2003年12月28日 (日)  バーンスタイン入門 6

 バーンスタイン入門編も佳境に入って来ました。(え〜! 中級編や上級編もあるのぉ?!って、ありませんから、ご安心を)

 さて今回は、音楽教育者としてのレニーについて。と言っても勿論、近所の子供にピアノを教えたことがありますというような話ではなく。

 音楽史上、重要な活動が二つあります。皆さんの記憶に新しい方からいきましょう。

1.PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)音楽祭
 毎夏、札幌で開催されているこの音楽祭を提唱したのがバーンスタインだというのは、ご存知でしょう。「環太平洋の国際交流と、音楽家の育成と音楽の普及・振興」を目的とした音楽祭です。残念なことに1990年創設の年、彼は逝ってしまいます。彼の熱のこもった指導の様子は『バーンスタイン/最後のメッセージ』(ソニー)で観ることができます。

2.『ヤング・ピープルズ・コンサート』
 テレビの普及とバーンスタインの活動には切っても切れない関係があります。この番組の前身は1954年からの『オムニバス』。その後、1958年から上のタイトルとなって米国での長寿人気番組(15年も続いた!)となりました。よその国のことまでは詳しく知りませんが、恐らくこの番組の影響を受けて作られた音楽啓蒙番組は世界中にゴマンとあることでしょう。

 1993年、バーンスタイン生誕75周年を記念して、『ヤング・ピープルズ・コンサート』から25作品をソニーがビデオ化して販売しました。そのほとんどがモノクロ・モノーラルですが、今観てもよくできているなあと感心させられます。語りもうまいし、ピアノを弾きながら解説しているかと思うと、いきなり指揮台に立ちニューヨーク・フィルの演奏。全く無駄がないのです。

 タイトルのいくつかを紹介しましょう。「オーケストレーションって何?」「音楽の中のユーモア」「オーケストラの響き」「音楽の原子〜音程を学ぼう〜」「コンサート・ホールの中のジャズ」「ハッピー・バースデー、ストラヴィンスキー!」など、どれも興味を引くものばかり。NHKが何度か放映していたのでそれを見た人も多いのでは?

 上の二つにとどまらず、バーンスタインは機会あるごとに、大学などで音楽に関する講演を行っています。私は著書数冊を入手しましたが、専門的過ぎて正直よく理解できませんでした。

2003年12月21日 (日)  バーンスタイン入門 5

 バーンスタインのことを、「現代のダ・ヴィンチ」と呼ぶ記者や評論家もいました。ヴィンチはイタリアの小さな村の名前ですが、無論かの万能の天才・レオナルドのことを指しています。「現代のレオナルド」「もう一人のレオナルド」というニックネームもあります。

 指揮者、作曲家以外では、ピアニスト、音楽教育者としての肩書きも重要です。で、今回はピアニストとしてのレニーに迫ってみましょう。

 歌曲の伴奏程度なら、ジョージ・セルやサヴァリッシュなども弾いていますが、コンチェルトのソリスト・レヴェルとなるとそんなに多くはいないと思います。ワルターのモーツァルトがあったと思いますが、有名なところでは、プレヴィン、バレンボイムあたりでしょうか。

 バーンスタインの技量で驚かされるのは、ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーとラヴェル、ショスタコーヴィチ(2番)、ベートーヴェン(1番)のコンチェルトです。音は硬めで高音に抜ける感じ、内田光子さんのソフトで暖かい、ころんころんした音色と対照的です。

 他にもモーツァルトのコンチェルト(17、25番)、マーラーの歌曲集の伴奏、自作の演奏などがあります。室内楽では、モーツァルトのピアノ四重奏曲 ト短調とシューマンのピアノ五重奏曲(いずれもジュリアード弦楽四重奏団との共演)がCD化されています。

 いくら、バーンスタイン贔屓だからと言って、間違っても「バーンスタインはヴィヴァルディの四季で、自らチェンバロも弾いてるんだ、すごいだろ」とクラシック・ファンには言わないように。「カラヤンだって弾いてるよ」と、軽くいなされてしまいますから。

2003年12月14日 (日)  松竹座管絃團

 前回紹介した「松竹座管絃團」の演奏会のちらしを見て驚きました。

 まずは、大正15年3月の演奏会で演奏された曲目を見てみましょう。

1.ピーター・チャイコフスキー作曲:組曲「胡桃割り」

2.調和樂「かっぽれ」

3.ジャッヅバンド
  イ カレッヂェート  ロ チャイナ・ムーン  ハ アールユーフロームディキシイ

 そうなんです、クラシックが洋楽版「かっぽれ」やジャズと一緒に演奏されているんです! 続いて、同5月の演奏会。

1.ビゼエ作曲:組曲「アルルの女」から第二組曲

2.松竹座 ジャズバンド 数番

 やはり、クラシックのポピュラーな曲と、ジャズの(恐らく)スタンダード・ナンバー数曲が、同じ舞台で演奏されています。演奏者名を見ると、ジャズ専門のバンドを呼んで来たのではなく、全部この楽団だけでまかなっていたようです。(そう言えば今のオケでも時々、ポップスやジャズを盛り込んでやってますよね)

 まあ、オケと言っても、現在我々がコンサートで見るようなフルオケを念頭に置いてはいけませんが、ただ、松竹座管絃團の名誉のために申し添えておきますと、ヴァイオリン8丁、ヴィオラ2、セロ3、コントラバス1、フルート2本、オーボー1、クラリネット2、ファゴット1、ホルン2、トロンペット2、トロンボーン2、ティムパニー1、ピアノ1でクラシックの曲は演奏されていましたから、そんなにちゃっちいものでもなかったはずです。

 これらの演奏会を彷彿とさせるSP盤も現存しているようです。

2003年12月7日 (日)  ベートウヴエン百年祭

 バーンスタインの話の合間に、ちょっと珍しい話題を。先日、とある講演会で仕入れて来たものです。

 題して、「ベートウヴエン百年祭」。何の事かと言いますと、ベートーヴェン没後100年を記念して、大正15年に我が国でイベントが催されたというのです、しかも場所は、大阪道頓堀は松竹座。

 文化水準の高い東京でのことならいざ知らず、お笑いと食道楽の地、浪花においてというのですから、驚きではありませんか!

 で、いったい何が行われたのかと言いますと、なんと第5交響曲と悲愴ソナタに乗せて、楳茂都(うめもと)舞踊研究所の女生徒によるバレエが演じられたのであります。音楽は(恐らく無声映画の伴奏を専門に受け持っていたと思われる)松竹管絃團。そのプログラムに書かれた説明が傑作なのです。

舞踊「みだれ」
「始め一楽章間では二人の男女が運命に寄するあらゆる受難、第四楽章に於ては怪異な運命を象徴するグロテスクな四人の踊り、最後に総て忘却して一同が物狂おしく踊るといふ(以下略)」(これが第5交響曲のバレエの説明ですが、どんなんやー、とつい突っ込みたくなるような内容じゃあーりませんか)

「悲愴奏鳴曲」
「舞踊は五人の舞踊手によって繊細な感情を不朽のリズムに踊躍せしめつつ、或いは浪の寄するが如く、遥かなる空の星を指して高く呼ぶが如く、地に伏してむせぶが如く或いはグロテスクな乱舞になります(以下略)」(エロ・グロ・ナンセンスが流行するのが昭和の5年ですから、この面妖怪異な踊りはその先駆けか)

 どうやら、「ベートウヴエン百年祭」なんて、興行としてやったのは大阪だけだったらしいのですが、西洋音楽の普及というより、ただ単に新し物好き、珍しがり屋の大阪人気質の表れとみる方が当たっているようです。

 次回は、同じ頃の別の演奏会の話題を。

2003年11月30日 (日)  バーンスタイン入門 4

 お待たせしました。と言ってもメモ程度の内容ですから、あまり期待しないで下さいよ。

 まずは、「交響的舞曲(シンフォニック・ダンス)ウェスト・サイド・ストーリー」。これは、美味しい所の寄せ集め的ダイジェスト版ですが、肝心のトゥナイトとアメリカが聞けません。
 バーンスタイン自身はこの曲をニューヨーク・フィルと後年ロサンゼルス・フィルを振ったもので2種残しましたが、それ以外にも何人もの指揮者がこの編曲版を振っています。

 次は映画のサントラ盤。これは15曲も入っていますが、どういうわけか、あのマンボが欠けています。このサントラ盤で個人的に気に入ってるのは、とってもチャーミングな「アイ・フィール・プリティ」と、思わず笑ってしまう「クラプキ巡査への悪口」です。

 81年、バーンスタインはイスラエル・フィルの伴奏のもと、キリ・テ・カナワやホセ・カレーラスといった超一流歌手を起用して、自ら全曲盤を制作しました。このメイキングの模様はビデオなどでも売り出されましたが、カレーラスとの一触即発の場面等なかなか興味深い内容盛りだくさんです。

 ただ、「バルコニーにて」でのマリアとトニーの愛の語らいの場面に、バーンスタインの坊ちゃんとお嬢ちゃんを連れてきて喋らせた勇気には感服しますが、正直言ってやめて欲しかったと言わざるをえません。バーンスタインの英断は時としてこのように裏目に出ることがあり、それはそれでまた面白いのですが・・・
 
 以上出揃った後で発売になったのが、オリジナル・ブロードウェイ・キャストによるもので、これは一番のお薦めです。何と言っても歌手が、ミュージカル専門の歌手なんですから、これはもう最高!

2003年11月28日 (金)  バーンスタイン入門 3

 不測の事態が起こりましたので、またまた引き延ばしますが、ウェスト・サイドの話に入る前に、バーンスタインの作曲歴を簡単に紹介しておきます。指揮者デヴュー1943年秋を頭に置いておいて下さい。

 交響曲第1番「エレミア」を発表したのが1940年。その2年後、歌曲連作「私は音楽が嫌い」を作曲。43〜44年にかけて、バレエのために書いた「ファンシー・フリー」が大評判になり、その話をもとにしてミュージカル「オン・ザ・タウン」が誕生。ブロードウェイの舞台に一大センセーションが巻き起こります。

 45年からは国内外で指揮者として引っ張りだこ。それでも49年に第2交響曲「不安の時代」、52年にオペラ「タヒチ島の騒動」、翌年「ワンダフル・タウン」、56年「キャンディード」と来て、57年に「ウェスト・サイド・ストーリー」となるわけです。

 もともとはブロードウェイ・ミュージカルのために書かれた音楽ですが、傑作だというので61年映画化され、「サウンド・オブ・ミュージック」「南太平洋」などと並ぶ不朽のミュージカル映画となっています。

 次回(できる限り早急にアップします)は、私が持っている数種類のディスクについて解説しましょう。

2003年11月23日 (日)  バーンスタイン入門 2

 今日は、作曲家バーンスタインのお話を。

 指揮者でもあり作曲家でもあったという音楽家は、それこそ枚挙にいとまがありません。有名どころでは、メンデルスゾーン、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなど。今となっては、彼らは作曲家としての方が断然よく知られています。
 もっと新しいところではフルトヴェングラー、ブーレーズ、プレヴィンなどがいますが、余程のファンでなければ、その作品を知らないのではないでしょうか。

 その点バーンスタインは、作曲家としても人々に愛されている曲を何曲か残すことができました。

 ところで、映画音楽の作曲家にエルマー・バーンスタインという人がいて、私も一時期撹乱されたことがあります、注意して下さい。ちなみに、この人の代表作は「黄金の腕」「十戒」「荒野の七人」「大脱走」「ゴースト・バスターズ」などです。

 さて、我らがレナード・バーンスタインの方は、作曲家としては「ウェスト・サイドを作った人」で片付けられがちですが、本人はミュージカルの作曲家と言われることを非常に嫌がっていたんです。

 じゃあどう呼んで欲しかったのかと言うと、エレミア交響曲(もしくは「不安の時代」または「カディッシュ」)の作曲家と言われたかったのですね。要するに、マジメなクラシックの作曲家でいたかったわけです。

 しかるに、彼の思いとは裏腹に、人口に膾炙している作品はやはり、「ウェストサイド物語」(特に「トゥナイト」)や「踊る大紐育(大ニューヨーク)」などのミュージカルなんですね。

 最近は、一般のコンサートで、「キャンディード」もちょいちょい取り上げられるようになって来ています。交響曲以外では、「セレナード」や「ディヴェルティメント」も比較的よく演奏されるでしょうか。

 実は映画音楽も作っていて、マーロン・ブランド主演の「波止場」がそうなんです。これは後に彼自身によって交響組曲にまとめられました。

 次回は、「ウェスト・サイド・ストーリー」について、書いてみようと思います。

2003年11月18日 (火)  バーンスタイン入門 1

 今さら何でという気がしないでもありませんが、ひょっとして名前ぐらいしか聞いたことがないと仰る方もおられるかもしれませんので(今さら人に聞けない何とかというような本も流行っているようですから)、バーンスタインについて語ってみることにします。

 音楽事典などで「バーンスタイン」の項を引きますと、よく「初めてのアメリカ人指揮者」というキャッチフレーズで紹介されています。これはどういうことかと言いますと、それまでアメリカで活躍していた有名な指揮者はこぞってヨーロッパからの「お雇い」または亡命指揮者だったのです。
 バーンスタインの師、フリッツ・ライナーとクーセヴィツキーを始め、トスカニーニ然り、ワルター然り、ストコフスキー、オーマンディ、セル、ラインスドルフ、ミトロプーロス、ロジンスキーなどなどなどなど。

 つまり、バーンスタインこそが、生粋のアメリカ生まれ、アメリカ育ちの指揮者だったわけです。

 25歳の若さでニューヨーク・フィルの副指揮者となり、その年(第2次世界大戦中の1943年)の11月14日、病気のブルーノ・ワルターの代役として初めて登場。その日の演奏会の模様は、ラジオで全米に流されました。そして、バーンスタインは一夜にしてアメリカのヒーローとなったのです。

 その時のプログラムは次の通り。

シューマン:マンフレッド序曲
ミクローシュ・ロージャ:主題と変奏曲(世界初演)
リヒャルト・シュトラウス:ドン・キホーテ
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

 この歴史的放送のCDは、現在市販されているので入手可能です。当然のことながら、モノラル録音ですが。


      つづく

2003年11月15日 (土)  諏訪内晶子さんの演奏会

 今日(14日)は何の予備知識もなく、シンシナティ交響楽団の演奏会に行ってまいりました。私のお気に入りヴァイオリニストの一人、諏訪内晶子さんがお目当てです。指揮はネーメさんのご子息、パーヴォ・ヤルヴィ氏。

 何の予備知識もなくというのは、シンシナティがどこにある都市かも調べずにという意味です。今地図で探したら、アメリカは五大湖の南の方にありました。ちらしによると、パーヴォ氏はバーンスタインに師事していたようです。変な先入観持たなくてよかった!

