光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness 第三部:岩と山の国ロッカデール 朝が来た。ミレア王女とリセラ、サンディが怪鳥に連れ去られた後、一行の眠りは落ち着かなかったが、夜の間は手立てがなかった。リセラが発射した警報に気づいて外に出た時には、もう三人をつかんだ鳥は、小さなシルエットになっていた。ディーはパルーセを打とうとしたが、その射程距離をわずかに超えてしまったことを見て取り、追いかけようとしたアンバーを押しとどめた。 「朝になったら、追いかけよう」 一行のリーダーはそう語り、他のメンバーたちも、それしかないことを認めざるを得なかった。三人を欠いて、八人になった一行は夜が明けると起きだし、出発した。アーセタイルとロッカデールの国境の町、パラテはすぐ近くだった。 「なんだか心配で、よく眠れなかったな」  フレイがあくびをしながら言い、空を見上げた後、リーダーを見た。 「でもさ、ディー。夜の間にも、リルたちは結構運ばれていったんじゃないか?」 「そうかもしれないな」  言われた方は、前方を見ながらあいまいに頷いた。 「まさかリルたち、あいつのエサにされたりはしないだろうね」  アンバーはかなり心配そうだ。 「エサではないだろう。レラを他の生物から吸収する種類がいたとしても、ロッカデールに生息する生き物なら、土のレラだ。あの三人じゃ……」 「ミレア王女がほんの少し、くらいしかないな」  ディーが言いかけた言葉をブルーが引き取るように、ぼそっと呟いた。 「サンディは、見た目は土だけれど、本当は違うからね」  ブランが首を振り、日よけ眼鏡越しに空を見上げる。 「でも、どうやって探したらいいのかしら」  レイニは不安そうに、行く手の山々を見やった。ロッカデールの国境が近くなり、パラテの向こうに広がる山々の、小高いシルエットが大きく見えてくる。 「あなたには何か考えがあるの、ディー?」  ロージアが指示席から振り返ってきく。 「いや……」ディーは視線を空に向け、それから行く手の山を見ると、首を振った。 「特に何かの当てがあるわけじゃない。だが、心配しなくても大丈夫だ。いずれ会える、そんな気もしているんだ」 「悪い予感じゃなくて、よかった。ディーのは当たるからなぁ」  アンバーがそう声を上げ、 「良い予感も当たってくれたらいいがな」と、ブルーがぼそっと言う。 「それがエフィオンの力なら、そう心配はしなくてもいいのかもしれないわね」  エフィオンとは、知られざる知識を知る技だ。ロージアはほっとしたような口調になり、目の前を行く二頭の駆動生物、ポルとナガに目をやった。二頭は相変わらず黙々と、道を走り続けている。 「この子たちとも、パラテでお別れね」  その声には、少し名残惜しさが混じっているようだった。 「そうだね。交換になると言っていたからね、ロッカデールの駆動生物と。とはいっても、我々の中にあそこの出身者はいないし、土のエレメントが共通なら、やっぱりロージアかペブルに指示してもらうのだろうけれどね」  ブランは少し考えるような表情で、二人を見やった。 「ロッカデールに行ったら、おいらが指示席に座ってもいいな。土の神殿からもらったこの車なら、おいらでも座れそうだから」と、ペブルが言いだした。 「そうね。ペブルの方が、出身地が少しロッカデールに近いのだし……関係はないのかもしれないけれど、少し交代してもいいわね」  ロージアは微かに笑みを浮かべた。  やがて一行は国境の町パラテに着き、アーセタイルの神殿からもらった通行証を見せて、ロッカデールに入国した。 「これによると総勢十一人、女五人に男六人となっているが、三人足りなくないか?」  ロッカデール側の門番の一人が、一行と渡された許可証を見比べながら、問いかけてきた。 「ああ。三人は昨日、この近くで野営している時に、大きな鳥にさらわれたんだ」  ディーの説明に、相手はこちらをまじまじと見、通行証を返してきた。 「アーセタイル側にも出たのか。まあ、パラテの近くなら、それほど入ってはいないが……困ったものだな」 「あの鳥に心当たりがあるのか?」 「あまり名誉な話じゃないし、よそ者のあんたたちに話したいことでもないが……」  相手は一行を再びじろじろ見ながら、しばらく考えているようだった。 「まあしかし、あんたたちはアーセタイル神殿のお墨付きだし、あんたたちも仲間がさらわれたのなら……しかたないな。それはたぶん、ヴァルカ団の仕業だ」 「ヴァルカ団?」 「そう。頭領の名前を取って、そう呼ばれている。ここ二、三節の間、ロッカデールに出没している、人さらい集団だ。奴らは怪鳥エンダを使って、人をさらう。主に小さい、といっても子供じゃないくらいの子を。そして他の国に、奴隷として売るんだ。ミディアルが滅ぶまでは、あそこが主な取引先らしかったが、今はフェイカンかマディットだな」 「なんだって?」ディーをはじめ、数人が声を上げた。 「まあ、我々としても手をこまねいて、放っておいているわけじゃない。あいつらの拠点を探しているんだが、時々変えるらしくて、なかなか捕まえられないんだ。それに奴らは夜にさらうが――昼間じゃ見ているやつが多くて騒ぎになるだろうし、中には攻撃技を持っているやつもい合わせて、邪魔される危険があるからだろうな――最近じゃみんな用心して、若い子を夜に出歩かせないようにしているから、ここ二シャーランくらい、鳴りを潜めていたんだ。それだから、国境を越えて獲物を探しに行ったのかもしれないが」  門番は困惑したような顔をした。 「まあ、運が悪かったな。あいつらを捕まえることができれば、あんたたちの仲間の行方も分かるだろうが」 「そいつらの手掛かりはないのかよ」フレイが焦れたように声を上げた。 「わかっていることは、一味の頭領はヴァルカといって、元鉱山をやっていたが、上手くいかなくなって逃げた、四十代の男だということだ。身体はがっしりしていて、力も強い。奴は怪鳥エンダを飼いならしていて、手先に使う。そいつに従う仲間が、十人くらいいる。前節には、カリオラ山を中心とする山々の一帯のどこかを拠点としていたようだ。ただ、そこからアーセタイルの国境までは少し距離があるから、今はまた、もう少し南寄りに拠点を変えた可能性がある。そのくらいしか、わかっていない」 「そうか……礼を言う」ディーは相手を見ながら、少しだけ頭を下げた 「ああ、それとロッカデールでは、サガディは使えない。それはアーセタイル側のサガディ屋に預けて、引換証をもらってくれ。それを、こっち側のカラムナ屋に渡して、同じような条件の奴と引き換えるんだ」 「わかった」  一行は頷き、言われたとおりにした。ロージアは二頭のサガディたちと別れる時、「今までありがとうね」と、そのたてがみをなでた。それに対し、二頭は軽く鼻を鳴らし、鼻先を摺り寄せて答えた。他の面々も同じようにした。土のエレメントを持たない者たちの言葉や気持ちは、サガディたちにはわからなかったようだが、アーセタイルへ来てから二節近く、旅の仲間だった彼らだ。  引き換え証をもらって受け取ったロッカデールの駆動生物カラムナは、大きさはサガディと変わらないが、色は茶色がかった灰色で、たてがみも灰色、目つきは若干鋭い。一行は二頭のカラムナを車につなぎ、ロッカデール側の道を進みだした。この国の道はアーセタイルと違い、硬い石でできているような感じだ。 「カリオラ山というのは、ロッカデールの首都カミラフの南側にあるんだね。ここからだと、二日はかかるよ」  ブランはパラテの店で買ったロッカデールの地図に手をかざし、読み取りながら言った。 「でも、もうそこにはいない可能性があるのでしょう? どこを探せばいいのかしら」  ロージアは小さく首を振った。 「盗賊団という奴は、ミディアルでもそうだったが、あまり街中にはいないものだと思う。最近までの潜伏先が山の中なら、今もどこかそんな場所だろう。特に大きな鳥を飼っていたんじゃ、町では目立つからな」  ディーは考えるように少し黙った後、地図を読んでいるブランに聞いた。 「とりあえず町へ行こう。そこで、これからのことを考えよう。ここから一番近い町はどこだ?」  白髪の小男は再び地図に手をかざし、答えた。 「エダルだね。ここからだいたい、三十キュービット離れている」 「じゃあ、とりあえずそこを目指そう」  リーダーの言葉に、一行は頷いた。離れてしまった仲間のことは気になるし、心配だが、今は彼女たちをさらった盗賊団の手掛かりを探していくしかない。そこへ行きつくまでには、いくつもの町を通るのだろう。  国境近くはかなり広い針葉樹の森が広がっていたが、ロッカデールに入ってから二カーロンほど走り続けると、緑がかなり少なくなったように思えた。赤茶けた土が広がり、ほとんど木のない、灰色の小山がところどころに見える。その中を、一行は進んでいった。  夜は暗く、月も出ていない。リセラに抱きかかえられ、ゆっくりと落ちたサンディは、鋭い木の梢に身体が引っ掛かるのを感じた。同時に片手をつないだミレア王女も、梢に引っかかったようだ。「痛い」と、彼女は弱々しい声を上げている。 「どうしたの?」  リセラは二人が木に引っ掛かって軽くなった分、浮遊力を取り戻したようで、ふわりと浮かんで二人と同じ高さになりながら、心配げに問いかけていた。 「足が」ミレア王女は訴える。その方向を見たリセラは、近づいて手を触れ、鋭い木の梢が王女の足に突き刺さっているのに気づいた。 「あら、大変。待って。一人ずつ下ろすわね。まずはミレアから……ちょっと痛いけど我慢して」  リセラは王女を抱きかかえ、少しだけ上に引っ張り上げて枝から足を引き抜くと、木を迂回するように地面に降りた。同じようにもう一度飛び、今度はサンディを地面に下ろす。 「サンディは大丈夫だった?」 「ええ。擦り傷はできたけれど、大丈夫です」 「良かった」  ピンク髪の乙女は頷き、王女の方に屈みこんだ。サンディも王女の足を、触れてみた。暗くてあまりよく見えないが、足が少し腫れて熱を持っているようだ。液体の感触がした。血が出ているのだろう。 「ロージアがいてくれればねぇ」  リセラは天を仰いで嘆息した。土と風の力を持つ銀髪の彼女なら、土の治療技が使えるのだ。しかしリセラ自身が使える技は、ほとんどない。彼女は三つのエレメントの要素を持っているにもかかわらず色は抜けず、レラと呼ばれるエネルギーの減衰も起きなかったが、使える技もほとんどない。鍵を開けるセマナと本を読むリブレ――色抜けでエレメントの力を持たないブランにさえできるその技と、そして飛翔能力だけ。その飛翔能力も、翼の民ではない火のエレメントが混じったために、純粋な翼の民(風、光、闇の三エレメントを指す)のアンバーやディーほど強くはない。 「ブランでもいいわ。傷に効く薬を作ってくれたでしょうに」  ブランは色抜けでエレメントの力は持たないが、レラには影響のない素材を使って、いろいろな作用を持つ薬を調合するのが得意だ。 「ちょっと待ってて」  サンディは木に引っかかって破れた服のはじを引き裂き、その布で、王女の足を縛った。 「これで少しは血が止まるはず。本当はお水で傷を洗えたら、もっといいんだけれど」 「水は持ってきてないわねぇ。何もないわ。余裕がなかったもの。稀石も、ポプルも、お水も」  リセラは困ったように空を仰ぎ、ついで異世界から来た少女に目を向けた。 「でもサンディ、よく気がついたわね。それって、あなたの方の知識?」 「そうかもしれないです」  サンディは頷く。微かに心の奥で動いたものを感じた。 「とりあえず、今は夜で真っ暗だから、下手に動かない方がいいわ。ここで朝まで待ちましょう」リセラは二人を再び両手で抱くようにした。  サンディにも、異議はなかった。あたりは真っ暗で、ほとんど何も見えない。おまけにここは右も左もわからない、新しい国ロッカデールだ。再びあの鳥が襲ってこないかと少し心配だったが、頭上には木が茂っているので、根元にいれば、鳥は降下してこられないだろう――リセラもそう思ったようで、ミレア王女を真ん中にして抱きかかえなおすと、三人は木の幹に寄りかかり、朝を待った。そしていつしか三人とも眠ってしまっていた。    目覚めた時には、明るくなっていた。木の葉越しに、青い空と陽の光がちらちらと見える。木はアーセタイルでよく見た葉っぱの丸いものではなく、細くとがった葉が一面についていた。 「とりあえず、水のある所を探しましょう。ミレア、歩ける?」  リセラは立ち上がりながら、連れの王女を心配そうに見た。 「大丈夫。痛いけれど……」  ミレア王女は顔をしかめながら立ち上がり、痛めた方の足を少し引きずりながら歩き出した。陽の光の下で見ると、サンディが服を引き裂いて縛った薄茶色の布の上から、布地より少し濃い色合いの、薄茶色の液体がにじんでいる。  時間がたって、乾いたのかしら――サンディは、ふとそう思った。それならきっと、出血は止まったのだろうと。  どちらが森の出口なのか、周りには何があるのか、三人にはわからなかった。今、どこにいるのかさえ。鳥に運ばれて、ロッカデールの国境を超えたのは確認したから、たぶんその国にはいるのだろう。そして国境を越えてから落ちるまでの時間からして、まだ一行が後にしてきたアーセタイルから、それほど離れてはいない――そのくらいしか。  まだそれほど歩いていない頃、地面に一本の細い棒が落ちているのを、サンディは見つけた。拾い上げると、それは偶然落ちた木の枝ではなく、入念に細工されたものだとわかった。棒は何かで表面を磨いたようにすべすべしていて、片方には鋭くとがった石が、弦のようなものでしっかりと括りつけられている。もう一方の端には、ここで見た細い木の葉が束になって付けられていた。 「これは矢ね」リセラがそれを手に取り、棒の部分にすっと手を滑らせた。 「ミディアルにはあったわ。攻撃技を持たない人の武器」 「同じなんですね」そんな言葉が、サンディの口をついて出た。 「何と?」ミレア王女は不思議そうな顔をする。 「ああ……きっとあなたの世界にも、同じようなものがあったのね」  リセラが少し考えるように黙った後そう言い、サンディも漠然と頷いた。 「もしかしたらこの矢が、あたしたちを助けてくれたのかしら」  リセラはさらに考え込むように、そう言葉を継いだ。 「あの時矢が飛んできて、鳥が驚いてミレアを離したから、あたしたちここに落ちたんだもの。あのまま運ばれていたら、今頃どうなっていたかわからないわ」 「そうですね……」  サンディも漠然とした恐れのようなものを感じていた。ミレア王女も小さく震えている。    三人はその後、太陽がかなり高く上がるころまで、あてどなく森をさまよった。だが同じようにとがった葉っぱの木ばかりで、何も景色は変わらなかった。水も食料も持たない三人は、かなり疲労を感じていた。ミレア王女は足の痛みもあるようで、ついに座り込んでいた。 「がんばって」リセラは声をかけたが、少し思い直したように王女を見やった。 「いいわ。あなたは少し休んでいて。サンディもミレア一人だと心配だから、一緒にいて。あたしはこのあたりを見てくる」  彼女の声も、疲労の色が濃かった。 「でもあなたも一人じゃ、危ないわ。あまり遠くへ行かないで」  サンディは声を上げた。 「そうね。あまり遠くへは行かないわ。これ以上バラバラにはなりたくないものね」  リセラは二人を振り返った。 「そうだ、リセラ」行きかけた彼女に、サンディは再び呼びかけた。 「ここに戻ってくる目印を、何かつけたほうがいいわ」 「ああ、それはいいわね。とは言っても……」リセラは周りを見回した。 「何を目印にしたらいいかしら。あたし何も持っていないし、あなたたちもそうだし……ああ、そうだ」  彼女はさっき拾った武器を手に持ち、「ごめんね」と小さく声をかけながら、その鋭い先端部で、木の幹に傷を入れた。そうして彼女は歩いて行った。    リセラもかなりの疲労を覚えていた。飛行能力を使ってレラを消費したのに、補給するポプルはなく、水さえない。もう数十本くらいの木に目印の傷をつけながら、しかし本当にこの森は終わりがないように思えた。いや、ロッカデールにそんなに大きな森は、あったのだろうか。その国のことは何も知らないが――そのうちに木が少し途切れて、広場のような空間に出た。周りは相変わらず木ばかりだが、この一帯には青い下草が生えている。でも、泉はなさそうだった。  その時、別の方向から木を揺らせて、誰かが現れた。リセラはとっさに隠れようとしたが、疲れたあまり動作は遅くなり、相手が姿を現したときには、自分の姿を隠すことはできなくなっていた。  現れたのは、背の高い男性だった。まだそれほど年はいっていないだろうが、少年というほどではない。リセラは十九才だが、相手もせいぜい二つ三つしか年上ではないだろう――彼女はそう判断した。肩までかかった茶色の髪に、少し灰色がかった深い茶色の目をし、肌も少し茶色っぽかった。たぶん、純粋なこの国の民なのだろう。袖の短いこげ茶色の上着に、濃い灰色の膝下くらいまでの丈のズボン。手には、リセラたち一行が途中で拾ったのと同じような矢が二、三本握られ、もう一方の手には、それを発射するためのものだろう、半円形に曲げた木と糸のような武器を持っていた。  青年はリセラを見ると、驚いたように目をパチパチと瞬いた。 「おまえは、どこの人間だ……?」  そして彼女が手に持っている武器に目を止めると、さらに驚きの表情を浮かべた。 「それは……おれのものだ。どこで手に入れた?」 「……こんにちは」  リセラは弱々しい笑みを浮かべた。ピンクの髪に白い肌、濃い青灰色の目の彼女は、ここの人間から見ると、かなり異質に見えるだろうと思いながら。ミディアルで育っている彼女には、最初はそういうことがわからなかったが、アーセタイルで二節近く過ごすうちに、何となく理解するようになってきていた認識だ。殊にロッカデールでは、どちらかといえば牧歌的なアーセタイルと違って、異なる人種への偏見が強いと聞いたこともある。特に彼女は、一目見てわかるディルト(二つ以上のエレメントが混ざった人間)だ。それも、ここの人間とは全く異なるエレメントの。 「あたしはミディアルから来たの。他の十人の仲間たちと。でも昨夜、アーセタイルからロッカデールに入る前に野営していたら、鳥にさらわれて……いえ、さらわれたのは、あたしじゃないわ。仲間よ。その子を助けようとして、一緒に来たの。そうしたら矢のようなものが飛んできて、鳥はあたしたちを離したわ。それが、たぶんこれね」  彼女は持っていた武器に視線を落とした。そして目の前の若者を再び見た。彼が持っているものも。 「あなたが撃ったの?」 「ああ」若者は頷いた。 「昨夜空を見ていたら、あいつが飛んでいくのが見えた。それで、撃ったんだ。届かないとは思ったが」 「それならあたしたち、あなたにお礼を言わなければならないわね」  リセラは微かに笑い、持っていたものを相手に差し出した。若者は無言で受け取り、他のものと一緒にしてから、再び彼女を見た。 「仲間と言ったな。そいつらもディルトなのか?」 「まあ、そうね……」 「そうか」 「あなたもやっぱり、ディルトは嫌い?」 「いや……」相手は少し目をそらした。 「嫌いというわけじゃないが、初めて見たものだからな。驚いただけだ」 「それなら良かった」  リセラはほっとした笑みを浮かべたあと、思い切って言葉を継いだ。 「ねえ、あなた……ディルトが嫌いじゃなければ、お願い。もう少しあたしたちを助けてほしいの。少しお水がいただけるかしら。できたら、ポプルも……あたしたち、何も持ってなくて心苦しいんだけれど、もし仲間たちと合流できたら、きっとお礼はするから……」 「ああ……まあ、いいさ」  相手は笑みこそ浮かべなかったが、頷いた。 「ありがとう!」 「あんたの仲間たちはどこにいるんだ?」 「ここから、そんなに遠くないところにいるわ。二人とも疲れて、一人は怪我をしているから、休ませたんだけれど……迷わないように、その矢で木に印をつけてきたの」 「そうか……じゃあ、一緒に行こう。それで、おれの家まで来てくれたら、水とポプルをやる。傷に効く葉っぱもある。案内しろ」 「ありがとう……」リセラは再び礼を言い、相手を見て微かに笑った。  木の陰で待っていたサンディとミレアは、リセラと一緒にやってきた背の高い若者を、驚いたように見た。リセラは彼に会った経緯や、彼が矢を放って救ってくれたことなどを話した。二人はますます目を丸くして驚き、彼女たちもまた、お礼の言葉を口にした。 「いや、別におれは、おまえたちを助けようとしたわけじゃない」  相手は少し照れたように言い、横を向いた。そして再び二人に視線をやった。 「まあでも、あいつらが狙いそうな獲物だな、たしかに。小さい方は……減衰のひどいものか、さもなければ無色戻りの土だな。もう一人は……土の純血じゃないのか? 少し肌が白いようだが……」 「いえ、わたしは、見た目はそうですけれど、違います」  サンディは首を振り、自分はどうやら別の世界から来たことを簡単に話した。相手はますます驚いたように目を見開き、ついで手を伸ばして、サンディの手を取った。 「たしかにな……レラはない。しかし、『時の寺院』の話はちらりと聞いた程度で、よく知らなかった。異世界の奴なんて、ディルト以上に稀少だな」 「ディルトは、ミディアルでは珍しくないけれどね。むしろそれが標準で」  リセラが微かに苦笑いしながら首を振り、 「まあ、ミディアルはそうだろう。でもここはロッカデールだからな」と、相手は表情を変えずに頷く。そして彼はくるりと三人に背を向け、振り返った。 「おれの家まで案内する。小さい奴は、歩けるか?」 「なんとか……歩きます」  ミレア王女は気丈な様子で、頷いていた。しかし彼女のおぼつかなげな歩みを見ていた若者は、その前に立ち、背を向けて屈んだ。 「来い。おぶってやる」 「え?」王女は戸惑ったように声を上げた。 「そんなひょこひょこした歩き方じゃ、時間がかかる。遠慮はするな」 「あ……はい。ありがとうございます」  若者は立ち上がり、ミレアをおぶって歩き出した。リセラとサンディは感謝の目を彼に向けた。 「ありがとうございます。そういえば、あなたのお名前を聞いていませんでした」  サンディが言うと、相手は振り返ることなく、短く答えた。 「ローダガンだ」  名乗ったのは、それだけだった。ここでは姓も含め、みな最初は名前の全部を名乗るのだが。三人は顔を見合わせ、自分たちも最初の名前だけを名乗った。相手はそれで満足したようだった。 「長い名前を言っても、覚えきれないだろうからな」  ローダガンはちらっとリセラとサンディを振り返り、歩き続けた。やがて一行は小さな木でできた小屋の前に着いた。 「ここがおれの家だ。入ってくれ」  その小屋は小さいが、さっぱりと片付いていた。片隅に武器を作っているらしい作業場が見え、奥には寝棚がある。木のテーブルの上には何ものっていず、周りには木の切り株のような椅子が二つほどある。 「人数分の椅子はないな。あとは床にでも座ってくれ」  ローダガンは戸棚を開けて、水の瓶を三本取り出した。それをテーブルの上に置き、さらに同じ戸棚からいくつかのポプルを取り出す。三つの白と、一つの茶色。彼はそれもテーブルの上に置いた。リセラたち三人は感謝の言葉を述べたあと、水を飲み、ポプルを食べた。 「あんたのエレメントのポプルは、おれは持っていない。白で我慢してくれ」  ローダガンはリセラをちらっと見ながら、首を振った。 「ありがとう。わかっているわ。ここで光ポプルは、なかなか手に入らないのよね」  リセラは微かに笑い、白ポプルを食べた。光が補給されないと飛べないが、それは致し方ない。  ローダガンはミレア王女の傷も手当てしてくれた。布をほどき、傷口を濡らしている薄い茶色の液体を別の布で拭き取ると、戸棚の上の瓶に詰められた、少し灰色がかった緑の葉を取り出した。それを傷口に当て、新しい布を探してきて巻いた。 「この葉は、傷の腫れを押さえてくれる」 「ありがとうございます」  ミレア王女は小さな声で、しかし熱意がこもったような礼を口にした。  サンディは汚れた布を手に取った。さっきまで王女の足に巻いてあったものだが、そこにところどころ薄茶色の染みが残っている。血が乾いてこんな色になったのだろうとサンディは思っていたが、見たところまだ湿っているようだ。 「汚れた布は捨てよう。この箱に入れてくれ。あとで庭に埋める」  ローダガンは彼女を見やり、薄い木でできた箱を差し出した。サンディはその中に汚れた布を入れた。彼女の指に少し液体がついてきたが、それもやはり薄い茶色をしている。 「これは……血?」サンディは小さく呟いた。 「ほかになんだって言うんだ?」  ローダガンは少し不思議そうな顔をしていた。リセラやミレアも。 「血は……赤いものだと思っていたから」 「血が赤いのは、フェイカンの人だけじゃないの? 火の民の」  リセラは怪訝そうに言い、ついで何か思い当たったように手を打った。 「ああ、そうね。サンディとは世界が違うんだったわ。あたしたちの身体を流れる血は、エレメントの色なのよ。だからミレアの場合は、薄い茶色なの。ここの人たちだと……茶色?」 「アーセタイルは緑が多いがな。ロッカデールはほぼ茶色だ。灰色がかった奴もいるが」  ローダガンは頷いた。そして不思議そうな表情になって、リセラに問いかけている。 「あんたの場合は、何色なんだ?」 「あたし? 黄色にピンク交じりよ」  その答えに、彼は妙な表情をした。 「見たことがないな」息を吐くような声を出し、首を振る。そしてさらに不思議そうな表情になって、サンディを見た。 