろ!」 「俺たちは従わないぞ!」  そんな怒号がいくつも重なって聞こえる。  半カーロンくらいの時間が過ぎた頃、突然遠くから唸りが聞こえた。低く、地面が鳴動するような音に続いて、激しい爆発音が、続けざまに起こる。街から少し離れたところに見える山の山頂から、激しい炎が噴き出した。続いて別の爆発音。さらにもう一回。と、無数の炎をまとった噴石が、街に降り注いだ。それは炎の雨のようにダヴァル市全体に襲いかかり、やがて街は炎の海と化した。空も大地も赤く染まり、その中で人々の悲鳴と物の倒れる音、噴石がぶつかる衝撃音が入り乱れる。神殿の庭に集まった人々は茫然とし、すくみ上っているようだった。しかしこの神殿自体はうっすらと赤い膜に覆われ、噴石はその上で砕けていった。 「結界で守られているんだな、ここは」  ディーが上を見上げながら、呟いた。  ローダガンは妹を抱き寄せ、サンディとミレアは手を取り合いながら、赤く染まった空を見上げる。リセラもロージアもレイニも、そしてブルー、フレイ、アンバー、ペブル、ブランもみな、各々に驚きと畏れの表情を浮かべて、燃え上がる街と空を見ていた。    炎が街を焼き尽くし、鎮火したころ、サヴェルガ神官長が庭に出てきて、みなを見回した。 「みなさん。ダヴァル市は市民たちの怒りと歪んだ誇りが生み出したレラの暴走により、火山の噴火を引き起こして滅びました。彼らは自らの感情のために、滅んだのです。ですが、みなさんは違う。みなさんは、これからの新しいフェイカンを築くのにふさわしい人々と、精霊様がお認めになったのです。三十三組、百十七人。少ないですが、あなた方はわが国の希望です。これから私たちとともに、力を合わせて新しいダヴァルを、そして新しいフェイカンを作っていきましょう」 「もったいないお言葉です」  そんな声とともに、人々はひれ伏していた。  それから五日後、一行はビブド市に着いた。バギタ地区と奴隷制度の廃止は、ここでは一行が到着する前日に出ていた。街の門に着いた一行は、「まだ市中が不穏ですゆえ」と、ここの神殿支所に勤める神官三人の車に先導され、神殿内に直接連れて行かれた。支所であるから、中には精霊も巫女もおらず、副神官長一人に二十人あまりの神官と百人ほどのそれに仕える人々がいて、建物もダヴァルのそれより一回り以上小さい。大広間にはダヴァルのご神体から分けてもらったという、消えない炎が燃えていた。  一行は翌日から二日間、再び札を配った。ダヴァルと同じように反発するものも多く、妨害もあったようだが、二日間でダヴァルよりも多い四一組、百三十人余りの人々がその夜、神殿支所の庭に集ってきた。そして、ダヴァルと同じようなことが起きた。この街に近い二つの火山が噴火し、街は壊滅したのだ。しかし神殿支所の敷地内だけは結界で守られ、無事だった。その後、ダヴァルから伝言鳥が飛んできて、サヴェルガ神官長のメッセージを伝え、ビブドの副神官長も同じことを繰り返した。  それから五日のち、一行は三つ目の街ランバに向かった。そのころにはダヴァルとビブドが火山の噴火で壊滅したこと、その前にお触れが出されたことは伝わっていたらしく、ここでは札を取りに来た人は、百組近くに上った。そして人々や荷物でごった返す神殿支所の庭で、一行は三度目の大噴火を見た。ただ勢いは、最初のダヴァル市のものより、だんだんと小さくなってきているようだった。  ランバ神殿支所の庭でサヴェルガ神官長の伝言を聞き、副神官長の話も終わり、人々は明日からのために、とりあえず神殿支所の庭に、その日は寝ていた。それはダヴァルでもビブドでも同じだ。神殿から支給された、布製の簡単な家の中に敷物を敷き、そこで眠る。ディーたち十三人は、神殿で用意された宿泊所に戻って眠った。  翌朝、起きて水を飲んだ後、神殿支所の広間に赴いた一行は、副神官長から告げられた。 「みなさん、ご苦労様でした。一度ダヴァルへ戻られるよう、神官長様からのご伝言です」 「わかりました」頷いたディーに、フレイが言う。 「なあ、出発する前に、もう一度庭に行きたいんだが」 「庭は避難してきた連中でいっぱいだぞ」 「ああ、そうだが……昨日、ちらっと見かけたんだよ。いや、人違いかもしれないが」 「誰が?」問いかけるリセラに、フレイが答える。 「いや、昔仲良くなった奴隷の子にさ」 「そうなのか……それなら、みなが簡易家をたたんだ後に、見てみるといい。見つかるといいな」  ディーの言葉に、フレイは頷いていた。「ああ、助かる」と。  庭は相変わらず、人でごった返していた。ダヴァルやビブドよりはるかに多くの人数がいるから、当然なのだが。最初は人々の間を縫うように探していたフレイだが、そのうちじれったくなったのか、大声で何度も叫んでいた。 「ヴィムナ!! ヴィムナ・ラヴール! この中にいるかぁ!?」と。  