 このオケは音色があったかい。あったまった「フィンランディア」が聴けました。皮肉ではなく、本当に幸せな気分に浸れるシベリウスでした。

 諏訪内さんは、ブラームスのコンチェルト。この曲はまだCD化されていないので、諏訪内さんでは初めて聴きます。私は、テクニックという面だけに限れば、諏訪内さんが今世界一なのではないかと思っています。

 彼女の今夜のいでたちは今までになかったものでした。これまでに見たドレスは、真っ赤なの、真っ黒なの、真っ白なの、でしたが、今夜は薄紫の派手なワンピース。まあ、演奏とは何の関わりもありませんが。

 今日のブラームスを聴く限りにおいては、まだまだ向上・改善の余地があるなあと思いました。素晴らしい演奏であることには間違いないのですが・・・不調なのではと、つい思ってしまいました。3楽章で明らかに音程が少し低すぎる所があったりして。

 ところで、このブラームスの演奏中、2階に居た不届き者がフラッシュをたいて写真を5枚も撮ったのです。この行為を見逃したホールの係員と責任者に対して、一部の観客が休憩時間に抗議行動を起こし、1階ロビーのチケット販売カウンターの横には黒山の人だかりが。まあまあまあでは済まなくなり、ホール側のミスとして謝罪の放送が流れました。(鶯嬢の優しい美しい声では、開演前のただのご案内にしか聞こえなかった)

 メインは「幻想」。アンコールは最近にしては珍しく、「ラコッツィ行進曲」と「ハンガリーダンス第5番」の2曲もやってくれました。

 まあお急ぎのお客さんも居られるのでしょうが、指揮者が台上で頭を下げている時にぞろぞろ帰るのは無しにしましょうや。 

2003年11月9日 (日)  おすすめがいっぱい 17

 ロシア五人組の中では一番派手派手なリムスキー・コルサコフ。昨日のヴァーチャル会話では、「持ってきな」なんて江戸っ子のでえく(大工)みたいな口の利き方してましたが、実は五人の中では一番歳若く、ムソルグスキーと比べても5歳年下ですので、誤解なきよう。(お前が間違えるな!って? はいはい、気をつけますだ)

 リヒャルト・シュトラウスと言いリムスキー・コルサコフと言い、この長い名前、いったい何なんでしょうね。前者はヨハンの方と区別するため、と一応納得はできますが、コルサコフの方は、うーん、ようわからん。冷蔵庫の脱臭剤みたいですけど、くどいので、リムコと呼ばせて下さい。

 リムコには、「シェエラザード」という超有名な曲がありますが、「スペイン奇想曲」もいろんなものとカップリングされているので、有名どころと言って差し支えないでしょう。あと、「熊蜂の飛行」というお子様向けの曲もありますよね。これ、本当はちゃんとしたオペラ(「皇帝サルタンの物語」)の中の曲です。

 ラヴェルと並んでオーケストレーションの魔術師なんて呼ばれるリムコですから、どの曲を取ってみても聴かせどころ一杯で面白いのですが、敢えてお薦めを1曲に絞ると、これですか。

●リムスキー・コルサコフ作曲:組曲「金鶏」

 これもいつもの伝で、オペラは聴いたことも観たこともないのですが、4曲からなる組曲は結構楽しめます。ココケッコケーと鳴くペットの(あ、トランペットですよ、念の為)鶏の鳴き声で曲は開始。随所にその鳴き声やクォックォックォッという鶏の声の描写が入ります。

 この曲、一言で言えば、「シェエラザード」のミニチュア版と思えばいいでしょうか。イスラム風のメロディは、ひょっとしたらこちらの方が雰囲気があるかも。3曲目の後半に流れる旋律は忘れがたい美しさをたたえています。
 2曲目の馬鹿に明るいふざけたような旋律。「金鶏」という字を見たら、反射的に私の頭の中に鳴り響くのがこのメロディです。

 キュイとバラキレフについては、もう少し勉強してからいつの日か登場してもらいましょう。


 きのう予告したように、暫くの間、音楽館の更新は週1ぐらいのペースになりますが、これからもごひいき下さいますよう。

2003年11月8日 (土)  おすすめがいっぱい 16

 今日はムソルグスキーの話。「展覧会の絵」は有名過ぎるので置いといて、「禿げ山の一夜」もまた別の機会にということで。あとムソルグスキーで思いつく曲って? 「蚤の歌」なんてのがありましたっけ。

 オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は、あのトッテンカン・トッテンカンの鉄工所みたいな戴冠式以外よく知らないのでこれもパス。じゃああと、何が残ってるのかって。

●ムソルグスキー作曲:オペラ「ホヴァーンシチナ」〜前奏曲「モスクワ川の夜明け」

 例によって、中身のオペラは聴いたこともないのですが、この前奏曲は珠玉の名品と言ってもいい愛らしい作品です。知名度はいかなるものかよく知りませんが、バーンスタインもムラヴィンスキーも振っています。

 ヴォルガの舟歌に似たロシア民謡調のメロディが主題になっていますが、チャイコフスキーが手掛けたらこれで交響曲の一つの楽章が出来あがってしまうんだろうな、なんて想像するのも楽しいものです。

 想像ついでに、こんなのはいかがですか。
ムソ「アイデアはいくらでも思いつくんだけど、俺って編曲、大の苦手だからさあ、今度のもよろしく頼むよ」
リム「よっしゃ任しとけ。君はピアノ譜だけやってりゃいいからさ。どんどん持ってきな」

 ムソルグスキーって、けっこういろんなタイプの曲が書けたんじゃないかと思うんですね。ほら、「展覧会の絵」がそれを証明しています。私は、そんな中でも、そこはかとなく、もやっているような曲が好きです。「モスクワ川の夜明け」もそうなんですが、もう一曲、「禿げ山の一夜」の最後の場面。魔物たちが去った後の静寂が何とも言えず好きなんです。

 さて、明日はいよいよこのシリーズの最終回、リムスキー・コルサコフです。
この音楽館、やむを得ず二度中断したとは言え、毎日更新していた甲斐あって、常連客もつきました。
 ですが、誠に申し訳ありませんがくりるん♂の都合により、明後日からは週1ぐらいのペースになると思います。トップページのメニュー⇒くりるん音楽館の右にアップした日を付けますので、参考にして下さい。

2003年11月7日 (金)  ヴィオラ開眼!

 今日は関西フィルハーモニー管弦楽団・第160回定期演奏会に行って参りました。この音楽館への常連さんにはヴィオラ・ファンが多いことが、隠密の調査でわかっておりますので、本日のユーリー・バシュメットさんの演奏報告は是が非でもしなければなりませんね。

 その前に、私とヴィオラの関わりについて話しておこうと思ったのですが、どんなに思い返してみても何もないのです。大学の時に入っていたオケのヴィオラの女の子を密かに想っていたということもないし、特に好きなヴィオラ協奏曲やヴィオラ・ソナタもないし。

 そう、私にはヴィオラという楽器は遠い存在だったのです。

 勘のいい人にはもうピンと来たと思いますが、今日の演奏会でヴィオラの音にしびれました。バシュメットさんの音が特に良かったのか、じっくり聴いたヴィオラの音そのものが良かったのかは、まだ何とも言えませんが、あんなに気持ちのよい穏やかな心地にしてくれる音だとは、今まで気付きませんでした。
 例えて言えば、山の中の温泉のぬるめの湯につかりながら、「あ〜、ごくらくごくらく」といい気持ちになっているような感じかな。

 何回も聴いて耳に馴染んでしまっている曲なら、かえって頭の中で先々音が鳴って邪魔をするものですが、今日はウェーバーの「アンダンテとハンガリー風ロンド」というのと、レデニョーフの「独奏ヴィオラとオーケストラのためのポエム」(日本初演)という知らない曲だったので、ヴィオラの音だけに集中して聴くことができました。

 アンコールのアンダンテ・カンタービレもとても美しかった。これからは、意識してヴィオラの曲をたくさん聴こうっと。

2003年11月6日 (木)  おすすめがいっぱい 15

 今日から、ロシア5人組の方に話を飛ばしましょう。

 初日は、ボロディン。最もポピュラーな作品は、オペラ「イーゴリ公」の中の「だったん人の踊り」。お次は「中央アジアの草原にて」。前者もいいけれど、ちょっと観光名所みたいで手垢にまみれ過ぎた感があるので、私は後者の方が好きです。静かな所で一人聴くのにふさわしい。

 じゃあ、3番目はなーんだ?
ノクターンを出したいところですが、ぐっとこらえて(なんでこらえてんの?)、

●ボロディン作曲:交響曲第2番

といきましょうか。意外でした?
 どんな曲かって言われると説明しにくいんだけど、チャイコフスキーの第1番から第3番の交響曲をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、濾して薄めたみたいな曲です。こんな説明でわかったら、あなたは天才!

 カルロス・クライバーが振ってんのね、珍しく。あれだけの人気と実力を誇りながら、持ちネタの何と少ない指揮者であることよ!
 海賊盤でも、おんなじ曲ばっかり出て来るのね。モーツァルトの交響曲なんか、リンツはまだしも、33番なんてどっから引っ張り出して来たんだか。後期の3大交響曲振ってちょ!

 ああ、話も逸れたけど、どうも今日は言葉遣いがおかしいわ。変なテンションになっちゃって戻らないの。このまま行くわね。で、クライバーのボロディンだけど、全体が早めで、ロシアの指揮者が振るのと印象が随分違うの。4楽章なんかまるで、「売られた花嫁」の序曲みたい。

 この曲の第2楽章は、わたし的にはちょっと不満ね。ここに「中央アジア」みたいなのが入っていれば、申し分ないんだけれど。無い物ねだりでした。

2003年11月5日 (水)  おすすめがいっぱい 14

 フランス音楽は明日からしばらくお休みとなります。で、今日取り上げるのは、ジャック・イベールです。

●イベール作曲:寄港地

 事典によって、「交響詩」だったり、「交響的組曲」だったり、「3つの交響的絵画」だったりまちまちですが、とにかく「寄港地」です。
 イベールを取り上げるならフルート協奏曲だろう、と仰る御仁も居られるかと思います。室内管弦楽のためのディヴェルティメントも捨て難いには違いない。
 でも、今回は誰が何と言っても「寄港地」!って、そんなにムキになるほどのことじゃないけれど。

 今まで並べて来たフランス近現代の作曲家の作品をそこそこ聴いておられる方には、「寄港地」は比較的メジャーな作品だと思います。でも、近年一躍有名になったサティほどには、イベールもオネゲルもプーランクもミヨーもルーセルも一般的ではないでしょう。それが証拠に、企画物の100選などには、サティ以外はめったに名前を見ません。

 で、「寄港地」。
 第1曲:パレルモ。朝の風景を描いたものだそうですが、私のイメージでは濃密な夜気に包まれた、秘め事の折り重なる妖しげな浜辺の情景です。(想像力が豊か過ぎるのか、邪念が充ち満ちているのか)

 第2曲:チュニス−ネフタ。インディー・ジョーンズの映画にそのまま使えそうな曲です。ただし、事件が起こる前のゆったりとした気分で町を歩いている場面。
もしくは、この音楽をBGMに流して、アルテュール・ランボーを砂漠に向かって歩かせてみたい。

 第3曲:ヴァレンシア。スペインものはどれもこれも極彩色のパーカッションに飾られ、知らず知らずのうちに血も熱を帯びて体中を駆け巡る。ラヴェルもファリャも、シャブリエもリムスキー・コルサコフも。いずれ劣らぬ傑作ぞろい。スペイン音楽ファンの方は、ぜひ、このヴァレンシアもコレクションの中に加えてやってください。

2003年11月4日 (火)  おすすめがいっぱい 13

 フランス6人組のうち心安くしていた3人の紹介が終わり、お約束ではロシア5人組に移るはずだったのですが、ついでですから、フランスの作曲家で戦前に活躍していた二人を追加させてください。

●ルーセル作曲:交響曲第3番

 バーンスタインに引かれて善光寺ならぬ音楽巡りが私の出発点ですから、少々感性が合わなくても、彼を信頼して引きずりまわされているうちに、いろいろといい曲にもめぐり合えたわけです。そんな曲の一つが今日紹介する作品です。

 それまで私の抱いていた交響曲のイメージが一掃されたのが、この曲だったように思います。そりゃあ、ベートーヴェンやブラームスやモーツァルトに馴染み、少し進んでベルリオーズやショスタコーヴィチあたりの交響曲ばかり聴いていた者に、このルーセルは新鮮でした!

 ベートーヴェン以降で、すぐに思いつく重厚でない交響曲と言えば、プロコフィエフの古典交響曲やショスタコーヴィチの第9交響曲。でもルーセルとは何かが違う。
 何が違うんだろう。ユーモア? ウィット? 軽妙洒脱? 粋? 洗練? 都会風?