「さらに世界が違う奴もいる、と。あんたの血は赤いのか? フェイカンの奴みたいに」 「ええ」サンディは頷いた。ここに来てから、そういえば流血のケガはしたことはないが、たぶんそうだと。彼女は木に擦れた腕の擦り傷を見た。少しだけにじんだ血は、やはり赤い色をしていた。  ローダガンの家には奥の間があるようだったが、ドアは閉ざされていた。彼はここに一人暮らしなのか、他に家族はいるのか――そんな思いを彼も感じたのだろう。彼は床に座り、新しい矢をこしらえながら告げた。 「ここには今、おれ一人しか住んでいない」と。 「ほかのご家族は……?」リセラがためらいがちにそう聞いた。 「父は十年ほど前に、鉱山の事故で死んだ。母はそれから三年後に、病気で死んだ。たぶん父が死んで、いろいろ心労が重なったんだろう。それでレラが減衰して。それまでは、おれたちはタイガルの町に住んでいたが、母が死んだ翌年に、妹と、それからカラムナのダグと一緒に、ここに来たんだ。ここは昔、父が若いころ暮らしていたらしい。庭にはおあつらえ向きにポプルの木がある。白と茶色だ。近くには泉もある。だから特に仕事をせずとも、両親が残した金である程度暮らしていけるし、時々は木や石の細工をこしらえて、町へ売りに行ったりもしている。そうして妹と二人で暮らしていたんだが……」  矢の軸を滑らかに磨きながら、ローダガンの瞳は暗く燃え上がった。 「三節前に、妹はさらわれたんだ。あの忌々しい鳥――ヴァルカ団に」 「え?」三人は思わず、同時にそう声を上げた。 「そう。だいたい三節前の夜だ。妹は十五だった。家の庭には、珍しい花があった。フィエルの半ば過ぎからサランの初めくらいまでの季節に、夜にだけ、美しい白い花を咲かせるんだ。妹は、それを見るのが好きだった。その日も庭に出て、花を見ていた。そうしたら、いきなり悲鳴が聞こえたんだ」  ローダガンは目を閉じ、今もその声が聞こえるように一瞬黙った。 「外に出たら、大きな鳥が妹をつかんで飛んで行くのが見えた。みるみる小さくなって。助けを呼ぶ声も小さくなっていった」 「それで……あなたは妹さんを探して、外を見ていたの?」リセラが問いかけた。 「毎晩じゃないが。普段、あいつは高いところを飛んでいるから、矢を打っても当たらない。ただあの時には、下につかんでいる獲物が重かったようで、いつもより低いところを飛んでいた。だから、フィーダをかけて矢を打てば、近いところには行くかもしれない、そう思ったんだ」 「フィーダって?」  また聞きなれない技名に、サンディはミレア王女と顔を見合わせた。 「岩のレラの技の一つだ。自分の持っている力を強めてくれる。だから少し遠くまで矢を飛ばすことができる」 「そうなの。あたしも知らなかったわ。他のエレメントの技はそんなに詳しくないし、仲間たちに岩レラ持ちはいないから」リセラも首を傾げていた。 「あんたたちは、どうしてロッカデールに来たんだ? いや、あんたたち三人は鳥に連れ去られたんだろうが、もともとここを目指していたんだろう?」  問われて、主にリセラがアーセタイルからここに来た経緯を簡単に話した。相手はそれを聞くと、苦笑に近い笑いを浮かべた。 「アーセタイルの精霊に心配されるほど、ロッカデールは乱れが出ているんだな。たしかにそうかもしれない」 「それで、妹さんの行方は……?」  リセラは話を戻すべく、そう問いかけた。ローダガンは苦々しげな表情で首を振った。 「わからない。妹がさらわれた後、近くの町エダルへ出て色々調べた結果、どうやらヴァルカ団という盗賊集団にさらわれたこと。あいつらはしょっちゅう本拠を変えること、さらわれた人間はよその国に奴隷に売られているらしいこと。それくらいしかわからなかった。売られる先はミディアルが多いが、フェイカンやマディットに行く場合もある、と。妹がさらわれたのは、ミディアルが滅ぶ前だったから、そこへ行ったとしたら……」 「ミディアルで生き残った人たちは、マディットの神殿奴隷を一年やらされるって、ディーが言っていたものね。それは過酷だから、生き抜くのは大変だって」  リセラは心配げに、小さく首を振った。 「ディーって?」 「あたしたちの仲間で、リーダー。彼はマディット出身で、闇と光のディルトなのよ」 「それはまた……対照的な組み合わせのディルトだな」  ローダガンは驚いたようだった。  そういえば――ふとサンディは思った。彼の話し方は誰かに似ていると思ったが、ディーだ。それを口に出すと、リセラは「ああ、たしかにそうね」と笑い、ミレアも「本当!」と頷いている。 「会ったこともない奴と似ていると言われても、困るな」  ローダガンは微かに困惑したように顔をしかめ、そして言葉を継いだ。 「それで、あんたたちは、これからどうするんだ?」 「ほかのみんなと合流しなくちゃ。あたしたち、何も持っていないし」  リセラが声を上げ、サンディとミレアも頷いた。 「向こうも、あんたたちのことは探しているだろうしな。事情を話したとしたら、国境でヴァルカ団のことは聞いたかもしれない……」  ローダガンは頷き、しばらく考えるように黙った後、続けた。 「とりあえず、エダルの町へ行くか。あんたたちは道を知らないだろうから、案内してやる。向こうもたぶん、国境から首都に向かって進んだら、そこを通るはずだ。ただ、おれのカラムナは一匹しかいないし、車もないから、歩いていくしかない。十カ―ロンほどかかるが、いいか?」 「ええ、お願い!」  リセラ、サンディ、ミレアは同時に声を上げた。 「それじゃ、明日出発しよう。今出かけると、途中で日が暮れる。あんたらの仲間が先に行ってしまったようなら、そこから通信鳥を飛ばせばいい。それで連絡がつくだろう」 「ええ、ありがとう!」  リセラは感激のあまりだろう。思わず若者の両手をとり、近づいて声を上げた。相手は驚いたような表情になり、茶色味がかった肌の色が少し濃くなった。次の瞬間、身を引いて手を振り離した。 「感謝をしてくれるのはいいが、あまり近づくな。特にあんたは……ディルトだ。それも、土系のエレメントをまったく持たない奴だからな……」 「ごめんなさい……」 「あやまらなくてもいいが……それに、あんたが嫌いというわけでもない。それだからよけいに……困るんだ」  ローダガンは当惑したように首を振り、そして後は矢を作るのに集中しているようだった。リセラも同じように当惑した顔をして、サンディとミレアを見やった。二人の少女も、少し不思議そうな顔をしている。  今はっきりした時間はわからないが、おそらく昼の七、八カルくらいか――近くの町までは歩いて十カーロンかかるのなら、たしかに半分も行かないうちに夜になる。足を怪我している王女のためにも、明日出発は致し方ないことだが、仲間たちは今頃すでに、その町に着いているだろう。待っていてくれるか、そうでなくとも、いずれ連絡がつけば……家の窓から見える中庭に目をやりながら、サンディは漠然と考えていた。おそらくリセラやミレアもそうだろう。三人は顔を見合わせ、安どと不安の入り混じった笑みを交わした。    八人はそのころ、エダルの町に到着していた。国境の町パラテを出発して、石の道をずっと五カーロンほど車で走り、着いたその町は、アーセタイルやミディアルの町々と比べても、中規模くらいの大きさだ。  ここへ来る途中、一行は南へと移動するナンタムの群れを目にしていた。それはアーセタイルのものと違い体毛はベージュだが、姿格好はそっくりだ。赤茶けた地面に、薄茶色のふわふわしたボールのような生物がたくさん、ぴょんぴょんと跳ねながら、一行とは反対の方向に向かっていた。 「ここのナンタムは、同じ土だけれど、色は違うのね」  ロージアは車の窓からその光景を見、そんな感想を漏らしていた。 「ああ」ディーもその生物たちに目を向け、その動きを目で追っていたようだが、やがて行く手に目を向けた。 「ここでは、ナンタムの後にはついていけないな」 「アーセタイルでは、そうしたんだっけ。新しい土地へ行ったら、ナンタムの後について行けって、ディーが言っていて」  アンバーが思い出すように声を上げ、窓の外に目をやった。 「ついていったら、アーセタイルに戻っちまうだろう」  ブルーが相変わらずむっつりと言う。 「そこまで戻るかどうかはわからないけれどね。でも進路と反対なのは確かだ」  ブランもその生き物たちを目で追いながら、苦笑いを浮かべていた。    目的地に着いた一行は、まず宿屋を探した。三件のうち一番大きな宿舎に行くと、宿屋の主人は驚いたように一行を見たが、「ああ、部屋ならあるよ。金さえ払ってくれれば、大丈夫だ」と請け合ってくれた。パラテの町でアーセタイルの通貨をロッカデールのそれに替えてあったので、支払いには問題はなかった。車と駆動生物は、それぞれ専用の場所に収めてもらった。アーセタイルでは収納小屋に他の車や駆動生物もいたが、ここでは部屋ごとに個室のようになっていて、車も駆動生物も、その持ち主以外には入れないようになっている。 「これが車の、こっちがカラムナの小屋の鍵だ。鍵をかけたら、その上から誰かがセマナをかけてくれ」  宿の主人はディーに二枚の小さい銀色の板を渡した。 「二重にかけるのか?」ディーは少し驚いたように問い返した。 「ああ。あんたたちはこの国に来たのは初めてだろうから言っておこう。最近は、恥ずかしいことだが盗難が起こるんだ。まあ、あんたたちのカラムナはだいぶくたびれているようだが、車は立派だからな。アーセタイルの神殿マークがついている代物だ。万が一盗られても、私は責任を負えないんでね。どの客にも、そうしてもらっているんだ。それで、こっちが部屋の鍵だ。これもセマナを二重にかけてくれ。あんたたちが金を持ってるなら余計だ。まあ、あんたは強そうだから、正面切って盗られることはなさそうだが、寝ている間にやられたら厄介だからな」 「けっこう物騒なんだな、ロッカデールは」ブルーがぼそっと呟く。 「昔はこうではなかったんだがね」  宿屋の主人は少し困惑した表情を浮かべていた。  宿屋に車と駆動生物を預け、後者には水を飲ませて休ませてから、二重に鍵をかけた後、一行は町に出た。道は細かい石畳で、周りの建物も土を固めて焼いたものや、四角い形に切り出した石を積み上げ、間を練った土で埋めて作られているようだ。道を歩いていたり車で通ったりしている人々は、みな髪の毛は茶色、濃淡はあるものの、ほぼその色で、髪質も比較的まっすぐなようだ。肌の色はアーセタイルの住民たちよりやや茶色みが濃く、目の色も茶色か濃い灰色のようだ。彼らはみな、一行に目を向ける。驚いたような眼差しのもの、好奇の表情を向けてくるもの、それがだいたい半分くらい。あとの半分は嫌悪に近い目を向け、すぐに顔をそむける。 「アーセタイルより、たしかに居心地は良くなさそうだな」  フレイが苦笑いを浮かべ、そして言葉を継いでいた。 「まあ、フェイカンより少しマシだが」と。 「フェイカンは一番ひどいんじゃないか、ディルトの居心地は。そんな評判を聞くぜ」  ブルーが首を振り、赤髪の連れを見た。 「そうだろうな。よそ者は排除しろ、っていう意識が強いからな」  その国からやってきたフレイは、苦々しい表情で首を振る。 「どっちにしろ、同じ色ばかりの中に異質の色は、やっぱり目立つんだろうね。私には色はないが、逆にね」  ブランが周りの人々に目をやり、ついで仲間たちの方を向いた。 「この町でヴァルカ団の手掛かりを集めるには、難しいかもしれないね。よそ者は警戒するだろうし」 「サンディもいないしね」アンバーが呟く。  茶色い髪と茶色い目のその少女は、アーセタイルでも異質の色ではないので、人々の話を聞き出すのに役に立ってきたのだ。 「とりあえず、本屋を探して行くか」ディーがそう提案した。 「『出来事録」を調べよう。ヴァルカ団の誘拐がどのくらいの頻度で、どこで起こっているのかは知ることができる」 「そうだね」ブランも頷いた。  『出来事録』というのは、アーセタイルにもミディアルにもあったが、その日国に起こった出来事を載せているものだ。それを一節で一冊の割合で、まとめているものである。 「あと、あの鳥――エンダと言ったかな。それに関する情報も、本にあるかもしれない」  ブランはそう付け足した。一行は頷き、道行く人たちで、嫌悪の眼差しを向けてこない人々に問いかけ、ようやく本屋の場所を聞き出して、そこへ向かった。目指す本を買い終えると、読む場所を探す。本屋の主人に聞くと、「あんたたちが旅人なら、宿屋に帰って読むか、広場へ行ったらどうだ?」という返事だった。 「俺たち、広場に行っても大丈夫かい?」  フレイが少し懸念をにじませた声できくと、 「別にいいだろうさ。よそ者が入ってはいけないという掟はないからな」ということらしい。  一行は本屋の店主から一番近い広場の場所を聞き、そこへ向かった。レイニが持ってきた敷物を隅っこに広げて全員が座ると、ブランが熱心に本を読み始める。ページをめくり、手をかざし、リブレという技をかけて内容を認知していく。ところどころで彼は手を止め、同じく本屋から買ってきた白紙の薄い本と、手のひらに収まりそうな細い棒のような筆記具で、そこに何やら書いていく。それも文字ではなく、薄い色の模様のようだ。同時に国境の町で買ったロッカデールの地図にも、何やら書き込みをしている。その間、他のみなは道行く人を眺めたり、アンバーは例の組み合わせパズルのようなものをやっていたりしていた。  広場はどこの国の、どの町にもだいたいあるが、四方を道に囲まれた何もない空間だ。ミディアルでは許可を得て、一行はそこで興行をしていたこともある。だいたいにおいて、どこもにぎやかだった。露店が出ていることもあり、子供たちは遊び、大人たちはおしゃべりをしている。ロッカデールのこの町、エダルでも広場の向こう側で、二グループほどの子供たちが遊んでいた。でもにぎやかさは、今までにいた二つの国より少ないようだ。しゃべっている大人たちの数も半分くらいだった。誰もがみな、茶色い髪に茶色い肌のこの町で、異質の色はどこへ行っても人目を惹くらしい。どの人もどの子も、広場の片隅に座り込んでいる八人を、あるものは物珍しそうに、あるものは顔をしかめて見ていた。 「すごいな。いろんな色があるよ。赤に青に黄色に水色、銀色、黒。あんなの初めて見た」  子供の一人が言うのが聞こえ、 「ここの人間じゃないんだよ。近寄っちゃいけないんだぞ」と、別の誰かが言う。  そんな他の人々の声や眼差しにさらされつつも、これは仕方のないことなのだというあきらめの心境が、みなの心にはあるようだった。いろいろな人が雑多に暮らし、ディルトでも異なる色でも普通に受け入れてもらえたミディアルは、もうなくなってしまった。新たにその国を、移民や混血種が肩身の狭い思いをすることなく暮らせる新たなミディアルを作るという目標は、今はあくまで夢でしかない。当面は連れ去られてしまった三人の行方を捜し、さらにアーセタイル神殿から依頼された仕事をしに、ロッカデールの神殿を訪れる。それから先は、誰にもわからないことなのだ。  やがてブランが三冊目の『出来事録』を閉じ、顔を上げた。 「これによると、ヴァルカ団による誘拐事件らしいものは、最初は三節近く前の、フィエルの二一日に起こっている。犠牲者は十四歳の男の子。それから十日後に第二の事件が起きて、この時の犠牲者は十五歳の女の子だ。それから十四日後に第三の事件、これは十六歳の女の子。これはサランに入っているね。第三の事件を含めて、サランとポヴィレの節の間に、同じような誘拐事件が四件起きている。でも、ディエナに入ってからは、三日の日に一件だけだ。もう月も出ないから、それに用心して、人もあまり外へ出ないのだろうね」 「それで、リルたちが一昨日さらわれた。えーと?」  頭の中で数を数えようとしているフレイに、ブランが答える。 「彼女たちで八件目だよ」 「そうか……」フレイは納得したように頷いた。 「それでその子たちは、奴隷に売られているらしいんだよね、あの国境の門番の話では」  アンバーが首を振り、少し表情を曇らせた。 「心細いだろうな。いきなりさらわれて、見知らぬ国に売り飛ばされて」  フレイも同情に耐えないという顔で、頭を振っていた。 「そうだな。できたらみんな、親元に戻してやりたいが」  ディーも頭を振り、白い髪の小男に問いかけた。 「それで、ブラン、犠牲者のさらわれた場所というのは、どんな感じなんだ」 「この地図に印をつけたよ」  ブランは国境で買ってきた地図を差し出す。ディーはその上に手をかざし、読み取った。 「最初の二件は、南の方なんだな。ともにこの町の比較的近くだ。それから北へ向かって、五、六件ほど起きている。ディエナに入っての最後の一件は――まあ、リルやミレアたちは別とすればだが、少し南へ戻ってきている。最後はアーセタイルの国境を越えて、か」 「エンダという鳥の生態を調べればもう少し詳しくわかるかもしれないけれど、やっぱり拠点は移動しているようだね」  ブランは頷いていた。彼は積み上げた『出来事録』と隅に押しやり、別の本を広げる。しばしまた熱心な様子で読み取った後、ブランは再び顔を上げた。 「エンダという鳥は、ロッカデールに生息する鳥で、二種類いるらしい。昼行性で、レラを自分で補給できる普通種が多いが、たまに自分でレラを補給できない種が生まれる。これは夜行性だ。普通種は茶色で、大きさは人間の大人が両手を広げたくらい。岩場からレラを吸収している。夜行種はかなり黒みがかっていて、大きさもかなり大きく、ロッカデールに生息しているパオマという小動物を捕食して、レラを補給している。この夜行種は数が少なくて、起源はマディットから持ち込まれた鳥――あそこからの旅人がおともに連れていた鳥が普通種のエンダと交配してしまって、生まれたのが元らしい。生息地はどちらも、このあたり――エダルの町近くの山が南限で、首都カミラフ近郊の山が北限らしい。エサになるパオマという生物の生息地が、そのあたりらしいね」 「じゃあ、奴らの本拠もそのあたりと見てよさそうだな。事件もその範囲内で起きている。夜に活動しているのを見ると、夜行性の変異種だ。だがこれだけでは、範囲が広すぎる。一番手っ取り早いのは、夜空を見ていて、怪しい鳥が飛んでいったら追いかけることだが、それが自然の奴か、ヴァルカ団に飼いならされているやつかは区別がつかない。それにたぶん、あの速さに追いつけるのはアンバーくらいなものだが、夜だし、今はディエナだから月も出ていない」  ディーもその本に手をかざしながら、少し考えこむような表情をした。 「それはすごく厳しいなあ。僕は、夜目は全然だめだから」  アンバーは苦笑いして首を振っている。 「そうだね。それは難しいだろうと思う。でも手掛かりがあるとしたら、エンダは普通種にしろ変異種にしろ、少し高めの土地を好むから、山の中というのは、そう外れていないと思う。それと、夜行性のものは、飛べる範囲が拠点から約八十キュービット――そう書いてある」 「それなら、さらわれた地点から、八十キュービットの間にいるってことだな」  ブランの説明を受けて、フレイが首をひねり、考えるように言った。 「そうだね。今ならそれほど遠くに行っていないだろうし、その範囲だろう」 「それを、どうやって探すかだな」ディーは首を振りながら立ち上がった。 「とりあえず、ポプルと水を買って宿に帰るか。そこで考えよう。レイニとロージアは……湯屋に行くか?」 「うーん、入りたいけれどね……今はいいわ」  レイニは首を振り、ロージアの顔を見る。彼女もまた微かに苦い笑いを浮かべていた。 「リルたちは、きっと不自由しているでしょうから……わたしたちだけさっぱりするのも、少し気が引けるわ」 「いつまでもは無理だろうが……それなら今日はいいな。二、三日経ったら考えよう」  ディーもかすかに笑った。立ち上がり、敷物をたたみ、レイニはそれを大きな袋に入れた。ブランは本を取り上げ、首をひねる。 「鳥の図鑑は持っていきたいけれど、もう『出来事録』はいらないな。重たいし」 「かといって、置いていくわけにもいかないだろう」フレイは苦い顔をした。  そこに、一行の会話を聞いていたのだろうか、一人の子供がやってきた。 「ねえ、『出来事録」いらないのなら、ちょうだい」 「え?」八人は一様に驚いた表情を浮かべ、突然の来訪者を見た。  まだ十歳前後くらいの男の子だ。薄い茶色の肌に、もしゃもしゃに乱れた髪も茶色いが、三分の一くらい、オレンジが混ざっている。たぶん半分か四分の一かはわからないが、火のエレメントが入ってしまったディルトなのだろう。この子は子供たちの集団には入れず、一人で広場をうろうろしていたらしい。 「わたしたちはいらないから、あげてもいいけれど、何に使うの?」  ロージアが子供の方に屈みこみながら、いつもより優し気な口調で聞いた。 「父ちゃんに売ってもらうんだ。いくらかお金になるんだよ」  子供は手を差し出し、訴えるようなまなざしで見ている。 「じゃあ、どうぞ」  レイニはブランから本を受け取り、子供に差し出した。  子供は表情をぱっと輝かせ、「ありがとう!」と言うが早いか、本を重そうに抱えて広場から走り去っていった。 「なんだか……かわいそうね」  その後ろ姿を見送りながら、レイニがぽつりとつぶやいた。みなも一様に、同じ思いを感じたようだ。    一行は広場を出て、ポプルを売っている店を探した。それも、できれば他の色も扱っているような、大きな店がいい。「さっきの子に聞けばよかったな」とフレイがぼやいていたが、とりあえず苦労しながらも、彼らは目指す店を見つけ出した。 「他のエレメントのポプル? あったかな……」  店主は首をひねりながら奥へ行き、しばらくのちに瓶をいくつか抱えてきた。 「とりあえず、うちにあるのはこれだけだ。それ以上は取り寄せになるから、少し時間がかかるな。二シャーランほどは」  瓶の中には、色ごとにポプルが入っていた。黄色、銀色、灰色、水色、そしてピンク。それぞれ七つから十個ほど入っている。 「仕方がないわ。それを全部いただけるかしら。それと白ポプルと」 「白ならたくさんある。いくつ欲しいんだ?」 「百ほどあれば」 「わかった」店主は大きな袋に入れて、それを渡してくれた。  一行の会計係であるロージアは洋服の内側についた袋から代価を払い、ペブルが両手に下げて歩き出した。  と、その時、店の中で叫び声がした。 「ちょっと待って! それは私のよ! 泥棒!」  振り返ると、茶色の丈の長い服に身を包んだ、中年の太った女性が店の入り口に向かって声を上げていた。その視線の先に、ポプルのつまった袋を手に持って走っていく男が見える。  ロージアが右手を上げた。と、その手から緑の一条の弦のようなものが伸び、その男の足元に飛んでいった。それは、男の足をすくうように絡む。男はつんのめって転んだ。ディーとフレイ、ブルーが飛び出し、すかさず男を取り押さえた。 「あら、ありがとう。助かったわ!」  その中年女性は目をぱちぱちさせながらも、取り返してくれた一同に礼を言い、袋を大事そうに抱えて去って行った。  男の方はフレイに押さえられて、「頼むよ! 見逃してくれ! 娘が飢えて困ってるんだ!」と叫んでいた。身体はがっちりしているが、着ているものはかなり擦り切れている。茶色の髪の中に少し黒の混じった、三十代半ばくらいの男だった。 「ありがとうよ。治安兵に突き出すか?」  店主が一行を見、問いかける。 「ああ……まあ、やったことは良くないが……困っているようだな」  ディーは苦い笑いを浮かべて、男を見下ろした。その男は八人を物珍しそうに見ていたが、やがて一人の上に視線が止まった。 「ペブル! ペブルじゃないか!!」 「は?」  問いかけられた方はきょとんとして、男を見返した。しばらくじっと見ていたが、思い出したように声を上げる。「ああ、あんたは……おいらが鉱山で働いていた時に、一緒にいたっけな? 名前は忘れたけど」 「ダンバだよ。覚えてないか?」 「ああ……おいら、名前は覚えないからなあ、あまり。でも見たことはあるよ、あんたは」  自由になると、男はいきなり八人の前に床をついた。 「頼む、ペブル! それに仲間さん! 俺にポプルを買ってくれ! 白でいいんだ! 娘に食わせないと、娘が弱っちまうんだ」 「買えないのかい?」ペブルが不思議そうに聞く。 「買えていたら、人様のものに手をつけようとするものか! 金はないんだ。鉱山がつぶれてから仕事がなくてな。この辺りには、野生のポプルも生えてないんだ。頼む!」 「ああ……」ペブルは困惑したように仲間たちの顔を見た。 「いいだろう」ディーがため息を吐くように言い、店主に向き直った。 「こいつも困っているようだし、ポプルも持ち主に戻ったのだから、ここは見逃してやってくれないか。二回目にやったら、遠慮なく治安兵に引き渡してもいいが」 「ああ……まあ、うちに被害はないからいいけれどな。あんたたちも物好きだな」  店主はその男に目をやりながら、首を振った。 「じゃあ、追加で白ポプルを二十と茶色を五つくださいな」  ロージアは店主に向かい、代価を払うと、男に渡そうとした。 「ありがたい! 一生恩に着る!」  男が目を輝かせて手を伸ばそうとしたが、ディーは遮った。 「ちょっと待った。一つ条件がある。あんたは昔ペブルと一緒に鉱山で働いていたのなら、そのころの話を少し聞かせてくれないか」 「いいぜ、もちろんだ!」男は叫ぶように声を上げ、袋を受け取った。 「でも先に、家に行かせてくれ。あんたたちも一緒に来てくれていいぜ。まず娘にこれを食べさせてやりたいんだ」 「水はいいのか?」 「水はある。井戸があるんだ。