すると庭の一角から、誰かが頭を上げ、立ち上がった。 「私のことですか?」という、小さな声が聞こえた。  フレイはその方向に、人をかき分けるように進んだ。行きついた先には、二十歳くらいの女性が立っていた。褐色を帯びた肌、オレンジがところどころ混じった、褐色の巻き毛に丸い茶色の眼。オレンジの服を着たその女性は、やってくるフレイの姿を見て、眼を見開いていた。 「フレイ様ですか? もしや!」 「ヴィムナ! やっぱりそうだったのか!」  フレイは近づき、相手の手を取った。 「おまえがどこに売られたのか、俺は知らなかった。まさかランバに行ったとは! おまえの主人が、ここに連れてきてくれたんだな。本当に良かった!」 「ええ。ご主人様たちは迷ったようですが、神殿のお告げには従った方が良いと仰って。私ももう、身分は奴隷ではないそうです。引き続き、働かせてはもらうようですが。フレイ様は、フフィンにいらっしゃると思っていました。ここでお会いできるなんて……」 「まあ、おまえのことでも、いろいろあってな、俺は家を出たんだ。その後ミディアルに渡って、この仲間たちといるんだ」  フレイは集まってきたみなを示した。 「フレイ……おまえはここに留まるか?」  その時、ディーが口を開いた。 「ここはおまえの国だ。おまえと仲の良かった娘とも再会できたのだし、おまえの嫌ったフェイカンは、これからは良くなっていくだろうから……」 「俺を追い出さないでくれ、ディー」  フレイは決然とした表情で、首を振った。 「俺はまだ、世界を見飽きたわけじゃない。まだミディアルとアーセタイル、ロッカデールしか行っていない。新たなミディアルと作るという夢も、まだ叶っていない」 「それでいいのか?」 「ああ。その夢が叶ったら、俺はフェイカンに帰る。そのころは、きっと今よりいい国になっているだろう。そうしたら、またおまえをここに訪ねてくる、ヴィムナ。ただ、長い月日だろう。おまえがここにいなくとも、他の誰かと結婚していても、それは仕方がない。だけど、俺はきっとまた会いに来る」 「はい……お待ちしています、フレイ様」  娘は両手を組み合わせ、頷いた。その瞳から、涙が一筋零れ落ちた。  再び戻ったダヴァルの街は、廃墟だった。中心部にそびえる神殿だけが無傷で、後は一面の灰が広がっている。残った人々はその灰を片付け、布でできた簡易家に寝泊まりしながら、再び生活を築きなおしているようだ。 「ランバの街の大噴火と同時に、新たなお触れが全土に出ました。バギタ地区と奴隷制度を廃止、よそ者やディルトを排斥したり軽蔑したりしないこと。それが精霊様のご意志であり、それに逆らったためにダヴァルとビブド、ランバは滅んだと。歪んだ誇りや怒りは捨てないと、自らの怒りの炎で滅ぶことになると。三つの街の悲劇が、さしもの傲慢な人々をも震え上がらせたようで、他の町では、反対の声はほとんど上がっていません。すべての町には神殿から使者を使わし、改革を速やかに実行していけるようにしていきます。ここダヴァルには、他の町から来た人々も今後増えていくでしょう。いずれまた、にぎやかな都会になると思います。ディルトも他の国の人々も、普通にどこでも行ける国に、都会になっていくでしょう」  サヴェルガ神官長は謁見の間で、一行にそう告げた。 「みなさまには、いろいろとお手数をおかけしまして、手助けもしていただきまして、ありがとうございました。火の神殿からの褒章は、少ないですがこれを」  手渡された袋の中には、フェイカンの通貨が入っていた。アーセタイルやロッカデールでもらった報奨金の半分以下だが、それでも決して少なくはない額だ。 「それはみなさんがアンリールに入る時、向こうの通貨と交換してください。みなさまはここに入国する時、この後はアンリールへ行くと言われたようですから、精霊様同士でお話しし、みなさんがアンリールを通過する許可もいただきました」  サヴェルガ神官長は、薄い金属片をディーに手渡した。ロッカデールで渡されたものと同じ薄さと大きさだが、色は青く、中には水の紋章が描かれている。 「ありがとうございます」  ディーはそれを受け取り、服の内側の袋に収めた。 「それと、簡易家もお渡しいたします。野営の時に、きっと役に立つでしょう」  布でできた簡易家は、使わない時には小さく折りたたむことができ、広げて組み立てると、屋根と壁を持った家のようになる。入り口部分を上にあげることで、中に出入りできるものだ。ここでも避難していた人々が神殿の庭で使っていた。 「ありがとうございます。助かります」  ディーは礼を述べ、差し出された赤い布の袋は、フレイとブルーが受け取った。 「フリューエィヴァルご兄妹さんにも、長らく足止めしてしまって、申し訳ありませんでした。明日こちらの車で、ロッカデールの国境まで送らせていただきますので。