音楽史的に言えば、サティの先生に当たるのですが、

   ルーセル=サティ−(憂愁+アンニュイ)

なんて公式は、あまりに独断的に過ぎると怒られそうですね。サティからその二つを引いたら何が残るんだ、なんていう過激な声も聞こえてきそう。

 ルーセルには、「蜘蛛の饗宴」なんて何となくそそられるタイトルの作品もありますが、私にはあまり面白い作品とは思えませんでした。むしろ、4曲ある交響曲がいずれも個性が強く、こちらの方がお奨めです。 

2003年11月3日 (月)  おすすめがいっぱい 12

 中断しておりましたフランス6人組の話の続きです。三人目ですが、次の4人目からは面識がないので、今日が最後です。彼らはいずれも、エリック・サティを尊び、反ロマン主義・反印象派の旗を掲げて活躍した20世紀前半の作曲家たちです。

 で、今日のおすすめ作品は、これ。

●プーランク作曲:バレエ組曲「牝鹿」

 プーランクはどれをお奨めにしようか迷いました。だって、面白い作品がたくさんあるのですから。バーンスタインは、「2台のピアノのための協奏曲」と「グローリア」を残しています。これらもいいのですが、他にも「田園のコンセール」や「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」などもお奨めです。

 でもプーランクで1作だけとなれば、やはり「牝鹿」でしょうか。バレエ音楽の方がいいかもしれませんが、手に入れやすいということで、組曲の方を取りました。この曲は第1曲目の第1主題だけで、もうお手柄賞です。ベートーヴェンのダダダダーンに匹敵!なんて言ったら褒め過ぎ? でも、1回聴いたら忘れられない明快なメロディですもん。気分が乗らない時に聴くと元気が出るんです。

 ややもすると軽薄と紙一重のプーランクの音楽。でも、この「牝鹿」は、本人が「ここにはどうでもいい音符は一つとしてない」と言い切っただけあって、真面目に、エンタテインメントな世界を築いているような気がします。

 ついでながら、フランスの一昔前の映画のワンシーン、例えば、犯人と警官のカー・チェイスや、女房が亭主を追い掛け回す場面などに、プーランクの「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」などが使われているのに何度かお耳にかかったことがあります。

2003年11月2日 (日)  竹澤恭子さんを聴く

 きのうの続きです。

 シンフォニー・ホール1階、前から4列目中央やや左寄りの席に陣取り、当日2曲目のバーバーのヴァイオリン協奏曲が今しも始まろうとしているのを見守る私。息を詰めて、竹澤恭子さんのヴァイオリンに耳を澄ます。出だしからいきなりソロとオケがもつれ合う美しい第1主題。

 最初の数音に、私の存在は聴神経の塊になっていた。(そんな小説もどきの解説はいらんから、早う結論を言えっ! てか、まあまあまあ)
 いやなカスレ方するなあ、このまま最後まで行ったら、彼女は私にとってただのヴァイオリニストになってしまうぞ、と思っているうちに、冒頭30秒もたたないうちに音質が明らかに変わって来た。低めの音がどっしりと腰を据えたという感じ。

 私の大好きな鄭京和が出す、あの骨太のしっかりした音に似てしごく快い。おおっ!と思わず心の内で叫んでいた。そう言えば、竹澤さん、お顔も鄭京和にだんだん似てきたぞ。百面相を見ているようで面白かった。(まじめに音楽聴かんかいって? あ、そうでした)

 指揮者の大植英次氏と顔をくっつけんばかりにして、ピッタリ息の合った素晴らしい演奏を聴かせてくれました。アンコールの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」(クライスラー)も感動ものでした。

竹澤恭子さんにはハマリそうだなあ。
休憩時間にCD2枚買っちゃった。

 というわけで、私のお気に入りヴァイオリニストがまた一人増えて、くるりんとも意見一致、ますます、************でした。めでたしめでたし。 

2003年11月1日 (土)  閑話休題

 昨日は大阪フィル、第372回定期に行って参りました。

 私は大阪の4つのオケ(大フィル、関フィル、シンフォニカー、センチュリー)をいずれ劣らず気に入ってますので、特に定期会員とかファンクラブには属していません。ついでながら、友人が団員なもので、吹田交響楽団(すいきょう)のファンでもあります。

 ですから、手当り次第に演奏会に行くなんてことは到底できません。数ある演奏会の選択基準の優先順位は、次の通り。
@お気に入りのソリストが出る(まあ、大抵の人はこれがお目当てでしょう)
A演奏会でまだ聴いたことのない曲、もしくは全く未知の曲が演奏される
B邦人作曲家の曲が演奏される
C安いチケットが手に入る
などです。

 で、昨日はAとCの条件が満たされたので、大フィル定期を聴きに行ったわけですが、私にとっての一番の興味はバーバーのヴァイオリン協奏曲のソリスト、竹澤恭子さんでした。
 初めの頃にも書いたように、私はヴァイオリンの音色にうるさい方なんです。ストライクゾーンが極めて狭いと言ってもいい。

 竹澤さんの名前は知っていましたが、生を聴くのはもちろんのこと、CDや放送などで耳にしたことも一度もなかったのです。

 ここで、いきなり下世話になります。実は私の相棒くるりんは、キンキンしたヴァイオリンの音が嫌い。でも、竹澤さんの音は好きだと言うのです。だから、私が竹澤恭子さんをどう評価するかが運命の分かれ道だと言って、彼女は鉛のような夕食をしたためていたのです、私からの報告を待ちながら。

 私にしても、またまたお気に入りのヴァイオリニストが一人増えて嬉しいなぁとなるか、相棒との感性や好みの違いを剥き出しにして、一生いがみ合っていくことになるかの瀬戸際だったわけです。くるくりの運命やいかに・・・ちょうど時間となりました。この続きは明日のこの時間!

    つづく

2003年10月31日 (金)  おすすめがいっぱい 11

 今回紹介する曲は、誰にでもお薦めできるものではありません。好奇心旺盛、恐いもの見たさで、何にでも一通りは首を突っ込んでみたがるタイプの人でなければ、拒絶反応を起こすかもしれません。

●ダリウス・ミヨー作曲:バレエ音楽「屋根の上の牛」

 私自身、この曲をバーンスタインが振ってくれていなければ、一生聴くことはなかったかもしれません。タイトルの由来は、ブラジル産の懐メロの題名だそうです。

 いわゆるロンド形式で書かれていますが、ブラジルの民謡やタンゴやあれやこれやをごちゃまぜにして、ぐつぐつ煮込んだちゃんこ鍋のような、えもいわれぬけったいな代物です。チューニングかいなと思わせる不協和音に眉をひそめていると、次の瞬間にはもう何とも美しいメロディに変わっていたり、心弾む楽しい曲だなあと感じた矢先に、物悲しい哀愁が漂ったりと、分裂気質的な音楽です。

 本人はチャップリン映画を念頭において作ったらしいのですが、ジャン・コクトーはバレエ音楽としてイケルと思い、自らこれもドタバタのけったいな台本を書き下ろしましたとさ。

 20分近いこの曲を聴いていて、私の頭に浮かぶのは、前世紀初頭のパリ、若手芸術家が百花繚乱シノギを削り切磋琢磨し合ったあの活気あふれるパリです。(ブラジル音楽がなぜパリなんだと言われると困りますが、ぐつぐつ煮込んでいたらそうなるのですぅ)

 それもそのはず、この作品はいかにも絵画的、色彩的なのです。マチスが走り、シャガールが歌い、モジリアニが叫ぶ、そんな雰囲気がむんむんするのです。(彼らが同時期に同じ場所に居たかどうか責任は持てませんが)

 ものの本によると、この曲はショパンをうまく隠し味に使ってあるのだとか。隠してあるのだから、私には見つけられませんでしたが、私は真ん中辺りに、團伊玖磨さんの「夕鶴」を密かに見つけちゃいました。

2003年10月30日 (木)  おすすめがいっぱい 10

 音楽史でその名を知る「フランス六人組」。「ロシア五人組」に比べると、有名人がいなくて寂しい気もするけれど、私はどちらもけっこう好きです。ただし、フランス組のデュレー、タイユフェール、オーリックの作品は全く記憶に留めておりません。

 で、今日からしばらく、彼らフランス3人、ロシア3人のおすすめ作品を紹介することにいたしましょう。初日の今日は、

●オネゲル作曲:夏の田園詩(夏の牧歌)

 オネゲルの代表作は何と言っても「パシフィック231」でしょう。交響的運動 第1番などという厳めしいタイトルがつけられています。ちなみに、第2番は「ラグビー」です。これ、よくセットでカップリングされてますよね。
 ところが、上の「夏の田園詩」が意外と録音が少ない。こんなにいい曲なのにね。なんでだろ〜♪

 アンニュイ(けだるさ)を感じさせる音楽はフランスに限る。餅は餅屋だにゃあ。独墺の音楽と、アンニュイって結びつかないでしょ。
 この作品も心地よいアンニュイを帯びてます。私にはなぜか、ゴッホの麦畑が目の前に広がり、そこに爽やかなそよ風が吹き抜けていく情景が浮かびます。

 ベートーヴェンの第1交響曲の主題がパロディ化されて聞こえるそうですが、私にはここがそうだと自信を持って指摘することができません。いいじゃないですか、そんな瑣末なこと。10分弱の短い時間を、ゆったりした気分で別世界に遊んでみることができるのなら、こんな贅沢ありませんて。 

2003年10月29日 (水)  おすすめがいっぱい 9

 久しぶりの「おすすめがいっぱい」のコーナーです。ネタ切れというわけではないのですが、まだ迷っているのですねえ。自分が思っているマイナーな曲が、実はけっこう知られている曲なのではないか、とかね。でも、どんな曲であれ、人がどういう風に書くのかを見るのが楽しいという意見もありましたから、あまり細かいことに拘らず、気楽に書いていくことにします。

 今日は、それこそメジャーなんだかマイナーなんだかよくわからない曲を紹介しましょう。

●ヴィラ=ロボス作曲:ブラジル風バッハ第5番

 原語に近く発音すると、「バッキャーナス・ブラジレイラス」と言うんですって。バッキャーロ!って怒られてる感じが何とも。ブラジル風なんて言いますが、無知な私には、これがアルゼンチン風となっていてもなんら困ることはありません。

 この第5番が最も有名だとは思いますが、他に汽車の描写がユニークな第2番も忘れたくない佳品です。
このシリーズは第9番まであって、それぞれ異なった編成で書かれています。第5番は8丁のチェロとソプラノという珍しい組み合わせです。

 第1楽章は、チェロのピチカートに乗せて歌う美しくも哀切極まりないアー(オー)のみのスキャットに始まり、中間部は美を求める女の愁訴を非旋律的に歌う。この楽章の美しい旋律は特筆すべきものでしょう。

 第2楽章は、まるで小鳥の囀りのような愛らしい歌曲です。ブギのような軽快なリズムもまことに心地よく響きます。

 作曲者自らがフランス国立放送管弦楽団を振ったCDがEM*から出ています。ソプラノのロス・アンヘレスは抜群にうまいのですが、いかんせん、1956年のモノラール録音で音がざらついているのが玉にキズです。
 私のお奨めは勿論バーンスタイン盤(歌はダヴラツ)ですが、中丸三千盾ウんが歌っているのもあるようです。

2003年10月28日 (火)  おすすめがいっぱい 葛藤編

 しばらくの旅烏、懐かしの浪花に帰ってまいりました。

 さて、「おすすめがいっぱい」の初心に戻ることにします。メジャーな曲と超マイナーな曲を除いて、こんないい曲ありますよ、というのがこのコーナーの初心でありました。じゃあ、メジャーな曲とはどんな曲か。

 例えば、私の相棒は、ラフマニノフの交響曲第2番はメジャーな曲だと仰る。でも、私にはそうは思えない。札響ファンにとっては、尾高さんの十八番はメジャーなのかも知れない、などと勘繰ってしまう。エルガーなんかね。

 バーンスタインがラフマ2を振っていたら、私の認識は変わっていたのか?
どうもそうとも言えない気がする。私の基準は、大手メーカーの出しているクラシック名曲100選などという企画モノに名を連ねているかどうかである。

 シベリウスの交響曲第2番ならメジャーと言えようが、ラフマニノフのは言えないだろうというのが私の判断である。ラフマニノフの曲でメジャーと言えるのは、ピアノ協奏曲第2番、パガニーニ・ラプソディ、ヴォカリーズだけだと思うのだが、いかが?

 で、迷うのは、じゃあこのコーナーでシベリウスの交響曲第1番を取り上げてもいいのか、というようなこと。やはり準メジャーということで、1、5、7番は遠慮しておいた方がいいかな、なんてね。

 あれこれ迷う年頃なんですう。まあ、そんな私の心の内も想像しながら、これからもお付き合いくださいまし。

2003年10月18日 (土)  おすすめがいっぱい 8 (ヤナーチェク 3)

 これだけ気を持たせておいて、「えっ、おすすめってこれだったの!」と言われてしまいそうですが、今日のお奨めは、

●ヤナーチェク作曲:グラゴール・ミサ(スラヴ・ミサ)

「シンフォニエッタ」のファンファーレが心に残って、あんな感じの曲がもっと聴きたいという方には、うってつけの作品です。特に第1曲目と第8曲目(終曲)が、ヤナーチェクの面目躍如、こんな音楽、他にはない!と、膝を叩いて嬉しくなること間違いなし。

 そうなんです。ヤナーチェクの魅力の一つは、あまりにもユニークだということ。誰にも似てないし、誰も真似できなかったんです。

 さてこの曲、ミサとは言うものの抹香臭さが微塵もなく、宗教音楽ではなく世俗カンタータに分類している学者もいるとか。そう言えば、バーンスタインの「ミサ」も反教会的だというので、物議をかもしたことがありましたが、どうやらこの「グラゴール・ミサ」に触発されて作曲したのではないかとの噂もあります。

 この「グラゴール・ミサ」は、バーンスタインの振ったものが、躍動的でしかも土臭さが残っていて、とてもいい出来だと思います。ただ、このCDも、もはや入手困難でしょう。
 彼の遺産という形で出された「バーンスタイン・エディション」が、ニューヨーク・フィル時代の録音をほぼ網羅してくれていたのに、すでに廃盤続出です。悲しいこと限りなし!