あまり水の質は良くないが」 「それなら、まずあんたの家に行こう」    男の家は町のはずれの方にある、土でできた小さなものだった。庭も狭かったが、片隅に小さな井戸がある。木はなく、草さえまばらだった。男は井戸の中に桶を入れ、水を汲んだ。その水は少し濁っていた。 「本当に、水質はあまりよくなさそうだな」  ディーは微かに顔をしかめた。 「贅沢は言えないんだよ。これがあるだけでも、助かっているんだ」  男は首を振る。 「ナナンくんがいれば、この水もきれいにしてくれたでしょうにね」  桶の中の水を見ながら、レイニがそう呟いた。アーセタイルで出会ったその少年は、水の中から不純物を取り除く技が使えたのだ。 「ロッカデールに、ダヴィーラ使いはいないだろうね」  ブランは苦笑いを浮かべていた。 「ただ、装置があれば、きれいにはできるんだよ。ミディアルではそれを使って、天然の水からきれいな売り物の水を作っていたようだが、ロッカデールにはあるのかな」 「さあ、それは知らないが。売っている水はきれいだから、何らかの処理はしているんだろうな。さもなければ真っさらの澄んだ水が出るところがあるかだが。でもアーセタイルに比べて、ロッカデールは水がそれほど豊富じゃない。それに売っている水は、ただじゃないからな」  男は家の中に入り、桶の中の水を小さなコップに注いだ。それを飲み、もう一度注いで、奥へと入っていく。床は外と同じ土のままで、古びた鉄製の机と椅子が置いてあり、その奥には乾いた草を積み上げたような寝台があった。その上に、七、八歳くらいの女の子が寝ている。肌の色はうす茶色で、茶色の髪に少し黒と緑が混じり、目の色も少し緑がかった茶色だ。その目をうつろに開いて、天井を見ている。 「アマナ、ポプルだぞ!」  ダンバと名乗ったその男は、白ポプルをその娘に差し出す。少女は手を伸ばし、一心にそれをほおばる。二つ食べたあとで、少女の眼には生気が戻り、父親が組んできた水も飲んでから、ベッドの上に起き上がった。 「お父さんも食べて」  娘の言葉に、父親の方もポプルを二つほおばり、大きく息をついた。 「本当にありがとう。実は俺も倒れそうだった。あんたたちのおかげだ」 「いや、まあ、役に立てたならよかった。だが、俺たちも、いつまでもあんたたちの食料は買えない。何か生業の道を探した方がいいな」  ディーは男を見、微かに首を振った。「それともう一つ……約束だったな。聞かせてもらいたい。あんたはペブルと一緒に鉱山で働いていた。だいたいいつまでだ?」 「この町から北に三、四キュービッド離れた鉱山、名前もこの町と同じエダル鉱山で働いていたんだ。今年のザンディエの節まで」  男は椅子に腰を下ろしながら、口を開いた。 「あんたたちには座る場所がなくて申し訳ないが。床で構わないなら、座ってくれ」  一行は顔を見合わせたのち、レイニが再び敷物を床に広げ、八人が身を寄せ合って座った。狭い家の中では、あまり余裕はなかった。 「エダル鉱山では、鉄が取れるんだ。場所によっては銀も少し取れる。ペブルも二年半前までは、そこで働いていたっけな」 「ああ。そうだったよ。親方に連れられて」太った若者も頷く。 「あのころはいい時代だったな」  ダンバという男は、懐かしむような表情を浮かべた。 「俺はさ、おまえと同じで闇交じりなんだ。四分の一だけどな。俺の親父が岩と闇のディルトだった。俺は十年前に結婚した。女房はディルトだが、アーセタイルとロッカデールだから、同じ土同士だ」 「奥さんはどうしたんだい?」フレイがそこで口をはさんだ。 「フィエルの節に入ってから、アーセタイルの親戚を頼って働きに行ったよ。ここより働き口があるからと言ってな。時々金を送ってくれるんだが、ここ一節くらいは便りがないんだ。だから金も尽きちまって、何も買えなくなったわけさ」  男はため息をついた。 「なぜあんたは鉱山の仕事を辞めたんだ?」  ディーの問いに、ダンバは首を振り、再びため息をついて答えた。 「やめたんじゃない。鉱山の仕事自体がなくなったんだ。ザンディエの節の十五日で、閉山になったからな。もともと去年からだんだんとれなくなってきていたが、今年に入って本当に乏しくなって。ロッカデールじゃ、去年からあまり鉱物がとれなくなってきているんだ。レラが弱まったんだろうかね」 「そうかもしれないな。鉱物が減ってきているということは、岩のレラが減衰しているということだろうからな」ディーが重々しく頷き、 「鉱山はロッカデールの主要産業だから、とれなくなると厳しいかもしれないね。でもなぜレラが減衰したんだろう」と、ブランも微かに首をひねる 「そのあたりが、アーセタイルの精霊が言っていた懸念なのかもしれないな」  ディーは微かに頭を振り、男を見やった。 「それだからか、ロッカデールもだんだん治安が悪くなってきたんだ」  ダンバという男は訴えるようなまなざしになった。 「俺もそうだが、生きていくためには、多少悪いことをしないとやっていけないような奴が増えてきた。あんたはさっき俺に生業を探せと言ったが、そうしなかったと思うか? 鉱山と金属加工で、国民の八割がそれにかかわっている国で、鉱物が取れなくなってきたら、どうなると思う? 仕事なんか、ほとんどないんだよ。特に俺みたいなディルトは、純血の奴より後回しにされちまうんだ。娘だってそうだ。子供たちの遊び仲間には入れてもらえない。いつも一人で遊んでいるんだ」 「ああ……」  みなは小さく声を上げた。さっき広場で見かけたディルトの子供――仲間たちに入れてもらえず、一人でうろうろしていた、その子を思い浮かべているように。 「ディルトはディルト同士で遊んだらいいのに。僕らみたいに」  アンバーが小さくそう口にした。相手は少し驚いたように彼らを見つめた。 「まあ……あんたたちもディルト同士でくっついているんだし、その手はあったな。だが、放っておくとミディアルのように、みんな色抜けになりそうだな」 「あんたは鉱山出身なら、ヴァルカという男を知っているか?」  ディーがそこで問いかけた。 「ヴァルカか。今騒がせている奴だな」ダンバは少し顔をしかめた。 「困って悪事に手を染めるのはわからないでもないが、あれはいただけないな。盗るのはモノでないと。人はダメだ、絶対に」 「そのヴァルカ団に、俺たちの仲間がさらわれたんだ。それで今、その行方を追っているところなんだ」  ディーの説明に、ダンバは驚いたような表情をした。 「あんたたちそれだけ大勢いて、まだ仲間がいるのかい?」 「あと三人な」ブルーがそっけなく答える。 「そんなにいっぺんにさらったのか?」 「いや、たぶんさらわれたのは一人だが、助けようとして二人が巻き込まれたらしい」 「そうなのか……」男は考え込んでいるように、天井に視線を向けた。 「ヴァルカなら、少しは知っている。まあ、それほど親しいわけじゃないが、ペブルがミディアルへ行って二節くらいたったころ、エダル鉱山に別の組の親方としてやってきた。そいつらは半年ほどいたが、そのあともっと北の鉱山に移っていった。どこだかは知らない。ただヴァルカの出身地がタンダラの町で、鉱山もその近くだ、というのは聞いたことがある。俺が知っているのはそれだけだ」 「そうか。ありがとう」  一行は男の家をあとにし、宿に向かった。もうかなり日は傾いていた。もうすぐ夜になる。途上で水を買うと、町の目抜き通りを歩く。陽は徐々に落ちていき、薄曇りから、やがて真っ暗になった。今はディエナの節で、月も出ていない町には、家の窓から洩れる灯りが、唯一の明るさだ。夜になると町の通りも人が途絶え、途中で通った広場も人気はなく、静まり返っている。フレイが荷物の中からカドル(火の力を入れたランプ兼暖房装置)を取り出し、点けた。少し赤みを帯びた光があたりを照らす。その光と、家々の窓の明かりを頼りに、八人は宿屋へと急いだ。ダンバの家からの道のりは、思ったよりあった。  その時、一行の頭の上、かなり高いところを影がよぎって行った。ディーとブランが気付いて、空を見上げた。 「鳥が飛んでいる……」 「あいつだろうか? それとも野生のだろうか」 「それはわからないな。だが、もしあいつだとしたら……」  ディーは何事かを考えているように少し黙った後、頭を振った。 「ひとまず宿に帰ろう。だが、もしあれがあいつだとしたら……少し考えがある。危険かもしれないが」 「何?」ロージアが、みなを代表して問いかける。 「あいつは、元は野生のはずだ。通信鳥や攻撃鳥のように、人間の意のままに動かせるわけじゃない。たぶんエサになる小動物を与えて、命令を聞くように訓練させているはずだ。では、どんな命令を。というと、今までの例から見て、夜、他に誰も人がいない時に、若い人間が一人でいたら、もしくは同じような奴がせいぜい二、三人くらいだったら、一人つかんで連れてこい、と。では若い人間はどうして見分けさせるかというと、たぶん背格好だろう。そのくらいの対象物を作って、それをつかませる。状況をいろいろ変えて、先の条件に合った時にだけ実行させる。成功すればほめて褒賞を与え、失敗すると罰を与える。それを繰り返す。そうして、覚えこませているのだと思う」 「ええ。それは、たぶんそうなのかもしれないわね……」 「おとり作戦でも考えているのかい、ディー」  ブランがかすかに笑みを浮かべ、相手を見た。 「今はまだ夜になって間もないけれど、もう少し深まったら――今までの例でも、被害者たちは夜の四カルから六カルくらいにさらわれているからね。それで、背格好からすれば標的は私だね」 「一番近いのはな。茶色い布を頭に被る必要があるが」  ディーは苦笑いを浮かべて、小柄な白髪の男を見た。 「ただ、本当にさらわれるわけにはいかない。我々は空からは見えないように、木の陰にでも潜む必要があるが。誰か一人か二人。そして、もしうまくあいつがかかったら……」 「撃ち落とすのか?」  フレイの言葉に、ディーは首を振った。 「いや、殺したら、そこで終わりだ。生け捕りにする。明け方、離して帰らせる。そうすれば、仲間の元へ帰ろうとするだろう」 「それを僕が追いかけるのかい?」  アンバーは少し自信がなさそうな口調だった。 「可能な限りでいい。だから、離すのは明け方なんだ。光がある。だから追えるだろう。相手に見つからないように気をつけて、可能なところまで行って、地面には下りずに帰ってきてほしい。成功すれば、あいつらの基地がわかる」 「けっこうな賭けだなぁ、それは。それにさっきの鳥が、ただの野生の可能性だってあるしな」 「おまけに、もし本当だったら、かなり危険もあるんじゃないか?」  フレイとブルーは懐疑的な表情で、首をひねっていた。 「危険はあるだろうし、何も起こらない可能性も高いだろうな」  ディーも苦笑いを浮かべながら、頷く。 「でも、上手くいく可能性もあるのなら……」 「ええ。やってみる価値はあるのかもしれないわね。ブランとアンバー次第だけれど」  レイニとロージアは顔を見合わせ、思案しているようだった。 「そうだね。私は構わないよ、おとりになっても」ブランは頷き、 「追跡を失敗しても、怒らないでくれるなら」  アンバーは少し情けなそうに首をすくめる。 「それなら、見張りはわたしがやるわ。タランケとピルセクで攻撃する」  ロージアはそう申し出た。タランケは土の攻撃技で、ピルセクは先ほどポプル屋で見せた、緑の弦を伸ばす技だ。タランケで弱らせ、ピルセクを鳥の足に絡めれば、生け捕りは可能だ。 「俺も別の木の下から見ていよう。念のために」ディーは頷いた。 「でもあなたは、どうしようもない時だけにしてね、攻撃は。パルーセでも殺しちゃうから」ロージアはそう念を押す。 「おいらは、デカすぎて見つかるかな」ペブルは頭を掻き、 「俺も目立つかな」と、フレイも首を振る。 「その鼻がな」と、ブルーにからかわれ、 「うるせえ、髪の色がだよ」フレイは怒鳴り返す。 「まあ、気配を消して隠れるには、ロージアとディーは適任だね」  ブランは苦笑を浮かべて仲間たちを見ていた。  一行は宿屋に帰り着き、部屋でポプルと水の食事をとって、時を待った。  その夜、ブランとディー、ロージアの三人は泊まっている宿屋を出て、一番近い広場を目指した。 「あの鳥をおびき寄せるためには、町の外の方が都合は良いのだろうが、少し遠くなりすぎるだろうしな」  ディーは出立前、宿に残る五人に告げた。 「おまえたちは寝ていてくれ。うまく行ったら、明け方、ブランをここに寄越す。そうしたらアンバー、おまえは起きて、広場まで来てくれ。おまえが来たら、鳥を放す。町の連中が起きてくる前にな」 「わかった」みなは一斉に頷いた。  再び出た町の中は、真の暗闇に包まれていた。夜もまだ三カルくらいまでは、たまに外に出ている人もいるが、この時間には、たいていみな家の中で眠っている。町中に灯りはなく、家の窓も閉ざされて暗く、月もない空には小さな銀色の星明りだけだ。ディーとブランはこの暗さでも見ることができるが、ロージアには厳しいので、彼女は右手にカドルの灯りを下げていた。目的の広場に着くと、ブランは茶色の頭巾をかぶって、隅に近いところに敷物を敷いて座った。そしてカドルをその前に置いた。少し離れたところに、隠れるのに適した灌木と、一本の木がある。灌木の後ろに隠れれば、ちょうど上に茂った木の陰になって上空からも、横からも見えないはずだ。  三人がそこに待機して一カーロンほどが過ぎた頃、上空を飛びすぎていく鳥の影が見えた。しかし降りてくる気配はなかった。その後も、さらに二カーロンほど待機したが、あの鳥は現れなかった。 「今夜は、来ないようね」 「仕方がない。今夜はもう出ないだろう。帰るか」  ロージアとディーはそう言い交わし、ブランを呼び寄せて、夜の闇の中をカドルの灯りを頼りに、再び宿に帰った。部屋では、他の五人はみなぐっすりと寝ていたので、あえて起こすことはせず、空いた場所を見つけて眠った。   「昨夜は不発だったみたいだね」  朝起きたアンバーはディーたち三人が眠っているのを見つけて、ちょうど起きだしてきたブルーとフレイにそう声をかけた。 「そのようだな」二人も頷き、 「まあ、そうそううまく行くとは思っていなかったがな」と、ブルーが付け足す。  ペブルはまだ寝ていたが、レイニもその声で目が覚めたらしく、あたりを見回して、少し失望が入ったような微笑みをもらしていた。 「きっと彼らは夜、ほとんど寝ていなかったでしょうから、寝かせておいてあげましょうよ」  彼女の提案に、ブルー、フレイ、アンバーも頷き、寝ている人々を起こさないように、そっと部屋の反対側の隅へ移動した。そして水を少しだけ飲むと、膝を抱えて座り、壁に背中を持たせかけた。 「やることねえな」フレイがぽつりとつぶやき、 「まあ、仕事がない時は、いつもそうさ」と、ブルーが天井を見上げる。  アンバーはその間にも、いつもの装置を出してきて、操作していた。  そうして一カーロンほど過ぎた頃、フレイが声をかけた。 「ところでな、アンバー。常々不思議に思っていたんだが、それはどんな装置なんだ?」 「ポレオラスっていう……エウリスで売っている装置なんだ。秘密の手紙とか、あまり人に知られたくない通信とか、そういうのをやり取りするのに使うものなんだけれど、それのかなり複雑なものかな」  アンバーはその装置を膝の上において答えた後、その面を相手に見えるように向けた。 「この中に、二八九のマス目があるんだけれど、それの一つ一つに対して、パズルというか課題があるんだ。それが解けたら、その部分の文字が現れる。今僕は一七八個目を解いているから、半分以上は出ているんだけれど、全部解かないと、リブレでは読めないんだ」  縦横それぞれ十七マスのその盤面は、たしかに六割ほどは文字(ここでは地模様に見えるが)が浮かび上がっていた。残りの部分は、まだ銀白色のマス目で覆われているが。 「それが全部解けて、リブレで読めるようになると、あなたのお父さんが残した手紙になるわけね」レイニが優しい調子で問いかけ、 「そう」と、アンバーは頷いている。 「それって、操作に風エレメントを使うのか?」というブルーの問いには、 「ああ。でも、ほんの少しだけだよ」と答えていた。 「アンバーの父さんって、ユヴァリスへ帰ったわけだろ? 何か向こうに由々しい事態がある、とか言って。その理由がその手紙、ということはだ、それが解けたら、おまえはユヴァリスへ行くのか?」フレイがそう問いかけた。 「いや、みんなと別れて、行こうとは思っていないよ。僕だけが行っても、何もできないだろうし。ただ、父さんのメッセージが気になるから、読んでみようと思っているだけなんだ。それに、暇だしね」 「暇は、たしかだがな。だが俺は、ぼーっとしているのは慣れたな」  フレイは苦笑を浮かべていた。 「そういえば、アーセタイルの神官も言っていたわね。浄化の技をユヴァリスに頼もうとしたけれど、あちらは少し取り込んでいるようだと。結果的にディーができたんだけれど」  レイニは思い出すようにそう付け加えた。    時は静かに流れ、昼の六カーロンを過ぎて、ようやくおとり作戦に関わっていた三人が起き上がった。ついで、ペブルも起きだす。 「おまえは昨夜からぐうぐう寝ていたくせに、起きたのは、ほぼ徹夜組と同じかよ」と、フレイがあきれたように声をかけていたが、当の本人は悪びれた様子もなく、「ええ、そうなんかい?」と問い返すだけだ。 「まあ、別にすることもないだろうからな」  ディーが苦笑気味に首を振り、再び一行を見た。 「察しはついているだろうが、昨夜は、あいつは現れなかった。ただ、俺たちも一度で成功するとは思ってはいないから、多少の空振りは覚悟の上だ。今夜もう一度やるか、それとも一晩休みを置いて明日の晩やるか決めよう」 「今寝たから、今晩もう一度やってもいいわよ」  ロージアが頷き、ブランも同意する。  その日は夜まで、八人は宿の部屋から外に出ることはなく過ごした。    一方で、ローダガンに率いられたリセラ、サンディ、ミレアは夕方、エダルの町に着いた。ローダガンの家からは森や野原を抜けて、昼間のほぼすべての時間を費やしての旅だ。彼が飼っている駆動生物カラムナは一頭で、車は持っていないため、普段ローダガンはその背中に直接乗り、荷物も両側の袋にぶら下げて、その背中に乗せていた。しかし今回は四人なので、カラムナの背に荷物の袋とミレアを乗せ、『おれたちと一緒の速度でついてこい』と命じていた。それゆえ、普通に乗れば一カーロンで着ける道のりだが、歩く三人の速度に合わせているので、夜明けとともに出発した四人が、町に着いた時には日がとっぷりと暮れていた。 「夜になってしまったわね」  もう家の窓から洩れる灯りしか見えなくなった町の中で、リセラは途方に暮れたような声を出した。 「歩いていかなければならない時点で、こうなることはわかっていたがな」  ローダガンは表情を変えることなく、連れの三人を見やった。 「小さいのはともかく、あんたらは疲れているようだな」  一日中歩きとおしで、たしかにリセラもサンディも疲れ果てていた。ミレアは足を怪我しているので、『おまえはダグの背中に乗れ』と、ローダガンにカラムナの背に押し上げられ、その上で揺られていたが。『おまえはだいぶ薄そうだが、一応土のエレメント持ちだから、ダグも嫌がらないだろう』と。 「あなたはこの町では、どこに泊まっているの?」リセラは問いかけた。 「ねぐらにしているところがあるんだ。もうちょっと歩けるか?」 「大丈夫……あたしたちも泊めてくれるの?」 「ほかにどうしろというんだ? あんたたちは金も何も持っていないだろう。広場に寝るのか? またさらわれるぞ」 「ありがとう」リセラは若者に感謝の言葉とまなざしを向けた。サンディもミレアも、同じようにしている。 「いちいち礼はいい……」  ローダガンは少しきまり悪げな表情で、三人に背を向け、再び歩き出した。    夜の町を周辺に沿って半カーロンほど歩くと、民家の間を縫って、少しだけ空いた土地に小さな小屋が建っていた。ローダガンはその扉をセマナという開錠技で開け、駆動生物ごと中に入った。ミレアも降りて歩いていたので、三人はその後から続く。ローダガンは扉を閉め、施錠すると、荷物の中からカドルを取り出し、中央に置いた。ほのかな明るさが、そのあたりに広がった。その光で見ると、そこは地面の上に、乾いた草が一面に厚く敷いてあり、隅の方には木材や石も積んであった。彼は駆動生物がその小屋の隅に座るのを見届けると、水をやり、さらに荷物の中からポプルと水を取り出した。 「その乾いた草の上にでも座ってくれ」  ローダガンはそう促し、三人にそれぞれ白ポプルと水を渡すと、自分は木材の上に座り、食事にかかっていた。 「本当にありがとう。あなたにはすっかりお世話になってしまったわね。というと、いちいちお礼しなくてもいいって言われそうだけれど」  リセラはポプルをほおばりながら感謝の目を向け、 「本当に、あなたがいなければ、わたしたちどうしていいかわからないところでした」と、サンディも改めて若者に礼を述べた。  ミレアも「本当に、ありがとうございます」と、熱心に繰り返す。 「だから、礼はいいと言っただろう。あんたたちの仲間と合流できたら、もろもろ払ってもらえばいいからな」  ローダガンは相変わらずきまり悪そうな顔で、首を振った。  食事を終わると、彼は改めて問いかけてきた。 「とりあえず、エダルまでは来たが、あんたたちの仲間がここへ来たかどうかは、明日聞いてみないとわからないな。まあ、みなディルトならきっと目立つだろうから、来れば見た奴がいるだろうが。ただ、問題はどうやって連絡を取るかだな。あんたたちは仲間に連絡鳥を飛ばしたことはあるか?」 「……ないわね」リセラはしばらく考えたのち、首を振った。 「あたしたちは、普段一緒に行動をしているから。バラバラになったのは、ミディアルからアーセタイルに来る時だけね。でも、あの時には落ち合う場所を決めていたから、みんなでそこを目指して、なんとか合流できたのだけれど……」 「居場所がわかっているか、前に連絡鳥を飛ばしていなければ、それで連絡はできないな」  ローダガンは少し困惑した表情になった。 「まあ、いい。仲間が町に来ているかどうか確かめて、もし来ているなら宿屋を当ってみればいい。旅人なら、そこに泊まっているだろうからな。野営していなければだが。町にいなければ、もうどうしようもないが……」  彼は再び困惑した顔になったが、気を取り直したように言葉を継いだ。 「まあ、今考えても仕方がない。寝るか」 「そうね……でも、ここはどこなの? あなたが持っている小屋?」  リセラは問いかけた。 「いや、ここは、おれの母の兄が使っていた、駆動生物用の小屋だ。伯父一家は二年ほど前に別の町に移っていったが、伯父の家を買った奴が、駆動生物は持っていないから、小屋の方はいらないと言ってな。それで、おれたちは町の近くの森の中に住んでいたから、良かったら町に来る時はここを使うといいと、残していってくれた」 「そうなんですか」サンディとミレアも頷く。 「だから夜眠るために、草を集めてきているんだ。その上に寝てくれ。四人は少し狭いがな」 「ありがとう」  三人の少女たちは草を平らにならした後、その上に寄り添って眠った。少し厚みを持って積んである乾いた草は、敷物ほど柔らかではないし、少しチクチクするが、冷たい地面よりかなりましだ。昼間歩いてきた疲れもあって、やがてみなはぐっすりと眠りこんだ。    朝になり、起き上がって水を飲んだ四人は、駆動生物にも水をやった後、扉を開けて外に出た。 「さてと、今日はあんたたちの仲間探しをするか。もう出発していないといいがな」  ローダガンは小屋の扉を閉めながら、微かに首を振った。駆動生物は中に残したままだ。 「今日は町の中を探すだけだから、いいだろう。この町は端から端まで、一カーロンもあればつけるからな」と。  そうして彼は、道を歩き出した。リセラたち三人も、その後に続く、道行く人たちに、注意深く目を配りながら。通行人たちも、ローダガンやサンディ、ミレアはさほど異質に感じないらしいが、リセラに向ける目は明らかに違っていた。驚いたように見るもの、好奇心に満ちた眼差しを向けて来るもの、そして嫌悪の表情で顔をそむけるもの。中には、「おい、なんであんたたちは、そんな派手なディルトと一緒にいるんだ?」と、ローダガンたちに声をかけてくる男もいた。「成り行きだ」と、ローダガンが答えると、「早く離れた方が良いぞ」と忠告してくる。「用が済んだら、離れるさ。ところで、あんたは他に派手なディルトを見なかったか?」そう問い返すと、その男は、「いや、俺は見ていないな」と答える。 「まあ、とりあえず第二広場に行ってみるか」  しばらく歩いたのち、ローダガンが頭を振りながら、連れの三人に告げた。通り過ぎる人々に目を向ける以外、はぐれた仲間たちを探すすべを持たない三人の少女たちは、ただその後についていくしかなかった。  その広場では、子供たちの一団が二グループほど遊んでいて、立ち話をしている大人たちが、二、三組ほどいた。ローダガンは広場に入り、見まわした。そしてある木の下にいる子供に目を止めると、近づいていった。 「パオル、おまえにちょっと頼みたいことがあるんだが……」 「ローダガンにいちゃんだ」  その子は嬉しそうに見上げた。茶色の肌に濃い茶色の目、乱れた髪も濃い茶色だが、一部にオレンジが混じっている。 「この子もディルトなのね……」リセラは少年に目をやった。 「ああ、でもこの程度なら、おれの中では、ディルトという認識じゃないんだ。あんたみたいだと、さすがに意識するが。この子の、四分の三は岩だ。母方の祖父が火だったらしいがな。だから、おれはそう気にはならないし、厳密にはディルトには違いないのだろうが、半分以上は同じ人種じゃないかと思っている。