ロッカデール側では、あちらの神殿の方がお迎えに来られるそうです」 「ありがとうございます」  ローダガンとファリナも、深く頭を下げていた。 「本当にあなたたちには、何とお礼を言っていいかわからない。ありがとう」  翌日、神殿の車の後ろ座席に座ったローダガンは、再び一行に感謝のまなざしを向けた。 「もうお礼は良いって言ったじゃない。気をつけてね」  微笑んで言うリセラに目を向け、ローダガンはその手を握った。 「リセラ……いや……何でもない」  そして間をおいて、言葉を継ぐ。 「もし君たちの新しいミディアルが実現したら、いつか遊びに行きたい」 「ええ、来てね」  リセラは笑みを浮かべ、その手を軽く握り返していた。  兄妹を乗せた車が三頭の駆動生物に引かれて、走り去ってしまうと、ディーが一行を見て告げた。 「さあ、俺たちも出発するか。次はアンリールだ」 「フェイカンでの報酬は、簡易家と二千ヘナか。二十日以上かかった割りには、大したことないな」  アンリールとの国境の町、カルサへ向かう道中で、ブルーが首を振って言いだした。ヘナとは、フェイカンの通貨だ。 「まあ、仕方がないだろう。ここで俺たちがしたことと言えば、札配りだけだからな。その謝礼と考えれば、多いくらいだろう」ディーが苦笑いを浮かべ、言う。 「苦労して山登りして炎の花を取ってきたのは、神殿の依頼じゃないしね」  アンバーも小さく首をすくめ、 「でもローダガンもファリナちゃんを見つけ出せて、一緒に帰れたんだから、良かったわ。苦労したかいはあったと思う」  リセラはそう言い、しばらく黙ってから続けた。 「でもね……アーセタイルでもロッカデールでも……特にロッカデールでは、あたしたちが頑張って、国が救われたっていう嬉しさがあったけれど、ここではね」 「ダヴァルとビブドとランバ、この三つの街は見せしめになってしまったが、他の町の人間は、まあ救われたと言えるのかもしれないな。フェイカンの火山すべてが、爆発して滅ぶよりも」ディーも頷く。 「まあ、そうでもしなきゃ、懲りなかったろうし、ここの連中は。俺はこれで良かったと思う」  指示席に座ったフレイは振り返ることなく、きっぱりした口調で言った。 「ところでフレイ、おまえ、本当に帰らなくて良かったのか? せっかく好きだった子と会えたんだろ?」  ブルーが重ねて問いかける。 「おまえは、よっぽど俺を追い出したいようだな、ブルー」  フレイは振り返り、苦笑いに似た表情を浮かべた。 「ヴィムナと会えたことはうれしかったが、あいつの将来、俺の将来、それを今決めるには早いような気がするんだ。俺はまだしばらく、みんなといたい」 「じゃあ、早くフレイが故郷に帰れるように、あたしたちも新しいミディアルを早く見つけなければね。あ、早く追い出したいわけじゃないわよ」リセラが笑って応じ、 「そうね」と、レイニとロージアも笑顔を浮かべて頷きあう。 「次はアンリールかあ」  ブルーは前を見たまま、大きくため息をついていた。 「帰りたくねえな。おまえもそんなことを言っていたが、フレイ。俺の場合、深刻さが違うぞ。俺はあそこじゃ、元罪人だからな」 「アンリールの神殿からは何も依頼されなかったようだし、通過許可だけもらったから、用がなければさっさと通り抜けて、次へ行こう」  ディーは再び苦笑いを浮かべて青髪の若者を見、 「そうね。抜けるだけなら一シャーランもかからないでしょうから」と、ロージアも頷く。 「アンリールから、どこへ行くかだね。陸地続きでセレイアフォロスへ行くか、船でエウリスに渡るか」  ブランはアーセタイルで買っていた地図の本に手をかざし、首を傾げた。 「それはアンリールに入ってから、決めましょうよ」リセラは提案する。 「仕事を探すなら、それにどこにも属していない島を探すなら海へ出て、エウリスへ渡った方が早いが、どうなるかな」  ディーは空を見上げ、言葉を継いだ。 「アンリールに行けば、たぶん、次の道は開かれるのだろう。そんな気がする。さっさと通ろうとは言ったが、素直に通り抜けられるかどうか、だな」 「悪い予感はやめてくれよぉ、ディー」  アンバーが抗議するように声を上げた。 「いや、悪い予感じゃないから、心配しなくていい」ディーは微かに笑った。 「だが、良いかどうかも、よくわからない。はっきりしないんだ。だから、それほどたいしたことではないと思う」 「だといいわね」  リセラはちょっと首をすくめて苦笑し、みなも顔を見合わせていた。  空は相変わらず赤っぽい色で、地面も赤茶けた、いつものフェイカンの風景だ。風は乾いていて熱く、道は埃っぽい。しかしあちこちに見える火山から、今噴煙は上がっていないようだった。その中を、三頭の駆動生物たちに導かれて、車は進んでいった。アンリールとの国境の町、カルサへと。                     ★フェイカン編 終★