 私も、こんな風にいろんな曲や演奏のCDを紹介している責任上、どうしてもそれが聴きたいという方には、ダビング・サービスしなくちゃいけないような気になってきています。

 誰に頼まれた訳でもないですが、バーンスタインの魅力を伝道し、ファンを増やすことに残りの命を捧げる覚悟です (うそうそ。でも、ダビング・サービスは本気ですから、この音楽館で紹介したもので、聴いてみたい演奏や曲があれば、カウンタ下のアドレスをクリックしてご一報下さい、悪いようにはしません?! お待ちしております)

2003年10月17日 (金)  ヤナーチェク 2

 もしあなたが、ヤナーチェクの曲を一度も耳にしたことがないと本気で仰るのなら、悪いことは申しません。今すぐお店に行って、「シンフォニエッタ」というのを一つ適当にみつくろってもらって、冷めないうちにお召し上がり下さい。

 その曲は、「タラス・ブーリバ(隊長ブーリバ)」または、「女狐ビストロウシュカの物語(利口な・ずるい・悪賢い/女狐・狐/の物語)」などという、同じ作曲家の別の代表作とカップリングされていることが多いですが、どれもお薦めの作品ですから安心して購入して下さい。

 私は、吹奏楽が特に嫌いという訳ではありませんが、クラシックの方で手いっぱい状態、だからあえてそちらには踏み込まないようにしています。そんな吹奏楽に不案内な私にでも、「シンフォニエッタ」がさぞやその方面で持てはやされている曲であろうぐらいは、想像がつきます。

 1楽章は某スポーツ祭典のファンファーレのために書かれたもので、12本のトランペットが華々しくテーマを吹き鳴らして曲は始まります。当初、「軍隊シンフォニエッタ」と渾名されていた所以です。
 
 ヤナーチェクを素人作曲家と悪口言う人がいるのは、奏者の都合を考えて創っていないからだそうです。5楽章ある「シンフォニエッタ」、各パートの出番をバランス良く散らさず、楽器によっては休みが長過ぎるんですって。

 芸術家の創意と、生身の演奏家の事情との相克葛藤という、とかく起こりがちな微妙な問題です、これは。

 で、皆様いちように「シンフォニエッタ」をお気に召していただいたということで、明日はいよいよ、おすすめがいっぱいヤナーチェク編に参ります。

   つづく

2003年10月16日 (木)  ヤナーチェク 1

 ヤナーチェク(1854−1928)って、我が国のクラシック・ファンの間では、どのくらい知られているんでしょうね。「シンフォニエッタ」は、ご存知ですよね。これ知らないって言われると、この先ちょっと話しづらくなっちゃう・・・

 じゃあ、作品紹介は次回からということにして、この作曲家について簡単にお話しましょう。

 ヤナーチェクは、スメタナ、ドヴォルザークに次ぐチェコの代表的作曲家と言われています。ただ、同じチェコでも、スメタナ、ドヴォルザークが西部のボヘミア民俗音楽に由来する曲を手掛けていたのに対し、ヤナーチェクは東部のモラヴィア地方の音楽に基づく曲を創りました。

 私は大阪生まれの大阪育ち、生粋の浪花っ子なので、関東地方の例えば栃木県や埼玉県の前後左右がどことどうつながっているのかということが、未だによく把握できていません。

 いわんや、行ったことも見たこともないチェコの付近の様子がどうなっているものやら。ぼんやりわかりかけていた事もあったのに、ある日地図帳を開いてみると、知らない小さな国がどっと増えていたりするんですもの。ええい、わからんわい、持ってけドロボーって気分・・・

 というわけで、モラヴィアがどこであるのかよくわからなくても、話は進みます。ヤナーチェクはそのモラヴィア最大の都市ブルノにオルガン学校を創設し、自ら教鞭を執ります。

 それよりずっと以前から創作活動は続いているのですが、世界に認められるようになるのは晩年になってからです。一旦認められると、その評価は高いものでした。
曰く、20世紀を代表するオペラ作曲家の一人。
曰く、バルトーク、ショスタコーヴィチと並ぶ重要な弦楽四重奏曲の作者。等々・・・

   つづく 

2003年10月15日 (水)  おすすめがいっぱい 7

 ヴェルディと来れば、ジャコモ・プッチーニを無視することは出来ないでしょう。

 プッチーニは、12曲のオペラを書いていますが、それ以外にもなんやかやと創っております。ヴェルディの追悼のために、「レクイエム」を残していますね。昨年初めて、「グローリア・ミサ」というのを生で聴きましたが、なかなかいい曲でした。

 で、今日のおすすめの一品は、

●プッチーニ作曲:菊の花

 原曲は、弦楽四重奏のための小品ですが、弦楽合奏版も数多く出ているようです。いかにも、日本人好みのメロディで、哀愁漂うもの悲しい曲です。一度聴いたら忘れられなくなります、ほんと!

 小澤征爾氏の「マノン・レスコー」(ヘネシー・オペラシリーズV/何かの抽選で当たった!)を聴きに行った時、間奏曲にこの「菊の花」が使われていたように思うのですが、私の幻聴だったのかしら。

2003年10月14日 (火)  おすすめがいっぱい 6

 オペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ。

 30曲に近い歌劇を世に送り出し、そのうちの半数以上が今日もたびたび上演される傑作だというのだから、もうそれだけでいいじゃないかと思うんだけれど、3大レクイエム(なんて、あったかどうか知らないけど)の一つに挙げられるあの名曲まで創ったんだからすごい!

 でも、彼にはもう1曲、知る人ぞ知る珠玉の名品があるのです。

●ヴェルディ作曲:弦楽四重奏曲 ホ短調

 噂によれば、「アイーダ」ナポリ公演の合間を見つけて、「暇つぶしと腕試しのために書いた」(ヴェルディ)曲だというんだけど、これがなんとも魅力的な佳品なんです。

 弦楽四重奏版ももちろん出ていますが、弦楽合奏版がお奨めです。特に第3楽章の中間部に突如出てくる美しいメロディには、思わずうっとり。オペラ作曲家というのは、一世を風靡するようなアリアを次から次へと生み出すだけあって、さすがやわ。脱帽!

 てなわけで、ぜひ一度聴いてみてください。

2003年10月13日 (月)  音楽クイズ虎の巻 ピアノ以外編

 今日のは半分以上ジョークだと思って、見逃してください。(えっ、ずっとジョークだと思っていたって。ガクッ)

 例のサンプルCDには、グレゴリオ聖歌やチャントまでちゃんと入ってるんですが、私には守備範囲外。いきなりの白旗・・・

 バロックだなと思ったら、迷わずバッハと答えるべし。8割以上当たります。聞き覚えのない曲なら、カンタータです(笑。カンターンに決めるなっ!)
 それでもちょっと色気を出して、バッハじゃないかもと疑うなら、「ズンズンズンズン・ズルッ」「シャンシャンシャンシャン・シャラッ」と突然落ちるような部分が聞こえるかどうかに注意を向け、聞こえたら、すかさずヴィヴァルディと叫びましょう。

 それ以外、テレマン、ヘンデル、バッハの一族など、私には見分けがつきません。見分けがつかないといえば、ウィンナ・ワルツ。有名どころの冒頭ならいざしらず、中間部だけ聞かされたら、どれがどれやら、さっぱりわかりませんね。

 私はモーツァルトも苦手。20番以降のピアノ協奏曲、同時期に聞き始めたものですから、ごっちゃになってます。3大交響曲以外の交響曲も、頭の中で混ざっています。

 そう言えば、ブルックナーもややこしいですね。マーラーの方は、若い頃からバーンスタインで聞き込んでいますので、大丈夫なんですが。

 ロマン派っぽくて、ハープが入っていれば、フランス音楽の可能性大。弦楽器の音が重厚であれば、ブラームス。弦と木管の掛け合いがしつこければ、チャイコフスキー。

 オペラのアリア、男声、女声にかかわらず、伴奏オケに聞き耳を立てて、モーツァルトっぽいと感じたらモーツァルト。自信満々堂々としていたらヴェルディで6割以上の確率で正解。メロディが優しく美しく、キュンとさせるように迫って来たらプッチーニ。

 さあ、ТVチャンピオン出場予定の皆様、頑張って行ってらっしゃいませ。

2003年10月12日 (日)  音楽クイズ虎の巻 ピアニスト編

 神聖なクラシック?を遊びの道具に使うべきではないと仰る向きもあろうかとは思いますが、まあまあそう堅いこと言わず、たまにはよろしいんでないかい、と一人で遊んでみました(寂しい奴)

 レコード芸術の付録のサンプルCD(平均40曲ぐらい収録)をランダムプレイでかけて、曲当てしましょうという趣向。手持ちのサンプルCDは約60枚。当たる曲、当たらない曲、当てやすい曲、当てにくい曲のデータが多く集まれば、何か一般的な傾向が見えてこないか、というのがねらいです(2ヶ月かかったよん)

 当たる当たらないは、知っているかどうか、曲名を思い出せるかどうかにかかっていますが、曲の感じから作曲家が当てられるかどうかは、その作曲家の個性が強いかどうかに関わっていそうです。

 で、ここではその結果だけを披露することにしましょう。「ТVチャンピオン・クラシック音楽王選手権」に出ようと思っていらっしゃる方には、きっと参考になります。


●曲のほんの一部を聴いただけで当てられる作曲家はドビュッシーです。きっと、独自の方法で対位法や和声法を意識的に崩しているのでしょう。

●ベートーヴェンのピアノ曲も当てやすい。力強さと可愛らしさの対比が独特です。

●モーツァルトとハイドンは見分けにくいです。からっと明るいのがハイドンでしょうか。モーツァルトの方が、微妙なニュアンスに富んでいるようです。

●バッハでもなくモーツァルトでもなく、でも何となく古風な感じであれば、スカルラッティで当たる可能性大。

★直感でいかにもピアニスト作曲家の作品だなと思える曲について。

 ○翳りが感じられたり、どことなくヒズミがあるように感じられたら、それは、シューマン。
 ○音符の数がやけに多そうだと思えたら、リスト。
 ○そのどちらでもなく、ロマンティック臭むんむんなら、ショパン。
 ○メロディーがやけに耳に馴染みやすくて、旋律と旋律の橋渡しが簡素な中にも粋だなあと感じられる部分があったら、シューベルト。
 ○同じく耳に馴染むけど演歌っぽい親しみやすさだなあとなると、チャイコフスキー。
 ○どれとも決めかねるが、ところどころモダーンな響きもあるというのであれば、思いきってスクリャービンと答えてみましょう。

2003年10月11日 (土)  「三人の会」 黛敏郎の巻

「三人の会」の最後は黛敏郎(1929−1997)です。

 現代音楽の作曲家は、演奏会用の作品だけを書いていたのでは食って行けないようで、多かれ少なかれ映画音楽に手を染めています。黛さんも例外ではなく、「天地創造」などの映画音楽も作っています。

 でも、芥川さん、團さんとは異なり、はっきり言って黛さんの曲はあまり一般受けしない作品です。

 そんな黛さんの代表作は、「涅槃交響曲」と「曼荼羅交響曲」。どちらも抹香臭いタイトルの曲ですが、わかりにくい分、わかろうと努めた甲斐あって、あの神秘的な雰囲気がとても好きになりました。

「涅槃交響曲」は、梵鐘の音をオシロスコープで解析し、それをオーケストラで再現するという実験的な作品です。それだけではなく、声明(読経)を男性合唱で模倣するということまで試みています。

 私はこの曲の影響で、声明の入った曲が好きになりました。細川俊夫氏の「観想の種子」や一柳慧(いちやなぎ・とし)氏の「邂逅」、権代敦彦(ごんだい・あつひこ)氏の「無量光/無量寿」(一柳、権代氏の作品は最近出たCD「千年の響き」に入ってます)

 ご存知の方も多いと思いますが、黛さんはかつてタカ派的な団体、「自由国民会議」の代表でもあり、そのことだけで毛嫌いする向きもあります。これは、作品と作者の関係をどう考えるかという議論になります。

 作品自体が自分に合わないというのならともかく、例えば啄木の歌のファンだった人が、彼の伝記や『石川節子』(澤地久枝著)などを読んだとたん、あんな歌!と、価値を認めなくなるのは変でしょう。

 嫌いな人物の作品は認めないという偏狭な考えでは、多くの価値ある仕事を自ら遠ざけてしまうことになり、結局自分の人生が痩せ細ったものになってしまうのではないでしょうか。
 下ネタや下品な振る舞いが我慢ならないと言って、モーツァルトの偉業を認めない人物がいたとしたら、その人は何と愚かな人でしょう!

 人間と天才(天賦の才能)の、神妙で不可思議な関係であります。  

2003年10月10日 (金)  「三人の会」 團伊玖磨の巻

 誰でも知っていそうなウンチクワ。

その1.團伊玖磨(1924−2001)と言えば、『パイプのけむり』シリーズ。これでもか、これでもか、という感じで、27巻上梓されたのであります。でも、私はけむたいのが苦手なので、近づかないことにしております。

その2.数年前のある日、大きなレコード屋さんで邦人作曲家のコーナーを見ていたら、弾厚作作曲「ピアノ協奏曲第1番」というのがありました。実は私、中学時代、彼のファンだったもので、ははん、彼やっと思いを遂げたなとほくそえんだものです。弾は團伊玖磨のダン、厚作は山田耕筰のコウサクから取ったもので、言わずと知れた加山雄三さんの作曲家としての筆名です。

その3.團伊玖磨さんのお祖父さんは、三井財閥のみならず昭和初期の日本経済の最高指導者で後に暗殺される團琢磨。さぞや裕福な家庭に育ったんでしょうね。
 

 さて、氏の代表作と言えば、まず間違いなく「夕鶴」でしょう。これには、私も異論はありません。
我が国のオペラ作品で最も上演回数の多いものだと思います。

 でも、私の一番好きな曲は、残念ながら「夕鶴」ではありません。
3年後に作曲された管弦楽組曲「シルク・ロード」です。色彩的で美しい旋律、オーケストレーションの巧さも際立っています。
 もともと、ボロディンやリムスキー・コルサコフの曲に惹かれるところがあったから、こういう東洋的・オリエンタル調の音楽が自分にしっくり来るようです。

 團さんの曲は、私にはどれも安心して聴けます。当たり外れが無いのです。6曲の交響曲全集も実にいい。ただ、私は、歌曲、合唱曲、オペラが苦手なので、團さんの作品の半分近くを自ら遠ざけているのが口惜しいです(自戒)。

※竹芝桟橋さんのサイトも参考にさせてもらいました、ありがとうございます。
  「團伊玖磨ノート」
  http://homepage3.nifty.com/ID-note/

2003年10月9日 (木)  「三人の会」 芥川也寸志の巻

 芥川也寸志(1925−1989)は言うまでもなく、文豪芥川龍之介の御子息の一人、俳優の比呂志氏の弟君です。
 氏との最初の出会いは(って、直接お会いしたわけではありませんが)、中学時代、ラジオ番組「百万人の音楽」によってです。

 この番組、覚えておられる方いらっしゃいますか。30年ほど前の番組ですから、若い人はご存知ないでしょうね。オープニングの音楽は「椿姫」の「乾杯の歌」(私は長らく、この曲の題名がわかりませんでした)。お話は、芥川さんと野際陽子さん。公開演奏会にも2回行きました。

 その後、氏の『音楽を愛する人に』が出版されると、飛びつくように購入し、その本は当時の私の座右の書になっておりました。(現在はその文庫本が出ています)