でも少し火が混じったせいで、ほかの子供たちからは仲間外れにされているんだ。でも、こいつはかなりたくましい奴だ。一人で遊んでいながらも、周りの話をちゃんと聞いているし、見ている。だから、町の様子を聞いたり、人の話を耳にしたりするのを聞くのに、時々小遣いをやって使っているんだ」 「わあ、おねえちゃんはピンクだ」  パオルというその子は、リセラを見て声を上げた。 「こないだ見たディルトの人たちも、ピンクはいなかったなあ」 「ディルトを見た?」  四人は一斉にそう反復した。 「どんな人たちだったか教えて」  リセラがせき込むようにたずねる。 「たくさんいたよ」子供は答えた。 「青に赤に黄色、水色に銀色、黒。白もいたっけ。その白い人が本を読んでいて、その人たちが『出来事録』はいらないって言っていたから、ちょうだいって、もらったんだ。それを父ちゃんが売って、四十ロロになったんだよ」  ロロというのは、ここロッカデールの通貨単位だ。 「それは間違いなく、ディーたちだわ!」  リセラは両手を合わせ、再び声を上げた。 「その人たちがいたのは、いつ頃?」 「一昨日だよ」  子供はきょとんとしたような表情で答えている。 「それでローダガンにいちゃん、ぼくに用事って何?」 「いや、そのディルト集団のことを知っているか、見たことがあるか、それを聞こうと思ったんだ。見てないなら、少し町を回って調べてもらおうと思ったんだが、見ているならその必要はなさそうだ」 「なんだ」子供はがっかりしたような顔をした。  ローダガンは服のポケットから小銭をつかみだし、少年に渡した。子供の顔が、ぱっと輝いた。 「ありがとう!」 「いや、必要なことを教えてくれたからな、そのお礼だ。ついでに聞くが、昨日今日は、そのディルト集団は見かけたか?」 「ううん、それからは見てないよ」 「そうか。ありがとう」 「うん。また用があったら、いつでも来てね」  手を振る子供に頷くと、四人は広場をあとにした。   「昨日から見てないとなると、もう出発した可能性もあるが、まあ、一応宿屋を当ってみるか。出発したにせよ、一度はどこかに泊まっているだろう」  ローダガンは連れの三人を振り返った。少女たちも頷いた。それが一番、手がかりがつかめそうな気がした。そして町にある三件の宿屋を、順に訪ね歩いた。「ディルトの集団が泊まっているか?」とのローダガンの問いに、最初の二件の主は「いいや」と首を振っていたが、三件目では「ああ、今もまだ泊まっているよ」という答えだった。それを聞いた四人は、一斉に深い安堵のため息をついた。 「良かった〜」  リセラはそう声を上げると、その場に座り込んだくらいだった。サンディとミレアも顔を見合わせ、嬉しそうににっこりとする。ローダガンも、ほっとしたような表情だった。 「良かった。思ったより早く、仲間にたどり着けたな。もし出発した後だったら、おれはいつまであんたたちに付き合えるか、実は悩んでいた。かといって、放り出すのも気が咎めるしな」  宿屋の主人から教えてもらった部屋の扉を、リセラは叩いた。しばらくのち、中から扉を開けてくれたのは、レイニだった。水色の髪のその姿に、ローダガンも驚いたようだったが、それ以上にレイニには驚愕だったらしい。信じられないような表情で三人に目を向けると、叫んだ。 「リル! サンディ! ミレア!」 「レイニ〜! 良かった! 会いたかった〜!」  リセラも声を上げ、相手に抱きついている。 「どうしたの? いったい、どうしたの?! 無事だったの?!」  レイニはそれしか言葉がないようだ。  たちまち、部屋の他のみながドアに集まり、歓声と驚愕の声を上げていた。リセラはドアのところで、簡単にこれまでの経過を語り、ローダガンをみなに紹介した。みなは口々に彼に感謝の言葉を浴びせ、四人は部屋の中に入った。   「本当に、君には感謝する。ローダガンさん、と言ったか。正式な名前は?」  改めて全員が部屋の中に座ると、ディーがそう口火を切った。 「いや、まあ、名乗るほどのものじゃない。偶然の成り行きだ。それにさん付けはやめてほしい」  ローダガンは相変わらず少し照れたような、きまり悪げな顔で一行を見回した。 「本当に、聞きしに勝る、色とりどりなディルト集団だな……」 「ああ、まあ俺たちは、元はミディアルから来ているからな」  フレイの言葉に、ローダガンも「そうだったな。そう聞いた。なかなか想像できないが」と頷いている。そして彼は赤髪の若者を改めて見ると、「でも、あんたは純粋な火の民に見えるが。それに……」さらにブルーに目を向け、「そっちは水だろう、どう見ても」と、少し不思議そうな表情をしていた。 「まあ、そうだ。俺とブルーはディルトじゃない。だがまあ、事情があってそれぞれの国を離れているのさ」フレイは簡単に、そう答えていた。 「でも本当に、会えてよかった。もうとっくに次に出発しちゃったかと思っていたわ」  リセラが改めてそう声を上げると、 「いや、次に行くと言っても、何も手掛かりがなければ、仕方がないからな」  ディーは頷いて、ここ二日ほどの夜に試していた、おとり作戦のことを話した。 「なるほど……あんたたちなら、そういうこともできるんだな」  ローダガンは感心したように呟いている。 「でも、昨日も一昨日も不発で、今晩試してみてダメなら、次の手を考えないといけないかしらと思っていたところなの。あなたたちが見つかって、本当に良かったわ」  ロージアもほっとした様子を隠さずに、四人を見ていた。 「それなら……あんたたちは、もうヴァルカ団を追う理由はないんだな。仲間たちとは合流できたし。とりあえず、この三人の水とポプル代さえ払ってもらえれば、おれは帰る」  ローダガンは立ち上がって、ふっと息をついた。 「もちろんよ。それだけでなく、リルたちを助けてもらって、ここまで連れてきていただいたお礼はするわ。本当にありがとう」  一行の会計係であるロージアは、かなりの額を若者に手渡していた。 「こんなにいいのか?」 「ええ。本当にあなたのおかげで、助かったから。あなたも、妹さんが見つかるといいわね……」  ロージアはそこで、何かを気付いたようだった。同じように、他の仲間たちも。 「妹さんの行方は、たぶんヴァルカ団しか、わからないのだろうな」  ディーが首を振り、そして何かを考えているように宙をにらんだ。 「そうだ。ねえ……そのおとり作戦、今晩も実行してみてくれない?」  リセラがそこで、同じく気づいたように、みなを見回した。 「それだったら、わたしがおとりになってもいいです」  サンディもそう申し出る。 「ブランよりは適任かもしれないが、危険だぞ」  ディーは苦笑して、少女を見た。 「大丈夫です!」 「……あんたたちは、もう仲間は見つかったんだし、あいつらを追う理由はないだろう」  ローダガンは驚いたように一行を見た。 「まあそうだが、君には恩がある。君がヴァルカ団を追っているなら、俺たちもやりかけていたことでもあるし、少し協力してもいい。それだけだ」  ディーの言葉に、ローダガンは「しかし、そのお礼は、もうもらったしな……」と口ごもる。 「それはそれとして、取っておいて。わたしたちはどのみち、今日もその作戦をする予定だったのよ。そのために昼間寝ていたのだし。ただ、成功するかどうかはわからないし、もし失敗したとしたら……そうね。あと一日くらいは試してもいいけれど、それから先は……」ロージアはそこでディーの顔を見、彼が後の言葉を引き取った。 「そう。そろそろ本来の目的をしに、カミラフへ向かわなければならない。俺たちが協力できるのは、あと二晩くらいだ。もし不発だったら、その時には申し訳ない」 「いや……そんなことはない。あんたたちには感謝する」  ローダガンは半ば驚き、半ば感嘆したような表情で一行を見ていた。 「そうだ。アンバー、おまえに意向は聞いていなかったが、おまえも協力してくれるか?」  ディーが思い出したように黄色髪の若者にそう問いかけ、 「ここで断ったら、僕が恩知らずみたいだよ。それに不発だったら僕の出番はないから、今までも何もしていないしね」  アンバーは少し抗議するように頭を振る。 「じゃあ、大丈夫だな。うまく行くように願おう」  ディーの言葉に、一行はみな頷いていた。    夜が来た。その夜がかなり更けた頃、おとり役のサンディと見張り役のディーとロージアの三人は、第三広場へ出かけて行った。 「さあて、俺たちはやることはないから、寝ようぜ」というフレイの言葉を合図に、残った人々は部屋で寝た。ローダガンもその日は一行と行動を共にし、同じ部屋に泊まることになったので、片隅に横たわっていた。  一方、広場に着いた三人は、同じようにディーとロージアは灌木と木の陰に姿を隠し、サンディは広場の隅、二人から少し離れているが、離れすぎない距離に敷物を敷いて座った。前にカドルを置いて。サンディは、もともとここの民のように髪は茶色なので(皮膚はかなり白いが)、ブランがかぶっていた頭巾をかぶる必要はなかった。それで、ロージアがそれをつけた。彼女の銀色の髪がもし光ると、鳥に警戒を起こさせるかもしれない――そう思ったためでもある。  三人がそこに来て一カーロンほどが過ぎた頃、上空を黒い影が飛び去って行った。それからさらに半カーロン以上が過ぎてから、もう一度影が飛んできた。と、それは急降下してくる。  サンディは立ち上がって、上を見た。あの時の鳥だ。ミレア王女をつかんでいった――それがみるみる大きくなってくる。彼女は思わず屈みこみ、目を閉じた。鳥の足が触れると同時に、灌木の陰から緑色の光の玉のようなものが飛び出してきて、鳥に当たった。さらにしゅっと緑色の弦のようなものが素早く伸びてきて、鳥の足に絡む。鳥は鋭い鳴き声を上げて、地面に落ちた。 「やったぞ!」  ディーが声を上げて、灌木の茂みから飛び出してきた。ロージアもすかさず駆け寄り、手をすっと上にあげる。鳥の足に絡んだ緑の弦のようなものは、たちまち鳥の身体全体に巻き付き、もがくような動きも泣き声も封じるように、絡みついていく。さらに彼女は右手に銀色のレラを集めると、かけ声をかけて、それを鳥に投げつけるように触れた。鳥は動かなくなった。  改めて見ると、かなり大きな鳥だ。黒っぽい茶色で、羽を広げるとサンディの背丈よりはるかに大きい。が、今は目を閉じて、おとなしくなっている。 「死んじゃったんですか?……」サンディは目を丸くして聞いた。 「いいえ。マヒさせただけよ。ペナディムという風の技。わたしが風系で使える、唯一の技ね」ロージアは首を振り、鳥を見下ろしていた。そしてディーと二人がかりで灌木のところまで引きずり、木の下に横たえる。 「この技は二カーロンくらいしか効き目がないから。もう二回くらいかけなければならないわね」  ロージアはディーとともに、横たえた鳥の傍らに座った。彼女の手には、鳥の身体に巻き付いている緑の弦のようなものが握られている。 「あなたはもう、宿に帰って寝てもいいわよ、サンディ。一人だと危ないから、ディーに送っていってもらえば。わたしたちは昼間寝たけれど、あなたは眠いでしょう」 「大丈夫です。ここでも眠れますし」  サンディはそう答えた。ロージアは鳥にかけた術が解けるのを防ぐため、ここを離れられないが、宿屋に行って帰ってくるまでに、半カーロンはかかる。それが、少し心配でもあったからだ。もちろんロージアは攻撃技も持っているし、強いだろうが――サンディは木の幹に寄りかかって、座った。そしていつのまにか、眠っていた。    目が覚めた時には、あたりは微かに明るくなりかけていた。目の前にはまだあの鳥が横たわり、ロージアが手に緑の弦を握ったまま、その鳥を注視している。 「今、ディーはアンバーを起こしに行っているわ」  ロージアはサンディが目覚めたのを見て、小さな声でそうささやいた。 「もう少しで日が昇る。あと十ティルちょっとで、マヒも解けるわ」 「そうなんですか……」  サンディも鳥に目を注いだ。その閉じた瞼が、かすかにぴくぴくと動き始めている。翼の先も。 「離したら、襲ってくることはないですか……?」 「この鳥は、そこまで狂暴じゃないみたいね。ブランが調べたところによると」  ロージアがささやき返す。「でも、万が一ということもあるから、あなたはディーが戻ってきたら、彼の後ろに隠れなさい。その方が安全だわ」 「はい……」サンディは少し緊張を感じながら頷いた。  やがてディーが、アンバーを連れて戻ってきた。 「うわ、こうやって見ると、大きいなぁ」  アンバーはまだ少し眠そうな顔だったが、鳥を見ると驚いたような声を出していた。 「今はペナディムでマヒさせているけれど、そろそろ解けるころよ」  ロージアは頷くと、右手をかざした。鳥の身体を縛っていた緑の弦のようなものがシュルシュルとほどけ、手の中に回収されていくように戻っていく。それと同時に、全員が後ろへ下がり、木の向こう側に避難した。サンディはロージアに言われたとおり、ディーの真後ろに避難した。彼も片手を背中に回し、サンディの肩に触れる。  空がだんだんと紫色がかっていき、少しずつ明るさを増していく。まだ太陽は顔を出していないが。鳥はマヒが解けたようで、むっくりと起き上った。しばしその場に静止し、ついで激しく体を震わせた。そして一声泣き声を上げると翼を広げ、灌木の上を薙ぐように飛び出し、空高く上がっていく。その鳥のシルエットが小さな点になろうとする頃、アンバーがぽんと手を幹に叩くように触れ、翼を広げて飛び出した。 「アンバー、無理するなよ! 深追いはするな! 気をつけろ!」  ディーがその後ろから、そう声をかけた。 「わかってる!」  声が上から降ってくると同時に、その姿も小さくなっていった。 「アンバーさん、速い……」  サンディは思わず、小さくそう声を上げた。 「あの子は本気を出せば、単独でなら、あのくらいの速さで飛べるのよ。逆風が来なければ」ロージアはもう小さな点になった姿を見送りながら、付け加えた。 「同じ風でも、わたしはマヒ技しかないけれどね。あの子はわたしより四分の一、風エレメントは多いけれど。それに光も飛行能力があるから、減衰はしないし」 「まあ、いろいろな特性があるということだ。だから、いろいろ寄り集まって、普通の単独エレメント持ち集団には、できないこともできる」  ディーも空を見上げ、首を振って続けた。 「さあ、俺たちは宿に帰って寝るか。あとはアンバーの報告待ちだ」 「アンバーさん、追いかけて行って、ここに帰ってこられるんですか?」 「目印をつけていったから、大丈夫よ。そこの木に」  ロージアは、さっきアンバーが触れた木を指さした。そのあたりが、ほんのりと銀色に光っている。 「パラエという風の技ね。飛ぶ人以外役には立たないけれど、かなり離れても、その位置に戻ってこられるの。百キュービットくらいは。あの鳥は八十キュービットくらいしか飛行範囲がないらしいから、大丈夫なのよ」 「そうなんですか」  サンディは頷いた。この世界の技はいろいろありすぎて、覚えきれないと思いながら。  アンバーが宿に戻ってきたのは、それから三カーロン半ほど過ぎた頃だった。宿には普通に歩いて帰ってきたが、広場までは飛んできたらしく、「遊んでいる子供たちに、鳥人間だって騒がれた」と、ちょっと苦笑いをしながら、部屋に座り込んでいる。 「ロッカデールでは、飛ぶ人間なんて見たことがないからな。それは騒がれるだろう。町の門からは、歩いて帰ればいいだろうに」  ローダガンは首を振りながら、少しあきれたように、そう声を上げていた。 「無理なんだよ〜。パラエでつけた目印に戻るには、飛んでいないと」  アンバーは首を振り、そして続けた。 「すごく疲れた。お願い、風ポプルをちょうだい」 「はい。お疲れ様」  レイニがにこりと笑って、袋の中から銀色のポプルを三つ渡している。 「それで、どうだった?」  リセラがせき込むように聞いた。仮眠していたディーとロージアも起き上がっている。 「山の中腹くらいに入っていったところは確認した」  アンバーはポプルを食べながら、答えた。 「何という山だ? この近辺だと、三つくらいしかないが」  ローダガンが身を乗り出して聞いていた。 「地図は見ていないから、わからないよ。でも麓の木に印をつけたから、そこまでは行けるよ」 「……行くとしたら、早い方が良いな」  ディーはしばらく考えるように中空をにらんだ後、首を振った。 「あのエンダという鳥は、術で使うものではないから、何があったのかは飼い主にはわからないだろうが、いつも夜帰ってくる鳥が朝を過ぎて帰ってきたということを気にして、また拠点を変えようとするかもしれない。今は……もうじき昼の四カルだな。アンバー、あいつらの拠点があるかもしれない山まで、どのくらいの距離だ」 「僕の全速力で、一カーロンくらいかな。帰りはもっとゆっくり飛んできたけれど」 「おまえの全速力で一カーロンなら、あの車で行って、二カーロンと少しくらいか。今から行って、七カルくらいには着けるか」 「今から行くのかい?」 「もたもたしていると日が暮れるし、あいつらが拠点を変えてからでは遅い」 「わかった。でも、ちょっとだけ休ませて。まあ、エレメントは補給したけど、またあそこまで飛ぶのは、ちょっと疲れるよ」 「おまえには、そうだな。向こうへ着いたら、車の中でペブルやブランと一緒に休んでいろ。それに、出発準備までに二十ティルくらいはかかるだろうから、その間もな。あと、風ポプルをもう一つ持っていった方が良いな」  ディーが頷き、「そうしてくれると助かるな〜」と、アンバーは声を上げていた。  やがて一行は、ローダガンとともに宿を出発した。出かけるだけで、もしかしたら今日は夜遅くなるかもしれないが、まだ宿泊はすると、宿の主人に告げて。  ローダガンを含めた一行十二人は車に乗り、町の北門を目指した。鳥が逃げていった方角からして、そちらだろうと見当がついたこともあり、追跡していったアンバーもそれを確認したからだ。そして町を出ると、アンバーも翼を広げて、空へ飛び出していった。彼がつけた印――風の技パラエは、その印の所在を技のかけ手に教えてくれるが、飛んでいる状態でないと感知できないからだ。 「なんて指示を出したらいいんだろうな。名前を言って通じるかな」  駆動生物に指示を出す役のペブルは、ちょっと迷っているようだった。 「あの飛んでいる彼の後についていって、でいいのよ」と、ロージアが声をかける。 「はいよ」ペブルは頷き、同じ言葉を繰り返す。  そして車は駆動生物に引かれて、その後を走り出した。 「それにしても……飛んでいる人間を見たのは、初めてだな」  車に乗ったローダガンは少し驚いたような表情で、その後ろ姿に目をやり、 「ロッカデールでは、そうでしょうね。でも、あたしも飛べるのよ。あの子ほど早くも高くもないけれど」と、リセラが少しいたずらっぽく言う。 「そうなのか」ローダガンは再び驚いたような眼を、リセラに向けた。 「それで、目的地に着いたらどうするの?」  ロージアが一行のリーダーにそう問いかける。 「目的地がどこになるのか、今の段階ではわからないが……」  ディーは視線を宙に向け、しばらく考えるように黙った後、続けた。 「山の中に拠点があるとして、移動するには、まずいったん山を下りなければならない。そして夜の間に移動を終わらせなければならないから――昼間そんな大きな鳥を連れて街道を移動していたら、目立つからな。ところで、ローダガン。アーセタイルでは駆動生物は昼間しか走れなかったが、ロッカデールの駆動生物は、夜は走れるのか?」 「走れる。あまり得意ではないだろうが、カドルで道を照らしていけば可能だ」 「そうか。それなら移動には車を使うのだろうな。まあ、それでも、それほど遠くへは行けないだろう。七、八カーロンほどで移動できる山なり森なりがあるところで、拠点とそこを結ぶ道――山を下りるにも、やっぱり道を通るだろうから、地図と照らし合わせていけば、道筋を推測することが可能だろう。だから、まずは鳥が入っていったという山のふもとまで行き、具体的にどのあたりに鳥が下りて行ったのかをアンバーに教えてもらって、そこから道を割り出し、その途中で待ち伏せする。連中も、やはり動くのは夜だろうが――あの鳥は夜行性なら、昼間は寝ているだろうしな――まあ、荷車に乗せて運ぶ手もあるが、どのみち昼間は街道を通れないことを考えると、せいぜい動くのは夕方だろう。そしてうまく連中と遭遇できたら――捕まえる」 「そうなると、戦いになるのだろうなあ。でもペブルは留守番だし、ディーの攻撃じゃ強すぎて相手を殺すから――俺とロージアだけじゃ、心もとないぜ」  フレイが少し不安そうに、首をすくめる。 「俺もパルーセは無理だが、ダムルの威力を控えめにして、命中させないようにすれば、殺さないようにはできるだろう。けがはさせるだろうが」  ディーは微かに苦笑を浮かべた。 「おれも戦う。おれは、攻撃技はないが、弓は使える。フィーダをかけて打てば、少しは力になれるかもしれない」ローダガンがそう申し出た。 「そうか。だが、相手も攻撃技持ちがいるかもしれないし、その点は気をつけてくれ。それに下っ端はまあ、多少犠牲が出てもいいだろうが、親玉は殺してしまうと、さらった子たちの行方を喋らせることができなくなるから、できるだけ急所を外して、打ってくれ」 「わかった」    目的地までは、アンバーの全速力で一カーロン、この車の速度では二カーロンほどとディーが見積もっていたが、実際には二カーロン半以上かかった。空を飛ぶのは直線距離で行けるが、車は街道沿いにしか行けない。いや、草原は何とかなるが、アーセタイルでの思恨獣昇華の時のように、振動がひどくなるし、森の場合はどうにもならない。それゆえ、先導するアンバーの方も、できるだけ街道に沿って飛んだせいもある。アンバーが目印をつけた木にたどり着いた時には、太陽はもうかなり西南、西寄りに傾いていた。もう昼の八カルを過ぎた頃だろう。  一行の前には、それほどは高くない山があった。「だいたいあの場所に鳥が入っていった」と、アンバーがさしたところは、山の中ほど、少し西寄りのところだった。 「この山は、ウェトラ鉱山だ」ブランが地図を読みながらそう言い、 「そうだ。ここは裏側だが――向こう側に、鉱山への入り口があるはずだ。ただウェトラ鉱山は二節ほど前に、閉山されたが」ローダガンも頷く。 「ここもやっぱり鉱物が取れなくなったのか?」というディーの問いかけに、 「そうだ。ここは銅山なんだ。でも今年に入ってから、めっきり取れなくなったという話を聞いた。だから今は、誰もこの辺りには近づいていないと思う。山の裏側は、余計だ」と、ローダガンは頷いていた。 「この山は、向こうから鉱山入り口に伸びている広い道があるようだね。その街道を三十キュービットほど行くと、森がある。」  ブランは地図を熱心に読みながら、少し黙った後、言葉を続けた。 「こっちの裏側には、山頂へ向かう一本の道がある。でも、あまり広くはないようだ。人が二人並んでやっと通れるくらいの細さだろう」 「それでは、車は通れないな」ディーは考え込むように黙る。 「こっち側から鉱山への抜け道があるかもしれない」  ローダガンは思いついたように、そう言った。 「ああ、向こう側へ突き抜けてることは、たまにあるからなあ。おいらが働いていた時も、先へ進んでったら、いきなり向こう側へ出ちまって、びっくりしたことがあったからなあ」  ペブルも思い出したように声を上げる。 「もしそうなら――そうだな。その方が確実かもしれない。そのヴァルカという男が元鉱山で働いていたなら、たぶんここもその男が働いていたところなのかもしれない。そうすれば抜け道には詳しいだろうし、やぶだらけの細い山道を下りるより、坑道を通って鉱山入り口へ抜けた方が、道も広い。車も通れるだろう。もしかしたら、奴らの拠点自体が鉱山の中にあるのかもしれない。鳥はこちら側から出入りしているのかもしれないが、車の移動を考えても、それに人間と荷物を置くスペースを考えても、その可能性が高いだろう。それなら、やはり抜けるとしたら、向こう側だ。向こうの道には、ちょうどうってつけの距離に森があるしな。いったんそこへ逃げ込むかもしれない」 「とすると、向こう側へ回らなければならないのか? 裏をかかれることはないか?」  ディーの言葉を受けて、フレイがそう問いかける。 「いや、たぶん向こうへ行く可能性の方が高いだろう。俺の読みが間違っていて、こっちへ降りられたら、もう仕方がないが――ローダガンはどう思う?」 「おれも、あんたに同感だ。たぶん連中の拠点は、鉱山の中だろう。閉山された山には、普通人は入らないからな。だから向こうへ抜けるほうがありそうだと思う」 「それなら、急いで反対側へ回ろう。あと一カーロン以上かかるだろうが――アンバー、もう案内はいいぞ。よくやってくれた。あとは車の中で休んでくれ。それで、ペブル、カラムナたちに指示してくれ。できるだけ急いで、ウェトラ鉱山の入り口に向かってくれと。場合によっては、ぎりぎりかもしれないな」  ディーがそう指示を飛ばし、一行はそれに従った。  山のふもとに伸びている細い道を通って、反対側に回り込んだ頃には、もう日が沈みかけた頃だった。夕闇で徐々に暗くなり始めた中に、鉱山の入り口が見えた。山肌を切り崩すように、空いたトンネルの入り口から、山の中に向かって道が伸びているのが見える。その近くには、古くなった駆動生物の小屋や、丸い車輪のついた古びた大きな木の箱が、いくつも転がっていた。 「鉱山の道は、途中までは広いんだ。作業所に使っている、広い空間もところどころにある。おれの父親も鉱山で働いていた。