 さて、氏の管弦楽曲の代表作といえば、「交響管絃楽のための音楽」「絃楽のための三楽章 トリプティーク」「交響三章 トリニタ・シンフォニカ」「交響曲第1番」「エローラ交響曲」(これらはいずれも、「芥川也寸志forever」(フォンテック)に収められています)

 このうちの、一曲だけを紹介しておきましょう。 
 交響曲第1番は、平安朝の雰囲気を醸している1楽章、ショスタコーヴィチの重厚さを思わせる3楽章、プロコフィエフの第5交響曲に酷似した終楽章を持った曲ですが、芥川氏の音楽のエッセンスとも言える曲です。

 「三人の会」のメンバーの中では、比較的入手しやすいCDが多いと思います。代表作はたいていのCDに入って(重複して)いますので、上記のディスク(2枚組)さえあれば、芥川也寸志という作曲家の作品については、ほぼ理解できると思います。

2003年10月8日 (水)  「三人の会」について

「三人の会」について、簡単に説明しましょう。
1953年に、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎によって結成された会で、オーケストラ作品の新作を発表するための演奏会を催していました。

 この三人は、恩師も作風も全く異なっています。
プロコフィエフ風の軽妙洒脱な現代感覚の芥川也寸志。
古典の教養に裏打ちされた、東洋趣味の團伊玖磨。
我が国の前衛音楽のもといを築いた黛敏郎。

 彼らは揃いも揃ってみな口達者だったので、ラジオやテレビでの音楽番組の司会などでも人気を博していました。書くまでのことはないと思いますが、『百万人の音楽』(ラジオ・朝日放送)『だんいくまポップス・コンサート』『題名のない音楽会』です。芥川さんと團さんは著書も多数あります。

 邦人作曲家の作品は、演奏会でもCDでもあまり取り上げられていませんが、この3人の作品はもっと有名になってしかるべきなのではと思います。

 次回から、一人ずつ取り上げて、私なりの感想を書かせてもらいます。

2003年10月7日 (火)  声楽曲について 女声編

 楽器としての肉声の素晴らしさについては、しばしば聞かされました。理屈ではわかっていても、実際に自分の感覚が快く受け入れるかどうかは、また別問題です。

 正直言って、魅了されるとか、心がとろけてしまいそうと感じるような歌手には長らく出会うことが出来ませんでした。しいて挙げれば、クラシック畑ではありませんが、芹 洋子さんの声が唯一うっとりしてしまう声なのでした。

 そこへ数年前、たまたまFMの音楽番組を聴いていたら、とても魅力的なソプラノが聞き覚えのある曲を歌っているではありませんか! メモを用意して、歌手と曲名を書きつけました。

 歌っていたのはバーバラ・ボニー、曲はメンデルスゾーンの「歌の翼に」でした。彼女の声は、細く透き通ってはいるのですが、決して痩せてはいません。虹色に輝く小さな小さなビーズ玉のようです。

 名曲・名盤案内の類いの本を参考にしながら、苦手ジャンルの曲を開拓しているのですが、素晴らしい歌手はたくさんいても、先に言ったような(私が)うっとりする声の持ち主というのは、なかなかいないものです。

 ボニー以外にもう一人挙げるとすれば、白井光子さんでしょうか。彼女の歌うシューマンは、私のイメージ通りのシューマンです。また、邪道と言われればそれまでですが、彼女のシューベルトの「冬の旅」も気に入ってます。

2003年10月6日 (月)  声楽曲について 男声編

 ライヴでなら、練習不足のために少々まずい出来でも、私はそれなりに聴いて楽しめるタチです。
でも、何度も繰り返して聴くディスクとなると、やはりできるだけ自分に合った演奏(者)を選ぶ必要があります。

 苦手な声楽曲(オペラも含む)は、聴く機会も少なく、なかなか自分のお気に入りの曲や歌手に巡り会えませんでした。

 バーンスタインのディスクをためる一方で、有名な曲ぐらい聴いておかなくちゃあという例の好奇心によって、20代後半の私は、いよいよオペラの世界に乗り出したのです。

 すぐにわかったことは、自分に一番抵抗無く受け入れられる作品はワーグナーの「ニーベルングの指輪」だということでした。ビデオでじっと観ていると、正直言って退屈なんですが、聴く分には結構いい感じです。

 で、ショルティ盤で聴いていると、やけにいい声のテナーが歌っているではありませんか。これが、ルネ・コロでした。

 一昔前なら、ヴィントガッセンなどというヘルデンテノール(ワーグナー歌手の中でも特に英雄を演じるテナー)がいましたが、現役では、コロが最高のヘルデンテノールだと思います。

 私にとって嬉しいことに、コロは円熟期のバーンスタインとの共演で、マーラーの「大地の歌」、ベートーヴェンの「第九」「フィデリオ」「ミサ・ソレムニス」などを残してくれています。

 コロ以外に好きな男性歌手を挙げるとすれば、若手のテナー、トーマス・ハンプソンでしょうか。
彼も、バーンスタインと組んだ、マーラーの歌曲集などを残しています。

2003年10月5日 (日)  冨田勲頌 3

 突然ですが、宇宙人に直接脳みその中に話しかけられたこと、ありますか。私は、残念ながらまだありません。

 でも、それって、きっとこんな感じなんだろうなという体験はあります。冨田勲氏の「惑星」の中の「土星」を聴いたら、誰だってそう思うのではないでしょうか。

 そう、そうなんです。頭蓋骨の中でシンセサイザーの繊細な音が左右に行ったり来たり。まるで、脳の深い部分を貫通しているよう。
 ただし、これはヘッドフォンを装着しないと体験できませんから、そのつもりで。

 聴く音楽と言うより、耳の奥で感じる音楽と言うべきでしょう。聴覚ではなく、触覚で体感するのだとも言えます。そんな曲をもう一つ。

 私が現在最も恐怖心を抱きながら聴かなければならない曲です。

冨田勲作曲「源氏物語幻想交響絵巻」の中の「浮遊する生き霊」。これも、ヘッドフォンで聴くことをお勧めします。耳に、いきすだまの息が直接かかるのですから、思わず背筋がゾクゾクッ! 最高に気持ち悪いです。

 恐いですねー、恐いですね〜、ハイ、冨田さん三日間ありがとうございました。

 では、またあした、このやかたでお会いしましょ。さよなら、さよなら、さよなら・・・

2003年10月4日 (土)  冨田勲頌 2

 冨田勲さんのディスクに「宇宙幻想」と題された作品集があります。その中の「パシフィック231」が何ともノスタルジックで、氏のシンセサイザー作品の中でも傑作の一つです。

 「パシフィック231」をご存知無い方に一口コメント。この名称は機関車の名で、オネゲルという現代作曲家が、その汽車の発車から次の駅で止まるまでをオーケストラで描写した作品です。

 で、冨田氏の手に掛かると、その機関車は銀河鉄道を走る列車にグレード・アップするのです。

 汽笛一声、もうもうと蒸気を吐き出しながら、車輪がゆっくり回り始めます。この辺りは、原曲でも見事なオーケストレーションで、重々しい感じをよく表現しています。冨田氏の独創は、この後の遮断機の警告音です。

 最初、やや離れた所で鳴っていた遮断機のカーン・カーン・カーンという音が、だんだん大きくなってきます。その音が目の前で最大音量になった瞬間、その音はドップラー効果を伴って後方に筋を引くように遠ざかって行きます。そして、汽車はより速くより高く夜空を疾駆するのです。何という心憎い演出!

 ところで、冒頭、動き出す汽車と小さく鳴り続ける遮断機の音が左右から聞こえている間は、主人公(音楽を聴く私)は、列車が通過するのを待っているようなシチュエーションです。それが、いつの間にか気が付くと、車窓から外を眺めている乗客に早替りしているというわけです。
 これって、恐らく冨田氏によるトリックなんでしょうが、夢の感じを出そうとしているのだと私には思えます。

 それにしても一つ気になるのは、若い人や外国人でも、私が感じるのと同じ郷愁をこの作品に感じるのだろうかという点です。一度、調査してみようっと。

    つづく 

2003年10月3日 (金)  冨田勲頌 1

 冨田勲さんは、NHKのいろんな番組のテーマ音楽を書かれていますよね。

 例えば、「新日本紀行」「文吾捕物絵図」、大河ドラマ「花の生涯」「勝海舟」「徳川家康」「新平家物語」など。
それから、手塚アニメともゆかりがあります。「リボンの騎士」「ジャングル大帝」など。
そうそう、松竹映画「学校」のテーマ音楽も冨田さんでしたね。

 でも、多くの人と同様、私もまずシンセサイザーの冨田さんを知り、そこからファンになって行ったものです。シンセサイザー作品には、氏のアイデアとユーモアがいたるところにちりばめられています。
 そんな中から、私のお気に入りを紹介します。

 まず、「展覧会の絵」の中の「卵のからをつけたひなの踊り」が絶品!
 氏の解釈は、猫に追い廻されるひよこと、その猫を撃退する親鶏の物語。

 一時期、4チャンネル・ステレオなんてものが売り出されて評判になったことがありました。私も、買おうかどうしようか迷ったものですが、クラシックにそんなものは要らないと毅然と決断したお陰で、現在に至るまで、我が家にはそのテの代物は一切ありません。(持ってる方、気を悪くしないでね)

 話を戻しましょう。冨田氏の「展覧会の絵」は4CHステレオ用に創られたものなので、部屋の四隅にスピーカーを置いておくと、ひよこ達が部屋の中を所狭しと掛け回るという寸法なのです。
 ただし、普通のステレオではそこまで再現できませんが、どんなマジックを使ったものやら、左右のスピーカーより外にひよこが飛び出してしまうのが、何とも滑稽で不思議です。

     つづく

2003年10月2日 (木)  キエフの大門

 「展覧会の絵」を知っている人なら、誰もがおったまげるチェリビダッケの「キエフの大門」。私が持っているのはミュンヘン・フィルを指揮したものですが、こんなのを小学生や中学生がいきなり聴いたら、教育上悪いに決まってます。

 たいていの指揮者が振る大門は、門を遠目に見て、でっかいなあ、と言う感じ。でも、チェリさんのは、どんどんどんどん門に近づいて行って、門の真下から上を見上げると、てっぺんの方が雲の中に隠れてしまってるやん、て感じかな。
 とにかく私、実際のキエフの大門も、その絵も見たことないですけど、この世のものとは思えない、途轍もなく馬鹿でかい門を頭の中に描いてしまうのです。

 具体的に言うと、チェリさんの「キエフの大門」は、とってもスローモー。でもって、どの楽器の音も細部までよく聴こえる。
 だから、印象としては、壮大な門の上からきらきらと光り輝きながら、無数の破片が舞い落ちてくる情景とでも言いましょうか。

 実は、これによく似た印象を与える作品が、私のコレクションにもう一つだけあります。

 それは、クナーパッツブッシュがウィーン・フィルを振った「ワルキューレの騎行」です。やはり途中からぐっとスピードを落とし、装飾的な細部を最大限聞かせるという演出を行っていて、モノーラルにもかかわらず、とても色彩的でダイナミックな演奏となっています。

2003年10月1日 (水)  ストラヴィンスキー・ガイド

 前回のレスピーギ・ガイドの要領で、ストラヴィンスキーもやってみましょう。途中まで、よく似た進み方をします。

 ストラヴィンスキーに目覚めるのは、おおかた「春の祭典」か「火の鳥」か「ペトルーシュカ」のいずれかによってでしょう。中には「火の鳥」と「ペトルーシュカ」は許せるが、「春の祭典」だけは一生涯聴きたくないと仰る方もおられるようです。
 たとえば、作曲家の小*朗氏は、岩○新書『日本の耳』の中で激越な口吻で、「春の祭典」をこき下ろしていらっしゃる。信じらーんな〜い!

 まあ、それはともかくとして、三大バレエなんていうものだから、三曲まとめて何度も聴いているうちに、おのずと少々秋風も吹いてきたりして。これらの作品に匹敵するような曲はないんかいっ、てんでね、またまた渉猟の虫が騒ぎ出したりなんかしちゃうわけよ。あ、失礼、江戸っ子口調になっちまった。

 ところが、「三大」と言うからには、どこまで行っても「三大」なわけでして、これと並ぶものはおろか、ワンランクだけ下がるというのも無いんですね。我々が血眼になって探したところで、ストラヴィンスキーの方が路線変更して、新古典主義に移っちゃったんだからしようがない。諦めるんですね。

 レスピーギにアングルとくれば、ストラヴィンスキーにはピカソですね。野獣派のダイナミズムに血が騒いだ人間に、もの静かな古典的格調だの様式美だのと言ったって始まりませんやね。

 それでも未練たらしく、ストラヴィンスキーを!と手を差し出すのなら、当たり外れの少ないところで、「プルチネルラ」と「兵士の物語」。ちょっと癖はありますが、「ミューズの神を率いるアポロ」と「妖精の口づけ」。じっくり聴くとだんだん良くなってくる曲は何曲かありますが、肌に合わないと嫌がられる可能性もありますので、これぐらいにしておきましょう。

 最後に、私が気に入っている交響曲の紹介を。「ハ長調の交響曲」や「3楽章の交響曲」などもありますが、私は「交響曲 変ホ長調 作品1」というのが好きです。
 プロコフィエフもショスタコーヴィチもこのストラヴィンスキーも、最初のシンフォニーは初々しくて可愛らしいので好きです。

2003年9月30日 (火)  レスピーギ・ガイド

 レスピーギと言えば、ローマ三部作。そのうちの、松と祭を知っていれば、まあ、クラシック愛好家として恥ずかしくはないでしょう。

 バーンスタインも、レスピーギはその2曲しか録音していません。レコード時代、輸入盤でしか手に入らなかったので、レコード店を介して米国のCBSソニーに直接注文して入手しました。

 ローマ三部作が気に入ったら、「リュートのための古代舞曲とアリア」へと進みます。いいですねえ、アッピア街道の松で難聴になりかけた耳をいたわるような、デリケートな響き。お奨めは、意外なところで、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の全曲盤。

 近代と言っても、ぐっと現代寄りのレスピーギが、なぜにアンティーク? そうか、画家のアングルだってアナクロ(時代錯誤)やってたもんね。あたしゃ、アナクロ・アナログ・のらくろ派。そういう方は一歩進んで、「鳥」「ボッティチェリの3枚の絵」へと向かいましょう。

 えっ、そういう地味なのじゃなく、ローマの松・祭の、あの素晴らしいオーケストレーションがもっと聴きたいと仰る? わかりました、それじゃあ、「風変わりな店」など、いかがでしょう。原曲はロッシーニの小品集「老いのいたずら」ですが、見事な編曲がなされています。

 レスピーギは、近年急にマイナーな曲も録音されるようになって来た作曲家です。「教会のステンドグラス」や「秋の詩」なんてロマンティックな題名の曲も、いつのまにか複数のCDが出ています。

 最後に、マイナーな曲の中で、私が特に好きな曲を挙げておきましょう。「劇的交響曲」、交響曲とは言うものの交響曲の仲間うちでは、村八分にされているようです。3楽章構成の長大な作品ですが、なぜか惹かれる魅力的な曲です。

2003年9月29日 (月)  プラネタリウムのBGM

 私は高校生になったらブラバンに入ろうと決めていたのですが、ちょっとした運命の悪戯で、地学部などという地味なクラブに入ってしまいました。
 秋の文化祭では、展示の一つにプラネタリウムをやろうということになり、私が、原稿・ナレーション・BGMを一手に引きうけることになりました。

 その際、クラシックのいろんな曲をBGMに使わせてもらいましたが、3年間使い続けたお気に入りの曲が2曲あります。
 その一曲は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」。静かな部分も激しい部分も使いました。激しい個所は、ビッグバンや超新星爆発の説明の際、実に効果的でした。

 もう一曲は、プロコフィエフの「古典交響曲」の第2楽章。あの透き通った弦の奏でる旋律は、神秘の宇宙を表現するのに最も相応しい曲だと思います。
 説明が一旦中断して、夜空の星がゆっくりと西に移って行く。それを黙ってじっと眺めている観客。身も心も引き締まるような、秋から冬にかけての冴え渡る夜。人も宇宙も、時間までをも包み込んで流れる永遠のラルゲット。

 私にとっては、そういういわれのある曲なので、深い感慨無しにはこれらの曲を聴くことはできないのです。まあ、それはともかく、一度宇宙に心を馳せて、上の2曲を聴いてみてください。

2003年9月28日 (日)  「法悦の詩」と言えば

 スクリャービン作曲の「法悦の詩」は、今でこそ交響曲第4番のタイトルとして通っていますが、一昔前は、交響詩だったんですよ。
 それはともかくとして、この作品には催淫作用ありとのことで、旧ソ連では発禁処分になっていたのだとか。芥川也寸志さんの著書でそのことを知り、どんな曲だべと、ずっと気に掛かっておりました。

 そんなある日、新譜レコードで見つけた私は、早速そのアバード盤(この表記は後、アッバードから、アバドに進化しました)を入手したものの、その大胆なジャケットに絶句しました。(恐らく、芸術的な写真なのでしょうが)女性のヌードではありませんか!
 さすがに、この曲を聴く時は、家人にジャケットを見られないよう気を遣いました。

 この「法悦の詩」もさることながら、裏面の「ロミオとジュリエット」(チャイコフスキー作曲)の強奏のド迫力には仰天。少し大き目のヴォリュームでかけていても、部屋の窓ガラスが割れるのではというぐらい響くのです。どちらも、聴こえないぐらい微かな部分もある曲なので、このレコードを掛ける時は、いちいちヴォリュームを上げ下げしなければなりません。

 ということで、けっこう手間の掛かるレコードなんです、我が家では。

2003年9月27日 (土)  チェリビダッケのこと

 そんなこんなで、二人の指揮者に興味を持ったのですが、レヴァインはすぐに見放しました。(この音楽館、レヴァインさん、見てないでしょうね/笑)
 FMのエア・チェック(録音)中心に、レヴァインの振った曲を集め始めたのですが、どうも、バーンスタインを超えるほど面白いものはなかったのです。

 かたやチェリビダッケの方は、文句無しに面白い演奏が多い。
 テンポが聴き慣れたものと違う、聴こえてくる楽器が違う、ヴァイオリンのフレーズの両端がまるでカミソリの刃のように鋭く、それで私自身の中にあるもやもやしたものがスーースーーと裁ち切られていくような心地良さ。何とも新鮮でした。

 チェリについて、超簡単に紹介しておきましょう。
 
 チェリは録音嫌い。そう、だから幻の巨匠などと言われ続けました。ある時期までは、海賊盤でしかその「幻の名演」に接することができなかったのです。でも、晩年になって、自ら方針変更し、EMIとグラモフォンから次々と新譜を世に送り出します。

 幸か不幸か、私がチェリに関心を持ち出したのと、その時期が重なってしまいました。だから、矢継ぎ早に売り出されるテンポについて行けず、息切れしてしまったのです。
 ブラームスの交響曲全集を、時を経ず両社から出したりするんだもんなあ(怒)

 てなわけで、ブルックナー・チクルス(12枚組)を最後に、私はチェリのCD購入から撤退することにしました。
 ほんの短期間の浮気物語・・・の顛末、めでたしめでたし。 

2003年9月26日 (金)  聴き比べ 2

 私の中には天邪鬼が住んでいて、周りにバーンスタインのことを悪く言う連中がまだまだ居た時分には、まるで恋人のようにレニーに熱を上げていたものですが、彼がヨーロッパとグラモフォンに拠点を移し、世界のバーンスタインとなっていった頃からは、だんだんオコリのような熱は冷めていきました。もちろん、一番好きな指揮者であることに変わりはありませんでしたが。

 そんなバーンスタインが1990年に亡くなると、暫くの間は、追悼盤だの初出盤だのが出ていましたが、そのうちぱったりと新譜が途絶えてしまいました。

 バーンスタインに代わる、マイ・ヒーローを探さなくっちゃあ、と薄情な浮気者は手当たり次第に、別の指揮者に声を掛けていくのです。面白いことに、(後で聞いてわかったのですが)私の知り合いのレニー・ファンは、揃いも揃って同じ行動をとっていました。きっと、レニー・ファンは、常に面白い解釈の演奏を求めるタイプの音楽ファンだったのでしょう。

 私がとった具体的な方法は、聞き比べでした。課題曲はシューベルトの「グレイト」。そこでまた、同曲収集が始まりました。今度はCDやFMのエア・チェック・テープも入れると35種類。ところが、違いのわからぬ男のグレイト。

 行き付けの輸入専門店の店長に話すと、グレイトのように完成度の高い良い曲は、誰が振っても良く聞こえる、とのこと。確かに、これはイカンぜよというグレイトはありませんでした。

 じゃあ、私の思惑は無駄に終わったかというと、そうでもありません。収獲はありました。チェリビダッケは、唯一、ポスト・バーンスタインに成り得るのでは。レヴァインもいいじゃん。

 というわけで、次回は、私にとってのチェリとレヴァインの運命やいかに。 

2003年9月25日 (木)  聴き比べ 1

 音楽鑑賞の愉しみの一つに、聴き比べというのがあります。私がまだ十代のころ、ラジオのある番組でたまたま、「田園」の2楽章の最後の方に現れる、鳥たちの掛け合いの部分を聴き比べるという企画をやっていました。
 同じ曲でも、指揮者によってかなり感じが変わるということは知っていましたが、次から次へと何種類も聞かされると、それはそれでまた、別の感動がありました。

 中高時代の私には、月に1枚のレコードを買うのがやっとでしたから(本代にも相当注ぎ込んでいた)、次から次へと新譜を出してくれるバーンスタインのレコードを買い損ねないように追いかけるので必死でした。同じ曲を何種類も買うなんて、夢のまた夢です。

 ところが、給料を稼げるようになってからのことですが、いっとき私は、ある曲にハマってしまったのです。ストラヴィンスキーの「春の祭典」です。それで、簡単に手に入る「春祭」を片っ端から買っていきました。レコードの時代ですが、20種近く持っていたでしょうか(現在、CDも10枚あります)。ここまで来たら病気!

 お陰で、指揮者の癖やオケの音質の違いが、(少しだけ)わかりました。バーンスタイン一辺倒から抜け出したのは、恐らくその時だったのではないでしょうか。

 「春祭」に限って言えば、バーンスタインと並んで私の気に入った指揮者は、クラウディオ・アバドでした。マルケヴィッチもいいし、マゼールもユニークな解釈で面白い。オケの音で気に入ったのは、チェコ・フィルでした。

   つづく

2003年9月24日 (水)  マニアックな面々

 クラシック音楽愛好家といっても、実にさまざま。私は、中庸を重んじる八方美人なので、その傾向も自ずとバランスのとれたものだと勝手に思っています。ここは、私が実際に出会ったマニアックな方々を紹介するコーナーです。(今回限り)

○ブラームスはお好き、とばかりに、ブラームスしか聴かない尼崎のご年配の女性Uさん。

○膨大なディスク・コレクションを持ちながら、重複した曲はないと豪語する名古屋のS氏。小品でやむを得ず重なるのは仕方ないとして、曲の種類を増やすことに命を懸けて居られます。

○モーツァルトの曲と、小澤征爾氏にしか興味がないという大阪の保険外交員Тさん。彼女は、超一流の演奏しか聴きたくないと仰る贅沢な愛好家。

○コンサート中心の音楽鑑賞を続ける東京のI氏、マニアックな演奏会評を毎回配信して来られます。

○50歳を過ぎて初めて生の演奏会に目覚めた、埼玉のK氏。彼は恐らく私の知り合いで最も多くのディスクを持っている人。

○レコード芸術(CD芸術と改称しないのがエライ!)の、録音優秀盤にしか興味がないという、某オーディオ・メーカーに勤めるO氏。買ってきたCDも全曲聴くことは滅多になく、音楽を楽しむのではなく、あくまで音を楽しむのだそうな。

★私には信じ難いことなのですが、ピアノをやっている(教えている)人で、ピアノ曲にしか関心がないという方が結構いらっしゃるんですね。ピアノに限らず、プロ(アマ)の演奏家となると、どうしてもそうなっちゃうものなんでしょうかね。

2003年9月23日 (火)  オイドンはハイドンにびっくり!

 交響曲を100曲以上も書いたハイドン先生。中にはつまらない作品もあるのでしょうが、少なくとも、82番「熊」から最後の104番「ロンドン」までは粒ぞろいの名品。これだけでも、びっくりですよねえ。

 でも正直、交響曲第101番なんて言って、馴れっこになってしまっているので、一々驚いてはいられません。驚くのは、これからです。
「皇帝」が弦楽四重奏曲第77番なんですね。ホロヴィッツがピアノ・ソナタ第49番なんてのを弾いています。おいおい、って感じです。で、調べてみました、パパがどのくらい量産したのかを。

 弦楽四重奏曲は83番までありました。ピアノ・ソナタは約60曲。ピアノ・トリオが45番まで。ディヴェルティメントが約40曲、それとは別に、バリトン、ヴィオラとチェロの3声のためのディヴェルティメント(バリトン三重奏曲)というのがあり、それが126曲!
 バーンスタインが精力的に取り上げていたミサ曲も12曲に及びます。歌劇も15曲ありました。すごいですねえ。まだまだ色々ありますが、これにおなじみのチェロ協奏曲だのトランペット協奏曲だのも加わるのです。

 多産と言えば、バッハなんかあの膨大なバッハ大全集を見るだけで、私などは気が遠くなってしまうのですが、カンタータだけでもBWVの1番から200番まであるのですね。ハイドンの半分も生きられなかったモーツァルトももちろん沢山名曲を残しました。

 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの人気に比べ、少し見劣りのするハイドンに、今日は敢えてスポットを当ててみました。 

2003年9月22日 (月)  スコットランドとアメリカ音楽

 「スコットランド」と言えば、メンデルスゾーンのシンフォニー以外に、ブルッフの「スコットランド幻想曲」というのがありますね。偶然かどうか知りませんが、どちらも4楽章とは言うものの、歴然と4つの部分に分けることができない作品です。

 私は、スコットランド民謡の或る旋律に、言いようのないノスタルジーを感じます。その故か、上記の2曲は特に好きな曲(私には好きな曲が多くあり、特に好きな曲もいくつかあり、最高に好きな曲も1曲ではありません!?)です。

 ハリソン・フォード主演の映画に『目撃者 ジョン・ブック』というよく出来た作品がありますが、あの中に出て来るアーミッシュ達(迫害されて新大陸に移り住んだプロテスタントの一派)が歌っている歌が、いかにもスコットランドを感じさせ、独特の郷愁を漂わせます。

 「アメイジング・グレイス」「グリーン・スリーヴズ」「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」「故郷の空」などが、スコットランド民謡として有名ですが、特に「アメイジング・・・」と「グリーン・・・」が、私のスコットランド・イメージです。

 バーンスタインの影響もあって、アメリカの作曲家の作品にも興味があるのですが、その緩徐楽章をじっくり聞いていると、彼らが心の中に抱いている「古き良き時代のアメリカ」というものを感じることができます。それが、とりもなおさず、遠くスコットランドの哀愁を湛えているのです。

 そういう感性で、コープランドやアイヴズの交響曲に接してみると、一見、派手で軽薄な印象を持たれがちな彼らの曲も、意外に深いものであることが理解できると思います。

2003年9月21日 (日)  バーンスタインのバッハ

 バーンスタインのバッハ、というのも何となくミスマッチっぽくて面白そうでしょ。ヴァイオリン協奏曲の第2番、ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲、ピアノ協奏曲第1番(ソリストはグールド)、マニフィカト、マタイ受難曲、それに前々回紹介した没後10年の記念CDに初めて現れたブランデンブルク協奏曲第5番。これで全てです、レニーが振ったバッハ。

 マタイ受難曲のレコードは日本では発売されなかったんじゃないかなあ。アメリカに直接注文できるということを知って、20代の私は、せっせと輸入盤を買い求めたものでした。マタイはその際に買った2枚組です。

 バーンスタインのマタイは面白いですよー、なんたって、全編英語なんですから。ピーターやサイモンやジョセフが出て来るんです。それ誰って? ペテロ、シモン、ヨゼフのことです。

 演奏の方は、ドイツ的でないとだけ、言っておきましょう。

2003年9月20日 (土)  おすすめがいっぱい 5

 メンデルスゾーンの交響曲と言えば、「イタリア」「スコットランド」「宗教改革」ですか。2番の「賛歌」もいいんですけどね。ハ短調の1番なんてのもあるそうですが、私は聴いたことがありません。で、今日のお奨めですが、

●メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲(シンフォニア)