十年前に落盤事故で死んだが、その前に何度か、おれも手伝いについていったこともあるんだ。あの中に掘り出した鉱物を入れ、いくつか連ねたら、カラムナを使って入り口まで引かせる。だから、中はかなり広いはずだ」  ローダガンは車輪のついた大きな箱を指さした。箱の両端には、植物の弦を使ったひもが輪のように結びつけられている。 「ああ、そうだよ。おいらも七年くらい働いていたから、覚えてる。ここもそういや、来たことがあるなあ。エダル鉱山に行く前に」  ペブルも入り口を見上げ、思い出したように頷いていた。 「中の構造は覚えているか?」というディーの問いかけには、 「もう忘れちまったなあ。中へ入ると、どこも似たようなもんだし。言われたところで掘るだけだし」と、首を振っていたが。 「そうか」ディーは頷き、あたりを見回した。鉱山の入り口を正面に見て、右側は古い小屋や道具が点在している広めのスペースになっているが、左側は少し入ったところに、木が少し茂っている地帯がある。 「あそこの後ろに車を止めて、様子を見よう。もうすぐ暗くなる」  一行は車を移動させ、半数は外を見張り、残った半分はその間に食事をした。食事を終えると、今度は見張りを交代し、最初の組が食事をとる。その後は、ただ待った。暗闇の中、極力音をたてないように、カドルの火も消して、木々の間から見える鉱山の入り口を見ていた。そうして、二カルほど過ぎた。  やがて遠くに、ポツンと小さな赤い点が現れた。それは坑道の入り口奥から、だんだんと近づいてくるようだった。息をひそめて見ていると、それは車の指示席から長く張り出した、カドルの光だということがわかった。その光に照らされて、二頭のカラムナが走っていた。彼らが引いているのは、木製の車。天蓋もなく、座席もない、ちょうど鉱山の入り口にあったような、運搬用の車だろう。それが二つ連なっている。最初の車には七人の男たちが乗り、後ろの車には荷物がたくさん積んであった。その上に、あのエンダという鳥が止まっている。 「ヴァルカ団だ――」ローダガンが絞り出すような声を漏らした。 「俺たちはヴァルカの人相風体を知らないが、あれがそうか?」ディーが確認する。 「ああ。間違いない。おれももちろん、直接は会ったことはないが、あいつは警備兵に手配されているんだ。人相書きは見ている。あの前の車に乗っている奴――真ん中で腕を組んでいる奴がそうだ。あの鳥もいるんだ。間違いない」  ヴァルカ団の車が坑道から外に出ると、怪鳥エンダは羽を広げ、空へ飛び出した。だが、車の上空を旋回するようにして、あまり離れずに飛んでいる。 「行くぞ! 街道に入る前に、ここで決着をつけよう!」  ディーがそう指示し、同時にローダガンが弓を引いた。指示席に座る男をめがけて。矢は男の腕に命中し、男は悲鳴を上げた。続いてフレイが小さな火の玉を、ポンポンと二発飛ばす。それは二頭のカラムナと車をつなぐ弦を焼き切った。駆動生物たちはしばらく走ったところで止まり、前進力を失った車は止まった。 「どうした!?」車の上から、大きな声が上がった。 「ペブル。ここから荷物の車をめがけてダムルを打て。ローダガン、フレイ、ロージア、相手の攻撃に気をつけて、行くぞ!」  ディーが声をかけ、同時に四人は走り出し、相手の前に立ちはだかった。 「なんだ、おまえらは!!」  荷車の上の男が立ち上がる、と同時に、後ろの車が爆発した。車から撃ったペブルの攻撃が当たったのだ。一番後ろにいた二人ほどが、地面に倒れた。 「ヴァルカ! よくも妹をさらったな! おれはずっとおまえを追っていたんだ!」  ローダガンが声を上げた。 「妹を――ファリナをどこに売った!?」  相手は返事をしなかった。驚いたようではあったが、すぐに怒りがとってかわったのだろう。男は荷車から飛び降り、怪我をしていない仲間たちも続く。手には鉱山で使う道具、硬い岩を砕くためのものが握られていた。それを振り上げ、襲いかかってくる。しかし、勝負はあっけなくついた。相手の男たちは、力はあったのだろうが、攻撃技は持っていないらしい。道具を振り上げたまま走ってくる男たちの一人の足を、ローダガンの矢が貫き、同時にロージアとフレイの攻撃が、別の男たちの同じく足に当たった。三人がつんのめって倒れ、さらにディーが勢いを弱めて打った黒い球が近くの地面にさく裂する。ヴァルカだけが一人突っ込んできたが、ローダガンはその攻撃をかわし、ヴァルカがつんのめったところを、ディーがその背中を素手で打った。それは攻撃技ではなかったが、充分に威力があったのだろう。ヴァルカは地面に膝をつき、武器を取り落した。  上空に、黒い影が差した。主人の危機を察したのか、茶色味がかった黒い鳥が突っ込んでくる。が、ディーの方が早かった。彼は右手を鋭く振り、そこから黒い矢が飛び出す。パルーセという技だ。その矢は鳥の胴体を貫き、怪鳥は一声鋭い悲鳴を上げて、地面に落ちた。その胴体には大きな穴が開き、一瞬で絶命したようだ。 「ヴァラ!!」ヴァルカが絶叫した。 「何をするんだ! よくも!!」  彼は立ちあがりかけた。と、ロージアが右手を上げると同時に、彼女の手から緑の弦のようなものが伸びていき、まるでそれ自体が一つの生き物のように、ヴァルカとその仲間たちに絡んだ。そしてまとめて縛り上げるように、その動きを封じた。 「おまえたちは何者なんだ!?」  緑の弦で動きを封じられたヴァルカは、驚愕と怖れの色を浮かべていた。 「おまえたちは警備兵ではないな! ここの国のものでもない。その若造以外は。何があって、おれたちの邪魔をする。それに、なぜ俺のヴァラを殺した!」 「その鳥に、俺たちの仲間がさらわれかけたんだ」  ディーは傍らに落ちた怪鳥の死骸に目をやった。 「だが幸い、ここにいるローダガンのおかげで助かった。話を聞いたら、彼も妹をさらわれ、おまえたちを追っているという。だから彼のために、おまえたちの居場所を探そうとした。それが成功したから、ここでこうして待ち伏せしていたんだ。おまえたちは用心して、今夜居場所を変えるだろうと思ってな」 「どうして俺たちの居場所がわかった? 今朝ヴァラが珍しく朝に帰ってきたのは、そのせいか?」 「そうだ。明け方まで捕獲しておいて、放したんだ。後をつけさせるために」 「どうやってだ? カラムナはそれほど速く走れない……」 「俺たちには、あいつの速さに追いつける仲間がいるんだ。同時に、朝まで鳥を生け捕りにしておける技を持った仲間もいる」  ディーは銀髪の女性に目をやり、ついでその緑の弦につながれた盗賊どもを見た。  ヴァルカは驚きの表情を浮かべた後、「ちっ」と小さく呟き、下を向いた。彼は思ったよりも小柄で、どちらかといえば痩せた男だった。ぼさぼさの茶色の髪が肩まで伸び、眉毛は太い。その下にある、焦げ茶色の目は小さく、さかんに瞬きをしていた。 「なぜヴァラを殺した……そいつは俺の友達だったのに」  ヴァルカは地面に目を落とし、ためらうように鳥の死骸を見て、再びそらした。 「そういう名前なのか、そいつは」ディーもその方向に目をやった。 「ああ。そいつはひな鳥のころ、巣から落ちていたのを俺が拾って育てたんだ」 「じゃあ、おまえを親と思っていたんだな。だからおまえが危ないと思って、攻撃に来たんだろう。なぜ殺したか、は単純だ。やらなければ、やられていたからだ。急所を外して生かすことはできただろうが、おまえたちを警備兵に引き渡したら、こいつの手当てをする者はいなくなる。それに人間に長い間飼われていたこいつに、傷を負いながら、野生に戻って生きていく力はないだろう。だから殺した」  ディーの言葉に、ヴァルカは下を向き、口の中で何かをぶつぶつ呟いた。呪詛の言葉のようだが、ディーは意に介していないようだ。鋭いまなざしで男を見つめ、言葉を継いだ。 「たしかに、こいつには罪はない。こいつには、自分のしている事の善悪は分からない。ただおまえを慕っていたから、おまえが喜ぶことをしただけだ。恥じるべきは、そうした何も知らない、善悪の区別のつかない生き物に命じて悪い行いをさせた、おまえだ。おまえはこの鳥を殺されて、憤った。愛するものを奪われたからだろうが、同じようにおまえたちは無慈悲に、何の罪のない少年少女をさらっていったんだ。彼ら彼女らから、その家族たちから愛するものを奪ったんだ」  ヴァルカは何も言わなかった。ただ地面に視線を落として、黙り込んでいる。 「ファリナをどこにやったんだ!」  ローダガンがたまりかねたように一歩踏み出し、そう声を上げた。 「そう。彼の妹も含めて、さらった七人の子供たちはどこに売った」  ディーも冷ややかな眼差しで、そう問いかける。 「……知らねえな」  ヴァルカは地面を見たまま、そう答えた。かたくなな暗い光が、その眼に見て取れた。 「ふざけるな!」  そう声を上げたローダガンを制し、ディーは目の前の男を見下ろした。 「言いたくないか。それなら、いい。……フレイ」 「なんだ?」 「車に行って、無事捕まえたから、ここに来てくれるように言ってくれ。ああ、ペブルとブランとアンバーは残ったままでいいが――用心のために、車に誰かは残しておいた方が良いからな――あとのみなに。特にレイニに頼むことがある」 「わかった」  フレイは駆け出し、まもなく他の仲間たちもやってきた。 「……おまえたちは、四人だけじゃないのか」  ヴァルカが驚いたように、小さく声を上げた。そしてミレアとサンディに目をやり、納得したようだった。 「なるほどな……仲間がさらわれというのは、そいつらのどちらかか……」 「そういうことだ。それで、おまえに言う気がないなら、こっちにも手がある。レイニ」  ディーは水色髪の女性を呼んだ。 「こいつにデルフェをかけてくれ」 「わかったわ」  レイニは頷くと、ヴァルカからほんの少しだけ離れたところにしゃがみ込み、相手を見た。その青い瞳が、ひたと相手を見据える。ヴァルカもいきなり目の前に、普段目にしたことのない色白水色髪の若いディルト女性が現れたので、驚いたのだろう。そちらに目をやっていた。彼はすぐにまた地面に視線を落とそうとしたようだが、目が合ったとたん、まるで視線に捕らえられたように動かなくなった。その眼は驚いたように見開かれ、茶色っぽい顔には汗が浮かんでいる。 「あなたは七人の少年少女をさらった。どこに売ったの?」  レイニは相手の目を見据えたまま、静かにそう問いかける。 「……俺は知らない」ヴァルカが目を見開いたまま、答えた。まるで強制的に言わされているかのような口調だった。 「仲介してくれる奴に、売っただけだから」 「その仲介者は誰? どこに住んでいるの?」 「ドンケナという男だ。ドンケナ・ピレウアケナという。タイガルの町にいる」 「ここからタイガルの町まで、どうやって人を運んだの。それとも、その男の方が拠点に来たの?」 「いや。縛って眠らせて、布袋に詰めて、タイガルまで荷車で運んでいったんだ。俺の仲間たちが二人で」 「どうやって眠らせたの?」 「仲間のダネクが眠り技を使える。タラナ――岩の技だ。あいつはあんたたちの最初の攻撃で吹っ飛ばされて気絶したから、戦えなかったがな」 「そう。それは私たちにとっては幸運だったわね」  レイニは相手を見据えたままにっこりと笑い、質問を続けた。 「あなたは他にも悪事をしている?」 「泥棒やかっぱらいは、やった。人さらいは金にはなるが、最近はみな用心しているので、それだけでは厳しいからな。俺は顔が知られているからダメだが、手下どもを街に送り込んで、泥棒はさせていた」 「あなたはなぜ、人さらいなんてやったの?」 「復讐してやりたかった」ヴァルカは絞り出すように答えた。 「俺は十の時、両親に売られた。俺には五人の兄妹がいて、男ばかり四人の、一番下だ。その下に妹がいる。父母は一番上の兄と、その妹ばかりをかわいがった。それで、別に困っていたわけでもないのに、真ん中の俺たち三人は、住み込みの鉱山夫として、バラバラに売られたんだ。十二年働くということで、十二年分の給金を両親は受け取った。きっとその金は、あいつらとお気に入りの二人に、良い服やきれいな道具を買ってやるのに使われたんだろう。俺たちが汗水たらして働いた金なのに。十二年の期限が過ぎても、俺が帰る家はなかった。だからそのまま鉱山で働き続けた。ところが最近、仕事がなくなった。鉱物が取れなくなり、あちこちの鉱山が閉山になったからだ。俺は数人の仲間とともに、山の中で暮らしていこうと思った。野生のポプルと水があるところならば、なんとか暮らせるからな。閉山になった山なら、なおのこと良い。雨の時には鉱山の中に入ってしのげる。だが、なかなか水とポプルの豊富なところはない。鉱山近辺はなおさらだ。それで時々町へ行って、水売りやポプル屋からくすねてきた。ヴァラは――あの鳥だが、まだ鉱山で働いていたころに拾ったんだ。ずっと俺と一緒だった。山に戻ってからも。あいつは時々エサを捕まえてくるが、俺も罠をかけたりして捕まえて、あいつにやっていた。あいつはある時、ポプルを取ってきた。袋ごとだ。街の誰かが買ったものか、荷車の積み荷だったのかもしれない。俺たちがそれを欲しがっているのが、わかったようだな。それで俺たちは褒めた。あいつはそれから、ポプルの袋を取ってくるようになった。そうして何節かたったころ、あいつは袋と一緒に、若い男の子を連れてきた。袋にくっついてきたらしい。盗られまいと、あいつの足に捕まったのだろう。俺たちはそいつの処置に困った。山に放そうかとも思ったが、途中でのたれ死ぬか、もし街に無事に戻れば、俺たちのことを訴え出るだろう。それで、俺はドンケナのことを思い出した。あいつは子供のころの俺を買った、仲介商人だ。鉱山が相次いで閉山になりだしてからは、他の国に人を売っていたから、こっそり売り飛ばしてもらえないかと。あいつはそういう後ろ暗い商売もやっていたからな。それが結構な稼ぎになった。それで、思ったんだ。そうだ、ぬくぬくしているガキどもにも、俺と同じ境遇を味わせてやる。それがこれだけの稼ぎになるのだから、言うことはないと。それでヴァラに、今度は年若い子を連れてこいと教え込んだ。そうして今に至っているのだが、俺がヴァラを飼っていたことは、昔の鉱山仲間は知っていたから、俺の仕業だと途中でばれた。だが、居場所さえつかまれなければ大丈夫、そう思っていたんだ」 「わかったわ。ありがとう」  レイニはにっこり笑い、視線を外して立ち上がった。同時にヴァルカははっとしたような、驚いたような顔になり、目をパチパチとさせていた。 「これはいったい……」  ローダガンは驚いたような顔で、レイニとヴァルカを交互に見た。 「デルフェ――氷の技だ。相手の心を操り、本当のことを話させる。彼女はミヴェルトもそうだが、この手の技が強いんだ」  ディーはレイニを見、ついでローダガンを見て説明していた。 「そうなのか……水や氷は、おれはよく知らないが……」  ローダガンは驚きが冷めやらない顔だ。 「とりあえず、知りたいことはわかったな。さらわれた子供たちの行方は、タイガルという町のドンケナという奴が知っているということだ。こいつの言い分には全く同意はできないが、苦労したことだけは認めてやる」  ディーはうなだれているヴァルカを見やった後、ブルーとフレイに「ちょっと手伝ってくれ」と声をかけて、三人で男たちのひっくり返った荷車の中を探し、太い綱を取り出した。きっとさらわれた若者たちを縛るために使っていたのだろうそれを、今度はその首謀者たちに結ぶ。七人全員をきつく縛り終わると、「ありがとう、もうピルセクを解いても大丈夫だ」とロージアに声をかけ、男たちを縛った綱を、木の幹に結んだ。さらにもう少し細いひもを探して取り出すと、男たち一人一人の手首と指に巻き付け、動かせないようにした。 「それでは、帰ろう。ここの駆動生物が夜も走れるなら、朝まで待たなくともいいだろう。エダルに戻って、警備兵たちにこいつらのことを報告して、あとは任せよう」  ディーは仲間たちを振り返って告げる。ヴァルカ団が使っていた、棒の先につけられたカドルをフレイが拾い上げ、紐を使って操作席に取り付けた。 「こいつらはここに放っておいていいのだろうか」  ローダガンは少し不安そうな面持ちで、縛られた男たちを眺めている。 「厳重に縛ったから、そう簡単には抜けられないだろう。万が一抜けて、逃げたとしても、もうあの鳥はいないし、仲介屋の男も捕まるだろうから、同じことは繰り返せないだろう」  ディーは男たちを見やり、そして鳥の死骸に視線を映した。それは少しずつ溶け始めていた。月のない、ディエナの節の夜は暗い。男たちのカドルも今、車に取り付けてしまったから、取り残された男たちを包むのは、暗闇だけだ。街の警備兵たちの詰め所は夜も開いているから、夜明けにはやってくるだろう。  一行はヴァルカ団の男たちをあとに残し、エダルの町に向かって戻っていった。カドルの光の中進むカラムナたちのスピードは、昼間より落ちているようだが、真夜中、夜の七カルを過ぎたころ、みなは再びエダルに帰り着いた。宿屋に車と駆動生物を入れた後、ディーとローダガンが連れ立って警備兵の詰め所に行き、起こったことを報告した。  夜が明けて、かなり日が高く上ったころ、二人の警備兵が宿を訪ねてきた。 「君たちの言ったとおり、ウェトラ鉱山の入り口で、ヴァルカとその一味が木につながれて、縛られているのを見つけた。あの鳥の残骸らしきものもあった。男たちはヴァルカ以外、みな怪我をしていたが、命に別状はない。捕縛に協力、感謝する」  警備兵の一人が、そう口を開いた。その表情や口調には、感謝と同時に、驚きと少しの悔しさもあるような感じだった。自分たちが苦労して追い回していた盗賊の一味を、よそから来たディルト(混血)の集団が、あっさり捕まえてしまったせいだろう。 「タイガルにも知らせをやって、さっき返事が来た。ドンケナという男を捕まえたらしい。君たちはヴァルカ団捕縛の貢献者だし、そっちの君は妹さんがさらわれたそうだから、当事者だ。妹さんの行方がわかったら、また報告に来る」 「よろしくお願いします」ローダガンは小さく目礼していた。  翌日の夕方近くになって、また二人がやってきた。 「君の妹さんを含め、さらわれた七人全員の行き先がわかった。ドンケナはすべての売買を、こっそり記録に残していたんだ。幸いなことに。その七人については、カミラフの神官様を通じて、相手国に依頼して返還を要請することになった。その際支払った金はわが国負担だが、致し方ない。ミディアルに売られた三人も含め、マディットに二人、フェイカンに三人。君の妹さん、ファリナ・マルカ・フリューエイヴァルは、最初はミディアルに売る予定だったのだが、フェイカンから来た客に気に入られて、そっちへ行ったらしい。相手の名前は残っているので、神官様同士話し合えば、いずれ戻ってくるだろう」 「ありがとうございます」  ローダガンは喜びの色をにじませて、礼を述べた。そして警備兵たちが帰ったあと、一行を見回し、声を上げた。 「本当に、あなたたちのおかげだ! ありがとう。どんなにお礼を言っても言い足りない」 「本当に良かったわねぇ!」リセラもピンクに頬を染めて声を上げ、 「良かったです」と、サンディとミレアも手を組み合わせて、感嘆の声を出す。 「いや、君にはその三人を助けてもらった恩もあるからな。役に立てて良かった」  ディーがかすかに笑って言い、他のみなも頷く。 「最初から意図して助けたわけではないが……あの鳥を見かけて矢を打ったのは、たまたまだったからな」ローダガンは少しきまりが悪そうに、視線を落とした。 「成り行きだったんだ。でも今はその偶然に、幸運に感謝している」  一行はその翌日、ロッカデールの首都、カミラフに向けて出立した。 「カミラフに着いたらあなたに通信鳥を飛ばすから、妹さんが戻って来たら知らせてね」  家に帰るローダガンに、リセラがそう明るく声をかけた。 「ああ。ありがとう。本当にあんたたちには感謝している」  ローダガンは熱っぽいまなざしで一人一人を眺め、そして手を振った。  エダルの町の北門から広い街道へと、二頭の駆動生物と車は十一人を乗せて、北へ向かった。カミラフまでは、途中の町で一泊して、二日がかりの旅になる。細かい石が敷き詰められた道を、車は走っていった。  太陽が真上に来た頃から、周りの景色は山が多くなり、道は山の間を縫うようにうねり始めた。日が傾き始めた頃、一行は山間の小さな村、リトバに到着した。そこは家が三十軒ほどしかなく、店も水とポプルを売る店と、雑貨を扱うものの二軒だけで、宿屋も一軒だ。それも、普通の民家が兼業でやっているようで、庭に小さな小屋が建ててあって、その中を人間と駆動生物、車用に区切ってあった。一組が泊まったらいっぱいになるようなものだったが、幸いその日先客はなく、一行はそこに泊まることができた。  その宿は中年のおかみさんが一人で経営してるらしく、一行の応対に出てきたが、驚きの声を上げていた。それはディーたち十一人が、この辺でも全く見かけないディルトであることだけでは、ないようだった。 「ペブルじゃないか! なんてこと!」  彼女はそう声を上げていたのだ。  呼ばれた方は怪訝そうに相手を見ていたが、やがて驚いたようにこちらも答える。 「もしかしたら、母ちゃん?」 「え?」それには、他のみなも驚きの声を上げていた。 「ペブルの母さんって、ロッカデールの人と再婚したって言ってたが……」  フレイが驚いたように相手を見つめ、 「そう。それも、たしかあいつをアーセタイルに置き去りにして、じゃなかったか」と、ブルーも首を振りながら言う。 「ペブルは大食いだから、相手に迷惑をかけると思ったのよ」  宿屋の女主人は地面に目を落としていた。 「だからって、自分の子を?」リセラが非難するように言う。 「あの子のことは、どこか住み込みで働かせてもらうように、村長に頼んだの」 「まあ、もういいよ、母ちゃん。おいらもあれから、なんとか生きていけたからさ」  ペブルはのんびりしたような声を出した。 「……悪いわね」 「でも旦那さんとマレヴィカは、どこ行ったんだい?」 「夫は金属を精製する工場で働いていたのだけれど暇を出されて、今はアーセタイルに出稼ぎに行っているのよ。マレヴィカも。あの子はあんたと同じディルトだから、ここでは仕事がなくて」 「そうなんかぁ」息子の方は屈託なさげな様子で頷く。 「あなたはどうしていたの? あれから。まさかここで会うとは思わなかったわ」 「うん。おいらはさ、ここの南の鉱山で七年働いてさ、それからミディアルに行って、みんなと知り合って、で、ミディアルがマディットに滅ぼされたからアーセタイルに来て、今ここに来てんだ。おいらたち、これからカミラフに行くんだよ」 「そうなの。カミラフに?」 「うん。アーセタイルの精霊様から頼まれたんだ」 「まあ――」母親の方は驚きで、言葉が見つからないようだ。 「あ、それでさ、ここが母ちゃんの宿なら、ちょうどいいや。泊めてくれない? おいらたち十一人だけど」 「ええ。今日はお客がいないから、かまわないわよ。少し狭いけれど」  それからあとは、彼女は普通の宿屋の主人と同じようにふるまっていた。鍵を渡し、やはりその上からセマナをかけてくれるようにと言い、百二十ロロの宿代を請求した。一行はそれを支払い、一晩泊まって、翌朝出立した。その時も、ペブルと女主人の間には、それほど多くの会話はなかった。 「ほんじゃあね」と、息子はのんびり手を振り、 「ええ」と、おかみさんの方も微かに笑みを浮かべて頷いただけだ。 「しっかし、あっさりしてんな。九年ぶりの対面なんだろ?」  再びカミラフへ向かう道中で、フレイが首を振りながら振り返った。 「しかも自分を捨てた親とな」  ブルーは顔を少ししかめ、連れに向かって続けた。 「しかし、ペブル。おまえには、恨みはないのかよ。あのヴァルカってやつは親への恨みでねじ曲がっちまってたが、おまえも似たようなもんじゃないのか、境遇的に」 「そうなんかな」言われた方は、あまりピンとこないようだ。 「でも、おいらもなんとかこうして生きていけたし、母ちゃんもマレヴィカもなんとかやってるんだから、良いんじゃないかな。それにおいら、昔からしょっちゅう食いすぎるって怒られてたけど、みんなは怒らないし」 「単純なのか、鈍感なのかな」  フレイがあきれたように首をすくめていた。 「でも、それがペブルなんだと思うよ。我々みなが、性格は違うし、家族環境も違う。それでも我々は今、家族以上の集団になっているんだと思う」ブランが静かに言った。 「本当にな」ディーが同意し、そしてみなを見回して続けた。 「さて、いよいよカミラフだ。たぶん到着前に日は暮れるが、ここの駆動生物は夜も走れるから、多少暗くなっても平気だろう」 「いよいよここに来た本題に入るんだな」フレイが頷く。 「カミラフの神殿で、そんな話は聞いていない、と追っ払われなきゃいいが」  あくまで懐疑的らしいブルーが、そんなことを口にした。 「それなら、俺たちもさっさと立ち去るのみだな」ディーは苦笑した。 「ロッカデールは国民でさえ、今はなかなか仕事がない状態なら、よそ者の俺たちはなおさらダメだろう。ここに長居をする理由はないし、次へ行った方がよさそうだ。かと言って、フェイカンは差別がきつそうだ。そこもさっさと通り抜けるだけだろうが」 「アーセタイルはかなり牧歌的でよかったけれど、他によその国の人やディルトにそれほどきつく当たらない国って、ないのかしら」リセラは少し困惑した顔をした。 「アンリールは、あまり期待はできないな」ブルーは首を振り、 「セレイアフォロスは……うーん、アンリールより少しだけましという程度かしらね。アーセタイルよりも、たぶん少し閉鎖的だわ」と、レイニも少し表情を曇らせる。 