 知る人ぞ知るという半マニアックなもので、全部で13番まであります。1番〜6番までは各3楽章構成、7番〜9番が4楽章、10番と13番が単一楽章、11番が5楽章、残る12番が3楽章です。ひと楽章の長さは、一番短いもので2分弱(2番の3楽章)、長いもので11分半(11番の1楽章)です。

 四十路を踏まずして逝った早熟の天才、12〜14歳にかけての作品群です。その完成度の高さは、目を見張り耳を疑うばかり。

 演奏ならびに録音の秀逸なものを紹介します。
 コンチェルト・ケルン(オリジナル楽器オーケストラ)が演奏した全曲盤(3枚組)。分売もされていますが、これはもう清水さんの舞台から飛んだつもりで、ぜひ3枚組を買ってください。損はさせませんと何回も言うと、ジャ○ネットみたいだから言いませんが(えっ、もう言ったって?)、一生ものですよ。

 このディスクは、とにかく音がいい。しびれます。トリップしちゃいます。
 
 これだけ褒めたんだから、TELDECさん、何かくれないかなあ。

2003年9月19日 (金)  バーンスタインの不得手

 学生時代のバーンスタインは、12音技法の現代曲とオペラが嫌いであったそうな。そう言えば、カラヤンが振った多くのオペラや新ウィーン楽派の作品は、レニーには縁遠く感じられます。

 レニーの振ったオペラ(全曲)は次の10曲余りに過ぎません。寂しいことに、リングもなければフィガロもありません。

●ヴェルディ:ファルスタッフ  ●ベートーヴェン:フィデリオ  ●リヒャルト・シュトラウス:ばらの騎士
  (以上ウィーン国立歌劇場)
○ベルリーニ:夢遊病の女  ○ケルビーニ:メディア  (以上ミラノ・スカラ座、マリア・カラスとの共演)
●ビゼー:カルメン  (メトロポリタン歌劇場)
 
●プッチーニ:ラ・ボエーム  (ローマ聖チェチーリア音楽院管) 
●ワーグナー:トリスタンとイゾルデ  (バイエルン放送響)
     
  (以上は正規盤)

○レオンカヴァルロ:道化師  ○マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ (以上メトロポリタン歌劇場)

  ○はモノラール録音

これらに、自作自演の「タヒチの騒動」と「クワイエット・プレイス」が加わります。


 さてもう一方の、12音技法の曲は、バーンスタイン没後10年を記念してニューヨーク・フィルが自主製作した「バーンスタイン・ライヴ(10枚組)」に数点収められていますが、彼の生前にはめぼしい作品は出ていないようです。

2003年9月18日 (木)  大フィル第371回定演

 私は大阪在住なもので、近辺で催されるコンサートには時々出かけます。昨夜は、この音楽館を開いてから初めてのコンサートに行って来ました。大フィル第371回定期演奏会、ベルリオーズ生誕200年記念。指揮は大植英次氏。
  
 オープニングは「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲。バーンスタイン指揮の「イタリアのハロルド」とカップリングされているので何度も聴いている曲ですが、演奏会で聴くのは恐らく初めて。正直言って、あまり内容のある曲とは言えませんなあ。若い時は、一曲でも多くの曲を聴いて覚えようなんて意気込んでいたものですが、年齢と共に、自分に合った曲、聴いて幸福を感じたり充実感を得たりする曲でないと、時間が惜しいと思うようになって来ました。

 次は、好きな曲の一つ、リストのピアノ協奏曲第1番。ソリストはフォルテ(シモ?)の和音で低音を外すこと3回、でも、それも気にならないくらい素晴らしい演奏でした。アンコールの時、客席に向かって、「この衣装わかります?」との問いかけに、笑いと拍手が起こりました。黒と白(黄色でないのが愛嬌)のストライプのワンピースでした。

 休憩をはさんで、メインの「幻想」、演奏の前に、指揮者から、「阪神タイガース優勝おめでとう!」と一言。大植氏を見るのは初めてでしたが、バーンスタインの弟子だけあって、跳んだり踊ったり。まるでスムーズに動く精巧な操り人形を見ているようで、目が離せませんでした。
 曲が終わって3度目ぐらいに出て来た時、なんとタイガースのハッピを引っ掛けて登場。大阪の聴衆へのサーヴィスなんですね。

 なにはともあれ、なかなかの名演に、心が満たされました。

2003年9月17日 (水)  おすすめがいっぱい 4

●ニールセン:交響曲第4番「不滅」

 クラシックの世界に足を踏み入れてしばらくすると、『不滅』という表題の曲が妙に気になりだしました。馴染のない作曲家なので、うかつに手を出すこともできません。かと言って、いつまで待っていても、一向に近づいて来そうにない曲なのです。

 幸運なことに、1972年、バーンスタインが振ったレコードが出ました。彼が振ったものなら何でも手に入れようと決めていた私は早速買い求めました。ジャケットが美しいので手放せなかったレコードの1枚です。表がメタリック・オレンジの地に直径15センチの銀色の太陽(その中にタイトルや演奏者などが書かれています)、裏も同じデザインで地の色がメタリック・グリーンという、シンプルにして派手なユニークなものです。

 バーンスタインは、このデンマークの代表的作曲家、ニールセンの交響曲を2番から5番まで振っています。そのうちの第3番はデンマーク王立管弦楽団を指揮してのものです。(他は手兵、ニューヨーク・フィル)

 さて、そのニールセンの音楽とはどのようなものか。例によって、極めて主観的に紹介させていただくと、「充分加熱させたシベリウスに、ユダヤ色をすっかりアク抜きしたマーラーを溶かし込んで、適度に薄めたような曲」と言えば、想像していただけますでしょうか。

2003年9月16日 (火)  おすすめがいっぱい 3

 3回目の今回は3にゆかりの作曲家、サン=サーンスの曲です。

 まさか本当に3=3スというわけでもないでしょうが、なぜか交響曲もヴァイオリン協奏曲も第3番が有名です。これで、ピアノ協奏曲もそうであれば面白いのですが、残念ながらこれは第4番と第5番。オペラにもサンソンとデリラというのがあります、と、これは冗談、サムソンでした。で、今回は

●サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲 第3番

 彼の神童ぶり、多才ぶりはよく知られていますが、意外にクラシック・ファンでも、第3交響曲と、それから誰でも知っている「白鳥」(今でも「動物の謝肉祭」は、音楽鑑賞の定番?)ぐらいしか聴いたことがないという人が多いのではないでしょうか。「アルジェリア組曲」や「死の舞踏」、「序奏とロンド・カプリチオーソ」も知っているぞと仰った方は、本当のクラシック通でしょう。で、このヴァイオリン協奏曲あたりが微妙な所に位置しているように思うのですが、いかがでしょうか。
 
「演奏家の使命は、自分の演奏する音楽を、何とすばらしい、美しい曲だろうと、聴衆に思わせることだ」と言ったのは宇野功芳氏ですが、私は鄭京和の演奏によって、この曲と演奏にすっかり魅了されてしまいました。それらの魅力を言葉で言い表すことは私には不可能です。

 もしもあなたがこの曲を聴いたことがないと仰るのであれば、ぜひ彼女の演奏(ローレンス・フォスター指揮、ロンドン交響楽団)のCDを買い求めて聴いてみて下さい、絶対に損はさせません。百見は一聴に如かず。

2003年9月13日 (土)  おすすめがいっぱい 2

 今回は、現代作品です。

●ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番

 最近の私は堪え性が足りないのか、暗く重い音楽を10分近く聴いていると、睡魔に襲われてしまいます。ショスタコーヴィチの交響曲の多くは、軽妙洒脱な楽章と晴れやかな大スペクタクル楽章の狭間に、なんともどんよりとした鉛の塊のような楽章が横たわっていますよね。CDでは飛ばしやすいので、パスさせてもらうことが多くなりました。
 このコンチェルトも、2楽章と4楽章だけ聴くことが多いです。
 
 で、この曲にも、私のお奨めディスクがあります。ムローヴァとプレヴィンが組んだもの(1988年)です。彼女は、バッハを弾くようになってから(1992年)、奏法を大きく変えてしまいますが、私個人の好みから言えば、それ以前のピーンと張った「ひたすら美音」の完璧演奏の方が好きです。(彼女の語るところによれば、バッハで、肩の力を抜く自然な弾き方に目覚めたということなのですが)

 それはさておき、プレヴィンの棒が冴えるのは最終楽章。これぞ、ショスタコ!と快哉を叫びたくなるような、躍動感。どの楽器のどの音も粒立って自己主張し、ソロ・ヴァイオリンがその間を切り裂くようにすり抜けて行く。鳥肌の立つ快演です。

2003年9月12日 (金)  おすすめがいっぱい 1

 こわ〜いこわ〜いネタギレ防止策に、新企画登場。これで暫くは食いつなげるか!? このシリーズでは、超メジャーな曲と滅茶マイナーな曲は取り上げないつもりです。

 で、第1回目はこれ。

●ハイドン作曲:ピアノ協奏曲 ニ長調

 凡庸な演奏で聴くとそれほど面白い曲ではないかもしれません。
幸運なことに、かのアルゲリッチのレパートリーに入っているので、ぜひ彼女の演奏で聴いてほしいと思います。
 フェーバー指揮、ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団のものと、アルゲリッチ自らが指揮もしたロンドン・シンフォニエッタ盤とが正規盤で出ています。アルゲリッチらしい厳しさを取るなら前者、ややソフトで美音にこだわるなら後者でしょうか。いずれにしても、アルゲリッチにかかると、こんなにもチャーミングな曲に生まれ変わるのかと驚嘆してしまいます。

2003年9月11日 (木)  ここが変だよ、バーンスタイン V

 バーンスタインの振る有名な交響曲を聴いていて、「あれっ?」と思った人は結構いるのではないでしょうか。かく言う私も何度かびっくりさせられた一人です。それは、たいていの指揮者なら無視して越えてしまうリピートを彼は忠実に実行するため、リピート部分の聴き馴れない数小節が演奏されることによるものです。

 リピートについては、作曲された時代と、レコードで何度でも繰り返し聴くことのできる現代との大きな違いを考えれば、無視するのが良いのだとの解釈が当然成り立ちます。古い時代の作曲家達がなぜリピートを多用したかと言うと、同じ曲を何度も演奏してもらう機会を持たなかったので、折角苦心して創った、もしくは神の啓示として得られたメロディを、少しでも聴衆の記憶に留めてもらいたいという作曲家の密かな(?)企みだったと考えられるのです。

 じゃあ、徹底した解釈で知られるバーンスタインがなぜリピートに拘ったのかということですが、指揮者は作曲家の意図、つまりスコアに忠実であらねばならないと考えていたからです。それは、彼自身、作曲家であったことと無縁ではないと思います。ただし、年齢を重ねるにつれて、リピートには拘らなくなって行ったことも事実です。

 おやっ?と思うリピートがある、バーンスタイン指揮の主な交響曲

●ベートーヴェン:交響曲第5番の第4楽章

●ベートーヴェン:交響曲第7番の第1楽章

●ドヴォルザーク:交響曲第9番の第1楽章

●ブラームス:交響曲第1番の第1楽章

2003年9月10日 (水)  私の嫌いな曲(その2)

●ホルスト:「日本組曲」終曲
 6曲から成る組曲ですが、5曲目までは特に問題ありません。ところが、この短い終曲、まるで日本人をカリカチュアライズして(茶化して)いるようで、私には猿の一群が所狭しと狂乱している場面がイメージされてしようがないのです。こんな軽薄な音楽を日本と結びつけたことにも少々腹立ちを覚えますが、耐えて聴いている自分にもっと腹が立ちます。

●ガーシュウィン:「セカンド・ラプソディ」
 舞台の背景も立派で、そうそうたるメンバーを集めたのに、内容がハチャメチャという劇を観ているような曲です。クラシックとジャズの融合は「パリアメ」と「ラプブル」があれば充分よ、と言いたくなります。

●ウェーバー:交響曲第1&2番
 有名でないのには、やはりそれだけの理由があるんだなあ、と悟らせてくれた曲。この曲のCDを買ったころ、いろんな作曲家の交響曲を貯めるぞという高い志があったものですが、このCDのお陰でそんな無駄な事をせずに済みました。1回だけ聴いて売り払った唯一の曲です。

[追記] 現代音楽の中には、もう二度と聴きたくない! こんなもの聴いてたら時間のムダだ、というような作品は決して少なくありません。差し障りがありますので、ここでは挙げませんが。

2003年9月10日 (水)  私の嫌いな曲(その1)

 ディスク(レコード、CD)で、もう二度と聴きたくないなあという演奏はママあります。心底そう思った代物は当然ながら、もはや我が家にはありません。
 曲は気に入ってるのに演奏がどうも気に入らないという場合は、何冊かのガイドブックを頼りに、何年もかかる宝探しの旅に出ます。

 ところが反対に、演奏の良し悪しにかかわらず、曲自体どうしても好きになれないというものがあります。作曲家が明らかに手抜きをしていると判るものもありますが、それはまだ許せるとして(許しちゃうんです、私は。心が広いもんですから)、どう見ても聴いても人を馬鹿にしているとしか思えない曲ってのがあるんですね。それらが、私が嫌いだという曲なんですが、実はそれほど多くないのが救いです。

●ベートーヴェン:「ウェリントンの勝利」
 あほらしいメロディの上でドンドンパチパチその賑やかなこと。聴き終わったあと底知れぬ空しさを感じるのは私だけでしょうか。同じような鳴り物入りの趣向でも、チャイコフスキーの「1812年」とは雲泥の差があります。

●シューベルト:「フィエラブラス」序曲
 まあ中身の無い序曲なんていっぱいありますが、この曲は聴いてると段々馬鹿らしくなって笑ってしまいます。かの*ウム真理教の教祖が選挙に出馬した時の応援歌を彷彿とさせるメロディのせいかもしれませんが、まあ機会があれば一度聴いてみて下さい。私はできることなら聴きたくありません。

  つづく

2003年9月9日 (火)  レコードの話 U(その2)

●「ステレオ・ラボラトリー」のシリーズ(ロンドン)は奇妙なレコードを作った。70年代後半頃からだったろうか、各社が録音技術の粋を集めて特別レコードを売り出した。ソニーが45回転で録音レヴェルを向上させると、ロンドンは溝の幅を極限まで広げた(どちらが先かは忘れた)。そのロンドン盤の1枚、ショルティ指揮、ベートーヴェンの第7交響曲。何と2枚組で3面だけに溝が彫られている。レーザー・ディスクでは時々片面盤というのがあるが、レコードではこのシリーズ以外には知らない。ちなみに2枚で3800円だった。

●最後に78回転SP盤の話。高校の頃、私がクラシックに興味を持っているということを聞き知った親戚が、15枚ほど入ったレコードのアルバムをくれた。どんな曲が入っていたのか定かではないが、一つだけはっきり覚えているのは、トスカニーニの「ウィリアム・テル」序曲。このわずか12分の曲を聴くのに、2枚のレコードを何回もセットし直さなければならなかった。にもかかわらず、繰り返し聴きたくなるほどの名演だった。

2003年9月9日 (火)  レコードの話 U(その1)

 中学以降、私の持ち金は殆ど本とレコードに費やされた。世の中の本は今でもその形を変えていないが、レコードはいつのまにかCDに取って代わられた。
 私には先見の明とやらがなかったので、CD化の波が膝を濡らしていても、相も変わらずレコードを買っていた。へその辺りまで波が来て初めて、半信半疑のまま10万もするデッキと1枚3500円もするCDを買い出した。

 そうこうするうち、レコードは姿を消しつつあり、過去の録音も追々CD化されるようになると、資金繰りと置き場所確保のために、二束三文でレコードを手放すようになった。その犠牲になったのは、すべてCDに買い換えるつもりだったバーンスタインのレコードたちである。
 しかし、同じ曲のCDを手に入れても、どうしても手放せなかったレコードが何枚かある。音が素晴らしく良かった、「大地の歌」(ロンドン盤)、「春の祭典」「ペトルーシュカ」(以上ソニー盤)などである。これらは、素人耳にもCDよりはるかに豊かで美しい音を出している。

 今更レコードの話もどうかと思うが、歴史的証言だと思ってご勘弁願いたい。(知らない人にとっては嘘みたいな話もある)。大体が1960〜80年代の半ばのことである。

●「エンジェル・ゴ−ルデン・カップル」シリーズ(○芝)
 カラヤンの指揮による「運命」「未完成」「新世界より」「悲愴」「田園」の中から、好きな組み合わせのものを選べるという大胆企画。「運命」&「未完成」のカップリングなどは、まあよくあるパターンだが、「新世界」と「悲愴」なんてのを買った欲張り婆さんなんぞは、さぞやその音の酷さに腰を抜かしたことだろう。

●東○エンジェルといえば、透き通った赤色の盤を何枚か出していた。「日本現代作曲家シリーズ」もそうである。当時、芥川也寸志や團伊玖磨の曲はこのシリーズでないと聴けなかった。私の知っているたくさんのクラシック・ファンのうち、このシリーズを買っていた人は、私以外には一人しか居ない。マカ不思議。         [つづく]

2003年9月8日 (月)  レコードの話 T

 CDしか置いていない店でも、つい「レコード屋さん」と言ってしまう。なぜかCD屋さんとは言いにくい。
 さすがにもうレコードは買わなくなったが、CDに埋もれてレコードを聴くことはある。よく言われる事だが、これらにはそれぞれ長短がある。一々列挙するつもりはないが、レコードを聴くという行為には、CDでは得られない、ある種の精神的な緊張感が伴っている。

 まず、ジャケットから盤の入った保護用ポリエチレンを出す瞬間、その袋から本体を滑らせ大きく開いた掌に受ける瞬間(鼻歌まじりは許されない)、両手でターンテーブルに置く瞬間、過たず針を溝に落とす瞬間。神聖な儀式の如くに、幾度となく精神の集中を強いられる。その緊張の後の、妙なる音楽に身も心もゆだねる至福のひととき。

 CDの場合は何ともお手軽。ケースを開いて鼻歌まじりにディスクを取り出し、デッキのトレイにポンと載せたら、あとはリモコン・ボタン、ワンプッシュ。この手順の中に一ヶ所でも、息をつめて精神統一しなければならない個所がありますか。

 とは言うものの正直なところ、娘がまだ赤ん坊の頃、買ったばかりのCDがどれだけありがたいものに思えたことか。むずかる娘を片手で抱きかかえ、もう一方の手で難なく子守歌用のG線上のアリアをかけられるという奇跡、一回で眠りに落ちなければボタン一つでリピート。こんな芸当レコードには無理と、実に重宝したものだった。

 話は変わるが、アメリカ映画を観ていると、その中で彼らは実にぞんざいにレコードを扱っている。単なる消耗品としか思っていないのである。
 大分前のことだが、大阪のある有名なレコード店で、レコードにじかに触れているアメリカ人らしき二人の若者に店員が注意したところ、口論になった。彼らには、レコードに指紋が付くぐらい何ということもないのだろう。ヨーロッパ人から、文化的に低く見られる所以である。私の言う「精神的な緊張感」なども、きっと理解はできまい。

2003年9月7日 (日)  進化論は錯覚に陥りやすい

 人は大きな時間軸と空間軸を同時に視野に入れて物事を考えるのが苦手のようです。
 進化論を教わった人がよく陥る錯覚の一つに、動物園のチンパンジーはあと何世代でヒトになるのだろう、というのがあります。また、魚が進化して陸に上がり、両生類から爬虫類になって・・・と、ファンタジアの中の「春の祭典」のアニメーションも手伝って、「あなたは私の遠い御先祖さまなのね」などと、庭でしゃがみ込んでミミズに話し掛けたりするなんてことも。(アホを露見するのコーナーを立てた方がいい?)

 私自身ある時、眼から鱗がハラリと落ちたのですが、現在地球上に棲息する生き物は、ヒトであろうとチンパンジーであろうとミミズであろうと、はたまたダニであろうと、そのそれぞれが進化の最先端を生きているのですね。去年のダニより今年のダニの方がより環境に適応できる進化したダニなのです。そうでなければ、天敵や環境の変化で絶滅してしまうのです。

 さて、ここからが本題です。
 学校の音楽室にはよく大作曲家の肖像画が掛けられていますよね。また、音楽の教科書のどこかに、20人ほどの作曲家の生存期間をグラフで表したものが載っていたりしますよね。
 それらを見ながら私は、よく途切れもせずにこれだけの天才作曲家が次々と現れては、うまくバトンタッチしながら音楽史を築き上げたものだと感心していたのです。

 でも、これもよく考えてみると錯覚なんですね。そうではなくて、いつの世にもゴマンと存在する作曲家の中から、時間の篩(ふるい)にかけられて、たまたま残った人達が、我々がよく知っている作曲家に他ならない、と考えるのが正当なのでしょう。

2003年9月6日 (土)  閑話休題

マニアックな話が続いたので、ちょっと一休み。
私がクラシックに興味を持ったそもそものきっかけなんぞを。

 私の父は、初めて手にする楽器でも(鍵盤であれ、管であれ、弦であれ)数分いじっていたかと思うと、いきなり唱歌や童謡を弾いてしまうといった、根っからの音楽人間だった。しかし、純クラシックは聴くことさえしなかった。一方、母は根っからの音痴で、毎日歌ってくれる子守歌は同じ歌なのに日によって節が違っていた。つまり、家庭環境としては、全くクラシックには無縁なのであった。

 小学六年生の頃、自分もそろそろ大人に近づいてきたのだから、大人の教養というやつを身につけなければと、昨日までの漫画少年がいきなり一念発起して、クラシックの畑に足を踏み入れたのだ。そもそものきっかけは、少年雑誌の欄外にあった名曲なんとかというソノシートの広告であった。「運命」だの「白鳥の湖」だの「美しく青きドナウ」だのという有名どころが百曲ほどリリースされている。題名だけ知っていて中身を知らないと言うのは恥ずかしい、実際にどんな曲なのかぜひ聴いてみたいという知的欲求が沸沸と、少年の胸に宿った。

 自分の小遣いで申し込んだのか、親に頼んでお金を出してもらったのかはもう忘れてしまったが、いよいよ未知の世界を垣間見ることができるのだという喜びと不安で、わくわくどきどきの数日を夢見心地のうちに過ごしたのは覚えている。
 確か一枚50円で、4枚セットで申し込むのではなかったか。その中の一枚、「運命」のエピソードを。父のおもちゃのようなプレーヤーで飽きもせず何度も聴き、運命全部そらで歌えるぞ、なんて得意になっていたある日、父が買ってきてくれた本とレコード(17cm盤2枚組)が一体になった音楽全集の初回、ベートーヴェンTの「運命」を聴いてたまげた。私が知っている「運命」には、まだまだ続きがあったのだ!
今となっては何とも初々しい勘違い。

2003年9月5日 (金)  ここが変だよ、バーンスタイン U

今日はハープの使い方について。
まあ、一言で言ってしまえば、二台のハープを左右に分けて面白い効果を出そうとしたのですね。

●ベルリオーズ:「幻想交響曲」第2楽章
 弦のトレモロの後、2台のハープが掛け合いするでしょ、あの部分です。レニーはこの曲を3回録音していますが、ニューヨーク・フィルを振った初めの2回(1963年、1968年)でこのやり方を遂行しています。3回目の録音は1976年、フランス国立管弦楽団とのものですが、さすがのレニーも客演ではこういったイチビリ(悪ふざけ)はできなかったようです。

●ドビュッシー:「海」第2楽章
 「幻想」では、指揮者が意図したほどの効果が得られているとは思えないのですが、こちらの方はすごいですよ。ヘッドホンで聴くと、左から右へキラキラ光の粒子を撒き散らしながら、虹のアーチをつくるのです。
ただし、これも1961年録音のニューヨーク・フィル盤での話です。1989年に録音された、聖チェチーリア音楽院管弦楽団では、「幻想」の場合と同様、イチビリは許してもらえなかったようです。

[追記]昨日わかったことですが、レコード・プレーヤーの針部の接触が悪いらしく、左右のバランスが正常ではありません。よって、フランス国立管の「幻想」のハープの位置を確かめることができませんでした。でも、恐らく上記の記述に間違いはないと信じております。

2003年9月4日 (木)  ここが変だよ、バーンスタイン T

バーンスタインの指揮って、とんだり跳ねたりで有名でしょ、だから、演奏もものすごくユニークなんじゃないかって思われがちなんだけど、結構オーソドックスなんですよ。
例えば、ベートーヴェンの交響曲なんか、おっ、しっかり振ってるじゃん、と思ってしまいます。(何を偉そうに!)ただし、5番と9番については、別の機会にまた触れます。

まあ、オーソドックスな方はネタとしても面白くないので、変わった演奏を紹介しましょう。曲の一部なんですが、ここを聴けば、ああバーンスタインじゃ、と誰でもわかるぐらいに楽譜から外れています。(あのう、あたしゃ別にバーンスタインと分からなくてもいいのですが・・・うるちゃい!)

●ハイドンの「時計」第2楽章:ヴァイオリンの主旋律が、ターンターカタンタンと来て次、タラーンタカタカターとなるところで、タラッ・タカタカターとなる。(楽譜読んだり書いたりできない門外漢が音楽を語ると、こんな無様なことになるという見本ですわ)ちなみに、レニーのハイドンは、生き生きしていてとってもいい演奏だと思います。

●チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」や、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭は、癖のある吹かせ方してるので、違和感があります。

●スッペの「詩人と農夫」の終わり方は、なんじゃこれ、という感じです。何にもわからんて。強いて言えば、花道で六方踏み損ねた役者がそのまま前のめりで突っ込んで行って、最後引っくり返ったというような。

●ニコライの「ウィンザーの陽気な女房達」序曲の冒頭のヴァイオリンの主旋律。楽譜を書き換えたのではと推測するのですが、スラーの掛かり方が一音ずつずれてます。

ああ、こんな与太話読んだところで、誰が喜ぶんやろ。でも明日も続く。

2003年9月3日 (水)  ヴァイオリン話

 誰にでも自分の音楽クロニクルの中で、おおっ!という出会いは何度もおありでしょう。
私にも数限りない「おおっ!」があります。
そんな中で今日はヴァイオリニストの巻。

1.ひたすら美音に惹かれる
 五嶋みどり 諏訪内晶子 ヴィクトリア・ムローヴァ ギル・シャハム
 つい最近知ったパメラ・フランク
 漆原朝子さん弾くバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータは絶品中の絶品

 音程が揺れたり(ヴィブラートのことにあらず)、かすれたりというのは、いくら名演、テク抜群でも、私には合わない。クレーメルや、往年の名ヴァイオリニスト達がそうです。
 じゃあ、美音で弾かない奏者は全員ダメかというと、そうでもないみたいなんですね。

2.精神や魂の形を伝える奏者に惹かれる
 チョン・キョンファ(鄭京和) ヨーゼフ・シゲティ

 精神の形ってなんじゃ、と言われるかもしれませんね。作品で言えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタやカルテットがそれに当たると思うのですが。あっ、私、ものすごく主観的に書いています。だから、そんなものなんかなあ、程度でついてきてくださいね。

以上、私の「おおっ!」のヴァイオリニスト達でした。その中で、現在は朝子さんの追っかけやってます。

2003年9月2日 (火)  人のふんどしで何とやら

いっちょかみの私がそこここで音楽の事を書いたものだから、くるりんが専用部屋を用意してくれました。(よそでいい加減な話して回るなということか)

ウンと言えばチクのない私の音楽与太話、気が向いたら書き重ねていきますので、お暇な方は、時々見てやって下さいませ。そして、ご意見、ご感想、ご質問がある方は、くるりんのBBSにお願いします。くるりんとくりるんは、偕老同穴・比翼連理・一心同体です。

私はバーンスタイン派です。
大学の時、1年だけセロ弾きのゴーシュをやってました、練習中に変な音を出し、一人で外で弾いてろと怒鳴られた名誉な経験の持ち主です。
どういうものか、早い時期から邦人作曲家にも関心を持ち出しました。
ヴァイオリンの音にうるさいです。(ヴァイオリンの音は、ではありません)
好きな作品はゴマンとあります。
嫌いな作品は数えるほどしかありません。

そんなこんなを、暇を見つけては少しずつ書いていくつもりです。
よろしく、お願いいたします。

2003年9月2日 (火)  ちょっと試しに・・・

こんな感じで、どうでしょう??好きな時に、好きなだけ(全角1000文字まで)書き込めます。時間表示は出ません。背景の色、文字の色はいくらでも変えられます、指示下さい。部屋の名前も、勿論変更可能です。                         くるりんより(^^)