「エウリスは、まあ、働くことはたぶんできるけどね」と、アンバーは言い、 「ええ。だから、わたしたちのようなディルトがいるわけだしね」と、ロージアも少し苦笑している。 「でも、エウリスよりユヴァリスの方がもうちょっと寛容だ、とは聞いたよ」  アンバーがそう付け加える。 「そこまでの道は遠いな」フレイが苦笑いをして首を振り、 「新しいミディアルに至っては、いつになったらできるんだか」  ブルーもぼそっと言う。 「先のことはわからないけれど、希望は持っていましょうよ」  リセラが明るい声を出す。 「希望ね――夢ではなく」ロージアが小さく呟く。  仲間たちの話を聞きながら、サンディは考えていた。その夢は、希望は叶うのだろうか。その時自分は、どうなっているのだろうか、と。  その日一日、車は駆動生物たちに引かれて、街道を進み続けた。両側には細い葉を茂らせた木々が集まった森や、赤みがかった茶色や白灰色の肌を見せた山々、その間に広がる野原――そんな光景が続いていた。空は少し雲が多めだが、雨が降るような感じではなく、空気は冷たい。 「アーセタイルではほとんど晴れていたけれど、ここはそうではないのね」  リセラが空を見上げ、そして付け加えた。「少し寒いし」と。 「カミラフで上着を買うか? ここでは茶色か灰色しかないだろうが」  ディーが連れを振り返り、そう提案する。 「もう少し明るい色の方が好きだけれど、贅沢は言えないわね」  リセラは微かに首をすくめていた。  ミディアルでは、さまざまな色があった。赤や青、緑、黄色、白、紫、ピンク、オレンジ。それぞれの色を組み合わせた布も、とても人気があった。でも、アーセタイルでは、緑と茶色、ベージュ、たまにオレンジ。そのくらいしか見なかった。ここの衣服を作る基になる植物が、少し薄緑や茶色がかっているために、それ以外の色はきれいに発色しないのだと、そこの町で働いていた時、人々は言っていた。でも、衣服だけでなく、車の座席や家具、小物の色も、ほとんど同じようだ。今使っている車も、アーセタイル神殿からの贈り物だけに、本体は緑で、ブロンズかかった茶色に縁どられ、幌も敷物も緑だ。ここロッカデールに来てからも、それほど変わりはしなかった。いや、緑系やオレンジがなくなり、その代わりに灰色が現れた分、余計に色彩が乏しくなったような気がする。木々や草は緑だが、アーセタイルのそれより少し茶色がかっているためか、少しくすんで見えた。  途中の野原で、一行はナンタムの群れとまた遭遇した。ロッカデールへ来てからナンタムの群れを見るのは二度目だが(リセラ、サンディ、ミレアは別行動だった故、これが初めてだ)、南へと向かって移動していた前回とは違い、今回は茶色い塊のようになって、草原にじっとうずくまっているような感じだった。 「あのナンタムたちは、ちょっと元気をなくしているみたいだね」  ブランが、そんな感想を漏らしていた。 「ロッカデールでレラが減衰しているのなら、ナンタムたちも影響を受けているのだろうな」ディーはその方向に目をやり、そして言葉を継いだ。 「以前見かけたナンタムたちは、たぶんアーセタイルへ向かっていたのだろう。あそこならレラが豊富だし、同じ土系だから問題ない。身体の色が緑になるだけだろうからな。だがここは少し遠いから、そこまで移動はできないのだろう」 「それにしても、なぜロッカデールでレラが減衰しているのかしら。何か原因があるはずよ」ロージアもその生き物たちに視線を向けながら、小さく首を振る。 「原因はわからんが……たぶん、アーセタイルの精霊が心配していたのも、そのことなのだろうな」 「それは類推かい? それともエフィオン?」ブランがそう聞く。 「いや、エフィオンじゃない。単なる類推だ」  ディーは苦笑いを浮かべた。  エフィオンは、普通は知ることのない真実を知る力――サンディは、そう思いだした。自分では今思い出せない彼女のことも、その力である程度は知っていると、かつてディーが言っていたが――『でもそれを知って何になる? 時期が来れば、自然と思い出す」そう告げられたことも。 「困ってはいるでしょうね、たしかに。レラが減衰するということは、この国にとっては主要な産業である、鉱山関係の仕事に影響してくるから。だから人々が貧しくなり、犯罪も増えるのかもしれないし」レイニも頭を振り、 「ミディアルはもともとレラが少ないから、それに頼らない仕事がたくさんあったけれど。いえ、ほとんどそうだったわね」リセラが思い出すように、そう続けた。 「でも、今までレラ頼りで暮らしていたここでは――いや、ミディアル以外はみなそうだろうが――今からミディアルのような産業を発展させろと言っても、難しいだろうからな」  ディーの言葉に、何人かが頷いていた。  やがて日が落ちたが、一行はヴァルカ団捕縛の際に持ってきたカドルを制御席から掲げ、進み続けた。そして夜の三カルを過ぎた頃、ロッカデールの首都カミラフの門に着いた。  カミラフはアーセタイルの都市のように円形ではなく、石を切り出して積み上げた外壁が、四角く街を囲んでいた。エダルの町もそうだったが、どうやらロッカデールでは、都市は四角構造らしい。フレイとディーの話では、フェイカンとマディット・ディルも同じく四角形構造らしく、他の国のメンバーたちの話では、それ以外は円形らしい。そして、ミディアルは両方の特徴を取り入れて、六角形の構造を取っていたという。  首都だけあって、カミラフはエダルの三、四倍の規模がありそうだった。中央にそびえる石造りの神殿が、街のゲートからも見える。エダルや途中通ってきた町には、門に守衛がいなかったが、ここでは左右に二人の門番がいた。一行の車が中へ乗り入れると、二人とも近づいてきた。『何の用だ』――おそらくそう聞かれるのを誰もが予期していたと思うが、彼らの口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。 「ディルトと他国人の集団だな。ミディアルから来た――おまえたちの到来を、精霊様は知っておられた。本日はもう遅いので、こちらで指定した宿で休んでもらうが、明日の昼四カルに、神殿に来てくれ、とのご伝言だ」 「ああ――わかった」  ディーは少し驚いた表情で頷いた。他の人々も、同じようだ。  守衛の一人は懐から、一枚の紙を取り出した。 「これが今夜の宿泊先だ。もう話はついている。これを見せてくれ」 「わかった」  ディーは渡された紙を、指示席にいるペブルに回した。ペブルはその上に手をかざし、内容を読み取ると、駆動生物たちに指示を出す。  一行の車は門を通り抜け、そこに指定された宿屋に到着すると、渡された紙を差し出した。宿の主人は丁寧な態度で、車と駆動生物を専用の小屋にしまった後、一行を部屋に案内した。そこはアーセタイルの首都ボーデで泊まった時のように、人数分の寝棚がついた広い部屋だった。「宿泊代は……」とロージアが言いかけると、「いえ、それは神殿からいただいております」と、主人は恭しい態度で述べる。 「追い返されなくて、おまけにまた豪勢なところに泊まれてよかったが、明日は何を頼まれるのだろうな。無理難題じゃなければ、いいがな」  フレイが首を振っていたが、それはおそらくみなの思いでもあるだろう。  カミラフにある岩の神殿は、アーセタイルの首都ボーテにあった土の神殿と、構造は同じようだった。何本もの太い柱に支えられ、壁にはたくさんの稀石、ここでは緑ではなく、茶色と黄色の中間のような色だが、それが飾られていた。ただ、ボーテの神殿は緑がかった石でできていて、浮き彫り装飾も丸みを帯びた弦の模様だったが、ここの神殿は灰色の石で作られ、浮き彫り模様も直線的だ。  ディーたち一行十一人は通信屋に寄って、ローダガンに通信鳥を飛ばした後、神殿に来ていた。神殿の守衛たちも彼らの到着を知っているらしく、通行証などは見せずとも、中に入れてくれた。広間に入り、ここロッカデールの象徴である、つるりとした灰色の巨大な岩を眺めていると、奥から濃いブロンズ色の、少し光沢のある衣装(ボーテの神殿で神官たちが着ていた緑の服の、色違いのもののようだ)をつけた男が二人やってきて、一行を奥の間に導いた。そしてアーセタイルの時と同じように、控えの間に通された後、巫女の間へと導かれた。  ロッカデール神殿の巫女は、銅のような色の髪と深い灰色の目を持った、まだ七、八歳くらいにみえる少女だった。その眼はアーセタイルの巫女と同じように瞬きをせず、少し薄い膜が張ったように見える。手に持った杖の先には、光沢をもった丸い金褐色の石がついている。 「ずいぶん遅かったな」  巫女はディーたちを見ると、最初にそう言った。その声は柔らかい少女のものだが、抑揚はなく、少しこだまするように響く。アーセタイルの巫女もそうだったが、言葉を発しているのは精霊で、巫女はその媒介にすぎないゆえ、そう響くのだろう。 「だが、遅れた事情は知っている。だから、説明は不要だ。それに、おまえたちがここに来た経緯も知っている。アーセタイルの精霊にそう要請したのは、私だからな」 「はい。それで……どんなお話なのでしょう」  ディーがいつもよりかしこまった様子で、そう返答する。 「それは、そこにいる神官長、ダンバーディオに聞くがいい。私は長いこと、話をすることはできぬ。おまえたちがそれを引き受けてくれることを、私は望む」  巫女は手にした杖を振った。鈴のような音がした。それはアーセタイルの時と同じ、退場の合図だ。傍らに控えた、ブロンズ色の衣を着た男が立ち上がり、「それでは、あとは私が説明しよう」と一行を促して、別の間に移動した。 「君たちもロッカデールに数日滞在したなら、我が国の問題がわかるだろう」  執務室らしい部屋で、どっしりとした椅子に座りながら、ダンバーディオ神官長はそう切り出した。アーセタイルの神官長、マナセルは女性だったが、この人は背の高い中年の男性で、重厚な衣の下にも、がっしりとした体格をうかがわせた。 「それは、レラの減衰ですか?」  ディーが一行を代表して、そう答えた。 「そうだ。おかげで我が国の産業は大打撃を受け、職を失った労働者たちの中には、犯罪に走るものもいて、街の治安も悪化している。ヴァルカ団はその最たるものだが、それもこれもレラの減衰が鉱物の減少を招いたからだ」 「それはわかります。しかし、それで我々ができることが、あるのでしょうか」 「順序だてて説明しよう。レラが減衰した理由だ。それは“欲獣”のせいなのだ」 「“欲獣”?」 「そうだ。それは文字通り、欲の塊だ。人々の思念が――充足することを知らず、もっともっとと欲する心が、長年の間に積もり、集まり、とうとう“獣”の姿をなしたものだ。飽くことなく欲する欲望、渇望と言ってもいい。それが“欲獣”となった後、際限なくレラを飲み干し始めたのだ」 「聞いたことがありますね。なるほど……」  ディーは眉根を寄せた。さすがに神官長や巫女、精霊相手では、彼も物言いが丁寧になる。ミディアルでも王様にはそうだった、と、サンディは思い出し、少し面白いような感覚を覚えていた。ディーは考え込むような表情のまま、続けている。 「良くない思念が集まりすぎると、そこから“獣”が生まれる。アーセタイルの“思恨獣”しかり。でも“欲獣”は死んだ人の魂ではないから、単純にレヴァイラは効きませんよ」 「そうだ。長年の人々の“欲”が集まって獣になったものだからな。“思恨獣”のように、ただレヴァイラで昇華するわけにはいかない。“清心石”が必要なんだ」 「“清心石”?」 「そうだ。数百年前、我が国には一人の偉大な聖者がいた。その人は大きな力を持ち、なおかつ、とても清い心を持っていた。その聖者が亡くなる時、己の清らかさ、欲を一切持たないその清さを、透明な石に封じ込めた。それが“清心石”だ。それはその聖者が入滅した北の山、アデボナ山の奥にあるという」 「それを取ってきてくれと?」  ディーは普通の口調に戻って、そう問いかけていた。 「一つ目の依頼は、そうだ」  ダンバーディオ神官長は表情を変えず、頷いた。 「“清心石”にたどり着くまでには、いくつもの障害を越えなければならないが、我々の持つ岩の能力だけでは不可能なものが、かなりある。だが君たちなら可能だろうとの、精霊様のお告げなのだ。それが無事に取れたら、精霊様が“欲獣”の出現場所と時間を教えて下さるので、そこに行って、退治してほしい。まず“清心石”をその芯に命中させ、その後レヴァイラをかければ、“欲獣”は昇華できる。吸われたレラも元に戻る。これが第二の依頼だ。もちろん、褒章は望むものを与えよう。頼む。このままではロッカデールは荒廃してしまう。ぜひ君たちの力を借りたいのだ」  ダンバーディオ神官長の表情には、苦渋に近いものがあった。膝を両手に置き、頭さえ下げた。精霊と巫女の次に権力と力のある、神官長という地位にあるものがここまでするのは、滅多にないことに違いない。それだけ今のロッカデールは困窮している。そのことは、数日の滞在でも、ディーたち十一人にも理解できるものだった。仕事を失って困窮する人々、生きるために犯罪に走ってしまうものだけでなく、生き延びられずに命を落としてしまうものも、きっといるのだろう。  みなは当惑気味に顔を見合わせた。が、すぐに心は決まったようだった。 「……やってみてもいいです。成功できる保証はないですが」  ディーが十一人を代表して、そう答えた。 「おお!」神官長の表情が、安どと喜びをのぞかせた。 「巫女様は仰った。君たちはきっと引き受けてくれると。やはり間違いはなかった」 「ただ、我々もやるだけはやってはみますが、命を賭してというほど、ロッカデールに深い義理はありません。無理だと思ったら引き返しますが、それでもいいなら」 「それはわかっている」  ダンバーディオ神官長は頷いた。しかしその瞳の中には、不安というより、自信のようなものが覗いていた。 「しかし、向こうは俺たちの来ることも、依頼を引き受けることも、知っていたんだなあ。あの神官長も、俺たちが失敗するわけがないみたいな顔をしていたし」  再び宿の部屋に帰った後、フレイが少し首を振りながら言った。一行は神殿を出た後、『明日の朝迎えに行く。こちらで車は出すから、心配はいらない』と告げられ、様々な色のポプルがつまった袋と、褒章の一部だろう金額を渡された後、ここに戻ってきたのだ。 「精霊には、予知能力があるものもある。ロッカデールの岩の精霊も、きっとそうなのだろうな」ディーは微かに苦笑を浮かべ、一行を見回した。 「だがまあ、俺たちにはそんな能力はないし、明日どんな目に合うかもわからないが、とりあえず今日は休むか」 「そうね。成功すればかなりの報酬が期待できるし、ミディアルでやっていた仕事依頼のようなものだと思えば、悪くはないのかもしれないわね」ロージアが頷き、 「それでここの困っている人たちを助けられるなら、言うことないじゃない」  リセラが明るくそう付け加える。 「ただ、そのために俺たちが危険になるのは、割りが合わないがな」  ブルーがぼそっと言った。みなは苦笑を浮かべ、顔を見合わせていた。  翌日の朝、神殿からの迎えが来た。金茶色の幌がついた立派な車に、三人の神官だろう男たちが乗っている。 「我々は君たちをアデボナ山の入り口まで送っていく」  三人のうちの一人が、そう口を開いた。 「ここから車で、二カーロンほどの距離だ。そこから、七カーロンの間、そこで待つ」 「その半端な時間は、どういう意味なんだ?」  フレイがみなの疑問を代表するように、そう聞いた。 「アデボナ山にあるその洞窟は、入って七カーロンがたつと、入口がふさがる。それは攻撃技でも破壊することはできない」 「えっ、それなら、その時間内に戻らないと、出られなくなるっていうことかい?」  アンバーが驚いたように声を上げた。 「冗談じゃないぜ!」と、フレイも叫んでいる。 「かなり危険だね、どう考えても」ブランも驚いたような表情だ。 「そんな話は聞いてないぜ」と、ブルーもむっつりとして首を振っている。他のみなも、程度の差はあれ、心配げな表情になっていた。 「君たちならできるだろうと、精霊様は仰っている」  カミラフの神官たちは、表情を変えない。 「乗ってくれ。今更否とは言わせない。君たちは昨日、引き受けたと言った。それを破るのは約束違反だ」 「危険と感じたら引き返すとは、言ったはずだが」ディーは抗弁した。 「それは本当に危険を感じたら、という意味で受け取った。いきなりやりもせずにそう言うのは、約束が違う。中に入って、本当に危険だと思ったら、出てきてもいいが」 「でもその時には、きっと入り口が閉まっているなんてことに、なりそうだがなぁ。逃げ場がないじゃないか」と、フレイがぼやいた。 「そうね。でも、仕方がないわね。ここで断ったら、厄介なことになりそうよ」  ロージアが諦めたように首をすくめ、 「そうだな。神殿と精霊に逆らったことになるから、俺たちはロッカデールのお尋ね者となるわけか。ちゃんといろいろ内容を聞かなかった、俺が悪い。仕方がない。やるだけはやってみないとならないだろう」  ディーも首を振り、そして神官たちを見た。 「ただ、お願いがある。この二人――サンディとミレアだけは、ここに残しておきたい。もしここから先が険しいものなら、この二人は非力だ。危険に巻き込みたくはないし、また俺たちにとっても、足手まといになるかもしれない」 「えっ?」サンディとミレアは同時に声を上げた。 「でもそれで、みなさんが帰ってこなかったら、わたしたち、どうなるんですか?」  サンディは思わず声を上げかけ、『連れて行ってください』と続けようとして、黙った。たしかに自分たちは非力だ。『足手まとい』というディーの言葉は真実だろう。彼はそれ以上に、自分たちを危ない目にあわせたくはないという思いが強いことは、わかっていても。ミレアも同じように声を上げかけたが、やはり同じことを思い至ったのだろう。うつむいて、黙ってしまっている。そして涙をこらえているように、さかんに瞬きをしていた。サンディは黙って、その手を握った。 「その二人は置いていくだろうことも、精霊様はご存じだ」  神官は少女たちを見やった。 「精霊様のお力を疑うわけではないが、もし我々が戻れなかったら、彼女たちが路頭に迷うことのないよう、計らってもらいたいのだが」 「心配ない。万が一、精霊様のお見通しが外れた場合、この二人はアーセタイルに送る。我が国は、君たちが失敗するとますます困窮するだろうから、先はない。君たちは向こうでも貢献してくれたし、向こうも受け入れてくれるようだ」 「そうか……それなら万一の場合も安心だ。だが一番は、我々が失敗しないよう、無事に帰ってこられるよう、務めることだな」  ディーは一行を見回し、他の八人も少し緊張した面持ちで頷いている。 「わたしたちは、ここでできることは何もないですか?」サンディはそう訴えた。  一行のリーダーは、少女たちに向かい、微かに笑った。 「うまく行くように、俺たちがちゃんとここに帰ってくるように念じていてくれ。ここは“思い”の世界だ。ほんの少しでも、それが役に立つかもしれない」 「わかりました」  サンディは両手を組み合わせた。ミレアも真剣な表情で頷く。  二人の少女たちを宿に残し、一行はカミラフの神殿から来た車で、出発した。  目指す山のふもとに車が到着すると、三人の神官は一行に少し大ぶりの布袋を渡した。 「“清心石”を取るのに必要な道具が入っている。これを君たちに渡すようにとの、精霊様のお告げだった」 「わかった」ディーがその袋を受け取った。少し重みがある。 「それで、その洞窟の入り口はどこだ。それも探せと言うのか?」 「いや、入り口はあそこだ」  神官の一人が上を指さした。アデボナ山は、鋭く高い岩山だった。斜面は固い岩肌で、こちら側はほぼ垂直に近く切り立っている。その山のかなり高いところに、洞穴の入り口のようなものが見えた。 「わかるだろう。我々が中に入れないわけが。この岩山をあそこまでよじ登らなければならないのだ。今までにも何人かが試したが、みな途中で転落した」 「かなり高いな。あの高さは、アンバーでないと無理だな」  ディーは山を見上げながら、首を振った。 「でも僕も、一人じゃないと、あそこまでは無理かもしれない」  アンバーも上を見上げながら、少し困惑したような表情をする。 「そうすると……だ」ディーは渡された袋の中を探った。 「これか……」  取り出したのは、非常に長く細い紐のようなものだった。ただ、一本の紐ではなく、はしご状に組まれている。 「アンバー、これを持って、あそこまで飛んでくれ。たぶん入り口には、これをひっかけられるところがあるだろう。俺たちはこれを使って、登っていくしかない。俺やリルは途中まで行かれるだろうが……」 「それなら、僕はこれをひっかけたら、一回降りて、みんなをできるだけのところまで運んでいくよ。あとは頑張ってもらうしかないけれど」と、アンバーが申し出、 「俺もできるだけ、みなを上げられるところまで連れて行こう」 「あたしも。あまり高くは上がらないかもしれないけれど」  ディーとリセラも頷いていた。  アンバーは細い紐のはしごを持って、洞穴の入り口まで飛んだ。岩肌に沿ってそれが垂れ下がると、彼も下に降りてきた。 「ちょうど入り口のところに、岩が二本出っ張っていたから、そこに引っかけてきた」 「そうか。じゃあ、行くか。まずはアンバー、ブランを連れて、できるだけ高いところではしごに取りつかせてやってくれ。俺はその後で、レイニを連れていく」  ディーの言葉にアンバーは頷くと、白髪の小男を後ろから抱えて、入り口までの高さの三分の二を超えたところまで飛び、ブランをはしごに捕まらせた。「ありがとう」とブランは頷き、梯子を上り始める。その下で、ディーがレイニを抱え、半ばほどのところではしごへと導く。彼女も礼を言うと、登り始めた。 「あたしも行く? 誰を連れていったらいい?」 「おまえはいい、リル。できるだけ飛んで、あとは登っていけ。アンバーと俺で上げていった方が、高く行けると思う。ただ、あまり大勢で登ると梯子の強度が心配だから、ブランが上に着いてから行ってくれ」 「わかったわ」  リセラは安堵とほんの少しの落胆の表情を見せながら、頷いている。  そうして一行は、上に登っていった。ブラン、レイニの後はリセラ、そしてロージア、ブルー、フレイ。その後アンバーはペブルを山の中ほどで梯子に捕まらせると、そのまま彼自身は上に行って洞穴の入り口に降り立ち、ペブルが上りきったところで、ディーが山肌三分の二ほどの高さから登り、みなが入り口にたどり着くことができた。 「ありがとう。アンバー、ディー。あなたたちはポプルを補給した方が良いわ」  ロージアが風と闇のポプルをそれぞれに放った。 「さて、ここから七カーロンで戻るわけか」  ディーは闇ポプルを食べ終わると、行く手を見た。洞窟の入り口は広く、中へと続く道が伸びているが、光が届く範囲の先は、暗く闇に沈んでいた。 「ライマの使い手は、うちにはいなかったな」  彼は仲間たちを見渡した。ライマは光の技で、暗闇を照らすものだ。 「光技では、ライマは初歩的なものなんだけれど」 「でも、あたしたちは使えないのよね。やり方の本があれば、覚えられるのかもしれないけれど」 「そう。たぶんリルなら大丈夫だろうし、僕でもできるかもしれない。でもユヴァリスに行かないと、本は手に入らないね」 「そうよね。今は無理だわ」  アンバーとリセラが顔を見合わせて、そう言いあっていた。 「たしかに、ライマの本があれば大丈夫だろうが、ユヴァリスまでお預けだな」  ディーは苦笑し、再び渡された袋の中を探った。 「あった。カドルだ。これを使えというわけか」  彼はその灯りをフレイに持たせると、ブランを振り返った。 「時を測る装置で、七カーロン測ってくれ」 「わかった」ブランは自分の袋の中から、時を測る装置を取り出した。 「今から測るよ。これを七回ひっくり返すまでに、ここに戻らないと」 「無事に戻れるよう、願おうぜ」フレイがそう言い、 「無事に戻ってこられたとしても、またここを下りるわけか」  ブルーがさらに青ざめた顔で、ちらりと振り返った。彼は高いところが大の苦手のため、ここまで登るにも相当の葛藤を経てきたのだろう。 「戻ってくるときに迷わないように、印をつけた方が良いんじゃない?」  リセラがそう提案した。 「あなたにしては優秀ね、リル。確かにそうだわ」  ロージアが頷き、ディーは再び袋の中を探し、白い小さな棒を取り出して、岩肌をこすった。後に白い軌跡が残った。 「つまりこれか。分岐を曲がるたびに、これで印をつけていけばいい」 「それでは、印は私が書いていくわ」  レイニがそう申し出、その棒を受け取った。  一行はカドルの灯りを頼りに、洞窟の奥へと進み始めた。奥は岩を削って作ったらしい、下へ降りる階段のようなものがあり、それをかなり降りたところに、広い空間があった。  その空間の奥に、先へ続く通路が見えていた。しかし途中で、炎の壁のようなもので遮られている。それは一直線上に並んだ、背の高い炎だ。 「俺の出番か?」フレイがそれを見て、低く言った。 「そのようだな。俺たちでは、火が燃え移るだろう。そこを抜けると、奥の壁に何か書いてあるようだ」  ディーが炎の向こう側を透かすように見、微かに眉をしかめた。 「ロッカデールは岩の国なのに、火とはね」ブランも目の前の炎を見上げ、 「入り口もあれだけ高かったから、風要素もあったのだろうな。つまりここの仕掛けは、岩ばかりではないということだ。だからロッカデールの連中は誰も入れなかったんだろう」  ディーが首を振った。 「じゃあ、行くぞ。この火で明るいから、カドルはいらない。誰か持っててくれ」  フレイは手にしていた照明装置をペブルに持たせると、髪をぎゅっと後ろで束ねるようにつかみ、炎の壁に突進していった。その身体には、薄いオレンジ色の膜のようなものが現れ、まといつくように覆っている。彼は炎を潜り抜け、向こう側に到達した。その身体に火は燃え移ることなく、傷ついた様子もない。 「さすがは火の民だね」  ブランが感嘆したように小さく声を上げ、何人かが頷いていた。  向こう側の壁に到達したフレイは、いくつかの色がにじんだように見える場所に手をかざし、内容を読み取っているようだった。やがて場所を移動し、壁の一点に手を当てる。しばらくのち、通路を隔てていた炎が消えた。 「大丈夫だぜ、こっちに来ても」  フレイが仲間たちを振り返って告げる。やがて、彼ら全員がこっち側に来た。 「あの壁にはなんて書いてあったんだ?」  さらに奥へと向かいながら、ブルーが尋ねた。 「汝の来し方と、ここへ来た目的を語れ、とよ」  フレイは頭を振って答えていた。 「その壁の、光る点に手を当て、そこへ向かって、とな。それで俺はそこへ行って手を当てたら、何か思う間もなく、向こうはわかったようだ。で、火が消えた」 「試験のようなものかもしれないな。ここは“清き心”が眠る洞窟だから」  ディーは少し考えるような沈黙の後、行く手に目をやった。 「ここから先も、そういった仕掛けのようなものがあるのかもしれない」 「そういう仕掛けって、あらかじめその聖者がここにこもる時に作ったって事かい?」  アンバーが少し不思議そうに尋ねる。 「そうだ――エフィオンの力で、知ることができた。この聖者はこの洞窟をその力で作り上げ、その奥深くにこもって、自らの身体を、その“清き心”を凝縮させたものに変えようとした。いつかそれが必要になる時、その試練を超えたものだけが、それを手に入れられるように。自らが亡くなった後も、そこに残る意思によって、仕掛けを動かしているようだ。それだけ力が強かったのだろう」 「でも、ディー。その聖者も空は飛べないのでしょう? どこから入ったのかしら」  リセラが不思議そうに問いかける。 「下にも、入り口があった。しかし自分がそこから入った後は、封印してしまったようだ。今は出入りできない。だが、たぶん……そうだ。“清心石”を手にすれば、その封印は解けるはずだ」 「ということは、帰りはそこから出られるというわけか……」  ブルーがほっとしたように言う。 「無事に取れればだけれどな」フレイがそう言い足した。  一行は半カーロンほど、洞窟の中を歩いた。途中二回ほど分岐を超えたが、ディーがエフィオンの力によって、正しい方向を示し、レイニが帰りの目印を壁につけたのち、進み続けた。下の方の出口が開くかもしれないので、そこを目指す場合には不要だが、もし引き返す場合には、目印はあった方が良いからだ。  やがて一行は、再び広い空間に出た。そこを遮っているのは、深い水だった。奥へ続くドアは水の中にあって、今は閉ざされている。深い水の底に、何かが書いてあるようだ。 「私たちの出番のようね」レイニがかすかに苦笑を浮かべる。 「どちらが行く、ブルー? あなた、それとも私?」 「清い心だったら、レイニの方が無難だろうがなぁ」  フレイが首をすくめながら、そんな意見を呟いた。 「うるせえ」  ブルーはそちらに怒ったようなまなざしを投げると、水面を見つめた。 「清い心だったら、たしかに俺ははじかれるかもしれないが……ここはまず俺に行かせてくれ。俺がダメなら、レイニに頼もう」 (意外だな)と言いたげに見つめる仲間たちを見やり、ブルーは首を振った。 「俺もな、わからないんだよ。どこまで俺はまともになれたのか。だから……」 「試してみたいというわけか」ディーが残りの言葉を引き取った。 「いいだろう。行ってくれ、ブルー」  青髪の若者は無言でうなずき、水の中へと潜っていった。そして水底に書かれたものを、読み取っているようだった。一点、水の中に光る部分があり、そこに手を押し当てて、しばらくの時間が過ぎた。フレイの時よりも長い、かなりの間――が、やがて水が少しずつ引いていった。向こう側の出口と同じ高さになるまで水かさが引いたのち、水位の減少は止まり、同時にその扉が開いた。そしてそこから、水の上に橋が架かった。決して幅は広くなく、一人ずつしか通れないが。その上をみなは渡っていった。最後にブルーが水底から浮かび上がり、橋の上に上がって仲間たちに合流した。 「試験には、無事合格したようだな」  先を進みながら、ディーはブルーを見やって、微かに笑った。時間制限があるので、立ち止まって話しているより、歩いていた方が安全だからだ。 「少し辛かったがな」  ブルーは首を振り、ついでに水しぶきを振り飛ばした。 「おまえのは、なんて書いてあったんだ?」フレイが知りたがった。 「書いてあること自体は、おまえと同じだ。が、手を当てたら、幻が浮かび上がってきた。水の神殿広間にいて、そこから稀石がキラキラとこぼれながら、床に降ってくるんだ。たくさん。俺は思わず拾いそうになって、手を伸ばした途端、これが目に入ったんだ」  ブルーは腕にはめた装飾を振った。 「俺が得たもの、失ったもの――それを思い出すといい。ディーはこれをブランに作ってもらう時、そう俺に言ったな。それを思い出した。だから、拾っちゃだめだと思い、ただ見ていた。見ているだけでうっとりした。そうしたら、水が引き始めたんだ」 「良かったわね、ブルー」リセラがそう声をかけ、言われた方は少し照れたような、決まりの悪そうな顔で、頷いている。  そこから先には、大きな試練はなかった。人が一人やっと通れるだけの隙間がいくつかあったり(ペブルはつっかえて、全員で押したり引っ張ったりして、やっと通った)、高めの段差があったり(飛べるものは飛び、あとは“翼の民”の三人が後ろから抱えて下ろした)、飛び越えるには広い幅があったりし(これも先の場合と同様だ)、五か所ほどの分岐を超えたが、最後に一行は大きな岩の扉の前にたどり着いた。その扉の前に、何か書いてある。ディーが手をかざし、それを読み取った。 『汝らは清い心を持っているか?』 「“清い心”というものが何なのか、自分がそれを持っているのか、俺にはわからんが」  ディーが苦笑を浮かべて呟くと同時に、岩の扉が動いた。そして開いたが、白い幕のようなものが下りている。 「これをくぐれというわけか。清くない心の持ち主は、そこではじかれるんだな」  ディーは再び苦笑いを浮かべた。 「とりあえず、行くか。はじかれたら、それまでだ。中に入れた奴だけで、何とかするしかないな。みんな、一人ずつ行こう。俺は最後に行く」  仲間たちはお互いに顔を見合わせ、おそらくは一度その試験をくぐっているはずのフレイとブルーが最初に行った。二人とも、無事に向こうへ抜けた。続いて女性陣、リセラ、ロージア、レイニが行き、その後でアンバー、ブラン、ペブルと続く。みな無事に通過した後、最後にディーが行った。彼もまたはじかれることなく、向こうへと抜ける。 「我々は“清き心”の仲間たちらしいな」  ディーは一行を見渡し、微かに笑いを浮かべた。 「そう認めてもらったみたいね」  リセラもいたずらっぽく笑って頷く。 「仮にサンディやミレアがここに来ていたとしても、大丈夫な気がするわ。あたしたちみなが通れるなら」彼女はそう言い足し、他のみなも頷く。 「まあ、おまえが通れる時点で、甘いよな」  フレイがにやっと笑ってブルーを見、 「なんだと?」と、言われた方は、いつものように突っかかっている。 「これも込みでな。確かに甘いのかもしれん」  ディーは苦笑を浮かべ、そして行く手に視線を移した。全員が一斉に同じようにする。  そこは広い空間になっていて、真ん中に大きな柱が通り、その柱を中心に円形の台座のようなものがある。その台座の中心に、透明な、輝く結晶があった。そこを取り巻いて大きな円状のくぼみがあり、そこには水がたたえられている。内側の台座からその上に、橋のような通路が伸びていた。 「あれが“清心石”か」  ディーが呟き、歩み寄った。台座へと延びる通路の横にも、何か書いてある。 『その身体に岩か土のエレメントを持つもの。そしてより心清きものだけが、清き心の塊を動かすことができる』 「ブランはエレメント持ちにならないとしたら、ロージアかペブルだけだな」  ディーは二人に目をやった。 「ペブルは大食らいだから、ロージアの方が良いんじゃないか?」  フレイとブルーがほぼ同時に、そんな意見を述べる。 「でもわたしも、そこまで心が清いか、自信はないわ。かなり雑念は多いのよ」  ロージアは少し自信がなさげに首を振る。 「そうだな……二人のうちのどちらかが、より純粋か、ということなんだろうな、この場合」ディーは再び考えるように、銀髪の女性と太った若者に目をやった。そしてしばらく考えているような沈黙の後、思い切ったように言った。 「ここは、ペブルが行け」と。 「ええ? おいらで大丈夫かな?」  言われた方は、自信がなさげだ。 「ペブルは大食らいだが、それは必要だからだ。いつもおまえは、必要以上には食べない。他の奴の必要分を大幅に超えているから、わからないのだろうが。それにおまえは、本当に心が空っぽだ。悪い意味じゃない。それだけ純真なのだろう。おまえは人を恨まない。自分を捨てた親さえも。二人とも、ここまで来れているのだから、“清い心の持ち主”とは認められているわけだが、ロージアは頭がいい分、いろいろな思いが交錯することもありそうだ。それが悪いわけでは、まったくないが、より純真、ということなら、何も考えていないペブルの方が適任だと思えるんだ」 「純真とバカは多少違いそうだが、まあ、当たっている部分もあるかもな」  フレイがそれを受けて言い、 「選ばれたからと言って、あまり喜べそうにない理由だな」と、ブルーも呟く。 「よくわからんけど、まあ、行ってみるよ。おいらが失敗しても、ロージアもいるしね」  ペブルは相変わらずのんびりとした口調で言い、のしのしと通路を歩いて、台座の上の石をつかんだ。彼が条件に合わなければ、石はどんなにしても引き抜けないのだが、ペブルが両手で石をつかんだ後、それはいともやすやすと持ち上がった。微かに白い光が、そこから立ち上った。 「成功だ! ペブル、それを持ってこっちへ来い。戻るぞ! ブラン、ここに入ってから、どのくらいの時間がたった?」 「今四回目をひっくり返したところだよ」  ディーの問いかけに、ブランが答える。 「四カーロンか。残りは三カーロン。元来た道を引き返すには、少し厳しいな……」  その時、ほんの微かに下の方で、岩が動いたような音がした。ほんの微かな音だが、アンバーにははっきり聞こえたようで、ディーもまたそれよりは微かだが、その気配を聞いたようだ。ディーは頷き、声を上げた。 「下の入り口が開いたようだ。そっちの方が、たぶん早い。そこから出よう。急ぐぞ!」  カミラフから来た神官たちは、アデボナ山の入り口が見える道の端に車を止め、交代でその入り口を見守っていた。 「彼らが入って、もうじき七カーロンだ。でも、まだ出てこない」  一人が時を測る装置を見ながら、懸念を浮かべた表情で首を振った。  もう少しで日が沈む時間だ。やがて大きな音を立てて、入り口が崩れた。無数の小さな岩が降るように落ちてきて、それがおさまった後には、かつて入り口のあった場所は普通の山肌と変わっていた。ころころと小さな石がいくつか、山肌を転がって街道まで落ちてきた。 「時間切れだ……」神官たちはうめきに近い声を上げた。 「失敗したのか……?」 「まさか精霊様のお告げが外れるなど……」  彼らは茫然とした様子で、入り口があったところを眺めていた。 「こうなった以上は仕方がない。神殿に帰って、報告しなければ……」  神官たちは悄然とした面持ちでしばらく見つめた後、ため息をついた。  車を展開させ、元来た方へ帰りかけて、神官の一人はもう一度山の方を見た。 「もう出てくることはないだろう。諦めろ」もう一人が言う。 「ああ……もう日も暮れるしな。早く帰った方が良いだろう」  先の神官は空に目を移し、そして小さく声を出した。「鳥だ」 「鳥なんて、珍しくはないだろう」  三人目が苦笑いをしながら、その方向に目を向けた。 「いや、変わった鳥だなと……」  最初の男が言い、ついで言葉を止め、息を呑んだ。 「違う! あれは人間だ! あれは……」 「あれは……彼らの一人だ、風ディルトの!」  アンバーが、かなりのスピードで飛んできていた。そして空中から、声を上げていた。 「待ってえ! 行かないで! 戻ってきたんだよ!!」  彼は、あっけにとられている三人の神官たちの車の前に降り立った。 「ディーに言われたんだ。あなたたちが勘違いして帰っちゃうと困るから、おまえ先に行って知らせて来いって」 「どうやって、出てきたんだ? もう入り口は閉じてしまったが」  神官の一人が驚きの表情を浮かべながら、そう問い返す。 「下の出口が開いたんだよ。そこから出てきたんだ。でも山の向こう側に出ちゃったから、ここまで戻るのに、歩いて半カーロンぐらいかかるだろうって」  清心石を取ってから開いたもう一つの出口に続く道は、長い一本道だった。分岐もなく、障害もなかったが、一人ずつやっと通れるくらいの幅しかなかった。それは『清心石』を持ったものを先頭にしないと、開かない道だった。さらにその石は、最初に取ったもの、ペブルから誰かに渡すことはできなかった。そうしようとすると、とんでもない重さになり、動かすことができないのだ。仕方なく一行はペブルを先頭にして、細い一本道を進んだ。道幅はペブルの身体ギリギリなので、その歩みは遅かった。やっと光が見え、外へ出たのは、最初に入ってから七カーロン、その期限にわずか数ティルしか余裕がなかった。  出たのは入った場所とは反対側だったので、道を回り込む必要があった。一行が歩き出して間もなく、背後の入り口が崩れて閉じた。 「向こうも閉じたのだろうな」ディーが頭を振り、そして告げたのだ。 「そうすると、早合点して帰ったかもしれないな。精霊様がこっちの出口のことを神官たちに告げたかどうか、怪しいしな。でもカミラフまで歩いて帰りたくはない。アンバー、おまえの速度なら、彼らの車に追いつけるだろう。行って、俺たちは後から行くから待っていてくれと、知らせてくれ」 「それで、僕は先に来たんだ」  アンバーは今までの経緯を簡単に語った後、そう付け加えた。 「おお! それでは、成功したのだな?!」  神官たちは感嘆に満ちた声を上げた。 「ああ。仲間の一人が持ってる。でもあの石は、最初に引き抜いた人しか持てないみたいだね。だから僕は持っていないよ。後から来る」 「ああ。それはわかっている。あの石は土か岩のエレメント持ちにしか扱えないからな」  神官の一人が頷き、もう一人が急いたように続けた。 「君の仲間たちは、この街道を歩いてきているのだな。それなら待っていないで、迎えに行こう。君は乗るかね? それとも飛んでいくか?」 「乗せて。ここまでに、かなりエレメントを使っちゃったから」  アンバーは車に乗ると、服につけた袋の中から風ポプルを取り出し、食べていた。その背中から広がった翼がするすると服の中に回収されていくのを、神官たちは珍しそうに眺めた後、車を走らせた。もう日はかなり落ち、空も山肌も薄墨色に染まっている。そうして十ティルほど進んだ先に、ポツリと赤い炎の点が見えた。それはカドルの灯りのようで、その後から歩いてくる七人の姿が黒い塊のように、うっすらと見える。 「迎えに来てくれたか。それは良かった」  ディーが車の姿を認めたらしく、ほっとしたような声を上げた。 「ああ。無事成功したらしいな。本当に良かった。乗ってくれ。これからカミラフに帰る」  神官たちも安どの表情を浮かべていた。  夜の神殿は、どことなく幻想的な印象だ。アデボナ山から戻った一行は、そのまま宿屋ではなしに、巫女に謁見するのだと、まっすぐここに連れてこられたのだ。外にはたくさんのカドルが吊るされて灯され、その灯りに浮かび上がって、装飾に使われている稀石がキラキラと光り、濃い灰色に見える建材の中に、小さな光を蒔いたように見える。中に入ると、広間は明るい。ご神体である岩を取り巻いて、少し金色がかった光が部屋を照らしているのだ。それはカドルの光ではなく、このご神体自体から出るものらしかった。その奥は、少し白っぽい光の玉がいくつか、神殿内を照らしている。それはほの明るいが、月光にも似て、少し冷たい感じの光だった。 「無事に、清心石を取れたようだな。ご苦労だった」  巫女は一行にそう告げた。 「明日より五日のちの夜、“欲獣”は、デナ山の山頂に具現化する。浄化を頼む」  そののち、再び巫女は杖を振った。  巫女の前を下がった一行は、再び神官長の間に通された。 「よくやってくれた。あと一仕事頼む。その清心石を、“欲獣”に投げ込み、そののちレヴァイラをかければ、浄化は完了するだろう」  ダンバーディオ神官長は一行八人を見ながら、微かに険しい表情を残しながらも、明らかに安どの表情を浮かべて、そう告げた。 「“欲獣”は攻撃してくることはないのか?」  ディーは少し気づかわしげに、そう問うた。 「“思恨の獣”とは違う。“欲の獣”と文字通り貪欲さの化身なので、外に攻撃には出ない。ただ、岩のレラを吸ってしまう。だから我々は、あっという間にレラを吸われて、死んでしまうだろう。だが君たちは、大丈夫そうだな。土も被害は受けるが、岩ほどではない。吸収の速さが、数倍遅い。だから、すっかり土レラが吸われるその前に“清心石”の所持者は、それを離すといい。レラと一緒にそれは吸われ、相手の中心に届く」 「そこでレヴァイラか。タイミングは難しそうだな」 「君たちなら、できるだろう」  ダンバーディオ神官長は、得心したような表情を浮かべていた。 「デナ山はここから車で北に八カーロンほど行ったところにある、高い山だ。そこまでは、我々が送っていこう。ただ、山には頂上に向かう細い道があるが、そこは車では入れない。歩いて登っていってもらう必要がある。両方で、二日ほどの余裕が必要なので、今から三日後の朝、そちらへ迎えの車を差し向けよう。それまで、ゆっくりと休んでくれ」  サンディとミレアはその間、宿の部屋で待っていた。話をし、眠り、そして祈った。アーセタイルで身の振り方は考えてもらえると保証はされたが、二人だけでこれから生きていくのは、あまりに心細い。仲間たちの無事な帰還を、彼女たちは必死で祈り続けていた。しかし彼らは夜中になっても、帰ってこない。ミレアは涙をいっぱいため、真っ青な顔になっていた。サンディも心が潰れそうな思いがしたが、自分より年下のミレアのため、少しでもしっかりしなければ――そんなことを、必死に思っていた。 (わたしがしっかりして、守っていかなければ――)  サンディは、ふっと不思議な思いにとらわれた。この思いは、今が初めてではないような気がする。昔から、ずっと思っていたような――。  その時、外に車の音がした。窓を開けて見てみると、その日の朝早くここを出立した、神殿の車が宿の前に泊まり、ディーたち九人が下りてくるところだった。宿の入り口に掲げられたカドルの赤い光の下で、その姿が見えた。サンディは思わず歓声を上げ、ミレアの手を取った。王女もまた歓喜の表情を浮かべ、声を上げていた。少女たちは抱き合った。  部屋に帰ってきた九人は留守番の少女たちにアデボナ山での体験と、“浄化”のために必要な、これからの行程を語った。 「その“獣”というのは、どこか特定の場所に現れるって言いますが、それはあちこちに移動しているんですか?」  サンディは不思議に思い、そう問いかけた。 「違う。そうだな、あんたには“獣”の概念はわかりづらいかもしれないが、それは“思い”の集まりだから、形も存在も一定ではないんだ。普段から、どこかに、目に見えない場所に存在しているが、時々形を成す。その形を成した場所にその時間に行けば、形として見えるが、それ以外は目には見えないわけだ。目に見えない存在である時には、そう害はない。その存在にも気づかない。ただ、形になってしまうと、それは悪さをする。“思恨の獣”の場合は絶望感から攻撃性を帯び、“欲の獣”はその貪欲さの性質ゆえに、レラを飲み込むらしい。それを具現化という。そして、また目に見えない存在に戻る。これを繰り返して大きくなるんだ。その“欲獣”が次に具現化する場所が、デナ山の頂上で、五日後の夜なわけだ。だから、その時にそこへ行かなければならない。それで、ペブルがその“清心石”を相手に投げてしまったら、そこでレヴァイラをかけて浄化しないと、次の機会はない。石は一つしかないからな」  ディーは少女たちを見ながら、そう説明した。 「そうなんですか……」 「それにしても、不思議なんだよなあ、この石」  ペブルが服の内側についた袋から、その石を取り出して眺めながら、首を傾けていた。それは彼の大きな手の中にすっぽりと包み込めるような大きさで、白い輝きを放っている。 「もとは大きかったんだ。おいらが両手でつかんで、引っこ抜いたんだから。それがこの大きさになっちまって、全然重くもなくて。でもさ、これをとろうとしてみな」  彼は石を持った手を、サンディたちに差し出した。ミレアが少しおずおずと手を伸ばし、その石をそっとつかんだ。少女の顔色が変わった。 「重い……動かない」  サンディも同じようにやってみたが、その石はまるでペブルの手のひらに張り付いたようで、途方もない重さになっていて、動かすことすらできなかった。 「投げてみても、ダメなんだよ。投げられるんだけど、取れないんだ」  ペブルはその石を、ひょいとブルーとフレイの間に投げた。二人は慌てて身をかわし、その間に石は転がって落ちた。 「おい! やめろ! 俺たちを殺す気か!?」  ブルーとフレイが同時に、そう声を上げている。 「この石、他の誰も拾うことはできないのよ。重くて」  ロージアが床に落ちたその透明な石に目をやって首を振り、 「そう。俺でも無理なんだ」と、ディーも苦笑いをする。 「これを取って、下の通路から抜けようとした時、俺たちは誰も先に進むことができなかった。ペブルを最初に通さなければ。それで、ペブルはこの通りの身体だから、細い通路を抜けるには誰かほかのものに渡した方が良いと思い、ロージアに渡そうとしたが、できなかった。他の誰がやっても。それで投げようとしたら、投げられることに気づいてやってみたら、これがとんでもなく重くてな」 「そうだ。俺はとってみようとして、危うく手を砕くところだったんだぜ」  フレイが思い出したように手を振りながら、顔をしかめた。 「でも、おいらが拾うと、全然重くないんだよなあ」  ペブルは床に落ちた石を拾い上げ、それをつるりと指で撫でてから、再び懐にしまった。 「“清心石”は、最初の持ち主しか認めないということだ」  ディーがその様子を眺めながら、再び微かに笑って首を振り、言葉を継いだ。 「“欲の獣”の浄化は、四人でこと足りるのだろう。ペブルにその石を投げ込んでもらい――あの神官長の言うように、レラを吸われる時に放せばいいそうだから――その後、俺がリルとアンバーの助けを借りて、レヴァイラをかける」  レヴァイラは光の最高技の一つで、ディーは四分の一の光ではあるが、それが使える。ただしそれを発動させるには、全形の強い光が必要で、そのためにリセラの二分の一の光とアンバーの四分の一のそれが必要になり、合わせて全形の光となって技が出せる――以前、アーセタイルの首都ボーテ近郊で、“思恨の獣”の昇華をした時に見たその技を、サンディは思い出していた。 「四人でこと足りるなら、留守番をしていた方が楽そうだな。疲れたしな、今日も」  ブルーはぼそっと、そんなことを言う。 「ふん。高い山を一日かけて登りたくないんだろう」  フレイは小さく鼻を鳴らし、首を振った。 「まあ、おまえたちはここでサンディやミレアと留守番でもいい。ロージアも土レラを吸われる危険があるから、残った方が良いかもしれないな」  ディーは苦笑いを浮かべながら、仲間たちを見やった。 「また留守番ですか?」  サンディとミレアは少しがっかりしたように声を上げる。 「留守番しといた方が良いぜ。行っても何かできるわけじゃないし、山道は危ないしな。大変だろう」フレイが二人を見やり、そして続けた。 「でもまあ、俺は行ってもいいぜ。やれることはないだろうが、四人だけというのも少し心配だしな。まあ、ディーがいるから大丈夫だろうが」 「私も行こう。何か道具で役立てるものがあるかもしれないし、ロージアが行かないなら、怪我した場合、薬があった方が良い。私は吸われて困るレラもない。非力ではあるが、山道を登るくらいはできるだろう」  ブランもかすかに首をすくめながら、そう申し出る。 「わたしは、ふもとまでは一緒に行くわ。山には登らないまでも」  ロージアの言葉に、残る四人も「そこまでなら、まあいいだろうな」「ここで待っているより、気が楽です」「そうしましょう」と、口々に賛同の声を上げた。 「それでは、五人には車でついてきてもらうか。そして、ふもとで待っていてもらおう。山には六人で行って。まあ、今日はもう遅い。寝よう」  ディーが一行を見回し、提案した。夜ももう半ばを過ぎている。みなは頷き、それぞれの寝棚に引き取っていった。  三日後、再び神殿から迎えの車が来た。迎えの神官たちに事情を語り、留守番の五人はその山のふもとまで、もともと乗ってきた車で同行することを告げた。迎えの者たちは、このこともすでに了承しているようだった。 「それでは我々が先導するので、君たちはひとまずみな君たちの車に乗り、ついてきてくれ。それと、君たちのカラムナはだいぶくたびれているようなので、新しい、若いものを三頭用意した。それに引かせれば、我々の車と同じくらいの速度が出るだろう。成功報酬の前渡しとして、渡しておく。君たちのカラムナは神殿で引き取って使った後、繁殖屋に持っていこう」 「おお、これで車だけじゃなく、駆動生物も立派になったな」  フレイが喜びの声を上げた。残りのみなも同じような表情だ。今まで道中共にしてきたカラムナたちには多少の愛着があるが、彼らもまた神殿で使ってもらい、そののち余生が過ごせることが保証されていることで、一同の気は軽くなったようだ。  一行は新しい三匹の駆動生物を車につなぎ、先導する神官たちの車の後をついて出発した。指示席にはロージアが座った。ペブルは“清心石”を持っているため、浄化に向かわなければならない。それまで、ゆっくり休養させようという意図だ。  その日、日没近くなるころ、二台の車はデナ山のふもとに着いた。そして街道を外れ、広い野原の中で野営することとなった。 「“欲の獣”が現れるのは明日の夜だ。山を登るのは、明日の朝が良いだろう」  先導の神官たち(“清心石”を取るために同行した三人と同じ人たちだ)は告げた。 「それでは、見張りを立てた方が良いだろうか」 「いや、私が結界を張る。その中にいれば大丈夫だ」  神官の一人が立ち上がり、杖を振りながら周りを回った。薄茶色に微かに輝く霧のようなものが、その周りを取り巻いていった。 「ありがたい。それなら車の中でも、ぐっすり眠れるな」  一行はポプルと水といういつもの食事をとった後、車の中に戻って眠った。  翌日、“浄化”に加わる六名は、山頂目指して出発した。 「夜道を下りるのは危険なので、“浄化”ののち、君たちは山頂で夜を明かしてもらうことになるだろう。雨は降らないと思うが、敷物とカドルは必要だ。これを。他に水やポプルも入っている」  神官たちは装備の詰まった大きな袋と、少し小ぶりなものを取り出した。 「ほんじゃ、これはおいらが持っていくよ」  ペブルが大きい方を受け取って、ひょいと肩に担ぐ。 「君は“清心石”を持っているんじゃないのかね?」 「でもその石、重くないんだ。それに荷物運びはおいら、得意だからね」 「じゃ、俺も少し持つか。そっちの小さい袋を貸してくれ。俺は上では役に立たないからな」フレイが手を出して、小ぶりの方を受け取った。 「では、帰ってくるのは明日なのね。気をつけてね」  車に残る五人を代表してロージアがそう声をかけ、残る四人も真剣な表情で頷く。 「あとはみな、女ばっかだな。ここに残るのは」  ブルーが少しきまり悪そうに周りを見回し、 「それなら、あたしだって登り組の中では、女一人だからね。まあ、無理しないで。大丈夫よ」リセラが笑って、そう青髪の若者に声をかける。  そして六人は出発した。  山頂へ向かう道は狭く、険しかった。突き出た木の枝に洋服が引っ掛かったり、ゴロゴロした石に躓きそうになったりしながらも、一行は進んだ。ディーとペブル、それにフレイは登り道にもさほど息を乱すことなく進んでいくが、あとの三人には少し辛そうだ。 「山は登るもんじゃないよ〜。少し休もうよ」  中腹まで来たところで、アンバーが立ちどまった。 「そうだな。風の民には、山は飛んで超えるものだな。二、三段階あるだろうが。おまえは先に飛んでいくか?」ディーは苦笑して、そう答えていた。 「それはいやだ。上でみんなが来るのを、一人で待っていないといけないからね。だから、休もうよ」 「そうねえ。あたしも賛成」リセラが息を弾ませて頷いた。  道具箱を担いで登ってきたブランも、少し苦笑いをしながら「私も、そうしてくれると助かる。情けないね。自分から言いだしたのに」と、立ち止まっていた。 「そうだな。まだ昼間だ。少し休憩するか」  ディーも仲間たちを見やって、立ち止まる。一行は少し開けた斜面に敷物を敷いて座り、水と白ポプルをとった。そして半カーロンほどそこで休憩すると、再び上を目指した。それから、さらに八合目付近で再び休憩した。  山頂に着いた時には、陽はちょうど地平線に沈んだところだった。眼下の平原や森の向こうに、カミラフの街と、いくつかの村が見えていた。周りを取り巻くように、高さはさまざまの、多くの山が見えている。 「ロッカデールは本当に、山が多い国なのね」  リセラが周りに広がる景色に見入るように、そう呟いた。 「きれいとは言えないけれど、この薄墨色の中では趣があるかもしれないわ」 「山が多いこの地形ゆえに、この国では鉱山産業が盛んだったのだがね」  ブランも道具箱を地面に下ろしながら、景色に目をやり、そして続けた。 「山道でけがをした者はいないかい? 手当をするよ」 「あ、ありがとう。あたしは結構すりむいちゃったわ」 「僕も腕に枝を通しちゃった」 「俺は石を踏んでこけたな」  リセラ、アンバー、フレイがそれぞれ薬を塗ってもらった。ブランは最後に自分の傷にも、調合した薬を塗っていた。それはレラには影響しない草を数種類調合して、作ったものだ。鳥に運ばれてロッカデールに来た時、木の枝で足を怪我したミレア王女に、ローダガンが当てた葉っぱのように、炎症を抑えたり、傷の直りを早めてくれたりする効能を持った草が、いくつか存在している。 「俺とブランは浄化に関係ないから、どこか隅っこにどいていたいが、巫女様は山頂と仰っただけで、そのどこに出るのか、わからないんだなあ」  フレイが少し不安げに周りを見回していた。 「そうだな。真上に出現されたら、いくら攻撃はしてこないといっても、衝撃で弾き飛ばされるだろう。飛べれば何とかなるが、三人は無理だな……」  ディーは思案するように、同じくまわりを見回していた。山頂は比較的広く、平らで、その下はさっき上ってきた山道が急な下り坂となってあり、あとは鋭い岩肌ととがった葉っぱの灌木や木々に覆われている。長時間退避できるような場所は、山頂広場のほかはなかった。彼はさらに空を仰いだ。 「エフィオンは、今は下りてこない。どこに出るかは、わからないが……もう少し直前になればわかるだろう。とりあえず、すぐに動けるよう、地面には座りこまない方が良いな。あそこに大きめの石がいくつかある。人数分はありそうだから、そこへ行って座ろう。そして、ポプルを補給しよう。レラは使っていないから白だけでいいが、念のため光は補給しておいた方が良いな」 「ポプルはこの中だな」  フレイが持ってきた袋の口を開け、中身を取り出した。たくさんの白と、いくつかの黄色、そして緑が一、二個。白は山に登ってくる途中でいくつか消費したが、それでもまだかなりあった。ペブルはその白ポプルを十個ほど一気に食べ、さらに二、三個追加していた。みなもそれぞれ必要に応じた白と、そして光系三人はレヴァイラをかける時のために、黄色ポプルを手に取った。光エレメントは消費していないものの、少しでも減衰しているとレヴァイラを発動することができないので、念のために補給しておいた方が安全なのだ。ただそう量は必要なく、リセラで一個、ディーとアンバーは一つのポプルを半分にして分け、食べていた。 「さて、あとは待つだけだな」  レラの補給が終わるとディーは空を見上げた。あたりはすっかり暗い。月のないディエナの夜は真の闇と化すので、フレイが荷物の中からカドルを取り出し、置いた。 「あまり長くかからなきゃいいがな」と、同じように空を見上げながら。  それから三カーロンほど、一行は待った。やがて、暗闇の中からかすかな音が聞こえた。無数のささやき声のような――闇の中に、濃い灰色の影が渦を巻くように現れた。それにはたくさんの目があり、多くの腕があった。その中心が、大きく開いた。まるで大きな口のように。 「出てきたぞ! フレイ、ブラン。おまえたちは後ろへ下がれ。山頂から落ちないよう、気をつけてな。リル、アンバー、俺たちももう少し下がろう。ペブルはそのままでいい」 「はいよ。おいらも立った方が良いかい? でも、大丈夫かい?」 「そうだな。たぶん土レラを吸われていくと思うが、闇レラは無事だと思うから、そう心配はないだろう。ただ、吸われつくす前に、その石を放て」  ディーが言うと同時に、周りの空気が動き始めた。それはその“獣”の大きく開いた口へと向かう流れだが、人間ごと押し流すような勢いのものではない。山頂にいる六人のうち、その獣が吸うレラ、岩と土を持っているものはペブルしかいない。あとの五人は、上昇する風を感じるだけだ。山肌からも、うっすらと茶色味を帯びたレラが流れていく。こうしてこの国は徐々にレラを失ってきたのだろう。  フレイはブランの手を取り、素早く大きめの石の後ろに回り込んで、しゃがんだ。ディーはそれぞれの手にリセラとアンバーの手を取り、二、三歩後退する。ペブルはその場に立ち上がった。と、彼の身体がうっすらと緑色を帯び、それが幅広の布のように、その“獣”の開いた口の中へとたなびき流れていく。 「ペブル。“清心石”を放て!」ディーが短く指示した。 「お、お……そうだ」  太った紫髪の若者は懐に手を突っ込み、透明な石を取り出した。それを投げ上げる。彼の身体から相手に流れていく緑色の帯に、その石の輝きが絡み、一緒に吸い込まれていく。それが口の中に消えた次の瞬間、音が変化した。それまでは無数のささやき声『欲しい』『もっと』『これじゃ足りない』――そんな風に聞こえる声だったものが、一瞬静まり返った。そして声にならないものに変化した。『おおお……』とも『ぼぼぼ……』ともつかない響きに。そしてその胸の中心から、白い光が四方にあふれだす。 「今だ! レヴァイラをかけるぞ。リル! アンバー! 光をくれ!」  ディーが叫び、やがてもう一つの光があふれた。微かに黄金色を帯びた浄化の光。それが白い光と混ざり合い、溶けあって、そしてはじけ散った。その中で、“獣”も散っていった。ちょうどアーセタイルで、“思恨の獣”を昇華した時のように。ただ、“欲の獣”はその時に生きていた大勢の人間の“念”の集まりゆえ、それは浄化されて空中に散りうせていく。それは空に吸収され、やがて薄い雲となった。その雲はロッカデール全土を追いつくすように広がり、そこから雨が降り始めた。茶色みを帯びた、灰色を帯びた、レラの雨だった。 「これで、ロッカデールも救われるだろう……」  ディーが大きく息をつきながら、声を出した。その髪はレヴァイラをかけた時にすべて金色に染まったが、今はまた下の方から徐々に黒く戻りつつある。 「良かったわ」リセラもほっとしたような表情で微笑み、頷いた。 「さてと、ペブルもご苦労だったな。山を下りるのは明日だから、レラを補給して、眠っておこう」 「ほんじゃ、こんなかに敷物があるんじゃないかな」  ペブルは地面に置いた大きな袋の口を開いた。中から組み立て式の四本の柱と屋根の幌布、そして柔らかい敷物が出てきた。一行はそれを組み立て、必要なポプルを食べた後、眠りについた。  六人はその翌日、朝のうちにふもとへ着いた。急斜面を下りるのは、登るより危ないと、“翼の民”アンバー、ディー、リセラが、それぞれフレイ、ペブル、ブランを抱えて、飛んで下りたために、一カーロンもかからずに山を下りられたからである。下で待っていた五人との再会を喜び、晴れやかな表情の神官たちにも迎えられて、彼らはそのままカミラフに帰った。下に待機していた人々からは、山頂の様子は暗くてほとんど見られなかったが、そこからあふれる光とレラの雨に、“浄化”の成功を悟らせたのだ。 「本当に、よくやってくれた。褒章の残りを、あとで神官長から受け取るが良い」  カミラフの神殿で、巫女は一行にそう告げた。 「はい。ありがたきことです。ところで巫女様、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」  ディーはその前に跪き、そう問いかけた。 「あまり込み入った答えはできぬが、何だ?」 「“清心石”は使ってしまいましたので、もしまた“欲の獣”が生まれてしまった時には、どうなるのでしょうか?」 「再び“獣”が生まれるまでには、五百年はかかるであろう。その間にまた、清き心の聖人が生まれるか、いや……」  巫女は言葉を止め、パチッと瞬きをした。瞬きをしないはずの巫女のその動作に、控えていた全員が驚いたようだった。が、再び巫女は元の表情に返り、言葉を続けた。 「いや、そんなことは、きっともう起こらぬ」 「それは……」 「この世界も……変わっていくやもしれぬ。その存在意義は保ったままで」  巫女は杖を振った。その退場の合図で、一行は御前を下がるよりほかはなかった。  感謝の言葉とともに、かなりの金額を褒章としてもらった一行は、宿に帰った。 「お客さんたちに、連絡鳥が来ていますよ」  その時、宿の主人はそう告げた。 「昨日の夕方来たのだけれど、部屋に入れないから、ドアの前で待っているはずです」 「わかった」ディーが代表して頷く。  一行が部屋に戻ると、灰色に少し茶色が混じった、黄色いくちばしの鳥が、ドアの前、廊下側の張り出し窓にちょこんと止まっていた。その鳥が口を開いた。 「リセラ。みなさん。今カミラフにいるなら、そしてもし神官さまに会える状態だったら、きいてもらってください。なぜ妹は帰ってこれないのかを。お願いだ!」  ローダガンの声だった。最初に神殿に赴く前に、彼に向かって連絡鳥をリセラが飛ばしたので、それの返答だろう。  一同は当惑した表情で、お互いを見やった。ローダガンの妹、ファリナはヴァルカ団にさらわれ、フェイカンに売られたが、神殿同士の話し合いで戻ってくる。そう警備兵たちから聞かされていた。 「明日、神殿で聞けたら聞いてこよう、できたら君もカミラフまで来られないか、と伝えてくれ」  ディーがリセラに言い、彼女は頷いて同じ言葉を繰り返した。鳥は飛び去って行った。 「ああ、ヴァルカ団にさらわれた子供たちのことだね」  翌日、再び訪れた神殿で、ダンバーディオ神官長は重々しい顔をして、答えていた。 「そのことについては、精霊様同士で意思を通じ合い、七人のうち四人は戻ってきた。正確にはマディットからの二人は、まだこちらへ向かう船の中だが」 「あとの二人は?」 「ミディアルに売られた子たちは、一人は最初の襲撃の時に殺され、一人はその後マディットで神殿奴隷として働くうち、死んでしまったらしい。ほんの二シャーランほど前だという。生き残った一人と、そして元々マディットに売られた子は、今戻ってきているところだ。だが、フェイカンに売られた一人は、買い主が手放すのを渋っている、ということだった」 「手放すのを渋っていると言っても、事情は話したでしょうし、お金も返すのでしょう? なぜ?」リセラが、納得いかなげにそう問い返したあと、「あ、すみません、失礼で」と、慌てたように付け加えていた。 「構わぬ。我々も頭を痛めている。相手は富豪の若者で、フェイカンの神官長の親戚筋らしい。なんでもその子を気に入ってしまったので、返すのを渋っているそうだ。だが、条件付きなら返すと言ってきた」 「条件?」 「彼の頼みを聞いてくれたら、だそうだ」 「その頼みとは?」ディーが問い返した。 「それは、彼から直接言いたいらしい」 「ってことは、フェイカンまで行くのかよ」  フレイが微かに表情をゆがませ、独り言のように呟いた。 「そうなる。相手はフェイカンの首都ダヴァルに住むヴェイレル・タンディファーガというものらしい」 「本当かよ、ダヴァルのヴェイレル・タンディファーガか……」 「知っているのか、その男を?」ディーが問いかけた。 「ああ。ちょっとした名士だ。俺は会ったことがないが、名前だけは知っている」  フレイは頷いて、ますます顔をゆがめた。 「タンディファーガかよ。関わりたくねえ。あいつらのせいでつぶされた家を、いくつも知ってるぞ」 「悪い意味での名士だな。その感じだと」ディーは苦笑いを浮かべた。 「そうよね。事情がわかっても、素直に返さないなんて」リセラも憤った表情だ。 「我々も弱っていたところだ。ちょうどいい。その子と知り合いなら、君たちが行ってくれないか?」  ダンバーディオ神官長は少し膝を乗り出してきた。 「俺たちは便利屋じゃないぞ」  フレイがそう声を上げ、ついで、「いや、申し訳ない。失礼した」と謝っていた。 「俺たちはその子と、直接の知り合いではない。が、その子の兄とは知り合いだ。そうだな……」ディーは考え込むように言葉を止めた。 「どうせなら、最後までやりましょうよ。そのファリナちゃんがローダガンのところへ帰れるまで。あたしはそうしてあげたいわ」リセラが声を上げた。 「そうか。他のみなはどう思う? 向こうでまた、どんな無理難題を言われるかわからないが」ディーは仲間たちを見回し、 「そうだろうな。あのタンディファーガ相手じゃ」と、フレイも言い添える。  他のみなは、少し考えるような表情になった。だが返事をする前に、ダンバーディオ神官長が立ち上がった。 「失礼する。巫女様がお呼びだ。また来るゆえ、待っていてくれ」 「巫女様がお呼び……わかるんですね、あの方には」  神官長が退出すると、サンディとミレアが同時に、不思議そうに声を出した。 「それができなければ、神官長様にはなれないのよ」  レイニが微笑んで説明する。 「そう、神官長を指名するのは巫女、正確には精霊様だしな」  ディーがそう言い添えた。 「さっきの質問の答えは、神官長様が戻ってからでもよさそうだな。巫女様のお告げが何か、それが俺たちに関係あるものかどうかわからんが」 「君たちに、フェイカンに行ってほしいというお告げだった」  部屋に戻ってきた神官長は、椅子に腰を下ろすなり、そう告げた。 「向こうの精霊様から要請されたという。アーセタイルを助け、ロッカデールを救ったディルト集団になら、今フェイカンを悩ませている問題も解決できるかもしれないと」 「……俺たちは問題解決屋か……?」ブルーがぼそっと呟き、 「まったくな」と、フレイも顔をしかめて頷く。 「結局行かなければならないのなら仕方がないですが、フェイカンは俺たちのようなよそ者やディルトの差別は厳しいと聞きます。それと、さっきの話ですが。フェイカンの名士に売られた女の子を取り返す。それは精霊様のお力ではできないのでしょうか?」  ディーはやはり相手が神官長ゆえか、いつもより丁寧な口調で聞いている。 「ここだけの話だが、火の精霊様はタンディファーガ家を良くは思っておられないようだ。あそこの神官長はたしかにその家の出だが、分流で、同じように本家を快くは思っておられないらしい。たぶん最終的には、その家を滅ぼすことになると」 「ほう!」フレイがそこで、感極まったような声を上げていた。 「今の問題が解決できたら、それと連動してその結末になるだろうと、それはわが岩の巫女様、あちらの火の巫女様、共通の見解のようだ。だが、その前にそのファリナという子を救出しなければ、一緒に滅ぼされてしまうだろう。それと、そのタンディファーガ家の難問を君たちがどうさばくか、それも君たちの力量を知るうえで見たいと、あちらの精霊様は仰るのだ」 「わたしたちは、試されているわけですね」  ロージアが低い声で問い返す。 「まあ、そういう部分もあるだろう。それでだ、これを巫女様から預かった」  神官長は薄い紙、いや、金属のようなものでできた、四角い小さな板を取り出した。それはオレンジ色を帯び、真ん中に金色で何か紋章のようなものが刻まれている。 「これは火の神殿の……」  フレイがそれを見、息を呑んだように呟いた。 「向こうの巫女様から、こちらの巫女様に送ってきたものだ。それを先ほど預かってきた。これを持っていれば、向こうで宿や店を利用するのに、断られることはないらしい」 「早いのですね……先ほど話に行かれたのに」  リセラが驚いたようにそう呟き、 「精霊様同士は、話も物の転送も一瞬だ。驚くことじゃない」  ディーは差し出されたものを受け取りながら、低い声で言う。 「ミディアルでは、縁のない話だろうがな。だがこれが、精霊様の世界だ」  ダンバーディオ神官長は微かに首を振った。 「タンディファーガの方は、報酬が期待できないだろうが――その子以外はな。だがフェイカンの神殿では、相応の報酬が期待できるだろう」  一同はお互いに顔を見合わせ、お互いの表情を読んでいるようだった。 「俺たちに選択肢はないようですね」  ディーが苦笑気味に神官長に告げ、一行も頷いていた。多少の不安と懸念は隠せないようだが、それでも進んでいくしかないと。 「よろしく頼む」神官長はうっすらと笑みを浮かべた。 「巫女様は、それも君たちなら成功できるだろうと仰っている。そしてたぶん、フェイカンに売られた子の兄も、同行するであろうと。その者が合流するまでの宿代は、わが方でももとう。それから出発してくれ」 「わかりました」  ディーが代表して答え、みなで頭を下げると、一行は神殿を退出した。  宿に帰った翌日、ローダガンから連絡が来た。「今カミラフへ向かっている。あなたたちが泊まっている宿を教えてほしい」と。それに対しリセラが、今自分たちが泊まっているところと、神殿で聞いた話を繰り返し(タンディファーガ家に関するフェイカン神殿の対応は機密のため、できなかったが)、再び連絡鳥を飛ばした。そして彼が合流してくるのを待った。  それから三日後、ローダガンが合流してきた。 「なんだか、またあなたたちの世話になってしまうようだが……本当にすまない。感謝する」若者は開口一番にそう告げ、 「成り行き上そうなっただけだ。君が気にすることじゃない」と、ディーが答えていた。そして改めて聞いた。 「君も我々と一緒に、フェイカンへ行くか?」と。 「もちろんだ! 行けるものなら!」  ローダガンは即座に声を上げていた。 「それなら、一緒に行こう。ただ火の神殿までは、付き合わなくてもいいだろう。君は妹さんを取り戻したら、先にロッカデールへ帰ってくれ。それでいいなら」 「わかった。ありがとう、ディーさん!」 「さんはいい。それは君と同じだ。我々の車には君一人くらい余分に乗る場所はあるし、カミラフの神殿から新しい駆動生物ももらった。君のカラムナは駆動生物屋にとりあえず預けて、明日出発しよう。フェイカンの国境まで、二日ほどかかるだろう」 「しかしまたフェイカンに帰ることになるとは、思わなかったな」  翌日、街道を車で走りながら、フレイがぽつりと言った。 「そう言えば、フレイさんはどうして、フェイカンを出たの?」  ミレア王女は不思議そうに聞く。 「まあそれは、向こうに着いたら話すさ。おいおいな。ただ、大した話じゃない」  フレイは小さく苦笑いをし、首を振った。  街道の両側には、相変わらず少し茶色い野原と森林が広がっていた。空は少し灰色がかった青だ。その光景は変わらないが、草原にはナンタムたちが動いていた。アーセタイルのそれと変わらない動作で、ぴょんぴょん飛んだり、くるくる回ったりしている。 「ナンタムたちも、元気になったみたいね」  リセラがそれを見ながら、嬉しそうな声を出した。 「レラが戻ったからな」  ディーもその生物に目をやり、微かに口元を緩めた。 「鉱山も、そろそろ再開されるらしい」  ローダガンが言い、一行を見た。 「ロッカデールは救われたんだ。本当に、あなたたちのおかげだ」 「あとはあなたの妹さんが救い出せれば、完璧ね。ミディアルに売られた二人は、かわいそうだったけれど」  リセラは髪を振り、若者を見やる。 「もしファリナがミディアルに送られていたら、その子たちと同じ運命だったのかもしれないな。フェイカンに行った子たちは、帰ってきたが。妹以外は」  ローダガンは表情を曇らせた。 「タンディファーガは少し厄介な相手だぜ。心してかかった方が良いな」  フレイが赤い髪を振り、少し顔をしかめる。 「あとはねえ、フェイカンに入る時、バラバラにならないように気をつけましょ。あたしたち、アーセタイルもここも、入る時バラバラになったから」  リセラが思い出したように少し笑い、みなも「そうだな」と声を上げていた。  上空を、鳥が行き過ぎていった。みなは一斉に、空を見上げた。 「あれは、エンダだね。ただ、昼行性の普通種だ」  ブランが薄い日よけ眼鏡の上に手をかざし、言った。 「あたしたちがさらわれたのは、夜行性の変異種だったわね、もう少し大きくて」  リセラが思い出すような表情を浮かべ、そして続けた。 「あのヴァルカ団も、やっていたことはとんでもないけれど、“欲の獣”が生み出した犠牲者だったのね。あの人たちも、あの鳥も。ヴァルカは欲しいと思う心ゆえに親に捨てられて、その“欲しい心”が集まった“獣”に職を奪われた……でもね、ディー、あなたが巫女様に問いかけたこと、あたしも気になっていたの。この心は、完全になくなることはないとしたら、また何百年かたった時に、新たな“獣”になりはしないかしらって。あたしたちはもちろん、そこまでとても生きてはいないけれど。その時にもし“清い心”がなかったら、どうなるのかしらって。そうしたら、あの巫女様が仰ったのよね。そんなことはもう起こらぬ。この世界は変革していくのかもしれない、と」 「それは、俺も気になっていた」  ディーは頷いた。そしてしばらく黙った後、続けた。 「変わっていけばいいがな。良い方向に」  一行十二人みなが、同じ思いを心に抱いているようだった。周りは相変わらず茶色とグレイ、そして深い緑だが、ところどころに小さな湖水が見え、空はだんだんと晴れていった。アーセタイルの空のように、それより少し白っぽい空から、太陽の光が降り注いでいる。三頭のカラムナたちは勢いよく車を引っ張り、指示席に座るペブルも、特に指示を出さなくてもいいようだ。道は一本、まっすぐに伸びている。フェイカンとの国境の町、リオエヴァまで。彼らは新たな国を目指して進んでいた。             【ロッカデール編 終】